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<東京怪談・PCゲームノベル>


Dice Bible ―opt―



(本を渡せば……ハルは助かるのだろうか)
 どうすれば最善かなんて、橘瑞生にはわからない。わかるはずも、ない。
 本と同調できていない自分。ハルの力を十分に発揮させてあげられていない自分。
(私から離れれば、ハルは助かるのだろうか)
 でも。
(私……ハルと離れたくない)
 それはとても身勝手なことだ。自分の我侭だとわかっていても、それでも彼と一緒に居たい。
 彼と自分を繋ぐこの本を渡したくない。自分から手放したくない。
「……本は、渡せないわ」
 瑞生の言葉に宗は「それで?」と問い返した。
「どうするのかな。勝てないのに」
「………………」
 睨む瑞生の前に、ハルが着地した。彼女を抱え上げ、そのまま大きく跳躍して逃げ出す。
「ハル!?」
「少し距離をとります」
 そう言ってどんどん宗から遠ざかっていくハルに、瑞生は声をかけた。
「ハル、降りて」
「え?」
「話があるの」
 ハルはビルの屋上に着地し、見回す。安心したのか、「なんでしょうか?」と瑞生に言う。
「ハル」
「はい」
 いつもと同じ律儀さで応えてくるハルに、瑞生は辛くてたまらない。
「……ごめんなさい」
「なぜ、謝るのですか」
 彼は瑞生の謝罪に目を丸くした。
「あなたの主として、私はふさわしくなれなかった……」
「マスター……」
「でも、あなたと一緒にいられて、とても嬉しかったし楽しかったわ」
 真っ直ぐ目を見て言う。
「もし許されるなら……願っても……いえ、命令しても、いい?」
 声が、途切れ途切れになる。喉が渇く。
 ハルは真面目な顔をしていた。瑞生の言葉の一つ一つを聞き逃すまいとして。
 二人の間に風が通り抜ける。瑞生とハルの髪が揺れる。
「私を殺して、自由になって」
 言えた!
 言えないかもしれないと思った。でも言えた。良かった。
 ハルは、大きく目を見開いていた。
「私を殺して、もっとふさわしい、新しい主を探して」
「マスター」
「私は、自分からあなたとつないだ手を離せない。離したくない。だから…………あなたの手で終わりにさせてくれる?」
「………………」
「おまえは要らないとあなたから宣告されるのなら……それを受け入れる覚悟はあるわ。
 ちょっと……ううん、大分悲しいけれどね……」
「……マスターは、ひどい方だ」
 ハルの囁きに、瑞生は瞬きをする。
 彼は瞳を伏せていた。
「そんなことを言われて、私が頷くと思っているのですか。その命令は、聞けません」
「でもハル」
「私はあなたのダイスです。あなたと共に戦おうと、思っていたのに……」
 傷ついた顔を、された。
 あぁ、もしかして自分は、彼を……こんな時に失望させてしまったのだろうか?
 でも仕方ないじゃない。そうすればハルは助かる。自分から離れられないから、ハルに。
(ハル、に?)
 彼に……彼に、その決断を任せ、彼に、辛いことをさせようとしているのでは…………ないか?
 自分が、辛いから。ハルに押し付けようと、していないか自分は。
(私……!)
 もう遅かった。失言は取り消せない。
「私は、あなたと離れたいとは思っていませんよマスター」
 泣きそうな顔だった、ハルは。はっきりと、瑞生は恐ろしくなる。
 言ってはいけないことだったのだ。きっと。
 使命を優先するはずだ。彼の存在意義だから。でも、もしかして。
(ハルは、それよりも……私を優先して、くれ…………)
「最悪だ」
 宗の言葉に瑞生はぎくりとする。
 いつの間にか追いつかれていた。
 黒いドレスの女を従えた宗は、ポケットに両手を突っ込んだまま、冷たくこちらを見ていた。
「何か考えがあるのだろうと思って待っていたけど……よりにもよってそんな結論か」
 明らかに残念そうな声音だ。
「ダイスの主になる覚悟が、あなたにはないということだ、橘さん。
 契約を破棄するならまだしも……ダイスに殺せと命じるとは」
「私は……ハルを自由にしてあげたくて」
「自分ができないからって、相手にそれをさせるのか。だから『覚悟』がないって言ったんだよ」
 甘ったれるなと宗は言っている。
「感染してもいない人間を殺せなどと……思い返すと虫唾が走る。
 マディ、本を奪って破壊しろ」
「……はい」
 短く、それでも深い怒りの声でマディが応じた。
 ハルが瑞生を庇うようにするが、マディはハルの前まで一瞬で移動し、そのまま目を細めて呟く。
「どけ」
 ハルの体を、無造作に薙ぎ払った。ハルはそれを防ぐが、パワーが違いすぎて吹っ飛んだ。
 障害はなくなった。
 瑞生の前に優雅に歩いて来たマディは、侮蔑の表情で瑞生を見ている。
「自己犠牲は最後まで頑張ってからにしてよね。そうでもないのに……諦めるなんてあのダイスが哀れだわ」
「ハルが……?」
「あいつはあんたのことが大事だったのに……。あいつの気持ちを考えもしないで……ひどい女。
 本はもらうわ」
 瑞生の頭がいつの間にか掴まれている。みしみしと頭が鳴った。
「あ……ぅ……っ」
 苦しい……苦しい!
 足掻く瑞生の手から、本が奪われた。
(そんな! 嫌っ!)
「最後の最後でダイスを裏切った……。あんたに本は似合わない」
 マディの言葉が終わるのと同時に、頭が離される。
 その場に尻餅をついた瑞生が見たのは。
 マディの拳によって破壊された、ハルのダイス・バイブルの姿だった。
「……ぁ…………」
 本が。
 本が。
 ハルの本が。
 ハルが。
 本は硝子を撒き散らすように破壊され、一欠片たりとも残るまいと燃え上がった。
「あ……」
 呟きと共に瑞生は燃えていくそれに手を伸ばす。けれども、本だったものは空中ですぐに消えていってしまうため、届かない。
 どさ、と音がした。視線をそちらに移動させると、マディの攻撃によって吹っ飛んだハルが立ち上がりかけて……倒れた音だった。
 瑞生はなんとか立ち上がり、そちらに駆ける。
「ハル……! ハル!」
 叫ぶが彼は応じない。
 彼のもとに辿り着き、屈み込む。ハルは虚ろな瞳だった。
「ハル! しっかり!」
「…………」
 だが反応はない。微かに微笑んだような気はしたが、それだけだった。



 彼女の告白を受け入れてしまえば、彼女は辛いだろうと思って拒絶した。
 自分の消滅はすぐそこだ。だから、全てを失わせることはできない。
 瑞生は仕事が好きだ。何事にも意欲的に取り組む。
 でも、ダイスの主であるということは……そんな日常とは切り離されなければならない。
 彼女に大事だと言われて嬉しかった。今までの主とは違うから、戸惑ってしまうけど。でも、今までの主とは違う温もりがある。心地よい温もりが。
 だから。彼女に「自分を殺してくれ」と言われたのは……すごくショックだった。
 一緒に戦って死んでくれと言われたほうがましだった。
 他のダイスはどうか知らないが……少なくとも、自分はそうだった。彼女を死なせるのは自分の本望ではない。
 一緒に行くって言ってくれたのに。
(私を捨てるのですか)
 そう、思ってしまった。彼女は泣きそうだったのに。
 瑞生を置いていこうとしたのは、彼女を守りたかったからだ。でも、一緒に来てくれると言ってくれて嬉しかったのも本当で。
(私はあなたを殺せない)
 遠くで瑞生の声が聞こえる。
 脳裏に、最古の記憶が蘇った。
 古い空。そして――――。
 抱き上げられる感覚。あぁ、あたたかい。
(マスター……最後の主があなたで、良かった…………)
 あのダイスたちはきっと、瑞生の命までは奪わないだろう――だから、もう思い残すことはない。
 さようなら……。



 ぐずり、とハルの身体が崩れた。抱き上げたそこから、砂のようになっていく。
 すでに石化していたハルは、もう何も言わない。
「ハル……うそ……うそでしょ……」
 離れたくないから。
 自分から手を離せないから。
 一緒に、いたかっただけなのに……!
 指の間を、ハルだったものがすり抜けていく。同時に。
「……え? え、え……???」
 脳内で変化が起こっているのがわかる。
 ありとあらゆる、ダイスに関しての記憶が抜け落ちていくのだ。思い出そうと奮闘しても、思い出せなくなっている。
 ハルとの出会いから、彼と交わした言葉、今日に至るまでの全てが――!
「うそ……なに、これ……どうなってるの……? ハルが……ハルの記憶が……!」
 自分の中から、なくなっていく……!
 待って。待って!
「待って!」
 両手を伸ばす。どこに伸ばしているのかわからないが、逃げていく記憶を掴もうとした。だが、掴めるはずもない。
「消えないで! いや……そんなの、こんなのって……!」
 助けを求めるようにハルだったものを見る。だが彼はもう、完全に砂と化していた。
 そんな……。ハルのことを忘れるなんて。大切な思い出全て、消えてしまうなんて。
「ハルだけじゃなく、思い出までなんて…………! そんなのって」
 あんまりだ。
 だが瑞生の願いなど聞き入れることなく、記憶はするすると落ちていく。
 シチューを食べてくれたハル。そして最後は。
 悲しい顔をしていた――――。
 ぶつん、と電源を落とすような音がした。瑞生は、意識を失った。

***

 瑞生は医師を前に、頭を軽くさげる。
「お世話になりました」
 失神していた瑞生は、病院に運ばれて入院することとなった。深夜過ぎになぜビルの屋上に居たのか、瑞生は記憶していない。
 それどころか、瑞生は一週間は、ろくに口もきけなかった。ひどく、辛くて。
 だがその辛さがなんなのか、わからない。だから余計に混乱する。
 胸に空いた大きな穴。
 だがそれも、時間の経過と共に埋もれていく。なぜなのかは……わからないけれど。
 瑞生にはよくわかっていない。ここ半年以上の時間で、所々記憶が抜けている原因など。

 元気になって去っていく瑞生の姿を看護師は見つめた。自動ドアをくぐって出て行く彼女の背後には――――。
「ちょっと急ぎなさいよ。早く行かないとまた主任に怒られるわよ?」
 同僚の呼ぶ声に彼女は「あ、うん」と返事をして歩き出す。
(気のせい、よね。黒い服着た銀髪の男の子が見えた、なんて)
 まさか幽霊?
 くすりと笑って彼女は同僚を追いかける。

 病院の外に出た瑞生を大きくのびをした。事務所には迷惑をかけてしまった。
「さて、と。じゃあ明日から仕事、頑張りますか」
 元気よく歩き出した瑞生は、ふと、振り返る。だがそこには誰も居ない。
 不思議そうにして、瑞生は止めていた足を動かした。もう――振り向くことはなかった。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【3593/橘・瑞生(たちばな・みずお)/女/22/モデル兼カメラマン】

NPC
【ハル=セイチョウ(はる=せいちょう)/男/?/ダイス】

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■         ライター通信          ■
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 最終話までお付き合いくださり、どうもありがとうございました橘様。
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 最後まで書かせていただき、大感謝です。