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<WhiteChristmas・聖なる夜の物語>


Lost Memory



 冷たい窓に掌を当て、舞い落ちる雪を黙って見つめる。
 ツンと鼻につく消毒液の臭いと、廊下をパタパタと走る音を聞きながら、彼女は唇を噛み締めた。
 今日はクリスマス―――家族でご馳走を食べ、ケーキを食べ、プレゼントを交換する日。以前誰かがそう言っていたのを、彼女は覚えていた。
 家にはクリスマスツリーを飾り、良い子のところにはサンタさんが夜中にプレゼントを持ってやって来る。サンタさんは赤い服を着て、白いひげがあって、空飛ぶソリをトナカイに引いてもらいながらやって来る。
 彼女のところに、サンタさんが来たことはまだ一度もない。
 それどころか、今日と言う日を家族と一緒に祝ったことすらない。
 ――― 萌菜は悪い子なのかな?
 体が弱くて、小さい頃からずっと病院で過ごしてきた彼女。ここに来るたびに、母親も父親も、兄弟達も、皆辛そうな顔をして一言二言話しただけで帰っていってしまう。
 ――― もし萌菜が良い子になって、サンタさんにプレゼントをお願いできるとしたら、何をお願いしよう。
 きっと今年も来ることはないと分かっていながら、彼女はそっと窓辺から離れるとベッドの上に腰をかけた。
 次から次に浮かんでくるプレゼントを、1つ1つ否定していく。そして―――
「元気な体が欲しい。でも、それは無理だってお兄ちゃん、言ってた。だから、記憶が欲しいな‥‥」
 記憶が欲しいと言うよりは、色々な事が知りたいと言った方がより的確だった。
 雪は1つ1つ結晶が違うのだとお姉ちゃんが言っていた。本当かな?
 雪が降ると、雪だるまを作ってカマクラを作るんだとお兄ちゃんが言っていた。カマクラって何?
 春になると桜並木は花が満開になって、雨みたいに花弁が降るんだとお母さんが言っていた。花弁が雨みたいに降るって、どんなのかな?
 海の水はしょっぱいんだってお父さんが言っていた。本当にしょっぱいのかな?
 生まれてからずとこの病院から出た事のない彼女は、外の世界の事が少しでも知りたかった。学校に行ったこともない、友達もいない彼女は部屋の隅に置かれたテレビとたまに来る家族の話しでしか外の世界を知る事が出来なかった。
「色々、知りたいな。楽しいこと、嬉しいこと、寂しいこと、いっぱい、いっぱい‥‥‥」
『その願い、叶えよう』
 ふっと声が聞こえ、萌菜は白い病室の中、後ろを振り返った。



 鷺染 詠二は紫色の瞳を細めると、目の前に座るミニスカートのサンタ服姿の少女を見つめ、溜息をついた。
 彼女の名前はエファナ。外見は12歳くらいの少女なのだが、今は6歳なのだと言う。最初は変な嘘をついているのだと思ったのだが、どうもそうではないらしい。彼女は突然、6歳の少女へと退行してしまったようなのだ。
「エファナちゃん、もう直ぐで君の力になってくれそうな人が来るからね」
 沈黙に耐えられなくて声をかけた詠二だったが、ビクリと怯えられただけだった。
 こういう反応、傷つくなぁーと、己のガラスのハートを改めて認識した時、銀色の髪を靡かせながら彼女の妹の笹貝 メグルが入って来た。
「急に呼び出して悪かったなメグル。ちょっとこの子の記憶を見て欲しいんだ」
 メグルがエファナの前に膝をつき、怖いことは何もないからと優しい笑顔で言うとそっと額に手を当てる。暫くそのままで固まっていたメグルがふっと顔を上げ、唇を噛み締めると首を振った。
「ダメです。6歳の時から記憶が抜き取られてしまっています」
「誰が抜き取ったのか、それも消えちゃってる?」
「えぇ。ただ、関係あるかは分からないのですが『萌菜に記憶を下さい』と言う言葉と、白いクマのぬいぐるみが‥‥」
「‥‥その萌菜ちゃんを探せば分かるかもしれないな。何か、断片でも良いんだ。イメージは掴めなかったか?」
「白い部屋、クリスマスツリー、サンタクロース、雪、桜、海‥‥ダメですね。バラバラのイメージしか‥‥あっ!」
「どうしたの?」
「薬品の臭い‥‥これは‥‥病院、でしょうか‥‥?」



☆ ★ ☆



 真っ白なリボンを揺らしながら、樋口・真帆はふわふわのマフラーに顔を埋めた。
 足元は茶色いブーツに膝上の赤チェックのスカートと言う装いの真帆は、ニーソックスから出た生脚をさすると白い息を吐いた。
 目の前に立った銀色の髪の少女、笹貝・メグルと紫色の瞳の少年、鷺染・詠二を上目遣いで見上げる。
 クリスマスカラーに染まった街中に繰り出し、ウィンドウショッピングを楽しんでいた時に声をかけられた真帆は、困っているらしい2人を放って置けなくて、クリスマスだと言うのについつい厄介な依頼を受けてしまった。
 淡い水色の長袖ワンピースに薄手のショールを肩にかけただけのメグルは見るからに寒そうだったが、なんでもないような顔をして立っている。息も白く濁っておらず、まるで呼吸をしていないかのようだった。
 ジーンズに薄いジャケットを羽織っただけの詠二も寒々しいが、彼もメグルと同様、大して寒いとは思っていないのだろう。ただ、メグルと違って息を吐くたびに白い帯が後方に流れていく。
「それで、その‥‥‥エファナさんは、今どこにいるんです?」
「ウチで休んでもらってる。‥‥‥もしかして、何か聞きたいことがあった?」
「いえ、エファナさんじゃなくても大丈夫です。メグルさん、エファナさんの記憶を見たんですよね?」
「えぇ。‥‥‥もし見たいのでしたら、どうぞ」
 手を差し出され、真帆は手袋を脱ぐとそっと掌に手を重ねた。
 ぞっとするほど冷たいメグルの手は、それでも握っていれば微かな温もりが感じられた。
「白い部屋、クリスマスツリー、サンタクロース、雪‥‥‥‥‥」
 何の脈絡もないような単語が並び、真帆は当惑した。
 それでも最後までエファナの記憶を見終えると、握っていた左手を開いた。
 淡い桜色の、石の欠片のようなものが真帆の掌に乗っていた。
「記憶の欠片、ですか?」」
「はい。私はこれを手がかりに、記憶の中で見た白いクマ君を追いかけてみようと思うんです」
「確かに、あのクマがキーポイントな気がします」
「記憶の欠片は互いに引き合いますし‥‥‥」
「じゃぁ、俺らはその‥‥‥萌菜ちゃんだっけ?その子の事を探してみようと思う」
「えっと‥‥‥それでは私はどちらに‥‥‥」
 困ったと言うように眉根を寄せたメグルに、詠二さんと一緒に行ってくださいと告げる。
「私にはこの子達がついてますから」
 真帆の傍らに置かれた鞄のチャックから、真っ白なウサギのぬいぐるみの“すふれ”と真っ黒なウサギのぬいぐるみの“ここあ”が顔を覗かせる。
「じゃぁ、何か分かったら教えて」
 コレが俺の携帯の番号だからと言って渡された紙をマジマジと見つめる。
「‥‥‥詠二さんって、携帯持ってたんですね」
「一応現代っ子‥‥‥な、見た目だから‥‥‥」
 そう言えば、以前詠二は死ぬ事が出来ないと言っていた。
 見た目は18歳程度 ――― 真帆よりも1つ上程度 ――― の詠二だが、実年齢はもっと上だろう。
 それこそ、数百歳と言うレベルの ―――
「私の携帯の番号も教えておきますね」
 バッグの中を引っ掻き回してメモ帳とペンを取り出すと、番号とアドレスを丸っこい女の子らしい文字で書き付ける。
「じゃぁ、また後で」
「気をつけてくださいね、真帆さん」
 手を振って去って行く2人を暫し見送った後で、真帆はベンチから立ち上がると記憶の欠片をギュっと握り締めた。



★ ☆ ★



 エファナの記憶の欠片から見た映像は、共通点の見出せないバラバラなものではあったが、真帆はなんとかそこからある1つの仮説を立てた。
 ――― 薬品の臭いと白い部屋は、きっと萌菜ちゃんのいる所です。白いクマ君は、多分萌菜ちゃんの持っているぬいぐるみ。クリスマスツリーとサンタクロースは、今日がクリスマスだから。
 最後、朧に浮かんだ雪と桜と海のイメージは‥‥‥
 萌菜が今いる場所から判断して、見てみたい光景なのではないかと考えた。
 桜に海に雪、バラバラの季節を彩るもの達 ――― もしかしたら、萌菜は病院から外に出た事がないのかもしれない。
 もし出ていたとしても、それはほんの少しの間だけなのかもしれない。
 つまりは‥‥‥萌菜の病気は、それほど深刻と言う事になる。
 ――― 萌菜ちゃんは、どうして記憶を集めているんでしょう?
 少し考えただけで直ぐに答えが出る。
 先ほどまでの推測があっているとすれば、きっと答えは1つだ。
 ――― 見たいんですね、きっと‥‥‥色々なものが‥‥‥
 春風に揺れる木々、舞い落ちる桜の花弁。足元には花弁の絨毯が広がり、続く道を華やかに色づけている。
 強い日差しの中、岩に当たって砕ける白波。海風を胸いっぱいに吸い込めば感じる、潮の香り。
 北風が吹く中、木々が華やかな化粧を纏う。揺れ落ちる、赤や黄色の紅葉。
 曇天の空からはらり、はらりと落ちてくる、儚い雪。真っ白に色づく白銀の世界は、いつまで見ていても飽きない。
 真帆は、四季折々の季節を知っていた。
 四季毎に姿を変える自然を楽しむ事も出来た。
 けれど、萌菜は‥‥‥‥‥‥
 ――― 何か、私に出来る事はないかな‥‥‥‥‥
 真帆はそう思うと、鞄の中で大人しくしていた2匹の使い魔に視線を落とし「そうだ!」と思わず呟くと走り出した。



 ツートンカラーのウサギたちの可愛らしいダンスに、子供たちが集まってくる。
 公園のベンチの上で“ここあ”が手を振り“すふれ”がピョンピョンと飛び跳ねる。
「わー、可愛い!お姉ちゃん、このウサギさんたち、なに!?」
「これはね、魔法だよ」
「えー、マジックでしょ!?タネは?」
「魔法にタネはないんだよ」
「触っても良い?」
「どうぞ」
 三つ編の少女が恐る恐る“ここあ”に手を伸ばす。
 頭をそっと撫ぜ、大人しく撫ぜられたままの“ここあ”に少女の顔がパァっと輝く。
「僕も触りたい!」
「あたしもっ!」
「皆触っても良いから、順番!一列に並んでー!」
 ザワザワと騒ぎ出す子供達を纏めると、真帆は“ここあ”を撫ぜられて満足そうな笑顔を浮かべる三つ編の女の子の前にしゃがみ込んだ。
「お姉ちゃん、魔法使いなの?」
「うん、そうだよ」
「わぁ、すごーい!」
 尊敬の眼差しを浮かべる少女の頭をそっと撫ぜると、真帆は歌うようにある物語を聞かせた。
 それは、小さな時から身体が弱く、ずっと病院から出られない少女の話で ――― 勿論、真帆の創作だ。
「その女の子はね、外の世界が見たいって思ってるの。でも、外には出られないんだよ」
「‥‥‥可哀想」
 いつの間にか、使い魔2匹を触り終わった子供達が真帆の周りに集まってきていた。
 みんな悲しそうに目を伏せ、ジッと何かを考え込んでいる。
「俺、その子と遊んであげたいな‥‥‥」
「理緒も、一緒に遊んであげたいな。理緒のお祖母ちゃん家、よく雪降るの。だから、雪での遊び方、理緒いっぱい知ってるよ」
「僕のお父さんは海が好きでよく連れてってくれるんだ。それに僕、泳ぐのも得意だから、一緒に泳ぎたいな」
「あたしね、桜が一番お花の中で好きなの。桜、見せてあげたい。とってもキレーだもん」
「この間パパとママと一緒に行ったハイキング、紅葉が凄く綺麗だったの。その子にも見せてあげたいな」
 純粋な子供達は、心の底から少女に同情し、そして一緒に遊びたいと願っていた。
「お姉ちゃん、魔法でどうにか出来ないの?一緒に遊びたいよ‥‥‥」
「そうだなぁ‥‥‥みんなが本当にその子と遊びたいと思っているんなら‥‥‥方法はね、あるよ」
「どうすれば良いんだ!?」
「皆で手を繋いで、その子と行きたいところとか、遊んでみたい事とか、想像してみて」
 オズオズと輪になって手を繋ぐ子供達が目を瞑り ――― ポワリと、子供達の輪の中心に淡い色をした玉が浮かび上がる。優しい七色に染まるそれを“すふれ”がキャッチし、真帆に手渡す。
「ありがとう、もう良いよ」
「‥‥‥これで本当に、その子と遊べる?」
「うん。今日の夜、夢で会えるよ」
「本当!?」
「約束。‥‥‥それとね、その女の子、萌菜ちゃんって名前なの。覚えておいてくれると嬉しいな」
 萌菜ちゃん‥‥‥?と呟き、必死に記憶に縫いとめた子供達が去って行く。
 腕時計に視線を落とせば、既に時刻は子供たちの帰宅の時間になっていた ―――――



 クリスマスのイルミネーションに彩られた街中、真帆は白いクマの後姿を見つけて追いかけた。
 クマは一人でボンヤリと立っていた女性に近付くとその記憶を奪い、彼女と待ち合わせをしているらしき男性からも記憶を奪った。
 ――― 早く捕まえないと‥‥‥
 けれど、あのクマに触ったら真帆の記憶も奪われてしまうかもしれない。
 ――― どうやったら捕まえられるんだろう?
 考える真帆の肩を“すふれ”がチョンチョンと叩く。振り向いてみれば“任せてください!”と言うように“すふれ”が胸を叩き、ピョンと真帆の肩から飛び降りると白いクマに掴みかかった。
 “ここあ”も“すふれ”に加勢し、なんとか白いクマを捕まえる。
「さぁ、クマ君。萌菜ちゃんの所に案内してください!」
 詰め寄る真帆に白クマがジタバタと暴れるが、両脇をツートンカラーのウサギに捕まえられて動けない。
 どうやってこのクマのぬいぐるみから萌菜の居場所を聞き出そうかと思案していた時、ポケットに入れたままだった携帯が震えた。
 引っ張り出して液晶を確認すれば、詠二からだった。
「詠二さん、そちらはどうですか?」
『萌菜ちゃんらしき子が入院してる病院を突き止めたよ。そっちはどう?』
「私は白いクマのぬいぐるみ君を捕まえました!」
『じゃぁ、そのクマを持ってここに来てもらえる?えっと、住所は‥‥‥‥』
 詠二が詳しく行き方を解説してくれ、真帆は道順を頭に叩き込むとクルリと踵を返した。
 いつからソコに立っていたのか、10歳くらいの少女がジッと真帆の背中を見上げていた。
「えーっと、あなたは‥‥‥?」
「‥‥‥クマたん‥‥‥」
 このくらいの年齢の子供にしては舌足らずな口調に、もしかしてこの子も記憶を抜き取られたのでは?と背後を振り返る。
 白いクマは相変わらず感情の宿らないつぶらな瞳で、こちらを見つめている‥‥‥。
「もえなの、クマたん‥‥‥」
「萌菜ちゃんを知っているの?」
「もえな、いもーと。みおなの、いもーとなんだ」
「みおなちゃんって言うの?」
「うん。はぎもと、みおなって、いいます。たんたい、です。もえな、は、1たい、なの」
「萩本・澪菜ちゃんって言うんだ。私はね、樋口・真帆って言うんだ」
「まほ、おねーたん?」
 そうだよと優しく言い、真帆はしゃがむと澪菜の視線にあわせた。
「どーして、もえな、の、クマたん、もってる、の?」
「コレはね、えっと‥‥‥拾ったのよ」
「ひろった、のー?」
 純粋無垢な瞳の前で嘘をつくことに心が痛んだが、まさか本当のことは言えない。
「もえなはね、びょーいん、ずっといるよ」
「ずっと病院にいるんだ?」
「びょーきなんだって、からだ、よわいんだって、ママ、いってた」
「そうなんだ。寂しいね‥‥‥」
「みおなはね、たみしくないよ。でもね、もえなは、かわいとうって、おにーちゃん、いってた」
「お兄ちゃんがいるんだ?」
「うん!みおなの、おうちはねぇ、ママに、パパに、たくまおにーたんに、たくみおにーたん、まりなおねーたんに、みおなに、もえななんだよ」
「5人兄妹なんだね」
「うん。みんなね、なかよし。でも、もえなだけ、なかまはずれなんだぁ」
「どうして?」
「‥‥‥かわいとうだからって、ママとパパ、いってた」
 萌菜は病院から出られないから可哀想。見ているだけで辛い。
 どうして元気に生んであげられなかったのかしら。どうして、どうして ―――――?
「ママね、もえなみると、かなしくなっちゃうんだって」
 だからね、あんまり病院に行かないの。だから、萌菜は一人ぼっちで、寂しいね‥‥‥‥‥。
「‥‥‥‥澪菜ちゃんは、萌菜ちゃんの事を見ると、悲しくなっちゃうのかなぁ?」
「いっしょに、あそんだりできないの、かなしい、けど‥‥‥。もえなを、ひとりにするの、ダメっておもうの」
 澪菜はそこで言葉を切ると、考え込むように目を伏せた。
「だってね‥‥‥だって‥‥‥ひとり、たみしい‥‥‥もん」
「そうだよね。1人は寂しいよね‥‥‥」
 真っ白な部屋、消毒薬の臭い。
 ――― 病院の中で一人、萌菜は何を思っていたのだろう?
「きょうね、タンタたんに、おねがいしたんだぁ。もえなのこと、げんきにしてあげてくだたいって」
 ふわり、真っ白な雪が舞い落ちてくる。
 朝方降ったきり一時止んでいた雪だったが、再び降り始めてきた。
「げんきにするのがむりなら、えがおにしてくだたいって、みおなね、タンタたんにおねがいしたの!」
「サンタさん、叶えてくれると良いね‥‥‥」
「ぜったい、かなえてくれるよ!だって、みおなも、もえなも、いーこだもん!」
「澪菜ー?」
 やや低い男性の声に、澪菜が「たくまおにーたんだ!」と嬉しそうに声を上げる。
 ――― どうしよう‥‥‥‥‥
 澪菜ならば「拾ったの」で誤魔化せた白クマのぬいぐるみだったが、この声の感じからして中学生か高校生くらいだ。誤魔化せはしないだろう。
「真帆さん、少し目を瞑ってください」
 直ぐ背後から聞こえた細い凛とした声に、真帆は素直に目を閉じた。
 甘いシャンプーの香りが漂い、ふっと身体が浮遊する。
 詠二が空間を捻じ曲げ、メグルが真帆の身体を空間の中に引きこみ、閉じる。
 琢磨が袋小路の細い路地で澪菜の姿を見つけたとき、そこにはもう真帆の姿はなかった。
「こんなところにいたのか‥‥‥」
「あのね、いまね、もえなのクマたんもったおねーたんが‥‥‥あれぇ?」



★ ☆ ★



 白で統一された病室の中、窓辺で降る雪を見つめていた少女が、突然感じた気配に振り返った。
 艶やかな漆黒の髪に、透き通るような蒼白の肌、パッチリとした目は大きく、全体的に儚い印象を受ける。
「このクマ君、あなたのお友達?」
 萌菜の瞳が警戒に染まる。
 ――― 警戒するのも、当然だよね‥‥‥
 メグルと詠二の力によって、空間を捻じ曲げて直接ここに出た。
 ドアも開けずに入って来た人達を前にして、一般人である彼女が危機感を抱かないわけがない。
 萌菜の夜色の瞳が揺れ、真帆のバッグに注がれる。そこにはチョコンと顔を出した2匹の使い魔がおり、真帆は2匹に出てくるようにと言うと、胸に抱いた。
「白い子が“すふれ”で、黒い子が“ここあ”って言うの。白クマ君にも名前があるのかな?」
「‥‥‥氷菓」
「そっか、氷菓君か‥‥‥綺麗な名前だね」
 ふっと微笑んだ真帆に、萌菜も多少警戒心を解く。
 白クマ ――― 氷菓 ――― がメグルの腕をすり抜け、彼女の元に駆け寄り、胸に飛び込む。
 ――― 萌菜ちゃんも、氷菓君も、嬉しそう‥‥‥
 互いの事を大切に思っている。包み隠さないその感情は、温かかった。
「どうして萌菜ちゃんは、皆の記憶を貰おうとしたの?」
「‥‥‥萌菜、ずっと病院にいて、外のこと、知らないから。色々知りたかったから‥‥‥」
 テレビで見ること、家族からの話、知識と体験は全く違うモノだ。
 海ってどんなにおいがするの?桜って?雪はどのくらい冷たいの‥‥‥?
 ――― 私達が当たり前に思ってること、感じてることでも、萌菜ちゃんにとっては知らないことなんだ‥‥‥
 知りたい。そう願う心を、否定する事は出来ない。
 でも ―――――
「そっか‥‥‥。でも、他の人の記憶を貰っても、それは“ホントウ”じゃないよ。そこに、萌菜ちゃんはいないんだからね」
 多分、萌菜も分かっているのだろう。
 他人の記憶を見ても、寂しさだけが募っていくのだということを‥‥‥
「‥‥‥でもね、夢ならどんな夢を見ようと、勝手だよね」
 子供達から写し取った記憶の欠片を解き放つ。
 白い部屋いっぱいに淡黄色の光りが満ち ―――――



 目を開けたそこは、桜並木が続く道だった。
 雨のように降る桜を見上げながら、萌菜がたどたどしい足取りで先へと進んでいく。
「あっ!あれ、萌菜ちゃんじゃない!?」
「あの時のお姉ちゃんもいるよ!」
 桜並木が続く先は海だった。
 真っ青な海で泳いでいた子供達が走りより、萌菜の腕を掴む。
 先ほどまでは桜と同じ色のワンピースを着ていた萌菜だったが、いつの間にかスカイブルーの水着を着ていた。
 クロールにバタフライ、水の掛け合い、波打ち際でのお砂場遊び。
 海の家らしき掘っ立て小屋の中には花火が置いてあり、夜になればやりたいねと誰かが言った途端、真っ暗になった。
 水着が浴衣に変り、皆で花火を楽しむ。
 七色に咲く花、大輪の光り。
 線香花火の可憐で美しく、それでもどこか物悲しい姿。
 花火を全てやり終わり、明かりが消えた瞬間、感じる甘い香り。
 焼き芋だ!
 誰かが叫び、立ち上がる。
 パッとついた明かりの下、赤や黄色の葉が揺れている。
 男の子が焼き芋屋さんに走りより、人数分の焼き芋を注文する。
 お代は笑顔。
 その言葉に、笑い出す子供達と真帆。
 焼き芋を食べながら、山道を歩く。
 皆ハイキングに適した格好をしており、萌菜は鮮やかな紅のワンピースだった。
 山頂に着き、色づく山々を見下ろす。
 言葉に出来ないくらいに美しい色に、萌菜の目が輝く。
 山を下りようと歩き始めれば、すぐに雪が降り始め、景色が一転する。
 女の子が雪合戦をやろうと言い、雪玉を投げる。
 大騒ぎをした後に皆で協力して雪だるまを作り、かまくらを作る。
 かまくらの中にはいつの間にかケーキやチキンが置いてあり、皆はそこでクリスマスパーティーを開く事にした。
 メリークリスマスの声と共にオレンジジュースの入ったグラスをカチンとぶつけ、チキンを食べるとケーキを切り分ける。
 萌菜がイチゴを食べ、真っ白な生クリームとスポンジを口に入れた瞬間 ―――――
「ママの味だ‥‥‥」
 そう言って、ポロリと涙をこぼした。
「ずっと前、ママが作ってくれたの。元気になるようにって、お医者さんには内緒だよって‥‥‥」
 もしかして ―――――
 真帆はかまくらから出ると、白銀の世界を見渡し、彼らを見つけた。
 メグルと詠二に挟まれるようにして、中年の男女が立っている。その隣には高校生くらいの男の子が2人と、中学生くらいの女の子が1人。そして、夕方に外で会った澪菜と言う少女が立っていた。
 真帆に気づいた詠二がニコニコとしながら手を振り ――― ふっと、掻き消えた。
「真帆お姉ちゃん」
 どうして詠二さんとメグルさんが萌菜ちゃんの家族を連れてここに‥‥‥?
 考え込もうとしていた真帆の背後から、萌菜が声をかけた。
「どうしたの?」
「萌菜、皆の記憶、返す。でもね、返し方が分からないの‥‥‥。サンタさんがいればな‥‥‥」
「サンタさん‥‥‥?」
「氷菓君の能力は、サンタさんから貰ったもの。そうだよね、萌菜ちゃん?」
「詠二さん!」
 いつの間にか背後に立っていた詠二とメグルが、目だけで「さっきのことは言うな」と合図を出す。
「そう。萌菜が、色々知りたいって言ったら‥‥‥サンタさんが‥‥‥」
「それじゃぁ、皆の記憶を届けに行こう。赤い衣装とソリは用意してあるからね」
 メグルがふわりと宙を手で撫ぜれば、可愛らしいソリが現れた。ソリの前には角に鈴をつけたトナカイが2頭繋がれており、座席には可愛らしいサンタの衣装が乗っている。
「萌菜ちゃん、また遊ぼうね!」
「絶対、会いに行くからね!」
 子供達のそんな言葉を聞きながら、サンタ衣装に身を包んだ真帆達はソリに乗り、空へと浮かび上がった。
 優しい夢を見ている人々に、大切な記憶を届けるために ―――――



☆ ★ ☆



 無事に記憶の戻ったエファナがサンタの国に帰る前に、真帆は少々強引に彼女を連れて萌菜の病院を訪れた。
 事前に相談していたメグルと詠二は既に病院の前に来ており、彼らと連れ立って萌菜の病室に上がる。
 真っ白な扉を開けたそこには、昨日一緒に遊んだ子供達が来ており、手作りの花やワッカで病室を飾り付けている真っ最中だった。
「真帆お姉ちゃん!」
 萌菜が起き上がり、目を丸くする。
「またねって、言ったでしょう?」
 昨晩、全ての記憶を持ち主に返し終えた真帆は、彼女と「またね」と言って別れた。
 また絶対に会いに行くという強い思いを込めて‥‥‥
「あ、昨日のお姉ちゃん‥‥‥」
「エファナって言うんだ。初めましてだね、萌菜ちゃん」
「昨日はごめんなさい‥‥‥」
「気にしない気にしない!あたしだって、知りたいこといっぱいあるもん!それに、あたしもサンタだからね」
「えー!?うそーっ!」
「嘘じゃないーっ!」
 子供達の驚きの叫びを一喝するエファナ。真帆が楽しそうな子供達を横目で見ながら、テーブルの上に持ってきたお重を乗せる。
「真帆お姉ちゃん、それなに?」
「これはねぇ、から揚げとかサラダとか、小さなピザとか、今朝私が作ってきたんだ」
「1日過ぎてしまいましたけれど、クリスマスパーティーをしようと言う事になったんです」
「あれ?でも、ケーキは?」
「ケーキは、もう少しで来ると思うよ」
 詠二が腕時計に目を落とした瞬間、扉が開いて外から萩本一家が入って来た。
 豪華になった部屋と、見知らぬ子供達に驚きつつも、萌菜のお母さんは手に持ったケーキをテーブルに置くと、萌菜の小さな身体を抱き締めた。
「寂しい思いをさせて、ごめんね‥‥‥」
「ママ、昨日ね、萌菜のところにサンタさん来たんだよ」
「萌菜が良い子だから、来てくれたんだよ」
「琢磨お兄ちゃん‥‥‥」
「ずっとずっと、萌菜は良い子だったよ」
 琢磨が優しく頭を撫ぜ、中学生くらいの女の子が笑顔で萌菜の顔を覗き込む。
「昨日ね、みんなで話し合ったの。これからは、もっともっと会いに来るよ。萌菜が病気で苦しむ姿を見てるの、悲しかった。だけどね、萌菜が寂しい思いをして悲しむ姿を見るほうが、よっぽど辛いんだ。だから、萌菜が寂しくないように、いっぱいいっぱい会いに来るよ」
「本当?毬菜お姉ちゃん‥‥‥」
「本当だよ!だって、萌菜は澪菜の大切な妹だもん!毎日でも会いたいよ!」
「パパも、仕事が早く終われるときとか、休日はなるべく来るようにするから」
「俺、明日から萌菜に勉強教えてやるよ。萌菜がいつか元気になって学校に行った時、一人だけ出来なくて恥ずかしい思いしないように」
「萌菜、いつか元気になれるかなぁ。琢海お兄ちゃん‥‥‥?」
「あぁ。きっと‥‥‥」
 家族の間を隔てていた壁が、溶けて行く。
 真帆は聖夜に起きた1つの優しい奇跡に、続く幸せな未来を思い描いた。
 ‥‥‥『きっと元気になりますよ。萌菜ちゃんの病気は、そう遠くない未来、治るようになるんです』‥‥‥
 突然頭の中に響いてきた声に、真帆は隣を見た。
 メグルはただ何も言わず、微笑んだだけだった ―――――



END


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 6458 / 樋口・真帆 / 女性 / 17歳 / 高校生 / 見習い魔女


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

 遅れまして申し訳ありません、メリークリスマスです!
 幸せな結末で、天使か悪魔かはお任せと言う事で‥‥‥サンタさんにしました!
 もしお任せの場合はサンタさんにしようと決めていたので、驚きました‥‥
 一部プレイングを変えて執筆した部分がありますが
 “ここあ”ちゃんと“すふれ”ちゃんの見せ場になっていればなと思います。
 たくさんのお友達と遊ぶと言うクリスマスプレゼントを有難う御座いました。
 楽しいクリスマスの1日を描けていればなと思います。
 ご参加いただきましてまことに有難う御座いました!