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<東京怪談・PCゲームノベル>


赤の鈴 〜EDEN〜


  瑠璃の浄土は潔し

  月の光は清かにて

  像法転ずる末の世に

  普く照らせば、底も無し


「頼まれごとは、出来るだけ叶えて差し上げたいのですが」
 微風に乗って運ばれてくる熱が白磁の頬をちりりと刺していくのを感じながら、セレスティ・カーニンガムはふわりと笑む。
「既に所有者のある品物を欲されますと、譲っていただけるようお願いするのが……筋だと思いますね」
「成る程、道理を言う」
 風が強まっていくにつれて、自分と彼の──銀と黒の長い髪がふわりさらりと靡いていく。
 池に臨む自分と振り返る彼の瞳がかち合い、互いに了解の微笑を浮かべた。
 こちらが促すよりも先に得心したらしい彼が踵を返して退き始め、傍らを通り過ぎるときに送った合図は頷きをひとつ。つまり、引き受けましたとの返事。ああ、と答えて笑んだ気配と、袖の袂に両手をしまう音がした。
 それにしても。セレスティは池に意識を向け直しながらふと思う。桜の少女に引き続き、今回も妙な夢に行き逢ってしまったようだ。河辺に佇むあの、白い女性に言わせるところのこれは“縁”か。
 ────まあ、構いませんけれど。
 結論付けて、強く乱れ始めた髪を片手で押さえて、
「興味深いですからね、貴方は。……そして、」
 炎を纏う、朱の衣の人の気配を、熱を探る。

「貴女も、ですよ」

 赤い女性は両手を天に捧げる姿。オオオ、と低い声を響かせて、それを合図に焔は一段と燃え盛った。
 立ち昇る炎は中空でうねり、身をくねらせ、それは宛ら蛇──いや、もっと大きく禍々しくそれでいて神々しいものが、天に向かって踊りまた咆哮する様にも感じる。
 この邦に長いセレスティは、あの姿の名を知っていた。あれは、自分とは異なる形に水を使役し司るもの──龍だ。
 龍の炎に身を包む彼女に到底声は届きそうに無い。見る間に熱が膨れていく、池の水面もざわめき立ち、ああこうもひどく旗めいては髪を押さえることも出来はしない。弱視の瞳にぎらりと刺さる光も、肌を焼く高い温度も、それらを苦手とする自分には好ましくはない。
 セレスティは少し柳眉を寄せる。同時に、龍が翔んだ。
『……燃えてください、諸共に』

 ──── “燐” 。

 赤い人の声と鈴の音が、重なり合って尾を引き響く。
 上空、察知した自分は杖をついているのと逆の手をすっと上げ、
「待ってください」
 至極冷静に言いながら、

 ──── “燐” 。

 空から一直線に襲ってきた炎が、身に触れる直前に気化した。しゅうぅと音を立てて白煙と立ち昇る水蒸気、突き出した腕から肩、身体全体、池の水を操り炎を掻き消した自分を見て、赤い人は驚愕に目を瞠ったらしい。
「ですから、申し上げました通り待ってくださいませんか。貴女に危害を加える意志はないのです」
 火の人が先刻とは逆の腕を後ろに引く。轟、と瞬時に息を吹き返す炎、その熱。
 セレスティはふうと嘆息した。
「仕方の無い人ですね」
 轟。音を置き去りに繰り出された拳、しかしその一撃もセレスティには届かない。
 身を包む形に立ち昇った薄い水の膜が柳の葉の様にやんわりと、けれども確実に、盛る炎を呑み込んだ。
 彼女が、目を瞠る気配がした。
「貴女の火を消すことは造作もありません。しかし、これ以上の手を出すつもりもありませんよ?」
『……不思議な方』
 困惑の滲む声色でそう言って、トン、と地に足をつけた彼女に、セレスティは美しく苦笑を零す。
「それはこちらの言い分です。話を聞いてくださいね、私は、貴女をどうこうしたいわけではないのです」
『……解りました』
 肌をちりりと刺していた熱が収束していく。その感覚を彼女が攻めの手を諦めたことと解釈し、セレスティは満足気に笑んだ。にこり。
「色々と伺いたいですね、貴女のことを」


 話をするならば、と。
 彼女に促されるまま池をぐるりと回りこみ、対岸に立つ金堂へと辿り着いた。
 格子戸の開け放たれた手前、階に腰掛け歩き疲れた不自由な足を休める。池に臨めば先ほどの立ち位置とは真逆の眺め、吹き抜けていく凪いだ微風が、建物の影を映す池にさあああと漣を運んでいる。
「驚いたな」
 傍らには、ついてきた征史朗が腰を下ろしていた。膝に肘を突く無作法な格好で、彼も同じく池を見ているようだ。
「火の玉を黙らせ会話に持ち込むとは恐れ入る。前に嬢を説き伏せた時から思っていたが、おまえ、只の美人じゃあないな?」
「いいえ、ふふ、只の遊び好きですよ」
 口許に手を遣って、甘い蜜の様な笑み。征史朗はそれを見てか、ハッ、と声を立てて笑う。
 赤い人は、自分の斜め前に佇んでいた。
 彼女は自分たちと同様、波紋の様に広がっていく小さな波立ちを見ているらしい。鈴で括った長い髪が、音と共に揺れている。

 ──── “燐” 。

「さて……お訊ねしても?」
 口火を切ると、彼女は小さく諾と頷く。
『解りましたと、申しましたゆえ』
「それではひとつ伺いますが。此処は、どのような場所なのですか?」
『此の地……と?』
 はい、と答えて続きを促す。
 この、夜に包まれ水と影とを湛える場所、一体如何様な場所なのか、と。
『此処は……』
 彼女はゆったりと、振り袖を靡かせて天上の月を指した。

『此処は、安寧の地、真秀なる庭。────人は呼びましょう、極楽浄土』


  我等が心にひまもなく

  弥陀の浄土を願ふかな

  輪廻の罪こそ重くとも

  最後に必ず、迎へたまへ


 ふむ、とセレスティは口許に手をやりながら、上目遣いで月を見た。それは美しい鏡で、確かに、綺麗な夜だとは思う。
「極楽……天国、という解釈でよろしいですよね。死して後に迎えられる、楽園のことかと」
 ぞっとしねえな。傍らの征史朗が吐き捨てる様に言う。
「終焉の後に送られるのが、こんな暗くて物騒な所とは期待外れも甚だしいぜ。着いた途端に業火に焼かれるなんざ、極楽どころか地獄の沙汰だ」
「ふふ。しかし、そうですね。楽園と言うと、もっと明るい場所を想像します。日の光に満ち、暖かで、花が咲き乱れている様な」
『……貴方。花ならば、此処にも』
 彼女がくるりと踵を返す。こちらを向きざま、帯より抜き取り出したのは一柄の扇。額に翳しながらぱさり、片手でそれを優雅に開く。
 するとぽう、ぽう、と彼女を囲む様に中空に火の玉が現れる。よもや、と案じたが取り越し苦労だったらしく、彼女は扇で口許を隠しながら。
『花をお見せするには、灯りが御入用でしょう』
 池の汀に沿って、また金堂の横一線に焔の灯篭は数を増やしていく。満月の明かりのみだった夜が、今は昼であるかの照らされ様。背を向けている堂の中さえ明るくなり、肩越し振り返ればその奥に金色に輝く大きな阿弥陀如来が印を組んで座していた。
 焔に照らし出される豪奢な天蓋、蓮の花を象った御座。セレスティは興味深げに眺めてから視線を前に戻す。
 衣と同じ朱色の扇を構えた彼女に、淡く微笑みながら問うた。
「どんな花なんですか?」
『……極楽の花に御座います』
「楽しみです」

 何処からとも無く、琵琶と和琴の伴奏が夜に満ち、笙・篳篥の音色が厳かに響き渡り出す。
 朱い舞人は池の浅きに進み出て、発声は朗々、扇を返して詠い、舞い始めた。





  ────女人五つの障りあり、

 す、と彼女が歩を進めるごとに黒い水面に小さな漣が立ち、そこ映った月の円と焔の火影とが、ゆらりゆらあり揺蕩っている。
 扇が空を切り、合わせて動く長い袖が時折水に浸かり、また滑り。跳ねる雫が水晶の様で、銀と赤の光を受けてそれは、砕ける。

  ────無垢の浄土はうとけれど、

 詠う彼女は胸を張り、天を仰ぐ型。
 頭の頂に括られた赤い鈴が小さく揺れて、それだけでも“燐”と鳴る音はこちらの耳に届いた。
 紅玉の様に深く赤い石で出来た鈴。ふわり、と中空で踊る黒髪の曲線、その動きに少し遅れて鳴る赤の音。
 ……“燐”。

  ────蓮華し濁りに開くあれば、

 と。
 しなやかな指先を目で追っていた視界に、見慣れないものが映っていることに気がついた。
 彼女が舞う場所から同心円で漣が池全体へと広がっていく。その波が水面を揺らした場所に、もうひとつ、別の波が内側から泡の如く湧き出づる。
 目を凝らし見つめていれば、水の中からするすると伸びてくるものがあった。真っ直ぐ、と言うにはやや歪な曲線で、天に向かって生え出したのは、あれは、何か植物の茎だ。
 それは見る見るうちに太さを増し、葉を繁らせ。背丈ほどにまで伸びきったそれの頂上に膨らんだ蕾が、ぽん、と音でもしそうなほど見事に開花する。
 花弁の先に濃い色、根元になるにつれて淡くなる、まるで化粧の様な色付き。大振りの花弁は天に向かって咲き、中央の花托は平ら、まるで先ほど仏がましましていた御座の形にも見得る。
 いや、あれこそがそのものの形か。
 自分が生まれた場所のそれとは違う、この邦の楽園。善き人が死後に迎え入れられる悠久の園には、芳しき香と心地良い音色が満ち、人は、蓮の大輪の中から生まれ変わるのだという。

  ────龍女も佛に、なりにけり。


 此処は極楽。極楽に咲くのは蓮の花。


 気付けば、池は蓮の花影で埋め尽くされていた。
 風のざわめきで知れるその群生はまさに圧巻。留め拍子を踏んだ彼女が合掌する様に扇をぱたんと畳み、その背後に生い繁った花々を肩越しに振り返り、見遣る。
『……極楽の、花に御座います』
 顔を戻し、自分を真っ直ぐ見つめてきた表情は、此処に来て初めて見る、誇りすら感じる微笑だった。
 見返す自分も柔らかい笑みを口許に浮かべ、こくり、と相槌に頷いた。
「お見事です」


 此処は極楽、美しき庭。
 花咲き乱れる、安寧の地。


 突いた杖に力を入れて、セレスティは不自由な足で立ち上がる。
 ゆったりとした足取りで進む先は、彼女が佇む池の畔。
「もうひとつ、疑問があるのです」
 彼女の隣りに立ち、歩みを止めた。
 金堂を向く彼女、池を臨む自分。前後が逆なので、首だけを捻り顔を合わせる。
 黒髪の先がさらさらと揺れる様子が、空気を伝わり肌に届いた。
「“燃えてください”、でしたね。あの言葉の意味、教えてもらえませんか?」
 彼女は唇を引き結んだまま答えない。
「そう、楽園に招かれた私たちに対して口にするには、征史朗さんの言う通り些か物騒なんです。ここが“極楽”だと仰るならば、何故、訪れた私は燃やされなければならないのでしょう」
「だぁからそうだろう。此処が極楽だなんて、そんなはずはねえよ」
 後ろから征史朗の声が飛ぶ。それを、いいえ、とやんわり押し留め。
「そう簡単に否定するのも彼女に失礼ですよ。ですからね、どんな極楽であるのかが問題ではないのかと。……いかがです?」
 彼女はやはり答えない。
 それもよし、として池へ片手を水平に伸べた。
 手を上げていくにつれ、池の水が中央から徐々に割れ始める。亀裂はやがて大きくなり、押された水が端に向かって盛り上がっていく。代わりに、中心が底を、蓮の根元を露にしていく。
 後ろで征史朗が腰を上げる音がした。立ち上がり、こちらに近づいてくるのはやや早足。
 気付いたらしい彼が、おい、と声をかけてきた。ええ、と答えて、赤い人を見る。
「もう一度伺いましょうか。何故燃やすのです?」
 彼女はちらと、すっかり底の現れた池へと視線を投げ掛ける。
 先ほどの力強さは影を潜め、今は初めと同じ、悲しげに細められた哀切の眼差し。
『……此処は、極楽』
「ええ」
『火は……私の極楽を護る術』

 蓮が根を張っていたのは土ではなかった。
 ひとつの花に一人の人が────燃えて黒焦げた人の屍が、蓮の根に巻かれ、絡み取られていた。





「炎を纏うのも、ひとさし舞ったのも、総てこの池を舞台としましたね。まあ、勘でしかなかったのですが……この池が、貴女にとって大事なものなのではないかと。ですから少々、調べさせてもらいました」
 す、と手を下ろす。
 同時に水が内側に戻り、ざぱん、両側から押し寄せた波が中央でぶつかって、飛沫を弾かせ、飛ばす。人を根とする蓮の花は寄せる大波に押し倒され、しかし折れることなく揺れ、耐えた。
 押して引いてまた戻る波に、渦中身をくねらせる大輪の花。セレスティは雫を頬や髪に受けながら、池がやがて静寂を取り戻すのを待った。
「何故、燃やすのです?」
 頬に張り付いた髪を後ろに流しながら、彼女を見ないまま問いを重ねる。
『……燃やせば、眠りますゆえ』
「そして、池に沈めたのですか?」
『共に時を……過ごせますゆえ』
 何故、ともう一度だけ言った。
 彼女はぽつりと呟いた。
『私の極楽には、私しかおりませぬ、ゆえに』


 仏もあり、光もあり。
 楽の音も、芳香もある此処で。
 けれども私は独りきり。
 迎えられた極楽で、そう、“誰か”がいなければ心が波立つことも無かろう。
 感情は相手があって初めて成立する。孤独の中には憎しみも、争いも生まれない。
 それが、極楽と仏は名付ける。

 私だけの世界、私だけの極楽と、花無き夜の中で私は月を見上げた。


「だから、誰かが此処に足を踏み入れたらこれ幸いと、今まで人を燃やしては沈め、花を咲かせてきた。そういうことか?」
 そうでしょうね、と征史朗の言葉を首肯すると、突然彼がハハハッ声を立てて笑った。両の袂に手を突っ込み、くい、と口角を不敵につり上げた彼が強い視線で蓮の花をねめつける。
「いいな、その孤独、他者への執着。鈴を持つ者として相応しい。────そして俺は、その執着を、欲するんだ」
 何時にない熱をその口調から感じたのは、恐らく勘違いではなかったのだろう。気になったので先を促してみれば、彼は饒舌に答えた。
「この世にあるありとあらゆるモノは、総て、人の想いより創られる。それが呪いであれ祝いであれ、人の想いが満ちるからこそモノは際限なく、美しい。俺の作る人形も、俺の願いを何時だって酌んでくれるからこそ、美しい」
 一息に言い切った彼が続ける、セレスティおまえは“ヒトガタ”というものを知っているか?
「そうですね……何処かで聞いたか読んだかもしれませんが、詳しくは思い出せません」
「ならば教えてやろう。ヒトガタとは、つまりは“人形”。体温・内臓を持たない以外はほぼ人間と変わりないが、意志を持ち思考をし、感情がある。人形よりはヒトに近い、しかしヒトよりもずっと美しく、ヒトの目を愉しませるために生まれた至高の人形。俺は、それを作っているんだ」
「つまり、人形職人と考えれば?」
「まあ簡単に言うとそういうことだな。俗には区別して、ヒトガタ師と呼ばれている。──尤も、それを生業としているのは、最早俺しかいないんだが」
 言い差し、突然征史朗が息を呑んだ。その表情が瞬時に凍りつく。膝ががくんと折れたのはそれとほぼ同時だった。
 和装の男は地に片膝をつき、前屈み。肩で大きく息をしている姿が、彼の尋常でない様子を容易に伝える。目の前でやおら苦しみだした男に、さすがにセレスティも呆気に取られる。どうするべきかと逡巡、せめて様子を伺わなければと、我に返ったところを征史朗は片手を上げることで制した。
「……構うな、平気だ」
 確りした口調で言い返し、それでも再び立ち上がるまでに随分と長い時間を要する。額に滲んでいる汗は、未だ中空に留まる灯篭の連なりのせいなどではないだろうに、不敵な笑みを取り戻した口許が一切の問いを拒否していた。
「ハハ、見苦しいところを見せたな。……それよりも、だ。俺の頼み、忘れてくれるなよ?」
「……ええ、覚えていますよ」
 釈然としない表情ながらも頷いた。────途端に、背後から熱風を感じた。
 心当たりに振り返れば、目に飛び込んでくる強い光。先程飛び掛ってきたものよりねっとりと赤い、深紅の焔が彼女の身より立ち昇り始めているところだった。
「いけませんね。約束が違いますよ?」
 柳眉を寄せれば、彼女は一瞬押し黙る。そして唇を、きゅ、と噛み。
『……貴方がご自身で仰られた通りです。私の極楽を護るため、私の花を咲かせるため……そのためには、燃やすしか』
「本当に? 貴女には、そうすることしか出来ないのですか?」
『……ひとりは、苦しゅう御座いますゆえに』
 哀しげに目を伏せるのとは対照的に、彼女の炎はみるみる出力を上げていく。先ほどと同じ火の龍が形作られていくのを視界よりもむしろ熱として感じながら、セレスティは嘆息する。
 話が出来れば、と思った。征史朗の請うままに鈴を譲り受けるにしろ何にせよ、対話を為そうという心積もりだった。
 しかし彼女はこれしか無いと言う。言葉を交わすことよりも、炎で舐め尽くすしか出来ないのだと。

 それが、彼女が自分の“極楽”を護る手段。
 此処は、彼女のための、独りきりの“楽園”。

「どうする?」
 斜め後ろで征史朗が問う。既に調子を取り戻したらしい男は、熱を避けるように自分の背後へと移りながら。
「迷うことは無いだろう。おまえは水を眷属としているようだ、先刻のから察するにあいつの火はおまえの水には勝てない。おまえ、そう易々と燃やされてやるような奴でもないだろう?」
「……大きくは間違っていない、と申しましょうか」
 言い差しながら、数秒、逡巡。
 彼女が舞扇を再び開く。ぱさり、とそれを開くと上空で火の龍が咆哮するように身をくねらせた。
 その風を領じる熱に全身を襲われながら、しかしセレスティは凛と彼女を見据え、そして告げた。

「お止めなさい。貴女の花が、燃えてしまいますよ」

 ぴくり、と扇を構える指先が反応したような気がする。
 だが熱量は収まる様子を見せず、彼女は何かを振り切るように瞼を閉じると、────“燐”。首を打ち振ったのに合わせ、鈴の音が高く響く。
『……独りきりは、寂しい』
 龍が彼女の身へととぐろを巻く。扇の先にまで炎に包まれた彼女が再び跳んだ。
 熱が向かってくる。セレスティは動かない、代わりに、肩越しに花を見遣る。極楽に咲く大輪の花、人の命を糧として池の水より生える濁りなき花弁。
 おい、と征史朗が急かすように言う。それには答えず、上空、赤い彼女を真正面から見つめた。
「貴女が、」
 火が迫る。────微笑んで、蒼い目を閉じる。

「貴女が独りで在るのは、本当に、“楽園”のせいですか?」


 ゆっくりと、目を開けていった。
 そこには、夜があった。
 燈篭は掻き消え、ただ月明かりだけが照らす暗い漆黒の夜闇が広がっている。風は凪ぎ、背後の水面は漣すら立たぬまるで鏡。そこに競い合うかに咲き乱れる蓮の花は、ただ黙して花弁を広げ、揺れもしない。
 静かな夜の中、セレスティは足元に視線と感覚を向けた。
 おお、おお、と漏れる嗚咽。膝を折った彼女が、両手で顔を覆い、声も殺さず泣いていた。
『……だって、だって、燃やさなければ何処かに行ってしまう。私は此処にしかいられない、私の世界にしか生きられないもの、訪れた人を繋ぎ留めねば……眠らせてでも傍に置かねば、私はまた、独りに』
「そう、なのでしょうね」
 此処は夢。夢の成り立ちを自分は知らない。彼女がそうだと言えば、此処はそういうものなのだろう。
 彼女は此処に、独り。彼女は独りで、寂しい。
 セレスティは杖を支えに腰を屈める。鈴を括った彼女の黒髪に鼻先を近づけ、そこを、幼子をあやすようにして撫でてやる。
「私は、貴女をこの世界から解放する術を知りません。そして、共にいられるわけでもありません。……ですが」
 頤に手をかけ、上向かせる。涙に濡れた頬に、そっと口付けた。
「ひと時ならば、一緒にいられますよ。今だけは貴女と共に、此処にいます。貴女の寂しさを埋めることは出来なくても、紛らわすことは出来る。……そうしたいと私が願うことすら、寂しいですか?」
 彼女の眦から雫が溢れる。引き結んだ唇が震えて、開いて。
『……優しい方。貴方を、見送りたくはありませぬ』
「はい」
『……けれど、もう、燃やすことも出来ませぬ』
「はい」

 手を引くと彼女は項垂れ、涙を一滴、地に零した。
 その姿が、徐々に風と同化しだす。色彩が透けていき、見つめているうちにいつしか、彼女の総ては空気の中へと滲み、溶けていった。
 ぽとり、と落ちたのは赤い鈴。唯一残ったそれは二つで、月光を受け静かに煌いた。





「ああ、火で炙られてたってのに、冷や汗をかいた」
 後ろにいた征史朗が進み出て、鈴の内ひとつを取り上げる。掌の上で紅玉の様なそれを転がし、同じく鈴を得て立ち上がった自分へとわざとらしくため息をついてみせる。
「こんな所で終いかと思った。まったく、肝の据わった美人だなおまえは」
「ただ、私は彼女と話そうとしただけですよ。元より、害するつもりはありませんでしたし」
「それがあんな火の玉に通じると思ってるところが、おまえの見上げたところだよ」
「ふふ。褒められて、悪い気はしませんけれどね」
 手に取り、包んだ鈴はほの温かかった。
 彼女の火の名残か、それともその温みの移り香か。“楽園”に、たった独りでいた彼女の。
「……案外、本物の楽園というのも、こういう場所なのかもしれませんね。美しく争いの無い、けれども悠久の孤独を抱えて佇む場所」
「それは退屈だ」
 間髪入れない相槌に微笑んで頷く。
「ええ。私は、人の想いが混沌と渦巻く現実のほうが好きですね。大切な方たちもたくさんいますし、それに、何かしら興味惹かれるものがなければ、長く生きる甲斐がありません」
「……長く生きる、か」
 おや、と視界の端に見止めた口許に浮かんでいたは、愉悦と苦悩、それから一抹の──あれは寂しさだったのだろうか。曖昧な笑みを浮かべた彼は、しかしすぐさまその表情を打消して、ううンと大きく伸びをした。
「さあて、帰って休むとするか。残る鈴はあと二つ、おまえと俺の“縁”が本物ならば、また逢うこともあるだろうよ」
「ああ、そう、そのことです」
「んあ?」
「前に貴方は、叶えたい願いのために鈴を欲しがっている、と仰っていました。さてではその願いとは……訊ねてもよろしいですか?」
 彼は一度上目で視線を逸らした後、鷹揚に腕を組み半身に構えて──凝っと、まるで値踏みでもしてくる様な不躾な視線。自分を量ろうとするとは面白い、と目を細め、一癖も二癖もありそうな男の視線を受け止めた。
「おまえは、」
「はい?」
「おまえは、俺にどれほど興味がある?」
「それが話す基準ですか?」
「ひとつの物差しにはなろうな。ちなみに俺は、おまえに充分興味も好意ももってるぜ。これでも人ってものが愛しくて仕方ないんだ」
「博愛と仰いますか。私は逆ですね、自分で言うのも何ですが、相当区別をしていると思います。代わりに、愛したものには惜しみなく想いを注ぎますよ。それこそ、永久に」
「ハハ、おまえが言うと口三味線に聞こえねえな。……いいだろう。俺のことも少しは好きになってくれよ、ってことで、教えてやるから聞いてくれ」
 光栄です。答えながら淡く笑む。
 前回も思ったが、可愛いことを言う男だ。
「俺の願いは、この世で最も美しいヒトガタを作り上げることだ。俺の心の総てに答え得る、俺の、俺のために生まれる至上のモノを、俺はどうしても完成させなくちゃならない。
 その故に、ヒトガタに必要不可欠であり最も重要な材料であるこの、」
 征史朗の拳の檻の中で、赤い鈴の音が鈍く鳴った。
「鈴を、俺は所望する。誰にも、譲らない」
 彼はにやりと口角を吊り上げる。それが俺の総てだ、そんな形に唇が動いた気もした。


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 夜の岸辺に佇むは、やはり独りきりの白い影。
 名無花は無言で川面を見遣る。総ての感情を生まれた時より持たないかの氷の面で、まどろむ半眼で河を、流れる時の刻みのみをただ見つめて。
「……まろうどよ。まろうどはその男を、真に救うこと叶うだろうか……?」
 それきり彼女は、総てを秘するかの厳かさでまた、口を閉ざした。

 ────そんな、夢を見た。


 了


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

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■         ライター通信          ■
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セレスティ・カーニンガム様
こんにちは。ライターの辻内弥里です。
この度は当ゲームノベル「名無花の世界 〜赤の鈴〜」にご参加くださいまして誠に有難うございました。少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
今回は、「場所」に言及してくださいましたので、こんな感じにしてみました。
セレスティさんは長い時間を生きながらも、それに倦むことなく、周りの愛しい人たちを大切にして、生きることを謳歌していらっしゃる、というイメージがあります。(ずれていたらどうぞお叱りください!) それを踏まえて、“極楽”の赤い人と向かい合っていただきました。いかがだったでしょうか?
それでは、今回はどうも、有難うございました。宜しければまた、征史朗に会いにきてやってくださいませ。