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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


真綿の国のアリスたち


 白い星が瞬く白い世界を、ふたりの〈アリス〉が走っている。
 なにもかもがふわふわふかふかの綿でできていて、触れているのかいないのか、わからないくらいやさしい手ざわりの、不思議な世界を。
 ぽふん、ぽふん、ぽふん……、と、大きな花のつぼみが、まるい小さな綿をシャボン玉のように吹き出しているような世界を。
 雪のように、羽毛のように、舞いあがる夢のような光景の中を、銀水晶と黒曜石の少女がひた走る。
「貴由、付き合ってくれてありがとう」
「改まって言われると照れるよ、羽澄。あの子のためならね、やらないわけがない、でしょ?」
「そうね、うん、やらないわけがない」
 チラリと視線をかわしあい。
 くすりと笑みをかわして。
 ふたりの〈アリス〉はおとぎの国を、大切なモノを取り返すために、不思議の国のただ中をひた走る。
 幼い頃とおなじように、手を繋いで。



 ことのはじまりは、何気ない台詞から。
 アリスたちがアリスになるまでの、長くて短いいきさつは以下のとおり。



「貰ったけど、いらないから、あげる」
 バイト先である【胡弓堂】の店主から、実に何気なく光月羽澄が受け取ったのは、いくぶん薄汚れてしまった白いファーだった。
 見た目はあまりいいとは言えない。何かを作るにしても、服飾関係では微妙な大きさだったから。
 けれど、手触りは抜群で、いつまでもいつまでもなでていたくなるほど気持ちよかったから。
 うちに帰って、友人に教えてもらった通りにファーをキレイに手洗いし。
 乾くのを待って、もう一度友人に連絡した。
 思いつきは実行してしまいたくなる性分だ。
 その時浮かんだのは、可愛くてたまらない大事な女の子のこぼれるような笑顔。
 どんな顔をするのかな、どんな笑顔を見せてくれるのかな、気にいってくれるのかな、きっと気にいってくれるはず、でもどんな言葉が飛び出すのかな。
 あの子の喜ぶ顔が見たい。
 あの子の喜ぶ声が聞きたい。
 考えるだけで、ほわりとあたたかく優しい気持ちになってくる。
 だから。
 ジュエリー・デザイナー志望の大事な親友――時永貴由を巻き込んで、彼女の暖かな部屋を、秘密のプレゼントを作る場所にしてもらった。
 羽澄が持ち込んだのは、裁縫道具と洗われたばかりの真っ白なファー、ハギレ、リボン、ガラスのビーズ、ぬいぐるみを作るための手製の型紙が二種類。
 それから、お気にいりの紅茶とお菓子。【WELCOME TO WONDER LAND】という変わった店名の、可愛らしいカフェであつかっているモノは、どれも羽澄と貴由に美味しい時間を約束してくれる。
「この部分をこういうふうにすると、ほら、どう?」
 針と糸をあやつって縫い合わされた布地は、貴由の手の中で可愛らしいウサギの耳となった。
「すごい、キレイな曲線になるのね」
「それじゃ、羽澄はこっちで」
「頑張ってみるけど、どうかな……」
 家族のように過ごし、家族のように時間を共有する、しあわせなひととき。
 楽しく、でも真剣に、両手に抱えられないほどの愛情をたっぷり込めて、羽澄と貴由はぬいぐるみを作り上げる。
 クリスマスには少し早い、もちろん誕生日も関係ない、記念日にもこじつけられないけれど、でも、『なんでもない日、おめでとう』なんて言ってみて。
 
 かわいいあの子に、あの素敵な物語の登場人物よろしくプレゼントを手渡した。
 
 お日様のように女の子は笑う。
 花がほころぶように女の子は笑う。
 真っ白な二匹のぬいぐるみをぎゅぅっと抱きしめて、クマは仲良しのあの子にあげるねと、とてもとてもうれしそうに笑ってくれた。
 最愛最強のかわいい笑顔に、心からとろけそうになりつつ、羽澄と貴由は顔を見合わせて小さく互いの手を叩いた。

 なのに。

 真夜中、幸せな気持ちでプレゼントの成果を喜んでいたふたりの部屋に、その子は泣きそうな顔で駆け込んできた。
「どうしたの?」
「一体何があったか言える?」
 扉を開けてむかえた貴由にしがみつき、あの子たちが呼ばれて行っちゃったと、幼い少女は涙混じりの声で訴える。
 明日あの子にあげようと決めて、大事に大事に傍において眠っていたのに。
 ふと、知らない声が聞こえてきて。
 クマとウサギはふらりと自分で立ち上がり、からりと自分で窓を開けて、誘われるように外へ消えてしまった。
 途切れ途切れの話は要領を得ない。
 けれど、それでも何が起きたのかは十分に伝わった。
 呼ばれて、さらわれた、この子のためのぬいぐるみたち。
 泊まりに来ていて正解だったかもしれない、そんなふうに羽澄は小さな偶然に感謝した。
「ね、貴由、これってちょっと許せないわよね?」
「ええ、許せるわけないでしょ」
 お互いの目を見れば分かる。何をしようとしているのか、手に取るようにはっきりと。目的は完全一致していた。
 かわいいかわいい姪っ子が泣いている。
 だいじなだいじな女の子が泣いている。
「あの子を泣かしたからには」
「相応のつぐないをしてもらわなくちゃね」
 あの子に注ぐ愛情は、少女たちの原動力。
 いかなる理由があろうと、あの子を泣かせた輩に容赦はしない。
 冷ややかな漆黒の夜空に浮かぶ、月の酷薄さに似た双眸。緑柱石と黒曜石の瞳がきらりと光る。
「行こう」
「了解。刹那、追跡開始」
 影に折りたたまれていた両翼が、鋭利さを秘める貴由の声で大きく広げられた。
 艶やかな夜の色を映した黒狼は、その四肢で地を蹴り、貴由の部屋から窓の向こうへと鮮やかな跳躍を見せる。
 対象は、さらわれた二匹のぬいぐるみ。
 いったい誰が、なぜ、どういう事情でこんな真似をしたのかは分からない。分からないけれど、自分たちがすべきことは決まっていた。
「ここで待ってて。きっと絶対連れて帰ってくるから」
「ね、私たちに任せておいて」
 コクリと小さく頷いたかわいい少女をふたりはギュッと抱きしめて、そして、思い切りよく異界へ繋がる扉のむこうへ足を踏み入れた。



 ここまでが、アリスたちがこの世界にやってくることになったいきさつ。
 そして、ここからが、アリスたちがアリスとしてつむぐおはなし。



「……羽澄、動ける?」
「ムリ。貴由は?」
「私もちょっと……」
 互いに誇れる素晴らしき身体能力を駆使すれば軽々と飛び越えるはずの浅い小川で、羽澄と貴由は仲よく足止めを食っていた。
 ふたりの足は膝まですっかり沈み込んでいて、次の一歩も難しい。
 やんわりと引き止める真綿のみなも。
 ひんやりとしたその中を、フェルト生地らしき小魚がゆるゆると泳いでいるのが透けて見えた。
 あの子がらみでなかったら、つい頬をゆるめてその光景に見入っていたかもしれない。
 けれど今はここで足止めされている場合ではないのだ。
 さて、どうしようか。
 羽澄と貴由の瞳に、一瞬とても物騒な色が浮かんだのだが――
「あれ、めずらしい」
「おきゃくさまだ、おきゃくさま」
「こんにちは、おきゃくさま」
「どうしたの?」
 わらわらわらわら、ふとめのウールで編んだようにしか見えないまんまるい手の平サイズの小鳥が空から落ちてきた、いや、降りてきた。
 肩に、頬に、手のひらに、ふわりと止まり、ほわほわとした声で問いかけてくる。
「どうしたの、おきゃくさま?」
 ふわふわもふもふとした感触に癒されて、ふんわり優しい気持ちになってくる。
 貴由はほんのわずか思案して、それから首を傾げてみせた。
「探している子がいるんだけど、ここに真っ白のクマとウサギのぬいぐるみがこなかった?」
「とっても大事にしている子がいてね、その子のために、さらわれた2匹を取り返さなくちゃいけないの」
 簡潔な事情の説明だったけれど、きちんとこちらの意図は伝わったらしい。
「くま……?」
「うさぎ?」
 ふわんふわんと風に揺られながら、小鳥たちは互いの顔を見合わせる。
「ぬしさまのところかしら」
「ぬしさまのもりかしら」
「主さまの森……? それはどこ?」
 きらりと貴由の瞳が光る。獲物を捕えたかのような、少し鋭い視線を向けられて、それでも小鳥たちはのんきにさえずる。
「もりのむこうのもりよ」
「つむぎのもりとよばれているの」
「でもね、おきゃくさま」
「でもね、おきゃくさま、アリスのおようふくにならなくちゃ」
「しずんじゃうよ、おきゃくさま」
 ふわんふわんと舞いながら、小鳥たちが口々に告げる。
「アリスの洋服?」
 そんな場合じゃないと分かりつつ、そのキーワードが羽澄の心の琴線に触れた。
「そとのせかいのおようふくは、ここじゃとってもおもすぎるの」
「まってて、したてやさんをよんでくる」
「したてやさん、したてやさん、まっててね、そこでまっててね」
「え」
 一体どれだけ待てばいいのだろう。
 小鳥たちとのおしゃべりの間に、羽澄と貴由は腰まで沈み込んでしまっているというのに、仕立を待っていて間に合うのだろうか。
 そんな疑問とも不安と持つかないモノが浮かんだのだが。

 懸念はあっさり解決された。

「にあうよ、ありすのふく」
「にあうにあう」
「キレイでかわいい子たちにはナァ、やっぱアリスの服だろ、うん」
 毛糸玉の岩に腰掛けて、キセルをふかしながら、どう見てもニットで編んだピエロにしか見えない〈仕立屋〉は満足そうにふたりを眺めた。
 羽澄には薄氷色、貴由には雪色で、揃えられたエプロンドレスにふわりと広がる膝丈のワンピース、そしてストラップつきの靴。
 真綿の河で着替えたとたん、ウソの様に体が軽くなる。
 あっさりとやわらかな地面に引き上げられ、あっさりとやわらかく着地して。
 ふかふかふわふわの、水鳥の一番やわらかな羽毛だけで織りあげたかのような手ざわりの『アリスの服』のデザインに、貴由は気恥ずかしげな顔をした。
「さすがに羽澄は似合うね、着慣れてる感じがするよ」
「貴由だってかわいいわよ。もったいなくて誰にも見せてあげたくないくらい。“彼”にはとくにね、絶対教えてあげないわ」
「言ったな」
「うん、言ったわ」
 さらりと肯定して、にっこりと微笑んで、羽澄が先に走り出した。
「え」
「いそぎましょ、あの子が待ってるんだから」
「羽澄!」
 慌てて、銀のアリスを黒のアリスが追いかける。
「ぬしさまのもりは、このさきだよ」「いってらっしゃい」「ぬしさまにごあいさつ、いってらっしゃい、アリスたち」「わからなくなったら、みちをきいてね、ありす」「おようふくはとどけておくからね」
 くすぐったい見送りを受けながら、ふたりは〈つむぎの森〉を目指す。


 白い星が瞬く白い森。
 綿と羽毛ともろもろの、あたたかくやさしいモノでできた森。
 道標の代わりにと、毛糸の動物たちや小鳥がアリスたちに行くべき道を教えてくれる。
 目指すのは、〈つむぎの森〉―――
 クマとウサギがいるはずの場所。
 そして、そこは、機織る音がやさしい音色に変わる場所。


「あ」
 鮮やかな色が不意に途切れ、眩しい光に視界が拓ける。
 そこに、さがしていた2匹の、ちょこんとならんで立っている後ろ姿を見つけた。
 しかし。
「ねぇ、あれって」
「うん……」
 ぜったいに取り返すと意気込んできたはずなのに、羽澄と貴由の怒りと勢いはすっかりそがれてしまった。
 優しい旋律。
 せせらぎと葉擦れと機織りをやわらかく重ねて奏でる優しい音色の中で、ふたりのアリスは不思議な光景を目にする。
 真っ白な創造主。
 髪も肌も服も何もかもが透けるような白さで、瞳だけが優しい銀色をしていた。そうして白く好き通った指で機を織る。
 かわいいあの子を泣かせた犯人だ。
 けれど。
 まるい尻尾をピコピコさせながら、小さな手足をめいっぱい使いながら、2匹のぬいぐるみは〈主さま〉に精一杯の報告をしているようなのだ。

 とってもとってもしあわせだよ。
 すごくすごくきにいってるよ。
 つくってくれたひとも、もらってくれたこも、だいすきなんだよ。
 とてもとてもとってもきにいっているから、ね、しんぱいしないでね。
 ね、ぬしさま、みまもっててね。

「ねえ、貴由、あれって」
「うん、羽澄、あれって」
「どう見ても誘拐じゃないわよね?」
「どう見ても誘拐じゃない」
 どう見ても、アレは、子供が親に自分たちの幸せを報告に来ているだけのようなのだ。
 しかも、式神の刹那まで、綿で作り上げられた地面に埋もれるようにしてうずくまっている。
 さて、どうしようか。
 こんなにもほんわかほのぼのとしたやり取りを見てしまっては振り上げた拳は行き場がない。
「ねえ、これって私たち、怒り損……だった?」
「かもね」
 ふぅっと、どちらからともなくため息が洩れて、それに気づいたかのように、〈森の主〉が顔を上げた。
「いらっしゃい、〈アリス〉さん」
 ふわりと微笑む真っ白な主さまはゆるりと立ち上がり、ウサギとクマの手を引いて、ふんわりふんわりこちらへ向かってやってきた。
「この子たちからお話は聞きました。この世界で生まれた生地で、この子たちの命を吹き込んでくれたのね」
 ふわんふわんと小鳥がやって来る。動物たちもやってくる。幸せという言葉の意味をあたたかく包みこんだ眼差しで、『彼女』はそっと微笑んだ。
「こんなにたくさんの愛情をつめこんでくれてありがとう」
「あなたがこの子たちを呼んだんですか?」
「この子たちが自分でごアイサツに来てくれたのよ。この森で生まれたモノは、特別なチカラを持った子の傍にいることで自我を持つの」
「だから、か」
 得心がいったというように、貴由は頷く。
 攫われたという表現がそもそもの間違いだったと、フタを開ければこんなにもあっけなく納得できる。
「おどろかせてしまってごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ、すみません」
 羽澄は彼女につられるようにふわりと微笑んで、改めて挨拶を交わして、そして、自分たちを見上げるクマとウサギの手をそっと取った。
「帰りましょ。あの子が待ってるわ」
 こくりと大きくぬいぐるみたちは頷いた。うれしそうに、まぶしそうに、何度も何度も頷いた。
「慌しくてすみませんが、私たちはこれで」
「ええ。またいらしてくださいな。今度はそう、この子たちの持ち主になってくれた子もいっしょに。いつでもアリスの服を用意して待っていますから」
 いつでも、こちらへこられるように。
 創造主はふたりに、ファーで作った小さな銀青色の薔薇のコサージュをひとつ、手渡してくれた。
「ありがとうございます」
「そのときは、よろしくお願いします」
 貴由はクマ、羽澄はウサギを抱き上げると、真っ白でやわらかい紡ぎの森を出口に向かって走り出す。
 アリスたちは走り出す。
 不思議の国から、大切なあの子が待つ我が家へと。
 待っていてね、と言ったから。
 もしかすると泣きつかれて眠っているかもしれない『かわいいあの子』に早く笑顔を取り戻すため、お土産代わりの不思議の国の招待状も手に入れて。全速力で我が家に向かう。



END