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<東京怪談ノベル(シングル)>


  「最終進化論〜その先にある未来〜」
   
 こぽこぽ……。
 静かな水音が響いていた。
不思議な感覚だった。柔らかなものが全身を包み込んでいる。お母さんのお腹の中にいるみたいだ、と。記憶しているはずはないのにそう感じた。
だがその心地よさを、何かからみつくようなものの存在が不快にさせている。
 みなもは、そっと瞳を開いた。
 目の前には、丸く自分の周囲をおおったガラス管。その向こうには、水との屈折でゆらめく、研究室のような場所があった。
――水の屈折!?
改めてその事実を確認し、みなもは思わず口をおおった。
だが、不思議と息苦しくはない。
人肌と同じ温度の薄い水色がかった溶液の中、青々とした水草が浮いている。
――これは何?
どん、と水の抵抗を受けながらも、両手でガラス管を叩いてみる。だが大量の水を入れるよう、分厚く頑丈につくられているようだった。
 ガラスの向こうには、機械の山があり、微かにモーター音が響いている。机の上にはビーカーや試験管に液体や粉などが散乱している。
 更に周囲を見渡すと、いくつものガラス管が並んでいた。他を見る限り、これは円柱ではなく卵型らしい。そしてその中にはやはり水が入っていて……自分と同じように、閉じ込められた人たちがいる。
だが、どこかおかしい。
 ――人の形をしていない……!?
 人魚のように、足が魚の尾になったもの。水かきになったもの。首筋に鰓があったり、鱗に身を包んだものもいる。
 だが、単純に水棲動物と入り混じったものばかりではない。
 真っ白な長い毛で全身を覆われたもの。目が退化し、モグラのように頑丈シャベルのような手をしたもの。大きく口が裂けびっしりと牙に覆われたようなものや、岩のようにごつごつした肌を持つものもいた。
 周囲を見渡せば見渡すほど、その異常さに恐怖は高まる。
 みなもは今まで外に向けていた目を、恐る恐る自分へと向けた。
 身体には長い茎のようなものがからみつき、底に少しだけしきつめられた土の中に、足先から細い根毛が伸びているのがわかった。
緑色の蔓が幾重にもなって両腕から生えている。先ほど水草が浮かんでいると思ったのは、どうやら自分の一部であったらしい。
 ガラスを叩いたときには、外の光景に気をとられて気がつかなかった。いや……気がつきたくなかったのかもしれない。
 一体、何が起こったのだろう。
 身体を構成する植物とは別に、いかにも人為的な管やコードのようなものが、みなもとガラス管とをつないでいる。
遠くの方で、何かの音が聞こえた。自動ドアが開くような……だけどそれよりも、ずっと重い音。
 気のせいかとも思うが、それに続いて足音と微かな話し声も聞こえてくる。
 ガラス管の中、それも水の中にいるはずなのに、まるで床に耳を当てているかのようにハッキリと感じられる。
「現在は植物に注目しています。水にでも土にでも、根を張ることで栄養を得られます」
「だが植物は基本的に寒さに弱い。それに足が根になると、移動手段が難しくなるのではないかね」
 声は足音と共に、少しずつ大きくなる。どうやらここに向かっているようだ。
「乾燥、暑さ寒さ、そして公害にも強いアベリアと水に強いスイレンとをかけ合わせ、水の中では細い根も土にはしっかりと根づくようにしています。……根の部分を強くすることによって、陸上でも這って移動できるよう改良していくつもりです」
「まぁ、試してみるのはいい。だが生態系ピラミッドの底辺となる植物が、我々の未来の姿だというのは勘弁して欲しいものだな」
 必死の説明を、太い声があっさりと切り捨てる。
「そ、それは、勿論でございますとも。色々なパターンを試し、様々な可能性を考慮した上で」
 白衣を着たやせ型で眼鏡をかけた男が、みなもの入ったガラス管の前で足を止め、スーツ姿の小太りな中年男性を振り返る。
「どんな生物よりも優れた、新たなる人間の姿をつくりあげてご覧に入れます」
 スーツ姿の男はみなもを見上げ、小さくうなずき背を向ける。
「当然だ。そのためにお前を雇っているんだからな」
 白衣の男はそれを深いお辞儀で見送る。
 足音が遠ざかり、姿が見えなくなると頭をあげ、部屋一面に並んだ機械の画面に向き直る。
「脳波、心電図共に異常なし。体温も、水棲ならば許容範囲だな」
 ピッピッと操作する音が聞こえ、ガラス管の中の水がざぁっと抜かれていく。
 僅かな土の塊だけが残り、かびた臭いのする冷たい空気が流れ込んできた。
 ――寒い。
 まだ水に濡れたままの身体を保護するかのように、硬い樹皮が全身を多い、蔓はいつしか枝へと変化していく。
 ガラスの中に、白い雪のようなものが舞い始めた。気温はどんどん下がっていく。
 ――これは何。一体、何が起こっているの?
 どんっ。もう一度ガラス管を叩き、他のものたちに目をやる。
 水の中ではうっとうしげだった長い毛のものは悠々とし、魚の尾をしたものは床に座り込み寒さに震えている。
 全てのガラス管で、同じことが起こっているようだ。
 白い雪が身体を覆い、葉は全て縮こまり、硬い芽となって耐えようとしている。土の中から取り入れる栄養を頼りに必死になって堪えた。
「007と013号体はこれ以上無理か。002号体はまだまだいけそうなんだがな」
 小さなつぶやきと操作音が聞こえ、吹雪は沈静化する。冷たい空気も止まったので、一瞬ホッとした。
 だが、それも束の間。
 今度は、どんどん気温が上がっていく。栄養を飛散してしまう葉は出さないまま、土の中にある水分を必死に吸い上げる。
 湿っていた空気は、どんどん乾燥していく。ただ暑いだけならまだいいのだが、土がどんどん乾いていくのが怖かった。
 ビー、ビー、ビー。
 不意に、電子音が響いた。赤いランプが点滅し、何かを警告している。
「いかん! 007号体危険信号発信。実験は中止!」
 再度の操作音と共に乾燥した熱風は止み、次いでガコン、とガラス管が開く。
 身体に巻きついていた管などの拘束もなくなり、不意に自由の身となった。
 白衣の男が駆け寄ったのは、魚の尾をした女性だった。先ほど寒さに震えていたが、乾燥にもやはり弱いらしい。
「やぁ、新人さん。大丈夫かい?」
 ペタペタと足音を立て、背が低く小太りの青年が声をかけてくる。水かきのついた多きな足と全身を浅い毛でおおわれたその姿は、ペンギンに似たものだった。
「いや、助かったよ。俺も暑いのと乾燥は苦手なんでね」
「それでも改良を行なって多少は強くなってるはずなのに、あの女はダメだな。どれか一つじゃなく、水以外は全てに弱いんだから」
 ペンギンの青年の背後で、岩のように頑丈な肌をした男が笑う。
「だ、だだ……大丈夫よ。適応、できなければ死ぬだけだもの。生き延びる。絶対、こんな……実験なんかで死ぬものか」
 女性は身を護るように乾いた鱗の腕で自分の身体を抱きしめる。
「死ぬだけって……殺されるんですか?」
 みなもの言葉にペンギンの青年は首を振り。
「そうじゃない。元々、これは人間を絶滅から救おうという企画なんだ。『人間は進化を忘れた動物だ。環境に適応するには道具を使うか……もしくは、人間を品種改良し、新たなる進化を遂げるかだ』とね」
 みなもは、よたよたしながら小刻みに歩く青年の後について、何本もの根を探るように動かしながらゆっくりとガラス管から出て行く。
 他の被験者たちも皆、ガラス管から出て自由に歩き回ったり休憩したりしているようだ。
「近いうち、地球は滅びる。それは水没かもしれないし、地震による陥没や、火山の噴火による被害や、その後に訪れる氷河期のせいかもしれない。森林破壊による砂漠化や水害。そうしたものによる生態系の変化は近年著しい。また未知のウイルスや戦争でも人がなくなっていく。それを憂えた対策が、この『人間の品種改良』というわけだ。どんな環境になろうとも、何があろうも人が絶滅しないよう。遺伝子操作によってより高等な人間をつくりあげる、というわけだ。どんな状況が起ころうと、全ての環境に適応できる新たな生物の存在をな」
 一つのものだけを極めるのなら、すでに色々な動物がそれぞれの頂点を極めている。人間は、泳ぎも走りも、飛ぶ力も、腕力も。頂点を極められるものはない。だがその全てを、道具などの使用により手に入れることができる。
 つまり人間の最終進化とは、その全てを極めることだという、荒唐無稽な意見があがっているらしい。
 人間は全生物の頂点に立っていると。その幻想が捨てきれないからだろう。
「アイツらが言うには、それによって多くの人間が生き延びられるってことらしいが、実際にはどっかのお偉方が自分だけは助かりたいからって影で金をつぎ込んでるものじゃないかと思うね」
 ペンギンの青年に続き、岩肌の男が皮肉を言う。
 ――そうなのかもしれない。だってこれは、人間という種を残すためのものじゃない。どんな姿になってでも『自分が』生きていられるという考えのように思える。
「上はそうだろうな。よく見学に来てる太った親父とか。けど、ここの研究員は違う。最高のものをつくりあげるってだけなら、弱いのは排除していけばいい。だけど、何度も改良して全ての種を成長させようとしてるんだ」
 ペンギンの青年は、どうやら研究員には好感を抱いているらしい。
「その通りだ。どれほど強い生物であっても、同じ種は同じ条件で絶滅してしまうからね」
 静かな声に振り返ると、白衣を着た人間が後ろに立っていた。
「彼女の容態は?」
「落ち着いたよ。やはり、魚は魚の遺伝子、と北海や熱帯の海の魚をかけ合わせだけじゃ難しいようだね。しかし、あまりに種族の異なる遺伝子を混ぜていくのも問題だ。場合によっては、交配に期待するべきかもしれない。一度に大量の子を産めるよう改良してはいるし、そこに新たな可能性はある」
「その場合、彼女はどうなるんですか?」
 ペンギン青年と白衣の研究者との会話に、みなもが小さく口を挟む。
「どうも。母親としてここで生活していく。元に戻すことも、外に出すこともできないからね。その後も観察は続けるが改良は行なわなくなるというだけだ」
「……そう、ですか」
 その待遇は、きっと破格のものなのだろう。一生監禁されるという事実に変わりはなくても、新たな種を生み出す媒体のような扱いでしかなくても。
 役立たずだと殺されてしまわないだけ、ずっと。
「私はごめんだな、そんな惨めな生き方は。私なら、どんな環境でも耐えてみせる。新たな人類に相応しいのは私なんだ」
 岩肌の男が、部屋中に響くような大声でそう叫ぶ。
 視線は、話題となっている女性に向けられている。蔑みの目だった。
「何言うの、そんな身体。水の中では沈んでしまうだけじゃないの」
 女性もキッと男を睨みつけ、反論する。
「氷のはった水の下では生きられないお前に氷河期を生き延びられるものか。大量の水も、凍ってしまえば足場と同じ。南極や北極でなら、私は生きられる自信がある」
 その言い合いに、自分ならこういう状況に役立つ、こんなことがあっても生きていける、と他のものたちも参加していく。誰しもが新たな種となった自分の身体を誇りに思っているようだった。
 最初は、勝手に実験体として選ばれ、無理やり従わされているのかと思った。事実、元々はそうだったのかもしれない。
 だけどこれは……生物としての本能なのか、マインドコントロールの一種なのか。今の彼らは、明らかにこの実験に賛同しているように見えた。
「誰が一番かなんて、争う必要はない。君たちを全員、全ての環境に対応できるように進化させる。それが私の望みだから」
 皆をなだめるために白衣の男が声をあげ、被験者たちにそれぞれ自分のガラス管へ戻るようにと指示をする。
「君、ちょっと待って。少し根腐れを起こしているようだな。水の中はきつかったかい?」
 ガラス管に入ろうとしたみなもに、白衣の男が声をかける。
「いえ、一番ましでした」
「そうか、じゃあ霜で根をやられたのかな。痛みは?」
「いえ……」
 気がつかなかった。だけど言われてみると、少し痛い気がする。
「わかった。確かに軽傷のようだね。どちらにしても今日は実験を中止するから、ゆっくり休んで治しなさい。明日、もう少し改良を施してもう少し低い設定で実験をやり直すからね」
 ボードに何か書き込みながら、男はぽんとみなもの頭に触れる。
 はい、とうなずき、ガラス管に戻る。土の上に足を置くと根が伸びて足を固定する。 先ほどまで乾燥していた土は、いつの間にかまた水を含んでいた。
 ガコン。蓋が閉まる音に恐怖を感じたが、今度は水も雪も、熱風も出てくることはなかった。
 電気が消され、部屋は暗闇に包まれる。時間はわからないが、もう夜なのだろうか。どちらにしても光のない中で活動するのはつらいし、とても疲れていたのでみなもは直立したまま眠りについた。
「――ですから、どの種もまだ改良中なんです。まだ研究の余地がありまして……」
「一体いつまで遊んでるつもりだ。聞いたぞ、今度は植物を扱っているんだってな。そんな、いかにも弱そうなものを使ってどうする」
 争うような声に、ハッと目を覚ます。部屋の電気はまだ暗いままだったが、廊下の方は明るく、そちらから怒鳴り声が聞こえているのだ。
 様子を見に来たスーツ姿の男とはまた違うようだ。
「そんなことはありません。改良を施せば随分と……」
「いいか、よく聞け! 使えないものを増やすんじゃない。お前の任務は、沢山の新しい生物をつくることじゃない、たった一種、どんな環境にも負けない人間をつくることなんだよ!」
 ガラス管越しにも、ざわざわとした空気が伝わってくる。皆が目を覚まし、このやりとりに耳を傾けているのだ。
「いっそ、今一番適応しているもの以外、全てを始末してしまえばどうだ?そうすれば、その改良だけに専念できるだろうよ!」
 怒りが込み上げてくる。このガラス管さえなければ……そう思って叩きつけると、周囲からも同様に、ガラス管を叩く音が響き始める。
「な、なんだ……?」
 異常な物音に怯えた声が聞こえてくる。
「――わかりました。一番環境に強い種をお望みなんですね」
「と、当然だろう。今更何を……」
「正直言って、それ自体はすでに完了しているんです。最も生命力があるといわれる種。それに水生のゲンゴロウ、雪と寒さに強いクロカワゲラをかけ合わせて……」
 最も生命力があるといわれる種……。それを聞いて、嫌な予感がした。
 ガコン。どこかのガラス管が開いたようだった。室内は暗がりなのでよくは見えないが、カサカサと不気味な音が聞こえてくる。
「ご希望通り、あなた方は全員、この種に改良してさしあげましょう」
 長く伸びた触角。黒くツヤのある体から伸びる何本もの細い足。地を這うことになれた、巨大な生き物。
 それは……。
「繁殖力もあるので種を増やすには最適でしょう。3億年前からほぼそのままの姿で生き抜いた生きた化石。人類滅亡後も生き延びるだろうと言われている……ゴキブリならば」
 ――合成され、改造された種は果たして、本当に人間といえるのだろうか。
 どちらにしても、その姿が人類の到達地点だというのなら、あたしは一生そうはなれなくてもいいと思った。
 その後、数体の同種が製造されたようだが、より高度な実験に使うからと別室に移されたようでホッとした。
 だけど、研究を望み投資するものがいなくなれば、ここを維持することはできないんじゃないのか。その疑問に、白衣の男は答えた。
「何、そんなヤツはいくらでもいるさ。いくらでもね……」
 少しずつ改良を重ねられ、個々に進化を遂げてくあたしたち。
 その行き着く先に何があるのかは、誰も知らない……。