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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


世名残惜しみ

【オープニング】
「子供が誘拐された」
 草間興信所のソファにて。唐突な台詞を吐いたのは、着物姿の男。
 対する所長、草間武彦は、何度か目をぱちくりとさせてから眉をひそめた。
「……そういうのは、まず警察へ行くもんじゃないのか……?」
「あれは当てにならん」
 一刀。すっぱりと切り捨てられ、草間は頭を欠きながら言葉を探した。
 とはいえ、一言とはいえ話を聞く限り、探偵として頼られているようだ。しかも、珍しくまともに。それを無碍に断るわけにも行くまい。
 やれやれ。草間は胸中だけでそう零し、男に目をやった。
「で。俺に何を頼みたいんだ?」
「救ってやれ。さもなくば死人が出るぞ」
「おいおいまた唐突に物騒なことを言うもんだな。だいたい、誘拐の目的は何なんだ。ありていなところで……営利誘拐か? いや、あんた……それにしちゃ金持ってそうには見えんがな……」
 黒一色で染め上げられた着物――というよりは着流しと称する方が相応しかろう男の姿は、和装と言う言葉から連想されそうな、格式高い、とか、由緒正しい、とか、そういう名家と呼ばれそうな家の出である可能性を見事なまでに否定する。
 かといって、この男が何か別の手段で莫大な金を得ているというのか。人は見かけによらないというが、この男に限ってその言葉は当てはまりそうにもない。
 正直、依頼料を払ってくれるのかさえ怪しく見えたものだ。
 そんな草間の訝しげな視線を、男は黙って受け止めていたが、やがて口角を吊り上げて、笑った。
 そうして、言うのだ。
「さてな。概ね想像に足ることだろうが、詳しいことは知らんよ。あれはわしの子ではない」
 あまりに予想外だった一言に、さしもの草間も目を丸くした。
「どういうこった。自分の子供じゃない子供の誘拐事件を、俺に解決させようってのか?」
「端的に言えばそうなるな。仕方がないだろう。わしにも責任がある。やはり頼まれたとて、易々と黄泉返りなどさせるべきではなかったな」
「待ていまなんて言った」
 聞き捨てならない言葉――黄泉返りの一言に、草間の眉根が引き攣る。
 それをみて、男は笑う声を漏らすと、やれやれと続けた。
「察しろ。おぬしのような探偵に持ち込む依頼だぞ? 生身の人間だけで構成されている事件だと思ってもらっては困る」
 暴露された裏事情に、草間が頭を抱えたい衝動に駆られているのを、横目に見つつ。
 男は笑っていた唇を引き結び、眇められた銀の瞳で、淡々と告げた。
「救ってやれ。さもなくばあれの劣情によって、あの哀れな犯罪者どもは死ぬことになる」

【本文】
 風変わりな依頼人が舞い込んできて、暫しの後。草間・武彦の呼びかけに募った面子が草間興信所に集った。
「――と、言うわけだ。大まかには今話したとおりだが、さて、どうするか」
 相変わらずな怪奇依頼に、溜め息混じりで一同を見渡す。すると、集まった面子――五名の内の一名が、思案顔で口を開いた。
「とりあえずは、警察へ連絡すべきだろう」
「そうだな。何も言わずに動いて犯人扱いされるようなことはごめんだしな」
 補うように発言が続き。同じ顔に、違う雰囲気を漂わせる双子の兄弟、守崎・啓斗と守崎・北斗は提案した。
 それを、聞きとめて。草間が説明する中でも一切口を開かなかった、件の風変わりな依頼人――宿世・縁が、会話の中に割って入る。
「待て。言ったはずだ。あれは当てにならんと」
「そうはいっても、向こうだって対策本部くらい作ってるだろ」
「一言入れておけば、後の処理も楽になるんじゃねーの?」
 怪訝な顔を返した啓斗に、やはり肩を竦めて続く北斗に、縁はまた言葉を返そうとして、けれど、何かに思い至ったかのように、黙り込んだ。
 そうして、暫し思案顔を見せたかと思えば、苦笑を、漏らす。
「どうやらわしの言葉が足りなかったようだな……一つ、言っておこう。わしが言うのは、既に死に、わしが黄泉返りを施した子供が誘拐されたのであり、誘拐され、殺された子を黄泉返らせたわけではない」
 死んだ子供が誘拐された。警察がそんな話を信用するだろうか。
「逐一成り行きを説明している暇も惜しい。及び腰になるようならなおのことな」
 きっぱりと言い切る縁の、当てにならないという言葉には、何よりそんな懸念が含まれているのだ。
 冒頭に吐き出された言葉通り、自らの言葉足らずを申し訳なく思うような顔で告げられた言葉に、啓斗と北斗は顔を見合わせた。
 だが、すぐに縁の方へと向き直り、一方――北斗が、先と同じように肩を竦めた。
「勘違い、ってやつか。けどまぁ、やることは対して変わんないよな。ようするに、あんたの依頼はその子供の暴走を止めてフォローすりゃOK、ってことだろ? けど、誘拐犯を放置ってわけにもいかねーし、警察には連絡すべきじゃないのか?」
 北斗の言葉に、啓斗は一瞬、視線を逸らしてから、自身も同意だと示すように、頷いてみせる。
 確かに、その子供というのがどのような事情と経緯で以って誘拐されたかは、そう関係のない話だ。
 法を犯した者を然るべき場所へ送る。
 理を侵した者を然るべき場所へ還す。
 それだけだ。
 決意とはどこか違う、それでも真剣な瞳を、見つめ返し。
「……わしはただの依頼人だ。あれの劣情で死人が出るようなことがなければ、内容は問わん」
 笑みを浮かべて、告げた。
 と。縁の言葉にかすかに反応を示した藤田・あやこが、唐突に尋ねる。
「劣情って言うけど……御曹司は女の子なの?」
 あやこの怪訝そうな顔を見やり、縁はきょとんとした顔で首を傾げた。
「いや、子供は紛れもなく男だが……あぁ、そうか、日本語とは難しいな」
 くく。縁は表情を一転させ、小さく笑いながらあやこを見やり、肩を竦めた。
「獣のように剥き出しの欲情……それが本来の劣情の意味合いだったか。わしが言うのはそれとは違う。あれが持つのはただ純粋な、憎悪。劣悪な感情、即ち劣情……そう解釈してもらえれば、いくらか判りやすいか?」
「そうね。そういうことなら、納得しないでもないわ」
 ふぅん、と小さな呟きを返して頷いたあやこに、口角だけを吊り上げて笑みを向けると、縁はぐるり、先ほどの草間と同様の仕草で一同を見渡す。
「聞くことがあれば今のうちに纏めて聞く。ほかにはないか?」
「だったら、いくつかいいかしら」
 挙手をし、己の存在を主張しながら切り出して。シュライン・エマは縁が頷くのを待ってから、質問を開始した。
 まず、現在の状況下で子供の実体化を解くことは可能なのか。可能ならばその方法は。
 次に、劣情とは子供本人に影響を及ぼすものか。あるいは単純に力の類か。後者ならばそれを行使する際感知する手段はあるか。
 言い切ってから、ゆっくり、小首を傾げて縁を見やる。
 すると、質問内容を順番に反芻していた縁は、思案顔で、告げた。
「一先ず……あれの術を解くのは可能だ。わしが直接触れればそれで済む。だが、薦めはせん。二つ目の質問に関わる話だが、あれの劣情は呪いの類と言える。肉体という檻をなくしてしまえば、その力の影響は如実になってしまうだろうからな」
「そう……それなら、術を解くのはやめたほうがよさそうね……あと、父親に会えないのかしら。聞きたいことが色々あるのだけれど」
 思案を展開するように、かすかに険しい表情を浮かべたシュラインの、さらに続けられた問いかけに。答えを返したのは、草間だった。
「そいつは確認済みだが、どうにも逢える状況じゃないらしいな。まぁ、大企業の社長さんだ。色々難しいところがあるんだろう」
 口に咥えた煙草に火をつけながらの台詞に、啓斗、北斗はかすかに眉をひそめ、シュラインは肩を竦めた。
 色々、の部分には、社長ならでは、スケジュール的な都合が大半を占めているだろうが、それ以上に、誘拐されたと言うのは既に死んだ子供なのだ。
 社長の子供ともなればその訃報は大半の者の耳に届いているはず。だからこそ、いまさら『息子が誘拐された』などと言うことは、出来ない。
 先ほどの縁の懸念と同じ。そんな話が易々と聞き入れられるとは、思えないのだ。
 信じぬ者、恐れる者にとってはとくに――。
「だからこそ、父は悩む。だからこそ、子は恨む。哀れな連鎖よ」
 呆れでも、嘆きでもない呟き。それを聞きとめ――あるいは聞き流して、黒・冥月は先ほどまでの、腕を組み、瞳を伏せていた姿勢を崩し、切り出した。
「恨みが強いと言うなら、長く話している暇もないだろう。子供の写真などはないのか。生身なら影もあるだろうし、それで居場所の特定も……」
 可能だ。言い切る前に遮られ。訝しげに眉を寄せた冥月に、返されるのは微笑。
「居場所なら把握済みだ。そこまで世話はかけれんからな」
「それならそうと……早く言え。よし、移動するぞ」
 咥えていた煙草をもみ消す――様な勿体無い真似はしないながらも、上着を手に急ぎ足で興信所を出た草間に続き。一先ず、誘拐された子供の居場所とやらに、一行は向かうのであった。

 そうして辿り着いたのは、郊外に位置する廃屋。
 廃屋、と呼ぶよりは倉庫跡、と呼ぶほうが相応しかろうその場所へ辿り着いた一行は、気取られぬ位置から、そっと様子を窺う。
「犯人の人数は、そこまで多くもないわ。精々、五人……ただ、きっと相手との連絡がつかないんでしょうね。苛立った雰囲気があるみたい」
 中から聞こえる音よりその様子を探るシュラインの言葉に、北斗は嘲りに近いものを込めて、笑う。
「そりゃ、死んだ子供誘拐すればなぁ……」
「誘拐自体、綿密な計画のもとに行われたわけじゃないんだろうな。持て余し気味のうちに処理すべきだな」
 ふむ。と思案顔を作った啓斗が、早期解決をと望むように呟くのを聞きとめ、冥月は自信満々に言ってのける。
「助けるだけなら簡単だ。解決まで一分も掛らん……が、未練で甦ったなら下手に刺激するといつ暴走するか判らんな」
 少年の持つ負の感情――劣情が、どのような形で作用するのかが明確でない現状、安易に動くことは憚られる。
 同じ懸念を抱いているのだろう、シュラインもまた、厳しく眉を寄せる。
 せめて父親がこの場にいれば。口には出ていないが、きっと考えていることは冥月と同じだろう。
 草間もそれを悟ったらしく。思案を展開するシュラインに、携帯電話を差し出した。
「電話くらいなら可能だろうが……それで足りるか?」
「少し不安だけど、ないよりはマシね」
 任せて、と言うように微笑むシュラインの顔を、見て。彼女がそういうのなら安心だというように、冥月は建物へと一歩、踏み出した。
「親との接触や諸問題の解決は任せる。私は犯人の側に潜んで監視していよう。何か判るか突入していい状況が整ったら連絡くれ」
 振り返って告げて、シュラインから頷きが返ってくるのを確かめると。冥月は、スッ、と影の中に潜むと、誰に気取られることもなく、犯人の潜む建物の中へと潜入した。
 予想していたより雑多な屋内。物が多い分、影も多く。身を潜める場所には困らなかった。
 犯人に気付かれるような心配はしていないが、恐らく神経過敏になっているであろう少年に気取られぬよう、慎重さを持って近づけば、なるほど、先ほどシュラインが言っていた、苛立ったような会話が、耳に届いてきた。
「まだ連絡つかねーのかよ」
「連絡つかねーっつか、そんな子供知らない的なあしらい方されんだけど。くそ、どうなってんだよ」
 箱の上にどっかりと座り込んで、一人の男が辟易するように言えば、別の男が、そういえば、と切り出す。
「あそこのガキ、死んだって聞いたことないか?」
「はぁ? だったらいまここにいるあれは何なんだよ。幽霊だってのか?」
「ははっ、ないない。気になるなら触ってみりゃいいだろ。幽霊だったらすり抜けるんじゃねーの?」
 随分と低レベルな会話が繰り返されるのを聞きとめながら、冥月は手近な棚に目をやり、置かれていた何かの部品が収められた箱の影を、そっと操った。

 がたんっ――。

 突然に沸いた音に、犯人らの意識が、そちらへと向く。
 が、当然そこに何かがいるような気配はなく。沈黙が、過ぎった。
「……猫か、なんかだろ」
「ひょっとして、あいつほんとに幽霊だとか……」
「そのネタひっぱんなよ。幽霊なら何で誘拐してこれたんだよ」
 先と同じ調子で言っているようだが、声が、些か震えている。怯えているのだろう。あの様子なら、少年に危害を加えるような真似は、すまい。
 思いつつ、一応警戒は向けて。ちらり、冥月は少年へと視線をやった。
 死んだ身なのだから、生気が乏しいのはいたし方在るまい。だが、次第に虚ろになっていく少年の表情は、些か危険に見える。
 連絡がつかないと苛立っていた男たちの様子から察するに、その口から、大好きな父親への悪態が幾つも零れたのだろう。
 憎悪を募らせている少年の未練とやらは、随分と大きなものらしい。
(あぁ、そういえば……)
 今は彼方へ旅立ってしまったあの人は自分のことを未練に思ってくれていたのだろうか。なんて。
 些からしくない感傷だろうか。だが、そんな感情を抱く自分も、悪くはないと思う。
(あの人はあっさり成仏したのよね……私のことは未練じゃなかったのかしら)
 苦笑とともに胸中を過ぎる皮肉は、決して、恨み言の類ではない。寂しいといえば、そうかもしれないけれど。
 ただ、目の前でこれほど強い執着を見せられると、そういう愛し方もあるのだな、なんて思ったりもして。
 また、苦笑が零れた。

 ブルルルルッ――。

 直後のことだった。不意の振動に、びくっ、と肩が震える。
 ついつい物思いに耽ってしまい、緊張が解けていたのだろうか。
 まだ甘いなと自嘲しつつ、応えれば。隙を作る手筈が整ったとの、シュラインからの連絡。
「判った。任せるぞ」
 短い応えを返し、その隙とやらが訪れるのを、じっと、待つ。
 と、するり、縁が壁をすり抜けて入り込んできて、何やら呟くしぐさを見せたかと思うと、傍らにつれていた霊っぽい物に、触れて。
 途端、その場所に中学生程度の少女が現れた。
「何だお前は……一体どこから!?」
「若いモンが細かいことをとやかく言うもんじゃないよ。さぁ、アタシを好きにおし!」
 ……意味が判らない。
 判らないが、恐らくあれが、シュラインの言っていた隙だろう。
 めちゃくちゃな勢いの少女に気圧され気味の犯人らに一気に詰め寄り、まずは一人、背後から手刀を食らわせて、昏倒させた。
 どさっ、と人の倒れる音がして、彼らは始めて、その場にもう一人存在していたことを、知る。
「っ、くそ……お前、ちゃんと見張ってろっつったろ!」
「見張ってたって!」
「どっちでもいいだろ! もうこの際殺しちまえ! どうせ、あのガキだってそうする予定だったんだ!」
 パニックに陥っているのが如実に判る。が、それが逆に彼らの狂気に火をつけたのか。残りの全員が、ナイフだのスタンガンだのの武器を手に取り、冥月と相対する。
 ふん、と鼻を鳴らし、冥月は身構えた。
「貴様ら程度に殺されるものか。下衆共が」
 吐き捨てるように言って、地を蹴った冥月は、姿勢を低く保ち、男の懐に一瞬で潜り込むと、正確な一撃で鳩尾に拳を埋め込んでやった。
「ぐあっ!!」
 野太い悲鳴とともに体を吹き飛ばされた男は、軽い宴会状態と化していた場所に突っ込み、空き缶や瓶などを蹴散らした。
 がしゃん、と大きく響いた音が、外にも聞こえたのだろう。冥月が二撃めを繰り出すより早く、窓を叩き割って、啓斗、北斗が突入してきた。
 何をどうしろとは、今更言わないし、あちらも聞かない。
 一瞬で自分と相手の位置関係を把握した彼らは、一番手近な相手を狙い、肉薄する。
 戦い慣れしているその様子を一瞥だけして、冥月はすっかり腰を抜かしている男の前に、立った。
「楽して稼ごうとでも思ったのか? 浅はかな考えが己を貶めることぐらい、理解しろ」
 ひぃひぃと荒い呼吸を繰り返しながら、ただ頷く男の情けなさに、胸中だけで嘆息して。都合よく床に転がっていたロープで、ふんじばってやった。
 明言したとおり、犯人確保には一分もかからずに済んだ。
 一箇所に固めた男共に、噴霧器で液体――劣情防護用の聖水か何かを吹きかけるシュラインを横目に、冥月は表情を引き締めた。
 後の、そして一番の問題は、あの子供……。
 つい先ほどの虚ろな表情を思い起こしながら、彼がいた場所を振り返ろうとした冥月は、その瞬間、刺すような殺意にあてられた。
「っ……上!?」
 シュラインの声に見上げた、高い天井。鉄骨で出来た空に、少年はぼんやりと虚ろな顔で佇んでいた。
 そう、生身であるにも拘らず、何の支えもなしに、宙へ。
 虚ろな目が、ゆっくり、冥月たちを見下ろす。
 目が合った瞬間、ぞくり、背筋に悪寒が走った。
 同時に、後方で事の成り行きを見守るように立っていた縁が、初めて、余裕のある装いを崩し、苦しそうに蹲った。
「いかん……あやつ、自力で霊体に戻りかけている…っ、檻がなくなれば、爆ぜるぞ」
 唇から漏れるのは、最悪の状況。
 けれど、躊躇う暇もなく。その耳に聞こえたのは、草間の舌打ちだった。
「まずい、止めるぞ。シュライン、冥月、動けるか!」
「当然だ。そいつらは任せる」
「多分いけるわ。武彦さん……気をつけて、ね?」
「無茶して身体駄目にしてちゃ話にならんことはよく理解してるつもりだ」
 自嘲にも似た笑みは、その言葉が真実本音であることを物語ってもいて。冥月は、肩越しにちらりと振り返り、けれど何を言うでもなく、表情を引き締めた。
「届いてくれるかは判らないけれど……」
 すぅ。短く息を吸ったシュラインの唇がかすかに震え、音――声を発する。
 それは彼女の持つ凛とした女声ではなく、ずっと低い、男声。
「隼人――」
 少年が慕う、父親の声だ。
 混乱に陥りかけた場の中でも、シュラインの声は矢のように真っ直ぐ、少年の耳に届く。
 ぴくり。一瞬反応した彼は、場を満たしていた殺意を、かすかに緩める。
 虚ろだった表情に鮮明さがよぎり、きょろ、と、大好きな父親を探すような仕草を見せる少年に、冥月は棚を足場に肉薄し。腕を引き、その体を地上へと引き摺り下ろした。
 地上で待ち構えていた草間とともに押さえつければ、びりびりと、殺意が刺し貫いてくる。
「う……うう…じゃま…じゃまするな……おと、さ……おとー…さん……っ」
 少年の身体から滲み出る、黒く淀んだ霧のようなもの。
 それが彼の劣情であることは容易に見て取れたが、覚悟もなく、ただがむしゃらに暴れて力を振り回す子供に殺されてやるほど、甘くはない。
 腕に纏わり吐くように広がる淀みにも、冥月は顔色を変えることなく、彼の瞳を真っ直ぐに見据え、一言。
「理由問わずお前が人を傷つければ、父親は悲しむぞ」
 そう、告げた。
 はたとしたように、大きな瞳をさらに大きく見開いた少年の耳に、聴き慣れたメロディが響く。
 シュラインが口ずさむそれが何かは、冥月の知るところではない。
 だが、穏やかな旋律と優しい歌詞は、子守唄のようなものを、連想させた。
 ゆるゆると、引き寄せられるようにシュラインへと向いた顔を、彼女はそっと、覗きこんで。小さな手のひらを握り締めながら、笑う。
「お父さんのところへ、帰ろう?」
 囁くような言葉は、棘を張り巡らせていた少年の心に、すぅ、と染みこんで。張り詰めていた空気が、急に緩和された。
「僕……また、お父さんに、逢えるの……?」
 一度死に別れ、理に背きながらも再会を果たし、また、引き離され。
 それでももう一度、大好きなその人に逢えると言うのか。
 信じられないと言うように冥月たちを見上げていた瞳が、ふと、目の前に立った影――啓斗へと向けられる。
 暫し、表情もなく真剣な目に見つめられ、過ぎる沈黙。
「……人なんて、何時かは死ぬんだ。お前と同じように、俺たちも、あいつらも、お前の父親も」
 それを打ち破るように紡がれた言葉は、幼子が理解に至るには少し難しいかもしれない。
 それでも、じっと耳を傾けていた少年には、きっと、届いているのだろう。
「今は大人しく、向こうでお父さんを待っていると良い。なに…長くてもあと五十年だ……待てるよな?」
 そっと、優しい仕草で頭を撫でる啓斗に、少年は大きな瞳を歪めて涙ぐみ、やがて堪えきれずに零れたそれをごまかすように、大きく頷いて、俯いた。
 見止め、優しく微笑んだ啓斗はそのまま暫し、少年を撫で続けているのであった。

 後日。
 小さな墓地の一角に、冥月の姿を見つけた。
 花を供えているその墓は、先の少年の遺骨が収まるもの。
 律儀に墓を参る彼女の姿に、ほんの少しの驚きと、思わず笑みを浮かばせるほどの敬意とを抱きながら。縁は声をかけることはせず、ゆらり、場を後にした。
 ――つもりだったのだけれど。
「あの子供は、ちゃんと成仏したか」
 どうやら、気取られていたようだ。さすがというべきだろうか。
「……さてな。わしには判らん」
 未練を断ち切ることなど、他人には不可能だ。
 けれど、拭う手助けはしてきたつもり。それから先を決めるのは、本人次第なのだ。
 告げれば、そうか。と呟いて。冥月は踵を返すと、墓地を後にした。
「あの人のよい探偵に宜しくな」
 笑みを称えた言葉を、背に受けながら――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0554 / 守崎・啓斗 / 男 / 17 / 高校生(忍) 】
【0568 / 守崎・北斗 / 男 / 17 / 高校生(忍)】
【2778 / 黒・冥月 / 女 / 20 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【7061 / 藤田・あやこ / 女 / 24 / IO2オカルティックサイエンティスト】

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■         ライター通信          ■
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 この度は【世名残惜しみ】にご参加いただきありがとうございました。
 毎度の事ながら、個々の仕上がりは微妙に異なっております。他の方の視点から捉えたこのシナリオというものに興味がありましたら、是非参照を…。