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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


優しい狂気


 両手で握る剣でさえ、10歳の朝深・拓斗には重荷だった。
 蝋燭の静かな灯火に照らされた演舞場の中に、透き通った声が響き渡る。
「その振りは違う、こうだ」
 人間離れした舞と技。優美な線を描き、目の前の師匠は手本を見せてくる。
 隙のない所作。片手で自在に剣を操り舞う姿は凛として気高く、全ての邪を断ち切るような光彩を全身から放っている。
 人間の姿をした神なのかもしれない。憧憬とわずかばかりの嫉妬を心の底に渦巻かせ、拓斗は朧気にそんなことを思う。
 もう一度、今のところをやってみろ。
 師匠から無言で差し出された剣を握り、力を込める。拓斗の支える剣はどこか頼りない。小さな吐息を漏らして、身に余る神剣を見つめる。
 剣舞を教えてもらう為に、物心ついた時から多くの時間を、師匠――芳賀・祐樹と共に過ごした。祐樹に追いつき、追い越せるだけの技量を拓斗は身につけなければならない。しかし、時折なにもかも放棄したい衝動に駆られる。
「お前が救わなければ巫女は死ぬ」。繰り返し身体に叩き込まれる言葉の刃と、日々の演舞場での稽古は拓斗にとって逃げ場のない地獄だった。
 わけもわからず朝深の家から押し付けられる責任や義務、勝手に託された巫女の命。全てを受け止めるには、なにもかもが幼すぎる。
 せめて演舞場に窓でもあったなら、気晴らしに空でも見上げることができるのに。窓のない場所は窮屈で、息をつける暇もない。
 今すぐ逃げ出したい気持ちと、放棄したら自分のせいで人一人の命が亡くなるのだという葛藤にしばらく苛まれ、後者のほうが勝った。逃げ出したところで血の呪縛からは解き放たれない。明日も明後日も稽古は続く。結局、拓斗は演舞場を出ることをしなかった。
 追いつくことなんてできるのだろうか。
 祐樹の動作を真似る。少しでも他のことを考えると動きは硬くなり、矛先は拓斗の意志と離れたほうへ向く。
「違うと言っているだろう!」
 いつになく厳しい怒声が耳を貫き、祐樹が剣を奪い取る。拓斗は勢いで弾き飛ばされた。大人の力に押されて踏みとどまれるだけの術は、まだ持ち合わせていない。
 床に肘を打ったが、呻き声ひとつ上げず、痛みにじっと耐えて祐樹を見上げる。
「すまない。熱を入れすぎたみたいだ」
 祐樹はその場に佇んだまま、寂然と詫びた。剣舞には厳しいが、普段は「祐樹兄」と呼べる程優しい性格だ。稽古をしていないときの穏やかな表情に戻り、言葉を継ぐ。
「筋はいいんだ。練習を重ねていけば、綺麗な動きもできるようになる。集中力を持つことと、もう少し舞師としての自覚を持つことかな。そうすればお前はきっと僕を越せるよ。それだけの腕はあるさ」
 陶器の人形が微笑んでいるような、捉えどころのない笑顔を向けてくる。その笑顔に、拓斗はいつも違和感を覚えるのだ。経験のある者とない者の立場の差か、単に拓斗の心に余裕がないからそう思えるだけなのか、わからない。祐樹の励ましと笑顔は、いつもなんの慰めにはならず、拓斗のうちに焦燥感だけを募らせていく。
 自分の剣舞は祐樹に遠く及ばない。それだけは嫌というほど自覚していた。
「越せるはず、ないじゃないか」
 苛立ちに、思わず食って掛かった。言葉は少ないものの、不満が目に流露する。
 剣を携えただけで空気が変わる。祐樹の舞に村人は神童と謳う。しかし12年前、その祐樹でさえ断ち切れなかった呪いを、自分が断ち切れるわけがない。
 挙句、祐樹ほどの力の持ち主でさえ、本番の豊穣祭で失敗し、片腕を失っているのだ。今はまだ、本番で神楽を舞い成功させることなど二の次で、祐樹についていくことに精一杯だ。そしてこれから先、どれだけ稽古を重ねて成長しても、天性の技量を持つ者を前にすれば、拓斗など比ではない。
 歴代の舞師の中でも祐樹は別格だろう。越せるはずないじゃないか。祐樹の所作を思い出しながら、繰り返し心の中で拓斗は呟く。
「わかりやすいね」
 隙間風が流れ込み、蝋燭の火がひとつ消えた。肘を付いたままの拓斗の鼻先に、祐樹は絶やさぬ笑顔で剣を突きつける。
 祐樹の言葉の意味がわからず、拓斗は黙ったままその目を見つめた。
「お前の思っていることが、手に取るようにわかるよ」
 心の中にじわじわと広がっていく得体の知れない違和感。その逆、拓斗は祐樹の考えていることが全く分からない。
 
 不意に、演舞場の扉が軋んだ音を立てた。祐樹は即座に拓斗から剣を放し、眉を寄せる。拓斗も扉に視線をやるが、誰かが入って来た様子はない。禍々しい気配がその場の空気を揺らす。隙間風だと思ったのは間違いだったようだ。
 なにか来る。
 拓斗は反射的に立ち上がった。蝋燭の灯火が、透明な音を鳴らして端から順に消えていく。祐樹なら一刀両断できるだろうと、頼りの視線を送る。
 しかし、祐樹は意外にも拓斗に剣を差し出してきた。お前が斬れ。表情はそう言っている。
 どうして俺が? 拓斗はたじろいだ。経験を積めということだろうか。
「祐樹兄が……」
 短く呟く。
「僕?」
 妙なことを聞いた、とでも言いたそうに首を傾げ、祐樹は優しい口調で問いかけてくる。
「どうして僕が斬るのかな?」
 最後の蝋燭は完全には消えず、再び炎が揺らめき立つ。
 どうしてって師匠だから……。喉もとまででかかった言葉を呑み込む。子供の理屈に、反論の余地は無かった。
「ほら、躊躇っている暇はないよ」
 祐樹は壁に背を預け、涼しげな表情で指差す。振り返ると、人とも怨霊とも捉えられない巨大な黒い霧が拓斗の目に映った。
 剣を受け取り、身を強張らせる。霧は数秒宙を舞い、異形と化して攻撃をしかけてくる。
 剣を振るうのが一寸遅く、完全に避けきることもできなかった。間一髪、飲み込まれはしなかったものの身体の至るところを深く切られ、血が飛び散る。
 落ち着け。拓斗は言い聞かせる。稽古の基本を活かせばいいんだ。必死で防御と攻撃を繰り返し祐樹を一瞥するが、彼はあくまで傍観の姿勢を崩さない。
 異形は素早く、目の前にいたかと思うと、すぐ拓斗の背後に来る。歯を食いしばり、やっとの思いで一撃を与える。手ごたえを確認するとそこから十字に切り裂き、一気に急所を突く。
 異形は稲妻の如く鋭い閃光を放ち、消えていった。
 剣を置き、床に方膝をつく。息は荒く、流れ落ちる血は止まらない。
 
 呼吸を鎮め、やがて訪れた静寂をたったひとつの声が打ち破った。
「見事だったよ。良かったね、無事で」
 思わず祐樹を見る。相変わらずの笑顔で見返してくる。無事? これのどこが? 赤く染まった衣装を見ながら、拓斗の中の信頼が、疑惑へと変わっていくのを感じていた。
もしあの闇に喰われ命の危機にさらされていたら、祐樹兄は俺を助けてくれただろうか。
 なぜそう思ってしまうのかわからない。祐樹であれば一太刀で斬ることができたはずだ。もし師匠として、弟子の腕前を見るために斬らせたのだとしても拓斗には納得できないことがある。
「一言くらい……」
 言葉数少なく、ぶっきらぼうに口を開く。祐樹はなにを言いたいのか理解しているようだ。視線を斜めに落とし、落ち着いた口調で言う。
「僕は口を挟まない主義なんだ」
 信じていいのか迷う。
 実際の戦闘で、一言の助言も与えられない。
 もし数々の異形がこの演舞場に現れることがあるとしても、今日に限らず、この先もずっと祐樹は傍観しているのだろう。力量不足で命を落とすことになろうと、それは拓斗の甘さでしかないのだろうか。 
「お前は朝深の人間だろう? 本来なら芳賀の人間が口出しできることじゃないんだ。次の豊穣祭で御神体を殺め、呪いを解くのはお前一人しかいないんだよ。僕じゃない」
 もっともらしく諭してくる。しかし、その言葉は拓斗のためを思って発したのではない気がする。優しく穏やかに言うものの言葉に温かみはなく、笑顔には氷の表面を撫でるような、うっすらとした冷気さえ漂っている。
 腕の傷口に血が染みこみ、鈍い痛みが拓斗を襲う。傷だらけの身体。きっと豊穣祭での神楽舞いは、こんなものでは済まされない。
 祐樹はなにを見て、どんなものと闘ったのか。一抹の不安が拓斗の胸を過ぎる。今演舞場に出てきた黒い異形でさえ、祐樹にとっては雑魚に過ぎない。そんなものに傷だらけになる自分が恥ずかしくもあり、情けなくもあった。
「なぜ俺が……」
 ずっと心に秘めていた疑問を吐く。なぜ選ばれたのが俺なんだ。特に秀でた才もないのに。卑屈になり、うな垂れる拓斗に、祐樹は足音を立てずに歩み寄る。
「宿命を受け止めろ」
 拓斗の心に、声は重く響く。蝋燭ひとつの僅かな灯りの中、祐樹は天井を見上げた。
「僕が、御室の呪いを解けなかった理由がわかるか」
 問いかけ、ゆっくりと拓斗を見つめてくる。拓斗はしばらく考え、子供らしい返答をした。
「呪いが――御神体が強すぎたから」 
 祐樹は首を振った。
「それも間違いではないかな。でもそれ以上の理由がある」
 祐樹は一旦言葉を切り、続ける。
「僕は選ばれた人間ではなかったからだよ。どんなに神童と言われても、血筋には勝てない」
 選ばれた人間ではない? 予想外の言葉に、拓斗は絶句する。
「……12年前、本来蛇巫神楽を舞うのは僕ではなかった。神楽を舞うべきは朝深の血筋。芳賀が奉るのは蛇巫。それが絶対条件だ。だが実際はどうだ」
 12年前、拓斗はまだ生まれてもいなかった。祐樹が舞師だった頃の話など知るはずもなく、人から聞かされたことを素直に答える。
「芳賀の血を引く、祐樹兄が舞った……」
「そう。朝深の家に舞師はいなかった。期待されていた次期舞師は、幼い頃に頓死したんだよ」
 拓斗は息を呑んだ。蛇巫神楽を舞うはずだった朝深家の先代の舞師。腕から指先に流れる血を見ながら、それはまさか自分にとって近しい者ではなかったのだろうかと勘を働かせる。少なくとも、拓斗と同じ血を引く人間であったことは間違いない。
 事故か病気か。初めて知る事実に驚愕し、なにが在ったのかを訊ねようと祐樹を見つめて恐怖が足の先から背中まで這いあがってきた。
 捉えどころのない笑顔、優しい物腰。それは変わらないのに、目だけがいつもと違う。
 祐樹の瞳の奥に、恍惚とした光が揺らめいている。毎日一緒にいる人間でなければ気づかない程度の光であったが、拓斗はそこに、仄かな狂気を垣間見た。
「僕が自ら名乗りを上げて舞師の代役を勤めた結果、先代の巫女は死んだ」
 高鳴る心臓。祐樹から放たれていたはずの光彩に、渦巻く闇が忍び寄る。
 小さく芽生える嫌疑の念。同時に、幼馴染の顔が頭にちらつく。異変に気づかれないよう精一杯無表情を装って、拓斗は呟く。
「守らなきゃ……あいつを」
「そうだね。朝深本家の血を引くお前なら、この呪縛を断ち切れるかもしれない。だって、お前は選ばれた人間だから」  
 祐樹は目を細め、微笑む。どこまでが本音か。過去に起きた断片を知っても、祐樹にしかわからないなにかがある。躊躇しながら立ち上がり、拓斗は率直に訊ねた。
「12年前、一体なにが……」  
「さあ、今日の稽古はここまでにしよう。早くここを出て怪我の手当てをしたほうがいい。明日に差し支えるよ」
 さらりとかわされる。訊いたところで詳細を教えてくれるはずがなかった。
 拓斗はそれ以上、なにも訊かないことにした。自分の想像以上に、祭祀三家の因縁は深く重い。御室の呪いを断ち切るために自ら過去のことを探ろうと決意を固め、無言のまま祐樹の前を通り過ぎる。
「この途方も無く根深い闇を、お前ごときが打ち砕けるのか?」
 低い声が耳を打つ。振り返ると、薄闇の中、酷く残忍な笑顔を浮かべている祐樹の姿があった。拓斗は初めて笑顔の違和感がなんであるかを悟る。
 蔑みの目。途方も無く根深い、狂気。
 神も一歩違えれば、悪になる。拓斗の心の中に祐樹との距離ができる。
 打ち砕いてやるさ、絶対に。 
 目に力が入る。向き直り一礼をすると、拓斗は静かに演舞場の扉を開けた。   

<了>