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<東京怪談・PCゲームノベル>


【江戸艇】きつね小僧 捕物帖・其の参



 ■Opening■

 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だけど彼らは時間も空間も越えて放浪する。






 ■終わり良ければ■

 闇夜に鴉が舞い降りた。
 黒装束の少年の肩に止まると頭を撫でられひらりと地面に飛び降りる。その姿は既に鴉のそれではない。黒猫がしなやかな背を伸ばししゃがれた声でひと鳴きすると、再び闇に消えた。
 残った少年は口の端をあげて不敵な笑みをこぼす。
「さァ、本当の花火はこれからだ」



   ◆



 その日の朝。
 慎霰はいつもより早く目を覚ました。
 普段はけたたましく鳴り響く目覚まし時計に急かされながら起きるか、気付いたら昼まで寝てるといった具合だが、今朝はまだ夜明け間もない。
 江戸に来て、否応なく早寝を強いられているという事実もあるだろうが、今日ばかりは少し違うだろう。怠け者の節句働き、なんて言われたら返す言葉もない。
 まずはこれから宣戦布告。
 平太を拉致したあの3人組。確かに奴らから大した情報は引き出せなかったが、使い道はいくらもある。
 たとえばこんな使い道だ。
 男達は奇妙な節にのせて、自らの悪事を声高に、江戸の町を闊歩するだろう。きつね小僧に喧嘩を売るとはそういう事だ。
 祭りの幕があがる。
 むらさきは、柊で自分に釘を刺せたつもりでいるのだろうか。ならばそうでない事をわからせてやる。
 それとも、もっと違う形で幕をあげてくれるのか。慎霰は彼らの動揺を想像して胸躍らせた。
 またきつね小僧の名が有名になっちゃうなぁ、なんて照れたような笑みを零して、気持ちのいい朝にひとつ伸びをすると意気揚々と長屋を出た。
 井戸水で顔を洗うのにも慣れた手つきで釣瓶を引き上げる。江戸の生活も悪くないな、などと妙な感慨にふけっていると、柊が慌てた様子で駆けてきた。
「慎霰!!」
「ん? おはよう……どうした?」
 手ぬぐいで顔を拭きながら慎霰がのんびりとした調子で尋ねる。
「大変だ。今、神田川の河川敷にあの3人の仏が……」
「何!?」
 柊の言葉に慎霰は目を見張った。あの3人と聞いて連想されるのは、きつね小僧の武勇伝を歌いながら江戸中を闊歩する予定だったあの3人しか思い当たらない。
 慎霰は内心で舌打ちしながら片手を振った。
 通りの向こうで子猫がにゃあと鳴いたが、それに目をやるでもなく慎霰は柊と、それから丁度長屋から顔を出した平太と共に河川敷へ走り出していた。
 河川敷に人だかりが見える。
 果たししてそこに、あの3人の水死体が並んでいた。
「平太は見るな」
 反射的に慎霰は平太を抱き寄せていた。
「人の命なんて何とも思ってないって事だな……」
 人だかりから離れるように数歩下がって、慎霰は苦々しげに言葉を噛み締める。この3人を殺したのがむらさき本人であるかはともかく、奴の一味である事には間違いないだろう。
「慎霰」
 耳打ちするように柊が声をかけてきた。
「柊、平太を一時、寺かどこかに預けられないか?」
「寺?」
「別に寺じゃなくても、信用出来そうな場所なら……」
 言いかけの言葉を平太の手が遮った。
「やだ」
 きっぱりと平太が言う。
「おい」
「逃げるのなんて絶対やだからな」
 睨み付けられて慎霰は困惑げに息を吐いた。
「今度はかどわかし程度じゃすまなくなるかもしれないんだぞ」
「…………」
 平太は口惜しそうに俯く。平太の気持ちもわからないではない。
「慎霰」
 呼ばれた先を振り返った。
「柊、お前もだ」
「俺?」
「ああ、あいつらは今度はお前を……」
 言いかけて、慎霰は続く言葉を飲み込んだ。
「慎霰?」
「いや、なんでもない」

 むらさきはあの時言った。
『盗人は、盗品が十両以上になると死罪なるんですよ』
 その事情はともかくとして、確かに、奴らの悪事とは別のところで柊には裁かれるだけの理由がある。それが現実にこちらの出方を牽制する事になるとしたら、柊は……。
『きつね小僧さんには、お友達にねずみ小僧さんなんていませんか?』

 言わない方がいい。
 ぎりと奥歯を噛み締めて慎霰は平太を見下ろした。
 どこかに隠れても見つけられたらそれまでだ。ならば自分の手元にあった方が守りやすいか。
 猫が近くで鳴いていた。
 3人は長屋へと歩き出す。
 長屋に戻ってくると腹の虫が鳴った。朝餉にしようぜと戸を開ける。
 中へ入ろうとした時。
「……ねずみ小僧……」
 その言葉に慎霰が振り返ると、盗賊改方の同心が柊の肩を叩いたところだった。
「え?」
 柊が怪訝に首を傾げながら同心を見返している。
「何のことです?」
「さっき、うちに投げ文があったんだ」
「投げ文?」
 岡っ引きらしい男が十手を翳しながら、その投げ文とやらを突き出した。
「根付職人柊、ちょっと番屋まで来てくれねぇか」
 そう言って柊を促す同心らに慎霰が慌てた様子で割って入る。
「そんな得体の知れない投げ文を信用するのか?」
「だから、ちょっと確認するだけだ。それと、さっき神田川であがった仏さんたちについて、町方の連中も聞きたいらしいぜ」
「…………」
 あの3人は、平太拉致の時、一度町方の連中に捕まっている。その際、平太と一緒に柊がいたのを見られていたのだろう。まさかこの3人を殺した犯人に疑われているのか。
「来て貰おうか」
「……はい」
「ちょっと待て。柊」
 同心と共に歩き出そうとした柊を慎霰が呼び止めた。
「何だ?」
 その耳に口寄せる。
「絶対しらをきり通せよ。後は俺が何とかするから」
 それに少しだけ驚いたような顔をして柊は慎霰を見返した。
「慎霰」
「俺を信じろ」
「ああ」
 頷いて踵を返す。
 柊が同心に連れて行かれるのを不安げに見送りながら、平太が慎霰の袖を強く握り締めた。
「慎霰」
「大丈夫だ、平太」
 優しく頭を撫でてやる。
「…………」
「寺の話しは、なしだ」
「え?」
 顔をあげた平太に、慎霰は不敵な笑みを返す。
 それから2人は柊の長屋で証拠になりそうなものを持って長屋を後にした。
「どこ……行くの?」
 平太が尋ねる。
「一つだけ、俺たちを匿ってくれるところがある」
 慎霰が答えた。



   ◆



 日本橋大通り。白壁土蔵の大店が並ぶ商人町。その一角に構える大店の暖簾をくぐると、慎霰が声をかける前に明るい声が慎霰を呼んだ。
「あ、お兄ちゃん!」
「久しぶりだな、すず」
 飛び出してきた少女に笑みを返す。すずは慎霰の前に立つと元気よく頷いた。
「うん!」
 それから、慎霰の背中に隠れている子供に気付いてそちらを覗き込む。
「……その子は?」
「ああ、こいつは平太」
 慎霰は平太を前へ押し出した。
「この子はすず。この角屋の主の一人娘だ」
「あ…あ…あの……初めまして」
 平太がどぎまぎした様子で挨拶した。すずはそれをきょとんとしながら見ていたが、にこっと笑って頭を下げる。
「はじめまして。すずです」
 平太の周りの同年代の女の子といえば、粗野で乱暴な女の子たちが多い。どこか上品で可愛らしい女の子に気後れしてしまったのか、平太はおろおろと視線を散じている。
「へ…平太です」
 恥ずかしそうに名乗る平太に慎霰は、湯屋で取り乱した自分の事など宇宙の彼方のどっかの棚の上にあげて、だらしねェなァなどと小突いてみせた。
 それからすずに向き直り。
「悪いんだけど、おとっつぁんは?」
「奥にいるよ。すず、案内するね」
「ああ、頼む」



 平太はすずに連れられ屋敷を案内されている。
 通された客間で人払いをしてもらってから慎霰はこれまでの経緯をかいつまんで角屋の主に話した。
「アヘン……ですか?」
 信じ難い顔付きで主がその言葉を繰り返す。
「ああ、まず間違いなく高値がつく代物だ。最近羽振りのいい商人連中、知らねェかな」
 自然小さくなる声に慎霰は身を乗り出す。
「では、いくつか心当たりを探ってみましょう」
「サンキュ……じゃない、よろしく頼む。それと俺と平太なんだけどさ」
「ああ、離れを用意しましょう」
「すまない」
 柊がいない今、自分の正体を知っていて、信用もあって、生活面でも金銭面でも情報面でも頼れるのは、ここしかない。
「いいえ、娘やわしらの命の恩人だ。何でも言ってください」
 主は胸をドンと叩いて請け負った。
「ああ」
 使用人を呼んで部屋を用意するように指示を出し、主が茶を啜る。
 慎霰も人心地ついたように茶菓子に手を伸ばした。考えてみたら、朝から何も食べてなかった事に気づく。
「そういえば、ねずみ小僧が捕まったと巷の噂に……」
 主がふと思い出したように言った。
「…………」
 慎霰は返す言葉を捜す。主には、むらさきの事や、柊の事は話していない。何より、偽者だったとはいえ、この大店はねずみ小僧に押し入られているのだ。
 どこまで話していいものか。
「やはり、そのアヘンが何か絡んで?」
 主が尋ねた。
 投げ文の情報まで得ているのかはわからないが、慎霰が今頃急にここを頼ってきた理由を想像すれば自ずとその答えに辿りつくのかもしれない。ねずみ小僧が最近どこかの蔵を襲ったわけでもないのに、このタイミングで一人の男がねずみ小僧として掴まったのだ。今まで慎霰をサポートしていた人間が罠に嵌められて、と考えるのは、そう突拍子の無い事でもないのだろう。
「ああ……」
 慎霰は頷いた。
「出来る限り取り計らってもらえるよう、袖の下でも渡しておきましょうか」
 何も聞かず主はそう申し出た。
「助かる」
 慎霰はその心遣いに素直に感謝する。
「きつね小僧の噂は、今じゃ江戸中に知れ渡っている。その手伝いが出来るのなら、これしきの事」
 主は笑って言った。
 それに返せる言葉はそう多くはない。
「出来るだけ早く、奴らとはけりを付ける」



   ◆



 水車小屋。
 別段、待ち合わせなどしていたわけではない。予めここで落ち合う事を決めていたわけでもない。それでも、彼にはその確信があったようだ。
「少し予定外の事もありましたが、来てくれると思ってましたよ」
 そう言ってむらさきは、やっぱり開いてるか開いてないのかわからない目尻を下げた。
 慎霰は嫌そうに顔を歪めながら、懐から包みを取り出す。
「お前らが欲しいのはこれだろ?」
「ええ」



   ◇


「てんてん…てんまりてん」
 綺麗な模様の入った鞠を小気味よくついて見せるすずに、平太は目を丸くした。驚いている、というよりは困惑のそれに近い。住む世界が違うといえば違うのだろう。慎霰の言葉を借りるならセレブと庶民という事になる。セレブというのがいかなるものか、平太には皆目検討もつかなかったが。雲の上の世界と言われれば何となく想像も出来そうだった。何はともあれ、すずは間違いなくお嬢様というやつなのだ。
「わぁ……」
 屋敷の広さとか、布団のふかふかぶりにもただただ驚かされたが、もう何もかもが平太にとっては別世界だった。
 綺麗な着物を着たすずは平太にとっては侵しがたい神聖ささえ持っている。
「平太くんもやる?」
 すずが、鞠を差し出しながら言った。
「う…うん……」
 頷いたものの手触りよく、平太の感覚で、とんでもなく高そうな鞠にどうにも気後れしてしまうのは否めない。
「てん…てん…」
 緊張にかたくなったのか、機械じみた動きでぎくしゃくと鞠をつくと、鞠はあっという間に平太の手からこぼれてしまった。
 転がる鞠を慌てて追いかける。どぶにでも落としたら大変だ。それ以前に汚れてしまったら、と思うと気が気でない。弁償なって出来る代物でもないのだ。
 やっと鞠に追いついて拾い上げようと伸ばしかけた平太の手が止まる。
 男の足にあたった鞠が別の方へ転がった。
「あ……」
「おやおや、小さな子供たちが2人、こんな人気のないところで遊んでると―――」
 男が言う。
 平太の背後のですずの小さな悲鳴があがった。
「きゃっ!?」
 振り返る。
「すず!?」
 別の男がすずを捕らえていた。
「―――危険だぜぇ」
 目の前の男が言葉を繋ぐ。
 平太は咄嗟に男どもから離れると、キッと睨みつけて、懐から竹筒で出来た水鉄砲を取り出した。
「すずから手を離せ! でないと撃つ」
「ただの水鉄砲で何が出来る」
 男どもが鼻先でせせら嗤った。たかが水鉄砲。確かに何が出来るとも思えない。
 だが。
「ただの水鉄砲じゃない。きつね小僧特製だい!」
 言うが早いか平太は水鉄砲を一息に押し込んだ。
 押し出されるのは勿論水だ。
「なにっ!!」
 驚愕に男どもの顔が歪む。
 とても水鉄砲には収まりきらない量の水が溢れ出たからだ。
「キャー!!」
 押し寄せる激流にすずが悲鳴をあげた。
「おすずちゃん、こっち」
 すずの手を平太が掴む。
「あ…あれ? 平太くん?」
 大量の水が押し寄せてきている筈なのに、男どもはその水に押し流されているというのに、水に流されるでもなく、ともすればそんなものはないかのような身軽さで振舞う平太が言った。
「逃げるよ」
 きつね小僧特製―――天狗のお兄ちゃんの特製なら、これは幻術だったのか。
「うん」
 すずが大きく頷いた。



   ◇



 その小屋にびしょ濡れの男どもが手ぶらで駆け込んできた。
「!?」
 むらさきが小さく舌打ちするのが聞こえたような気がして、慎霰はにやりと笑う。
「形勢逆転みたいだなァ、むらさき」
「まだ、こちらには切り札があるのを―――!?」
 言い終わらぬ内、別の力によってその続きは阻まれた。『切り札』と、その単語を発した刹那、喉の奥に激痛が走り、彼の体は宙に吊り上げられたのだ。いや、彼だけではない。他の男どももだ。
「知らないねェ、そんなもの」
 慎霰が辛辣に言い放つ。
「はっ……はっ……」
 むらさきは声にならない声をあげた。
 喉に何かが刺さっている。魚の釣り針にしては大きい。それが刺さってそこに穴が開いたのか、息を吸い込むとそこから空気が抜けるようだった。
 息が出来ずに酸素を求めるようにもがくむらさきを睨みあげて、慎霰は屈託ない笑みを作ってみせる。
「いやァ、大漁大漁。さァ、案内してもらおうか。全ての黒幕の元へ」
「…………」



   ◆



 夜の闇を裂くように呼び子の笛が鳴った。
「ねずみ小僧だ! ねずみ小僧が出たぞ!!」
 小伝馬町にある町奉行直轄の牢屋敷にその報が齎されたのは暮れ六つ過ぎの事だった。
「何!? ねずみ小僧だと!?」
 牢屋同心がその声に思わず外へ飛び出した。盗賊改方と思しき同心らが楔帷子に鉢巻を締め駆けていくのが見える。
 一人を捕まえて問い質すと、同心は口早に答えた。
「御側用人穂波様の御屋敷だ」
「なら、今牢の中にいるのは?」
 牢屋同心が訝しげに首を傾げる。ねずみ小曽と疑われた男が獄舎に一人捕らえられているからだ。
「知るか」
 同心はそう言い捨てて本所の方へ駆けて行く。牢屋同心はそれを半ば呆気に取られて見送った。
 そこへ一人の若い男と中年の恰幅のいい男が現れた。若い方の男が言う。
「ねずみ小僧が警戒を手薄にするためにでっちあげたんじゃねェの?」
「何!?」
 牢屋同心は目を見張った。確かに彼の言には一理ある。現に本物のねずみ小僧が出た、というのだから。別段自白がないにも関わらず、通常なら牢問があってもいい囚人に、一切それらが行われる事なく、ただ牢に入れられていただけ、という事実から考えても、最初から誰も得体の知れない投げ文を信じてなかったとも考えられる。
 牢屋同心は男をマジマジと見返した。
「貴様は?」
 だが男はそれに答えるでもなく言った。
「柊の疑いはこれで晴れたんじゃないのか? 返してくれ」
 と言われても、ただの牢屋同心である自分の一存で、はいそうですか、と囚人を釈放するわけにもいかない。
 それを察して中年の恰幅のいい男が懐から何やら書状のようなものを取り出して牢屋同心に差し出した。
 牢屋同心が書状を一読し2人の顔を見比べる。
 それからゆっくり息を吐いて言った。
「わかった」


「おい、出ろ」
 牢屋同心が、獄舎の鍵を開けながら言った。扉が開かれる。
「え……?」
 中で静かに座していた柊が怪訝に顔をあげた。
「ねずみ小僧が現れたんだ」
 同心が言った。
「え? まさか……」
 一瞬、柊の脳裏に浮かんだのは慎霰だった。まさか彼の『後は任せろ』というのは、そういう意味だったのか。
 しかし牢から出るとそこには彼の笑顔があった。
「柊、迎えに来たぞ」
「慎霰……どうしてここに?」
「だから、迎えに来たんだって」
 慎霰が苦笑を滲ませる。とはいえ、柊の困惑はわからないでもない慎霰である。
「じゃぁ、ねずみ小僧ってのは……」
 柊が尋ねた。
「さァ? 本物のねずみ小僧だろ」
 今にもペロリと舌を出しそうな、いたずらっぽい笑みを浮かべて、慎霰が言った。
「…………」



   ◆



 その頃、ねずみ小僧に押し入られた穂波邸では、御側用人穂波忠綱が気色ばった顔で家臣らの無能を怒鳴りつけていた。
「何!? 金品だけでなく、アヘンまで持ち去られただと!? このたわけが!!」
 普段は落ち着き払った男が珍しく取り乱している。彼の猛禽のような目つきが修羅の形相に変わっていた。
「も…申し訳ありません」
 家臣らはただた平伏するばかりである。
「ねずみ小僧とは、何者だ……」
 忌々しげに吐き捨てた穂波に、彼の屋敷に内々に訪れていた勘定頭の男が、広くなった額を撫で付けながら考え深げに呟いた。
「仕掛けたのはきつね小僧かと」
「えぇい、きつねだの、ねずみだの、どちらでもよいわ! 早々に始末いたせ! いや、それよりも薬を町中にバラ撒かれでもしたら……」
 義賊ねずみ小僧は盗品を貧乏人に配るという。その中にアヘンが混ざっていれば、彼の屋敷の蔵にアヘンがあったという事が公になってしまうのだ。
 と、そこへ町人態のたぬき親父が駆け込んできた。
「た…た……大変です、穂波さま! 小判と一緒に薬が!!」
 そう言って彼はこけつまろびつ穂波の前へ小判と薬包紙を投げ出した。それらは貧しくもない彼の家へねずみ小僧が投げ込んでいったものである。
「何だと!? 急いで回収するのだ。間違っても、我が屋敷の盗品と悟られるような事はするなよ」
「そ…それは……」
 ねずみ小僧が穂波の屋敷を襲った事は既に周知のものとなっているのだ。
「くぅ〜っ!! 忌々しいねずみ小僧め! むらさきは何をしておる!?」
 穂波の言葉に、すっとふすまが開いた。そこにむらさきが平伏している。
「わたくしめはここに」
「えぇい、きつねを何とかすると言ったのはそちであろう! 何とかいたせ!」
 怒鳴り散らす穂波に、しかしむらさきはさして動じた風もない。
「では、お気を鎮めるため、温泉宿にでも行かれてはどうでしょう」
「何を呑気な! そんなものに浸かってなどおれるか」
「おあがりになられる頃には、全ての片がついておりましょう」
「何!?」
 むらさきの言葉と態度に目を細める。何か良策でもあるいうのか。
 穂波は荒立てていた言葉と怒りを鎮めた。
「……そうか」
「はい」
 むらさきは顔もあげずに頷いた。顔をあげていれば、その違和感にもしかしたら穂波も気付いたかもしれない。
 だが。
「よし、わかった。準備をいたせ」
 穂波はあっさりむらさきの言葉に従った。疑う様子もない。
 むらさきは更に畏まって応えたのだった。
「はっ」



   ◆



 カポーン。
 湯煙のあがる露天の岩風呂に気をよくしながら、穂波とその一党は人心地をついた。
 最悪の夜の始まりであったが、終わり良ければすべてよしである。
「しかし、返す返すも忌々しい。きつねといい、ねずみといい」
 穂波が心底憎々しげに言った。他に誰も客がいない事で、それでなくても尊大な気が、更に大きくなっている。込み上げてくる怒りと言葉は自然荒く大きくなった。
「は。まったくもって、そのようで」
 勘定頭も頷く。たぬき親父もまったくだ、と首を縦に振った。
「将軍にアヘンを一服盛り、我らの傀儡と致す計画を……」
 吐き捨てる。
 穂波の言に勘定頭が応えようとした。だが、それよりわずかに早く別の方から別の声が投げられる。
「ほぉ、そのような計画があったのか」
 他に誰も客がいないと思っていた3人は慌てて声の方を振り返った。
 穂波の目が声の主を捕らえて驚愕に見開かれる。
「う……上……様?」
 半ば呆然と呟いた穂波に、勘定頭とたぬき親父があんぐりと口を開けた。
 その上様と呟かれた男は、温泉であるにもかかわらず着物姿で屋形船に乗っていたのだ。
 ―――屋形……船?
「な!? これは……!?」
 するとどこからか笑い声が聞こえてきた。
「あっはっはっは。あいつら、川の中で何やってんだ?」
「この寒い中、体を張った見世物だとよ」
「バカじゃねぇのか?」
 橋の上や川縁から町人態の連中が、彼らを指差していた。
「どういう事だ!?」
「ハックション!! こ…これは、温泉ではない……!?」
「ようこそ神田川冷泉へ」
 愛想笑いに揉み手をして、神田川冷泉と書かれたはっぴ姿にきつね面の男が言った。
「れ…冷泉?」
「くッくッくッ」
 面の下からくぐもった笑いが聞こえてくる。どうやら笑いが止まらなくなったらしい。
「きつね小僧かっ!」
 一歩踏み出し凄んで見せた穂波だが、川の中で素っ裸では迫力のかけらもない。
 きつね小僧こと慎霰は声高に見物客に言い放った。
「さァさ、露天歌舞伎も大佳境。自らの悪事をその相手に暴露した。これほどの滑稽もあるまいよ。皆の衆、最後まで楽しまれィ!」
 ドドンドンと太鼓が鳴る。見ればきつね小僧の傍らで子供が太鼓を叩いていた。
 観客が喚声をあげる。
「よっ! 穂波屋!!」
 などと屋号のようにして掛け声をかける者達までいた。
「…………」
 男どもは神田川の中、素っ裸で寒さに震えながら、顔を赤くしたり青くしたりしている。
「御側用人穂波。先ほどの言、いかなるものか」
 上様と思しき男が尋ねた。
「そ…そ…それは、その……!?」
 言い淀む穂波の体が突然膨らみ始める。いや穂波の体だけではない。
「か…からだが……勝手に……」
 慌てふためく連中の、まるで紙風船のように膨らんだ体を慎霰が蹴りあげた。
「ほーら、遠くのみんなにも見えるようにサービスでィ!」
 男どもの体がふわふわと宙を舞う。
「しょ…将軍をアヘン中毒にし傀儡に……」
 意志とは無関係に彼ら口が勝手に喋りだす。
「アヘンが欲しけりゃこっちの頼みを聞いてもらう手はずだったのよ」
 3人が宙をぽよんぽよんと跳ねながら自らの悪事を語るのを、町人たちは大笑いと拍手喝采で囃し立てた。
「あっはっはっ」
「うわっはっはっ」
 上様と思しき男が小さく溜息を吐く。
「落ちたな、穂波」


 その翌日。
 彼らは1日中喉を涸らしながら自らの悪事を語り、市中を練り歩いてその日の夕暮れ、江戸城に出頭したという。



   ◆



「ちゃんと説明してもらおうか」
 柊が言った。淡々とした口調だが、その端々に怒ってる風なのが感じとれて、慎霰は視線を泳がせる。
「えぇっと……」
「なんでこの3人が生きてるんだ?」
 柊は『この3人』に視線を馳せて、それから慎霰を向き直った。
 慎霰の傍らには『この3人』が立っている。この3人とは、平太を拉致した3人で、神田川で水死体としてあがっていた筈の3人だ。
「いやぁ、最初はこいつらを使って、って思ってたんだけどよ、なんかいろいろ話し聞いてる内に、ついホロッときちゃって。それにむらさきの奴に付けといた偵察鴉が、見せしめにこいつらを、なんて報せてくるからさ……」
 相手を油断させる為に殺された振りをさせたのだ。慎霰の言葉が段々小さく力なくなっていく。
「丁度、顎で使える手下も欲しかったんだよなー、なんて思ったりして」
 てへッと笑ってみせたが、柊の表情はチラとも揺るがない。
「…………」
「だってほら、こういうのは図に乗って有頂天になってるところを思いっきり叩き落としてやった方が、楽しいかなァなんて……だから、後手に回ってる振りを……」
 したのである。相手の手の平の上で踊っている振りをしてみせたのだ。
「…………」
「敵を欺くには、まず味方からって言うじゃん」
 なんて開き直ってみる。だから言わなかったのだ。勿論言えなかったという部分もある。
「…………」
「最初は、どこかの金持ちにでも売りつけて大儲けを企んでるのかと思ってさ。角屋の親父に頼んだんだけど、どうも違うみたいだったから、そんでねずみ小僧に屋敷を襲わせて……」
 ねずみ小僧の振りをしたのは、勿論この3人だ。とはいえ、ねずみ小僧は徒党を組まないから1人づつリレー方式で、細心の注意をはらって入れ替わらせ、それで火盗改めの連中を撒いたのである。
 ちなみに小判と一緒にばら撒いたのは、山椒を包んだ薬包紙だ。
「投げ文は、お前が?」
 柊が尋ねた。慎霰はあっさり白状した。
「ああ。こちらが動く限り、遅かれ早かれ奴等はしただろうからな。お前は切り札だったし。だからこちらから先に切ってやッたんだ」
「…………」
「大事な切り札だから捕まえた後、すぐに処分はしないと踏んで……この件は悪かった」
 半分は賭けでもあった。この時代、自白を迫る拷問は与力が自らの無能を露呈する事になるため滅多に行われる事はなかったが、牢問はそうでもない。だが、むらさきが武士であった事から上が絡んでるのは確実だった。万一自白されれば、こちらの牽制に使えなくなる。ならばこちらを牽制するための切り札であるが故に彼は大事に扱われると踏んだのだ。
「…………」
「でも、お前が捕まってる間にねずみ小僧が現れれば、この先二度とお前が疑われる事はないだろ」
 そうなれば悪いことばかりではない筈だ。
「……確かに、そうだな」
 柊はゆっくり息を吐き出した。
「悪い」
 慎霰が頭をさげる。
 その頭をがしがしと柊が撫でた。
「いいよ」
 慎霰が顔をあげた先にあったのは柊の笑顔だ。
「おう!」
「また借りが出来たな」
 そう言って笑う柊に、慎霰は拳を振りあげる。
「いいって事よ。あれだ。終わり良ければ、すべて良し」
「お前が言うな」






 ■■大団円■■





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1928/天波・慎霰/男/15/天狗・高校生】


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■         ライター通信          ■
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 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。