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一陽来復
十二月二十八日、大安吉日。
「クリスマスが終わると、どこも年末って感じよね、武彦さん」
「だな……うちの事務所にも、お飾りぐらいしといた方がいいのかな」
シュライン・エマは、草間 武彦(くさま・たけひこ)と一緒に、ある場所を目指して歩いていた。
大きな蜜柑の木が目印の日本家屋。今年は刀剣鍛冶師である太蘭(たいらん)に、シュラインは何かと世話になったので、お世話になったお礼と年末の挨拶にと、前もって連絡して武彦と出かけることにしたのだ。
「にゃんこ達は元気にしてるかしら……あら、太蘭さんだわ」
クリスマスが終わると、街は突然年末の慌ただしさに包まれる。太蘭の家に行くのは久しぶりなので、ゆっくり話もしたいし猫とも遊びたい。そんな事を思いながら家の前まで行くと、玄関先で松が植わった鉢を飾っている太蘭がいた。足下にいる猫たちは、それを好奇心一杯で見つめている。
「こんにちは。お忙しいところごめんなさい」
シュラインが声を掛けると、太蘭が嬉しそうに目を細めた。
「いらっしゃい。二人が来る前に松を飾っておくつもりだったんだが、猫たちと遊んでいて遅くなった。上がってくれ」
玄関の上にはしめ縄が飾ってあった。武彦はそれを見上げ、今度は松を見る。
「この松は正月飾りなのか?」
「ああ。門松に見立てた室礼(しつらい)だ。神の依代と言われているから、きちんと飾っておかねばと思ってな」
「売っている門松じゃなくてもいいのね。こっちの方が、普段も見ることが出来るぶんいいかも」
「元々松だけを飾っていたのが、真っ直ぐ伸びるということで竹を足したのが今の門松だな。竹が主役になっているような気がしなくもないが」
竹が主役、と言って太蘭は笑った。松の鉢の下には後で鏡餅を飾るという。売っている物ではなく、鉢を飾るいうのが何だか太蘭らしい。
「正月の支度で慌ただしいが、くつろいでいってくれ。今お茶を出そう」
太蘭の後に続いて家に入ると、猫たちも後を着いてきた。炬燵に座るシュラインの膝の側には、白猫の一文字(いちもんじ)が乗りたそうに見上げている。
「ちょっと待っててね。これ、お土産に……珈琲餡の大福と葡萄酒なんだけど、皆さんで楽しんでくれたらって」
大福はシュラインの手作りで、葡萄酒は不思議な葡萄柄の布から収穫した、ある意味今年の自家製果実酒の集大成とも言えるものだ。それを太蘭は丁重に受け取った。
「いつも良い物を。シュライン殿が作った物はどれも美味しいから、もらったこっちも嬉しくなるな」
「ふふっ。一文字は膝に乗る?」
「ニャー」
お茶と一緒に出されたのは頂き物だという「行く年来る年饅頭」で、黒い皿の上に今年の干支の猪と来年の干支のネズミがちょこんと乗っていた。武彦は煙草に火を付けつつ、その饅頭をじっと見る。
「何だか食うのを躊躇うような可愛さだな、この饅頭」
うり坊の模様や、ネズミの耳がちゃんとついた可愛らしい和菓子に、シュラインも思わず顔がほころんだ。そして一文字の頭を撫でながら、太蘭の方を見る。
「何か人手のいる事とかあるかしら。太蘭さんはお餅とかつくわよね、きっと」
ここの庭で餅つきをしたら、さぞかし年末っぽい雰囲気になるだろう。そう思って聞くと、太蘭もお茶を飲みながら膝にロシアンブルーの紫苑(しおん)を乗せる。
「ああ、餅はあまり早くにつくと鏡開きまで持たないから、三十日に手伝いを呼んでしようと思っている。縁側に臼と杵も用意しているしな。あとは黒豆を水に浸けていたり、なますを酢になじませていたりか」
縁側を見ると、しっかりとした臼と杵が置いてある。結構大きいのは、おそらく近所に配ったりするからなのだろう。それにシュラインが感心していると、武彦は灰皿を手元に引き寄せてこんな事を聞いた。
「鏡開きって、刃物使っちゃダメなんだよな」
「ああ。店で買う餅は無理かも知れないが、自分でついた餅ならつきたてならともかくも、鏡割りまで置いておけば手で割ったりも出来るしな」
「そうよね。元々どこのお家でも、自分でお餅ついてたときの風習だからなのね。そう思うと、年末の準備を家でちゃんとするってのは良いなって思うわ」
忙しい時期だと、つい季節ごとの行事をうっかり忘れていたり、分かっていても省略したりしてしまう。餅つきなどもその一つだろう。そのぶん、太蘭のところで満喫させてもらっているなと、シュラインは少し反省したりする。
「なかなかちゃんとした正月準備って、今は難しいよな。俺もやっぱり事務所にしめ縄ぐらいは飾ろう」
シュラインの気持ちを代弁したように武彦がぼやくと、太蘭は紫苑を撫でながら視線を落とした。
「俺にとっては、もうすっかり習慣だからな。かえって最近の行事のクリスマスとかのほうが、なじみがなくて戸惑う。それが終わると、何だか急にほっとしてな」
「ふふ、最近はクリスマスも大規模だものね。じゃあ正月準備の方が、太蘭さんはワクワクするのね」
「そうだな。正月飾りを作ったり、おせちを準備したりする方に力が入る」
しめ縄を作ったり、おせち用に材料を準備したりする方が楽しいというのが太蘭らしい。そんな話を聞きながら、シュラインはついメモを取ったりしてしまう。
「そうそう。太蘭さんは年末年始に、特別何かする事とかあるのかしら。おせちを作ったりするだけじゃなくて、何かありそうよね」
「そうだな……タタラに火を入れたりとかもあるが、特別と言えば元旦の早朝に神社に若水を汲みに行くか」
それは平安時代の宮中で始まった行事で、元々は立春の日の重要な行事だったのが、元旦の行事として広まったものらしい。「若水迎え」といって、出来るだけ遠くの神社に汲みに行くのが吉だという。
「だが水を汲む途中に誰かに出会っても、口をきいてはいけない。だから、なるべく人に会わないようにそーっと行くようにしてる」
「確かに誰かに会ったら挨拶しないといけないもんな。で、それって何の御利益が?」
「若水を飲むと、一年の邪気を払うことが出来ると言われているんだ。鍛冶場の清めにも使ったりするか」
他にも雑煮を作るのに使ったり、書き初めにも使うので、灯油用の18リットルのタンクを持っていくという。正月の明け方から何だか大変そうだ。
「太蘭さんの年越しは、やっぱり年越し蕎麦を食べて……とかなのかしら」
「そうだな、蕎麦を食べたら除夜の鐘を撞きに行く。忙しないが、やっぱり新しい年が来るのは毎年いいものだ。シュライン殿、草間殿。良かったら部屋の室礼を手伝ってもらえないだろうか」
「いいわよ。お手伝いさせて頂くわ」
膝に乗っていた猫を降ろして、太蘭はシュラインと武彦を道場と玄関に案内した。
「太蘭さんの家って随分広いけど、元からこんな感じで建てたのか?」
武彦の質問に、太蘭は箱などを用意しながら軽く首を横に振る。
「いや。元々ここは料亭の建物だったのを作り替えたんだ。だから、部屋数がやたらある」
道場や猫たちの部屋、廊下で繋がった離れなどがあるのはそのせいか。温泉があるのもその名残なのかも知れない。朱塗りの盆やこね鉢、その他に野菜類が持ってこられると、太蘭はシュラインと武彦に指示をした。
「道場には、このこね鉢にダンボールの中に入っている『ん』で終わる野菜を七種盛ってくれ。玄関用には芽の出ている紅白の蕪と、クワイを大皿に」
ダンボールの中には野菜類が入っている。シュラインは興味深そうにキャベツを手に取った。
「キャベツは甘藍(かんらん)だから、鉢ね。これって、どういう意味がある室礼なのかしら」
全て「ん」で終わるものと、芽の出た野菜。
太蘭は朱塗りの盆を柔らかい布で拭きながら、その理由をシュライン達に教える。
「ああ、こね鉢の方は一年がつつがなく終わったことと、くる年の運を願うものだ。一年の締めを『ん』に託す意味がある。玄関の方は、芽出し物ばかりで『おめでとう』と言う意味だな」
「洒落なのか……」
武彦がくすっと鼻で笑う。確かに全てが洒落であり、言葉遊びだ。だが続く太蘭の言葉に、シュラインは思わず感心した。
「語呂合わせが多いが、もの言わぬ物に思いを託す『寄物陳思(きぶつちんし)』と呼ばれる、昔からの奥ゆかしい表現だ。そう思うと、やはり日本にいるのはいいと思う」
もの言わぬ物に思いを託す。
確かにそう考えると、一つ一つが愛おしく感じる。もしかしたら日本に言葉遊びや洒落などが多いのも、それがあるからなのかも知れない。
「そうやって教えてもらうと、何か素敵だって思うわ。芽の出た野菜なら、私にも出来そうだし」
「そうだな。特別に何か飾ろうと思うと金もかかるし難しいが、近くにある物を使えば簡単だ。例えば富士林檎と鷹の爪、茄子で『初夢』の室礼とかな」
一富士二鷹三茄子か。
それぐらいなら、帰りに買って帰れば出来そうな気がする。林檎と鷹の爪だと色が寂しいので、松などを一緒に飾れば正月らしくもあるだろう。
「やっぱりためになるし、楽しませてもらっちゃってるわね」
キャベツの上に銀杏をそっと乗せながら言うと、武彦はクリスマスにシュラインが渡した携帯灰皿を出して頷いた。
「だな。何でも難しく考えないで、祝おうって気持ちの部分が大事なのかもな……ここに来ると、日本にいて良かったって気がするから不思議だ」
何だか大げさな気がするけれど、その気持ちは分かる。道場と玄関に室礼をすると、新しい年がすぐそこで待っているような、そんな気になった。
「どうかしら?」
甘藍、インゲン、紅白の大根、蓮根、キンカン、人参、銀杏を飾り、シュラインは満足そうに息をつく。これでこの年の締めも大丈夫だろう。太蘭も何だかいつもより嬉しそうだ。
「ああ、いい感じだ。ありがとう。甘酒を用意してある……麹から作っているからシュライン殿や草間殿にも飲んでもらいたくてな」
家の中とはいえ道場や玄関は寒かったので、暖かい甘酒が嬉しかった。湯気が立つ甘酒と、好みで入れられるようにと用意された生姜。シュラインが炬燵をそっと覗くと、猫たちがくっつき合って猫だんごになっている。
「足入れさせてね……ふわふわが足下にいるのって、何だか嬉しいわ」
そしてほっと一息つき、シュラインは気になっていたことをふと思い出した。
前にシュラインと武彦が鍛えるのに関わった刀……和音(かずね) その後どうなっただろうか。年が終わる前に聞いておきたい。
「太蘭さん、和音はどうなったかしら? 自分達が関わったから、気になっちゃって……」
「そうだ。あの刀どうなったのかなって、シュラインとも話してたんだっけ」
すると太蘭は甘酒を一口飲み、ふぅと息をつく。
「ああ。あの刀は出来るだけ色々な人との繋がりや、和音で作りたいと思ったので、研師、白銀師、鞘師の所を回って、今は塗師の所にある。ここに戻って来て銘を切ったりするのはまだ先だな」
この後柄巻師、鐔師の所へ行き、もう一度研師の所で仕上げ研ぎをしてから太蘭の所に戻ってくるという。そこで銘を切って、やっと完成らしい。
「じゃあ、来年の楽しみね……本当は冬至の頃の言葉だけど、何だか一陽来復って気がするわ」
冬が終わり春が来ること。
新年が来ること。悪いことが続いた後で幸運に向かうことを指す言葉。
きっと来年もいい年になるだろう。そう思っていると、武彦が横で足を崩しながらこう言った。
「俺、一陽来復の『復』の字、ずっと福が来るとかの『福』だと思ってたんだよな」
「それもいいかも知れないわよ。福来たる、だものね」
「そうだな。年が巡るだけではなくて、福が来るというのなら、それもいい」
暖かい部屋の中では、いつまでも楽しそうな笑い声が絶えなかった。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧・発注順)◆
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
0509/草間・武彦/男性/30歳/私立探偵
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