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<東京怪談・PCゲームノベル>


闇に漂う


「この場所を真っ直ぐ行けばあるはずなんだけど……」
 細く狭いアスファルトの道と片手に持った地図を交互に見比べながら、式野・未織は逡巡していた。
 ちょっと、怖いかも。
――お料理は凄く美味しいけれども幽霊の出る喫茶店があるの。
 そんな噂を、家のケーキを買いに来てくれた常連のお客さんから耳にしたのは数日前。
 店主の名前は唐津・裕一郎。人柄はいいけれど、あの人も人間じゃないっていう話……。噂は多少の尾ひれをつけて、主婦層の間に流れているらしい。
 噂よりも喫茶店という言葉に興味を示した未織に、お客さんはにこりと笑った。
――未織ちゃん、行ってみる? 勉強になるかもしれないわよ。でも気をつけてね。必ず出るっていうから。
 いたずらっ子のような目をして、お客さんは地図を書いてくれた。
 休日の、のどかな昼下がりだった。その喫茶店へ行ってみようと、期待と不安を胸に地図を持って家を飛び出して来てみたものの、昼間だというのに道は暗く、期待よりも不安のほうが大きくなる。
 道を一本ずらせば人はたくさんいるのに、ここには誰もいない。本当に、今にも何かが出てきそうな予感がする。
「えっと、出るのは喫茶店なんだってば」
 勇気と最初の一歩が肝心。喫茶店なのでデザートも美味しいはず、将来の勉強のためにもぜひ食べてみなければ! そう繰り返し言い聞かせてもなかなか思うように足は出ない。
 長いこと同じ場所に立っていると、寒さが身に染みてくる。手をこすり、白い息を吹きかけた時。 
「こっちだよ。ついて来な」
 すぐ横から高い声が響き渡った。顔をあげると、赤い着物を着こなした女性が未織を見つめ、口元に笑みをたたえていた。瞳も宝石のように赤い。すっと背筋を伸ばして前を歩く。足音も、気配すらない。
「え、あの……」
 ついて行っていいものかどうか迷いながら小さく声をかけると、不意に女性は立ち止まった。振り返らずに、未織に語りかけてくる。
「喫茶店へ行くんだろう。あたしが偶然通りかかったのは、運がよかったね。この道になにか出てきたら、追い払ってやるよ」
 先ほどの独り言を聞いていたのだろう。乱暴な口調ではあるが、胸に温かさが広がっていくような安心感があった。
 同性だし大丈夫。きっとこの人は喫茶店の関係者なのだろう。目の前の背中を信頼して、暗い通りへと入っていく。
 不思議と恐怖感は消え去っていた。二人でいるせいかもしれない。未織一人であれば、多分散々躊躇ったあと、引き返していただろう。
 女性の背中に導かれ、歩くこと数分。
「ほら、ここだよ」
 女性は指差す。
 未織がその方向に目をやると、今にも壊れるのではないのかと思えるほどの古い建物が佇んでいた。随分昔からあるのだろう。外観はぼろぼろでそこが「喫茶店」だということが一瞬わからなかった。意識していなければ気づかずに通り過ぎてしまいそうな場所。しかし、胸元のペンデュラムは強く反応している。   
ここで間違いなさそうだ。
「ありがとうございます」
 取っ手に手をかけ、女性を見る。
「あれ?」
 強い風が吹く。女性が立っていたはずの場所には誰もいなかった。左右を見渡しても女性の姿はないし、人一人いない。寂しい道が続いているだけだ。
 もしかして、早速出た?
 ビクビクしながら、でも喫茶店にいる幽霊さんならきっと怖くないはず! 勇気を奮い立たせ、そっとドアを開いた。



「いらっしゃいませ」
 男性が未織に気づき、顔をこちらへ向けてくる。未織はドアを背に立ったまま、訊ねた。
「さっきまで赤い目をした赤い着物の女性と一緒にいたんですが、あれって……」
「ああ、彼女はうちの関係者です。多分」
 微妙な返事をして、男性は微笑みかけてくる。自分と同じ青い瞳に、未織は親近感を抱いた。
「もしかして、あなたが唐津・裕一郎さんですか」
「よくご存知ですね」
 一瞬、男性は驚いた顔を見せた。
 いきなり名前を訊ねるのは失礼だったかなと思い、慌てて自分の名を名乗る。
 男性は嫌な顔ひとつせずに未織の名前を繰り返し、静かな動作でボックス席へと招く。噂で聞いてやってきた、というのは察しがついたようだ。
 店内は古くはあるが、こざっぱりとしていた。ダークグリーンのソファーに、重厚な茶色いテーブル。音楽のかけられていない喫茶店の静寂は、ゆったりとした空間の中に溶け込んでいる。
「未織さんは、学生さんですか」
 水を運んできた裕一郎が、さりげなく声をかけてくる。未織は持ち前の明るさで、はきはきと答えた。
「はい。神聖都学園の高校一年生です」
「高校生の女の子が一人で来るには、気後れする場所だったでしょう」
「ちょっぴり怖かったけれど、さっきの女の人がいてくれたから大丈夫でした。それに、ここへやってきたのは将来のためなんです。パティシエになるのが夢で……」
 話しながらくつろいでいくのがわかる。初対面なのに喋りすぎだったかも、と未織は慌てて口をつぐんだ。
 裕一郎は目を細め、メニューを差し出す。
「いい夢を持っていらっしゃるのですね。こんなところでお役に立てるかどうかはわかりませんが、未織さんのお好きなものをなんでも注文してください」
 メニューに視線を落とす。どれも美味しそうで、好きなもの、と言われるとたくさん思い浮かんでしまう。未織はしばらく悩み、やっぱりここはケーキの中でも比較的人気のあるものにしようと決めた。
「オーダーは……チョコレートケーキなんて置いてありますか?」
「ないよ」
 間髪を入れずに降り注いだ裕一郎の硬い声。それまで和んでいた空気が一気に揺らぎ、未織はびくっと肩を震わせた。鼓動がとくんとくん、と速くなってくる。どうしよう、なにか気に障ることでも言っちゃったのかな。不安になりながら未織は俯き、眉間にしわを寄せる。
「そんなものないね。ないったらない。あるはずないのさ」
 あれ、なにか変。
 俯いたまま、じっと声に耳を傾けていた。ピアノとフルートを嗜んでいるため耳はよい。よく聞いていると、声は裕一郎声にそっくりだが、ほんの少しだけ低い。例の、幽霊の仕業だろうと理解した。
 よかった、唐津さんが本当に言ったわけじゃないみたい。未織はほっと胸を撫で下ろした。
 ないよ、ないよ。
 連続される同じ言葉のリズムに合わせて、作業場の食器棚がバタンバタンと物凄い速さで開いたり閉じたりする。 
 もともと幽霊が出ると知ってやって来たけれど、やっぱり怖い。そして「必ず」出た。さりげなく裕一郎を見つめる。仄かに怒りをこめた表情だ。
「うるさいっ!」
 今度は本物の裕一郎が、棚に向かって一喝する。未織は再び肩を震わせた。
 男の人の怒鳴り声は力強くて圧倒されてしまう。棚の扉は開いたまま音はぴたりと止み、静かになった。
 裕一郎は溜息をつき、未織を見つめる。
「申し訳ありません」
 一言の言い訳もなく向き直り、丁寧に謝罪する。その瞳は穏やかで、瞬時に未織の心を落ち着かせた。
「体調悪くなったりしていませんか」
 水を飲み、胸に手を当てて未織は首を振った。怒ったのには意味があるのだし、唐津さんは悪い人じゃないはず。そう思い、未織は笑顔を向ける。
「ドキドキしちゃいました。霊にも驚きましたけれど、優しそうな唐津さんが怒ったのにもびっくりです」
 ふと、裕一郎の表情が和らいだ。
「こう見えても、年中怒っていますよ。歳ですかねえ、私も」
 裕一郎の言葉に、緊張が解けていく。再びゆっくりとした空気が流れ出す。 
「メニューを、もう一度承っても宜しいですか」 
 改まった態度で訊いてきた。未織も気を取り直し、オーダーする。
「チョコレートケーキと、あまり苦くないコーヒーをお願いします。苦いのは苦手で……でも、コーヒーが美味しいみたいですし、ぜひお願いします!」
 勢い余って頭を下げる。
 今度はなにも、邪魔するものは現れなかった。数秒遅れて「はい、かしこまりました」ときびきびした声が店内に響いただけだった。
 
 
 ひんやりとした空気と一緒に、チョコレートケーキを乗せたお皿が運ばれてくる。形は丸く、ケーキの隣に生クリームとブルーベリーが添えられていた。周りにはストロベリーソースがかけられている。
「可愛いし美味しそうです。ケーキは唐津さんが作ったのですか」
 コトリ。湯気の立ったコーヒーをそっと目の前に置かれる。
「一応ケーキ類は朝準備して作っているんです。お客さんがほとんど来ない店なので、大半はおすそ分けするか自分で食べるか、霊達の標的となるかのどれかですが……」
 コーヒーは裕一郎ブレンドで、苦くならないよう工夫したという。
 甘いものを目の前に、未織は瞳を輝かせる。
「じゃあこのケーキを食べられる人は少ないんですね。ミオはその機会を与えられて、幸せかもしれません。頂きます!」
 元気よく告げて、フォークを持つ。偶然未織の指に触れたお皿は冷たい。多分、事前に冷やしておいたのだろう。
 少し固めの冷えたケーキを食べやすいよう、一口サイズに切ると、中からホットチョコレートの液体がとろりとお皿の中に流れて出て来た。甘い香りが、ふわりと空気に乗って流れていく。スポンジと、その中から出てくるホットチョコレートは程よい温度、白い煙が立ち昇っている。
 未織は感嘆の声をあげ、ケーキに生クリームをつけて一口食べる。お皿の冷たさとケーキの中の温かさ、チョコレートベースのスポンジの柔らかさ、生クリームとソース、それら全てが絶妙に絡まりあい、口の中でとろけていく。
 食べ終えてしまうのが名残惜しくて、少しずつ口に運ぶ。未織はこの上ない至福を噛み締めていた。 
「最高です!」
 未織は思わず叫んでしまう。間違いなく、味は一級だと思った。裕一郎は微笑ましげにカウンターから未織を見つめる。
「ありがとうございます」
 裕一郎は椅子に座り、なにやら書き物をしている。
 邪魔をしては悪いかなと未織は肩をすくめ、しばらくチョコレートケーキを味わっていた。綺麗に食べ終え、コーヒーに砂糖とミルクを入れて飲んでみる。
 裕一郎オリジナルブレンドは、のどごしがさらさらとしていて飲みやすく、後味もすっきりとしていた。ケーキを食べた後に飲むには、丁度よい甘さだった。
 デザートだけではなく、他の料理も絶品なのだろう。店内を見渡す。お客さんは、未織の他に誰もいない。誰かが入ってくる様子もない。霊さえ出なければ、落ち着いた、優しい時間を過ごせるのに。ちょっとした虚しさを胸に秘める。
「とっても料理は美味しいのに、お客さんが入らないなんて寂しいですね……でも、静かな雰囲気でミオは好きです! って、唐津さんにとっては全然嬉しくないですよね、一応褒め言葉のつもりでしたけれども……」
 温かい眼差しで、裕一郎は立ち上がった。カウンターから出て、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「いえ、そう言って頂けるのが私にとっては一番の褒め言葉です。お客さんは滅多に来ないけど、稀に未織さんのような方が訪れる。それだけで、幸せなんですよ」
 そしてそれ以上のことは望まない――。言葉にはしないが、裕一郎の表情はそう語っていた。
「だから、精一杯の恩返しもさせてください。差し出がましいかもしれませんが」
 裕一郎は二つに折り畳んだ紙を、ソーサーとカップの間に挟む。
 どうぞご覧になってください。そういう仕草をしたので、未織はそっと紙を取り、開いた。大きな瞳を一際大きくして、呟く。
「これ……」
 たった今口にしたばかりの、チョコレートケーキのレシピだった。未織が食べている間中、ずっと書いていてくれていたのだろう。時々絵を交えて、事細かに手順が表記されている。達筆な、どこか親しみのある文字に、嬉しさが湧きあがってくる。
「ありがとうございます。ミオ、一生大事にします!」
「大げさですよ」
 裕一郎は謙虚に言葉を返す。
レシピを大切に鞄の中に仕舞いこむ。未織にとっては予想外の大きなサプライズだ。パティシエを目指していて良かったと、心から思う。
「唐津さんは喫茶店をやっていて良かったって思う事、何かあります?」
 優しげな雰囲気の裕一郎についそんな質問を投げかける。裕一郎はしばらく考え込むような表情をしてから、静かに口を開いた。
「俗世から離れた空間でのんびりとコーヒーを淹れて、たまにお客さんと触れ合うことでしょうか。幽霊に囲まれた生活を送っていますから、唯一、自分が人間だと思える時間でもあります」
 人間じゃないっていう話……。その噂を、最後に裕一郎自身が打ち砕く回答だった。未織は安心して、席を立つ。
「あ。これお土産に持って帰って下さい」
 ケーキの入った箱を持ってくる。夢にも思っていなかったため、受け取るのをためらっていると、裕一郎はそっと未織の手に持たせた。
「チョコレートケーキとチーズケーキ。おすそ分けです。」
 先ほどの言葉を交えて冗談っぽく言い、夢に向かって頑張ってくださいね、と笑う。未織は明るくお礼を言った。
「帰り道、一人で大丈夫ですか」
 訊ねられて、迷わず頷いた。もう怖くない。だってこんなに素敵な喫茶店があるのだから。きっと通りに悪いものなんてなにも出ない。
「とても美味しかったです!」
 笑顔で伝え、店を出る。ありがとうございました。背中を追いかけてきた裕一郎の声が気持ちいい。
 手にはケーキ、鞄にはレシピ。寒いけれど、気分は爽快。帰ったら貰ったレシピを見ながらケーキを作ろうか、それとも先に頂いたものを食べようか。そんなことを考えながら、未織はもと来た暗い道を弾んだ足取りで歩く。


「裕一郎の計らいだけど、無事に帰れそうだね」 
 未織の華奢な後ろ姿を赤い目の女性が一人、煙管をふかし、静かに店先から見守っていた。

<了>
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【7321/式野・未織/女性/15歳/高校生】

NPC

【4364 /唐津・裕一郎 /男性 /?歳 /喫茶店のマスター、経営者】
【4365 /姐御/女性/?歳 /裕一郎の手伝い人、兼幽霊】

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■         ライター通信          ■
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式野・未織様

初めまして。青木です。
この度は発注ありがとうございました。
あまりに可愛らしくてドキドキしながら書いているうちに、少々文章量が多めになってしまいました。裕一郎との会話を楽しんでいただければ幸いです。
初めとラストにしか登場しなかった姐御さんですが、未織様の姿が見えなくなるまで、きっと見送っていたと思います。

それでは、またご縁がありましたら宜しくお願い致します。