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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


結界崩し 2

 五芒星の結界を解くために動き出した夏炉[かろ]と、友人たち。
 まずは北、『木』の結界を解いた――

「次はこの大きな川に行くわ」
 と夏炉は言った。
 喫茶「エピオテレス」に戻ってきた彼女たち。改めて作戦を練り直す。
「川にまた悪霊?」
 クルールがカウンターにもたれながら問う。
「そう、15人ね。結界のバランスを取るためにどこも15人なのよ。ただ」
 夏炉は人差し指を立てる。
「今回は川でしょ。だから木の時みたいに宿主を消したりできないわけよ」
「宿主が消せないとなると……」
「木の時みたいに力の削減が簡単にいかないわね」
「……たしか水が相手だと……」
「あたしの鬼火が使えないわ」
 はー、とクルールが嘆息する。
「あたしもちゃんと考えて戦うわよ」
 と夏炉は腰に手を当てる。「ただ、木の時より他人の力をアテにするのは確かね」
「プライドの高いあんたには屈辱だね」
「ほっといてよ。――で、ちなみに今回の術者は川の上からどいてくれるかどうかも不明ね」
「………」
 それではクルールも戦いにくいではないか。クルールがむっつりしていると、
「何にせよ夏炉ちゃん。急がないと……結界が復活してしまうのでしょう?」
 エピオテレスが口を出した。
「そうよ」
 夏炉はとても不機嫌そうに、言った。

 ■■■ ■■■

 とりあえず、前回の「木」の時同様手伝ってくれることになったのは、黒冥月[ヘイ・ミンユェ]とアリス・ルシファール。宵守桜華[よいもり・おうか]に、空木崎辰一[うつぎざき・しんいち]……
「戦力が減ったな。まあ残った戦力でも充分だとは思うが」
 冥月が腕組みをしながらつぶやいた。
 エピオテレスは、喫茶店に戻ってきてひそかに驚いた。普通の客が2人いて、そして2人の前には料理が並べられていたのである。
「うげ、辛ぇ!」
「何を言う。これぐらい食べれんでどうする」
 なぜか同席ではなく隣同士の席に座ったその男2人は、同じ料理を目の前にしてまったく違う反応をしていた。
 片方の、背広を着た男はその料理を淡々と食べていた。おまけに手に持っている何かをさらに料理に振りかけている。
 もう片方の男――まるでヤクザのような風貌をしたガタイのいい男は目をむいて、
「まっ……! てめ、それ唐辛子じゃねえのか!」
「ふん。基本的な味は悪くないが、これぐらいの辛さじゃ甘いぞシェフ」
 と背広の男が吐き捨てた相手――
「それは申し訳なかったな。あなたの辛さの基準を知らなかったもので」
 2人の男の様子を傍らで立って見ていたのは、珍しく煙草を口にしていないエピオテレスの兄、ケニー……
「兄様!」
 エピオテレスが悲鳴を上げた。「まさか、まさかまさか!」
「……厨房で煙草を吸ったりしてない。心配するな」
 ほう、と冥月が感心した。
「お前はチェーンスモーカーだと思っていたが……煙草がなくても生きていられるんだな」
「草間のやつと一緒にするな」
 言いながら、ケニーは持参MY唐辛子をハバネロスープとキムチ激辛カレーにさらに振りかけている背広の男、じゃない方の――やーさん風味な男を見て、
「料理を作りなおすか? これは想定外だったろう?」
「くそっ! 意地でも食ってやら!」
「とりあえずそこの男のと同じで、というオーダーはやめた方がいいということが身に染みて分かっただろう」
「ここにメニューがないからいけねえんだよ!」
 それを聞いた桜華が、嘆息した。
「駄目だねえ……ここはメニューがないからこそ面白いのに」
「まあな」
「そうですね」
 ここによく食べにくる冥月とアリスがうんうんと桜華の言葉に同意した。
「あの、とにかく結界の話に戻りませんか」
 懸命な辰一が進言する。エピオテレスがはっとして、「ごめんなさい」と夏炉に向き直った。
 夏炉はこめかみに指を当てながらも、
「まあいいわ。……川は、地図上ではここからここまで流れている……比較的長い川ね。結界ポイントはここ」
「川の中央部ねえ」
 クルールがカウンターに肘をついたまま地図を見つめる。
「水辺ね……」
 桜華がうむうむとうなずき、
「川→溺れる→心肺停止→人口呼吸。如何ですか、この完璧な理論」
「………」
 こつん、とクルールが亜空間から取り出した剣の鞘の先を桜華の頭に当てた。
「悪かった、真面目に考える」
「最初からそうしろ」
 クルールはくるんと剣をまわして腰にはめた。
 桜華はうーんとうなって、
「季節と場所を考えると陰陽絡みの水気は面倒だな」
「そうですね……『水』に勝つ、と言えば……『土』ですが」
 アリスがつぶやくと、辰一が口を開いた。
「結界崩しですが、今回は手間取るかもしれません」
「あら、どうして?」
 夏炉が訊く。辰一は困ったような顔をして、
「残念ながら、僕が使役する四神には水に勝つ『土』属性が無いんです。水気を吸収することは可能ですが、うまくできるかどうか……」
「弱気ならやらん方がいいぞ」
 と冥月が肩をすくめる。
 そうかもしれませんが……と辰一は嘆息してから、エピオテレスに向き直った。
「エピオテレスさん、お願いがあるのですが宜しいでしょうか?」
「え? はい」
「あなたが持つ土の魔力を、獅子に戻した甚五郎に付加していただけないでしょうか?」
 辰一は自分の肩に乗せている猫に指をじゃらつかせた。
 甚五郎と言う名の猫。実体は銀獅子。
「まあ、甚五郎くんに……」
 エピオテレスは口に手を当て、うまくできるかしらとつぶやいた。
「お願いします」
 と辰一は丁寧に頭を下げる。
 エピオテレスはその様子に心を打たれて、
「はい。全力でお手伝いしますわ」
 と応えた。「よろしくね、甚五郎くん」
 辰一の肩で甚五郎が鳴いた。
「夏炉。あんたはどうすんの」
 とクルールが尋ねる。「あんたは中距離型だけど……鬼火、使えないんでしょ?」
「今回は近距離に回る」
 夏炉は頭の中にしっかりと計画が立っているらしい。
「近距離……ねえ……」
 クルールは2振り目の剣を亜空間から取り出して腰に取り付けると、桜華を見た。
「……あんたの戦い方。すごいと思う。近くで見てちょっと盗もうかなと思ってるんだけど」
「あ? いやクルール、素手と武器持ちじゃ戦い方も全然違うと思うが」
 言った桜華は急に気まずそうに、がりがりと首の後ろをかいた。
「そんなことは承知でそれでもちょっと観察してみたい。……なんだ?」
「いや……」
 後でいいや、と桜華はごまかした。
 アリスは、
「私はどの属性も何とか操れそうです。現場で遠距離から皆さんの支援を」
 と思案しながらつぶやいている。
「………」
 冥月は彼らの様子をじっと見ていた。
 エピオテレスは辰一につくという。
 クルールは桜華と色々話がありそうだ。
 夏炉は……今回の結界を護る霊魂たちとは相性が悪いとのこと。
(……あんまりぞろぞろ連れて行くのは好きじゃないんだがな)
 仕方なく、冥月はカウンターから離れて、いまだに料理を食べている男2人の傍らに立っているケニーの元へ行った。
「おい、ケニー」
「なんだ?」
「フェレのやつはどこだ?」
「外に行ったが……呼び戻そうと思えばすぐ呼び戻せる」
「……やつの扱う式神に、『土』属性はいるか」
 ケニーは少し考えてから、
「……いないな」
「よし」
 冥月は即決した。「お前が来い」
「ん?」
「私はあそこの――カウンターの連中とは別行動をする。だが私は霊には対抗策を持っていない。護衛が必要でな」
「ああ」
 構わんが、とケニーは特に気にした様子もなく言った。
「だがとりあえず客を見送ってからにしないと店として成り立たんのでな」
「それは分かって――……」
 冥月はふと、先ほどから激辛ものを食べている男2人を見た。
 涼しい顔の背広の男。やけになって顔を真っ赤にしているやーさん風味な男。
 冥月はつぶやいた。
「……お前たち2人、使えそうだな」
 ん、と男2人が顔を上げる。
「ケニー。お前は確か他人の能力を」
「ああ片方は嫌味ったらしい請負人で片方は退屈が嫌いな傭兵だ」
 やーさん風味な男が、ぎょっとした顔でケニーを見た。
「どうして分かった!?」
「勘」
「そりゃねえだろ!」
 騒ぐやーさん風味の男の隣で、
「……言っておくが俺は、そっちのヤクザとは関係がない。この程度の辛さにも耐えられない人間と一緒にするな。失礼だ」
「それは失礼」
「俺はヤクザじゃねえ!」
 何というか対照的な2人だ。
 やがて背広の男が激辛料理を完食して、テーブルを立ち上がる。
「まあ辛さが足りない以外はなかなかのものだ。次に来る時はそれを改善してもらおう」
 言いながらレジに来る。
 ケニーもカウンターに動いた。
 エピオテレスが慌てて兄にレジを譲る。ここは厨房に入った人間が客の注文に合わせて好きに料理を作るので、結局調理代にいくらかかっているのかは作り主しか分からない。
 しかし、カウンターは埋まっていた。人間で。
 さっきから夏炉を始めとする結界突破目標組みが、呆気にとられて変な客を見ていた。
「おいお前」
 冥月が激辛男の背広の首根っこをつかまえた。
「ちょうどいいから話を聞いていけ」
「客に対して失礼な」
「私はこの店の人間じゃないから問題ない。いいから聞いていけ」
 冥月はさらさらさらっと、ものすごく簡潔に今彼らが直面している問題を説明する。
 背広の男は眉をしかめた。
「下らん、俺には関係な……」
 と言いかけ、ふとレジのケニーをちらりと見やり、
「ふむ、ではこの食事とあと一回分の食事代で手を打とう」
「何だ。お前ケニーの料理が気に入ったのか」
 冥月は苦笑した。「ここに来ると大抵テレスがシェフだが……相性がよかったか。運がいいことだ」
 結局ケニーはレジをやらなかった。代わりに激辛料理に撃沈しているやーさん風味の男の元へ行き、
「あなたも今回の仕事に一役買わないか。そうしたらこの料理の代金もなしにして、帰ってきたあとまともな料理を作り直してやるが」
 男はがばっと顔を上げた。
「うっしゃ!」
 顔がきらきら輝いている。
 ……よほどこの激辛料理の代金を払わされるのが嫌なようだった。

 そんな訳で、結界崩しのメンバーに、今回は激辛男・黒澤一輝[くろさわ・かずき]と、やーさん風味な仁薙隼人[じんなぎ・はやと]の2人が加わったのだ。

 ■■■ ■■■

「なんであの男まで連れてきたんだ?」
 冥月は一行の最後尾で、煙草をくわえたケニーに何となく訊いていた。
「店に入ってきてから『退屈だ退屈だ』と連発していたのでな」
 ケニーは数時間ぶりの煙草を堪能しながら軽く返答する。
 冥月は呆れた。
 前方では、新しく入った男が何やら若いメンバーをからかっている。
「それにしても……お前自身も、簡単に出てくるとは思わなかったな」
「あなたには色々世話になっている。フェレにしろ店全体にしろ」
「……本音は?」
「あなたの傍にいて退屈したことはない」
 言って、ぷかーと煙草の煙を吐くケニーに、冥月は軽く笑った。

「おーかわいい嬢ちゃんだ。戦えんのかよ?」
 隼人がアリスの髪をぐりぐり撫でながらにやりと笑う。
「きゃっ……やめてください、髪型が崩れてしまいます」
「これから戦いに行こうというのに髪型ごときを気にするのじゃ、大した働きは見込めないな」
 一輝がさらっと言った。
 夏炉とクルールがきっと一輝をにらみつける。しかり当のアリスは冷静で、
「髪型を整える、ということも臨戦態勢のひとつです。私はだらしない格好で戦いにのぞみたくはないので」
「……遠まわしに桜華を批判してるみたいだ」
 クルールがつぶやき、だらしない服装をしている桜華が「うおう!?」とショックを受けたようによよよと泣いた。
「……ふん」
 一輝はアリスを敵に回すのをやめたらしい。そして隼人は、「悪ぃ悪ぃ」と軽く流した。
 見た目強面だが、案外軽いあんちゃんである。
 辰一とエピオテレスは、何となく一輝と隼人とは距離を置いていた。
 夏炉はどこから持ってきたのか、大きな荷物をかついでいる。
「夏炉ー。そんな荷物持って動けるのか?」
 クルールが「代わりに持ってやろうか」と小首をかしげると、
「自分で持っていなきゃ意味がないでしょう。今回のあたしの武器よ」
 夏炉は無表情に言う。
「……戦闘に無意味に負担になりそうな武器だな、それは」
 一輝がまた少女をターゲットにした。「せいぜい他の人間の邪魔にならないようにすることだ」
「うるっさいわね、あんた!」
「その短気さも直すべきだな。邪魔だ」
「〜〜〜っ」
 夏炉が悔しげに唇を噛む。クルールが一輝を威嚇して、
「戦闘前に変にメンバーを興奮させるな。それともそうやって歳下をいじめるのが趣味か? サディストめ」
「歳下歳上関係あるまい。そこを気にするお前も未熟だな、裏表のある小娘が」
「お前は――!」
「やめろクルール」
 桜華が声で制した。「あーゆーのは何言っても無駄だって」
「桜華……」
 クルールは渋々と口をつぐむ。
 一輝がくくっと笑って、
「邪気を振りまく男に制されるか。どんな器量だかな、そちらの小娘は」
「お前っ……」
 ごうごうと怒りのオーラを振りまくクルールと一輝の間に入り、桜華は一輝に向き直った。
「お前さんな、攻撃対象なら俺がなってやるから、せめて歳下の娘さんたちはやめとけ?」
「別に攻撃しているわけじゃない。真実を言っているだけだ」
 一輝は片眉を上げた。
 隣では隼人が腰に手を当てて、
「重そうじゃねえか夏炉の荷物。その細腕が折れちゃまずいぜ」
「折れるわけないでしょう!」
「ん? 何なら目的地に着くまで俺が手伝ってやろうか?」
「結構よ!」
「無理すんなよチビちゃんが――」
「あたしはチビじゃないわ!」
「あのう……」
 見かねて辰一が口を出した。
「やめましょう、からかったり怒りあったり」
 一輝は無視をしたが、隼人はがははと笑ってやっぱり「悪ぃ悪ぃ」で済ませてしまうのだった。

 最後尾で前を行く仲間を見ていた冥月がぼんやりとつぶやいた。
「……うるさいのを連れてきてしまったかな」
「いいのじゃないか。賑やかで」
 ケニーはのんきに煙草を揺らしている。
 そういう問題だろうか、と思いながらも、冥月は何も言わなかった。

 ■■■ ■■■

 問題の川が見えてくる――
「うわ……っ!」
 辰一がその気配に押されてその場に立ち止まってしまった。
「くう……」
 夏炉も立ち止まり、ざりざりと砂を踏みにじる。
「……やれやれ」
 一輝が平気で前に出た。「この程度の気配で押されるとは……」
「んー、俺にはあまり影響がない感じみたいじゃねえか」
 隼人も川に近づいていく。
 エピオテレスはおぞましい気配に、足を止めてしまっていた。
 アリスが、
「サーヴァント展開!」
 と6騎の天使型駆動体をその場に発現させ、
「皆さんに加護を!」
 6騎のサーヴァントは、辰一、夏炉、エピオテレス、一輝、隼人、桜華にまずステータスアップのブースト。
「必要ないというのに……」
 一輝は肩をすくめた。
 後からやってきた冥月は、霊魂には耐性がない。感知できないとも言う。ゆえに辰一たちのように霊に押されることがない。
 川の長さは地図で確認してある。川幅を目で確かめると、オリンピックの幅跳び選手なら何とかひとっ飛びで向こうへいける、という程度。
「川の水は何とかしよう。宿主が無くなるまで耐えてくれ。ま、それまでに倒してくれても構わんが」
 と夏炉たちに告げ、ケニーを促して川の上流に向かう。
 アリスはさらに、唯一の堕天使型サーヴァント『アンジェラ』を自分の補佐役として呼び出し、
「私は謳を謳うから、護ってね」
 と姉のような存在の『アンジェラ』に微笑みかけた。
 サーヴァントのブーストにより、ようやくそのおぞましい気配に押されずに動けるようになった辰一や夏炉たち――
 そう。
 『木』の時と同じように、ここには悪霊が。
 15体の悪霊が。
「『水』の……結界師たち……!」
 夏炉が険悪な表情で飛びかかる――
「待ちなよ、夏炉!」
 クルールが2振りの剣を鞘から抜き、軽い羽根のような動きで川岸ぎりぎりまで近づいていく!
 辰一は甚五郎を銀獅子に戻した。
「エピオテレスさん、お願いします!」
「はい!」
 エピオテレスが人が変わったように真剣なまなざしで、自分の魔力を高め始める。
 それを感じ取ってから、辰一は連れていたもう1匹の猫――定吉に、玄武の符を貼り付けた。
 玄武の力。すなわち『水』。
 それによって、水気を吸い取ることができるかもしれない。
 そして辰一自身は――
「今回は……神社の御神刀『泰山』で臨む……」
 すらっと、腰に佩いていた御神刀を抜く。
 きらりと太陽光を反射させて、刀身が輝いた。
「甚五郎、定吉! 皆さんのお手伝い頼んだよ!」
 そして彼も、泰山を手に、川岸へと駆けていく――

 水の結界師たちは、いやらしいことに――想定通り――川の上から動かず、そしてさっと左手の薬指小指だけを立ててこちらに向けてくる。
 瞬間、川面の水が縄のように伸び上がって、川に近づいてきた者に襲いかかった。
 一輝は知らぬ間に避けていた。隼人は「うおっと」と軽く飛びのく。クルールは持ち前の身軽さで避け、辰一はまだ襲いかかられるほど近づいておらず、
 夏炉だけが、
 重いものを持っていたため、とっさの反応が遅れた。
「夏炉!」
 と夏炉を抱いて横に跳んだのは、桜華だった。
 夏炉は呆然とした。しかしすぐに桜華の振りまく邪気を全身で感じ、彼を突き飛ばす。
「のおっ」
 桜華は突き飛ばされた反動で数歩後退し、そこへばしゃっと川面の水が降りかかった。
 ぶるっと頭を振って髪の水気を落とした桜華は、
「すげえ毒気の強ぇ水……」
 とため息とともにつぶやく。
「桜華、無事か?」
 クルールが遠くから声をかける。
 んお? と桜華は意外に思って、
「無事だよーん」
 と軽くクルールに手を振って返した。
 その間にも、結界師たちの左手薬指と小指が細かく動き、水面が跳ねる。
「陰陽道か……左手の薬指、小指。壬、癸……。『水』の属性だな」
 一輝が冷静に結界師の動きを判断し、そして彼は結界師たちの固まっている場所で一番攻撃をくわえるのに効率のいい川面を決めた。
 そこを氷に「見立て」て1人分の足場を作り、強化した手足で瞬時に近づき霊に一撃。
 霊をも実体に「見立て」ているため、彼の拳はまともに結界師の霊の腹をえぐった。体をくの字に折ったその霊の首の後ろを肘で打ちすえ、そして素早く元の川岸に戻る。
 霊は、衝撃で消え去った。ヒット&アウェイ。
 誰もが、突然消えた1体の霊に驚く。
 その動きを見切っていたのは、並外れて身体能力の高い桜華だけだった。
(悠長に準備してる時間も無いし、どうするか?……後の事も考えれば、下手な消耗戦は避けたいところ……と思っていたんだが)
 桜華は水面の攻撃から主に夏炉を護りながら、一輝の動きを観察した。
(結界の一端を為す依り代、其処への道が開ける。其の一瞬の隙……)
 伺うつもりだった。
 それが、意外と早くできるかもしれない。
「おーらよっ!」
 隼人が大声を出した。
 その瞬間、何の能力が発動したのか、川面が凍りついた。
 一輝が眉をひそめる。
 夏炉とクルール、辰一の目が光った。
「行きます!」
 辰一が泰山を手に飛び込んで行く。
 泰山の『土』属性。それを引き出し、悪霊を斬る。
 さん、と軽い音がして、悪霊が綺麗に消滅した。
 そこにきてようやくエピオテレスの準備が整った。
「遅くなってごめんなさい甚五郎くん――」
 彼女の周りに砂を巻き込む竜巻が起きる。激しい轟音。精霊から授かった魔力は限界を知らない。
「礎、大地の大いなる心。ここに発現し、自然に逆らう者を祓うことよし――」
 エピオテレスの指先が踊る。竜巻を操るように踊る。
 やがてその竜巻が、銀獅子たる甚五郎を捕らえた。
 甚五郎はその身に『土』をまとった。属性を手に入れるなり、甚五郎は凍りついた川面を走り、悪霊に体当たりした。
 またもや結界師の消滅。
 猫の定吉は、小さい体で一生懸命、玄武の力を発揮していた。
 水の気を吸い込むこと――
 結界師たちががらがらと動きを乱していく。
「何だよ、意外と簡単じゃねえか」
 隼人が銃を構えながら、口笛でも吹きそうな様子で言った。
 その時――

 ぴしゃんっ

 水面が、跳ねた。

 そこから、悪霊が一気に発生した。
「………!?」
 一斉に向かってきた悪霊をクルールが2刀流で斬り祓う。
 しかし、
 ぴちゃんっ
 ぴちゃんっ
 飛び跳ねる飛沫はきりがなく。
 そこから発生する霊もきりがなく。
「――これが『水』の真骨頂ね!」
 夏炉が重そうにかついでいた袋を地面に下ろした。
 そして――渾身の力で、その袋を振り回した。
 それにぶち当たった霊が、なぜか消滅した。
「な――中身、何それ、夏炉」
 クルールが絶えず動きながら問う。
「あらゆる神社の境内の砂と土をかきあつめてきたのよ! こんなこともあろうかと思ってね!」
 夏炉は自分のあまり重くない体重をそれでも全開で使って、袋を振り回し続けた。
「……邪魔な攻撃方法だ」
 一輝がつぶやきながら、ひゅおっとその場から姿を消し、再び悪霊を徒手で消し去って戻ってくる。
 次の瞬間にはまた違う場所へ瞬間移動のごとく動き、結界師を打ちすえた。
「要は飛沫で現れる悪霊より、結界師を優先して倒せばいいことだ」
 一輝の能力ならばそれが出来る。彼は優先的に結界師を消滅させていた。
 もうひとり、それが出来る人間がいた。隼人である。
 彼はワームホールを生み出し、結界師の腕のみを引きずりだすとねじ切るという荒業に出た。
 周りのうっとうしい飛沫霊たちは、他の前衛に任せて。
 甚五郎はその破壊力で飛沫霊たちを一度に何体も消し飛ばしていた。
 定吉は小さな体で頑張っている。
 アリスはアンジェラに護られながら、謳を謳っていた。『土』属性の活性化。
 それにつられて、川岸の土の気配が増大化した。
 結界師と霊たちはその気配に押されたらしい。飛沫の量が減る。
 夏炉は辺り構わず砂土の入った袋を振り回し、飛沫霊を1体ずつ消滅させる。
 クルールはそれよりは効率的に、身軽さを発揮して2振りの剣で一度に何体も消滅させていった。
 軽く跳ねる蝶のように、翼を持つ何かのように軽く、軽く。
 隼人は戦闘の場を見渡し、攻撃しようと左手を突き出した結界師に向かって銃を放つ。
 あいにく五行の並び上、『水』は『火』に勝ってしまうため、銃は結界師には効かないが、衝撃で攻撃の手を緩めさせるには充分だ。
 辰一は果敢に結界師にも飛沫霊にも斬りかかっていく。泰山の能力は、さすが御神刀というところか。
 桜華は結界師の操る水に当たりそうになる前衛を補佐しながら、隙をうかがう。――中央部はどこだ?
 アリスは『土』属性を活性化させながら、さらに謳を謳う。
 五行相生にのっとれば、『土』属性をさらに活性化させるのは『火』だ。
 アリスは『土』属性を活性化させながら、さらに『火』を活性化させるための謳を重ねて。
 ひとりハーモニー。戦闘の場に不思議に似合う美しい小さな娘の歌声。
 ――飛沫が思い切り飛び散って、一番後衛にいたアリスのところまで飛んできた。
 悪霊が一気に発生する。しかしアリスの一番傍にいることで、一番活性化されているアンジェラが、それを撫でるようにして綺麗に消し去った。
「結界師、残り5体――」
 ひとり飛沫霊をまったく意に介せず結界師だけを消滅させていた一輝が冷静にそうつぶやいた時。
 5。
 その数字がキーとなって。

 川が爆発した。

 川面が荒れに荒れる。飛沫が飛び交う。それに伴って大量の霊が発生する。
 それが、残り5体の結界師を護るように囲む。
「ちっ――」
 隼人が次々と銃を連射した。霊たちの体は一瞬飛沫に戻り、また霊として復活する。
 桜華は今残っている結界師たちのいる場所が、最終的な結界ポイントだと判断した。しかしそこに行くまでに骨が折れそうだ。
 川はさらに荒れる。前衛の者たちが次々に水を浴びる。毒気のあるそれに、体がしびれて動きが鈍くなる。
「五行の力を増幅させたか……厄介な」
 一輝はどこまでも冷静だ。
「5を飛び越えて一気に4とか3とかに出来りゃ良かったのかもなあ」
 桜華ががりがりと首の後ろをかいて、一輝に冷たい目で見られた。“何もしていないくせに何を言う”という目だ。
「すまんすまん」
 桜華は軽くその視線を受け流し、そしてぽきぽきと手を鳴らした。
「――これから今までアシストだった分、取り返すからよ」
 中央部さえ分かれば。

 桜華はまず、隼人の作った凍った足場の上で、水を浴びて動けなくなっている辰一、甚五郎、夏炉を岸へと戻した。
 そして最後にクルールを――
 引っ張って、岸に戻しながら。
「……あのな、クルール」
「な……なんだ……」
 毒気が抜けず、震えた声になるクルールを見て、桜華は軽く目を伏せた。
「クルールの事だから大丈夫だとは思ったんだが……やっぱ勢いで誘ったのは拙かった、御免な」
「………?」
「さてと、行くか」
 はあっと、体の奥底からの力を表面に湧き立たせて――
 アリスのハーモニーが聴こえる。
 桜華が、飛沫霊たちに向かってつっこんだ。
「桜華!」
「桜華さん!」
 クルールとエピオテレスが叫ぶ。
 しかし桜華の湧き立たせた邪気とパワーは、周りの霊たちを軽く凌駕した。
 素手で周囲の飛沫霊たちを叩き潰す。体が傷つくことなど構いはしない。毒気にも慣れた。
 拳を叩き込み、回し蹴りで蹴り飛ばし、徐々に飛沫霊たちが囲っている結界師たちに近づいていく。
 体が傷ついても、構わない――
「桜華……!」
 クルールが苦しそうに呼ぶのは、何故だ?

「いかんな」
 一輝が状況を見てあごに手をかけた。
「――川面の荒れが元に戻らん」
 アリスが必死で謳う。6騎の天使型サーヴァントはさらに味方の能力を上げる。前衛の者たちのしびれが解ける。辰一や夏炉が再度川に近づこうとする。
 しかし川面は次々と飛沫を上げ続け――
 霊が、桜華の体を覆い隠した。
「桜華ーーー!」
 クルールが叫ぶ――

 その時。

 川の水が――途切れた。

 ■■■ ■■■

「水、らしく飛沫によって力を増幅、か」
 冥月は唇の端をにやりとあげて笑った。
「なるほど護衛がいるわけだな」
 ケニーが淡々とそれに応えた。
 銃声が、絶えることなく鳴り響いている。冥月より川寄りの場所を歩きながら、ケニーは無造作に手にした拳銃のトリガーを引いていた。
 彼はほとんど川の方を向いていない。けれど、飛沫によって生まれた小さな霊たちは確実にしとめられていく。
「……お前に退魔の能力がないということが信じられなくなってくるな」
 冥月は呆れてケニーの拳銃さばきを見ていた。
「弾の効果なものでな。……限界がある」
「まあ人間の異能にも限界はあるだろうが」
「あなたにはないだろう」
「基本的にはな」
 さて、と冥月は立ち止まった。
「……結界の外に来たな」
 ケニーがつぶやいた。
「何をする?」
「決まっている」
 冥月は薄く笑った。そして、川岸から退いたケニーに代わって川に寄り――
 影を展開させた。
 川を遮断。そして、水は影内に吸収。
 ケニーは軽く拍手をした。
 冥月はけろっとした顔をしている。
「今頃下では騒ぎになっているだろうが……」
 青年は腰に片手を当ててくっくと笑う。
「こんな大がかりなことを顔色ひとつ変えず行う。大したものだ」
「こういうことは却って大がかりと言わないものだ、ケニー」
「そうかもしれないな」
 そうして、ケニーは再び煙草を取り出す――

 “大がかり”ではない“大がかり”な作業は、これほどのん気に行われていた。

 ■■■ ■■■

 上流から流れてくる水が、なくなった――
「これは……冥月さん? 兄様?」
 エピオテレスが呆然とつぶやいた。
 飛沫霊たちはまだ残っている。だが、
「おらよっ!」
 内側に閉じ込められた桜華の回し蹴りで簡単に消え去るほどに、弱体化していた。
 ここぞとばかりに、アリスが謳うトーンを高める。
 辰一と甚五郎、夏炉にクルールが一斉に飛びかかる。
 隼人が銃を連射した。飛沫霊は、弾に当たると同時水に戻って消えた。
 結界師が見えてくる――
 瞬間、一輝が動いた。
 結界師が1体、一瞬で消えた。
「え……っ!?」
 結界師に泰山を振りかざそうとしていた辰一が驚いた声を出す。
 陰陽道にのっとって、5人になることでさらに能力を上げていたはずの結界師が、いとも簡単に――
 エピオテレスが隙を見て、高めに高めていた魔力を解放する。
 『土』の魔力を乗せた竜巻。飛沫霊たちを撫でていき、飛沫霊たちは消滅――
 結界師たちが裸になった。
 今、水という危うい足場はない。
 結界師たちの宿主もない。
「はああああああっ!」
 クルールが、何かの鬱憤を晴らすかのように地を蹴った。
 辰一が泰山を薙ぎ、甚五郎が体当たりし、夏炉が土袋を振り回し、アリスの謳声が聴こえ、桜華の渾身の打撃が放たれ、隼人の銃が連射され――

 ぱあん……と

 あぶくのように

 弾けるように

「ポイント――ここか!」
 不自然にひょろ長く川底から立っていた氷の柱を、桜華が叩き折った。
 ばりいっと、その場に軽い衝撃が走った。前衛の人間がこれから来るものに耐えるために身構える。
 ぱり……ん
 ぱりん
 ぱりんぱりん
 凍りついた薄い板のように。『水』の結界が砕けていく。
 電撃のような衝撃が破裂する。耐える。耐える。耐える。――……
 結界ポイントの一番近くにいた桜華が、その衝撃すべてを受けようとするかのように、何もないそこを抱き込んだ。
 桜華の体が弾けるように凍てついた。
「桜……!」
 クルールが手を伸ばそうとしても、衝撃が彼女の動きを留めてしまう。
「サーヴァント!」
 アリスが謳う合間に天使型駆動体を操って桜華の防御力を高める。
 そして、
 やがて結界が、静かに……

 ■■■ ■■■

「結界が消えたぞ」
 ケニーが軽く視線を川下にやった。
「一気に水を流せば、川下の連中が流されて溺れるな」
「気を遣わせるな、まったく」
 自分でやっておきながら、冥月は文句を言って、
 影から少しずつ――水を流し始めた。

 ■■■ ■■■

「水が戻ってきます! 皆さん、川からどいて……!」
 辰一が夏炉の土袋をとっさにかつぎながら川岸へ飛び乗る。
 夏炉と甚五郎はすぐに辰一にならった。
 クルールは――
 桜華の手を引いて、川岸へと引っ張り上げた。

 やがて上流から一気に川の水が戻ってくる。

 アリスは上流に向かって謳を謳った。
 浄化の謳だ。川に聖なる力を宿して、悪霊が戻ってこられないよう楔を打っておく。
 結界復活の時間稼ぎには充分なように。
 エピオテレスが属性を重ねて、熱風を優しく送る。
 水に濡れていた人々の服を乾かすために。
「これで……」
 夏炉が、腰に手を当てて、胸を張り告げた。
「『木』と『水』の結界、破壊終了」
 遅れて上流から、冥月とケニーが戻ってくる――

 ■■■ ■■■

「次は『金』か――」
「南西の――」
 夏炉は苦笑した。「博物館の中」
「博物館ん!?」
 クルールがうんざりした声を出す。「どうやって戦うのさ」
「困りましたね……」
 辰一が吐息をつく。
 桜華が腰に両手を当てて、
「……先の戦いで想ったが、人一人を閉じ込めるにしては随分と気合の入った結界だな?」
 夏炉が桜華を見上げる。
「結界の主にしても、姫様にしても、分からん事が多い。ちぃと、用心しとくか」
「……3つ目の結界まで崩せば、結界内も大分分かってくると思うわ」
 夏炉がつぶやく。
「あたしの関係者だっていうんなら、きっちりあたしが落とし前つけなきゃ」
 少女のつぶやきに、彼女の肩にもう1人の少女が腕をかけた。
「肩、張りすぎ。あたしたちをもう少し信用しなよ」
 クルール。同い年の彼女の言葉と、自分を取り巻いている助っ人たちの気配に、夏炉はやがて少しだけ微笑んだ。

 ■■■ ■■■

 冥月はケニーに向かって、「お前は今後もずっといる必要はないからな」と言った。
「そもそも人数過多は却って問題を起こす」
「分かっている。特に俺は、場合によってはいても仕方ないからな」
 身の程をわきまえている彼に、冥月はいたずらっぽく笑った。そして彼の胸を軽く腕で押した。
「今回は、助かった」
「どうも」
 知り合い以上友人未満。仲間以上相棒未満。
 それが、彼女と彼のあり方。
「ところでお前の料理は私も食べたことがない。今度食べさせろ」
「構わんが。俺はどちらかというと西洋料理だ」
「……中国人の客のために中華料理を出そうとは思わんのか」
「テレスに任せれば何とかなるんでな」
 冥月は嘆息した。
「期待した私が悪かったのか……」
「作れんわけじゃない」
 ケニーはすまして言った。「ただ、保証はできん」
「……お前、シェフには向いてないな」
「だからやっていない」
 それもそうだ、と冥月は思った。
 でもまあ、今度一度くらいこのわがままなシェフのお手前を拝見してもいいか――
 冥月は口笛を吹きながら、前に進む――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2029/空木崎・辰一/男/28歳/溜息坂神社宮司】
【2778/黒・冥月/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【4663/宵守・桜華/男/25歳/フリーター/蝕師】
【6047/アリス・ルシファール/女/13歳/時空管理維持局特殊執務官/魔操の奏者】
【7307/黒澤・一輝/男/23歳/請負人】
【7315/仁薙・隼人/男/25歳/傭兵】

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■         ライター通信          ■
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黒冥月様
こんにちは、笠城夢斗です。
いつもありがとうございます。
今回も、大幅にお届けが遅れてしまい本当に申し訳ございません;
今回は連れて行くNPCを誰にするかで迷いましたが、ケニーを選択させて頂きました。
そして出番は少なめです;不満でしたらすみません。
結界はあと3つです。よろしければ、次回もお会いできますよう