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<東京怪談ノベル(シングル)>


カレー閣下の素敵な嗅覚〜果たしてそこにカレーは存在するか?

(まず客観的に見てみましょう)

 …その日は夜まで何だか騒がしかった。
 それは――その『とある高級ホテル』で開催されていたそのイベント――『至高のカレー展』は盛況で、警備員さんの素晴らしい活躍(?)もあり大成功であった――と言うのも間違いはない。
 だが、それだけでは済まないちょっとした騒動も…そのイベントの影でひっそり(?)起きていた。
 その騒動は――『とある男』の、カレーへの純粋なる愛情故に起きた事。
 だが、幾らそれが愛故に歯止めが効かなくなっての暴走、であったとしても、格式と伝統を重んじるこんな場所では――残念ながら到底受け入れられない事にもなってしまう。
 …お客様へのサービスは勿論欠かさない。…けれど、お客様は選ばせて頂きます。
 ここはそんな場所。
 …まぁ、常識的な範囲で行動している限りの人間ならば、ホテル側とて特にお客様を選ぶ事も無いのだが。
 実際、『至高のカレー展』などとこんな人呼んでナンボなイベントを開催している訳だし。
 それなりに弁えてさえいれば、本来ならば案外気安く訪れる事が可能な場所である。
 高級と付くホテルだからと言って、訪れるに当たり別にしゃちほこばって構えなければならない訳でもない。

 …ただ。
 この『彼』の場合は別である…と言うか、無理である。
 つまりは元々常識的な範囲で行動していない…と言うか彼の持つ常識は単純にその辺の人からとてつもなく逸れまくっている為初めから基準がおかしく、ホテル側が求めるように弁えて行動する事はまず不可能。
 そして…外見。
 いかにもなパンチパーマに日に焼けた肌。
 いかにもなサングラス。
 いかにもな青い縦縞スーツに真っ赤なシャツを着こなしている…と言うより着崩して…着崩れている。
 いかにもな腕時計とか指輪とかネックレスとか。
 …とにかく目立て、とばかりに趣味はともかく金は(一応)掛かっているっぽいそんな派手な格好。
 即ちそれは――むしろ今時珍しいくらいに典型的な威圧ばりばりヤクザな見た目となる。

 そんな訳で。
 この『彼』――己の心に従い『カレー閣下』と真実の名を自分で付けた、何処から見てもヤクザな姿の戸籍上『神宮寺茂吉』と名が記されている男は、展覧会会場側からお引き取り下さいと口調だけは丁重に――行動としては強権的・強制的に『至高のカレー展』への入場を断固拒否される訳である…。



(御本人に聞いてみましょう)

 おう、俺だ!
 カレー閣下様だ!!
 てめぇらは憶えてるか! このカレー様に全てを捧げた“漢”の事を!!!
 忘れてたとァ言わせねェ!!!
 と、それはさておき…俺は今、某高級ホテルに来ている!
 何故ならば…今日開催の『至高のカレー展』と言う崇高かつ偉大なイベントを観、参加し、出展されているだろう数多のカレー様を味わい尽くす為だ!!!
 だが、展覧会の警備員どもめ…俺の姿を見るなり会場から追い出しやがった!!!
 ………………つまり昂ぶったままの俺のカレー様への愛は昇華される事無く燻り続けている!
 こうなっちまったら警備員の目が光る『至高のカレー展』に改めて潜入する事は残念だが難しい――と言うか既に衝動のままに何度か試みたが須らく即バレた! だがそれでも何度追い出されても…『至高のカレー展』会場から容赦なく漏れ流れてくる食欲をそそる馨しい芳香には…くうっ…胃袋が締め付けられる…! ああ何故、何故俺は今あの会場に居ない…切なくて…切なくて堪らねぇじゃねぇか…っ!
 ああこの俺のカレー様への愛は何処へぶつければいいのか…カレー樣…食いたい…今すぐ心逝くまで味わいたい!!
 …いや、最早『至高のカレー展』のカレー様と拘りはしない!!!
 カレー様でさえあるなら贅沢は言わない!!
 カレー様であるならそれだけで構わない!!!
 そう、ターメリックのカラーに彩られた軽やかにして重厚なるスパイスの競演をこの舌で!!!
 うおお何処だカレー様あああぁぁ!!! 何処でもいい! 俺にカレー様を食わせてくれー…っ!!!



 と、そんなこんなで。
 カレー閣下は『至高のカレー展』以外の当てもなくカレーを探してホテル内を一人で駆け回っていた。…ちなみにカレー閣下が珍しく一人で行動しているのはちょっとした大人の事情とお考え下さい。執筆ライターの方が歯止め効かなくなって一線超える可能性高いのでその辺鑑みた上での措置です。ともあれ、当然ホテルの廊下などとそんな場所にはカレーなど転がっている訳もなく――むしろそんな場所に料理が転がってたら困る――、客観的に言えば今のカレー閣下の様子は『ホテル内に不審人物が乱入しました』…といつ誰から警察に通報行ってもおかしくないような状態と言えた。
 まぁ、カレー閣下当人としては、己の嗅覚とカレー愛、そして本能(?)に従いとことん本気でカレーを探し続けているに過ぎないのだが。
 だがそれで、どんどんとエレベーターも使わず(お疲れ様です)上の階に向かい――最後には最上階まで上り詰めて来てしまったのは…何故だかカレー閣下自身でもわからない。…そう、冷静に考えるなら何処かレストラン、いやホテル内で探すよりまずホテルから出て外でカレーショップを探すのがカレー閣下的には一番手っ取り早いのではなかろうかと思えるが…今日のカレー閣下はその道は選ばなかった。ひょっとすると『至高のカレー展』に入場出来なかったショックで気が動転していたのかもしれない。
 ともかく、このホテルの最上階にあるのはあくまでバーラウンジであって、カレーが置いてあるようなレストランではない事だけは確かである。…いったいこの場所の何処がカレー閣下の嗅覚に引っ掛かったのか。
 カレー閣下は不審人物さながら(いや客観的には「さながら」ではなく真っ向不審人物)にきょろきょろとあちこちを見て確認しながら、ひくひくと鼻を動かし匂いを嗅いでいる。…何だか犬のような――人間がそれもいかにも過ぎるチンピラ系ヤクザがホテル内バーの前でしていては不審極まりない行動に見えなくもないが、カレー閣下としては至極真面目である。今、彼はカレー探知の事しか考えていない。ほんの一匙一欠片でも見逃すまい嗅ぎ逃がすまいとアンテナをびんびんに張っている。…ここまで来るに当たり通りすがりに運んでいるのを見かけたルームサービスの皿の中には、一皿足りとカレー様は存在しなかった。途中にあった部屋からその香りが漏れ出ても来なかった。カレー様が置いてあるようなレストランもその他の店も途中には無かった。
 が。
 ここまで来て漸く――待ちに待ったカレー様の匂いがカレー閣下の鼻腔を擽ったのだ!
 だからこそ、不審極まりない行動もカレー閣下の中では当然の如く肯定される。カレー様の為ならカレー閣下は何でもする!

 ――…匂う、匂うぜぇ…!

 己のその嗅覚に導かれるままにカレー閣下はその一角に――そのバーに踏み込む。
 途端、違和感。
 …いえ、カレー閣下と言う存在自体が違和感のカタマリに。
 店の奥からジャジーな音楽が流れてくる。それも恐らく生演奏と思しき音で。
 落ち着いた色彩の内装は――さりげなく上品に金が掛けられているのが見て取れる。…その時点でカレー閣下のヤクザ然とした格好とは対照的である。…センスとかその辺諸々。
 さすがに、カレー閣下も一歩入って中に居る客の様子を見て気付く。
 ここはアルコールを提供する店だと。

 ――…何!? 飲み屋だと!? 何処にカレー様が!?

 カレー閣下は慌ててきょろきょろと店内を見渡す。
 と。
 やや奥の席に何処かで見たような赤いドレスの女が居た。
 非常に…と言うか異常に顔色が悪い。が、それにしては特に具合が悪いと言う風でもない。
 その女はカウンターのスツールに腰掛け、血のように赤い液体の入ったグラスを前に、気だるげに音楽に耳を傾けている。
 …間違いない。

「てっめぇ! いつかの!」
「?」

 バーに入ったところでいきなり大声上げられ、赤いドレスの女はカレー閣下を振り返る。…と言うかカレー閣下の方がそのバーに居た客人皆の視線を集めている。カレー閣下を見たところで赤いドレスの女はきょとん。こちらもこちらで一応カレー閣下に見覚えがあった。
 が。
 女が何か反応を返すより先に、カレー閣下は何やら凄い勢いで赤いドレスの女に掴みかかっていた!

「さてはお前がカレー様を隠し持っていやがるな!? 出せ出せ出せえぇエーッ!!! ――…って。な…うおぁああああぁぁっッッ!!」

 と。
 絶叫と共に何故かカレー閣下はがくりと力無く床に崩れ落ちる。
 赤いドレスの女――エル・レイは別に何もしていない。
 強いて言うなら――カレー閣下が掴みかかってきたその時、ちょうど自分の前にあるカクテルのグラスから付け合わせを取り上げて齧っていたところだっただけ。

 ――…エルが飲んでいたのは『ブラディ・ブル』。
 ウォッカベースで有名なカクテル『ブラディ・マリー』と、ブイヨンスープのあいのこのようなカクテル。
 そしてここが重要。
 ………………この『ブラディ・ブル』と言うカクテル、付け合わせの飾り兼マドラー代わりに――さくっとセロリが付いているヘルシーなイメージのカクテルである。
 で、エルはそのセロリをちょうど齧っていたところになるのだが…?

 とまぁ、そんな訳で、エルに掴みかかるなり当然の如くカレー閣下の鼻にセロリ独特の『あの』匂いがつんと来た。
 途端。
 エルに掴みかかっていたカレー閣下はそのまま撃沈。
 ?
「…大丈夫?」
 エル、きょとんとしたまま取り敢えず一言カレー閣下を気遣ってみる。エルにしてみればいきなり現れていきなり掴みかかってきていきなり目の前で崩れ落ちられては何だか他に反応の仕様が無い。
 それでも何だかいきなり瀕死状態なカレー閣下は、項垂れたまま復活しない。
「ち、畜生…! 何故セロリが…! 折角のカレー様の芳香が消される…!」
 苦渋に満ちた呻き声がカレー閣下の口から吐き出される。
 …どうやらセロリが嫌いと言う事が撃沈の理由だったらしい。
 恐るべき過剰反応な気もするが。まだ口にしてさえいない状態でこれ。
「…カレーカレーってたまには違う物食べてみようって気はないのかしらね?」
 例えばこんなのとか。
 と、折角なので(?)齧りかけていたセロリをカレー閣下の目前にこれ見よがしに差し出してみる。
「ぎぃやぁああああああぁぁッ!!!」
「…」
 引っ込める。
 面白い。
「ち、畜生…ッ、この女吸血鬼が…ッ!! そんなにもカレー様を出し渋るか…ッ!!!」
 カレー閣下、涙目。
 悔しげに歯を食い縛り、床を殴り付け唸っている。
「出し渋るって…そもそもそんなもの持ち歩いちゃいないって。あ、そう言えば今日、ここの下で何かカレー関係のイベントしてたわよね? それで貴方がここに来――…」
「それを言うなッ…!!」
「………………あー、察するわ」
「くっ…」
 涙。
 カレー様を持っていないと女吸血鬼――エルは言う。だが確かにこの辺りでカレー様の匂いが…。
 と。
 涙で目が霞むカレー閣下の視界に、こんな場所には似合わない空き袋が入ってきた。
 その空き袋は、誰にも気付かれる事なくひっそりと隅に落ちている――その空き袋からは僅かに食べかすが零れ出ている。
 ――カレー様の匂いは――…。
 茫然とカレー閣下は空き袋を見直した。

 その表面に書いてあった商品名は――…
 …――『ポテトチップスカレー味』。

 素敵な嗅覚です、カレー閣下。
 カレーとなればこんなどうでもよさげな食べかすまでも見逃さない…いや嗅ぎ逃がさない。
 と。
 カレー閣下が空き袋とその食べかすに気付いたところで――見計らったようにウーウーとパトカーのサイレンが近付いて来た。外。急行するときのあの音が大きくなってくる――…!
 途端、カレー閣下はぐわっと顔を上げた。力無くへたっていたのが嘘のように慌てて立ち上がる。…恐らく条件反射。うお! サツか! と大声上げつつすかさず周辺確認。警備員の姿とか他諸々。
 そしてそのまま脇目も振らずバーを飛び出し脱兎の如く逃げ出した。
 誰だ通報しやがったのはあぁぁぁー…と、叫びながらそのままカレー閣下フェードアウト。

 …。

 後に残された人々――お客様やら従業員――は暫し停止。
 何だか良くわからない状況にいまいち反応できてない。

 取り敢えずエルは何事も無かったようにまたセロリを一齧り。
 カレー閣下乱入前同様、特に気にせず音楽に耳を傾ける。
 …ええまぁ、無かった事にしておくのが賢明だろうと言う方向で。
 実際、今の一連の出来事は――バーカウンター内の人や警備員さんも注意しに出てくる間さえなかった訳で。

 …カレーに餓えたカレー閣下、そんなに急いで何処へ行く。

【了】