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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


廃病院リポート:V


【某市内某所・依頼人病室】

 「……これは…」
 依頼人が検査に出ている間、翡翠はテーブルの上に並べられた幾つもの身代わり人形の様子を見ていた。
 誰かが、数人が例の呪いに侵されている。
 だが徐々にシミが薄れていっている所を見ると、解呪できる者がメンバーの中にいるらしい。
 劇的な変化はなくても進行を食い止め、少しずつ浄化している。
 人形の状態からそれを読み取った翡翠は少しばかり安堵した表情を浮かべる。
 しかし、依然依頼人の身代わり人形に変化は無い。
 これは現場の彼らが負ったものと異なる呪いなのだろうか?
「事が解決すれば解消される筈…最悪の場合は…」
 この身をもって、呪力を喰らう覚悟だ。

【廃病院前】

  朝もやの中、病院はそれまで以上に重苦しい空気をまとってそこにある。
 耳を澄ませばパシンパシンとラップ音が響いている。
「…決着をつけよう」
 三階を見上げ、草間は手持ちの煙草の最後の一本に火をつけた。

【廃病院内三階】

  楽しかった。
 限られた命で、毎日苦痛が体を蝕んでも。
 『仲間』とまどか先生がいるだけで幸福になれた。
『まどかせん せい……』
 かろうじて残った意識で院長室の扉をすり抜け、中に広がる闇にどぷんと入り込む。
 早く、早く戻ってきて。もう自分の意識は限界。
 子供らも半分以上がいなくなってしまった。残った子供らも昨日自分が取り込んでしまった。
 一緒にいるはずなのに、その存在を全て中に感じるのに、強い孤独がかすかに残る意識を苛む。
 泣きたいのに涙が流れない。

 泣くってどうだったっけ?

 泣くって何だったっけ…

 ねぇ まどかせんせい

 ぼくは どうなるの  ?


『ま ど か  せ…』
 その呼びかけに応じるように闇が大きく波打った。

===============================================================

■三日目 ― 8:30 ―【廃病院前】

 「シュラインさんは?」
 廃病院前に集った面々。さぁこれから臨もうというその時に、樋口真帆(ひぐち・まほ)がシュライン・エマが足りない事に気づく。
「間宮まどかの死因の詳細、生前の肉声が入った研修ビデオか何かないか、もう一度当たっておきたいんだと」
 草間がそう言って時間を確認する。今はまだ午前中。
 昼前には戻るといって朝早く出て行ったシュライン。
 生前の声を録音して要所要所に仕掛ける事が出来れば。そう考えた。 
「あれば、一瞬の隙を生み出す武器になるかもしれない」
「…十夜君たちには……」
 辛い事だと思う。そう口に出そうとしたが、真帆は口をつぐんだ。
 憐憫の情が、一瞬の迷いが自らの命を危うくする。
 それだけでなく仲間の命さえも。
 更に自分は昨日から半身が動かない。車椅子で人に押して貰わなければ身動きの取れない状態だ。
「辛い…かもしれないけど、やらなきゃ終われない。それに依頼人も…」
 桐嶋秋良(きりしま・あきら)は今日の為に準備してきたストーンの数々を握り締める。
 元を断てば呪いは解けるだろうが、それを断つ為の力を持つ者達が動けないのでは意味がない。
「…最終決戦、という奴ですよね、もう時間もありませんし。今度で決着つけなくちゃ」
「決着、ね。僕は戦闘には不向きだけど、補助くらいはできるかな。仮にだけど、ボスが霊の類じゃなくて…間宮先生が誤って呼んでしまった悪魔の類だったら…」
 『生きた時』を有してるはずだし、自分の鍵で少しの間くらい停止させることは出来るかもしれない。屍月鎖姫(しづき・さき)は考えを伝える。
 一度試してみて無理ならすぐ諦める。そう付け加えて。
「桐嶋様のお陰で何とか歩けるようにはなりましたが…流石に完治するまで時間をロスするわけには参りませんので、奥の手を使わせて頂きます」
 天薙撫子(あまなぎ・なでしこ)は、事態は大詰めかつ切迫してきていることで已む無く奥の手の行使を決意した。
 先の折に仕掛けていた封印結界の発動、そして奥の手による一帯の浄化を試みようとしている。
「一先ずは女史待ちか?ならばその間に僕は地下に行く手間を省く為の準備をしておきたいんだが」
 天城凰華(あまぎ・おうか)は地下にあったアルターの反転作用のある物を先に一階に仕掛けておきたいという。
 院長室から動かねばそのまま使えるやもしれないが、こうなった以上定位置に治まっているわけがない。
 何とかその真上まで誘導すればと考える。最悪、一階までおびき寄せて直接ぶち込むという方法もなくはない。
「わかった、気をつけろよ」
「気配を探りながら手早く済ませてくるさ」
 そう言って凰華は院内に入っていった。
 その背中を見つめ、セレスティ・カーニンガムはふと考える。
 変死したという間宮まどかはどこで死んだのか。
 呪術を行った為の変死なのではないかと。
 これまでの調査で廃病院となってから今迄の整理してみる。
 魔法陣は黒い影に犠牲になった人々の精気を吸い力を蓄え、今は十夜少年も同化間近。
 十夜少年は間宮氏に懐いているから、今の状態がある訳で、前提の間宮氏が黒い影の中で主導権を握っていたのは最初だけで、後は次々と取り込まれ姿を消している子供達と同じなのではと。
 間宮氏の家族が忽然と消えたのは、少しでも間宮氏が家族の様に、自分の子供の様に思っている十夜少年達を痛みから解放し、痛みのない身体を産み落とそうと、母の様な、そんな気持ちだったのでは。
 肉体を与えるのは、亡くなった子供達の身体ではなく犠牲となった人々の物なのではないか。
 もしそうだとするならばとても悲しい事だと思う。
 死を超える事は難しく、もし出来たとしてもそれは以前の人という生き物では無いから。
「――杞憂…であって欲しいような、そうでないような…」
 是か非か、どちらであってもホッとできるものでない現状を思うと、よりセレスティの心中は複雑なものになっていく。
 念の為に準備した聖水で穢された場所を清められればと思う。そして、犠牲者が見つかれば弔いも。

「あの、草間さんお願いが…」
 車椅子を押す草間に振り返り、真帆は一つ頼みごとをしようとする。
 何だと問われれば、自分はこのまま院内での戦闘に加わる事はできないから、この建物の、この地に眠る記憶の夢を渡りたいという。
「闇の正体を探るために……まどか先生は子どもたちを助けたかっただけ。十夜君はあの頃に戻りたかっただけ。それだけのはずなのに…」
 何が、何処で歯車が狂ってしまったのか、そして何故闇はこの建物から出られないのだろうか。
 十夜や子供たちがこの土地に縛られているのは、ここで死んだ自縛霊ゆえだろうと推測できるが、あの闇がこの中にい続けるその理由は何なのだろうか。
 建物自体に負の力は感じない。むしろ闇の力を妨げる役割を果たしているのではないだろうか。
 そう考えたのだ。もしそうなら、建物(付喪神、精霊)の力を借りれば、闇をどうにかできるかもしれない。
「わかったよ。どうせこの中じゃ俺も足手まといの部類だろうしな。中に向かうのは善たちに任せるさ」
「有難う御座います」


■三日目 ― 9:45 ―【市外・医大時代知人宅】

  草間から凰華の行動について連絡が入り、地下のアルターを使用するつもりでいたシュライン。
 だがそれで手間が省けたというわけではない。自分がしようと思っていたことはやはり必要ゆえ、物が見つかるまで客間で待たせてもらう。
 十夜の祖母にも当たってみたが、彼と先生の記念品などは残っていなかったからこそ、これはあって欲しいと願う。
「お待たせして申し訳ない」
「いえ、あの、それでは見せていただけますか?」
 客間のデッキにテープを入れると、古いハンディカムで撮ったような画像の中に研修風景が映し出される。
 その中に映る間宮まどかとその仲間たち。
 喋っているシーンはまだない。流石に姿だけでは厳しい。
 すると研修テープの余りなのか、それを撮影していた者が学生だったのか、揺れる画面の中でじゃれあう一同の姿。
 その中で『ちょっとやめないさいって。こら、映すなってば』笑い混じりにカメラを避ける彼女の姿を見つけた。
 こんな風に笑えたんだと思うと、少し切なくなる。
「すごく、変わったと思うよ。人が変わったと言ってもいい。研究に没頭して、人との交流も上辺だけ。何がそこまで彼女を変えたのかわからないけれど……しかもあんな死に方…」
「その死因の詳細なんですが…」
 業界では身内切りは禁忌とされている。
 だが自分で執刀できない代わりに仲間内で誰にしてもらうか指名する事が出来る。
 しかしこの検死では、自分は執刀医ではなく、助手という形で立ち合せてもらった。
「―――あの当時は夢に見るぐらいだったっけね…ん、まぁ…貴女から聞かされた話も半信半疑だけども…あの死に方を見た以上は少し信じてしまうよ」
 彼女の勤めていた病院の話、そこで起こった事件、依頼主の状態。
「多分、貴女の想像通りの答えだと思うよ。まどかの死因と思しきあの状態…まさに貴女の依頼主と恐らく同じ症状だと思う」
 異なる点としては、それが表面ではなく内部に広がっていたという事。
 依頼主の半身に広がるどす黒いシミが臓器のいたるところに広がり、ありえない腐臭を放っていた事。
 それを聞いてシュラインの中で一つの仮説が実を伴った。
「ガンじゃない…だけどウイルス性の感染症でもない未知の病原体でもない…密かに検査を行ってみたけど、培養できないしあれから検出できるのは採取した臓器の細胞だけ。あれがすべての臓器の機能を停止させたのはわかるが…あれが何なのか全く分からない。まぁ…あの状態ではないにしろ、監察医のところには常識では測れない類の…それこそオカルト紛いのものも入ってくることがあるからそういう場合は何もなかった事にするのが暗黙の了解だけどね」
 これから広がる恐れはないが、これを公にしてはいけない気がして。そう思った監察医と自分はその時見たものをそれぞれの胸のうちに収めて、診断書には心不全と。
「貴女はこれが何か、おぼろげながらも知っているんだね?」
「…非科学的なことではありますが……」
 それ以上はシュラインも言えず、ただ苦笑するばかり。
 だがそれで十分だった。
 現代医学、現代の常識に当てはめられるものではない。
 知人はこれは好きにするといい。そう言って研修ビデオをそのままシュラインに渡した。
「そのまま処分してくれて構わない。出来る事なら、燃やしてしまって欲しい」
 自分は普通のありふれた医師として生きていくから。
 今日で全ての事は忘れる。
 出て行く際、ふと振り返ったシュライン。
「…有難うございます」
 話してくれて。
 その思いを無にしない為にも、ここから先は自分たちが気合を入れなければ。
「もしもし、武彦さん? ええ、そう。あったわ。これから戻ります」
 連絡を入れるとシュラインは足早にその場を後にした。


■三日目 ― 10:00 ―【廃病院前】

  あの闇の正体は何なのだろうか。
 土地の記憶を、建物の記憶を辿り、あれの正体を確かめなければ。


 病院ができる
 この頃はまだ何もない
 新しい場所
 新しい主
 何もかもが新しく息づいている

 幾度も季節を越えて
 幾度も生と死が巡り
 覚えている者もいれば忘れていく者もいて
 悲しいかなそれが移り変わる人の記憶というもの

 病に苦しむ人々の傷み、それを全て受け止めて
 気は僅かに澱むけれどそれも常軌を逸するものではない

『(あ…)』

 間宮まどかが配属されてきた
 内科医
 評判は上々
 小児病棟へ
 子供たちの痛み悲しみ
 そして孤独
 純粋な想い
 絶望
 悲哀
 無力
 …歪み…
 霊安室
 子供の亡骸
 最期のその際に間に合わなかった親
 最期のその際に連絡すらつかなかった親
 子供たちの為に
 せめて痛みを消して

『(あれは…)』

 古い時代の書物
 古代の秘薬、ついにはまじない
 自分の体で試して
 試して
 
 意識が


 遠のいていく

 狂気が



 押し寄せる――――


『(!?)』

 突然視界が闇に包まれた。
 天地も分からない空間。
 けれど小さな弱弱しい光が、何かが聞こえてくる。
『(間宮…先生?)』



 ――――もう限界…あの子達を助けて…――――

 
「樋口?」
「!!」
 草間の呼び声にハッとした途端、夢の入り口は閉じてしまった。
「何か分かったのか?」
「ええ……とても、重要な事が…」
 

■三日目 ― 10:15 ―【廃病院前】

 「遅くなって御免なさい」
 シュラインが息せき切って戻ってきた。
 目的のものは一つ手に入れた。これから準備に取り掛からなければ。
「お疲れ様。こっちでも一つ収穫があったみたいだよ」
 それも結構大きな、と付け加える鎖姫。
 外回りを調べていて何か見つけたのだろうかと首を傾げるシュラインだが、仲間たちの様子を見ても物を見つけたとかではなさそうだ。
 確信を持った目で、真帆は自分が見た事をしっかりと伝える。
「この土地、建物に残る記憶を夢渡りで見てきました。何故十夜君たちや闇がこの建物の外に出られないのか不思議だったんですが、その理由と、何故こんな事になってしまったのか。その原因が見えてきました」
 単に子供たちが自縛霊というだけではなかったのだ。
 あの闇が、あれに操られた子供たちがせめて外へ出られないようにずっと止めていた者がいたから。
「あの闇に魅入られた十夜君や子供たち…彼らが外へ出られないのは他ならぬ間宮先生がそれをくい止めていたからなんです」
 一同驚きを隠せない。
 昨日龍晶眼での霊視をしようとした所で襲撃にあい、結局見ずに終わっていた撫子はそう言われて改めて病院を視た。
「―――なるほど……そういうことでしたか。秘薬の作用が魂の核を二分してしまったのですね」
「だからどうだってんだ?」
 撫子の言葉に真帆が頷くも、草間にはまだ分からない。
「子供らを救いたい。しかし自分は、医療は無力だ…そういった思いを抱いた部分が強調され、一つの人格となってしまった。それも精神的なストレスによるものではなく、偶然効果を持った秘薬の作用で霊核が二分し、一つの体に二つの魂があり、それぞれが別の人格を伴った…この院で起こった事件はその二分した片割れの行動ゆえに起きたこと…そういうわけだな?」
 二人の会話から推察する凰華。
「じゃあ…樋口さんが視たのは…もう一つの間宮女史の魂…?」
 秋良の声が少し弾む。
 どうにか彼らを救えないか、再生のチャンスを与えられないものか。
 破壊の力も携えて臨んできても、やはり希望を抱いてその為の力も用意してきた秋良は、一縷の光が見えてきたのではないかと胸が熱くなる。
「では、予定が少々変わりますね」
 セレスティがにっこりと微笑むと、一同浅く頷いた。
「これは、十分役に立ちそうね?」
 シュラインが入手した間宮まどかの声だけが起こされたテープ。
 入っている台詞もお誂え向きといえよう。
「闇の魂を祓い、くい止めている魂と子供たちの魂の浄化…だな」
「先生も十夜君も解放できる手立てがあるなら協力するよ」
 絶望の中に見出した希望を掴み取るには聊かハイリスクではあるが、バッドエンドよりもハッピーエンドの方が気分はいい。
「アルターも、実際に悪魔召喚を行った訳ではなく精気を手に入れる為の一つの手段だったというわけね…悪魔そのものじゃないだけよかったわ。まぁ…その秘薬自体が悪魔の薬って感じだけど」
 その強い想いゆえに生まれたそれは時間が経つほどに歯車は狂い、やがて破滅を向かえ、幾多の魂と精気を取り込み新たな存在として生まれ変わろうとしているだけのモノになってしまった。
 無念とそこでの生活の長さゆえに、その場から出られないと生前から植えつけられた想いゆえに、院から出る事が出来なかった彼らを見事に利用した。
 本を糺せば、誰が悪いと言うわけではないが、それでも狂ってしまったものは正さねばならない。
 あるべき姿へ。
 もう誰も悲しい思いをする必要はない。
「さぁ、仕事だ」


■三日目 ― 10:40 ―【廃病院一階フロア】

 「闇の塊となったもう一つの方は、浄化でどうにか出来るレベルなら良かったんだがな、悪いがそちらに関しては手加減は一切無しだ」
 本気でかからせてもらう。そう呟くなり凰華は術式を展開させ、臨戦態勢をとる。
「正直十夜少年と闇を分離させる事が出来るかどうかわからん。その辺は他の能力者の力量次第だろうな」
「治りきっていないこの足では院内の活動は不利…よって私は外部から封印結界の発動及び浄化の力を院内に送り込みましょう」
 浄化の神力によって闇を弱体化できれば。撫子は入り口のところで別れ、足を引きずりながらも建物の影から出る。
「皆さんお気をつけて…」
 自分に出来る事はした。後は動ける人たちに任せるしかない。
 草間と共に真帆は院の外で待機する事になった。
「んじゃあちょっくら行ってくるぜ」
「最初みたいにすぐヘタるなよ」
「わーってらぁな」
 そんな会話を肩越しに交わしながら、善は仲間と共に奥へ進んでいく。
 凰華が新たに陣を仕掛けた場所が二階や三階のどの位置にくるのか青図面で確認をとる。
 三階ならば院長室へ向かう途中の廊下。
 二階ならばつき当たりの部屋の前。
「要所の近くにこれらをセットして、タイミング合わせてスタートね。どれかで成功する事を祈るわ」
 間宮まどかの声が録音された、遠隔操作できる型の再生機が複数、シュラインの腕の中にある。
 円陣を組み、慎重に足を進める中、シュラインは最期に残った疑問について考えていた。
 結局の所あの呪いの正体は何なのだろうか。
 ぶつける呪いは病人の痛みやダメージなのだろうか。
 子供達の痛みを無くしたのは痛みを取り上げてどこかへ移してたからとすればその応用か。
「(呪を使わせれば使わせるほど死から遠のく状態に…?…わからない…)」 
 彼女の遺体にあった物と同じ物が呪いを被った者に現れていることはわかった。
 この場で被害を被った者の浄化が可能だったのもわかる。呪い返しと浄化は異なるからだ。
 あの腐臭を放つ黒い物は何なのだろう。
 そこだけがわからなかった。
 しかしここで思索に耽っているわけには行かない。
 今は一刻も早く闇を滅する事だけを考えなければ。
 シュラインは一つ残った疑問を頭の隅に置き、目の前の事に集中しようと意識を切り替えた。


■三日目 ― 11:50 ―【廃病院二階フロア】

  階段を登る事に瘴気が濃くなっていくのを感じる。
 息苦しさ、そしてすえた臭い。
 鉛の臭い。
「…死臭そのものだなっ…くそっ!」
 契約妖獣と同化している善の嗅覚や聴覚は人のそれより遙かに上回る。
 それゆえ死臭には非常に敏感であった。
「やはり昨日の状況よりも悪化していますか…」
 聖水の入った小瓶を片手に、セレスティは周囲を警戒しながら足を進める。
 呪いはかかってないとはいえ、この足で俊敏な動きは不可能な為、どこまでサポートできることか。
「そろそろポイントね」
 再生機を仕掛け、気休めにしかならないだろうがセレスティはその周りを聖水で囲う。
 念の為、何事も仕掛けておくに越した事はない。
「―――…動いてるね」
 鎖姫が天井を見つめる。
 『停止した時』の接近には反応できる鎖姫。どうにか対象の動きを捕捉出来ている。
 高性能ではないがないよりマシだろう。そう考えた。
「十夜君みたく天井突き抜けて降って来たりとか…」
 身構える秋良。
 そういう事言うとホントになりそうだからやめてくれと苦笑する善。
「いい読みだ」
 凰華がポツリと呟いたかと思うと通路の天井が黒く染まってく。
「え!?嘘っ」
「桐嶋!」


■三日目 ― 11:50 ―【廃病院前】

 「――始まりましたね」
 中から伝わるピリピリとした空気が肌を刺激する。
「天薙さん…」
「これから『奥の手』を使わせて頂きます。危ないので少しさがっていて下さいませ」
 草間と真帆が距離をとったのを確認すると、撫子はその身に宿る力を解放し、神位覚醒を成した。
 その姿は神々しく、東洋の天女風姿に三対の翼。まるで天使のようなその姿に真帆は圧倒される。
「こんな力が…」
「ここだけの話にしておいてくださいね」
 苦笑しつつそう囁き、廃病院の頭上高くに舞い上がった撫子は準備していた封印結界を発動させ、一部仕組みを変更して中に浄化の力を注ぎ込んでいく。
 これが中に居る彼らの助けになれば。そう思いながら力を注ぎ込み続ける。


■三日目 ― 11:55 ―【廃病院二階フロア】

 「! 天薙さんが力を使っているようですね」
 目の前の状況から視線をそらす事無く、セレスティは皆に伝える。
「これで多少なりとも弱ってくれりゃあいいんだが…」
 天上からずるずると降下してくる闇の塊はその動きを止める様子はない。
 浄化の力に若干その大きさが小さくなったことで、効いてはいるのだと確信する。
 凰華はシュラインに目配せし、シュラインもまたそれに応える。
 あれが完全に姿を現してからが勝負。
 アルジズによる防御体勢をとる秋良も、汗が頬を伝う。


『帰ってきた…先生…かえってきた…』


 ぼわんぼわんと耳に反響する音。
 かろうじて言っている事は聞き取る事が出来たが、こちらの問いかけに応える様子はまったくない。
 じりじりと後退する一同。
 そして勝負の瞬間がやってくる。
「!!」
 落ちる水滴の如くぼたりと床に落ちたその瞬間、槍の何本も飛び出してきた闇。
 秋良がそれを防ぎ、善と凰華が攻撃を仕掛ける。
 後方に控えるシュラインの前に立つセレスティ。
 そして鎖姫は『停止した時』の気配に気を配る。
「シュライン!」
 その掛け声と共に、遠隔操作のスイッチを入れた。

『やめないさいって。こら』

 一部抜粋された間宮まどか本人の声。
 頼む。反応してくれ。皆の心に只一つその言葉が浮かんだ。

『ま……か…せん…せ…?』

 闇の中から膜の中を蠢いているような状態で子供の形が前に出ようとしてきた。
 それが岡崎十夜という事は一目で分かった。しかしそれを何かが止める。
「!」
 闇の動きが止まる。
 そして、玉子の殻が割れるように、そう…『孵化する』ようにそれは現れる。
「遅かったのか…っ」
「そんな!?」


『―――ハジメマシテ…?』


■三日目 ― 12:15 ―【廃病院二階フロア】

  闇の塊が消え、代わりに目の前に現れたのは一人の女の姿。
 間宮まどかの姿。
 しかしその目と口は墨で塗りつぶされたようにまっ黒で、中で闇が絶え間なく蠢いている。
「闇が押し詰まった皮袋…といったところだな。醜悪な」
 凰華が術を発動させる。
 光剣が間宮まどかの体を貫く。しかし貫かれた場所は水のように再び元の位置に戻って何事もなかったかのようになった。
「攻撃が!?」
『イマ、ナニカシタ?』
 クスクスと笑うその口元から見え隠れする闇が、思わず目をそむけたくなるほど不気味だ。
「何も効いてないわけじゃありません!攻撃の手を緩めずに!」
 セレスティの言うとおり、撫子が外から注ぎ込む浄化の神力の為か、余裕に振舞う闇の体はシュウシュウと音を立てて少しずつ溶けている。
 中の闇がいっそう激しく動き出す。
『ダイジョウブ、コワガルコトハナイワ。ズットイッショヨ』
 その時、再びシュラインが仕掛けた声を再生させる。
『まどか、せん… アレハワタシジャナイワ。ワタシハココニイル。 せんせ…』
 二つの意識が交互に入れ替わっているのか、十夜らしき声と間宮まどかの声が入り混じる。
 動揺している。これならば。
「聞いて十夜くん!そこにいる間宮先生は違うの!具体的には同じなんだけど…って、そうじゃなくて、貴方たちがここから出られないのはもう一人の間宮先生が外に被害を出さない為にずっと食い止めてたからなんだよ!?」
 闇の動きが急にギクシャクしだす。
 秋良の言葉に明らかに十夜が、僅かに残された子供たちの魂が反応している。
「間宮女史は貴方たちの為に、治せないのならばせめて痛みを取り除いてやろうと日夜様々な方法で、それを自分の体で試していました。ところが、その中によくない物が混ざっていた。それが原因で間宮女史の魂が二つに別れ、一つはあなた方と共に、もう一つは狂った片方を少しでも抑える為にずっとここに縛られているのです」
「もう一人の先生が『子供たちを助けて』って言ってたってさ。このままじゃ何処へもいけなくなる。消えてなくなるだけになる。まだ遅くないと思うよ。そこから出ておいで」
 セレスティや鎖姫の呼びかけに、間宮まどかを模った姿がずるりと崩れていく。
『ダメヨ!イッチャダメヨ!!デルナァアァァァァッ!!!』
 二体の泥人形のような人の形をした物が、ズルズルと歩いてくる。
 あと少し、もう少し。
「入った!天城!!」
 善の合図に凰華は一階フロアに仕掛けたアルターを発動させる。
 その力は天井を抜け、床を抜け、この場と一直線に繋がった。
『チカラガ…チカラガアアアァァアアァア!!?』
『……これで……い…だろ?…』
 吸収した人々の精気が反転作用を持ったアルターによって排出されていく。
 その力は凄まじく、建物が大きく振動した。
 そこかしこに亀裂が入り、地震が起きたかのように揺れ始める。
「十夜くん…貴方まさか…」
 こちらがしようとしていた事に気づいていた?
 それなら何故。
 光り輝くアルターの中から、十夜が腕を伸ばす。
 手の中には幾つもの光の珠。
『やる…こいつら、やる』
 それは他の子供たちの魂。
「君も一緒に!」
 死と再生を司るユルの力を引き出し、秋良が手を差し伸べるが十夜は首を横に振るだけ。
 傍でガラガラと崩れていく間宮まどかの闇を抱き締め、彼は呟く。
『ぼくはまみやせんせいと、いっしょにいる』
 家に帰れなくて寂しくて、そんな時いつでも先生が傍にいてくれた。
 たとえ狂っていたとしても、これまで傍にいてくれたのは彼女であり、第二の母である。
 自分だけは最期まで彼女を信じ、傍にいなければ。
 その想いだけが伝わってくる。
「―――…ならば覚悟はいいな?」
 凰華が再び数多の光剣を出現させる。
 崩れ行く闇を抱えた十夜はそれを見つめ、静かに目を閉じ頷いた。
「天城さん!」
 秋良とシュラインが止めようとするが、善と鎖姫がそれを阻む。
 彼が望む贖罪を止めるわけにはいかない。
 そして、力を殺いだとしてもその核が残ってしまえば今回の依頼の意味がない。
 彼が望む救いもまた、闇と共に。
「さらばだ」
 光剣が影と十夜を貫く。
 消滅の最中、秋良は死出の旅路の加護と神の光を与えられればとライゾとサガズの力を引き出す。
 アルターの中で二つの存在は霧散した。
 果たして彼らは救われたのだろうか。
 そればかりが気がかりだ。
「―――……これで…よかったのかしら…?」
「これもまた、お仕事ですから」
 因果な商売だと、諦めるしかない。
 シュラインの呟きにセレスティが応えるように呟いた。
 そして唐突に善の携帯に草間から着信があった。
「もしもし?」
『やったのか!?今翡翠から連絡が入ってな。依頼主の呪いが消えたそうだ』
「そうか…そりゃあよかった。ああ、今から戻る」
 依頼主の容態は回復。
 十夜たちが消滅した事で、その呪いも消滅したらしい。
 痛みという名の呪いが。
「これで依頼は解決?じゃあちょっと中覗いて行ってもいいかな」
 鎖姫が徐に院長室へ行ってみたいと言い出す。
 結局の所、拠点としていたあの場所には何かあったのかどうか、その辺も見てみたいらしい。
「仕事は完了だが、この状態じゃいつ崩れるかわかんねーぞ?」
「わかってる。先に出といて。すぐに行くから」


■三日目 ― 12:45 ―【廃病院三階院長室】

 「案の定鍵は閉まってるけど、僕には関係ないね」
 鍵師である鎖姫にはこの程度の鍵を開けることなど造作もない事。
 鍵を開けて院長室へ入ると、そこは何の変哲もない、しかし荒れ果てた広い部屋があった。
 その部屋の中央に何か一枚の紙切れが落ちている。
「これは―――…」
 拾い上げたそれを見て鎖姫は微苦笑した。
「なんだ…あったんじゃん?」
 それは一枚だけの、幸せな写真。
 こんな暗くて寒い場所に置いておくのは忍びない。
 せめて外の明るい日差しの下、院の外の土に埋めてやろうか。
「お邪魔しました」
 やや皮肉めいた言い方でそう一言告げ、院長室を後にした。


■三日目 ― 13:00 ―【廃病院前】

  外で待っていた真帆と撫子、草間が一同を出迎える。
「それで、十夜君たちは…?」
「それが……」
 真帆の願いも空しく、十夜は自ら闇と共に滅びる道を選んだ。
 あれを聞いたら引き離せなかった。
 事の顛末を聞いた真帆は、少しでも望んだとおりになっただけ、彼はその一瞬でも幸せだったと思いたいと涙目で笑った。
「?…おい、あれ…」
 草間が指し示した方向には、今にも消えそうな間宮まどかと小さな子供たちの姿が見える。
 それがお辞儀をしたと同時にそのまま掻き消えた。
「……他の子供たちは…上にいけたんでしょうか?」
 自分の力が及んだのだろうか。
 秋良はそれだけがとても気がかりだった。
「??揺れてないか?」
「え? ええ!?」
 凰華の言葉にシュラインがふと建物を見上げる。
 すると大きな地鳴りが始まったではないか。
「ちょっ!?危ねぇ!逃げるぞ!!」
 善の掛け声と共に皆一斉に逃げる。
 土煙の向こうで、廃病院は見る影もなく崩壊した。
「『家』が…」
「…依頼主も手間が省けたんじゃない?」
 彼らの『家』は残しておいてあげたかったのに。
 落胆した様子の真帆に、鎖姫は院長室で見つけたあれをチラリと見せる。
「依頼主にさ、新しくここに建てる際に慰霊碑建ててもらってさ、その中に入れてもらうってのはどう?」
「…そうしてくれると、いいですね…」


■三日目 ― 14:30 ―【草間興信所】

 「ご苦労様でした。無事、依頼は成功したようでなによりです」
 事務所で依頼主と共に出迎える翡翠。
 しかし草間の表情は歓迎モードではない。
「何がご苦労様でした、だ!面倒な上に後味悪い仕事回しやがって」
「まぁ解決したからよろしいじゃありませんか。それに」
 翡翠が言わんとしていることはわかる。
 仕事を選べる余裕などないのだから。
「皆さん有難う御座います。おかげでこの通り…何とお礼を言ってよいか」
 依頼主がスッと立ち上がり、老齢を感じさせない物腰で優雅に礼をする。
 そんな依頼主に、鎖姫はあの写真を見せ、真帆と秋良が口ぞえる。
「新しくあの土地を活用するなら、その時にどうか慰霊碑を…そしてこの写真を一緒にしてあげてくれませんか?」
「お願いします!」
 二人の真摯な様子に、少々驚くも事の経緯を聞けばそれも納得できた。
「わかりました。お言葉どおりに…ではそれをお預かり致しましょう」
 写真を受け取った依頼主はそれをハンカチに丁寧に包んでバッグに仕舞った。
「そういえば」
「何か?」
「病院のベッドにいる時に、夢を見ました…何度も同じ夢を」
 どんな夢かと問うと、悲しげな眼をして依頼主はこう告げる。
 沢山の子供たちの泣き顔が。
 その痛みが。
 すべて伝わってきたと。
「…もしかすると…あれはあの廃病院で亡くなった子供たちの痛みの塊だったのかもしれないね…」
「ええ…そうかもしれませんね…」


 今はもう、その痛みからも解放されたと…
 自由になったと、そう思いたい。


―了―
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0328 / 天薙・撫子 / 女性 / 18歳 / 大学生(巫女):天位覚醒者】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2562 / 屍月・鎖姫 / 男性 / 920歳 / 鍵師】
【2981 / 桐嶋・秋良 / 女性 / 21歳 / 占い師】
【4634 / 天城・凰華 / 女性 / 20歳 / 退魔・魔術師】
【6458 / 樋口・真帆 / 女性 / 17歳 / 高校生/見習い魔女】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、鴉です。
界鏡現象〜異界〜ノベル【廃病院リポート:V】に参加頂き、有難う御座います。
これにてシリーズ完結と相成ります。
終了まで長々とかかってしまい申し訳ありませんでした。
またそのうち別のシリーズ物などでお会いできれば幸いです。

ノベルに関して何かご意見等ありましたら遠慮なくお報せ下さい。
この度は当方に発注して頂きました事、重ねてお礼申し上げます。