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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


病院の窓の客 或いは鬼鮫ラーメン

 目が覚める。暗い‥‥今は夜か?
 闇に目が慣れて見えたのは見慣れない天井。僕の部屋じゃない。
 パイプ組のベッド。その周りを覆うカーテン。
 そうだ、ここは病院だ。
 ああ、入院してたんだと思い出したら、不意に腹が鳴った。
 最後の食事は何時だったか‥‥思い出せないが、関係ないか。
 入院食は味が薄くて、量も足りない。
 何か買ってこようかと思うが、どうせ病院内の売店は閉まってるし、こんな深夜に患者の外出を許す看護婦もいないだろう。
 困ったなと思いつつ、とりあえず気分だけでも変えようかと思いつく。
 そして、ベッドの周りを見た。しかし、何処に行ったのやらスリッパが見あたらない。
 まあ良いかと、冷たい床に裸足で下り、窓辺に歩み寄った。
 ああ、お腹が減った。
 と‥‥病室の窓の外を、ラーメン屋台が歩いていくのが見えた。ああ天の助け。
 僕は窓を開けて、出来るだけ小声で、そのラーメン屋台を呼び止めた。


 鬼鮫は、IO2のエージェントである。
 今は故有って、ラーメン屋台を引いて歩いている。
 深夜になって鬼鮫は、屋台を引いて帰る途中だった。
 とある病院の裏手を抜けようとしたその時‥‥自分を呼び止める声に気付く。
「‥‥ラーメン屋さん。こっち、こっち」
「ん‥‥何だ?」
 見ると、病院の一階の窓から若い男が顔を出して鬼鮫を呼んでいた。
 男は苦笑いしながら鬼鮫に言った。
「一杯、いただけませんか? お腹空いちゃって」
「あんちゃん、病人だろ? 良いのか? おっかねぇ看護婦さんに怒られちまうぜ?」
 鬼鮫はそう言いながらも、ラーメンを作る準備を始めた。
 屋台を止めて固定し、スープとお湯を温め直し始める。
 そんな様子を嬉しそうに見ながら、男は鬼鮫に言い訳がましく言う。
「良いんですよ。簡単な手術だった筈ですし、もう終わったんですから。まあ、後はいつ帰してくれるかなんですけどね」
「医者が好いて放してくれねぇってか」
 鬼鮫は言いながら、お湯に麺玉を放り込む。
 ドンブリにお湯をさして温め、麺を上げる少し前にお湯を戻し、ドンブリにスープを入れる。
 茹で上がった麺を手際よく湯切りし、ドンブリにそっと入れた後、上に具を並べる。
「おう、出来たぜ」
 鬼鮫の手から、ドンブリが男に渡された。男は、ドンブリを受け取り‥‥
「あ‥‥しまった。お金は何処だったかな」
 財布を持ってない事に気付いたのか、男はドンブリを持ったまま病室の中に戻りかける。
 鬼鮫はそれを呼び止めた。
「おう、待ちな。グズグズしてたら伸びちまうだろうが。金は、ドンブリ返す時で良いからよ」
「え? でも‥‥」
 戻った男の前で、鬼鮫は屋台を片付け始めていた。
「俺はこれから帰る所だ。あんちゃんが食い終わるまで待つってのも面倒でね。何、毎日この辺りは通るんだ。また呼び止めておくれよ」
「わかりました。お金は、ドンブリと一緒に渡しますね」
 男はそういうと、窓縁にドンブリを置いて、嬉しそうに割り箸を割り、すぐさま麺を啜り込み始めた。


 昼の病室。とはいえ、裏路地に面した窓からは光が差し込まず、酷く薄暗い。
 しかし、この病室に居る患者は日の光など気にはしないだろう。
 病室のベッドに身を横たえた若い男。彼は今日も目を覚まさない。
「祐介‥‥」
 ベッドの横、置かれた椅子に座った若い女が一人、男の名を呼びながら手を伸ばし、彼の頬をなでた。
 女、洋子は祐介の婚約者‥‥“だった”。洋子自身は今でもそのつもりだが、祐介の両親は、息子の為に洋子が人生を朽ちさせる事を良しとはしなかったのだ。
 全ては一年前の事。
 ‥‥簡単な手術の筈だった。
 祐介も、洋子も、数日の後には退院できる事を疑っていなかった。むしろその後に控えた結婚式の方に頭を悩ませていた‥‥
 でも、手術の時に投薬された薬の量が、手違いでほんの少し多かった。それだけで、彼は覚めない眠りに囚われてしまった。
 それ以来、洋子は毎日、この病室に通い続け、眠る祐介と一時を過ごす。しかし、それも後一週間ほどで出来なくなる。
「私ね、絵の留学するの。ほら、昔‥‥夢だって話したじゃない?」
 絵が認められた。祐介が元気だった頃に描いた絵が。それで海外留学の道が拓けた。
「だから‥‥もう、会いに来られなくなるの」
 洋子の声は迷いに震えた。
 祐介をまだ愛している。彼を捨てて行くようで、心は軋むように痛んでいた。
 でも、目覚めない祐介を待ち続ける事には、もう心が耐えられそうにもない。
「祐介‥‥話がしたいよ。声が聞きたい。もう私、壊れそうだよ」
 洋子の言葉に、祐介は応えない。
 洋子はもう、流す涙は枯れていた。
 それでも、祐介を見続けるのが辛くて、洋子は椅子から立つとベッドの側を離れ、窓縁に立った。
 窓の外に見えるのは、隣のビルの薄汚れた外壁。見下ろせば遙か下に病院の裏道。
 地上十階にある病室からは、楽しめそうな風景は何一つ見られなかった。
 と‥‥洋子は、窓縁にドンブリが一つ置いてあるのに気づく。
 使用済みの割り箸が突っ込まれた空のラーメンドンブリ。
「誰かが食べたのかな?」
 病室にラーメンを持ち込んで食べる様な見舞客には心当たりがない。首をかしげながら、洋子はドンブリを手に取った。


「で‥‥だ。何日か病院裏を通って見たが声がかからねぇ。痺れ切らして昼に行ってみりゃあ、一階に病室はありませんとよ」
 陸橋下に置かれたラーメン屋台。
 鬼鮫は、出来たてのラーメンを差し出しながら言う。
 客席に陣取った草間武彦はそれを受け取って、割り箸を口にくわえて割ってから言葉を返した。
「病院までグルになって食い逃げか? 恨まれたくは無いな鬼鮫」
「脳が沸いたか? 病院が総力上げて、ラーメン一杯の食い逃げってどんな話だ」
 鬼鮫は、不機嫌そうに言いながら草間のコップに冷や酒をつぐ。
「俺があの夜に見た時は、部屋の中は確かに病室だった。だが、昼間に見りゃあ、ありゃ診察室だ。模様替えはさぞかし大変だろうぜ」
「皆まで言うなよ。どうせ、俺の大嫌いな話だ。そうだろ?」
 うんざりした様子で草間は言い、コップの酒を煽った。
「幽霊がラーメン食ったって事で諦めろよ」
 頭上を走り抜けていく電車の音が、しばし会話を中断させる。
 ややあって、電車が遠く去ってから鬼鮫はおもむろに言った。
「ドンブリの回収手伝え」
「嫌なこった、依頼でも無いのに‥‥」
「手伝えば、ラーメン一杯おごってやるぜ? コップ酒も2杯つけてやる」
 ラーメンを啜りつつ悪態をついて断ろうとした草間に、鬼鮫は予想外の提案をした。
 現物支給とはいえ報酬を用意しようと言う鬼鮫に、草間は箸を持つ手を止めて少し驚いた様子で聞く。
「らしくねぇ。どういう風の吹き回しだ? ドンブリ一つ、ラーメン一杯にこだわる男じゃねぇだろ」
 問われ、鬼鮫は口端に嘲笑を浮かべる。
「なぁに、今回の事は、こいつがとりもった縁じゃねぇかとそう思うのさ」
 言って鬼鮫は、それ自身が妖物であるラーメン屋台を、じっと睨むように見据えた。


 シュライン・エマは、喫茶店でドンブリを眺めていた。確実に見た覚えのあるドンブリを。

 そもそもの始まりは、シュライン・エマが翻訳した本の出版の件で打ち合わせに行った時の話である。
 そこで、イラストレーターとして紹介されたのが、納内洋子という女性。
 普通に打ち合わせを終えた夕暮れ、シュラインが編集部の入ったビルから出ようとした時の事、洋子がシュラインに話しかけてきたのであった。
「あの、すいません」
「あら、何かしら?」
 仕事の話の続きかと思ったシュラインだったが、洋子は少し迷いながらもシュラインの想像とは違った話をし始める。
「あの‥‥シュラインさんって、探偵さんもやってらっしゃるんですよね?」
「ええ‥‥でも、バイトで事務員をしてるだけだけど。何かご相談?」
 編集員がシュラインの事を漏らしたのだろう。別に、秘密と言うほどの事ではないのでかまわないのだが、どうやら少し歪んで伝わったらしい。
 シュラインは洋子の誤解を解く為に軽く説明し、それから洋子に話を促した。
 洋子は、シュラインが探偵ではないと聞いて逡巡した様だったが、それでも何かの足しになればと思ったのか、口を開いた。
「ちょっと、おかしな事があって‥‥依頼とかじゃないんですけど、話だけでも聞いて頂けないかと」

 そして、近くの喫茶店に移って話を聞く事になり、彼女が取り出したのが見覚えのあるドンブリだった。
「ただのドンブリなんですけど‥‥どうして彼の病室にあったのか気になって」
 シュラインに事の一部始終を話した洋子は、少し困惑げな様子だった。
 彼の見舞いに来るような人には確認したが、ドンブリを持ち込んだ人などいなかった。まあ、それはそうだろう。
「まさか人の病室で店屋物取ったりはしないでしょうけど‥‥一応、病院周辺のお店に聞いてみましょうか?」
 シュラインは心当たりがありつつも、一応はそう提案する。
 まあ、見覚えがあると言ってもオーダーメードしたわけでもない只のドンブリ。同じドンブリを使っている店が無いとも限らない。
 しかし、洋子の方でその辺りは既に調べていた
「でも、病院に確認したんですが、病院に出入りしているラーメン屋さんのドンブリじゃないんです。他のラーメン屋さんが出入りした記録はないみたいで」
 病院関係者の食事の為、出前が利用される事はあるが、だいたい同じ店が利用されている。
 もちろん、病院関係者が病室にドンブリを持ち込むいわれもないのだが‥‥ともかく、出前に利用されている飲食店では、そのドンブリは使われていなかった。
 また、病院なので警備員が常駐している。出前などの出入りは、警備員がチェックしており、忍び込む様な事でもしない限りは記録に残るのだ。
 しかし、最近の記録には、新顔の飲食店が出前を届けたという記録はなかった。
「不思議な話よねぇ」
 シュラインは、洋子の話を聞きながら考える。
 如何にも怪しい事件に巻き込まれるなんて、これはもう、あそこなんじゃないかなと。
「ねぇ、心当たりがあるっていったら‥‥びっくりする?」


「ああ、今の場所か? いつもの陸橋下だ。そこからならすぐだろ」
 突然鳴った携帯電話に応対しつつ、草間は器用かつ行儀悪くラーメンを一口啜った。
 電話の向こうで、シュラインの呆れた声が上がるが、気にしないで用件の終わった電話を切る。で、頭を鬼鮫からの依頼に戻し、
「ま、たまには探偵らしい事をしてやっても良いか。お前も、手伝ってくれるだろ?」
 草間は、屋台の隅で洗い物などしていたササキビ・クミノに声をかけた。
 それを聞いたササキビは迷惑そうに眉を寄せ、仕事の手を止めると、草間に無愛想に言い返す。
「何の話だ? 草間が頼まれたんだろう。私には関係ない」
「おいおい、一緒にこのラーメン屋台に関わった仲だろ? そう、つれない事を言うなよ。また、一緒に仕事しようじゃないか」
 ササキビに断られて退くかと思いきや、草間は気にもしないと言った風で妙にササキビに絡む。それを見てササキビは少し考え、そして鋭く言い放った。
「この屋台に関わる事件なら、私は金銭を要求しないと踏んでの話だろう。お見通しだ、探偵モドキ」
「ぐっ‥‥くそっ」
 図星を指されて、草間は悔しげな表情を浮かべる。そして、開き直って言葉を返した。
「ああ、そうだとも。だが、文句はそこのラーメン屋の親父に言え。ラーメン一杯と冷や二杯じゃ、どうなったってバイト代なんて出ないだろが。それとも、報酬にナルトとシナチクを差し上げましょうってか?」
「おいおい、俺に当たるなよ。俺はちっとも悪かねぇぜ? お前一人でやれってんだよ」
 草間の鬱憤が鬼鮫に向かい、いつも通りにやりあい始める二人。
 よく見る光景にうんざりしながら、ササキビは鬼鮫と草間に言った。
「私が不機嫌な理由は二つだ。一つはその探偵モドキが、私にただ働きさせようとしてる事。もう一つは、この屋台の事件を終わらせようとせず、いつまでも引きずってる鬼鮫、お前だ。私はもっと早くに終わらせるつもりだったというのに」
「しょうがねぇだろうが。眼鏡にかなう奴がいねぇんだよ」
 鬼鮫は、面白くもなさそうにササキビに返す。
 元々、鬼鮫が屋台を牽いているのは次の主人が見つかるまでという事だった。それなのに、鬼鮫は未だに屋台を引きずって歩いている。
 次の主人が見つからない事をその言い訳にしている訳だが‥‥
「そうか? 鬼鮫が楽しんでるからだと思ったが‥‥」
「それを言うなら、お前も手伝いに来るのはどういう訳だ」
 ササキビが追求すると、鬼鮫も言い返してきた。
 全くその通りな訳で、関わりを止める理由など幾らでも見つかるというのに、ササキビは律儀に手伝いに来ている。それもまた、ササキビは何だか腹立たしい。
「うるさい、早く次の主人を見つけろ。私が関わるのはそれまでだ。それから探偵モドキ、手伝わせたいのなら、気の利いた交換条件でも持ってこい」
「おお、怖い怖い」
 草間はブルブル震えるふりをしてから、手元のラーメンの残りに取りかかる。
 酔っぱらいを相手にするだけ無駄という事か。そう判断して、とりあえず草間に本当の恐怖という物を教え込む事を後回しにすると、ササキビは洗い物の続きに帰っていった。


「鬼鮫、ここっていつもこんな?」
 鬼鮫の同僚でもある藤田・あやこは、いつもの鬼鮫の姿からは想像できない、どうにもうらぶれて殺伐としつつも妙な熱気のあるこの屋台について聞いた。
「さぁな。客次第ってやつだが‥‥まあ、こいつらが揃うとこんなだ」
 鬼鮫は草間をササキビを目線で指し示して答える。
 藤田は、ふぅんと半端に納得して見せ、それから先に聞いた病院の窓の客について話を持って行く。
「酒豪の霊に憑依された下戸の女が何合も呑んで、正気に戻った時平気だった。そんな話を聞いた事があるわ。同じように、かなり執着心の強い霊ね」
 思い出話では酒に執着する霊の話だが、今回の場合はラーメンに執着がある霊というわけだ。藤田は、今の段階ではそう判断を下していた。
「鬼鮫、貴方そんな霊と波長が合う‥‥」
 言いかけた所で、藤田は鬼鮫に睨まれる。
「俺と化け物がどうだって?」
「いえ、屋台が‥‥かしら」
 鬼鮫に斬られたくない‥‥特に、チャーシュー斬る為の中華包丁なんかではな藤田は、素直に言い換えた。そして、少し考える。
「今度は違う人間が屋台を引けば彼、味見しに来るかも。ほら、ラーメンって色々と食べ歩きとかしたくなるじゃない?」
「悪くねぇ考えだ。だが、どっか別でやんな。屋台は貸さねぇよ」
 鬼鮫は酷く素っ気なく、藤田の思惑を粉砕した。
「そんな‥‥私、料理得意なのよ?」
「お前が作る料理が何なのか、こっちはわかってんだよ。そんなもん、うちの屋台じゃ作らせねぇからな」
 抗議する藤田を、鬼鮫は断固としてはねつける。
 藤田は、理解のない鬼鮫に、得々と説明をしてやる事にした。自分が作り出す料理が、如何に素晴らしいかを。
「妖怪料理が得意なIO2のガリレ‥‥いやキュリーこと藤田が、精魂込めてエクトプラズムこねて打った麺。黒和豚の生霊に反魂香のスパイス入りスープ♪ それの何処がいけないの?」
 この説明を聞けば、鬼鮫も折れるだろう。そんな自信があった。
 が‥‥鬼鮫は、藤田の前に注文されていたラーメンを置きながら言う。
「だって、おめぇ‥‥科学的に合成した代用品で、ラーメンに似た美味しい物を作りますって事だろ? そりゃあ、ラーメンじゃねぇもんよ」
 目の前の、普通のラーメンが良い匂い。藤田は、もう一度、縋る様に言ってみた。
「美味しいのよ? 安全だし」
「だが、そいつをラーメンだって売ったら、看板に偽り有りだ。昨今は、商品偽装問題に厳しいからなぁ」


 わやわやと無駄話とラーメンと酒に時間を費やすいつもの屋台。
 シュラインは、洋子と共にそこを訪れた。
「鬼鮫さん、こんばんわ。武彦さん‥‥食べながら電話なんて、行儀悪いわよ?」
 挨拶と説教を同時にこなしながら暖簾をくぐるシュライン。そして、洋子もそれに倣う。
 草間は説教に無視を決め込んでラーメンスープを飲んでいた。
 鬼鮫は、二人を一瞥して注文を聞く。
「何にする? 食いたい物を言いな。有ったら出してやる」
「あ、鬼鮫さん、今日はお食事じゃなくて‥‥」
 シュラインは、鬼鮫を制して、洋子に目配せした。洋子はうなずき、鞄の中からドンブリを取り出す。
「あの、このドンブリに見覚えはありませんか?」
 その途端、屋台の中が一斉にざわめいた。
「‥‥事件解決だな。ただ飯は無しか」
 一番最初に口を開いたのは草間。さほど残念でもなさそうに言って、コップ酒をちびりとやる。
「間違いなく、ここで使っているのと同じドンブリだな。洗った覚えが無くもない」
 ササキビは洗い物の手を止めてドンブリを見た後、鬼鮫の方に目をやった。鬼鮫は、そのササキビの視線に気付いて頷く。
「ああ、間違いねぇ。生き別れの兄弟だてんでもなけりゃ、こんなに似てるてぇ事もないだろうよ」
 ドンブリは、確かにこの屋台で使っている物だった。
「それで‥‥窓の客に差し上げたドンブリを、何故貴方が?」
 藤田が興味深げに洋子に聞いた。それに洋子が答える前に、ササキビが重々しく口を開く。
「おそらくは、窓の客の知人といった所だろう。違うか?」
「あ‥‥このドンブリは、私の婚約者の病室にあった物で‥‥」
 説明しかける洋子に、鬼鮫は何の気無しに言う。
「ああ、あの兄ちゃんの恋人さんかい。わざわざ、ドンブリ返しに来てくれて、ありがとうよ。で‥‥あの兄ちゃんは退院出来たかい?」
「あの、すいません。何の事だかさっぱりで‥‥」
 洋子は困惑していた。そんな洋子を不審に思いつつ、鬼鮫は確認する様に言う。
「ん? あの病室の入院患者の若いのに、俺はラーメンを売ったんだが‥‥」
「そんな‥‥だって有り得ませんよ。祐介さん‥‥私の婚約者は、植物状態で意識がないんです。あっ、誰か他の患者さんが、勝手に入り込んで‥‥」
 勝手に納得しかけた洋子に、鬼鮫は聞いた。
「つかぬ事を聞くが‥‥病室は何階だ?」
「十階です」
 洋子の答えに、鬼鮫、ササキビ、藤田、草間は呻いた。
「オカルト現象ね」
 予想通りとばかりに藤田が言う。そこでササキビも口を開いた
「偽病室と影像の堅固さから、当初より生霊の可能性は見ていた。現実の人間でないならという前提が必要だったが」
「ともかく、ドンブリは戻ったんだ。お開きにしようぜ」
 草間は面倒くさそうに言う。そんな草間に、シュラインは聞いた。
「みんな、何を言ってるの? 話が見えないのだけど」
 シュラインに、草間は鬼鮫を指差して示す。
「鬼鮫に聞けよ。きっと、面白い話をしてくれる」
「面白くはねぇよ。ただ、ちょいと妙な客に会っただけだ」
 話を振られた鬼鮫は、一応という事で話し始める。あの夜の出来事を。


「祐介に‥‥会ったんですか?」
 信じられない様子で呟く洋子に、鬼鮫は頷いてみせる。
「まあ信じる信じないは勝手だ。だが、俺はあの病室の患者にラーメンを食わした。ドンブリはその証拠って奴だ」
「私も会いたい‥‥会いたいんです!」
 洋子は、鬼鮫に駆け寄り声を上げた。そして、涙をこぼし‥‥
「‥‥会いたいんです」
 涙混じりに言った後、洋子は下を向いて涙をこぼすのみとなる。
「そうは言われても‥‥まいったねどうも」
 鬼鮫は、困った様子で舌打ちをした。
 会いたいから会えるという話ではない。特にここ数日は、会えなくて問題になっていたのだ。
「意識は屋台のお陰か目覚めてる様子なのよね。あとは身体と連動って事?」
 シュラインは、鬼鮫の話を聞いて思った事をいってみた。それに、藤田が答える。
「その通りだけど、身体が動かない事にはどうにもならないわよ? 運転手が無事でも、車が壊れてたら走らないのと同じ」
 単に魂と身体の同調がとれていないだけならシュラインの言う通りで良い。
 だが最悪、身体はもう死んでいて、何かの理由で魂が離れていない場合も考えられる。この場合は、成仏してもらうのが彼の為だ。
「彼のカルテなりを見て判断しないと、どうとも言えないわ」
 藤田の判断は保留せざるを得ない。無難な結論が出る事を祈りつつ。
「問題は、もう一度会う方法だけど? 今度は違う人間が屋台を引けば彼、味見しに来るかも。やっぱり、美味しいラーメンを‥‥」
 言いかける藤田。それを完全無視でササキビが発言する。
「単純な話だ。何故、彼が返すべきドンブリを返さず、鬼鮫の前に二度と姿を現さなかったか‥‥ラーメンの二杯目が欲しいからではないな」
 そう‥‥彼は約束したのである。ドンブリを返却し、料金を支払う事を。それが出来なかったのは、何故か?
「ドンブリを彼女が持ち出した。これで、返却は出来なくなった。要は、彼に必要な物が揃えば、彼はきっとドンブリを返しに来る」
「じゃあ、本来これを返す筈だった人に返せばいい訳ね」
 ササキビの発案に、シュラインはさきほど鬼鮫に返したドンブリを手に取った。
「鬼鮫さん、お借りして良いかしら?」
「ああ、一日位ドンブリ一つ無くてもかまわねぇさ」
 鬼鮫はどうでも良いとばかりにそれを許す。
「ありがとう。じゃあ、洋子さん、このドンブリを明日‥‥」
 鬼鮫に礼を言ってシュラインは、洋子を伴って暖簾の外に出た。シュラインの説明に、洋子は何度か頷き、最後に屋台に残る皆に深々と頭を下げる。
「皆さん、ありがとうございます。明日も、よろしくお願いします」

「じゃあ、私も調べたい事が出来たし、明日の仕込みもあるから帰るわ」
 シュラインと洋子の姿を見送った後、藤田も屋台の席を立つ。小銭を料金分きっちりと置き、夜闇の中へと歩き出していった。
 そして‥‥残された三人の中、草間が呟く。
「なあ、俺はもう関係ないよな」
「最後までつきあえ。第一、関係ないのは私も一緒の筈だ」
 でも、どうせ付き合うのだ‥‥ササキビは、非常に不愉快な思いで言うのだった。


 そして、翌日の夜。
「医療事故‥‥ニュースになってたから、簡単に調べられたわ。麻酔医の投薬ミスで意識不明に。法的には完全に決着がついてるみたい。関係者は社会的な制裁を既に受けているし、病院は家族に賠償を行っている」
 営業を終えて帰り道を辿る鬼鮫の屋台と共に歩きながら、藤田はIO2のつてを使って調べてきた事を話していた。
「オカルト的なものじゃなくて、肉体の問題で覚醒できなくなっている事は確実ね。だから、肉体が癒えない限り、彼が目を覚ます事はないわ」
 つまり、ごく普通の植物状態。最悪ではないが、さして良くはない結論だった。
 これで、霊体への説得などで彼の目が覚める可能性は失われたのだ。後は、医療に頼るより他無い。
「何かがきっかけで魂だけが覚醒して、存在しない一階の病室でラーメンを買った。この事件でのオカルト的な部分は、ここね」
「存在しない一階の病室な‥‥都市伝説に同じのが有る。病院に担ぎ込まれた奴が、窓からラーメンを食う。後で、自分が二階以上の部屋にいて、ラーメンの受け渡しが出来るはずもないって気付く話だ。肝心なのは、ラーメン屋も普通の人間で、病室は一階にあったと言うって所だな」
 ぶらぶらと屋台の後ろを歩きながら、草間も何やら話していた。
「一階に部屋が移動したのは、患者の男と関係ない。他の何かの力だ」
「何かって何だよ。面倒くさい事をさせやがって」
 屋台を引きながら、鬼鮫は舌打ちしつつ聞く。だが、その答えは誰からも出てこない。
 答えのない事に溜息をついて、鬼鮫は言った。
「話はそろそろ終わりだ。病院裏の道に入るぞ」
 病院裏の道の前、シュラインと洋子が立っている。二人は軽く頭だけ下げて挨拶をすると、屋台の後ろについて歩き出した。
 事件当日夜の再現に努めた方が良いというササキビの意見をとり、洋子を前面には出さず、あの夜と同じ様に先頭は鬼鮫と屋台がつとめる。
 いつもと変わりない、暗い裏道。と‥‥洋子が足を止めた。

 一階の窓が開いている。そして、そこには一人の青年の姿が月の光に照らされてあった。
「‥‥ああ、ラーメン屋さん。待ってたんですよ?」
 にこやかに鬼鮫へ声をかけてくる相手は‥‥祐介だった。
「‥‥おう、兄ちゃん。ドンブリ、返してもらうぜ」
 鬼鮫は、一階の窓からドンブリを受け取る。祐介は、ドンブリを渡した後に、ポケットに手を入れて小銭を鬼鮫に渡した。
「ありがとうございました。美味しかったです。それじゃ、看護婦さんに見つかると拙いんで‥‥」
 祐介は、病室の闇の中へと帰ろうとする。
 シュラインはそれを見送りながら、同じようにその姿を見送っている洋子に気付いた。
「‥‥洋子さん行って!」
 トンっと‥‥シュラインは洋子の肩を押す。その押された勢いで洋子は路地を駆け抜け、存在しない病室の窓縁に縋り付く。
「祐介さん!」
「? ああ、洋子か。どうしたんだい?」
 祐介は、昨日会った人にまた出会ったみたいに気楽だ。対して、洋子が祐介の声を聞いたのは一年も前の事。二人の間には、深い時間の差があった。
「ゆう‥‥すけ‥‥さん」
「え? 何? 洋子、どうしたの?」
 洋子は涙を落とし続ける。対して、祐介は困惑した声を上げるのみ。
 どうしようもないその状況で‥‥そっと横手から、二人に向けて、湯気の立つドンブリが二つ差し出された。
「お二人とも、ゆっくり食べながらお話ししたらいいじゃない」
 にっこりと微笑みかけながら藤田は、ラーメンっぽいオカルト科学の産物を、洋子と祐介に手渡す。
「怖いおじさんはラーメンだって認めてくれないけど、味は保証付きよ。涙を止めてくれるわ。ああ、ドンブリは返さなくて良いからね。時間経つと自然消滅するから」
 そんな藤田を見ながら、鬼鮫が舌打ちする。それを見て、草間は小さく笑った。
「同じ事考えて、先を越されたか」
「うるせぇ。ドンブリ二つの回収に、探偵モドキをこき使ってやろうと思ったのが、当てが外れちまったぜ」
 鬼鮫は、最早用済みとばかりに屋台を牽いて歩き出した。
 恋人二人を邪魔する事も無いと、他の面々も一緒に歩き出す。
「しかし‥‥」
 ササキビが、返してもらったドンブリをいつの間にか手に持ち、手の中で転がしながら重い表情で言った。
「斬ったりぶっとばす事なら易いが‥‥離魂症を癒すとなると難しい。結局、一時の邂逅は与えられたものの、何の力にもなれなかったのかもしれないな」
「大丈夫じゃないかしら? 私の左目は妖怪の目で、不幸の兆しが見えるの。あの部屋に死相は見えなかったもの。きっと、回復するわ」
 藤田はそう言ってササキビの悲嘆を流す。
 シュラインは、希望を見いだした藤田の言葉に同意した。
「そうね‥‥今はダメだったけど、未来にはきっと。二人は幸せになれるわ」


 窓の外と、窓の内側。洋子と祐介はラーメンドンブリを片手に。
「暖かいくて美味しいな洋子。この‥‥ラーメン。なんか違うけど」
「そうね祐介さん‥‥凄く美味しい。このラーメン」
 窓の内と外と‥‥絶対的な隔たりがある祐介と洋子であったが、今は共に同じラーメンを啜り、同じ時を過ごしていた。
「私ね、絵の留学するの。ほら、昔‥‥夢だって話したじゃない?」
「そうか‥‥じゃあ、待ってるよ。洋子はもうたくさん待ったんだろ? じゃあ、今度は僕が待つ番だ」
 二人は共にラーメンを食べながら、過去と現在と‥‥そして未来について話し合う。
「君が帰ってくる頃までには絶対に起きあがって、空港で旗を持って出迎えるんだ。そのまま、結婚式場にまっすぐってのも良いかも。洋子はどう思う?」
「‥‥結婚式場は後で良いわ」
 夢見る様に話す祐介に、洋子は笑顔で言った。
「‥‥まずは今日みたいに、二人でラーメン食べに行こうね」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 年齢 / 性別 / 職業】
0086/シュライン・エマ/26歳/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
7061/藤田・あやこ/24歳/女性/IO2オカルティックサイエンティスト
1166/ササキビ・クミノ/13歳/女性/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。

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■         ライター通信          ■
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 前略 パソコンがぶち壊れました。
 だから今日は、パソコンぶち壊れ記念日