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<東京怪談・PCゲームノベル>


闇に漂う

 
 人目を避けて歩いていた。
 一仕事終えた後は、俄かに目つきが鋭くなる。コートに染み付いた血の匂いが、頬を突き刺すような夜風に巻かれて鼻をつく。
 素人でも敏感な者であれば、眼光と匂い、そして鍛えあげた体から、どういう職種の人間であるか大体察しがついてしまうだろう。
 大通りはクリスマスのイルミネーションに釣られて多くの人間が行き交い、浮ついている。すれ違う人間の楽しそうな瞳が例え一人でも驚愕の眼差しに変わらぬよう道を一本ずらしたのは、黒澤・一輝なりの精一杯の配慮だった。
 大通りの賑わいとは無縁であるかの如く、静まり返った通りに人の気配は全くない。点在している外灯は壊れ、吐く息の白さが繰り返し繰り返し、鮮明に闇の中に浮かんでは消えていく。

 ふと、一輝は鳴らしていた靴音を止めた。
 闇ばかりが続いていると思っていた道の一角から、光が漏れている。場所から考えて、人家の明かりとは到底思えない。ならばなにかの店だろうか。
 歩みを進め、その場所の前へ立つ。重そうな扉の向こうから、一輝のもとへとコーヒーの香りが流れ込んでくる。
「闇……色……なんだ?」
 店の前に出ている看板は、文字が剥げてなにが書いてあるのか読みとれない。
 ガラス窓の中を覗きこむと、男が一人、コーヒーカップらしいものを棚の中へと入れていた。中にはその男以外誰もいない。ここは喫茶店で、彼は多分店主といったところだろう。
 外観を見ても「店」と捉えるにはあまりにも殺伐としている。だが客はいないし、都合がいい。腹ごしらえでもしておくかと、一輝は店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
 鈴の音が鳴り、反応した店主がこちらを見てそう声をかける。カウンターの脇には奇妙な青い扉。なにもいないのに、なにかが店の中を蠢いている圧迫感が体中を駆け巡っていく。意味ありげな怪しい店だと思ったが、仕事上こうした感覚には慣れている。
 中は比較的暖かい。コートを脱いだ瞬間、血の匂いが濃くなった。水を運んできた店主が気づいたようだが、なにも言わない。
 カウンター席に腰を掛け、横の椅子にコートを置いた時だった。
 ギシイィ。
 あらゆる武器を大量にコートに隠しているため、重みと摩擦でヤバげな音が響き渡り、店主が見つめてくる。店内に蠢いている何某かの空気が一斉に凍りついた。
「……すまない」
 一呼吸置いて、コートを床に置きなおす。
「いえ、謝る必要はないですよ。ハンガーもありますが……やめておいたほうがいいですね」
 店主は悟っているのか、至って冷静に口を開く。
 言ってみれば穴場的な存在の店だ。一輝のような客も、稀に訪れてくるのだろう。
「ああ。ハンガーの危機が心配だ。壊れても保障はできない」
 端正で整った顔立ちではあるが表情を微塵も崩さない為、冗談で言っているのかそうでないのか、傍目からは判断がつきかねる。
 ハンガーの危機ってナンデスカ。気のせいだろうが、店主の突っ込みが今にも聞こえてきそうだった。
「メニューはご覧になられます?」
 脇に挟んでいたメニューを一輝の前にすっと差し出す。一輝は視線を落とし、一通り店にあるものを確認した。
写真に映っているショートケーキがやたら美味そうに見える。メニューの一番下には『上記にない料理もお申し付けください。できる限りお作り致します』と手書きで記されていた。
「コーヒーとショートケーキ」
「はい」
「あと、唐辛子とハバネロのスープ」
「極端ですね」
 さらりと言ってくる。
「激辛か激甘なものが主食なんでな……それ以外のものを食ってもなかなか活力が出ない」
 言いながらメニューを返すと、店主は作業場へと入っていった。
「じゃあ、スープは激辛にしますよ。これ、メキシコ産ハバネロです」
 よほど料理が好きなのか、腕まくりをして楽しそうにオレンジ色の唐辛子を見せてくる。
「コーヒーとスープ、どちらを先にお持ちしますか」
 訊かれて数秒考えた。味噌汁とご飯は一緒に、というのと同じで甘いものと辛いものを同時に食べるのが一輝の日課だ。 
「一緒にしてもらえるとありがたい」
「かしこまりました」
 言った瞬間から店主は手際よく準備を始める。
 豆を挽く音、野菜を切り込む潔い音が、耳に気持ちよかった。



 料理を待つ間、一輝は頬杖をつき、ぼんやりと過ごしていた。
 会話も二言、三言交わしただけで、目の前で調理している男の名前すら聞いていない。
 それなのに彼の醸し出す雰囲気か、この古ぼけた喫茶店の広々とした空間のなせる業か、いつになく気持ちが落ち着いていた。俗世から隔離された異空間とでも言うべきか。この異空間の中に身を置いていると、今日やり遂げてきた仕事が遠い昔のことのように感じられる。
 最初店内に入った時に感じた怪しい気配も、時間が経つに連れて気にならなくなった。むしろはびこる霊達のほうが一輝の能力を認めて、大人しくしているようだ。
 気が緩む。目を閉じ自然と眠りに誘われそうになったところで、背後から「いらっしゃい」と、艶のある声が聞こえてきた。
「男二人が向き合っているのかい。まったくむさ苦しいねえ」
 目を開けて振り返ると、いつの間にいたのだろう。赤い着物を身に纏った細身の女が煙管をふかし、一輝を見つめていた。口元をやや吊りあげ、微笑んでいる。
「人間というのは毎日食ったり飲んだりしなきゃいけないから、面倒くさい」
 この場違いな格好のアネキは誰だ、と問いかけようとした時、店主がその通りの名前を口にした。
「姐御さんは下がっていてください」
「こういう時には花が必要だろう?」
 姐御は店主を無視して近寄ってくる。確かに大輪の花が咲いたようで目に眩しい。店にいる一輝の見えない幽霊たちとは明らかに質が違うと思った。隙のない、強大な力を携えた者だ。
「どうだいお兄ちゃん。料理ができるまであたしの相手をしないかい」
 顔を覗きこんでくる。動揺したのはほんの数秒、理性と冷静さを瞬時に取り戻し、一輝も姐御を見つめ返した。
 霊を前になんの相手だ。囲碁将棋か。話し相手か。わからん。
「いや、結構。言われた通り面倒くさい生き物なんでな。俺には今、花よりも飯のほうが大事だ」
 できましたよ、と姐御を撤退させるような店主のフォローも入る。
「ちっ、つまんないね」
 口調とは裏腹に余裕の笑みを浮かべ、蝋燭の灯火が消える如く姐御はふっと姿を消した。
「今のは? 霊だというのは分かるが。なんとなく」
 なんとなくどころではなかったが、言葉尻をぼかす。
「自称手伝い人と言って、私に……じゃなくて、この喫茶店についている人です」
「ついている」が、住み着いているのか、憑いているのか判断できなかったが、大雑把に考えれば似たようなものだろう。
 世の中いろんな輩がいるもんだ。一輝は呟き、目の前に置かれたコーヒーに砂糖を入れる。最低十杯。写真で見たものと寸分違わぬショートケーキとスライスされた唐辛子も順に運ばれてくる。
 湯気の立ち昇る真っ赤に染まったスープが登場した頃には、何杯入れたか記憶が曖昧になるほどだった。
 コーヒーとケーキの甘さに疲れが癒され、スパイスの香りに気が引き締まる。
 一度口にすると、あとはもう止まらなかった。あっという間にケーキを食べ終え、スープを啜る。ハバネロの辛さに胃の奥が熱くなり、うっすらと額に滲む汗が、一輝を一気に現実へと引き戻す。
 いろんな輩――姐御を見て呟いた言葉が、無意識に自分自身に言ったものだったことに気がついた。
 ここ数ヶ月に出会った人間の顔を思い返す。職業柄、人と会う人数も半端じゃない。人種もピンキリだ。どれだけ短い期間であろうが、恨みを買った人間であろうが、仕事に携わった人間の顔を忘れたことは一度もなかった。
 しかし。
 コーヒーとスープを交互に飲みながら、溜息をつく。
「どうかしました」
 溜息を気にしてか、店主が顔をあげ、訊いてきた。料理に問題でもあったのだろうか、という顔をしている。表情を読み取り、一輝は違うんだ、と右手をあげた。
「こっちの話だ」
 単調に手早く仕事をこなしはするものの、ストレスは知らず知らずのうちに溜まっている。嘘と真実を混ぜながら喋るのは性分だが、愚痴のひとつも零したくなってくるのが本音だ。スープを平らげて、二度目の溜息を漏らす。
「俺は訳ありの仕事をしているんだが、どうも最近銃を持っているヤツとの遭遇率が高い。どうにでもできるが、ケーサツはもっとマジメに仕事をするべきだ」
「日本には銃刀法違反なんて法律がありますけど、物騒な世の中になったものです。って……」
 床に置いてあるコートへ視線が注がれる。自分のことは棚にあげ、一輝は続けた。
「ケーサツの取り締まりはもっと厳しくしたほうがいいな。世の中もっと平和にならないものだろうか。俺もとりあえずマジメに働いているのだから、ケーサツも……」
 リピートしようとした時、突然軋んだ音を立てて青い扉が開いた。思わず言葉を止め、そちらを見遣る。
「お恨み申し上げますぞ!」
 中年の男が物凄い形相で扉の中から出てくる。妄執の塊を持ち歩いていると言わんばかりの雰囲気だ。
 ぎらぎらと輝く攻撃的な瞳に、一瞬一輝は身構える。
 中年の男はこの場が割れんばかりの叫び声を上げ、物凄い勢いで襲い掛かってくる……。
 と、思ったのは間違いだった。猛スピードで後ろを通り過ぎ、涙を流しながら喫茶店の中から外へと出て行ってしまった。
 出入り口の扉は幽霊特有の技、すり抜けをしたのか、開けた様子はなく鈴も鳴らない。キーンという耳鳴りと、嵐の去ったような静けさだけが残った。
「……今のは?」
 肩透かしを食らった気分になる。また姐御とは微妙に違った霊だ。今度は店主が長い溜息をつく。
「よくわかりませんが、多分殉職した警察官の霊だと思います。過去に銃の取り締まりか何かやっていて、亡くなったのではないかと。今の話はきっと彼にとって耐えられなかったんでしょう。傷つきやすい霊もいるもので。また、ここに戻ってくると思いますが」
「いつもこんな感じなのか、この店は」
「ええ、まあ」
 なんとなく、客が来ない理由がわかった。
 出ては消える霊達。しかも完全に消え去ったわけではなく、この喫茶店のどこかにいる。耐えずこうしたことが起これば、その道を生業にしている人間ならともかく、一般人は寄り付かなくなるだろう。
「苦労してそうだな」
 自然と漏れた言葉に、無言の笑みを返される。
「食後のコーヒー淹れましょうか。この分のお代は結構ですから」
 空になった食器をさげ、気を取り直すつもりで言ったのだろう。店主の穏やかな瞳が、もう少しゆっくりしていこうか、という気分にさせる。
「そうだな、もう一杯飲んで帰るか」
 さっきはスパイスの香りに負けていたが、今度はコーヒーの香りが店の中に充満する。何気なくシュガーポットの蓋を開けて、「あ」と一輝は小さな声をあげた。
「……すまない」
 砂糖を入れすぎたらしい。陶器のポットの中にはなにも入っていなかった。
「隣のものを使って頂いて構いません」
 謝る必要はないですよ、といった口調だ。心地のよい沈黙が長いこと続く。
 もうなにも起こる気配はなかった。サイフォンの中のお湯が沸騰する音と、静かな空間が流れているだけだ。
 この店に客が来ないのはある意味仕方がないが、少しもったいない。店主になにか声をかけて帰ろうと思った。さて、なにがいいか。
 頭の中で言葉を選んでいると、コーヒーを出された。相変わらずの量の砂糖を入れ、くいっと一気に飲み干す。
 明日も仕事だ。コートを羽織り、会計を済ませる。扉を開けようとしたところで振り返った。
「美味かった。イロイロ憑いているみたいだが頑張って欲しいものだな、また来る」
 ありがとうございます――その言葉を全て聞かずに鈴を鳴らし、店を出ると、外気が肌に触れた。
 なかなか、いい夜だった。
 コートのポケットに両手を突っ込み、闇の中へと姿を消す。北風に吹かれる一輝の表情に、僅かな笑みが零れていた。

<了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【7307/黒澤・一輝/男性/23歳/請負人】

NPC

【4364 /唐津・裕一郎 /男性 /?歳 /喫茶店のマスター、経営者】
【4365 /姐御/女性/?歳 /裕一郎の手伝い人、兼幽霊】

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■         ライター通信          ■
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黒澤・一輝様

初めまして。青木です。
この度はゲームノベルにご参加頂き、ありがとうございました。
黒澤様の一匹狼的なワイルドさに惹かれつつ、去り際は潔く、さっぱりまとめてみました。夜の闇が似合いそうな方だと、プレイングを読んだ瞬間からドキドキでした。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

それでは、またご縁がありましたら宜しくお願いいたします。