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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


トキメキ病人看病 〜 manteau noir 〜



 草間武彦はその日、受話器を握り締めたまま必死に脳味噌をフル回転させていた。
 今ではツーツーと言う素っ気無い音が出ているここからは、つい先ほどまで低く落ち着いた男性の声が流れていた。
「おっさん、今からそっち行っても良いか?」
「どうしたんだ神崎。依頼か?」
「あぁ。本来なら俺達がやるべきなんだろうけど、生憎全員が出払ってて、俺も今から出なきゃならない」
 東京下町にある夢幻館。そこに住まう神崎魅琴からの依頼に、武彦は身を引き締めた。
「忙しいのなら、電話で内容を聞こうか?」
「いや、コレを持ってかないと話にならないからな」
 つまり、何か預けたいものがあるのだろうか?
 武彦の頭の中に、いくつかのパターンが浮かぶ。
 曰くつきの品物を誰かに渡す、曰くつきの品物を誰かから守る、曰くつきの‥‥
「とにかく、急ぐんだ。おっさん、俺が行くまで興信所にいてくれよ」
「勿論だ」
 今日は数人依頼主が訪れる予定になっているが、キャンセルする事になるかもしれない。
 すぐに行くと言い残して切れた受話器を片手に、武彦は呼ぶべき人の名前を検索していた。
 こういうことに強い人材となると‥‥
 番号をプッシュする。
「もしもし、俺だが‥‥今から出てこられないか?少し、厄介な事件が舞い込みそうなんだ」



 対の概念が対立することなく自然に存在する夢幻館には、外見年齢高校生の支配人を始めとして、おかしな人々が住んでいる。
 美形ながらもやられキャラで、常識人だと豪語している割には抜けている男。
 整った顔立ちなのに、男女構わず綺麗な人や可愛い子は好きと言って過剰スキンシップに走ろうとする男。
 無邪気な皮を被った悪魔、変なスイッチが入るとぶっきらぼうになる男、病弱なのに体内に恐ろしいものを宿している男。
 そんな中でも、片桐もなは特別に変な子だった。
 見た目は小学生、茶色と言うよりはピンク色に近い髪を頭の高い位置で2つに結んでおり、着る洋服はいつだってフリフリのひらひら。人に抱きつくクセがあり、人の名前にちゃん付けをするのが彼女流。
 天然ボケで可愛らしく、何をされてもシュンとなって謝られれば許してしまおうと言う気にさせる彼女は、普段はロケットランチャー片手に元気に走り回る、スーパー馬鹿力少女なのだ。
 小さく華奢な彼女のどこからそんなパワーが出るのかは疑問だが、未だに解明されていない。
 で、そんな元気な彼女は現在‥‥神崎魅琴の腕の中でぐったりしている。
 ちなみに神崎魅琴は整った顔立ちなのに男女構わず〜と書いてある部分に相当する人なわけで、もし貴方が綺麗な人・可愛い人な場合、道で出会ったしまった時はダッシュで逃げる事をお勧めする。
「おっさん、頼んだぜ」
 上気した顔はいかにも熱がある風で、苦しそうな荒い呼吸は熱い。
 普段ならば膝上スカートをはいているもなだったが、今日ばかりは足首まで裾があるネグリジェを着ている。
 魅琴がソファーの上にもなを下ろし、腕に下げていた大きなバッグから毛布を取り出すと、彼女の上にふわりとかける。
「いや、頼んだって‥‥何を?」
「コレを」
 長い指が、もなの頭に向けられる。
「曰くつきの物は?」
「何の話だ?」
 キョトンとした魅琴の顔を見て、彼が一度も依頼の詳細を語っていなかった事に気づく。コレを持ってかないと話にならないと言っていたからうっかり物だと思っていたのだが、彼の場合は者でもコレで括ってしまう横暴さがある。挙句彼はもなを抱っこしてきたわけであって、彼の中では連れて行くというより、持って行くと言う感覚だったのだろう。ニュアンスで喋る悪い例だ。
 早とちりをしてしまった自分の失態だと、武彦は小さく舌打ちすると気分を切り替えた。
「片桐はどうしたんだ?」
「風邪引いたんだ。俺はよく知らないんだけど‥‥おっさんも関係してるんだぜ?」
「俺も‥‥?」
「この間、迷い猫探しの依頼をもなに回しただろ?こいつ馬鹿だから、雨降ってる中傘もささずに一晩中猫探してたんだ。その働きのおかげで見つかったのは良いんだが、ぶっ倒れてな。冬弥が猫を届けにきただろ?」
「あぁ‥‥。そうか、すまない事をしたな」
 潤んだもなの瞳と目が合う。随分熱が高そうだが、依頼を回したのは3日も前のことだ。
 ずっと高熱にうなされているらしいもなの顔を見て、武彦の胸が痛まないはずはなかった。
「おっさんのせいじゃねぇって。コイツが馬鹿なだけ。『猫ちゃん迷子になって心細いよね、早く見つけてあげなきゃ』とか、意気込みすぎなんだよ」
「分かった、引き受けよう。いつ迎えに来るんだ?」
「明日になんねーと無理なんだ。朝か昼か、誰か迎えに来ると思うから。それまで頼んだ」
 了解したと頷き、魅琴が興信所の扉を出て行くのを確認すると、武彦はもなの頭をそっと撫ぜた。
 結ばれていない髪はだらりと背に垂れており、今日は笑顔もない。
「大丈夫か?」
 武彦が優しく声をかけた瞬間、もなの小さな手が服の裾を掴んだ。
「武彦ちゃん、のど‥‥渇いた‥‥」
「あぁ、待ってろ、今何かを用意して‥‥」
 行きかけた武彦の裾を強く引っ張るもな。振り向いてみれば、涙をいっぱいに溜めた目が武彦をじっと見つめている。
「武彦ちゃん、もなのこと1人にするんだ‥‥おいてっちゃうんだ‥‥」
「え?いや、あのな、俺は飲み物を‥‥」
「あ、そうだ、言い忘れてたけど‥‥」
 ガチャリと扉が開き、魅琴が顔を覗かせる。
「熱が高い時のそいつ、泣き上戸で我が侭で甘えん坊で、傍から少しでも離れると泣き出すから気をつけてな」
「ちょっと待て、それじゃぁ何も‥‥」
 バタリと扉が閉まる。武彦の悲痛な訴えを聞きたくなかったからではなく、単に急いでいるからのようだ。
 1人では世話しきれないと感じた武彦だったが、誰かに応援を頼もうにも電話は部屋の隅、携帯にいたってはデスクの上だ。
 絶体絶命の大ピンチにパニック寸前になった時、突如として興信所の扉が開き、見知った顔が入って来た。
 思い返してみれば、魅琴から連絡を貰った時に早とちりをして数人に電話をかけてしまったのだ。
 武彦はその時の自分の行動を賞賛するとともに、折角やってきた人物を逃がさないためにも、手招きをするともなが倒れているソファーの前に立たせた。
「病気で苦しむ1人の少女がいます。さぁ、貴方ならどうしますか?」
 ―――解説調で言ったのも、勿論作戦の内だ。



* * *


 厄介な依頼が舞い込んだらしい。そんな武彦からの電話を受け、シュライン・エマはクリスマスカラーに染まる街を草間興信所に向けて歩いていた。
 電飾の灯ったツリーに、雪の結晶が描かれたショーウィンドウ。商店街の屋根には真っ白な袋を持ったサンタさんが、にこやかに街行く人々を見守っている。
「もうすぐでクリスマスね‥‥‥」
 ポツリ、呟いた言葉は白い帯となって後方に流れて行く。
 吹いた風に身を縮める。賑やかなクリスマスソングがシュラインの耳に止まり、何となく心の中で歌を歌う。
 首に巻きついたマフラーに顔を埋め、葉の落ちた街路樹を見上げながら歩く。
 ――― それにしても、曰くつきの物って何かしら‥‥‥
 武彦は、依頼主は夢幻館だと言っていた。
 ――― 夢幻館で曰く付き物も‥‥‥想像するのが難しいわ‥‥‥
 そもそも、そう言ったものが何かの弾みにあの館に迷い込んできてしまったとしても、あそこにいる住人達ならば難なく対処が出来そうだ。わざわざ武彦に依頼しなくても良いように思う。
 ――― 電話をして来たのは神崎君だって言ってたわよね‥‥‥?
 神埼・魅琴は、一度夏に会った事がある。
 綺麗な外見と、それに似合わぬ口調。性格も、少々飛んでいるらしい‥‥‥言ってしまえば、夢幻館の住人らしい。
 シュラインの頭に、チラリと物ではないモノが思い浮かぶが、フルフルと頭を振った。
 ―――まさか、そんなのって有り得ないわよね‥‥‥
 いくらなんでも、人を物扱いはしないだろう。
 そう否定してみるものの、相手は夢幻館の住人だ。それだけで、人を物扱いぐらいしそうだ。
 ――― でも、曰く付きではないし‥‥‥
 考えすぎよね。
 そう思った時、シュラインの目に雪の結晶と真っ白な羽の天使が飛び込んでくる。ショーウィンドウに描かれたイラストは愛らしく、覗いてみればウィンドウ越しに男物のコートを羽織ったマネキンが立っているのが見える。
 ――― 武彦さんに似合いそうね‥‥‥クリスマスプレゼントにどうかしら。
 入って見てみようか。
 一瞬そう思うが、今は興信所に行く方が先だ。
 シュラインは後ろ髪引かれる思いで興信所まで来ると、銀色のドアノブを回し、扉を開けた。
 相変わらず整理されているとは言いがたい興信所の中、複雑な顔をした武彦の姿を見つけ、シュラインはスルリと中に入ると頭を下げた。
「武彦さん」
「あぁ、シュライン‥‥‥」
「それで、曰く付きの物って‥‥‥?」
「ちょっとこっちに来てくれないか?」
 一瞬だけニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた武彦が手招きをする。
 ――― どうしたのかしら‥‥‥?
 そう思いつつも、シュラインは彼の隣に立った。
 そして ――――――
「病気で苦しむ1人の少女がいます。さぁ、貴方ならどうしますか?」
「もなちゃん‥‥‥」
「シュライン、ちゃん‥‥‥?」
 潤んだ大きな瞳がシュラインを見上げる。
 何処からどう見ても病人であるもなをこんなところに寝かしていた武彦に非難の視線を向ける。
「どうしますかじゃないでしょ、こんな所に寝かせて!」
「いや、でも、なんて言うか‥‥‥」
「仮眠室があるんだし、そこに寝かせてくれれば良かったのに‥‥‥」
「‥‥‥掃除が‥‥‥」
「まったくもう‥‥‥」
 雑多に物が積まれた興信所内を見渡し、シュラインは深く溜息をついた。
「それで、シュライン、曰く付きの品物の件だが‥‥‥」
「分かってるわ。武彦さんの早とちり、でしょう?」
 そうなんだと頷き、夢幻館から緊急の依頼を受けたこと、魅琴が彼独特の言い回しをしたために勘違いをしてしまったこと、確認もせずに連絡を入れてしまったこと、武彦は一気に全てを喋ると、パンと顔の前で両手を合わせた。
「すまん!だが、俺一人では荷が重い。だから‥‥‥」
「勿論、夢幻館の人が来るまで看病するわ。武彦さんに任せていたら、悪化させそうだもの‥‥‥」
 現に、こんなソファーに寝かせっぱなしなわけだしと、声には出さないながらも内心で呟く。
 膝をつき、もなの顔を覗き込むと額に手を当てる。
 ふぅと熱い息を吐いてシュラインをジッと見つめるもなの顔は、薄ピンク色に染まっている。
「結構あるわね」
「薬を用意するか?」
「いいえ。直りが遅くなるから、39℃前半になるまでは出来れば飲ませたくないわね」
「体温計は確か‥‥‥」
 ここにあったはずなんだが‥‥‥
 そう言いながらあっちこっちひっくり返していく武彦に、絶対今年中に大掃除をしようと誓うシュライン。
 やっと見つけた体温計をもなに手渡し、シュラインが仮眠室を片付けてくると言って立ち上がる。
「もなちゃんのこと、お願いね‥‥‥」
 言った直後、もなのか細い腕がかけられていた毛布を跳ね除け、シュラインのスカートの裾を掴んだ。
「どっか、いっちゃう‥‥‥の?‥‥‥もなを、一人にする‥‥の‥‥‥?」
 普段は一人称は“あたし”のもなだったが、今は熱で錯乱しているためか“もな”に変っている。
 どう見ても小学生程度の年齢にしか見えない彼女が、尚更幼く見える。
「ヤだよ‥‥‥もなのこと、一人にしちゃ‥‥‥ヤだよ‥‥‥」
 ウルリと目が潤み、涙が盛り上がる。上半身を起こしたもながシュラインに縋りつき――― はらりと、毛布が床に落ちる。
「もなちゃん、少し隣に行って来るだけだから‥‥‥ね?」
 イヤイヤをしながら、もながシュラインの腕をギュっと胸に抱く。細い肩が小刻みに震え、押し殺したような嗚咽が聞こえてくる。
「‥‥‥いなくなっちゃ、ヤー‥‥‥。ひとりは、ヤ‥‥‥ヤだよ‥‥うっ‥‥‥ひっく‥‥‥」
「扉も開けておくわ。もなちゃんから見えるように。だから、ね?」
 よしよしと背中を撫ぜ、武彦に視線を向ける。
「俺が片桐の相手をしておくから、シュラインは向こうを頼む」
「えぇ、そうしてもらえるかしら。片付いたら呼ぶから、それまでお願いね」
 武彦だけでは少々心配だが、彼も大人である以上子供の扱い方は分かっているだろう。
 ――― 今までにも、子供が相手の事件があったしね‥‥‥
「お願いね」
 もう一度念を押し、武彦がもなの相手をし始めたのを見届けると、ゆっくりと奥へと移動し、流しで雑巾を濡らしてから仮眠室へ入った。
 カーテンの引かれた部屋は薄暗く、仄かに煙草の臭いがする。
 シュラインは窓まで近付くと、カーテンを一気に引きあけた。窓の外は夕暮れ時で、オレンジ色に揺れる太陽は今にも地平に飲み込まれてしまいそうだ。黄昏時の空は、複雑なグラデーションに染まっており、シュラインは窓を開けると暫し空を見上げた。
 冷たい風が漆黒の髪を揺らし、シャンプーの甘い匂いを漂わせる。煙草の臭いが薄らぐまでは開けたままにしておこうと、窓を開けたまま部屋の奥のロッカーを開け、そこから箒とちりとりを取り出すとササっと床を掃いた。
 興信所内よりも汚れていない仮眠室は、あまり使われていないのだろう。ベッドは最近誰かが寝た形跡はなく、誰かが腰掛けた跡が残っているだけだった。
 ―――これなら、シーツを替える必要はないわね
 テーブルの上に積み重なっていた新聞や雑誌を綺麗にそろえ、部屋の隅に積み重ねる。少し埃が気になる部分を雑巾で拭き、シュラインは壁際に寄ると電気のスイッチを入れた。
 窓の外とは対照的にパッと明るくなった部屋は、ヒンヤリとした空気に包まれている。
 ―――もうそろそろ良いかしら
 シュラインはそう思うと、開け放っていた窓を閉め、カーテンを引いた。







 もなをあやしつつ毛布ごと抱きかかえ、ベッドに寝かせたシュラインはキッチリと毛布をかけなおした。
 部屋の隅で暖かい空気を吐き出し続けるヒーターを見て、武彦が興信所の方へ何かを取りに入る。
「もなちゃん、喉かわいてない?」
「うん、かわいた?」
 ――― 私にきかれてもわからないんだけれども‥‥‥
 苦笑しつつも、鞄からスポーツドリンクを取り出すと口元に持って行った。
 コクンコクンと飲むもなの髪をそっと撫ぜる。
 茶色と言うよりはピンク色に近い髪は細く、ダラリとベッドの上に広がっている。
「ちょっと‥‥‥ドアを開けてくれ」
 武彦の声に立ち上がり、ドアを開けてあげた先、小さな白い機械が目に入った。
 ――― なにかしら?
 首を捻ったその直後に、シュラインはそれが何であるのかに気がついた。
「加湿器なんて、うちにあったかしら?」
「あぁ。ちょうど貰ったんだ‥‥」
 パタンと扉を閉めた時、興信所のドアが開く音がした。
 ―――あら?お客さんしら‥‥‥?
 武彦に声をかけようとしたが、彼はこちらに背を向けて加湿器をセットしている真っ最中だ。
「武彦さん‥‥‥」
 呼びかけた時、シュラインの背後で扉が開いた。
 振り返ってみれば、夕焼け色の瞳をした女の子が目を丸くして立っていた。
「真帆ちゃんさん!?」
「お久しぶりです!今日は武彦さんに呼ばれてきたんですけれど‥‥」
 あぁそうだった‥‥‥と呟いた武彦が、急いで状況を説明する。
 真帆が部屋の中に入り、ベッドの上でグッタリと力尽きているもなを見つけ、目を伏せる。
「もなちゃん‥‥‥」
「明日の朝か昼まで、うちで預かる事になったんだ」
「熱が高そうですね‥‥‥」
「39℃ないくらいだ。シュラインにここの片付けを頼んでいる間測ってたんだが、確か38,6℃だった」
「可哀想‥‥‥」
 真帆が膝を折り、もなの顔を覗き込む。
 明日は学校もないですし、今日はずっとここにいますと言う真帆は、学校帰りに直接来たらしく、チョコレート色のセーラー服のままだった。
「あとで着替えに帰りたいんですけれど‥‥‥」
「私もあとでお買い物に行きたいと思っているんだけれど‥‥‥」
 一緒に行った方が良いかしら、それともどちらか片方ずつ行った方が?
 そう尋ねようとした時、興信所の扉がまたしても開く。今度は武彦も分かったらしく、腕時計を見て「あっ」と声を上げると渋い顔になった。
「依頼人が来るの、すっかり忘れてた‥‥‥」
「そうだわ、確か武彦さん、今日はこの間の事件の結果を聞きに、近藤さんも来るんじゃなかった?」
「あー!そうだ‥‥‥しまったな‥‥‥」
 頭を掻いて、どうしようと呟く武彦だったが、まさか依頼人を追い返すわけにはいかない。
「もなちゃんのことなら、私に任せてください!」
 頼もしい真帆の言葉に、武彦が「すまない」と言って頭を掻く。
「‥‥‥そう言えば報告書、ここに置いたままだったんだが‥‥‥」
「テーブルの上に置いてあったのなら、あっちに置いたわ」
 待たせきりでは悪いと思い、お茶出しに興信所にとって返す。
 40代後半と思しき紳士にソファーを勧め、台所でお茶を淹れていると武彦が依頼人の前に座り、なにやら話し込む。
 ――― そうだわ、もなちゃんに温かいものでも‥‥‥
 飲んでくれるかは分からないが、お客様に出すついでにともなの分の番茶も入れる。
「どうした、何かあったか‥‥‥?」
「あ、いえ、ただちょっと‥‥‥何か飲み物でもと‥‥‥」
 興信所からそんな声が聞こえ、真帆が顔を覗かせた。
「丁度良かった。今からそっちにお茶を運ぼうとしていたところだったの」
「私も同じこと考えてました」
「もなちゃんの様子はどう?」
「今は“ここあ”と“すふれ”に夢中です」
「“ここあ”と“すふれ”?」
 真帆の使い魔だという2匹は、ツートンカラーのウサギのぬいぐるみなのだと言う。
 ――― 可愛らしい使い魔なのね
 そう思いつつ、お客様と武彦にお茶を出し、仮眠室に向かう。
 真帆が扉を開けてくれ、スルリと部屋に入り、小さな啜り泣きの声に驚く。見ればベッドの上では三角座りをしているもなを励ますべく白いウサギのぬいぐるみの“すふれ”と黒いウサギのぬいぐるみの“ここあ”がワタワタとしており、遠目にもその必死さが伝わってきた。
「もなちゃん、どうしたの!?」
 トレーをテーブルに置き、もなの元へ駆け寄る。
 長い髪で顔は見えないが、震える肩が痛々しい。ベッドに腰掛け、シュラインは小さな背中をそっと撫ぜた。
 真帆がベッドサイドにしゃがみ、どうしたの?と聞いてみるも、泣いているだけで答えない。
 どうしたら良いのかしら‥‥‥思わず目を合わせ、顔を曇らせる。
 ――― どうして泣いていたのかしら‥‥‥?
 何か寂しい事でも思い出してしまったのだろうか?それとも、熱が高くて辛いのだろうか?それとも―――
 瞬間、どうしてもなが泣いているのか、理由が分かった。
「ごめんねもなちゃん、一人にさせて‥‥‥」
 もなが顔を上げ、涙に濡れた瞳をジっとシュラインに向ける。
 頬を流れる涙を拭い、優しく頭を撫ぜる。もなが足を抱えていた手を解き、シュラインに抱きつく。
「あ‥‥‥1人にさせちゃったから‥‥‥なの?」
 真帆がツートンカラーのウサギに問い、可愛らしく賢い使い魔はコクコクと頷いた。
 ――― それにしても、どうしてもなちゃんは一人にされるのを嫌がるのかしら‥‥‥?
 微かな疑問が浮かぶが、もなに聞かないことには分からない。
 ――― 今のもなちゃんにそんなこと聞けるわけないし‥‥‥
「‥‥‥のど、かわいた‥‥‥」
 掠れた声に、思考を中断する。
 シュラインに抱きついているうちに落ち着いたのか、顔には笑顔が浮かんでいる。
 程よく冷めたコップを真帆が手渡し、自分も一口番茶を飲む。
 ―――良かった‥‥‥
 ご機嫌でお茶を飲むもなに安心する。それは真帆も“すふれ”と“ここあ”も同じようで、胸を撫で下ろしているのが分かる。
「おいしー‥‥‥」
「もっと飲む?」
 ふるふると頭を振り、途端に瞳が潤み始める。
「いっちゃ、ヤー‥‥‥」
 消え入りそうな声に、シュラインは慌ててコップをテーブルの上に置くと、どこにも行かないと力説した。
 クシュンと可愛らしいクシャミをしたもなをベッドに横たえ、肩までキッチリ毛布をかける。
 ボーっとしていた瞳がだんだん濁り始め、ウツラウツラし始める。
 トロリとした目がゆっくりと瞑り―――――パっと開くと、目をこすった。
「もなちゃん、寝た方が良わよ」
「そうだよもなちゃん。眠らないと‥‥‥」
「イヤ!」
「どうして?」
「‥‥‥おきたとき、誰もいないから‥‥‥」
 頑なな瞳は、微かに悲しみを宿している。
「ちゃんといるわよ。‥‥‥でも、そうね‥‥‥眠るのがイヤなら、目を閉じるだけでどう?それだけでも、随分違うから」
 そっと手を撫ぜる。“ここあ”と“すふれ”がもなの傍に寄り、横たわる。
 目を閉じては開け、閉じては開けを繰り返し、その間隔がだんだん長くなる。
 カチャリと扉を開けて入って来た武彦が、もなの様子を見て口を閉じる。
「‥‥‥武彦ちゃん?」
「すまない。起こしたか?」
「ううん。もな、寝るのヤだから」
 武彦が入るのと入れ替わりに、真帆がコップを手にスルリと部屋を出て行く。
『私、コレ洗ってきますね』
 声を出さない言葉に頷き、こちらも声は出さずに『ありがとう』と伝える。
「さっき、依頼人が帰った」
「そう‥‥‥」
 小さな声は、もなの耳には届いていないらしい。ボンヤリとした目を宙に彷徨わせながら、シュラインと繋いでいないほうの手で“すふれ”と“ここあ”をしっかりと胸に抱いている。
「どうだった?」
「‥‥‥それを聞くか?」
 泣き笑いのような表情。
 辛い結果でも淡々と報告する武彦だったが、感情が死んでしまっているわけではない。悲しい報告をするのは、やっぱり辛い。
 それでもプロとしての意地で、表情は決して変えない。
「あなたのせいじゃないわ」
 思わず声をかける。
「そんなの分かってる。こんな依頼でいちいち心を痛めてたら、やってけないだろ?」
 ――― それでも、心を痛めているのよね?
 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
 シュラインも調査に携わった依頼は、悲しい結果に終わった。
 ‥‥‥調査に加わった誰もが感じていたことだけれども‥‥‥‥
 けれどやはり、結果として出てきてしまうと辛い。いくら分かっていても、感情で分かる事は難しい。
「後は警察に引き継いでもらう事にした」
「そう‥‥‥」
「うぅん‥‥‥」
 もなが低く唸り、どんよりとした目を2人の向ける。
 いつの間にか少し眠っていたらしい彼女は、部屋の中をグルリと見渡すとサッと顔色を変えた。
「真帆ちゃんは?」
「えっと‥‥‥」
 コップを洗いに行っているのよ。そう続くはずだった言葉は、突然もなが起き上がった事によって紡げずじまいだった。
「どうして‥‥‥みんな、ひとりにするの‥‥‥?」
 押し殺したような声は、悲しみだけでなく―――強い憎悪も滲ませていた。
「もなちゃ‥‥‥」
 立ち上がり、フラリとよろけながらもドアに向かう。
 覚束ない足取りのもなを武彦が捕まえ、シュラインもそれに手を貸す。
 この体型に似合わぬ馬鹿力を持っているもなだったが、流石に今はそんな力も出ないらしい。
 暫くジタバタしていた後にグッタリと力尽き、ぐっしょりと濡れた背中に驚く。
「武彦さん、替えのパジャマか何かないかしら?」
「‥‥‥零のを持ってくる」
 ついでに樋口も呼んで来ると言って出て行く武彦の後を追おうとするもなを何とか押し止める。
「もなちゃん、真帆ちゃんも武彦さんも直ぐに帰ってくるから。ね?」
 そういって宥めていると、扉が開き、タオルを持った真帆が入って来た。
「これを持って行くように草間さんに言われたんですけど‥‥‥」
「助かるわ」
 2人がかりで汗を拭き、途中で武彦が持ってきたパジャマを着せる。
 どうやら零の部屋を引っ掻き回してきてしまったらしい武彦が片付けのために戻り、もなが「武彦ちゃん、行っちゃヤー!」と超音波張りの高音で叫ぶ。
「武彦さんのところに行きたいなら、服を着替えないと。ね?」
 背中にタオルをいれ、なんとか着替えさせ終わったシュラインと真帆がほっと一息つく。
 着替えをさせるだけでも大騒ぎだったもなが、真っ赤な顔をしてグッタリとしており‥‥‥慌ててベッドに寝かし、毛布をかける。
 丁度零の部屋の片付けを終えて戻ってきた武彦が、シュラインの素早い動きに心配になってもなの顔を覗き込み――― 意識が朦朧としているらしきもなが、細く目を開けると毛布を跳ね除けて右手を出し、武彦の袖口を掴んだ。
「‥‥‥ぱぱ‥‥‥」
「パ‥‥‥」
「武彦さん!」
 病人の耳元で叫び声を上げそうになる武彦を、シュラインがキツク、けれど小さな声で諌める。
「ち‥‥違うんだシュライン、片桐は俺の隠し事か、そんなのなくて‥‥」
「なに焦ってるのよ武彦さん。もなちゃんが武彦さんの子って、そんなことあるわけないでしょう」
 思わず溜息をつき、前髪をパサリと横に払う。
 武彦の必死の様子についつい吹き出してしまった真帆が、すみませんと小さく謝りながら言葉を紡ぐ。
「く‥‥草間さん、も‥‥もなちゃん、じゅ‥‥16歳、ですから‥‥」
 もし武彦がもなの父親だとしたら、14の時に生まれていなくてはならない計算になる。中学生で一児のパパ‥‥早すぎる。
「ち、違うんだって!ほら、片桐は見た目小学生だし、その‥‥なんと言うか‥‥」
 顔を背ける。耳まで赤くなっているところを見ると、相当照れているらしい。
「とりあえず、もなちゃんは眠っちゃってるみたいだし‥‥ここは武彦さんに任せても良いかしら?」
「あぁ、別に良いけど‥‥‥2人で行くのか?」
「どうしようかしら‥‥‥。もし真帆ちゃんが良ければ、一緒に買い物に来てほしいんだけれど‥‥‥」
「良いですよ」
「良かったわ。今日は特売日だから、沢山買わないといけないし‥‥卵が安いんだけれど、お1人様1点限りなのよね」
「分かります!牛乳とかも、お1人様1本限りなんですよね!」
 そうなのよねと、話が合う2人。いつもならば零と一緒に行っているのだが、今日は彼女の姿は見えない。
「それじゃぁ、まず真帆ちゃんの家に寄って、それから買い物に行きましょう」
「はい!」
 真帆が元気よく言い、慌てて口を押さえる。
 もなが起きていないのを確認し、シュラインは真帆と一緒にそっと興信所を後にした。



* * *



 チョコレート色の制服から真っ白なセーターと赤いチェックのミニスカートに着替えた真帆と共にスーパーへと向かう。
 小ぶりの真帆の鞄にはプチ旅行セットと風邪によくきくというハーブティーの缶、そして来週の月曜日に提出期限の課題が入っているのだと言う。
「プチ旅行セット?」
 どんなものなの?
 シュラインの問いに、真帆が鞄を開けて小さなポーチを取り出すと中を広げる。
 依頼などで短期の遠出をする時―――1日は外にいなければならない依頼の場合 ―――に大活躍していると言うプチ旅行セットは、歯ブラシやシャンプー・リンスなど、必要そうなものがミニセットとなって入っていた。
 マフラーに顔を埋め、女同士とりとめもない話をしながら歩く。
 相変わらずクリスマスムード一色の町並みをボンヤリと眺めていると、興信所に来る前に見かけたあのお店を見つけ、ふと足を止めた。
 ショーウィンドウには雪の結晶と真っ白な羽の天使が描かれているお店の中、あのコートはまだマネキンにかかっていた。
「真帆ちゃん、ちょっとココ見て良いかしら?」
「えぇ、良いですよ」
 ウィンドウ越しに覗いただけでは何屋さんか分からないそのお店は、洋服以外にもシステム手帳などのファンシーな雑貨やカレンダー、化粧品なんかも置いてあった。
 強いて言うならば、何でも屋さん、だろうか―――――?
 自動ドアから中に入れば、暖められた空気が優しくシュラインの身体を包み込んだ。甘い匂いに視線を左右に振れば、おいしそうなケーキやクッキーがガラスケースの中で大人しく座っている。
「クリスマスが近いけれど、真帆ちゃんは誰かにプレゼントあげたりしないの?」
 ふと思いついた事を口に出してみれば、真帆は「えっと‥‥」と行ったきり口篭った。
 言葉を探しているらしい真帆をそのままに、シュラインはショーウィンドウから見えた男物の黒のロングコートをまじまじと見た。
 シンプルながらもボタン部分や襟部分にデザイナーのこだわりが感じられるコートは、クールでお洒落だった。
 ――― やっぱり、良いわよねコレ‥‥‥
 後ろを振り返れば、ふっと表情を緩めた真帆と目が合う。
 どうしたのかしらと眉を顰めれば、真帆が突然ワタワタとしだし、しどろもどろに言葉をつむぎ始めた。
「私は‥‥特にあげる人もいないですし‥‥あっ、でも、学校の女友達数人でプレゼント交換しようかって話は出てるんです。そっちはもう用意してありますし‥‥」
 女の子同士のプレゼント交換も楽しそうだけれど‥‥‥
「そう言うのじゃなくて、真帆ちゃんは‥‥気になる男の子とか、いないの?」
 苦々しい表情で首を振る真帆。
 目まぐるしく何かを考え込んでいるらしく、視線があっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。
 ――― 誰の事を考えているのかしら?
 そう思ったとき、真帆がバッと顔を上げた。
「いっ‥‥‥いませんよ!それに、クリスマスになんて会えないでしょうし、そもそも、いっつも忙しそうですし‥‥」
「誰が?」
 やっぱり誰かの事を考えていたのねと思い、反射的にそんな返しをしてしまう。
「違うんです!その、あの、えっと‥‥ちょっと思い出した男の子がいて‥‥何で思い出したのかは分からないんですけど、その‥‥‥あっ、そうだ‥‥‥もなちゃん!もなちゃんにクリスマスプレゼント買おうかなと思うんですけど!」
「そうね。私も武彦さんと零ちゃん、それからもなちゃんに何か買おうかしら」
 ――― そこでもなちゃんが出てきたって事は、夢幻館の子なのね‥‥‥
 クスリと微笑み、ぬいぐるみが置いてあるコーナーへ進む。
 顔を真っ赤にした真帆がシュラインに続き、真っ白なウサギのぬいぐるみを手に取る。
「零ちゃんにはエプロン、武彦さんにはコート。もなちゃんには‥‥あぁ、このネックレスなんて可愛いと思わない?」
 シルバーの天使の羽が、蛍光灯の光りを鋭く跳ね返す。少し大人っぽいデザインだったが、もなには似合うと思う。
 真帆も同じ考えだったようで、にっこりと微笑むと「凄く可愛いと思います」と感想を言った。
 真帆が可愛らしいぬいぐるみ達の中から、真っ白な犬のぬいぐるみを手に取る。ふわりとした毛並みは柔らかく、抱いているだけで幸せな気分になれそうだった。
 ――― 真帆ちゃんが誰の事を思っているのか分からないけれど‥‥‥
 今日武彦が結果を報告した依頼内容を思い出し、シュラインは口を開いた。
「‥‥‥ねぇ、真帆ちゃん。少しでも気になる人がいるなら、何か贈ってみたらどうかしら」
「え‥‥‥?」
 大きな目を更に大きく見開き、真帆がぬいぐるみから顔を上げる。
「行動を起こさないで後悔するのと、行動を起こして後悔するのだったら、後者の方がずっと幸せな後悔の仕方だと思うの」
 暫く迷っていたらしい、真帆がコクリと頷き、男物のコーナーへと向かっていく。
 ――― 少しおせっかいかもしれないけれど‥‥‥少しくらい、手助けしても罰は当たらないわよね‥‥‥?



* * *



 夢幻館のお財布と言う魔法のアイテムを手に入れていたシュラインと真帆は、それでも慎ましく大特価と書かれた物を選んで買い込んだ。たとえどんなに高いお肉を買おうが、金銭感覚が狂っている夢幻館の住民達は文句など言ってこないだろうが、魔法のアイテムはいつでも手元にあるわけではない。彼らの金銭感覚に侵されてしまえば、破産することは目に見えている。
 興信所へと帰ってみれば、仮眠室の方からは何も音はしていない。まだもなは寝ているのだろうかと、そっと覗き込んだ先、可愛らしい光景を目にして思わず顔を見合わせて微笑む。
 ベッドですやすや寝ているもなと、大人しく抱き枕状態になっている“すふれ”と“ここあ”に、もなに手を握られながらベッドの脇で顔を伏せて眠っているらしい武彦。
「武彦さん、昨日は依頼結果の書類作りをしていて、寝るのが遅かったのよ」
 台所に買ってきた食材を並べ、シュラインは毛布を持って来ると武彦の肩にそっとかけた。
「さぁ、もなちゃんと武彦さんが目を覚ます前に夕飯を作っちゃいましょう」
「はい!」
「私はもなちゃんのお粥を作るから、夕食の方を頼める?」
 奥から出してきた真っ白なエプロンを真帆に渡し、お米をざっととぐと炊き上がるまでの間夕食作りの手伝いをする。
 お肉を5cm間隔で切り、片栗粉をつけて焼く。焼きあがったらみりんにお砂糖、お醤油にお水を加えて味を確かめ‥‥‥
「真帆ちゃんはプレゼント、何を買ったの?」
「手袋とマフラーです。ありきたりですけど、それなら使ってくれるかなーと思いまして‥‥」
 キャベツとシソの葉を千切りにする。シュラインほど早くはないが、真帆もなかなか上手かった。
「きっと使ってくれるわよ。‥‥私はプレゼント、今日渡しちゃおうかしら‥‥クリスマスはどうなるか分からないし‥‥」
 怪奇探偵・草間武彦の周りには、不可思議な事件が多々集まってくる。それらの事件はクリスマスだろうがお正月だろうが、来る時はこちらの都合などお構いなしに来てしまうのだ。
 ご飯が炊き上がり、シュラインは冷蔵庫から牛乳を取り出した。
「牛乳粥ですか?」
 どうやらシュラインの作りたいものがわかったらしい真帆が声をかけ、シュラインは軽く頷くと牛乳とご飯、薄めのダシを加えてコトコトと煮込み始めた。
「‥‥このあいだ受けた依頼なんだけれどね‥‥‥」
 ポツリと呟かれた言葉に、真帆がどう反応すれば良いのかと考えている様子が伝わってくる。
「高校生の時に好きだった女の子が、毎晩夢に出てくるんですって。とても苦しそうな顔で、助けてって‥‥」
 高校を卒業して5年、没交渉になっていた彼女は実家から離れ、東京に出てきているというのだが、1年ほど前から行方が分からなくなっていた。彼が言うには、彼女は夢の中で暗くて少し湿った、冷たいところにいるらしい。
 土の中だ‥‥‥直感的にそう思ったシュラインと武彦は、山中で他殺体となって埋められていた彼女を見つけた。
「‥‥‥彼女もね、ずっと彼の事が‥‥好きだったらしいの」
 言えば良かった。戻らない過去への後悔は、聞いていて辛く悲しいものだった。
 シンミリとした空気を溶かすように、甘い良い香りが漂う。シュラインは出来上がったお粥を味見した後で、丼の中に移した。
 カチャリと仮眠室の扉を開けてみれば、やや顔色の良くなったもなが“すふれ”と“ここあ”そして武彦と一緒になにやら作っているところだった。一生懸命のその背中は扉が開いた事にも気づいていないらしく、シュラインはなるべく驚かさないように気をつけながら声をかけた。
「なにをしてるの?」
「ん、あぁ‥‥折り紙をな‥‥」
 鶴や奴、風船などがテーブルやベッドの上に無造作に並べられている。
「武彦ちゃんね、鶴の作り方わかんなかったんだよー!」
「もう何年も作ってないんだから、仕方がないだろ」
 苦々しく言いながら頭を掻く武彦に、ご飯が出来ているから先に食べてきてと告げる。
「私はもなちゃんにお粥を食べさせた後で行くから」
 頼んだと言って出て行く武彦を見送った後で、シュラインは折り紙で作られたものをひとまず邪魔にならないところにどけると、ベッドに腰を下ろしてもなの額に手を当てた。大分熱は下がっているようだが、それでもまだ高い。
「もなちゃん、牛乳粥作ったから、食べて?」
 真っ白なお粥をスプーンですくい、ふーっと息を吹きかける。
「‥‥食べたくない」
「気持ち悪いの?」
 フルフルと首を振る。理由を聞いても、ただ食べたくないしか言わない。
「それなら、ジュースとかはどう?」
 フルフルフル。
 茶色と言うよりはピンク色の近い髪が揺れる。
 それでも何も口にさせないわけには行かないシュラインが、テーブルの上に乗ったままのスポーツドリンクを差し出す。
 コクコクと飲むもなを見て、どうしようかと悩む。
 ――― 食べられないわけじゃないと思うのよねぇ‥‥‥
 悩んだのは一瞬だった。シュラインはすぐに作戦を思いつくと、スプーンの上で冷ましていたお粥を一口パクリと食べた。
「うん、美味しい」
 もなが顔を上げ、ジーッとシュラインを見ている。
「もなちゃん、本当に食べないの?」
 迷った後でコクンと頷くもな。
 大分こちらに意識が向いてきているらしい‥‥‥‥‥
「そっか‥‥‥でも、一人で食べるの寂しいなぁ‥‥‥」
「‥‥‥さびしい、のー?」
「ねぇ、もなちゃん。私もここで食べるから、一緒に食べない?」
 目を伏せ、考え込んでいるらしいもなの背中をそっと撫ぜ、優しく微笑みかける。
「それとも、もなちゃんは私と一緒に食べるの、イヤ?」
「そんなことないよ‥‥‥!」
「それじゃぁ、一緒に食べよう?ね、お願い」
 コクンと素直に頷いたもなに、シュラインは扉を開けたまま興信所へ向かい、自身の夕食をとると仮眠室へ戻る。
 あらかじめスプーンの上で冷ましておいたお粥をもなの口元に運びmもそもそと咀嚼したもなが、ゴクンと飲み込むのを待ってから次のお粥を口元に運ぶ。
「おいしい‥‥‥」
 ありがとうとお礼を言い、シュラインはそっともなの頭を撫ぜた―――



* * *



 台所の片付けを終え、もなを寝かしつける役を買って出た真帆が、家から持ってきた風邪によく聞くハーブティーを淹れてくれたのを受け取りながら、シュラインはバッグから携帯を取り出すと梶原・冬弥の番号を押した。
 エキナセアとリコリスをミックスしたハーブティーを一口飲む。独特の香りと甘みにそっと目を瞑り――― もしもし?と言う声に目を開ける。
『シュライン、どうしたんだ?』
「ごめんなさいね、冬弥。今お仕事中だった?」
 聞こえてくる雑踏の音に、まず謝りの言葉をかける。
『いや、今は違うから大丈夫だ』
「そう‥‥‥」
『何かもなにあったのか?』
「いいえ、そうじゃないの。冬弥、真帆ちゃんのこと知ってる?樋口真帆ちゃん」
『あぁ、知ってるけど‥‥‥真帆がどうかしたのか?』
「ちょっとね、ある人にクリスマスプレゼントを用意したみたいなんだけど、どうも夢幻館の人みたいなの」
『あぁ。麗夜じゃねぇか?』
「麗夜君‥‥‥?」
『多分だけどな。真帆と仲の良い男なんて、麗夜以外に思いつかねぇ』
「そう‥‥‥麗夜君って、クリスマスは忙しいのよね?」
『立場が立場なだけに、暇な日があるほうが珍しいっつの‥‥‥』
「そう‥‥‥」
『なぁ、明日のもなの迎え、俺が行こうと思ってたけど、麗夜に代わってもらおうか?』
「え?」
『クリスマスは無理だけど、明日なら渡せるようにしてやるよ』
「本当!?ありがとう‥‥‥」
『でも‥‥‥なぁ‥‥‥アイツ、プレゼントとかしなさそうだからなぁ‥‥‥』
「そうなの?」
『俺も大して親しくはねぇんだけど、そう言うタイプじゃねぇっつーか、なんつーか‥‥‥』
 暫し沈黙が続き、どんよりとした空気になりかけた時、電話の向こうで冬弥が小さく溜息をついた。
『成功するかは分からねぇけど、魅琴に頼んでみる。美麗に頼んだ方が良いんだろうが、まぁ‥‥‥魅琴のが上手く言ってくれそうだしな』
「本当!?嬉しいわ‥‥‥」
『シュラインが喜んでどうするんだよ。つーか、シュラインも人が良いよな』
「冬弥ほどじゃないわ」
 仕事も代わり、魅琴に説得を頼んでくれるとまで言っている冬弥。
 ――― 人が良いのは冬弥の方よね‥‥‥
『もし良ければ、今度里芋の煮っ転がし作ってきてくれよ。シュラインのアレ、好きなんだ』
「そんなのお安い御用よ。‥‥‥有難う。仕事、気をつけてね」
『シュラインのほうこそ、もなのこと宜しくな』
 プツンと切れた携帯電話を手に、先ほどの会話を思い出して微笑んだ瞬間、仮眠室から聞こえてきたもなの声に表情を引き締めた。
 激しく泣くもなを宥めている真帆の声に、ただならぬものを感じ、慌てて扉を開ける。
「どうしたの!?」
「あぁ、シュラインさん‥‥‥どうやらもなちゃんが、怖い夢を見たようで‥‥‥」
 背中を撫ぜて何とか落ち着かせようとするが、なかなか上手く行かない。
「お人形、が‥‥‥追っかけて‥‥‥夢幻館、真っ暗で‥‥‥だれ、も‥‥‥いなく、て‥‥‥」
 泣きじゃくるもなの背中を優しく撫ぜていると、やがて彼女の嗚咽が聞こえなかった。落ち着いたもなに安心し、真帆がそっと部屋を出て行く。
「‥‥‥もなちゃんは、どうして眠るのがイヤなの?」
 まだ濡れている頬を指で拭ってあげながら、シュラインはもなの華奢な身体をベッドに寝かせた。
「怖い夢を見るから?」
「‥‥‥それも、怖い。でも、もっと怖いのは‥‥‥目が覚めると、必ず、思い出すから」
 茶色い――― どこまでも澄んだ瞳が、シュラインを見上げる。
 複雑な感情に染まる瞳は、パチリと大きく瞬くと、滲みそうになる涙を隠し、微笑んだ。
「ママとお兄ちゃんはいないんだって、思い出すから。暗い部屋で一人でいると、思い出すから。死んじゃったんだって‥‥‥」
「もなちゃん‥‥‥」
 ――― お母さんとお兄さんが‥‥‥
 グルグルと頭の中を駆け巡る言葉を押し殺し、シュラインは笑顔を作ると、目を瞑って?と言って目を瞑らせた。
「音当てクイズでもしましょう?」
 コクンと頷いたもなの頭を優しく撫ぜ、動物や機械音などを声真似する。
「猫ちゃんだ!」
「正解。それじゃぁ、これは?」
「んっと‥‥‥電車?」
「そうよ。凄いじゃない。それじゃぁ、これは?」
 楽しい音当てクイズを続けるうちに、もなの返答が鈍くなってくる。
 今にも眠ってしまいそうな様子に、シュラインは音当てクイズから歌当てクイズへと路線変更をした。
 流行歌に洋楽、動揺に――― 子守唄を歌っている最中で本格的に眠ってしまったもなの傍らで、シュラインは優しく頭を撫ぜ続けた。
 ――― 楽しい夢を見てね、もなちゃん‥‥‥
 もうお母さんもお兄さんもいないのかもしれない。それでも、貴方を思っている人は必ずいるから‥‥‥
 もなちゃんは、ちゃんと皆に大切にされているんだから ―――――
 シンと静まり返る12月の夜、触れるたびに伝わってくる柔らかな体温と、聞こえる優しい歌声。
 眠るもなを見つめながら、いつしかシュラインも眠りの世界に引きこまれていた――――――



* * *



 カーテン越しに差し込んでくる朝の日差しに、シュラインは目を開けた。
 いつの間にか眠っていたらしいシュラインの身体には毛布がかけられており、スヤスヤと気持ち良さそうに眠っているもなは大分熱が下がっているようだった。
「おはようございます」
 聞こえた声に振り返る。
 黒いさらさらの髪に、深い漆黒の瞳。部屋の隅に立っていた夢宮・麗夜は、壁から身体を起こすと微かに微笑んだ。
「麗夜君‥‥‥」
「もなの迎えに参りました」
「うにゅぅ‥‥‥あしゃ、れしゅかぁ‥‥‥?」
 モゾモゾと起き上がったもなが、目を擦りながらトロリとした瞳をシュラインと麗夜に向ける。
「あ、れーやちゃんだぁー」
 ヘロリとした無垢な笑顔を向けられ、麗夜が今まで見たこともないような可愛らしい 笑顔を浮かべ「おはよう」と囁く。
 ジーっと見つめるシュラインの視線に気づいた麗夜がはっと顔をこわばらせ、わざとらしく咳払いをすると興信所の方へ出て行く。
「チュラインたんも、おはよー」
「おはよう、もなちゃん」
 ろれつの回っていないもなが、シュラインに抱きついて――― コックリ、コックリと舟をこぎ始める。
「いつの間に来たんだ夢宮は‥‥‥」
「おはようございます、シュラインさんにもなちゃん」
 呆れたような武彦の言葉もなんのその、麗夜は「普通に窓から入ってきましたが?」とシレッと言うと真帆と一緒にもなの着替えを手伝う。
 部屋から押し出された格好になったシュラインと武彦が顔を見合わせ、思わず苦笑する。
「麗夜君、窓から入ってきたって言っていたけれど‥‥‥」
「たぶん、直で空間いじって来たんだろう」
 アイツが泥棒になったら面倒だなと言う呟きに、確かにと相槌を打つ。
「今って、何時?」
「7時半だ」
「随分早く来たのね」
「仕事が早く片付いたんだろ。しかし、まさか迎えに夢宮が来るとは思わなかったな‥‥‥」
「あ‥‥‥実はそれ、私の仕業なの」
 仕業と言うのも妙な言いまわしたが‥‥‥
 シュラインは苦笑すると、昨日冬弥と話した事を武彦に語って聞かせた。
「麗夜君、プレゼント買ってきてくれたかしら‥‥‥」
「どうだろうな‥‥‥」
「大きなお世話だったの、分かってるわ。でもね、クリスマスも近いんだし‥‥‥皆笑顔になれれば素敵でしょう?」
「まぁ、夢宮の性格上、樋口がプレゼントを用意してるって分かったら、自主的に買いに行くだろうけどな」
「え!?そうなの?でも、冬弥君が‥‥‥」
「興味ないヤツとかどーでも良いヤツ以外には基本的に優しいぞ。気分屋だし、口は悪いし、不器用だしで、分かりにくい優しさの時が多いけどな」
「そうだったの‥‥‥」
 カチャンと扉が開き、中から真帆と麗夜が出てくる。着替え終わったもなを武彦が受け取り、麗夜がもう車が来ている時間だと言って、腕時計に視線を落とす。
「エマ様、この度はもな様のこと、どうも有難う御座いました」
「いいえ。もなちゃん、早く元気になると良いわね」
 にっこりと可愛らしく微笑んだ麗夜が、もなを抱いた武彦と一緒に外へと出て行く。
「真帆ちゃんは家まで送ってもらったら?」
 隣で一緒に2人を見送った真帆に声をかけるが、彼女は首を振った。 
「え、でも悪いですし―――」
 言いかけた真帆の言葉を制するように、扉が開く。
「樋口様、家までお送りいたしますのでどうぞ」
 有無を言わせぬ麗夜の調子に、引きずられてしまう真帆。黒塗りの高級車に乗り込み、慌てて3人の見送りに出たシュラインが、車が見えなくなるまで手を振る。
「もなちゃん、元気になれば良いんだけれど‥‥‥」
 やっぱり、もなは元気な方が良い。
 冷たい風に肩を縮め、興信所の中へと引き返す。
 直ぐにコーヒーを淹れるわと言って台所へ行き、お湯を沸かすとインスタントコーヒーを棚から取り出していれる。
「シュライン‥‥‥」
 声をかけられて振り向けば、すぐ近くに武彦が居て、思わず驚く。
「わっ‥‥‥ビックリした‥‥‥どうしたの、武彦さん?」
「いつも興信所の手伝いをしてくれて、感謝してる」
「やだ、なぁに、突然‥‥‥」
「これからも、ずっと‥‥‥一緒にいてほしいんだ」
 手に持っていた牛乳を危うく落としそうになり、シュラインは大慌てで牛乳を台所に上に避難させると、武彦の顔を見上げた。
「武彦さん、それって‥‥‥‥‥」



「で?発破かけてきたと?」
「発破なんて‥‥‥。ちょーっと、背中を押してあげただけです!」
 黒塗りの高級車の車内、真帆はそう言うと麗夜の顔を睨んだ。
「背中を押すって言うか、脅しって言うか‥‥‥」
「本当の事を言ったまでです!シュラインさん、綺麗ですし性格も素敵ですし‥‥‥」
「てめぇ、早く言わねぇと誰かが攫ってっちまうぞ!と、銃を片手に‥‥‥」
「言ってません!してません!」
 もう、どうしていつも麗夜さんはそうやって‥‥‥‥‥
 ブツブツと不満をぶちまける真帆を横目で見ながら、麗夜がふっと表情を和らげる。
「吉と出るか凶と出るか‥‥‥だな」
 窓の外、チラチラと降りだした雪を見上げながら「きっと吉と出ます!」と、真帆が力強く言った―――――



END


 ◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員


  6458 / 樋口・真帆 / 女性 / 17歳 / 高校生 / 見習い魔女


  NPC / 片桐・もな

  NPC / 草間・武彦

  NPC / 梶原・冬弥

  NPC / 夢宮・麗夜


 ◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

 お届けが遅くなり、申し訳ありませんでした。
 冬弥との電話のシーンが書いてて楽しかったです。
 冬弥はシュラインさんの里芋の煮っ転がしファンです!
 最後に武彦さんと良い感じになっていますが‥‥‥ちょっと、書いていて恥ずかしかったです。
 本当は武彦さんにズバーっと言っていただこうかとも思っていたのですが
 武彦さんが告白?‥‥‥どんな言葉言うの!?と、プチパニックになりかけました。
 遠まわしに仄めかすだけでしたが、良い雰囲気になっていればなと思います。
 今回も、シュラインさんらしさが出せていればなと思います。
 ご参加いただきましてまことに有難う御座いました!