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<東京怪談ノベル(シングル)>


Riesling

「もしもし……」
 電話というのは、いつでも何だか緊張する。
 日本ではほとんどの人が携帯電話を使っていて、かくいう自分も仕事に必要なので持ってはいるのだが、それでも、その用件が色々重要なところに引っかかっていると、やっぱりかしこまってしまう。
 デュナス・ベルファーが電話をしたのは、蒼月亭だ。いつもランチを食べに行ったり、お茶を飲みに行ったりするのだが、今日はそれとは関係なく、ナイトホークに個人的に用があったからだ。

 全然別の話ですけど、近々実家からワインが送られてくるんです。うちだけでは飲みきれない量を送ってくると思いますので、蒼月亭に持ち込んでもよろしいでしょうか?

 それは、秋口にデュナスが送ったメールがきっかけだった。
 デュナスの実家はフランスのアルザスにあって、葡萄の栽培からワイン作りまでを手がける小さなワイナリーをやっている。
 今まではフランス国内にだけ売っていたのだが、日本のワインブームの話をデュナスから聞き、日本で受けそうな味かワインに詳しい人に味見をしてもらって、感想を聞いて来て欲しいと言われたのだ。
 デュナスが知っている人の中では、一番ナイトホークがワインなどに詳しいだろう。本当は、自分が雇ってもらっている会社の社長に飲んでもらえれば、貿易などもやっているので一番手っ取り早いのだが、流石にそこまでする勇気はない。
 プルルル……。電話の呼び出し音がしばらく鳴った後、聞き慣れた声が電話に出た。
「お電話ありがとうございます、蒼月亭です」
「あ、もしもし、ナイトホークさんですか? デュナスです」
 ナイトホークが出たことに何となくほっとしつつも、デュナスは用意したワインの瓶を見ながら、いつぐらいが丁度いいかを聞いた。蒼月亭は夜も営業しているので、忙しいときに持って行ってしまっては、落ち着いて話が出来ない。
「ああー……だったら、今日持ってこないか? 店早じまいするからさ」
「えっ、味見してもらうだけなのに、それは悪いです」
「いや、純粋に俺が飲みたいんだよ」
 なるほど。
 そういえばメールの返事でも、アルザスのワインは垂涎物だとか書いてあったような気がする。デュナスは少し笑い、携帯を持ったまま頷いた。
「分かりました。じゃあ、今日の夜に行きますね」

 23:00過ぎに蒼月亭へ行くと、入り口には『本日都合により22:30で閉店します』というボードが置いてあった。
「……今日は飲む気満々ですね」
 紙袋に入れたワインの重みを確かめ、いつもとはちょっと違った面持ちでドアを開けると、ドアベルの音と共にいつもの挨拶が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ。すっごい待ってたよ」
「こんばんは。それにしても準備万端ですね」
 カウンターの上にはワイングラスやクーラーなどの他に、薄切りにしたバゲットやカプリス・デ・デューというフランスの白カビチーズ、ワインで戻したイチジク等のつまみが並んでいる。どれもワインに合う物ばかりだ。
「気合い入れてつまみ用意しすぎた。テイスティングするから、夜ずっと煙草吸ってない」
「ナイトホークさんらしいです」
 そう言ったデュナスは、つまみのなかに見慣れたチーズがあることに気がついた。
「あ、『マンステール』……」
 それはアルザス地方で作られている、ウォッシュタイプのチーズだ。外側の皮は独特の匂いがあるが、中は柔らかくてクリーミーでコクがある。デュナスも実家にいた頃は、これを茹でたジャガイモにつけて食べたりしていた。
「わざわざ用意してくれたんですか?」
 日本が好きすぎて、時々「日本人より日本に詳しい」などと言われたりするデュナスだが、やはり自分の国の物があったりすると嬉しい。するとナイトホークが目を細めて、カウンターに座るよう促す。
「やっぱり、地の物に合わせた方が美味いと思ってさ。日本酒だってそうだし」
 こういう気遣いが、やっぱりナイトホークらしいと思う。デュナスはカウンターに座ると、送られてきたワインを二本カウンターに置く。
「リースリング種で作った辛口のワインなんです。一本は若いものなんですけど、もう一本は1996年の、ワインの当たり年に出来たものを」
 ラベルには「リースリング ブラン・ベルファー」と銘柄が書かれている。それを手に取ったナイトホークは、感心したようにラベルを見た。
「1996年って、アルザスだとヴィンテージだろ。いいのか?」
「飲んでもらわないと、私が実家からせっつかれます。自分の家で作った物に誇りがありますし、いい物を飲んでもらわないと」
「了解。じゃあ、先に若い方から開けるか」
 ソムリエナイフを器用に使い、ナイトホークは封を切りコルクを開け、用意してあったグラスにワインを注いだ。
「爽やかな匂いだな」
「ドイツで作ると、甘口が多いんですけど、アルザスでは大抵辛口になりますね」
「んじゃ、いただきます」
 しばし香りを楽しみ、色を見た後で、ナイトホークは一口じっくり味わう。何だか、テストの結果を待っている子供のような気分になりつつも、デュナスはその様子をじっと見つめる。
「どうですか?」
 ナイトホークは答えずに、もう一口ワインを飲む。
「……うん、スッキリしてるのにコクがあって美味い。色んな料理に合いそうだし、日本人が好きそうな味じゃないかな……つか、俺の店に置きてぇ」
 嬉しそうな笑顔に安心して、デュナスもワインを飲んだ。フランスにいた頃は、食事の度に出てきた物なのに、遠い異国の地で飲むと何だか味わいも違うような気がする。
 これなら日本で売れそうだとか、皆に味見してもらっても大丈夫だろうという話をしばらくしたあとで、ナイトホークは感慨深そうにデュナスを見た。
「でも、デュナスの実家がワイナリーだとはね……場所が場所ならシャトーか」
 フランスワインは、地方によっては畑にまで等級が付けられる。アルザスはドイツ国境近いので、そういう格付けはないのだが、それでもワイン自体の品質分類は厳しい。
「そんな偉そうなものじゃないですよ。私の家ぐらいの規模だと、そうですね……日本で言うところの『造り酒屋』みたいな感じで」
「お前はどこで、そういう日本語を覚えてくるんだ」
 そう言いつつも、ナイトホークは楽しそうだ。そんな様子を見ていると、楽しいと思うと同時に、デュナスは少し胸が痛む。
 ここにワインを持って来たのは、確かに味見して欲しいという意味もあったが、「鳥の名を持つものたち」の話をしたかったというのもあるからだ。
 デュナスが関わった事件に出てくる、共通する人の名前。鳥の名をつけられた者と研究所……それが、ナイトホークにも繋がっている。詳しく聞かないが、ナイトホークという名も日本語に直せば「ヨタカ」だ。
 この話は、今日じゃなくてまた別の機会にしようか。デュナスがそう思ったときだった。
「そういえば、デュナスも『鳥の名を持つものたち』の事件に関わってたんだよな……そう思うと、世間って意外と狭い」
「無理にその話をしなくてもいいんですよ」
「いや、こういう機会でもないと話せないと思って。出来れば、あいつとかには関わらせたくないし」
 そう言いながらナイトホークは上を指さした。蒼月亭の二階は、外から入れる居住スペースが三軒ほどあって、そこには蒼月亭の従業員が住んでいる。関わらせたくない……という気持ちは、デュナスも同じだ。
「………」
 空いたグラスにデュナスがワインを注ぐと、ナイトホークはチーズと一緒にイチジクを口にして、小さく溜息をつく。
「デュナスには話したことあったかな。俺、実はこう見えても、明治生まれなんだ。結構爺さんだろ? でもって、何故か死なない。殺されても何故かふらっと戻ってくる」
 その話を、デュナスがナイトホークから聞くのは初めてだった。一度ナイトホークが誘拐されたときに、『もしかしたら、この人は死なないのかも知れない』という話を聞いたことはあるが、きっと今話したような意味だったのだろう。
 でも、ここで深刻になるのも何だか変だ。目の前にいるナイトホークは、どう見ても三十代ぐらいで……そう思うと、ふと素朴な疑問が湧く。
「ナイトホークさんは、日本の方なんですよね?」
「うーん、その辺はちょっと分からん。俺、研究所に入る前の記憶が、全然ないんだわ……なんか気になることでも?」
「い、いえっ。それとは、全然関係ないことなんです」
 慌てて顔を背けるデュナスに、ナイトホークがグラスを持ったまま怪訝な顔をする。
「すげー気になるんだけど」
「いえ、本当ーに関係ないというか、くだらないことなんで」
「いいから言えよ」
「聞いても、絶対怒らないでくださいね」
「怒らないって」
 でも、やっぱり怒られそうな気がする。
 デュナスは勢いを付けるようにグラスを空けると、小さな声でぼそっとこう呟いた。
「……明治生まれの日本人にしては、背高いなって」
「………」
 ナイトホークは、見た目色黒なだけでなく、かなりの長身だ。最近の日本人は大分欧米体型になってきたが、それでもナイトホークほど背が高い人は珍しい。
「もしかして、日本人か聞いたのって、それ?」
「怒らないって言いましたから、抗議は受け付けません」
「お前、あの浮かれポンチに段々似てきたな」
「うっ……」
 誰のことを言っているのかデュナスには分かるが、それは何だかショックだ。だが、ナイトホークが苦笑しているのを見ていると、そんな事はどうでもいいような気がしてきた。
 そんな事。
 たとえナイトホークが明治生まれだろうと、日本人だろうと、関係ない。研究所に何か関わりがあったりするのかも知れないが、自分は今ここにある平凡で、普通の幸せを守りたいだけだ。そんな事を考えていると、ナイトホークがデュナスのグラスにワインを注ぎながら、こう言った。
「今まで長いこと生きてきてさ、ずっと研究所のことも鳥の名を持つものたちのことも忘れたふりしてたけど、やっぱどっかで決着着けなきゃダメなんだろうな」
「きっと、今がその時なんですよ。向こうからわざわざやって来てくれてるんですから、憂いはなくしてしまいましょう」
「だな。俺一人ならともかくも、協力してくれる皆がいるんだし」
 どうして、今ナイトホークの周りに鳥の名を持つものたちが出てきているのかは分からない。細い糸が複雑に絡み合い、それが一つの所に繋がっている。
「大丈夫です……ナイトホークさんが明治生まれでも、研究所がそれぐらいからあって今に続いていたとしても、そんなの大した時間じゃないです。だって、私の家の倉庫にも、それぐらい昔から熟成させているワインがあるんですから。今飲んでるワインに使ってる葡萄のリースリングだって、百年以上熟成させられるんですよ」
 その話に、ナイトホークがワインを飲みながら笑う。
「そりゃ気の長い話だ」
「だから焦らず行きましょう。まだワインももう一本残っているんですし、今日しなきゃいけないって話じゃないんですから」
 今日は、話の足がかりが出来ただけで充分だ。ワインだって圧搾して発酵させるという手順が必要なように、人との話や付き合いも同じで、焦ったって良い事はない。
 カウンターに置いてあったソムリエナイフを手に取ると、デュナスはもう一本のワインをワインクーラーから出した。
「リースリングのように、気長にですよ」
「だな。夜も長いし、ゆっくり行くか」
 ワインを開ける。
 いつか、全てが熟成された思い出に変わるように。
 そう心で祈りながら、デュナスは新しいグラスにワインを注いだ。

fin