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■闇に漂う■
秋も深まった空は高い。太陽の光は淡く周囲を包み込み、時折黄色く染まった落ち葉が風に吹かれて藤田・あやこの足元を掠める。
雲一つない爽やかな秋晴れだというのに、あやこの心はどんよりと曇り空だ。
考えがなかなかまとまらない。多少の後悔の念と、幾ばくかの責任感を胸に抱き、頭を掻き毟りながら大きな紙袋を抱えてあやこは閑散とした通りに足を踏み入れた。
「あ〜困ったわ。新年号の記事なんか引き受けなきゃよかった」
独り言を呟き、鞄に入っている文書を思い返す。
「アトラス恒例! 各界のセレブが占う新春大予言&オリジナルグッズプレゼントかぁ……」
文書は一応頭に叩き込んである。とはいえ、大予言とは仰々しい。一体なにを書けばいいのか、占いというからには書くことは決まっているのだが、閃きと記事の文章が出てきそうで出てこない。あやこの頭の中は今、新年号の記事でいっぱいだ。唸りながら俯き加減で歩き、一息つこうと考えた。
「う〜んよし、珈琲ブレイクだ」
先ほどから珈琲の匂いがあやこの鼻孔を刺激してくる。どうやら近くに喫茶店があるらしい。古ぼけた店の前を何気なく通り過ぎて、あれ、と立ち止まった。
見覚えのある店だ。数秒考え込み、重々しい扉を見つめているうちに思い出した。夏に入る少し前に、冷茶を出された奇妙な店だ。
喫茶店の扉に手をかけ、開ける。乾いた鈴の音と同時に、「いらっしゃいませ」という聞き覚えのある声が耳に響いた。店内は昼間だというのに薄暗く、照明がついている。日の光は高い建物に囲まれ、喫茶店まで届かないようだ。
「おや……あなたは」
あやこの顔を覚えているのか、店主はカップを磨く手を止め目を細めた。
「こんにちは。えっと、唐津・裕一郎さんでしたっけ?」
あやこはボックス席に座り、紙袋を置いて名前を訊ねる。すると裕一郎の口元から笑みが零れた。
「覚えていただいていたのですね。光栄です。ちょっと雰囲気変わりました?」
「ええ、まあ」
曖昧に答えるあやこに裕一郎はにこやかに笑顔を浮かべ、丁寧に水を差し出す。あやこは鞄からメモ帳や原稿用紙を取り出し、裕一郎に訊いた。
「カフェファンタジアってオーダー出来ます?」
「ええ……まあ」
裕一郎の笑顔が一瞬にして苦笑に変わった。裕一郎の苦笑の意味がわからず、あやこは首を傾げる。
「無ければモカでいいです」
「お客様の第一希望ですから、一応カフェファンタジアをお作りしますね」
裕一郎はそう告げてカウンターに戻り、オレンジを絞り始めた。モカも同時に淹れる予定なのか、サイフォンを二つ用意している。
あやこは裕一郎から視線を外すと、頬杖をつき、ざっと店内を見回した。
古い喫茶店だが掃除は行き届いている。誰もいないし、音楽も無い静かでゆったりとした空間だ。
これなら仕事がはかどりそうだ。長い髪を指先でまさぐりながら、再び何度も文書に目を通した。
「うっ」
コーヒーの甘い香りが店いっぱいに広がり始めた頃、裕一郎の呻き声が聞こえてきた。反射的にカウンターに目をやると、裕一郎は突っ立ったまま長い溜息を漏らし、呆れ返った表情でじっと一点を見つめていた。あやこの席からは、裕一郎がなにを見ているのかわからない。
「どうしたんですか」
何度か問いかけるが、返事がなかった。あやこは席を立ってカウンターを覗き込む。その気配にやっと気がついたのか、裕一郎は顔をあげ、コーヒーカップを持ったままあやこの前に立つ。
「カフェファンタジアは失敗ですね。これ多分、誰にでも見えると思います」
あやこは裕一郎の持っているカップに視線をやる。黒い液体の入っているカップの中からソーサーの円に沿って360度、恐ろしく艶のある、流れるような黒髪が湧き出ている。真っ白なはずのカップが髪に隠れて黒く見えた。
あやこは一瞬ぎょっとして、思わず自分の髪をかきあげる。
「これは流石に飲めないわね。また、幽霊のいたずら?」
裕一郎は頷く。
「ファンタジアとかけた駄洒落のつもりなんでしょう。おそらく幽霊の。これじゃカフェホラーですよ、全く」
カフェファンタジアのオーダーを受けて、過去に何度か似たようなことが起こったのだと裕一郎は言う。
「モカで行きましょう」
裕一郎はそう言って新しいカップを取り出す。あやこは先ほどの苦笑の意味を理解しながら、モカが入る前に鞄からカメラを取り出し黒髪カップを被写体にシャッターを切った。
「……何をしているんですか」
裕一郎の冷めた声に、あやこは笑って誤魔化す。
「心霊写真、撮れないかなと思って」
「……撮るのは勝手ですけど、どこかに売らないでくださいよ。オカルト喫茶の名称をつけられて、怖いもの見たさで人々におしかけられたらたまりませんからね」
裕一郎はきっぱりとした声で言い放つ。カメラから目を離し、あやこは黒髪カップを見つめてふと疑問を口にした。
「ところでそのカップ、どうするんですか?」
「抹消します。綺麗に洗っても流石に使いまわしはしたくありませんからねえ」
裕一郎はブラックな笑みで答え、360度に広がった髪を片手で鷲掴みにする。髪だけを鷲掴みにしてもカップは床に落ちないのだから、カフェファンタジアが入っていたであろうカップの底には、なにかただならぬものがいるのかもしれない。
裕一郎はカウンターの脇にある「関係者以外立ち入り禁止!」と貼り紙のしてある青い扉を素早く開けてカップをソーサーごと放り込み、瞬時に扉を閉める。
その一連の動作が速すぎて、扉の中になにがあったのか、あやこにはよく見えなかった。扉の向こうからは食器が割れる音も、誰かの声も聞こえてはこない。裕一郎の横顔は笑ってはいるものの、「よくもまた邪魔をしてくれたな」という怨恨のオーラが全身から漂っている。
「ちょっとその青い扉の中も見たいわ」
「だめですね」
興味津々で言うあやこに、裕一郎はまたブラックスマイルで即答した。数秒して裕一郎は気分を切り替えたのか元の表情に戻り、あやこの肩を軽く叩く。
「ほらほら、コーヒーが入りましたので席についてください。今度はちゃんと安心して飲めますから」
裕一郎はいたずらをしている子供を諌めるような口調であやこを促した。仕方なく元の席に座り直し、程よい温度に出来あがったモカを一口飲んでみる。
温かさにカップを両手に包み込んだまま、束の間仕事を忘れてあやこはくつろいでいた。湯気の立ち昇るカップを揺らし、喫茶店の雰囲気とモカを充分に味わう。
そして一杯目を満喫した時、突如閃きが降ってきた。
「モカ、もう一杯お願いいたします」
追加注文し、あやこはボールペンを走らせ閃きをメモに取る。なんだか上手くいきそうな気配がする。
裕一郎は空になったカップをあやこの席からさげて、新しく淹れたモカを店主らしい所作でタイミングよく差し出してくる。仕事に専念していると感じ取っているのだろう、「ごゆっくり」と言っただけで余計な口は挟んでこない。
あやこは紙袋からTシャツを取り出し、カップを斜めに傾けて数滴珈琲を垂らした。モカを追加注文したのはこのためでもある。
「吉と出るか凶と出るか、神……じゃなくて珈琲のみぞ知る、ってとこかしら」
珈琲占いをして、あやこは結果に微笑んだ。心を込めてサインを入れていると、マジックの音が耳に気持ちよく響いてくる。これで毎年恒例、オリジナルグッズのプレゼントは完成だ。
「よし! じゃあ次は記事ね」
あやこは原稿用紙に向かい、紫色の左目に意識を集中させる。右肩下がりの運勢が見える左目の霊感を駆使すると、次から次へと見えてくるものがあった。
来年なにが起こるのか。いいことも悪いこともあやこの目に、脳に映像の如く流れ込んでくる。
見えたものを端的に頭でまとめながら、とりあえず文章にしてみる。時間をかけて原稿用紙に書いたものを消したり付け足したりして、記事という形になるように仕上げた。多分、編集長は喜んでくれるだろう。
「来年の予測記事も完成〜!」
言うと同時にあやこはボールペンを投げ出しテーブルに突っ伏した。頭をフル回転させ、目も酷使した後では、流石にどっと疲れが押し寄せてくる。
今にも眠ってしまいそうになったその時。
「お疲れ様です」
頭上から静かな声が降り注いでくる。見上げると、いつの間にか裕一郎が傍らに立っていた。
「頭を使った後に甘いものを食べると、脳だけじゃなく心にもいいんですよ」
裕一郎はお手製のパウンドケーキをあやこの前に置いた。
「え、頼んでないんですけど……」
「おや、さっきあなたが占いをやっていたモカも、もう冷めちゃっていますね」
裕一郎はあやこの言うことを無視してカップを爪で弾く。半分ほど残っていたモカは、既に湯気が消え失せていた。
「淹れなおしましょう」
裕一郎はあやこに有無を言わせずてきぱきとカップを片付け、コーヒーを淹れる準備を始める。だから頼んでませんて、と慌てて突っ込もうとした時、裕一郎は見抜いたのか、言った。
「最後のメニューはサービスですよ。ゆっくり召し上がってください」
ああ、そういうことか。あやこはテーブルの上に広げていた筆記用具やメモ帳を片づけてソファーに深くもたれ、裕一郎にお礼を言う。
「ところでさっきから考えていたんですが、あなたのお名前がどうしても思い出せないんですよ。改めて教えていただけませんか」
そのサービスの代わりに。笑みをたたえ、裕一郎は訊いてくる。
珈琲占いを気にしている様子はないようだった。でも折角淹れてもらったのに少し悪かったかなと思い、あやこは今回の仕事の事情を簡単に説明しながら名刺をすっと裕一郎に差し出した。
「藤田と申します。ネカフェからブティックまで経営しています。妖怪や幽霊とお友達で、お化け屋敷をプロデュースしたりホラー番組の配役を斡旋したりしてますのよ」
名刺を眺め、思い出したのか、裕一郎はぽんと手を打った。
「藤田――ああ、藤田あやこさんですか。なんだか言葉遣いも変わりましたね」
ええ、まあ。と頷きあやこは席に戻る。
日は傾きかけていた。建物と建物の隙間から偶然にも喫茶店に差し込んできた斜光が、ちょうどあやこの席を照らして日溜りを作っている。
「この時期は、ちょうどこの時間にだけ太陽の光が店内に入るんです。いい天気ですしこの店に住み着く幽霊たちも今日はおおかた出払って、のんびりくつろいでいるみたいですよ」
「なんだ、ちょっと残念だわ。幽霊たちと遊びたかったのに」
「私は幾分やりやすい日なんですけどね」
あやこと裕一郎は顔を見合わせ、笑う。きらきらと輝いた淡い眩しい光は、心地がよさそうだ。
「もう少しゆっくりしていこうかな」
「こんなところでよろしければ何時間でもどうぞ」
快濶な答えが返ってくる。あやこは自ら日溜りの中に飛び込んでいった。
おおかた出払っていると言っても黒髪カップのことといい、少しは店内に幽霊がいるようだ。自分の目の前に姿を現さないかなと期待してカメラをテーブルの上に置いて待つ。
「ほのぼのまったりできるという日も、たまにはいいわね」
裕一郎お手製パウンドケーキの思わずとろけそうになる味を堪能しながらあやこは目を閉じ、柔らかな陽射しを肌に感じていた。
<了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【7061/藤田・あやこ/女性/24歳/IO2オカルティックサイエンティスト】
NPC
【4364 /唐津・裕一郎 /男性 /?歳 /喫茶店のマスター、経営者】
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■ ライター通信 ■
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藤田あやこ様
2度目のご依頼ありがとうございます。青木ゆずです。
今回はさくさくっと読めるように話を進めてみましたが、いかがでしたでしょうか。
心霊写真はあのような形で話の合間に入れさせて頂きました。撮れているかいないかは、ご想像にお任せということで。
喫茶店での空間を楽しんでいただければ幸いです。
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