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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


結界崩し 3

「次は南西……『金』」
 と夏炉[かろ]は改めて言った。
 喫茶「エピオテレス」での、作戦会議。夏炉が関わってしまった結界を解除するため、喫茶店の店長エピオテレスとウエイトレスのクルールが夏炉の話を聞いている。
「具体的には、どれが結界ポイント……宿主なの? 夏炉ちゃん」
「博物館の中にね……」
 夏炉はため息をついた。
「飾られている太刀なのよ……」
 はあ? とクルールが変な声を出す。
「それおかしいじゃないか。元の結界の場所がうまく五芒星の南西になっていなきゃいけないはずだろ。博物館にある太刀なんて、発見されてから絶対移動されてる」
「それがそうならなかったのよね」
 とんとん、と地図の上のばってんをつつきながら、
「太刀の執念って言うの? それとも結界師の執念かしら。この太刀、不思議なことに発見から飾られている場所まで、ほとんど移動していないらしくて」
「――結界の、<縛>だろうな」
 傍で聞いていたエピオテレスの兄ケニーがぽつりとつぶやいた。
「結界のポイントは結界自体が崩れない限り、移動させることは常人にはできないだろう」
「ちゃんとした霊媒師とかなら出来たのかもしれないけど」
 夏炉は腰に手を当てた。
「何にせよ、今回は『金』。対策を練って博物館へ特攻よ」
「……博物館内で戦い……?」
「博物館の外に出すことができるかどうかも、問題だろうな」
 とケニーはのんきに煙草をくゆらせながら言った。

 ■□■ ■□■

「見取り図が欲しいです」
 と、アリス・ルシファールが言った。「博物館の、見取り図を」
「まあ、それを把握しておくのがまず第一だろうとは思うが」
 黒冥月[ヘイ・ミンユェ]が腕組みをしたまま肩をすくめた。
「私の影なら、戦い易くする為に戦闘の間だけ太刀周辺を残して建物を移動させて後で元に戻す、なんて事も出来るが――」
 さらっと長い黒髪を後ろへ流し、唇に笑みを乗せる。
「久しぶりの屋内戦だ。それを楽しむとしよう」
「太刀を外に出さないと?」
 空木崎辰一[うつぎざき・しんいち]が尋ねるような口調で言いながらもうなずいた。
「確かに、中で戦えるならそれに越したことはない――とも、言えます」
「アリス、あんたいつものようにサーヴァントを出す気?」
 夏炉がアリスを見た。
 アリスは口元に手をやって考え込みながら、
「狭い所で邪魔にならない程度に……いつもどおり展開させるつもりです」
「ええと……『金』に強いのは、何属性なのかしら?」
 五行には詳しくないエピオテレスが首をかしげて兄を見る。
「火だ」
 ケニーは簡潔に答えた。そしてちらっと夏炉を見る。
 辰一も同時に、少女を見ていた。
「夏炉さん、今回はあなたの力が必要不可欠になるかと思いますので、宜しくお願いしますね」
「分かってるわよ」
 夏炉は唇の端に笑みを浮かべた。「博物館を焼かない程度に、全力で戦ってやるわ」
 彼女の得意技は鬼火である。火、そのままだ。
「とりあえず見取り図はどーすんの?」
 クルールが退屈そうに話を聞いている。
「私が手に入れてやる」
 言うなり、冥月がすっと姿を消した。きゃっと夏炉が声を上げる。
「な、なに!?」
「冥月は影の中を移動できる。見取り図くらい軽く手に入れてくるだろう」
 ケニーが煙草を揺らしながら言った。
「何者よ……!?」
 夏炉はぞっとしたようだった。霊に関係ない仕事では、冥月は無敵に近い力を発揮するということを彼女はまだ知らない。
「結界を崩さない限り、太刀は移動させられないでしょうね」
 辰一が考え込んでいる。「『火』の力で結界を崩す……博物館を破壊するわけにはいきませんから、慎重に行わなければいけないですね」
 そう言った時、冥月がふっと姿を現した。
「ほら」
 彼女は大きな数枚の紙をばさっとカウンターに広げた。
 アリスが熱心に目を通す。
「これ。この太刀」
 と夏炉が指を指す。
 クルールが目を丸くした。
「……博物館のど真ん中……?」
「そ。博物館を増築するにしても、まるでこの太刀を中心に据えるかのように建て増しされていってんの」
「相当結界の<縛>が強いんですね」
 辰一が緊張した声になる。
「――覚えました」
 アリスが見取り図から顔を上げた。「これ、持っていきますか?」
「邪魔になるな。私が一応影にしまっておいてやってもいいが」
 冥月の言葉に、お願いしますと辰一が頭を下げる。
「さて今回は俺は行かないが……」
 博物館内で銃を乱射するわけにもいかないからな、とケニーが煙草の煙を揺らす。
 冥月がふっと笑った。
「お前がいなくてもいいさ。もうひとりを連行する」
 そして彼女は颯爽と店の奥へ向かい、隠れるようにして一番奥の席に座っていた青年に声をかけた。
「おい」
 返事はない。寝たふりをしているようだ。
「おい、フェレ」
 返事はない。屍のふりをしているようだ。
 構わず、冥月は彼――フェレ・アードニアスの襟首をがしっとつかんだ。
 服がのどに引っかかる形になり、うぐっとフェレがうめく。
「私に恩があるよな」
「誰が……って待て、おい、俺は嫌だぞそんな面倒臭い仕事……きーてんのかこのやろ、冥月!」
「いつの間に私を一丁前に呼び捨てに出来るようになった」
 ずりずりずり。冥月は恐ろしい力で大人の青年ひとりを引きずって行く。
 夏炉が、「はあー?」と思い切り顔をしかめていた。
「フェレを連れて行くわけ? ありえないわよ、フェレの符術なんか使ったら間違いなく博物館崩壊よ」
「心配するな、符術では暴れさせん」
 冥月は何事かを企んでいるらしい。
 エピオテレスが心配そうに、
「フェレをあまりいじめないでくださいね……?」
「……1歳しか歳が違わんテレスにこんなこと言われるようになっちゃおしまいだな、お前も」
「うるせえよ!」
 怒鳴るフェレの襟首を、ようやく冥月がぱっと離す。
 フェレはふてくされた顔で腕組みをし、
「どーせ俺は何もできねーんだ。観戦しててやるよ」
 と言い放った。
 隣で冥月が不敵に唇に笑みを浮かべていることに、気づいてはいたが――彼は無視した。
 仕方ないわね、と夏炉がむっつりしながら今回のメンツを見回す。
「いつもより少ないけどそれでちょうどいいんだわ、きっと。急いで行きましょ」
「夏炉さん」
 辰一が、肩に載せている仔茶虎子猫の定吉、足元で大人しく鎮座しているぶち猫の甚五郎をそれぞれ指差して、
「この子たちにも結界破壊をさせようと思いますが……今回は甚五郎は本来のブチ猫姿のまま、定吉はまだ仔猫なので力不足になると思いますので、できればフォローをお願いしたいのですが宜しいでしょうか?」
「フォロー?」
 夏炉は一瞬顔をしかめたが、つぶらな瞳で見つめてくる猫2匹の視線を受けてむうと考え込み、
「……分かったわ、やれるだけやるわよ」
 とそっぽを向きながら言った。
「頬が赤いよー夏炉」
「うるさいわよクルール!」

 ■□■ ■□■

 鈴城亮吾[すずしろ・りょうご]は、最近ネットワーク化している社会をまるで具現化したかのような存在――妖怪精霊なんでもかんでも電波ネットワークで処理しているという類稀な少年だった。
 まだ中学生。それゆえ恐れ知らず。
 好奇心で突っ走り、首を突っ込んでは巻き込まれること幾度……
 それでも懲りないのが亮吾という少年で。
「何かある!」
 彼は今、とある博物館の前で仁王立ちしていた。
「何かある! 何かあるぞ……!」
 ……博物館なのだから『何か』はあるに決まっているのだが。
 亮吾は博物館の中に、何やら自分の属性――『金』に近しい、それも何か霊的なものを感じ取っていた。ネットワークに引っかかったのだ。
 とりあえず博物館の中へ特攻。
 ……入場料を払うのが嫌だったため、セキュリティをいじくって裏から勝手に入った。
 そこからも、ハッキングを駆使して監視カメラを始めとするセキュリティ関係は全部あざむきかいくぐり、やがて『そこ』へ到着した。
「ん?」
 亮吾は大きく首をひねった。
「刀……?」
 ショウケースの中に、飾り太刀が一振り。
「うっわー……綺麗な装飾ー……」
 美術品に疎い亮吾から見ても、その太刀の鞘はとても美しいものだった。金と赤のコントラスト。飾り紐は静かに太刀を抑えるかのようにつけられた白。赤い珠がひとつついている。
「これ……だよな? 何かもう、びりびりくる〜」
 肌がちりちりと何かを訴えている。亮吾は周囲を見渡した。
 問題の太刀の向かって右隣。鎧がある。
 左隣。太刀が三振りある。
 後ろにも鎧がある。ここはそういう品のコーナーなのだろうか。
(でも……なんだろな)
 亮吾は違和感を感じた。
(変だ……この空間。てかこの……展示品の並び方? 何か……なんつーか……)
 腕を組んで、首をひねってみる。首をひねるといえば、自分はこの太刀の前まで来て、さて何をしたものか――
 その時。

 かたん……

「―――!」
 亮吾ははっと振り向いた。
 がたがたと周囲の刀、鎧が動き始めていた。
 手にしていた携帯がピーと鳴った。とっさに開く。画面に突然出る文字列。“霊、力場”――
「げえっ!?」
 近場の刀の一振りが、鞘から抜けた。そのまま――
 バリンッ!
 ショウウインドウを割って、亮吾に突進してくる!
 亮吾は耳から来る信号を頼りに避けた。頭を伏せやりすごし、刀が切っ先をまたこちらに向けてくるのを見て「くそっ!」とレールガンを向け、ぎょっとした。レールガンの弾になる、10円玉がない!
 慌てて電磁波を元に逃げ場を確保しようとした瞬間――
「うがあああっ!?」
 熱が。
 強烈に湧き起こった熱が、亮吾の体を襲った。
「あつ……熱いいいい!」
「あ……っ!」
 転げまわる亮吾の耳に、かわいらしい鈴のような謳が聞こえてきた。
 熱さがおさまって行く。
 しゅうしゅうと、床に転がった亮吾の肌から湯気が立つ。まるで熱で打たれた後の鉄のようだ。
「アリスさん! 火属性をいったん収めてください……! その子は『金』属性です……!」
「はい! 分かっています……!」
 謳い手がまた違う旋律を奏でた。耳に心地よい声は空気ごと変えたようだ。
 代わりに、
 パリンッ パリンッ バリンッ!
 次々と分厚いはずのショウウインドウをぶち破って、刀たちが飛び出してくる。
 カシィンと、誰かがそれを受け止める音がした。
「待ってよ、そいつ敵じゃないでしょうね?」
 気の強そうな少女の声が聞こえた。
「いいえ、敵意を感じません」
 謳い手が訴えている。「ええ、私にも敵意は見えないわ」と少し大人びた声の女性が続く。そして誰かが近づいてきて、
「大丈夫? どこか、痛いところはある?」
 ――視界にふんわりとした、乳白色が見えた。
 遠くに呆れたような声が聞こえた。
「テレス。聞かずとも痛いところだらけだろうよ」
 こちらも女性だ――が、冷めている。以前にも聞いた声だ――
 亮吾は、乳白色の髪の女性に支えられ、上半身を起き上がらせた。
 金属音が聞こえる。暴れている刀たちを、黒尽くめの女性が黒い剣のようなものをもってして弾き返しているのだ。
「ところでこの刀たちはどういう現象だ。霊が操っているのか? 影に沈めてやってもいいが」
「それよりこんなに騒いでたら警備の人くるよー」
 面倒臭そうな少女の声。今日はすいてるみたいで良かったね、と他人事のように。
「じゃあ決まりだな。沈めるぞ」
「お願いします冥月さん」
 こちらは――女性? いや男の人か。亮吾は近寄ってきた、猫を二匹つれた女性的な顔立ちをしている人物を見て、目をぱちぱちさせた。
「大丈夫かい? 立ち上がれる?」
「あ、はい……」
 気がつくと、長い金髪をツインサイドアップにしている少女が、また違う謳を謳っていた。何だか……体に染み渡って、あれほど熱かった熱を消してくれるような。
 癒しの謳。多分そうなんだろう。
 そうぼんやり思った瞬間、
「ほら」
 黒尽くめの女性――そうだ、確か中国人の冥月さんとかいう人――が手を軽く振った。
 瞬間、
 ずぼっ
 辺りを飛びまわっていた太刀がすべて、影に沈んだ。
 残滓が残る。
 黒い影が、空中で渦巻いている。ぱり、ぱり、ちり、と亮吾の耳に響いて痛かった。
「ええと、名前を聞いてもいいかな」
 猫を連れた男性が訊いてくる。
「鈴城……亮吾、です」
「悪いんだけど、これからここはちょっと危険になるんだ。博物館から逃げてもらってもいいかな?」
「待て」
 と冥月が言った。「確かそいつは電子器具が得意なはずだ」
「あら……冥月さん、ご存知なの?」
 乳白色の髪の女性が冥月に顔を向ける。
 冥月は適当に手を振ってその質問を受け流し、
「監視カメラなんかは全部私が壊してもよかったんだが、私はこれからフェレと遊びに行く。そいつに任せればセキュリティなんぞは壊せるだろう」
「ちょっと! 『金』属性がいたら戦いにくいわよ!」
 亮吾を「敵」と言いかけた少女が反論している。「知らん」と冥月は受け付けなかった。
 そして彼女は影から出した本格的な刀を取り出し、空中に渦巻いている影たちに呼びかける。
「太刀に宿るなら腕に覚えのある奴もいるだろう。一番強い奴、サシで勝負しろ」
「冥月さん?」
 辰一が訝しそうな声を出す。実際誰もが、彼女のやろうとしていることが分からなかった。
 フェレだけが怒りで顔を真っ赤にし、わらわらと指をうごめかしている。
「出てこないのか? 私たちに恐れをなしたか?」
 冥月は腰に手を当てて挑発的に言った。
 ゴガン! と重い音がした。
 全員の視線が一斉に散らばる。
 ――周囲から集まってくる気配。
 その正体は、ショウウインドウの中にあったはずの鎧が、同じく飾られていたはずの刀や槍を持って、動き出す姿――。

 ■□■ ■□■

 破壊音は大きすぎて却って聞こえなかったらしい。
 鎧たちは動き出していた。刀を振りかざし、その場にいる者たちに斬りかかる。
「式が――乗り移っています!」
 辰一が声を上げる。サーヴァント! とアリスに呼ばれて6体の天使型駆動体がそれぞれに展開する。
 さらにアリスは唯一の堕天使型サーヴァント『アンジェラ』を呼び出し、自分の護りにつけた。
 全員はそれぞれに避けた。鎧は重い。動きがのろい。
 冥月にちらっと見つめられて、亮吾は慌てて、
「えーと俺、この刀に何か感じるんだけどさ」
 未だうんともすんとも言わない例の太刀を指差す。
「へえ」
 夏炉が片眉をあげた。「子供のくせに、結構やるわね」
 途端に亮吾は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「子供じゃねえ! あんただって大して歳変わらねえだろ!」
 夏炉はふんと鼻を鳴らして、
「何でもいいわよ。あんた出来ることあんの? ここにいるならそれなりに働いてよね」
「知らねーけど、一応この刀の入れ物ロック解除しちまうぞ」
 辰一とアリスが目を丸くした。
 亮吾がショウケースにぎりぎり手が触れるか触れないかのところまで腕を伸ばすと、
 ぱりっ
 一瞬、電気が散って、次に「ピー」と機械音が鳴った。
 亮吾の手がケースに触れる。……何も起こらない。
 亮吾はケースを持ち上げた。
「うわ、重っ」
 重すぎてバランスを崩した。慌てて辰一がケースを受け止める。
 太刀が、裸になった。
 ――場の空気が、一気に重くなった。
 クルールが、亜空間から取り出した二振りの剣をくるんと回す。
「出てきたね」
 何気なく言う言葉。
 冥月が息を吐く。そして、
「もう一度言う。太刀に宿るなら腕に覚えのある奴もいるだろう? 一番強い奴、サシで勝負しろ」
 語気を強めた。今度は問答無用と言いたげに。
 太刀の上に、黒いもやが浮かびあがる。そこから、醜い顔が次々と発生する。
 片目がつぶれているものが多いのは……
「たたらですか。稲荷神社のようなものですね」
 辰一がつぶやいた。
 たたら製鉄。熱い熱の中、片目をつぶって仕事をすることが多い鍛冶屋は片目を失いやすいという。
 辰一はケースを音を立てないよう静かに床に置いてから、
「鈴城くん、ありがとうございました! おかげで直接結界に攻撃しやすい……!」
「け、結界?」
「さあ甚五郎、定吉、行くんだよ」
 辰一は朱雀の符を二匹の猫に貼り付けて、けしかけた。
 朱雀――火。
 甚五郎が遠慮なく、何もないように見える空間に体当たりをしかける。
 火花が散った。まるで、火で鉄を打つかのように。
 それに反応して、太刀の上に浮かんでいた醜い顔たちが一斉にがあっと全身を現した。皆右手に、製鉄用のハンマーを手にしている。
 ハンマーを振り下ろして攻撃してくるのを、辰一は御神剣『泰山』で、クルールが『浄』で、そしてアリスのアンジェラが跳ね返す。
 冥月が眉をしかめた。
「……太刀を扱う者はいないのか?」
 言ってから、ふん、と鼻を鳴らす。
「そんなはずはないな。鍛冶屋は刀の斬れ味を試す意味を含めて罪人の首落としを任せられていたという。いるはずだ、出て来い」
 冥月の鋭い眼光ににらまれて、ようやく――
 1人の術者が、前に進み出た。
 一振りの刀を手にしていた。斬れ味鋭そうな、きらりと光る銀色――
『しつこい娘じゃ……ではわしが相手をいたそう』
 冥月は満足そうに口元に軽く笑みを浮かべた。
「来い」
 冥月はフェレの襟首をつかんで引きずりながら、霊を違う展示室へと連れ込んだ。

 ■□■ ■□■

「何考えているのかしら……」
 夏炉が、フェレを引きずって霊と共に行く冥月の後姿を呆れて見送った。
「でも、おかげで一番強いらしき術者がいなくなりました」
 アリスがほっとした声で言う。
 式神が乗り移った鎧たちが、そして太刀の術者たちが襲ってくる。
 夏炉は振り向きざま、鎧に鬼火を放った。
 鎧。金属。――火に溶ける。
 がらがらっと、鎧は呆気なく崩れ落ちて行く。
「セキュリティ、全解除終了ー」
 亮吾がそう宣言して、疲れたようにその場に座り込む。
 アリスは彼を気にした。
「ええと、『金』気というのは本来金属のことで……鈴城さんは、『金』とは言え電波方面ですから……火の影響もあまり……受けなくて済むかと」
「さっきものすごい受けてなかった?」
 クルールがひゅるひゅると剣を踊らせながら口を挟んだ。
 アリスはつまった。少し視線を泳がせてから、亮吾がしっかり腰に専用ケース付きで持っている携帯を見て、
「……携帯電話なども、金属で出来ていることには、違いありませんから……」
「まったく、邪魔ねえ!」
 夏炉が腰に手を当てる。
 亮吾は甚だ不満だった。自分は巻き込まれただけだというのに。
「うるせーなあ。俺が自分で自分の身を護りゃいいんだろ」
 亮吾は背負っていた鞄から注連縄を取り出した。
 注連縄結界。とある神様からもらったものだ。それをもってして一部の空間内を封印結界状態にし、中に入る。
「……頼りない結界だわね」
 夏炉が呆れたように言った。
 その言葉通り、注連縄結界はまだまだ不安定だった。
「うるせ! まだちょっと――慣れてないだけだ!」
「しかし、火属性を防ぐには充分そうです」
 辰一が言った。「アリスさん、もう一度ブーストをお願いします」
「はい!」
 アリスは6体のサーヴァントを操る。
 サーヴァントたちは、その場にいる亮吾以外の味方全員を火属性増幅ステイタスにした。
 夏炉の指先で、ぼっと勢いの増した鬼火が発生する。辰一の泰山が、クルールの二振りの剣が、炎の属性をまとって赤く輝いた。
 亮吾は注連縄が炎で焼かれないよう、慌てて離れる。
 がしゃこん!――鎧が動く。
 ばりんとさらに近くのショウウインドウが割れて、手裏剣が飛んできた。
「はー! もう、とことん太刀を護るよーな配慮されてるし!」
 幸い手裏剣も金属だ。アリスが火属性を増幅する謳を謳っていたため、動きが鈍い。
 クルールは軽やかな剣さばきで手裏剣を見事にすべて叩き落とす。それを再び動き出さないよう、夏炉の鬼火がひとつひとつ焼いた。
「……博物館への損害賠償、どうすんの?」
「逃げるだけよ!」
 エピオテレスがようやく火の気を集め終わった。凝縮された炎の塊が2つ、彼女の手から放たれて、今まさに剣を振り下ろそうとしていた鎧それぞれの胴体を貫く。
 鎧は胴体に開いた空洞からどろどろと溶けていった。
『おのれ』
『おのれ』
 ようやく、太刀から噴き出していた醜い顔の集団が押し殺した声を出す。
 まるで呪うかのような声。
 そして醜い顔の塊は、おおおおおと啼くような声を上げた。
 瞬間、頭上から水が――
「冷たいしっ! 何だこれ!」
 亮吾の結界を突き破ったのは、水は金と相性がいいからだろう。
 逆に、根っから火属性の夏炉が、きゃあああと悲鳴を上げた。
 辰一とアリス、クルール、エピオテレスもひりひりと肌に痛みを感じた。さっきからずっと見えない結界に体当たりしていた甚五郎と定吉が、逃げるように水のない場所を求めて走る。
 だがそんな場所はなかなかなかった。
「く……スプリンクラー……っ」
 等間隔で設置された天井の消火器。五行にのっとって言えば金生水。
 こうやって水を生むのは本来の意味とは異なっているが、スプリンクラーも金属の塊だ。そこから水が生まれていると解釈すればそれはそれで通る。
 亮吾がくそっと奥歯を噛んだ。
「スプリンクラーまで壊さなきゃなんねーなんて思わなかったぜ……!」
「壊せますか? 亮吾君」
「あたぼーよ」
 亮吾は携帯電話を取り出す。ただそれだけで、機械を壊すのには充分だ。
 ぴぴぴぴぴぴ
 ものすごい速さで亮吾の指先が動く。ネットワークに接続。回線に侵入。裏から、スプリンクラー操作スイッチを発見。
 まず水を止める。それからさらに深く侵入して、スプリンクラー自体を破壊した。
 ぽろぽろと、金属片が落ちてきた。
 完全に水が止まって、床にたまっていた水がどこかへ流れて行く。
 と同時に、
「あっつ!」
 亮吾を恐ろしいまでの熱さが襲って、彼は転げまわった。
 慌てて辰一が落ちていた注連縄を少年に渡す。今は場は完全に火属性なのだ。亮吾にとっては命取りだ。
 亮吾は注連縄を受け取って、
「あー! もう神経集中できねー!」
 わめきながらも必死で注連縄結界を再築しようとした。
 アリスが謳を切り替える。癒しの謳。
 それに励まされ、ようやく結界の構築に成功した亮吾は、はあはあと肩で息をしていた。下手をすると、もう少しで大火傷だった。
 その間にも――
 太刀の上の顔たちは、おおおと不気味に啼いている。
「次に……何が来るかしら?」
 服もブーストであっという間に乾き、エピオテレスが慎重に周囲を見渡した。
「そうですね、何が――」
 辰一が泰山を構え直す。甚五郎と定吉が戻ってきて、結界に体当たりを始める。
 猫たちに体当たりされるたび、揺れる場。太刀の上の顔たちは怒ったように大きくなる。
 クルールがひゅんっと剣を回して構え直し、そして右手の『浄』を一閃。
 閃光は、太刀の上に浮かぶ顔に当たった。
 しゅわっとその部分が溶けた。だが――すぐに他の部分がとろりと溶けて融合、復活する。
「一撃であの大きいの始末しないとダメっぽいよ」
 アリスがアンジェラに何かを用意させている。
 夏炉が、じっと醜い顔たちとにらみ合っていた。

 ■□■ ■□■

「おい冥月」
 霊とともに別室へやってきたフェレは、不機嫌に腰に手を当てた。
「お前、剣の腕は?」
「ん?」
 冥月は取り出した抜き身の剣の状態を確かめながら、適当な返事をする。
「多少……昔友人に教えて貰った」
「へえ、お前でも友人に殊勝に教わることなんかあんのか」
 がつんと肘でフェレのあごをぶっ飛ばしながら、
「まぁ、飛んでくる銃弾を真二つにする程度だよ」
「あがあ!?」
 フェレがあごを押さえながら変な声を上げた。
『面白い娘御じゃな』
 かっかっかと連れてきた霊は余裕の声を上げる。
 大本の宿主である太刀と引き離されても平気なのは――ここも金属類の多い部屋だからだろうか。
 フェレは周囲を見渡す。ずらっと並ぶあらゆる種類の槍。矛。斧……
 思わず目を細めた。――この中に……俺の使える武器はあるのだろうか……
「フェレ、見ていろ」
「………?」
 フェレが面倒くさく思いながらも視線を冥月たちに戻した、その瞬間だった。
 火花が散った。
 霊が一度刀を引く、その瞬間に冥月の鋭い刀先が突き出される。霊は背をねじって避けると、次にはそのねじりを戻すと同時に刀を振るった。
 重い音がして、冥月の刀がそれを受け止める。
 力押し。がたいのいい霊の力に、冥月は負けていない。
 やがて冥月の足蹴りが霊の膝頭に飛んだ。
 霊は体勢を崩した――が、倒れなかった。冥月の続けてのハイキック、首に入る。首が曲がったところで刀が反対方向から襲う。
 霊は――
 すぽっと、首を引っ込めた。亀のように。
 ――そうだ、敵は霊なのだ。
 冥月の刀は、首の手前で止まった。そこから器用に袈裟懸けに斬り下ろす。
 霊は首を引っ込めたまま、大きく後退する。そして刀を薙ぎ、すかさず冥月が前進しようとするのを避けた。
 冥月は刀を突き出し霊の剣を止める。からんとからめとって弾き返すと、そのまま突き出す。霊は体を低くして避け、と同時に前蹴りを放った。
 冥月はすっと横に移動する。霊の突き出された足を脇に抱える。
 しかしやはりそこは幽霊で、足は瞬時に消滅し、また霊の足元に戻る。
 ふむ、と余裕のままで冥月がつぶやいたのが聞こえた。
 一気に踏み込む。刀を思い切り振り下ろせないほど深く懐に。
 霊が一瞬ひるんだ。そこを狙って、ローキックを放つ。同時に足を足でからめとって、そこに刀を突き立てた。
 しゅるん
 足がぎりぎりで消えた。霧散したその場で、虚空を突いた刀は、しかしすぐさま斬り上げられた。
 がきん
 上から、霊の刀が冥月の刀を押さえつける。
 すぐに冥月は力を抜いて、剣を抜いた。
 勢いに乗ったまま、霊の体が前かがみになる。そこへすかさず冥月が刀を持つ手に力をこめて、霊の左腕に向かって刀を振り下ろした。
 かわすのが間に合わなかった。剣は霊の左腕を捉えた。消滅する左腕。片腕になった霊。
『やるのう……娘御』
 嘆息する霊を見ながら、フェレは引きつっていた。――冥月はまだ本気じゃない。
(この女……ほんとに何モンだ?)
 かろうじて、冥月が本気ではないと判断できる程度には、フェレも上級者ではあるのだが。
 しかし冥月のこの態度……本気でやれば胴体を一刀両断できるだろうに、どこか遊んでいる気配がする。
 フェレは冥月を見た。
 視線を感じたのか、冥月はフェレを見て――にやりと笑った。
(まさか、本気で「遊び」か!)
 おおお、と雄たけびを上げながら霊が冥月に突進する。冥月は振り下ろされた刀ごと、するりと避けた。そして霊の背後に回ると、足で背中を蹴飛ばした。
『ぐっ……』
 かろうじて倒れずに、霊は足を止める。
 ――本気ならここで一気に背中を攻め――
 しかしそれを冥月はしなかった。霊の右肩をつかみ、ぐりんと前向きにさせてから剣の柄を腹に叩き込む。
 おお、と再び霊が咆哮した。顔が醜く歪んだ。効き目はないのだろうが、明らかに無防備なことを知らされてプライドが傷ついたのかもしれない。
 冥月はさらに膝蹴りを放つ。霊はそれを手で受け止めた。そして冥月の膝をつかんだまま、刀を突き下ろした。先ほどの冥月のように――
 冥月は強い力をかけられているにも関わらず軽く足を伸ばした。掴まれていた膝が逃れる。そのまま、伸ばした足をすっと戻す。
 刀は手首で翻って、冥月の足を追いかける。
 冥月は思い切り足を上へ振り上げ、振り下ろした――かかと落とし。がん、と霊の刀を持つ手に当たり、衝撃で刀の先が床について、霊の顔が憤怒に染まる。
 ああああああ! と霊は刀を振り回し始めた。
 ああああああああ!
 あああああああああああ!
 どんどん大きくなっていく奇声に、怒声に、雄たけびに、フェレは耳をふさぐ。
 ひゅんひゅんひゅんと刀が意味もなく空を斬っている。衝撃波で冥月やフェレの服にぴしっぴしっと細かく破れ目がついた。
「やけになってきたな」
 冥月が素っ気なく言った。「まったく、不甲斐ないやつだ」
「お前が挑発的な行動ばかりするからだろうが……」
 どうしてさっさと倒さないんだとフェレが文句を言うと。
 急に、
 冥月は、自分が手にしていた刀をフェレの目の前に突き出した。
 間近で見ると、柄に質素ながらも風情ある装飾の施された刀だった。黒と苔色の細い糸を細かく複雑に編んである。
「……お前が苦労した刀よりは弱いが退魔力はある」
 冥月は静かに言った。
「お前、力が欲しいんだろう? だが相性の悪い武器で強い力を手に入れても無駄だ」
 ああああああああ!
 咆哮は続いている。波動が2人の服をまだまだ傷つける。
 ふいに冥月の頬が切れた。
 だが、彼女はまったく意に介さなかった。
「剣に適正があるか見てやるから戦ってみろ。場合によってはそれをやってもいい」
「………」
 フェレは刀を受け取った。
 柄が熱い。これは、冥月が握っていたせいだけではなさそうだ。
 ぴしっ――フェレの頬に傷が走った。奇遇にも冥月の場所と対となるように。
「……分かった」
 フェレは刀を振り下ろした。感触を確かめる。柄が手に吸い付くような感覚――
 いまだ刀を振り回している霊を見すえ、
「――行くぜ!」
 フェレは足を踏み込んだ。

 ■□■ ■□■

 ばりっ! ばりっ!
 甚五郎と定吉による結界への体当たりで、ぱちぱちと火花が弾け飛ぶ。
 夏炉ははっと猫たちを見た。
 ――フォローをお願いします――
「く……っ」
 夏炉は猫たちが攻撃していることで、ある程度場所が分かった結界に向かって複数の鬼火を放つ。
 こおうこおうこおうと鬼火は結界に吸い込まれ――消えた。
「ダメだね、やっぱり宿主を倒さなきゃ」
「15体、いえ1体抜けていますので14体の霊が――合体しているのですね」
 溶けた金属のように。
 エピオテレスはアリスのサーヴァントがくれる火気と自分の精霊の能力を合わせて、再び大きな火炎球を作り出していた。
 辰一が泰山で、醜い顔を横一線に薙いだ。
 一瞬上下に分かれた顔は、しかしどろりと溶けて、再びくっついてしまう。
「融合……さすが金属」
 辰一は熱気でじっとりと額に浮かんできた汗を手の甲で拭いながら、
「ですが、どうやら――金属らしく、動きがのろいようです。さっきから避ける気配がない――」
「自分たちは斬られても平気だと思ってるせいもあるだろ」
 クルールは二刀流で連撃を繰り出した。ここぞとばかりに身の軽さを活かし、前から後ろから横から、次々と剣で斬り裂いていく。溶けてくっつく間を与えないほどに――
 クルールがいったん間を空けてしまった時は、辰一の泰山がすかさず飛ぶ。
 そしてクルールと辰一の連携攻撃が顔をひたすら襲った。
 はっと夏炉が目を見開く。
「2人共、離れなさい!」
 声に反応して、クルールと辰一は飛びのいた。
 顔の一部が――
 物凄い勢いで何かを噴き出した。
「く……っ」
「あっち、あっち、あっちぃ!」
 辰一と亮吾が苦悶の声を上げる。
 顔が吐き出したのは何本もの、鋭く尖った金属だった。
 刺さったわけでもないのに辰一たちに痛みが走ったのは――
「……ああ、あなた神主だったかしら?」
「おまけにそっちの子注連縄だしサ」
 神社。木気の強い場所。
 金気は木気に強いのである。
 植物から出来ている注連縄なんか論外だ。
 顔は次々と金属の針を突き出した。辰一は咄嗟に目を閉じ、メディテーションの世界に入って精神集中する。
 しかし亮吾にはそんな器用なことはできない。
「畜生、俺には防御するすべが本気でないのかよっ!」
 少年は悲鳴を上げた。
「ごめんなさい、巻き込んでしまって」
 アリスが慌てて亮吾に駆け寄った。亮吾の顔をのぞきこんで、
「でも亮吾さんのおかげですごく助かってます。私が癒しの謳を謳い続けますから、どうかご辛抱を……」
「………」
 間近で見るときらきらと光が散るような美少女のアリスと顔を突き合わせて、亮吾は柄にもなく顔を赤くした。
 アリスは高らかに謳う。癒しの謳を。
 辰一はそれだけで再び動けるようになり、亮吾もかろうじて熱さと痛みが激減した。
 アリスはその間にもちらっと自分の護衛駆動体アンジェラを見る。
 アンジェラはその視線を受けて――
 突然、太刀の上の顔の塊に体当たりを仕掛けた。
「………!」
 辰一が目を見張る。アンジェラは元々アリスの手で、ひときわ強い火の気を与えられていたのだ。
 じゅうううううと金属が炉に放り込まれたような音がした。
「ア――ンジェラさん! 無理なさらないで……!」
 アンジェラはアンジェラで機械に近い。それはつまり金属に近い。無理をしていることは明らかだった。
 けれどアンジェラはひたすらアリスの命令を守るだけ。
 アンジェラの体当たりにより、顔の塊がひんまがる。
「―――っ」
 クルールが飛びかかって、二振りの剣をかざす。連撃の再開。くっと奥歯を噛みしめた辰一も、それに加わった。
 顔が徐々に小さくなっていく。どうやら溶かされた部分は目に見えない分量でも確実に減っているらしい。加えてアンジェラの体当たりは、顔の反撃を完全に制していた。
 夏炉はさっと顔悪霊から目をそらし、
「鬼火よ!」
 再び猫2匹が体当たりをしている結界に鬼火を飛び散らかせた。
 今度は吸い込まれない。鬼火は結界に張り付き、確かに存在をあらわにする。
 クルールと辰一とアンジェラの攻撃はやまない。
 そして、
「皆さん、どいて……!」
 ずっと火気を集めていたエピオテレスが、巨大な火炎球を頭上に掲げた。
 辰一たちはぱっと退いた。
 エピオテレスは渾身の力で、体も小さくなり、歪んだ顔悪霊に火炎球を投げつけた。
 悪霊の塊は炎に包まれた。
 金属たちは炎に包まれた。
 溶けていく、溶けていく、溶けていく……
「今です!」
 辰一が結界の方を振り返る。
「言われなくても……!」
 夏炉は大量の鬼火を発生させた。そして、一直線に甚五郎と定吉が体当たりをしている「壁」に飛ばした。
 結界が燃え上がる。
「甚五郎、定吉、こっちへおいで!」
 主の呼び声に、2匹の猫は辰一の元へと飛ぶように駆ける。
 熱い熱い熱いと騒ぐのは亮吾。アリスはひたすら癒しの謳を謳う。
 エピオテレスは、さらに熱気の増したその場からさらに火気を広い、火炎球に包まれじゅうじゅうと小さくなっていく悪霊にさらに叩きつける。
 最後の一撃に――と。
 火気をまとったままのクルールの剣が、結界に閃いた。

 ■□■ ■□■

 一閃。
 フェレの振るう刀が霊の前を思い切り通り過ぎる。
 衝撃は霊の体をすりぬけた。霊はそのまま上段構えで刀を構える。
 その懐に――
 フェレは潜り込んだ。
(冥月と違って、俺は遠慮する必要がない)
 大振りだ、と冥月は背後で嘆息している。だが、フェレは気にしなかった。
 久々に刃が、自分の手の中にある。符ではなく刃が。自分の力で敵にダメージを与えられるものが。
 フェレの手首の返しは、驚くほどに軽やかだった。それこそ、常に剣を扱っているクルールにさえ負けていない。
 左手でがっと霊の手首をつかみ、大振りだったはずの刀はくるっと返ってざん! と霊の左足の付け根を狙う。
 物凄い刃の勢いだった。振り上げてもいないのに。
『があっ!?』
 霊がおののいた。その目の前で、彼の左足が付け根から斬り落とされる。そこからくるんと再び手首が返った。
 霊の手を放す。と同時に両手で柄をつかんで。
「おらよっ!」
 刀を真正面から振り下ろした。
 霊の首から胴体、股間まで――
 真っ二つに。
 ああああああ。真っ二つになった霊は雄たけびと、ぶしゅうううという空気が抜けるような音とともに消え去った。
 おやおや、と冥月が肩をすくめるのが分かる。
 フェレは刀を持ち直し、ぶんと下へ振り下ろした。――本来なら、刃についた血肉を払い落とす作業。
 けれど相手は霊だった。刃にからみついているものなど、ない。
 簡単に霊を消し去ったフェレは、しかし不機嫌だった。
「……明らかにお前と戦ってた時より弱かった。本体の方が、もう……」
「だろうな」
 冥月が横までやってくる。そしてフェレの肩に腕を乗せると、
「――適正は見てやった。大分、剣の類には慣れているな」
「直刀は慣れてねえ。俺は昔、シャムシールを使っていた」
「……ふうん? ということは両刃の剣の方が好みか」
「そういうことになるな」
 だが、まあ――
 フェレは握った刀の柄を見下ろして、わずかに唇の端を上げた。
「いい刀だな」
 それを聞いて、ふんと冥月が微笑する。
「欲しければやろう。次にお前に合うものが出てくるまで」
「………」
 冥月はそれだけ言って、結界太刀のある部屋へと歩き出す。
 フェレはしばらく黙っていた。しかし、冥月が部屋を出る瞬間に、
「――さんきゅ」
 ぴた、と冥月の動きが止まる。が、
 そのまま彼女は部屋を出ていった。
 必要ない。言葉など――必要ないのだ。
 フェレは抜き身の刀を持ち上げて、鞘を作ってもらわなきゃいけないな――と考えていた。

 ■□■ ■□■

 結界が崩れ落ちると、アンジェラが力を使い果たしたかのように倒れ伏した。
「アンジェラ!」
 6騎のサーヴァントに火属性ブーストを解かせ、アリスは癒しの謳をさらに謳う。もう今日は癒しの謳で声が枯れそうだ。
 同じくぜいぜい言っているのは亮吾。
「し、注連縄、危うくなくなっちまうところだったぜ……」
 神様の加護受けてんのによ、と文句を言いながら、亮吾は注連縄をしまう。
「――結界は崩れたんだな?」
 冥月の声がした。
「ちょっと気になる。行ってくる――」
 しゅん、と彼女は姿を消す。
 辰一は、しんとなった太刀に手を触れた。
「夏炉さん。これはいわくつきの太刀ですか?」
 太刀の奥底に怨念を感じる。結界とは関係ないようだが、まだ終わっていない。
 夏炉は疲れた様子で答えた。
「そうね。その太刀で一家が殺されたって言われているわ。もっともこの当時は一家惨殺なんて当たり前だったし――」
「盗賊か何かの太刀ですか」
「……盗賊が貴族の家から盗んだのよ」
 なるほど、と辰一はうなずいた。
 そして、
「僕がお祓いします」
 いつも持っている聖水と、御札。印を組んで、彼はお祓いを始める――


 影と結界の気配をたどっての瞬間移動。
 それによってたどりついたのは、以前来た時と同じ――透明なガラス張りの世界だった。
 十二単を着ている少女が振り向いた。あどけない顔。どこか夏炉に似た顔。
『ここに何度も出入りすると、危ない――』
「構わん。結界はもう3つも壊れてる」
『……ありがとう、ございまする』
 少女はずりずりと十二単を引きずりこちらを向いて、そっと手をつき2、深々と頭を下げた。
 冥月は前髪をかきあげた。
「……あのな、以前……ここの結界を崩す手伝いをしてたやつが言ってたんだよ。娘一人閉じ込めるにしちゃ手が込みすぎるってな」
『………』
「怪しんでる。この裏に何かあるんじゃないか」
『………』
 少女は顔を上げない。言葉を発することもない。
 しばらくそれを見下ろしていた冥月は――しかし、優しく微笑んだ。
「まあ、裏に何があろうとも私はただ目の前の邪魔を、結界を崩していくだけだ」
 ぱっと少女が顔を上げた。蒼白だった顔に、ほのかに赤みがさしていた。
 少女は出会った優しい笑みに、堰を切ったように話し出した。
『裏など、ございません! ただ……ただおねえさまはわたくしが憎かった、同じ帝の女御として入内したわたくしが憎かったのでしょう』
 ああ、と冥月は静かにうなずいた。
 帝の下に入内したからには、何が何でも帝の寵愛を受けたい。女御ではなく選ばれた中宮になりたい。
 再びこうべをたれた少女は、囁くような小さな声で、言った。
『わたくしは、帝の寵愛を受けました』
「分かっている」
 冥月は片膝をつく。そして少女の上半身を起き上がらせ、そっとお腹をさすってやった。
 少女が言いようもなく泣きそうな顔をした。
『ややは、ややは……!』
「言わなくていい」
 冥月の手はやがて少女の髪に移った。優しく、優しく、まだ若すぎる女御を母のように慰め。
「今は泣くな」
 彼女はそっと言った。「結界が解けたら、お前がどうなってしまうのかは知らんがとにかく私が影に沈めてしまえば少しは時間稼ぎができるだろう。そこで……」
 泣かせてやるから――
 少女は袂の陰ですんと鼻をすすりながら、こくりとうなずいた。
 そして再び手をついた。
『どうか……』
「お前を、助けてやる」
 閉じ込められた姫。
 冥月は脳裏に浮かんだ少女を思って苦笑した。“閉じ込められ”、今もまだ外に出る解決方法を知らぬあの少女は、しかし明るい。
 できればこの姫を、あの“姫”に会わせてやりたいものだ……
「それじゃあ、また」
『どうか、皆様に無理せずお気をつけてと……!』
「よく言っておくさ。……お前も無理はするな」
 そして冥月は、その静かすぎる空間から姿を消した。

 ■□■ ■□■

「どうでしたか?」
 と辰一が問う。「結界内の姫君にお会いになってきたのでしょう?」
 冥月は軽く手を振った。
「早くした方がいいな。元々精神的に弱ってる」
「そんな……かわいそうに」
 アリスがアンジェラの治療を終え、姿を消させてから祈るようにつぶやく。
「何だよ姫様って何のことだ?」
 亮吾は意味が分からずメンツをきょろきょろ見渡していた。
 そんな亮吾を見たアリス――
 くすっと笑って、エピオテレスに視線を移した。
「彼に説明がてら……お店で少々コーヒーと美味しいケーキを食べるのはいかがでしょう?」
 エピオテレスが当惑したように、
「それはお安い御用だけど……」
「急いで助けるんじゃないっけ、アリス」
 クルールが呆れたようにケーキ好きの友人を見る。
 冥月が苦笑した。
「姫からの伝言だ。『無理せずお気をつけて』だと」
「……まあ、少しは休息も必要でしょうか」
 その時ようやく隣室からフェレがやってきて、
「あん? まだいたのか。早くずらからねえといい加減誰かに見つかるぜ」
 全員は顔を見合わせ――
 慌てて逃げ出した。
「鈴城くん、先導はお任せします!」
「あわわ、突然んなこと言われても!」
「少しは役に立て、今日は転がってるだけだったんだから」
「いいえ亮吾さんは一番役に立ってくださいました!」
 言い合いをしながら、警備員の目をかいくぐる裏道を走っていく。
「急げーみんなー」
 クルールが緊張感のない声で、煽り立てた。
「店に帰ればテレスの美味しいケーキが待ってるってサ」
 ――さあひとまずは帰ろう。
 エピオテレスの兄が一人で、退屈そうに留守番をしているだろう店へ――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2029/空木崎・辰一/男/28歳/溜息坂神社宮司】
【2778/黒・冥月/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【6047/アリス・ルシファール/女/13歳/時空管理維持局特殊執務官/魔操の奏者】
【7266/鈴城・亮吾/男/14歳/半分人間半分精霊の中学生】

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■         ライター通信          ■
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空木崎辰一様
こんにちは、笠城夢斗です。
今回も結界崩しにご参加くださり、本当にありがとうございました。
前回に引き続き大変納品が遅れまして、申し訳ございません。
初の屋内戦、楽しんで頂けたら幸いです。
よろしければ次の結界崩しでお会いできますよう……