コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


『窪んだ林檎』

【問い】

 カンバスを持ってきた老人は、とにかく見てくれ、と言った。
 キセルの吸い口を口元にやったまま、蓮はカンバスを眺めた。
 カンバスには間違いなく、林檎が描かれていた。
 ところが老人は、
「この林檎、窪んでおるよね」
「……あ?」
「そもそも平面に、陰影とかをいくらつけたって、横から見たら、平面だ」
「そりゃないよ。描いた人が聞いたら、怒るだろうねェ」
「描いたのは俺だよ」
「――ごめん、じいさん。あたし、医者は紹介してないんだ」
「俺はボケてない」
 蓮のキセルを持った手が固まってしまった。
 ――どうやって追い返そうか、ねェ……?

【さらなる問い】

 アンティークショップ・レンの戸が静かに開く。
 外の空気が漏れ入るように音を立て、光を背にしてシルエットが浮かぶ。
 現れたのは20歳前後の女性。長い黒髪の靡く中、覗かせる耳をピンと立たせ、エルフであることを掲げる。白のブラウスの上にグレーのレディス・スーツを身に纏った細い体躯が、ヒールの足音をコツコツと鳴らしつつ、店内に歩み入り、そして静かに戸を閉める。
「おや……今日はなんだかにぎやかだねェ……」
 蓮の呟きにも、藤田あやこはうっすらと笑みを浮かべるだけで、老人と蓮を交互に見遣っている。
 蓮は椅子に腰掛け、机に肘をつけている。右手にはいつものキセル。
 そして老人はあやこと蓮の間に位置し、あやこの方を何事かといった態で振り向いている。
「聞いとくれよあやこ。このじいさんさァ……」
「話は全て聞いていたわ」
 そして、びしぃっと老人を指差し、
「お話を伺う限り、貴方は正に自信満々のご様子ね。でもその信念のどれも女の髪の毛一本の重さにも値しないわ!」
「ほう!? それは面白い! 是非続きを伺いたい」
「ちょっと、あたしの店で何を……」
 蓮の制止に気も留めず、あやこは満足そうに老人に向かい、
「ふ……良い反応ね! でも良いのはそこまで。貴方と違って、私は真に自身と呼べるものを持っている。――よく聞きなさい、私の全てについて!」
 ――何だい唐突に……?
 蓮とは対照的に、老人は目を見張り、次のあやこの言葉を注意深く待つ。
「私はいつも正しいの!」
「ほう!」
「そこでっ! 見るからに異邦人、いや人外のこの私が、そしてセレブな才女が――」
 ――そこまで表明するかい。
「貴方に挑む――それは――」
 そして急に声のトーンを下げ、右手の人差し指を上に立て、
「――哲学論争よ」
「望むところだ」
 ――絵はどうしたんだい……?
「ではさっそくお嬢さんの理念とやらを伺おう」
「とても適切な問いだわ! 何人(なんぴと)にも等しく本質的な問い。そして問うという行為は自由――」
 そして敢えて一呼吸置き、
「そう! 誰もが自由よ! この世は特権者しかいないの! 束縛されない!」
 ――まあ筋は通ってるケドねェ。
「だから私が正解!」
 頬を支えた蓮の左腕がガクッと折れる。
 老人はしかしますます嬉々として、
「いよいよ面白い! 正に、否が応でも存在する宿命を背負った実存の最も苛烈な瞬間というやつだ。お嬢さんからはその留まることを知らぬ生への意思が存分に感じられる!」
 ――よく分からん……。
「じゃあ貴方の生への意思とやらは、どこに向かっているのかしら?」
「無論、絵だ」
「そう、そこで――貴方の絵よ」
 ――覚えていたのかい……。
 あやこは老人の持つカンバスを指し示す。
「この林檎は窪んでいる。ある意味で正しい。けど不正解」
「ほう……。ご主人。このお嬢さんはご主人と違い、俺の絵を評価しておるよ」
 ――あたしはそうは思わないケドねェ……。
 あやこは続ける。
「――貴方には時間的視点が抜けているわ。この世は縦横高さに時間軸を加えた四次元。だから、正解はこうよ!」
 あやこはどこからともなく画材と数枚のカンバスを取り出し、これもまたふと出現したイーゼルを並べ、それぞれにカンバスを配置していく。いつの間にかエプロンまで身に着けている。
 ――どこに隠していたんだィこれは一応驚くべき光景なのかねェもう分からなくなってきちまった。
「ところで――」
 あやこは筆を確かめながら、ふと蓮の方を向き、
「このお店って意外と広かったのね」
「も、もう帰っても良いんだよ?」
「ふふ、確かに、私の才能を披露するには狭すぎる店だわ」
 ――そいつは有難う……。
「ふんっ、お嬢さんが如何程の手練であっても、所詮は絵。何枚描こうが俺と同じ按配だ。お嬢さんも俺のように、絵画の非運動性に立ち尽くし、不幸のどん底に陥ることになる」
 ――そんな風には見えないよじいさん。
「まあまあ見てなさい。私は絵も得意なのよ!」
 あやこは物凄い勢いで、真ん丸な林檎が虫に齧られる様子を、1コマずつ並べて描きだし、あっという間に全てのカンバスを完成させた。
 ――あやこの時間的視点はどう説明すればいいんだィ今度教えとくれ。
「正解はこれよ!林檎は窪んでいるし窪んでもいない。どうよ?私の勝ちよ?!」
 ……。
 ――林檎が虫に齧られる――
 あやこの絵を呆然と眺めていた蓮は、急にはっとして、元の理性(?)を取り戻す。
「――あやこ。なるほど……これはじいさんの懸念を一つ克服する『組絵』だ……。一枚の絵ではなく、複数の絵を並べることで、見る者の視点を固定させないわけだね。絵と絵の間の映像は、見る者の頭の中に委ねるって手筈かい。しかもその絵が『虫が林檎を齧る』ときた。興味深いよ。お見事だ……。ケド――じいさんと変わらないことが一つある。いかに『組絵』と言えど、絵を見る者は、『虫が林檎を齧る』ことを認識する合間に、ふと、これが『絵』だということを思い出す瞬間がやっぱりあるんだ。つまり平面だということをついつい考えちまうんだね。じいさんはおそらくそれを悩んで――」
「俺が間違っていた……」
 ――は、敗北宣言……?
「そうか、俺の林檎は虫に齧られていない……。畜生、俺の林檎は窪んでいなかったのか……!」
 老人は床に手をつき、何かに葛藤している様子で、拳を強く握りしめる。
「ふふ、お年の割りに素直なのね。けれど、貴方の不安も分かるわ。歴史的な画家であっても、貴方と同じ悩みを持っていたはずだもの。そうして絵画の歴史は続いてきたのね。そして、この先も続いていくのよ……」
 あやこは老人を諭すように呟く。
 ――……ま、まあ何か違うような気もするが、これで一件落着かねェ……。
「今度は私の質問」
 ――ちょ、待て、帰。
「客の頭以外は刈らないと断言している床屋が自分の頭を刈り始めた。床屋は自分の頭を果たして刈れるか?」
 問いを出すと、突然――
 あやこは頭の後ろに両手をまわす。
 そして長い黒髪が、その髪型ごと、ごっそりと床に舞い落ちる。
 そこには。
 坊主頭のエルフの女性が佇んでいた。
 ――カツラ!? 何この告白!?
「それは――」
 突如の変身を目の当たりにし、老人がポツリと呟く。
「――その床屋さんにやってもらったのか?」
「じいさん、ど・こ・ツッコんでるんだい!」
「おおっそうか、これがお嬢さんの言う、『女の髪の毛一本の重さ』というやつか!」
「それはもう終わったよ!」
「いいえ――」
 二人の驚愕をよそに、あやこは淡々と述べる。
「重さはあるわ。私の髪も、そして、貴方の絵も。だから――貴方が勝ったら、貴方の絵を言い値で買うわ。――さあ勝負!」
 再び、あやこは老人に向かって人差し指を突き出した。
 老人は顔を顰(しか)める。しきりに悩む。眉間に皺を寄せ、時折緩めたと思えば、再び深い窪みをつける。やがて、じわりと汗が滲み出る。
 あやこは黙って見守っている。
 ――急に静かになったねェ。
「――ああ、じいさん。そんなに深く悩まなくても……」
「なぜ……お嬢さんが坊主頭に」
 ――そっちかィ。
「じいさん! いいから何か答えてあげて。そうすればじいさんもあやこも帰れ……解決できるんだ」
「よし……ではご主人のお答えを先に」
 ――あたしも参加者なのかィ?
「……ああ、仕方ない。ええと、そうだねェ。……お客は『貨幣』によって理髪という『商品』を買う。理髪という『商品』価値に対し、『貨幣』を当てることで『交換』を成立させるわけだよね。だから、その床屋には自分自身に代価を支払うという行為は権利上不可能だから……正解は『刈れない』、かねェ……。まあ商売人のつまらない理屈だけど。さあ、じいさんは?」
「『刈れない』……だ。ご主人とほぼ同じ理由で済まなんだが……つまり、その床屋は既に禿げ上がっておって、刈れなかったということだ」
 ――あたしそんなこと言ってないよでももうどうでも良いねェアララ何だか気持ちよくなってきた。
 右手に持っていた蓮のキセルがコトッと音を立てて机の上を転がる。
 蓮は朦朧とする意識の中、
「……じいさん。あやこは、『言い値』で買うとまで言って……仕掛けてきたんだよ? まさか、そんな単純な――」
「正解」
 ――まさかのあやこ!?
「ふ……負けは負けね。私は潔いのよ。さあ、貴方の林檎の絵、おいくらかしら?」
「いや、俺は先に負けておる。そうでなくても、お嬢さんから御代をいただくような手前ではない」
「それでは収まりが悪いわ。……じゃあ、二人の絵を、蓮に買ってもらうというのは?」
「うむ、それは良い」
「……あんたたちー?」
「ご主人」
「さあ!」
 蓮はすうっと両の瞼を閉じ、少し顔を俯(うつぶ)す。そして一息、穏やかに吐(つ)く。やがて、机の上に放り出していたキセルをしなやかに指で掬(すく)い、火皿に残った灰白を軽く吹く。くすんだ火皿を細目で眺めつつ煙草を詰め込み、雁首を炭火に近づけ、そのまま吸い口に唇を押しやり、ゆっくりと喫う。再び瞳を閉じ、煙を吐き出すと、薄暗く照らされた店の品々に、靄(もや)のかかったように、白いため息が覆う。
 蓮は妖しげに視線を流し、呟く。
「……そろそろ店仕舞いさせとくれ……」







□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【7061 / 藤田・あやこ / 女 / 24歳 / IO2オカルティックサイエンティスト】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 ご無沙汰しております。今回はライターとしてお目通りさせていただきました。ありがとうございます。ライターとしての力量は果たして足りているのか、多少不安を残してはおりますが、ここにお送りいたします。
 それにしても、蓮は壊れてしまいました(笑)。蓮のこんな姿はおそらく普通では見られないのでしょう。
 あやこさんの思想はある意味ストイックですね。『虫の齧る組絵』の案はお見事でした。虫の齧るというのも良い意味で皮肉たっぷりで、深いと思いました。
 ところであやこさんの提示した「床屋の問題」の真の答えは何だったのでしょうね。それとも、哲学だから、「明確な答えを出すこと自体に意味はない」とあやこさんは仰るかもしれませんね。
 では、また機会があれば、お目にかかりたいと思います。ありがとうございました。

 PURE RED(ライター)