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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


其は光、闇を統べし者 〜突撃班〜

□Opening
 それは冬の冷たい風に、更なる冷気を纏わせた。
 ぐにゃりと捩れたのは空か、――時間か。

 ……ァア……腹ガ減ッタナア……

 低い声が、一つ、二つ。
 十、二十。
 アスファルトの地面を這う。
 大地を波立たせるような不気味さと共に、それは人で溢れた魔都の只中にまぎれていく――。


 ***


 蒼月亭。
 店内のカウンター席で、店主ナイトホークに食って掛かるのは影見河夕だ。
「ちょっと待て、何が好きでソレとソレを混ぜるんだ」
「この組み合わせは比率次第で絶妙な味を引き立たせるんだよ。試しに飲んでみるといい」
「……美味いのか、それが」
「そういうのを食わず嫌いって言うんだ」
 顔を歪める河夕に、ナイトホークが薄く笑って言い返す。
 その傍では緑光が声を殺して二人の遣り取りに笑っていた。
「何だか楽しそうですね」
 彼らの様子を、少し離れたところから見ていたのは鈴木エア。
『Flower shop K』の店員である彼女は、花を生け代えるために店を訪れていたのである。
「最近、よくいらっしゃるお客様なんですよ」
 アルバイトの少年が、クスッと小さく笑いながらそんな彼女に答えていた。

 偶然か、必然か。
 彼らが一堂に会したのは、もうすぐ気温が氷点下になろうという、ひどく寒い夜だった。
 好きで外を出歩く者などそうはおらず、普段は夜を徹して遊び歩く若者達さえも帰宅させるほどの寒波。
 その中を、息を切らして走るのは。
「闇狩の!」
 蒼月亭のドアベルが鳴らす音色を掻き消す勢いで声を荒げたのは、肩で呼吸している草間武彦。
「どうした所長」
「草間さん?」
 ナイトホークも、エアも、何事かと彼を見る。
 青褪めた顔で呼吸を整えながら、草間は必死に言葉を紡いだ。
「い、家に…電話、したら、出た相手が、たぶん此処だって…っ」
「ああ」
「何かあったんですか? そんなに慌てられて…」
「い、いま、東京タワーに、黒くてデカイ不気味なモンが現れて、何でも喰っていくって…っ、その姿形が、おまえ達の管轄なんじゃないかと思ってな……!」
「何でも喰う?」
「魔物の気配はしないが……、いや、この不気味な気配は何だ…?」
 虚空を見据えて言う河夕に、ナイトホークも鋭い視線を流す。
「とりあえず行ってみようか、現場」
「そうしてくれ、このままじゃ東京全部が喰われそうな勢いだ!」


 ***


 そうして現場に辿り着いた彼らは、目の前に広がる光景に呆然と佇む。
 赤を基調にした東京タワーが、今はまるで伏魔殿。
 黒い塊に覆われ、その周囲を飛び交うのは人に見えて人に非ず。
 背に一対の翼を生やした獣が、十匹以上も飛翔しているのだ。
 加えて周囲に人気は皆無。
 それは皆が避難したからか、……喰われたからか。
 横転した車や無残な姿を晒している建物、ひび割れた道路。
 テレビの向こうでしか見たことのなかった光景が、そこにはあった。
「…今は食欲も治まっているようですね」
 光が冷静に分析し、ナイトホークは頷く。
「しかしこれの正体は何だろうな…」
「タワーの内部もどうなっているのか気になる。その喰われたという人間が生きている可能性もある」
 河夕が言い、それぞれに顔を見合わせる。
「……やるんだろう?」
「もちろん」
「放っておくわけにはいかないな…」
 彼らは意を決する。

 正体不明の異形のものを倒すため、彼らはそれぞれに動き出した――。


 ***


 目の前に広がっていく絶望的な闇を見つめて、草間・武彦は大きく息を吐いた。
「何故?」
『オオォォォ……オオ』
 呟く声は、闇の呻きに飲み込まれる。
「そ、そ、それは、やっぱり、中に入らないと分からないんじゃないでしょうか」
 武彦の後ろには、おっかなびっくりと言った感じの鈴木エアが、控えていた。
「いや、そう言う何故じゃない。俺が言いたいのはだな、なんであの中に入るのが俺達なんだ?」
 もう一度、おおきく息を吐き出す。
 黒い何かは、黒い何かを吐き出し、増え続けていた。空を飛ぶ有翼の獣を叩く役割。情報収集と連絡の役割。それぞれとても大切な役割だと思う。そして、あの闇に包まれたタワーに踏み込むのも、大切な役割で、それが自分達であるというのが、信じられない、と言うわけ。
「そ、そんな事を言っている場合じゃないですよ、早く、大元を何とかしないときっととんでもない事になりますよ」
「そう言えば、えっと鈴木さん? あんたはどんな能力があるんだ?」
 ほんの少し逃げ腰な武彦は、真剣にタワー突入を検討しているエアに訊ねた。共に戦うのなら、能力は知っておかなければならない。
「え? 特には無いです」
「ふぅん、オールマイティって事か?」
 見た目華奢な女性が、それは凄いと武彦はエアを見た。
「いえいえ、何にもないですよ、だって私ただの花屋の店員ですから」
「……、ん?」
「でも、大丈夫です。私、こう言う怖いものってはじめてじゃないんですよっ」
 これは、やばい匂いがする。
 武彦はもう一度エアを見た。彼女は、生きて捕まっている人の救助も考えなくてはいけませんね、などといきまいている。
 本当に、やばい。一緒にあの中に踏み込む者がいなければ、……。

■01
 闇の正体を探る者達は既に行動を始めている。空を染めていく有翼の獣も、他の者達が対処してくれるはずだ。
 自分達は、ただ、目の前のタワーに集中すれば良い。
 その一歩を、いつ踏み出そうか。
 タワーのすぐ傍で立ち止まっていた武彦とエアの元にシュライン・エマは現れた。シュラインは、全て心得ているというように、一度広がる闇を眺めてから二人に微笑んだ。
「うーん、増上寺と何か関係あるのかしらね武彦さん」
「増上寺? ……ナニソレ」
 武彦は、シュラインの言葉に首を傾げた。
 そんな様子を見ながら、エアも首を傾げる。これは事件を颯爽と知らせに来た男なのだろうか。先ほどまで、緊張で肩を震わせていたのに、急に幾つも幼くなったような気がした。いや、良い意味で力が抜けたのかも。
「昔ね、江戸の裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したと考えられているの。確か、タワーの脚の一本がここの墓地跡に建ってるとか何とか……」
 と言う、丁寧なシュラインの説明に素直に頷く姿がほほえましい。何だかおかしい。
 エアもふっと力が抜けたように、笑ってしまった。

□06
「何故突入担当がお前等なんだ。完璧な人選ミスだ」
 タワーに突入すると言う事は分かった。揃った顔ぶれも頷ける。
 ただ、肝心の、一番最初に突入担当を受け持った人選に、突っ込まずにはいられない。
 冥月は、冷ややかな視線を武彦とエアに向けた。
「大丈夫です。お二人には保護をかけますから……、『聖風壁』よ」
 冥月の言葉に、美沙姫がいち早く反応する。言葉が終わるか終わらないか、優しい風が武彦とエアを包みこんだ。
「おお、凄いな。何か強くなった気がする」
 武彦は、自分の拳を眺めて驚く。
「あくまで霊的・物理的な保護です」
 過信しないでくださいと美沙姫が笑うと、武彦の腕をシュラインが小突いた。
「だそうよ。気を付けてね、武彦さん」
「おお。あ、いや、お前は大丈夫なのか?」
 物理的にはどうにでもなれど、霊的な防御の力が有るとは言い難いのはシュラインだって同じようなものでは無いのか。武彦の心配を綺麗に払拭するように、シュラインは微笑んだ。
「一応、聖水の入った噴霧器にお神酒、お塩におにぎりも持ってきてみたの」
 ……今何か、違和感のような感じがしたような気がした……?
 武彦が、その何かを考え終わる前に、タワーの入り口から隼人が声を上げた。
「おーい? 入るんじゃねぇのかよ」
 その隣で、真帆はタワーの中を伺っていた。
 相変わらず、唸り声、いや、呻き声のような音が聞こえている。
「これって、……声、ですよね?」
 中に何がいるのか。
 今のままでは情報が少なすぎるし、もし閉じ込められている人がいるのなら安否も気になる。
 いずれにせよ、入ってみるしかない、と言う思いは同じだった。

□07
「ええと、何だか簡単に入れちゃいましたね」
 蛍袋のランプを片手にこそりと真帆が呟いた。
「そうねぇ、ま、今の状況を見ると人なら拒まれないかもしれないわね」
「こ、怖い事、言わないでくださいよぅ」
 タワーには簡単に進入できた。念のため、冥月の影が全員を守って入ったが、入ってしまえば全てが闇に支配されているわけでもなかった。タワーの受付付近で辺りを見回すシュラインを、エアが不安そうに見る。
「エレベーターは稼動していませんね。非常階段を使えば昇っていけそうですが」
 受付に備え付けられていたパンフレットを手に取り、美沙姫が階段を指差した。その先を見つめ、冥月は頷く。
「確かに、相当の数だな」
 入ってくる時にも感じた。入る前には影で調べた。確かに、このタワー内に、生きた人間がいる。そして、それ以上に、正体の分からない、闇の塊も。
 真帆の用意した魔法のランプがぼんやりと辺りを照らす。
 不思議な事に、闇は襲ってこない。けれど、遠巻きに様子を伺っている。
「どっちでも良いさ。どうやって進む?」
 隼人は、興味がなさそうに皆を促した。進む先は他人任せにするつもりらしい。
 ひとまずの安全を意識して、シュラインが人差し指を口にあてた。息を殺して、耳を澄ます。どろりと塊が動く。どろり、どろり。流動体とも固体とも言えないねっとりとした音が聞こえる。それから、遠くで、ほんのかすかに、聞こえる。
 は……ぁ、ぁ……、
 弱くて。
 ぁ、……は、
 聞いた事のある。音。声。息遣い。
 人間の、息遣い。シュラインは、おおきく息を吐いて上を向いた。
 美沙姫は、その方向へ向かって、指を伸ばす。
 武彦とエアを守っている風の力だけではない。全ての精霊に呼びかける。全ての元凶はどこに居ますか? 囚われた人々は、どこに? わずかに流れる空気は風の精霊が、夜露に残る記憶は水の精霊、篭る熱は火、闇には闇の、光にも。彼らの存在を意識して、全ての精霊に語りかける。このフロアにはいない。もっと上、二階、三階、いいえ、その先に。普段よりはずっと弱い声で、囁きが返ってきた。
「どうやら、行き先は決まったようだな」
 シュラインと美沙姫、二人の視線の先を武彦も見つめる。
「シャイニング・ソウル、お目醒めなさい」
 美沙姫の声が静かに響いた。ここから先は何が起こるか分からない。不測の事態に備え、精杖『シャイニング・ソウル』を起動させる。
 上へ。
 一同は、進んだ。

□08
 しゅっと、噴霧器を吹き付ける。
 階段の入口と出口に、そうやって聖水を振り撒いた。闇の正体は分からないけれど、シュラインは退路を確保するため保険をかける。その傍らに、真帆がベルフラワーのミニチュアランプを置いていく。そうすると、不思議な事にうっすらとした光を闇が喰う事は無かった。聖水が効いているのか、ランプの力が強いのか、今はまだ判断できない。
 ぎいと、扉を開ける。
 タワーのフットタウン二階はレストラン街だった。
『アァ、……ア』
「出るな、退けっ」
 扉を最初に出た武彦を、闇の塊が襲う。
 間一髪でそれを防いだのは、同じような闇の盾――、いや、冥月の影で作った防御壁だった。がん、と、派手にぶつかる音が響いた。おんおんと、余韻が残る。
「な、んだ?」
 目の前で力がぶつかる音を聞き、武彦は身を屈めた。
 『聖風壁』で守られているとは言え、もし捕まればどうなる事か分からない。事態を理解して、美沙姫がフロアに飛び出す。次のアクションで指先から雷を呼び、闇の塊をなぎ払った。一瞬、目がくらむほどの光がはじける。
『……、ア、……ヘッタ』
「おお、うじゃうじゃ居やがる。でもよ、沢山居るって事は、雑魚って事で片付けて良いなぁ?」
 殿を勤めていた隼人もフロアへ上がった。
 先ほどのぶつかり合いで確信する。闇に実態があるのだ。実態があるものは、撃てる。軽口を叩きながら、伸ばした腕にブレなど無い。あるのは、練りこんだ殺気だけだった。
「あ、ま、待ってください!」
「あぁ?」
 しかし、ハンドガンを構えた隼人の前に、慌てて真帆が立ちふさがる。隼人は、その行動が理解できない。不機嫌そうに、真帆を睨みつけた。
「えっと、樋口さん、どうしたんです? た、たぶん、こ、怖いですよ……」
 この仁薙さんは、と言う言葉を飲み込んで、エアが真帆の裾を引っ張る。
「でも、その、何か言っているんです。ね? 聞こえませんか?」
 真帆は、蛍袋のランプをふらふらと振りながら、シュラインを呼んだ。
「そう、ね……、確かに、うん、発音かな?」
 冥月が作った影に隠れながら、シュラインは闇の塊の呻き声を聞き分ける。言われてみれば、野獣の呻き声のような中に、確かに聞こえる、人間の舌で作り出したような音、声?
 シュラインの言葉に後押しされたように、真帆が最初に襲いかかって来た闇に向かって叫んだ。
「こん、ばんはっ、あの、聞かせてください。貴方はどうしたいの?」
『アァ、……、ア、……ラ、ガ、ヘッタナァ』
 真帆の行動に関係なく狙いを定めていた隼人の耳にも、今度は届いた。
「お、おなか、ですか」
「やっぱり、お腹がすいているのよ」
 闇の主張を聞いて、真帆とシュラインが相談する。
「ですが、フードコートは営業時間外のようですわね」
 そこに、美沙姫も加わった。緊迫した状況で、良くそんな相談ができるものだ。隼人は軽く舌打ちをし、闇の襲撃に備えた。相談をする三名の後ろでは、何処から攻撃されても良いように、冥月が盾を作り続ける。
「ふふふ。あのね、実はお供え用に持ってきたの。おにぎり」
「え、ソレ、お供え用だったのか?!」
 シュラインが取り出したおにぎりを見て、一番に叫んだのはややがっかりした感じの武彦だった。
「……、武彦さんには、また今度ね。でも、どうやって渡そうか?」
 武彦を慰めながら、シュラインはおにぎりを見つめる。手持ちの塩や聖水が何処まで効くかは未知数だ。
「あの、私、渡してみます」
 すると、勢い良く真帆がその手を上げた。あまりに当たり前のように言い出して、そのまま駆け出す。そして、腹が減ったと主張した闇の塊に、おにぎりを差し出す。
「だい、じょうぶ、なんでしょうか?」
「いざとなったら援護する」
 不安そうにその様子を見るエアの肩に、冥月がそっと手をのせた。
「受け取られたようですわ」
「あら、食べて、いるのね」
 真帆の様子を、美沙姫とシュラインも、固唾を飲んで見ている。
 皆が見つめる先では、真帆の差し出したおにぎりを闇の塊が飲み込むところだった。それから、闇は、消えた。綺麗に消えた。真帆の表情を見ると、満足して消滅した、のだろう。
 真帆は、振り向いて、笑顔で手を振る。
「……、伏せろっ」
 その時、隼人の声が飛んだ。
 同時に一つ大きな音がはじける。正確に狙い済ました散弾が真帆の背後ではじける。消えた闇にかぶさるように、もう一つの闇が真帆を狙っていた。問答無用の、えぐるような打撃。
 それは、隼人の散弾銃が打ち砕いた。
 けれど、次々に闇の塊が、乱舞する。
「こちらの方々は、話し合う余地など無いようですね」
 美沙姫は、向かってくる闇を雷でなぎ払った。風の魔法で切り裂くよりも、雷の魔法を煌かせる方がより効果がある。それに、気がつきはじめていた。
「ゆっくりこちらまで来い」
 一つ、二つと隼人が闇を撃破する。隼人の弾丸は、同時にありえない位置から敵を撃った。その弾丸と闇の塊から真帆を守っているのは冥月の影だ。
 冥月は真帆に手を伸ばす。
「だい、だいい、じょうぶですか? どうして、あんな無茶を」
「はい。平気です。……?」
 冥月が引き寄せた真帆を、エアががっしりと受け取った。
 エアは、何故真帆が闇を恐れずに進んで行ったのか分からない。
 真帆には、闇がイコール害なす物と言う考えはない。
「おい、まだ上に昇るのか? そろそろタリぃんだけど?」
 リロードを繰り返しながら、隼人が面倒くさそうに武彦を見た。
「上へ行きましょう。まだフットタウンです。展望台まで行かなければ」
 雷を練りながら美沙姫が上を指差す。
 生きた人間が、展望台に。精霊達が告げていた。

□09
 階段を慎重に昇って行く。
「それにしても、話し合えばきちんと納得して消えてくれる者もいるって事かしら」
「けれど、容赦の無い方が多いです。それと……」
 聖水を噴霧しながらシュラインが首を傾げる。闇の塊と言う種を、更にカテゴライズできるのではないか、と言う疑問。美沙姫は、シュラインの意見に頷きながら、最後の言葉を飲み込んだ。風よりも雷の方が効果があるような気がする。けれど、確証が無い。それを言って、皆が混乱してはいけない。
「もし、話し合って解決できるのなら、それが良いです」
 おにぎりを闇の塊に手渡した真帆は言う。
 戦う。
 けれど、それは最後の手段にしたかった。
「いや、つか、全部殺っちまえばいいんじゃね?」
 神妙な顔つきの真帆に向かって、にやりと隼人が笑う。
「その考えには概ね賛成だが、からかうのは感心しない」
 冥月が隼人にちくりと指摘すると、隼人は無言で肩をすくめた。それ以上言い争うわけではない。本気で、揶揄していたわけではないようだった。
「さすが兄さん、男前だな」
「沈め」
 その様子を更にからかう武彦に冥月の手のひらがめり込んだところでシュラインが頭上を見上げた。
「ねぇ武彦さん、あれ、何かしら?」
 その言葉に、皆もそれを見る。
 そこには、一体何処から現れたのか。
 白と黒の何かが、ふよふよと飛んでいた。
「何を言っているんだシュライン、こんなところにパンダが飛んでいるわけ無いだろう?」
「あ、言っちゃいました」
 その存在を爽やかに否定しようとする武彦の言葉に、エアが額を押さえた。
 端的に言うのなら、パンダが飛んでいたのだ。
「笹食えフライトシステム装着してるから、ダイジョウブもふ〜」
 そして、何となくパンダのようなそれは、分かったようなそうでないような理屈をこねて、紙切れを武彦に押し付けた。
「……」
「……」
 やや、沈黙。
 誰かが何か言う前に、それは飛び去る。
 気前良く手を振っていたようだけれど、結局誰も反応を返さなかった。
「……、あ、おい、これは」
 武彦は、何度か頭を振って無理やり握らされた紙切れを見て声を上げる。
「ノイギーア、弱点は光、人の想いや想念を糧にする」
「ノイギーア……ドイツ語で好奇心、と言うところね」
 シュラインは、その内容を検討するように、ノイギーアともう一度発音した。
「ああ、雷ではなく、光が弱点だったんですね」
 美沙姫は、納得したと頷く。その視線の先には、真帆のランプ。道理で、ランプの光が行き渡る階段では、襲われないわけだ。
「あとは、んー、群れで行動する、時空を閉じればこれ以上増えない、そうだ」
 武彦は、受け取った紙切れを何度か確認して、皆に読んで聞かせる。情報を集めてくれた者達からのメッセージだった。
「と言うことは、どうしても時空のひずみに行かなければですね」
 真帆の言葉に、皆頷いた。

□10
 弱点が光と分かればやりようはいくらでもある。
 まずは冥月の影で隠れて近づく。それから一応声をかけてみる。話し合えるのなら、それで良い。主に交渉はシュラインが行った。話し合いの余地が無いのなら、美沙姫の雷と真帆の魔法で蹴散らし隼人が狙い打つ。魔法の光は冥月の影をより強固にしたし、空間と空間を繋ぐ隼人の能力は影に潜っていても完璧にノイギーアを仕留めた。
 また、人の思いを喰ったノイギーアは、『聖水は何となく邪なものに効く』『塩は悪を清める』と言う概念も吸収していたため、シュラインの作る退路も申し分なかった。
 一同は、フットタウン二階へ進入した時よりも短時間で、展望台へとたどり着いた。
「はぁ、……た、す、……け」
「た、……すけて」
「あ、あぁ……」
 そこに、生きた人間が集められていた。
 集まっていた、のではない。
 一つ所に固まった人々の周りを、幾体ものノイギーアが取り囲んでいる。
「何ですか、どう、なっているの?」
 黒く蠢く塊の隙間から、小さな悲鳴が聞こえていた。その状況が、上手く処理でいない。エアは、よろよろと引いていく。その頭を、冥月が抑えた。
「肉体を喰われている訳ではないな」
「ええ、人の想いを糧にする、か。食べているのは、恐怖の心、と言うところかしらね」
 とても冷たい声で、シュラインが呟く。
「今までのように、フロア全体を殲滅、と言うわけにはいきませんね」
 瞬きをするような短い時間で、美沙姫もフロアの状況を把握した。厳重に囲まれすぎている。真帆の魔法と合わせても、人間だけを守ってノイギーアを狙い打つことができるだろうか。
 できる、かもしれない。
 できない、かもしれない。
 いや、シャイニング・ソウルの補助がある。
「なに? 助けんの? 面倒くせぇ」
 そこへ、心底どうでも良いような口調で、隼人が口をはさんだ。
 目印を付け終わった真帆も、フロアに上がって目の前の状況を目の当たりにする。
「もう、話し合うことも、できないんでしょうか」
「多分、だが。最初のアレと話ができたのは、純粋な人間の想いを吸収したもの、だったからじゃないのか」
 煙草が、吸いたい。
 理由も考えず、成分を省みず、ただ純粋に吸いたい。
 武彦の欲求と、ノイギーアの欲求が、何か違うと?
「方法が無いわけじゃない」
 ノイギーア達との目測を計る冥月。狙いを定める美沙姫と少しだけ不安そうに魔法のランプを地面に置く真帆。興味のなさそうな隼人をぐるりと見回して、シュラインがにっこり微笑んだ。

□11
「一度しかない、行くぞ」
 冥月の影が綺麗に円を描く。
 それがそのまま立体となり、影の円柱が囚われた人々を包みこんだ。一つの場所に固まっていた人々は、声を上げる暇もなく影に沈んだ。当然、ノイギーア達は消えた人々を追って影を襲う。冥月はそれを許さない。すぐに影はフロアに溶け込んで、一面と化し立体が無くなる。
 フロアとノイギーア達の間に一瞬隙間ができた。
 その隙間から、無数の弾丸が飛ぶ。
 隼人が、銃口とノイギーア達の目前の空間を繋ぎ合わせて、散弾銃をぶっ放したのだ。面倒くさいと主張していた者が、とても丁寧な仕事をする。
「それでは、行きます」
 散弾に吹き飛ばされたノイギーア達は消えた。
 風圧でのけぞった闇の塊は、自身の制御を失う。
 美沙姫が、そこを叩く。
「シャイニング・ソウル」
 手にした杖は美沙姫を助ける。まるで無数に伸びたセンサのようで、全ての事を囁いてくれた。紡ぎ出す雷は、今までのものとは比べ物にならない。大きな光が弾けて、何かを引き裂くような轟音が響いた。
 辺りの闇は沈黙し、消えて行った。
 ソレを確認すると、シュラインは急いで聖水を噴霧する。その後ろから、真帆がミニチュアのランプを置いていく。
 フロアに訪れる静寂。
 ノイギーアの沈黙を確認する。
 冥月は、影を取り出した。
「あ、……はぁ」
「ひひ……は、あ」
 囚われていた人々は、憔悴し切っていた。
「落ち着いて。何がありましたか」
「大丈夫です、ゆっくり、身を起こして」
 ふらふらと首を振る人々に、シュラインが駆け寄り手を貸す。エアが遅れて続いた。
 けれど、人は、シュラインもエアも見ていなかった。
 無いはずの空を見上げ、呻く。
「おおきな、くろいものが、……でてきて」
「あ、あぁ、上に、……、いる。おおきな。おお……き、な」
 ふらふらと、体が揺れる。ふるえる。
 精神が、限界を、越えている。
「眠りの風よ」
 これ以上は、無理だ。美沙姫はそう判断し、囚われていた人々を眠らせた。
 折り重なり、眠りについた人々に、ようやく安息の表情が覗いた。
「でもよぉ、どうすんの、コイツら。邪魔なだけじゃねぇのか?」
「守りの魔法で、保護する事はできますが……」
 隼人は、銃の残弾を確認しながら、眉を寄せた。美沙姫は思案するように首を少しだけ傾げる。それはシュラインも同じで、清めの塩や聖水で守る事はできるはずだ、けれども、まだするべき事が残っている。
『……ァア』
 頭上から、一層大きく響く重低音。
 それが、自分達の、上にいる。
 冥月も同じ考えの様子だ。自分の影にずっと隠しておくというのもアリだ。けれど、こんな状況のタワー内部に、彼らが耐えられるのか? 眠っていても、耳を全て閉ざせるはずがない。
「それなら、これでどうですか? 安全に外に運んだほうが良いですよね」
 言うが早いか、真帆が大きなシャボン玉を作り出した。
 そのシャボン玉は綺麗に七色に輝いていた。真帆が手を広げると、眠っている人々を飲み込みはじめる。人々は、ゆらゆらと揺れるシャボン玉のゆりかごの中で眠り続けた。
「へぇ、何だか、夢がありますねぇ」
 その光景は、闇に覆われたタワーの真っ只中にいる事を、少しだけ忘れさせた。
 エアが口元に手をあててその光景に見入っていると、真帆は照れたように笑った。
「あとは、……、ここあとすふれに先導をしてもらって、窓からでも……」
「窓の外は敵だらけだぜ?」
 眠る人々をシャボン玉に包みこんだ真帆が、隼人に指摘されて窓の外を見る。
 確かに、展望台のフロアから眺める事のできる空は、夜の暗がり以上に闇に包まれていた。
「だったら、直接タワーの入口に送る他ないわねぇ」
 どうするのかと軽口を叩いた隼人の肩を、シュラインががっしりと掴んだ。
「そうですわね。その方法が確実です」
 美沙姫も気がついたのか、笑顔で微笑む。
「……、俺?」
「そっか、そうですね。お願いします」
 面倒くさそうに目を細めた隼人に、真帆も素直な視線を送った。
 女性三人に囲まれて、隼人がため息をつく。依頼ならば仕方が無い。そう呟いて、タワーの入口をイメージした。
 今のフロアとタワーの入口を繋げるワームホール。
 隼人の作り出したそれを使って、シャボン玉に守られた人々は、タワーの外へと送られた。
「なぁんだ、仁薙さんて悪い人じゃないんですねぇ」
 エアはその光景を見て、武彦にこっそり耳打ちをした。

□12
「ナンセンスだな、予想通りの大物だ」
 展望台二階にたどり着いた。
 冥月は、目の前の物体を見て、ため息をつく。
 助け出した人が話していた通り、そこには大きな黒い塊がうぞうぞととぐろを巻いていた。どろりどろりと動いたかと思えば、身体の一部が切り離されて、黒い塊が産まれる。
「時空を閉じれば増えない、と言う事だったわね」
「と、言う事は、あの塊の奥に時空の歪があると考えて良いようですね」
 シュラインと美沙姫は、現状を確認しあった。
「でも、どうする? 今までのように、中心に飛び込んでって話じゃ、すまない雰囲気だぞ」
 ごくり、と、つばを飲み込む。武彦の表情は、今まで以上に引き締まっていた。
「いんや。ここまで来たんだ、真っ直ぐ行けば良いじゃねぇか」
 隼人は、にやりと笑うと、その手をノイギーア達にかざす。わらわらと湧きあがっていた闇の塊が、ぐにゃりとゆがむ。真っ直ぐにこちらへ向かってきていたモノが、突然その場でもがきだす。
 空間を、ゆがめたのだ。
 さぁ、後はご自由に。
 隼人の視線を受け取って、真帆が立ち上がる。
 フロアを占拠しているノイギーアは、人の想いを貪り喰った。最初は、人間の想いそのものを。味を覚えた彼らは、やがて、人間を閉じ込めて、恐怖を引き出しそれを喰った。
 こちらの世界に現れたときには、純粋なものだったのかもしれない。
 けれど、今は、人間の恐怖の味を覚えた、モノ。
 人間の恐怖を喰らうもの。もう、どうしようもない。
『夜の女神が抱きしは、常闇を彩る七色の煌き』
 紡ぎ出す、言葉までも、美しく輝く魔法を。
『舞い散る光の欠片よ、夜に咲く幾千の花となれっ』
 きらきらと、七色に輝く光の欠片は、フロア全体に降り注ぐ。舞い散る花びらのように、美しく羽ばたく羽のように、ノイギーアを消して行った。
「み、皆さん、頑張ってくださいっ」
 急に身体が軽くなったエアは、力を入れて応援をはじめた。
『アァ……、ァ、ッ』
 そこへ、一体のノイギーアが、突進してくる。動きは散漫だが、前へ進む事だけに注いだ力は、スピードに乗った。どん、と言う破壊音が、エアの身体に響く。
 瞬間、身体を抱え込んだエアは、しかしその音が遠くの出来事のように感じた。
「前に出すぎるな」
「冥月さん……!」
 その代わり、冥月のため息が耳元に聞こえる。
 いつの間にか、エアは冥月の両腕に抱えられていた。本当にいつの間に。エアは驚きと、味わった恐怖に、自然と冥月の首に両腕を回す。冥月はエアを落ち着かせるように、ぽんぽんと肩を叩いてやった。
「エア、さがっていろ。実態があるものは、叩く」
 冥月は、エアをおろすと防御の手段を持たない者を守りながら、影を伸ばした。
 同じ闇だと言うのに、冥月の影はノイギーアをことごとく叩き潰して行く。
「こっちは大丈夫よ、うん。聖水、効くわね」
「シュライン、無茶はするな」
 そろそろ残量も少なくなってきたけれど、まだまだ出力に問題ない。シュラインは、聖水を噴霧しながら、ゆっくりと向かってくるノイギーアをけん制する。
 その隣で、武彦は、シュラインから受け取った清めの塩を撒いていた。
『アァ……、ア、ァ』
「悪いが、仕事なんでね」
 皆の行動に、問題がないと判断する。
 隼人は、消し飛ばされて身体が縮んでいく巨大なノイギーアに、容赦なく散弾を向けた。
 きらめく魔法と、撃砕する影の拳。撃ち込まれる銃弾に、ノイギーアは徐々に衰退して行った。
 後少しで見える。
 それから、タワー内に潜んでいるモノも、消さなければいけない。
 皆が戦う少し後ろで、美沙姫は機会を窺っていた。シャイニング・ソウルの補助のおかげで、力は十分残っている。
 潰れて行く。
 少しだけ増える。
 ああ、時空の歪から、増えているのか。
「そこに、あるのですね」
 ならば、歪みごと浄化する。
『大気に宿りし精霊達、風を纏いて我が元に集いたまえ』
 美沙姫の元に、今までに無いエネルギィが集まりはじめた。ノイギーア達は、それに気がついたのか本能か、美沙姫を目差して群がり始めた。しかし、届かない。この空間を支配している隼人が許さない。真帆の魔法の光が拒む。冥月の影が守る。シュラインの聖水が牽制する。
『浄めの風を以て全ての悪しき存在を浄化せん』
 言葉が力に変わるその時、びゅうと風が吹いた。
 美沙姫の霊覇浄風儘は、当たり前のようにタワーに浸透して行く。闇は静かに消え去り、そこかしこで聞こえていた重低音が遠のいていった。

□Ending
「はぁー。何とかなったか。みんな、礼を言う」
 再び、タワーの入口。
 武彦は、無事やり遂げた一同を見回した。
「聖水もおにぎりも、無駄にならなくて良かったわ」
 あれだけの闇の中を潜り抜けてきたというのに、シュラインは武彦にくすりと笑って見せた。
「……、エア、また花を見に行く」
 冥月は、すでにタワーを見ていない。
 エアの肩に軽く触れて、そのまま立ち去ってしまった。
「本当に、助けるためだけに来てくれたんですね」
 ただ純粋に、自分達を助けるためだけに、来てくれたのか。エアは、立ち去る冥月の背中に向かって、ありがとうございましたと叫んだ。
「なんとかなりましたね」
 美沙姫は、精霊達の声を聞いていた。あの闇の塊はもういない。どこにもいない。
 囁く声が、はっきりと聞こえる。
「はい。来てくださってありがとうございます。最後のアレ、凄かったですねぇ」
 何故かヒソヒソ話をするように、声のトーンを落とすエアの様子に、美沙姫は笑って答えた。
「これで依頼も完了ってわけだ」
 ふうと一息、隼人が吐き出す。
「あの。今日は本当にありがとうございました」
 それから、最初に引いてしまってすみませんと、エアが丁寧に頭を下げた。
「別に、仕事だからな」
 と隼人は笑った。
 その、豪快な笑い声に、武彦もほっと胸をなでおろす。
「……、助け出した人達が、無事で良かったです」
 真帆は、もう一度タワーを振り返って見た。
 最初におにぎりを手渡したノイギーアは、笑って消えて行った気がしたけれど、それを確かめる事はもうできない。
 ひゅうと吹いた風は、頬に冷たく感じた。
<End>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【4607 / 篠原・美沙姫 / 女性 / 22歳 / 宮小路家メイド長/『使い人』】
【7315 / 仁薙・隼人 / 男性 / 25歳 / 傭兵】
【6458 / 樋口・真帆 / 女性 / 17歳 / 高校生/見習い魔女】

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■         ライター通信          
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 この度は、ノベルへのご参加有難うございます。皆様、この危機に駆けつけてくださいまして、本当に有難うございました。皆様のお力一つ一つが積み重なって、結果に結びついたと思います。ノイギーアの詳しい情報やタワーの外の出来事などは、別働班のノベルをご覧ください。
 □部分は集合描写、■部分は個別描写になります。
 後日、匠絵師による異界ピンナップの募集がありますので、こちらも併せてよろしくお付き合い下さい。

■シュライン・エマ様
 こんにちは、いつもご参加有難うございます。聖水もおにぎりもありがたく使わせていただきました。いつもながら、すぐに手の届くそしてそれに気がつかないような素敵なご提案を有難うございます。武彦氏もさぞ心強かったことと思います。
 それでは、また機会がありましたらよろしくお願いします。