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<東京怪談ノベル(シングル)>


暗殺者の涙



1.
 その事務所は、一見するならば何の変哲もない何処にでもある、けれど何処か胡散臭い雰囲気を醸し出しているだけの場所だった。
 扉にぶら下がっている『危ない仕事大歓迎』という文字からして、普通の者が興味本位以外に此処に関心を持つことはほとんどないだろう。
 その室内で、黒崎・吉良乃はひとり事務机に腰かけていた。
 暇潰しにと目を通した新聞には増すことはあっても減ることはない陰惨な事件の記事ばかりが紙面を埋めており、少し見ただけですぐに放り捨てた。
 便利屋と名乗っている吉良乃だが、便利屋としての仕事を引き受けることは滅多にない。なので普通ならば仕事というものからは縁が遠くなり、事務所を訪れる客というものもなかなかやって来ないものだ。
 だが、この事務所が暇かといえば決してそんなことはない。訪れるものは決して少なくはないのだ。
『便利屋』と名乗っているこの事務所の本当の仕事に対する依頼人が。
 それを説明するように事務所の扉が開くと、ひとりの男が中へと入ってきた。
 吉良乃はその男を見るなり目を細めた。
 げっそりとこけた頬には生気はなく、血走った目には暗い光が宿っている。服装に気を使う余裕もないらしくいったいいつから着続けているのかすぐにはわからないような皺の寄ったシャツを身に纏っている様は尋常な様子ではない。
 だが、吉良乃はそんな男の風体に対して訝しむことはない。
 何故なら、男の様子は吉良乃にとっては見慣れたものだったからだ。
 吉良乃の本当の仕事──誰かの暗殺、それも復讐のために依頼する者たちには。


2.
 男がいったい何処でこの事務所を知ったのか、誰に教わったかということは吉良乃が聞くことはほとんどない。ただ、一応の礼儀として黙って男に席を勧めた。
 だが、男は落ち着いて席に座るようなことができないのか、立ったまま吉良乃のほうをじっと見ているだけだった。
 これも吉良乃には見慣れた姿だ。
「私に仕事を依頼したいようね。それも、復讐のために」
「あぁ。こんなことを頼めるのはここぐらいだと教えてもらったんだ。それだってすぐ聞けたわけじゃない」
 吉良乃は暗殺という仕事に対してひとつの信念を持っていた。
 曰く『暗殺は利益の為にせず。制裁の為にすべし』
 利害絡みの暗殺など歯牙にもかけず、復讐、制裁、それらのためにだけ吉良乃は暗殺という仕事を引き受ける。
 もっとも、入ってきたときから吉良乃は男が前者でないことに気付いていたが。
「それで? 標的は誰なのかしら。あなたに何をしたの」
「奴は、俺から全てを……生き甲斐全てを奪ったんだ」
 言いながら、男は一枚のぐしゃぐしゃになった新聞の切抜きを机に置いた。
 目を通した途端、吉良乃はまた目を細める。
 先程目を通していた新聞にも同じような記事が載っていた、最近立て続けに起こっている強盗殺人事件の切抜きだった。
 切り抜きは、肌身離さず持っていたためだろうぼろぼろになり汚れていたがその内容ははっきりと吉良乃にも読むことができた。
 この事件はわかっている範囲での4件目、ある実業家の家へ押し入った強盗が在宅していた妻子を殺害した上で金を奪い逃走したというものだった。
「じゃあ、この事件の実業家というのが」
 吉良乃の問いに、男はゆっくりと頷いた。
「俺はこの日、家にいなかった。得意先との取引で普段よりも帰りが随分と遅れてしまったんだ。あいつには……妻にはよくそれで小言をいわれたもんだ。仕事ばかりしていたらいつかあの子に顔を忘れられるわよ、なんてな」
 そう言われたときの妻の様子を思い出したのだろうか、男の口元が微かに歪んだ。
「実際、娘はまだ小さくて帰宅が遅れたときはいつも寝てしまっていたものだ。でも、その寝顔を見るだけで疲れが吹き飛んだよ」
 ぽつぽつと何かを懐かしむように呟いていた男の顔が、やがて歪んでいく。
「だが、いまはもう妻も娘もいない……発見したのは俺だ。俺が見つけた。血の海で横たわっている妻を、娘を……」
 ぶるぶると男は身体を震わせ、耐え切れないように大きく手を振り上げた。
「あいつは、娘を守るように覆いかぶさっていた。その上から何度も、何度も刃物で刺された痕があった。そして、娘の首にはロープが巻きついていたままだった……帰宅した俺を迎えてくれたのは、そんなふたりの姿だ。そんなことが起こるなんて誰が思う? いつものように妻の小言を聞いて、娘の寝顔を見て、そして眠って、それがずっと繰り返されると思っていたのに……!」
 抑えきれない自分に対する怒り、後悔、犯人に対する憎しみを吐き出し続ける男の話を、吉良乃は黙って聞いていた。口を挟むべきではないということがわかっていたからだ。
「頼む、妻と娘の敵をとってくれ……犯人を殺してくれ」
 ようやく男は縋りつくような声で吉良乃にそう言い、そして吉良乃が引き受けるに十分な言葉だった。


3.
 依頼人を一旦帰してから、吉良乃は連続強盗殺人について詳しく調べ始めた。
 どのような家屋を狙っているか、犯行時間の特徴は、被害者の共通点は。
 連続犯というものは一定のパターンを作りやすい。それさえわかれば次に犯人が狙うような場所にも当たりを付けることができる。
 先程見た記事を思い出しながら吉良乃は調査を続けていた。確か、あの事件は5件目だったはずだ。
 いままでの事件を全て思い出す。強盗殺人と新聞には報道されているが、盗まれたものの額などさしたるものではない。しかし、必ずその家にいたものが犠牲となり、残されたものの悲しみにくれる顔がタチの悪いゴシップ紙などでは取り沙汰になっていたものだ。
「金持ちを狙ってというわけでもなさそうね。セキュリティが甘く逃走経路が比較的確保できるものを選んではいるようだけど」
 いままで起こった事件現場を地図にチェックを入れ、条件に当て嵌まりそうな家もいくつか見つけることができた。
 比較的郊外で人気もなく、多少騒ぎが起こってもすぐには気付かれにくい場所がターゲットになっていることはすぐにわかった。どうやら、犯人は随分と慎重に動いているらしい。
 しかし、それでも行動がパターン化されていることにはまだ気付いていないようだ。
「6件目は、やらせるわけにはいかないわね」
 そう呟き、吉良乃は絞り込んだ目的地へと向かい、その人物を待った。
 暗殺を生業としている吉良乃の勘はこういうとき決して外れることはない。
 時刻は深夜を回ったところだろうか、ひとりの男が吉良乃に気付かず家へと近付いてくる。
 フードを被ったその顔は影になって見えないが、肩に下げているショルダーバッグに何が入っているか容易く想像がつき、吉良乃は顔を微かに歪めてからすっと男のほうへ接近する。
「……な、なんだよ。俺になんか用?」
 突然現れた吉良乃に対し、警戒というよりも何処か落ち着きのないおどおどとした態度で男はそう尋ねてくる。
 新聞に載っているような凄惨な事件を起こしている者とはあまりイメージが結びつかないが、吉良乃は男に対して口を開いた。
「そのバッグの中身、見せてもらえるかしら」
 途端、男は狼狽の色をフードに隠れていてもわかるほど表わした。
「な、なに言ってんだよ。あんた警察じゃないだろ? どうしてそんなことを……」
「見られたら困るものでも入ってるのかしら。中身は何? ナイフ、それとロープもかしら」
「な、な、なんのことだよ!」
 慌てて逃げようとした素振りを見せた男の肩を吉良乃は掴むとその場に押さえ込む。
 あまりにあっさりと押さえ込むことができたことに対して訝しむほど、男は力がありそうにも見えず実際もがいてはいるがたいした抵抗にもなっていない。
「強盗殺人なんてやってるわりに、身体のほうは鍛えてないのかしら」
「だ、だから何のことだよ! 俺は、なにも……」
 押さえつけられながら情けない声でそう反論している間に、吉良乃は男のショルダーバックの中身を検めた。
 いまどき流行らないバタフライナイフに麻のロープ、ガムテープは被害者の口を塞ぐためのものだろう。
 と、そこに吉良乃はひとつのものを見つけた。
 デジタルカメラ。
 バッグの中身にそぐわないそれの用途が何であるか理解したとき吉良乃の目は凍てついたものになっていた。
 同時に吉良乃の脳裏に新聞などで得たいままでの被害者の特徴が過ぎっていく。
 幼い子供、女性、力の弱い老人。成人男性はひとりもいない。
 つまり、この男は自分より弱いものばかりを狙っていたのだ。それも、守ることができそうな者がいる場所には決して近づかず。
「おい、離せよ、はな──」
「うるさい。黙りなさいよ、この外道」
 その言葉と共に吉良乃の左腕が赤い光を帯びる。
 触れたもの全てを塵へと返す力を宿した左腕。
 それを、なんの躊躇いもなく吉良乃は男へと向けた。
 悲鳴をあげる間も与えられず、男の姿はこの世から消え去っていた。
 ショルダーバッグひとつだけを残して。


4.
 翌日、吉良乃が訪れたのはとある墓地だった。
 此処を訪れるのは随分と久し振りだったが、特に理由はなくただの気紛れに過ぎなかった。
 花を持つこともせず訪れた場所で、ふと視界に映った姿に吉良乃は動きを止めた。
 ひとつの墓前で手を合わせている姿は、間違いなく先日事務所を訪れた男性のものだった。
 男は、あのときよりも幾分穏やかな顔で墓石に向かって何かを話しかけていた。
 まるで、目の前に愛する家族がいるように、もう会えなくなってしまった者たちの姿が見え、声が聞こえているように男は墓石に向かって言葉を紡ぎ続けている。
 その光景に、別の光景が吉良乃の脳裏を過ぎる。
 何の力も持たなかったただの幼い子供に過ぎなかった自分。
 その目の前に横たわっているのはすでに息をすることのなくなった自分の家族。
 声をあげて名を呼んでも涙を流しても、もはや二度と返事が返ってくることもなく、優しく抱きかかえられることもない。
 それを認められず、理解もできずただただ泣くことしかできなかった小さな吉良乃の姿が、声が吉良乃の脳裏に蘇る。
 ゆっくりと頭を振り、その記憶を遠ざけると、吉良乃は男から背を向けその場を後にした。
 その目には薄っすらとだが涙が浮かんでいたが、それには誰も、吉良乃自身も気付くことはなかった。