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「山神の宴」
■大晦日
寂れた片田舎にある山村といえば、老人や女子供ばかりが目立つということが常だが、
今だけはその例に当てはまらない。
村はいまや、生き返ったかのように活気を取り戻していた。
誰もが弾んだ調子で忙しなく動き回っている。
村人だけでなく、外部からも噂を聞きつけたカメラマンや旅行者などが徐々に集まりつつある。
その噂、というのが――山神の宴と呼ばれるものだった。
村は大晦日から正月三箇日にかけて、盛大な宴を催すのが古くからの慣わしである。
この村を護るように聳え立つ山の頂上には神社があり、その神社には、山神が住んでいると言い伝えられていた。
村人は宴を催すことで神に対する感謝の念を表すと共に、新年の挨拶に伺う。
普段は場所が場所であることもあり神社には参拝客も少ないが新年ともなると途端に賑わいを見せる。
寂れた神社以外に見るものも特にないこの村に人が集まる理由はといえば、いつしか生まれた噂――
“三箇日のうちに山神に巡り合えれば、何でも一つ願いが叶う”というものにある。
噂が噂を呼び、臨時の宿なども開店するほどだ。
年に一度の客人に、陽気で温厚な村人達は一様に歓迎を示してくれる。
まるで実家に帰ったような居心地の良さに、度々村を訪れては羽を休める者も多いらしい。
外からの客人、そして村人達はそれぞれ酒を持ち寄り、村人の用意したご馳走に舌鼓を打つ。
――宴は、大晦日の宵に始まった。
琥煤泉(くめ・いずみ)は蝋燭の炎だけが揺れる境内を眺めながら、遠くの喧騒を耳にしていた。
手には村人に手渡された徳利に、紐で結び付けられた枡がある。
空気はきんと冷え、背筋までも伸ばすようだった。
山頂にある神社を囲むようにある鎮守の森の奥が村人達の宴会場だ。
大抵は神社で参拝を済ませてから宴会場へ向かうのだが、今は宴もたけなわの頃合いとあって境内には泉だけだった。
入口には境内と俗界の境界を示す鳥居があり、社殿まで参道が通じる。
古びた建物だが荒れている様子はない。村人達が丁寧に掃除をしたのだろう。
「――いい月だ。悪くねえな」
拝殿の手前にある階段に腰を下ろして、泉は天を仰いだ。煌々と光る月のおかげで辺りは結構明るい。
この奥には本殿があり、ご神体はそこに安置されているはずだった。
宴会場の喧騒が嘘のように、社はしんと静まり返っている。
「あんたのための祝い事だっつーのに、寂しいもんだ」
拝殿へ向かう階段に腰を下ろし、誰にともなく呟くと泉は枡に酒を注いだ。
くいと一気に飲み干すと冷えた日本酒が喉を滑る。芳醇というよりは、草花のような爽やかさだ。
雪を飲んでいるような淡い白の濁り酒をひとしきり堪能する。
「折角の祝い事だ。俺からも奉納しとくか」
取り出したのは竜笛だった。
竹管に樺巻(かばまき)を施して作られたそれには、七個の指孔がある。
泉は慣れた仕草で構えて目を閉じる。
やがて、境内を染み入るような音色が包んでいった。
■山の中で
――同時刻。
「で!……なんでこんなことになってるんだ?」
こめかみを抑えて低く呟いたのは、黒澤一輝である。
じろりと横目で睨むと、隣にいた友人――仁薙隼人は誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべた。
「いや、ほら、何だ。……初日の出がキレイだって聞いて」
「それはもう分かった。俺が訊きたいのはそこじゃない」
冷たく遮られ、隼人は親友の瞳の奥にある静かな怒気に顔が引き攣るのを感じた。
「だから一度村へ寄ろうと言っただろう。地図もなしに山をうろつきやがって、こんなところで年を越すのは御免だぞ」
「いや、絶対こっちの方角だって!宴会は頂上でやるって言ってたしさ」
言いつつ、返す隼人の言葉にも覇気がない。
一輝は早足で歩みを進める隼人の背を睨みつけながら小さく嘆息した。
酒宴の噂を聞きつけ、どうせなら見事な初日の出を拝もうと勇んでやって来たのはいいが――
山に入って数時間。
日はとうに暮れ、年が変わるまではあと数時間と迫っていた。
てっきり道順を知っているものと思い込み、一輝が隼人に続いて歩くこと三時間。
隼人の「ごめん、迷ったかも」というふざけた一言を聞いたのは、今からちょうど一時間ほど前になる。
そう言えば、隼人は昔から詰めが甘いところがあるのだった。
今更責めても詮無いことだ。
出来るなら何も考えずに簡単に了承してしまった過去の自分を殴ってでも止めたい。
(それこそ考えても仕方のないことだな)
一輝は黙々と歩みを進めた。
一方。
(やべえ……殴られるかもなあ)
背に一輝の静かな怒気を背にひしひしと受けながら、隼人はせめて地図を持ってくれば良かったと後悔していた。
(こんなはずじゃなかったんだが)
一輝と共に初日の出を拝めれば最高だろうと思ったのだが――悔やんだところで後の祭りだ。
「おい」
「……ハイ」
「おまえの能力で帰れないのか?」
隼人の持つ空間歪曲能力を指した言葉だった。
「あ〜……、無理。ココが何処だかわかんねぇし」
「そうか」
一輝はそれきり黙ってしまった。
自分に非がある分、黙られてしまうと却って居た堪れない。
――それからどれほど経ったのか。
「おい」
「……」
「おい、……おい、隼人!」
「うお!?――あ、悪い」
一輝が肩を強く揺さぶると、隼人が僅かに身をびくつかせて振り返る。
「まったく、おまえの耳は飾りか?何度呼んだと思ってる」
「悪かったって、ちょっと考え事してて」
「無い脳味噌かき集めたところで無駄なものは無駄だ。それより、何か聞こえないか」
辛辣極まりない一言よりも、後半の言葉が気になった。隼人も一輝に従って耳を澄ませる。
「何だこれ……笛、か?」
高く澄んだ笛の音が夜の森を疾る。そう遠くはないようだった。
「宴会場が近いようだな。行くぞ」
「ああ」
一輝は言い捨てると、隼人を追い越して歩み始めた。
■宴もたけなわ
村人から旅行者まで、誰もが美酒に頬を紅潮させていた。
忙しなく料理を運ぶ村の女達も合間合間につまみを楽しんでいる。
どこからか笛の音も流れ、宴は更なる盛り上がりを見せていた。
「おおお、兄ちゃんいい飲みっぷりだねえ!」
「おら、飲め飲め!」
その中で村の男衆に混ざってやんややんやの喝采を受ける青年がいる。
ディノント・ハーディアスは、自身の顔ほどもある枡を一気に干すと楽しげに笑った。
更に日本酒を注がれるが嫌がる様子もなく、くいっと水であるかのようにあっさり飲み干してしまう。
「お前いい飲みっぷりだなあ!最近の若い奴は軟弱でいかんと思ってたが、悪くねえじゃねェか」
「おう、おれの若い頃そっくりだ!」
気の好い村人の言葉に、ディノントはにやりと意地悪く唇の端を歪ませる。
「うわ、じゃあ俺将来おっさんみたいになるってこと?勘弁して下さいよ」
「何だとー!」
眉を吊り上げた親父に、また笑いの渦が巻き起こる。
「そういやお前さん、山神様に挨拶したかあ?」
「ん?あー、そういやまだかも。あっちに神社あるんでしたっけ」
べろべろになった親父の言葉にディノントが軽く返すと、既に出来上がっている村人達が声を上げた。
「何だとーこの罰当たりめ!」
「そんなんじゃ願い叶えてもらえねえぞお!」
「願い?」
「おうよ!三箇日のうちに山神様に挨拶すっと、何でも願いが叶うんだ!」
「今年こそ挨拶すっぞー!」
「「おおー!」」
首を傾げるディノントに、妙な盛り上がりを見せる親父達。
「願いねえ」
挨拶すると意気込む割には誰も神社に向かう様子はなく、ディノントは小さく苦笑した。
そのまま何とはなしに茂みへと視線を走らせる――
「……ん?」
「どうしたよ、兄ちゃん」
村人の言葉に応えるように不意にがさがさと茂みが揺れた。
「おお!?何だ!?神様か!」
「いや、そんなわけないでしょ」
盛大な音と共に姿を現したのは、二人の男だった。
「こ、ここだ!助かったあああ!」
「……やれやれ、やっと着いたか」
突然現れたかと思いきや万歳をする男と、その背後で随分とやつれた顔をしている男――
二人の出現にビビる村の男共を尻目に「あらあらまあ!」と慌てて駆け寄ったのは村の女である。
「あんた達大丈夫かい!?無茶するねえ、案内もなしに来たの?ほら、これでも飲んで落ち着きなよ」
ディノントには知る術もないが、女に丁寧に礼を述べたのは一輝である。
「ああ、すみません。ありがとうございます」
「いやー、無事着いてよかった!やっぱ方角こっちで合ってただろ!?」
一輝は無言のまま背後に鋭く肘を突き出した。
見事に鳩尾に入ったのか、呻いてくの字に体を曲げる隼人には見向きもしない。
「うわー、痛そう」
「あの兄ちゃん……やるな」
「おっさん、さっきからそればっかり」
哀れな遭難者達に何となく同情の眼差しを向けてから、ディノントは立ち上がった。
「んー?どこ行くんだい、兄ちゃん」
「んー、やっぱ行っとこうかなーと思って。そういやまだ見てなかったし」
「初詣には早いぞー」
「今年最後のお参りにはちょうどいいでしょ」
背に宴の喧騒を受けながらディノントは立ち上がると、しっかりとした足取りで神社へと向かったのだった。
■竜笛
一曲、二曲と奏でていく度に心が洗われるような心地になる。
無心でただ竜笛を奏でるこの瞬間を、泉は気に入っていた。
――どれほどの時が経っただろうか。
「……っ!?」
いつのまにか脇に寄り添っていた気配に、泉は驚いて笛を操る手を止めていた。
気配に気付かなかったことなどここ最近久しくない。
そこにいたのは、見事な毛並みの山犬だった。
姿形は狼にも見える。体格は立派なもので、月光を受けて輝く毛並みは白銀に輝いていた。
「おい、脅かすんじゃねえよ……どっから来た?」
山犬は泉を一瞥すると、気持ち良さそうに体を丸める。
泉は笛を置き、枡の酒を空ける。
(――……。……まさかな)
一瞬過ぎった可能性を否定して泉はまじまじと山犬を観察した。
見れば見るほど美しい毛並みである。肉食獣の獰猛さはなく、妙に人懐こい山犬だ。
山犬は一度泉を見ると、視線を落とした。
その先には竜笛がある。
「何だ。気に入ったか」
問うと、山犬は応えるように緩く尾を振った。
「しょうがねえな……」
言いつつ、悪い気はしない。泉は再び竜笛を構えると、新たに一曲吟じ始めた。
*
再び旋律が流れ始めたのと同時に、ディノントは神社に辿り着いていた。
(ああ、あいつが吹いてたのか)
村人の誰かが場を盛り上げるために奏でていたのかと思っていたが違ったらしい。
一度笛の音が途切れたのを惜しく思っていたので、ディノントは思わず顔を綻ばせていた。
そのまま境内のほうへ歩み寄る。
笛を奏でている男と、寄り添うように白銀の山犬が拝殿の手前に腰を下ろしていた。
(……へえ)
ただの山犬には有り得ぬ神々しさを放つその存在に、自然とディノントの笑みが深まる。
笛を奏でる男はちらとディノントを見たが、すぐに目を伏せた。
山犬もまた一度目を開けてディノントを見た。起き上がり、じっとこちらを眺めている。
その眼差しに敵意はない。単純な好奇心。それにディノントは軽く片手を上げて応えた。
目の前まで辿りつくと同時にちょうど曲が終わり、男が笛を置く。
「悪いな。邪魔したか」
「……いや」
小さく首を横に振ると男――泉はもう一つあった枡に酒を注ぎ、ディノントへ差し出した。
「飲むだろう?」
「ああ、じゃあ遠慮なく」
山犬は体を伏せたが、視線はまだ突然現れた来訪者を見つめている。
ディノントは山犬の隣に腰を下ろすと、山犬を見て口を開いた。
「こんな時まで仕事なんて、大変だねぇ」
山犬は応じるように、ゆるりと一度尾を振る。
「……仕事?」
「そう。ああ、あんたのことじゃないよ」
怪訝そうにする泉に、ディノントは笑って答える。
泉は一度山犬に視線を落としたものの何もなかったかのように月を見上げた。
「まだ初詣には早いんじゃないか?」
「笛に誘われたんだよ。あんた、上手だね」
「別に……ただの趣味だ」
無言で突き出された徳利に、ありがたくディノントは枡を差し出す。既に空だった。
「琥煤泉だ」
「俺はディノント・ハーディアス。あんたも“願い”を叶えてもらいに?」
「願い?ああ――、そんな噂もあったな。……いらねぇよ、んなもん」
「へえ。何で」
「俺の願いは俺が叶える。神様もお人好しなことだな、そんな力持ってんなら自分のために使えばいいんじゃねぇの」
「確かに。そうかもな」
願いに関しては心底興味がなさそうな泉に、ディノントはちらりと山犬に視線を落とした。
山犬はじっと泉を見つめている。
「あんたは?願いを叶えてもらいに来たんじゃないのか」
泉の言葉に、ディノントは軽く肩を竦める。
「いや、別に。ただこの山には神様がいるって聞いたからさ」
試しに山犬に枡を差し出してみると、山犬は一度尾を振って立ち上がり、ちろちろと舐め始めた。
「やっぱ酒がないとなー」
「飲むのか……酒」
しばらく無言で二人は酒を呑んでいたが、しばらくして泉が立ち上がった。
一度逡巡してから山犬を撫でる。
山犬が気持ち良さそうに目を細めた。
「俺はもう戻る」
「お、そうか?じゃあなー!」
「ああ」
泉は空になった徳利を持つと、踵を返した。
そろそろ年が明ける。
■月を肴に
宴の喧騒から離れ、一輝はちびちびと枡の日本酒を楽しんでいた。
そろそろ年が明ける。
一層の盛り上がりを見せる宴会場の方角へ一瞬視線を走らせるが、再び天を仰ぐ。
「一輝、ここにいたのか」
静寂を打ち破ったのは既に耳慣れた声だ。
隼人は村人と楽しげにしていたから声をかけずに抜けてきていたのだが、思ったより早く気付かれたらしい。
「ああ」
隼人は大振りの徳利を手にしていた。
「飲むだろ?」
「ああ」
「その。今日は、悪かったな」
やけに神妙な調子で短く詫びると、隼人は酒を注ぐ。
「まったくだ」
「うっ……ごめん」
「もういい。おまえの馬鹿に付き合うのもたまには悪くないだろ」
一輝の言葉に、驚いたように隼人が目を瞠った。
「何だ」
「い、いや。別に」
酒の匂いが鼻腔を擽り、喉を潤していく。
月を肴に呑めるなどこの上ない贅沢だ。
「そ、そういや聞いたか?山神の噂」
「噂?」
「ああ。何でも、神サマに挨拶出来ると何でも願いを叶えてもらえるんだとよ」
手酌で酒を注ごうとする隼人を遮り、徳利を奪うと注いでやる。
「おまえは何か叶えて欲しい願いがあるのか」
「俺?俺は……特にないな。おまえとこうしてられるだけで充分だ」
「確かに、この酒は美味いしな」
「…………、そうだな。で、一輝は?何かないのか」
「俺か?……特別叶えたい願いはないな」
くいと一気に手の中の酒を飲み干すと、薄く笑んで一輝は続ける。
「いつものように仕事して、休日を取って、お前に振り回されて…まぁ、限度はあるが。
そんな日常だな、欲しいのは。目下の所は目的だった初日の出か……」
「ああ――、そうだな。俺も、欲しいのはそれだけだ」
隼人が噛み締めるように言う。
多分、俺は案外幸せなのかもしれないなとそんなことを思いながら、一輝は月を見上げた。
初日の出まではまだ長い。
■山神の宴
「さて、もう一騒ぎするか」
枡は既に空だった。直に年が明ける。
ディノントは立ち上がると、山犬へ視線を走らせた。
「楽しかったぜ。あんたも楽しめよ、せっかくの宴だ」
山犬は問うようにディノントを見つめている。
その視線に、ディノントはただ小さく笑んで首を振った。
「俺は“挨拶”してないぜ?挨拶しないとダメなんだろ?」
じゃあな、とひらりと手を振ってディノントは踵を返す。
足取りは軽かった。
山犬は去っていくその背を眺め、一度天を仰ぐ。
『良きかな、良きかな』
その呟きは空耳だったかもしれない。
ディノントは振り返らずに片手だけ上げると、宴会場へと向かった。
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◆登場人物
7023 / 琥煤泉 / 男性 / 18歳 / 高校生兼何でも屋
mr0772 / ディノント・ハーディアス / 男性 / 数えていない / 咎人
7315 / 仁薙隼人 / 男性 / 25歳 / 傭兵
7307 / 黒澤一輝 / 男性 / 23歳 / 請負人
◆ライター通信
初めまして、ライターの蒼牙大樹と申します。
この度は新年企画にご参加頂きましてありがとうございました。
仁薙様は二度目のご参加ですね。またお会い出来てとても嬉しいです。
せっかくの黒澤様とのご参加でしたので、しっとり二人きりになるように配慮致しました(笑)
いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
よろしければ、またお会い出来ることを心よりお待ちしております。
蒼牙大樹
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