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<東京怪談ノベル(シングル)>


sneeze it out

「来い、水谷!」
放課後、教室から廊下へ出た水谷美咲は、そうぶっきらぼうに腕を引かれた。
「ちょ、水谷さん……っ?」
連れ去られる美咲の姿に、クラスメイトの女子が動揺混じりにかけた声に、小さく手を振って挨拶に代えた。
 手を掴んだまま、有無を言わさずそのまま歩き出す少年の背に従いながら、美咲は首を傾げる。
 下校時刻であるのに、ランドセルも背負っていない少年は、決して知らない顔ではない。
 同学年の男子の中でも体格が良く、廊下で騒いでいる姿をよく見かける……確か、隣のクラスだったように思う。
 とはいえ、顔を知っているだけで言葉を交わした覚えはなく、既知と呼ぶにも難だ。
 呼びかける名前すらも朧で、美咲は真っ直ぐに前を向いて歩く少年の意を図れないまま、手首を掴む手を振り解けずにいた。
 そうして連れ出されたのは、校舎の脇を抜け、体育館の裏にある焼却炉の傍だった。
 清掃時間中は、各教室のゴミを処理する為に人の姿も多い。
 しかし放課後の今は当番の姿もなく、焼却炉が煙突から白煙をもうもうと上げるのみだ。
 秋の深まりに風は肌寒く、美咲は暖を求めて焼却炉に寄って何とはなし、ようやく手を離した少年と距離を置く。
 少年は離れた分だけ美咲に近付きかけたが、美咲が後退ったのを警戒と取ってか、半端な位置で足を止めた。
 ランドセルの下で後ろ手に手を組み、背にした焼却炉の発する熱でさり気なく手を炙りながら、美咲は少年の顔をまじまじと眺める。
――狙うとしたら何処だろ。
 頭の天辺から足の先まで、曇りない瞳で見つめる美咲の脳裏に浮かぶのは、そんな不穏な攻撃衝動だった。
 放課後・呼び出し・校舎裏。
 三拍子揃った要素に、美咲が導き出した答えは即ち、決闘である。
 今時の小学生が思い浮かべるのは些か前時代的な答えだが、相手もまた美咲の姿を見据えたまま動かない。
 そうして妙に張り詰めた緊張感ばかりを叩き付けられては、美咲とて友好的な用件と捉えることは出来なかった。
 言って聞かせて理が通るのは、もう少し年を重ねてからだ。
 理が通らぬなら、即ち力が納得をさせる術。
 何が気に障ったのかは知らないが、下手な遠慮で後顧の憂いを引きずるよりも、今ここで決着を着ける。
 相手で同年代だからこそ時に実力行使も必要、と常の冷静さからは些か過激な……否、それ故に理性的な判断を美咲は下していた。
 とはいえ、距離を測る眼差しも軽く開いて有事に備える立ち姿も、そんな思考を微塵も感じさせることはない。
 細身の身体はすらりとして、真っ直ぐに伸びた黒い髪と、瞳に秘めた強さは目を引いて、時に大和撫子と称される。
 その美咲を前に、少年は大きく息を吸い込んでぴたりと呼吸を止めた。
 今から素潜りでもするのか、という程に胸一杯に空気を溜めた少年は、勢いよく頭を下げると同時、両手を前に突き出した。
 その勢いと気迫に、思わず一歩退いた美咲に、少年はその姿勢のままずんずんと迫る。
 少年が、美咲に向かって突きだした手に両手に捧げ持つのは、一通の封書。
 半紙の上下を裏に折り込み、表には「上」の一文字だけがある外観は、封書と言うより文と呼んだ方がしっくりと来る。
 受け取れ、ということなのか。
 無言のままひたすら頭を下げる少年は、首を傾げた美咲の動きを読んだかのように、再度文を突きだした。
 少年の手の緊張を移して、文はぷるぷると小刻みに揺れている。
 その怯えた小動物を思わせる動きに、つい、美咲は手を伸ばしてしまった。
 美咲が文を受け取ったのを、感じ取るや否や。
 少年は酸欠に因るものか、やけに紅潮した顔をガバッと上げた。
 キキュ、と上履きのままの少年の足は、方向転換の踏み込みに高い音を上げ、脱兎の如く、否、脱兎と化して走り去る。
 少年の背が消えた方向には校門、ランドセルも持たずに帰るのだろうか、と美咲は見当違いな心配をして足下に目を落とした。
 そういえば、自分もまだ上履きのままだなぁ、と。
 ずれたことを思い、美咲は漸く手にした文に視線を移した。
――妙ちくりんなものをもらったなぁ。
 嘆息し、文を裏返す。
 裏に折り込まれていた半紙は、折り重なった中央部分で、ボールの中に出たり入ったり戦ったりする某ゲームのキャラクターシールで止められていた。
 それを認めた美咲は、封を躊躇いなくピッと解く。
 子供向けに強度のない紙シールは呆気なく千切れ、同時にバララララッという勢いで、蛇腹になっていた中身は重みに雪崩れ落ちた。
 半紙をセロハンテープで止めて繋いだ、いやに古風な様相を呈した文は美咲の足元の地面に擦れる程に長い。
 しかし、墨で綴られた一文字ごとが大きく、文章の分量自体はさほど多くなさそうだ。
 美咲は手元に残っている一枚目、墨書の最初に目を通した。

『水谷美咲さま』

……名前の美の字に一画足りない。
 美咲は虚ろな眼差しで、拙い文字を追いかけた。

『おれは君に
 ローストしました。
 運動会のリレーで
 君に抜かれてから、
 ずっとルッキング
 フォーユー』

 小学生が格好良いと勘違いしてやたら英語を使いたがる、顕著な例が此処にある。そして間違ってもいる。焼いてどうする。
 横にした半紙に三行で一枚を費やして綴られる文に、美咲は大きく首を傾げた。

『君を見るたびに
 バーニングハート
 ノンストップで
 むねがたかなります
 セニョリータ
 おねがいします』

 どうしても燃焼させたいらしい主張、鼓動は止まらない方がいい、そんな見解を抱かせる中、ついにスペイン語が混入。

『おれと付き合え(※斜線で訂正)
 これからいっしょに
 ぼくの家にいっしょに
 かえって下さい
 お母さんのごはんも
 おいしいです』

 そろそろ疲れが出てか、年相応な文章力が見え隠れし出す。

『一其月一会の人生を
 ぼくといっしょに
 歩いて下さい。
 くろうはさせません、
 だいじにします』

 期の字に自信がないのか、それぞれの部首が独立した漢字の大きさを誇っている。
 美咲は時間をかけて、一文字ずつを目と、そして指とで丁寧になぞり、最後の一文に辿り着いた。

『君が好きです』

 その一言が、内容の全てを要約している。
 震える文字で綴られた思いの丈をしばし眺め、美咲はそれは大きな溜息を吐いた。
「読めない」
眉間に皺を寄せ、半紙を睨む美咲の目には、文字の間で染みが明滅するかのごとく、無念の形相を浮かべた死霊が見えてた。
 墨の文章はその黒さに溶けて、行の箇所は計れても内容まで把握することは出来ない。
 何処でこれだけ拾ってきたものやら。
 半紙からは、線香が持つ特有の香が漂っている。
 仏壇に収められていたものを利用したせいだろうかと当たりをつけ、美咲はふいと踵を返して長い髪を翻した。
 焼却炉の脇には、掻きだした灰を積んでおく、コンクリートブロックでコの字に囲んだ灰置き場が設置されている。
 美咲は、灰に無造作に突き立てられている鉄製の鍵棒を取り上げた。
 相変わらず熱を放つ焼却炉の金属製の蓋は、その重みで容易に開かないようになっている。
 熱を持って、直には触れられない持ち手に鉄棒の鍵を引っかけ、美咲は全体重をかけて力一杯に引き開けた。
 空気を得た炎は投入口から伸び上がり、火の粉を散らして熱気を美咲の頬に吹き付ける。
 僅かに顔を背け、炎の乱舞の直視を避けながら、美咲は手の内に握り込んでいた手紙を何の躊躇もせず火中に投じた。
 乾いた紙は容易に火の手に捉えられ、紙に取り付いた浮遊霊と共に、めらりと巻くように踊って灰と化す。
 半紙が燃え尽きるのを確認し、美咲は大きく息を吐いて、成し遂げた達成感に額の汗を袖で拭って、ふと気付いた。
「……なんだっけ?」
思わず、独言が口を吐いて出る。
 心に引っ掛かったそれをよくよく考えてみれば、美咲は結局、手紙を読んでいない。
 肝心の内容を思いだそうにも、浮遊霊の顔しか思い出せない上、肝心の手紙も灰と化し、全てが後の祭りだ。
「まぁ、いっか」
しかし美咲はあっさりとしたもので、うんと一つ大きな伸びをした。
 帰りにコンビニに寄って。冬の新作ハバネロアイスに挑戦しよう、と予定外の事態に阻まれていた当初の予定を思い出し。
 美咲は目先の期待に、先の一件をきれいさっぱり思考の外に追い出した。


 翌日。
 少年は、手足を同時に前に繰り出す独特の歩行で通学路を歩いていた。
 ランドセルは昨夜学校に置いてきてしまった為、当然背には無い。
 緊張と期待と後悔を順繰りに巡らせ、一睡も出来ない一夜を過ごして顔色は青く、既に憔悴しきっている。
 赤いランドセルを見れば硬直し、長い黒髪を見ればヒッと息を呑む。
 そんな少年は、校門に美咲の姿を見つけ、咄嗟に後退った。
 が、精一杯……というより、イッパイイッパイに思いの丈を伝えた相手が、満面の笑みで自分に手を振っているではないか。
 小学生男子の思考回路は、それだけで幸せになった。
 笑っている=オーケーである。
 単純な思考回路が導き出した答えに、彼の目の前には睡眠不足の折に生じる幻に近い生々しさで、薔薇色の未来が展開されていた。
 しかも、想い人が自分に向かって駆けてくる。
 めくるめく明日を夢見て、立ち止まって美咲を迎えた少年は、何とか平静を装ってぶっきらぼうに「おはよう」とだけ告げた。
 けれども美咲は挨拶もそこそこ、開口一番、少年に問いかけた。
「あのね、昨日の手紙、なにが言いたかったの?」
美咲の声はよく通る。
 手紙? え? 何、手紙がどうしたって? と、さざめきのように生徒達の声が広がっていく。
 質問の意味が図れず、思考を停止させた少年に美咲は追い打ちをかける。
「ねぇ、教えて?」
そんな。聞かれても。
 口で言えないから、手紙にしたのであって。
 衆人の視線が、硬直する少年に集中する。
 しかし彼にはそれより何より、目の前で屈託のない笑顔で残酷な問いを発する、美咲の眼差しが何よりも耐え難かった。
「う……」
少年は口をへの字に曲げ、脇で握り締めた両手をぶるぶると震わせた。
「う?」
その様子に気付かないのか、美咲は少年の呻きを復唱し、小首を傾げて続きを促す。
「うわあぁぁんッ!」
涙を振り絞って、少年はその場から逃げ出した。
 後に残された面々は、事態を把握出来ないままぽかんとその背を見送るしかなく。
 真実に一番近い美咲が、一番何も解っていない表情で、逃げ去った少年の反応に、至極不思議そうに首を傾げた。


 以降、一年のガキ大将とタイマン張って倒したという。微妙な噂が水面下で囁かれ続けることを、美咲は未だ知らない。