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<東京怪談ノベル(シングル)>


【I've had enough】


 ううう、とあたしは心の中で呻いていた。
 いくらバイトでコンパニオンの仕事にそれなりに慣れてるとはいえ、ここまでの格好はなかなかしたことがなかった。
 少し視線を上げると、鏡の中であたしは耳までまっかにしていた。
 顔から下は……出来たら自分では見たくない。いや、誰にも見られたくなけど、これから衆目にさらされるわけだから、せめて自分だけは。
 例えそれが気休めでも。

「あら、みなもちゃん似合うじゃない」

「きゃあ!」

 急に背後からかけられた声に、あたしの手はあたふたとどこかを隠そうと動いた。けど、狙いは定まらなくて宙をかくだけになる。
 後ろから普通のコンパニオンの制服を着たお姉さんにぎゅっと抱きしめられ、あたしは前のめりに倒れそうになった。

「かーわーいいー」

 楽しげにお姉さんはあたしの身体をゆらし、あたしはやっぱり、うぅ、と呻いた。
 あたしの服装はひどくバランスが悪い。
 見た目は、白地に黒ぶちの全身タイツ。いわゆる、牛柄のタイツだ。
 ただ、お腹の部分に重いタンクが付いていて、外に出ている部分はピンク色の蛇口になっている。
 牛の、お乳の形の。
 今日の仕事は新商品の牛乳の紹介イベントのコンパニオンだった。
 このタンクの中に牛乳を入れて、試供品として配って歩くんだそうだ。

「これ、やっぱり恥ずかしいですよ……」

「可愛いわよ、とっても」

 お姉さんはそういって、ようやく手を放してくれた。
 代わりに、机の上に置きっぱなしだった布で出来た牛の角がついたカチューシャを、そっとあたしの頭に取り付ける。
 鏡の中には、今度こそ牛がいた。
 今日はツインテールに髪をまとめていたから、妙にバランスがいいのが逆に不思議な感じがした。

「主役が何時までも控え室じゃ、ダメよ〜」

 あたしは手を引かれて、ふらふらと部屋を出た。
 やっぱり、うー、と呻きながら。
 ああ、なんだか本当に牛になった気分だ、と肩を落とした。


 * * *


 さっきまで軽口を叩いてたお姉さんはすっかり仕事の顔になって、ステージの上で商品説明をしている。
 あたしはといえば、そのステージの下で紙コップ片手にやっぱりふらふらしている。
 大人の人は、あたしの姿を見て笑っているから、近づいてくるのは小さい子たちばっかりだった。

「牛さん、下さいな!」

 ニコニコと紙コップを持ってこられれば、お腹に付いた蛇口を捻って中の牛乳を注いであげる。
 またねーっと手を振られれば、振り替えし、でも喋るのは禁止されてたから、「モー」なんて云った。
 中には本気であたしを牛だと思っている子もいるだろう。

 何時の間にか背後にいた男の子に、しっぽを引っ張られたときは流石に仰向けに転んだ。
 だけど、その時が一番ウケがよかった。
 会場がドッと盛り上がって、あとでスタッフさんにどういう訳か褒められた。
 そういえば、ステージの上のお姉さんも笑い堪えてたし。あたしは泣きそうになったけれど。

「牛さん、牛さん」

 呼ばれて答える。モー、モー、モーと。
 忙しい最中で、スタッフさんにもモーとうっかり答えかけた。やっぱりスタッフさんも笑いを堪えていた。
 その辺りから、流石に少し死にたくなった。

 少しずつタンクの中が減って、その度に追加で中を足して、一日の仕事が終わる頃にはすっかりバランス感覚がおかしくなっていた。
 おかげで控え室に帰る前に無意味に転んだ。
 今度は誰も見ていなくて、それが逆に切なくなった。


 * * *


「おつかれ、みなもちゃん」

 控え室でぐったりするあたしに、控え室から連れ出してくれたお姉さんがいう。
 すっごく面白かったよ、と云われて、はぁ、と生返事するくらしかないくらい疲れていた。

「これ、スタッフさんたちが、おみやげで持っていってって」

 お姉さんが牛乳の瓶を差し出してくれた。
 あたしは何とか受け取りながら、内心牛乳は暫くお腹いっぱいだな、と思った。