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<東京怪談・PCゲームノベル>


もう一つの片割れ





 「わぁ」
 式野未織は幼い歓声を上げ、その場にしゃがみこんで両腕を開いた。「可愛いー! ね、おいで、こっちおいで」
 ちっちっと舌を鳴らしてみせる。しかしポチのほうはまさかそんな友愛の情を向けられるとは思っていなかったのだろう、金色の瞳を大きく見開いてずりずりと後ずさってしまう。
 「勘弁してやってくれ、お嬢ちゃん。こいつは人見知りなんだ」
 一輝は自分の脚の後ろに隠れてしまったポチの頭に手を置き、笑う。だが未織は小さく頬を膨らませた。何が不満なのかとでも言いたげに一輝は軽く首を傾ける。
 「“お嬢ちゃん”なんて、やめてください」
 「あ?」
 「ミオはもう十五歳です。立派な女子高生です」
 一輝は目をぱちくりさせた。どうやら未織の年齢をもっとずっと下に見ていたらしい。一輝は軽く苦笑し、「これはこれは失礼いたしました」と大袈裟な言い回しで肩をすくめてみせた。
 「じゃあ、お嬢さん。俺の頼みを聞いてくれるってことでいいのか?」
 こつん、こつんという靴音をさせながら一輝は未織に歩み寄った。着崩したスタイルではあるが、よくよく見ればスーツそのものは決して安物ではないし、黒光りする革靴も高級品であることは未織の目にも明らかであった。
 「けどな、無事に帰って来られるだなんて一言も言ってねえぞ。夢世界に持ち込めるのはおまえの意識だけ。体はこっちの世界に残していかなきゃならない。当然、長い間戻って来なければ体のほうが死んじまう。ま、あっちでは意識の力で体みたいなもんが作られるから生身の時と同じように行動はできるがな。それに――俺が開閉できるのは、こっちからあっちへの扉だけだ」
 未織はにこっと笑って肯いた。あまりにあどけなく、無邪気で、無防備な笑顔。己が普段滅多に接する機会のない表情に毒気を抜かれたのか、一輝はやや首を反らせて軽く目を開く。
 「それでも行ってみたいんです。見たい夢があるから」
 あまりにもけろりとした口調。まるで友達とおしゃべりでもしているかのような。躊躇や恐れといったものがまるで見当たらない。
 「……ま、こっちとしては願ってもねぇが」
 一輝はひとつ肩を揺すって乾いた笑いを漏らす。「大した度胸というか、何と言うか。こんな可愛いお嬢ちゃんがこうも素直に“行ってみたい”なんて言ってくれるとはね」
 「お嬢ちゃんじゃありません」
 「おっと。これまた失礼いたしました、お嬢様」
 一輝はおどけて腰を折ってみせた。その後で持ち上げてみせた左手には先程ちらりと見えた真鍮の鍵が握られている。
 部屋の壁一面にはいくつもの扉が埋められている。ざっと見渡しただけでも十はあるだろうか。重厚な材質に施された彫刻は意外にシンプルだ。高さは2メートルもなく、取り立てて変わった点はない。向こう側へと開くタイプの一枚扉で、ドアノブにあたる部分には錆びた金属製のリングが取り付けられている。元々は茶色だったのであろうが、全体に浮いた黒ずみがこの扉が経た年月の長さを物語っていた。
 立ち並ぶ扉はどれも同じデザインで、すべてが同じように見える。だが一輝は迷う様子も見せずに、部屋の入口のほぼ正面の部分の壁にある扉へと歩み寄る。その後をとことことついて行った未織だったが、途中でふと足を止めた。
 少し離れた場所に、ひとつだけ、違う扉がある。部屋の角にひっそりと身を寄せるように、他の扉たちから隔離されるようにして取りつけられた黒塗りの観音扉。高さも幅も他の扉より一回り以上小さい。これでは子供くらいしかくぐれないのではないだろうか。取っ手やノブもなく、扉というよりはただの板といった風情だ。それでもそれが扉だと分かったのは、本来ならばドアノブがあるべき場所に鍵穴らしき小さな穴が開いていたからだった。
 あの扉は何ですかと問う前に、未織の意識は一輝のほうに引き戻されていた。
 妙な空気が頬を撫でたのだ。温かいのか冷たいのかも分からない、かすかな空気の流れ。あるいはそれは風と言い換えてもいいのかも知れない。しかし、風と呼ぶにはあまりにも得体の知れない感触であった。あの扉の向こうから流れ出てきた空気だと直感した。
 一輝が手にした鍵は音もなく扉に吸い込まれていた。吸い込まれた、という形容がまさに適切だった。空気の中にでもすうっと入り込むのかのような静けさで鍵は扉に埋まり、そして回すこともなく引き抜かれる。鍵を引き抜く瞬間、一輝の手の中で淡い光が発せられた。
 扉は細く開いていた。かすかにのぞく隙間から、先ほど感じた嫌な空気が細く流れ出て来ている。扉の向こうが暗いのか明るいのかすらも判然としない。未織はきゅっと眉を寄せて向こう側の世界を凝視した。妖や魔の類が潜んでいる気配はなさそうだが、だからこそどこか薄気味悪い。そこに住む者によってではなく、その世界そのものが作り出す得体の知れない気配というものが確かにそこにあった。
 「いいかいお嬢さん、よく聞けよ。扉に触ると急に眠くなるが、儀式みたいなもんだから心配しなくていい。気がついた時には夢世界に立ってる。向こうの世界は大きなひとつの塔みたいなもんだ」
 「塔?」
 「気が付くと塔の最上階のフロアに立ってるはずだ。目の前に下りの階段があるから、そこを降りていけ」
 「一階じゃなくて最上階から入るんですね」
 首をひねりつつも未織は肯く。「じゃあ……後は、ミオがこの扉を開ければいいんですか?」
 「ああ。俺はただのゲートキーパー、門番さ。この先に進むかどうか、決めるのはおまえだ」
 未織は小さく肯いた。
 ためらいはなかった。未織には見たい夢がある。会いたい人たちがいるのだ。小さな手を伸ばしてむんずと扉の取っ手のリングを掴む。硬く、ひやりとした感触があった。
 同時に、ぐらりと視界が揺れた。
 「あ」
 不意に激しい睡魔に襲われ、未織の足がふらつく。意志とは関係なく瞼が重くなっていく。懸命に目を開こうとするが、どうやら無駄な抵抗であるらしい。これが一輝の言っていた“儀式のようなもの”なのか。リングを掴んだ手に力を込めたわけでもないのに扉は静かに向こう側へと開いていく。軋む音すら立てずに、滑るように。まるで、扉に手をかけた者を吸いこもうとでもするかのように。
 「――Have a good dream.」
 かすかに笑みを含んだ一輝の声が聞こえる。唇の端にやや皮肉っぽい表情を浮かべ、貴人に礼をするように右腕を胸の下で折った一輝の姿をわずかに視界の端にとらえ、未織は糸の切れたマリオネットのようにその場に昏倒していた。



 目を開けていることすら分からないような、薄暗い場所であった。
 不可思議な感覚だった。足の下が温かいのか冷たいのか、固いのか柔らかいのかすらも分からない。虚ろな薄闇の中に未織はぽつねんと立っていた。ただ、体を包む空気はぬるま湯のようで、何だかひどく心地良い。
 記憶は意外にはっきりしている。あの「扉」に手をかけた途端に急激に眠くなり、気が付くとここに立っていた。ここはすでに夢世界なのだろうか? 一輝も、ポチもいない。少なくとも、先程まで立っていたオフィス北浦の室内ではないことは確かだった。
 背後を振り返ってみる。ただ、薄い闇が広がっているだけだ。扉を開けてここに来たはずなのに、扉など影も形もない。
 (なぁんだ)
 目の前で手を開閉し、さらに自分の着衣がオフィス北浦にいた時と全く変わっていないことを確認して未織は多少拍子抜けした。
 (現実世界にいた時と何も変わらない)
 右手で左腕をつねってみる。指に感じる皮膚の感触も、腕に感じる痛みも現実世界のそれと全く同じだ。
 「さて、と。鍵を探さなきゃ」
 と声に出して呟いた頃にはどうにか闇に目が慣れ始めていた。真っ暗なわけではないのに、ごく薄いベールが幾重にもかかっているかのように視界が悪い。
 未織が立っているのは建物の中であるようだ。伸ばした手に壁のような物が触れる。煉瓦のような規則的な模様が見てとれた。一輝が言っていた通り、ここがすでに“塔”の中なのだろう。ぐるりと視線をめぐらしてみると、どうやらこの場所がだだっ広い円形の空間であるらしいことが認識できた。
 そして、正面には下りの階段が伸びている。
 他の場所に繋がっていそうなものは階段以外には何もない。一輝の言葉に従ってこの階段を降りるしかなさそうだ。一段目に足を下ろすとやはり得体の知れない妙な感覚があったし、足音もしなかったが、それだけだった。地に足がついているという感触だけは確かにある。思ったより普通なんだ、と未織はまた拍子抜けした。
 とん、とんと何気ない足取りで階段を下りながら辺りを見回す。両側には相変わらず煉瓦造りのような壁が続いている。階段の先には踊り場や扉のようなものは見当たらない。下へ下へと階段が螺旋を巻いているだけだ。ずいぶん殺風景な世界である。夢の世界だというのなら、もっと明るい、おとぎ話のようなパステルカラーの世界でもよさそうなものだが。
 未織はふと足を止めた。かすかに音が聞こえてくる。何だろう。物音や人の声とは違う。楽器の類だ。首をかしげて耳を澄ませる。これは――オルゴール?
 途切れ途切れに聞こえてくる音色はひどく緩慢だ。たとえるならば、ネジが切れる寸前のオルゴールのような。曲名は分らないが、そのゆっくりとしたテンポと素朴な単音はひどく心地よい。この空間を満たす人肌程度の室温と相まって、未織の鼻の奥が急にツンとする。
 昔、ごくごく幼い頃に感じたもの。人間ならば誰でも、一度は感じたことのある安楽さ。
 まるで――ベビーベッドの中のような心地良さだった。
 自分を囲むたくさんのおもちゃと、そしてあたたかい家族。体に感じる人肌の空気はまるで母親の腕に抱かれているかのようで、心地よい眠気を誘う。これが自分の望みと関係あるのだろうか。それとも、この世界独特の雰囲気なのか?
 (あったかい)
 未織はまどろみかけていた。半ば寝ぼけるようにして宙にそっと腕を這わせる。体を包み込む生ぬるい空気を抱き寄せるかのように。だが人肌のぬくもりは形にはならず、音もなく未織の腕を撫でては逃げていく。
 遠いわけではない。むしろそばにある。だが、一定距離以上はどうしても近付けない。
 まるで未織の周りの人間のようだ。
 (……あ)
 じわり。
 込み上げてきた何かを慌てて拭う。ぐす、と鼻がかすかに音を立てた。未織はその音が聞こえたことを否定するように小刻みに幾度も首を横に振り、階段を降りていく。
 大丈夫。大丈夫だ。泣いたりなどしない。慣れているのだから。
 ……でも、時たまつらくなることもある。こんな時にあの人たちがいてくれらたと思うこともある。ただそれだけだ。
 と――こわばったように未織の足が止まった。大粒の瞳が落ち着かなく動く。不意に耳に届いた凶悪な唸り声が空耳であればいいと願いながら。
 しかしそのささやかな期待は無情にも裏切られた。靄がかかった薄闇の向こうから黒い影が姿を現す。大型の野良犬だった。いや、野犬と呼んだほうが適切であろう。むき出された牙と低い唸り声。気がたかぶっていることが容易に見て取れるその様子は、いくら動物好きの未織でも恐怖心を抱くに充分すぎる姿であった。この犬を避けて通るだけの幅はこの場所にはない。かと言って、背を向けて逃げれば追って来るであろう。
 小さな体がその場に凍りつき、震える瞳の縁に涙が盛り上がる。
 いけない。
 手が――
 あるいは、わずかに悲鳴のようなものを上げかけたのかも知れない。しかしその声は野犬の悲鳴と衝撃音によってかき消されていた。
 (ああ――)
 傷を負わされて一目散に逃げる野犬の姿と、自らの手から出現した水の刀を見比べて未織の瞳が激しく揺れる。まただ。またやってしまった。犬を殺さなかったことがせめてもの救いだろうか。
 「どいて! お願い、どいて!」
 悲痛な叫びとともに未織の体が引きずられ始める。自らの意志とは関係なく現れた水の刀によって。いつの間にそこにいたのであろうか、薄靄の中に一人、また一人と人影が現れるのが見てとれた。
 見ろよあれ――
 何かしら、気味が悪い――
 人間か、あの子――
 耳に届くのはさわさわとしたざわめき。向けられるのは奇異の視線。軽蔑や悪意が満ちているようにすら感じられる。未織はぎゅっと目を閉じ、聞こえないふりをした。懸命に気付かないふりをした。そうするしかなかった。この刀の出現と消滅は未織自身にはコントロールできない。未織の身に危険が迫れば勝手に現れ、未織の体を引きずりながら危難が去るまでふるわれ続けるのだ。
 その時。
 「待てって!」
 突如、少年のものとおぼしき声が響いた。同時に後ろから肩を掴まれ、がくんと体が傾く。あ、と叫ぶ間もなく、バランスを失った未織の体は後ろに倒れ――
 だが、未織の背中は背後に立った何者かによってしっかりと受け止められていた。着衣を通して感じる人肌の温かさに未織は大きく目を見開き、振り返る。
 「またやったのか。しょうがないな」
 小柄な体を受け止めた少年は苦笑しつつも未織の体についた砂埃を丁寧に手で払ってやる。その後で彼の後ろから「大丈夫か?」と人なつっこい笑みを浮かべ、別の少年が顔をのぞかせたのであった。



 恐怖と悲しみに満ちた顔にぱっと笑みが咲く。生まれてすぐに死んでしまった彼らの姿や声を知っていたわけではない。だがすぐに分かった。同じ血を分けた者どうしなのだから。
 「お兄ちゃん!」
 「おっと」
 戸惑いつつも、上の兄によく似た少年は抱きついてきた未織を受け止める。脇から拳で未織の頭を小突くもう一人の少年は下の兄の姿をしていた。未織を引きずっていた刀はきれいに消えている。気が付けば辺りを覆っていた薄闇はすっかり晴れ、未織が暮らす街の景色が広がっていた。下へ下へと続いていた階段も、煉瓦のような模様をした壁も、天井すらも消え失せてしまったようだ。しかしそんなことなど気にならないほど未織の心は浮き立っている。
 「早く帰ろうぜ。腹減ったよ」
 「うん」
 促されて歩き出しながら、未織は改めて二人の顔を順々に見た。現在一人っ子の未織には生まれてすぐに亡くなった兄が二人いる。兄たちがいる生活をしてみたい。それが未織の望みであった。お兄ちゃんたちはどんな顔してたんだろう、あんなかな、それともこんなかな……。これまでにそんなことを幾度も夢想したが、二人の少年は想像通りの顔をしている。これもこの世界の力が成せるわざなのであろうか。
 年長の少年の手が降りて来てツインテールにした髪の毛を撫でつけ、優しく梳く。刀に引きずられて疾駆する間に髪型がすっかり乱れてしまったらしい。上から頭を撫でる手の大きさと温かさに幼い顔がほころび、同時に、張り詰めていた何かがふっと切れた。
 「どした?」
 下の兄の顔をした少年が怪訝そうに未織の顔を覗き込んだ。頭を撫でられながら、未織は服の裾をぎゅっとつかんだままうつむいてしまっている。
 特異な能力を持つ未織は常に周囲の奇異の視線にさらされ続けてきた。同級生にいじめられ、祖母にすら嫌われ、それでも優しい未織は両親に心配をかけたくなかったから、父母の前では努めて明るく振る舞った。張り裂けそうなほどの悲しみや苦しみを小さな胸に懸命にしまい込んで。
 だが、水は注ぎ続ければいつか必ずコップから溢れる。
 家の外では冷たい視線を受け、学校ではいじめられて、両親にも何も言えないのなら、未織はどこで泣けば良いのだろう?
 「おい、ミオ」
 「なんだよ急に?」
 嬉しさと安堵がごちゃ混ぜになって、未織はぽろぽろと涙をこぼしていた。その脇で二人の少年はおろおろとするしかない。「何でもないの」と懸命にかぶりを振ってみせるが、それでも涙は止まらない。これまで一生懸命こらえていた何かが一気に堰を切り、小さな喉から幼い嗚咽が漏れてしまう。
 華奢な体に溜め込んできた弱音や泣きごと。誰にも言えず、言ってはいけないと懸命に我慢していた諸々のもの。だが兄になら言える。兄ならば聞いてくれるし、きっと受け止めてくれる。奇異の視線を受けながら不気味な刀に引きずられていた未織を、まるでちょっとしたいたずらをした子供をたしなめるように「またやったのか」といとも簡単に抱き止めてくれたこの兄ならば。
 「そっか、つらかったよな。慣れれば平気ってもんでもないもんな」
 全身にしみわたるような優しい声。年上の少年が膝を折って未織の肩を抱く。下の兄に似た少年のほうは無関心を装ってそっぽを向いているが、その割には心配そうな視線をしきりに未織に送るのだった。
 「あー……いいよ、別に。泣きたい時は思いっきり泣け」
 そして、彼はぐしゃぐしゃと未織の頭を撫でた。ややぶっきらぼうな声色としぐさであったが、それが却ってあたたかみを感じさせるから不思議だ。
 「その代わり、泣いた後はその分笑え。泣き顔ばっかり見るのもつらい」
 「……うん」
 涙と埃で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、未織は笑った。
 


 オフィスの床に倒れた未織の頭の下には安物のクッションが入れられている。一輝はコーヒーのカップを片手に、デスクの上のクロックをちらりと見やった。未織が夢世界に入ってからすでに三時間近くが経過している。
 ポチは横たわった未織の周りを幾度も往復していた。のそのそと歩いては止まり、止まってはまた歩き。じっと未織の寝顔を覗き込み、時折いたわるようにその頬を舐めてやる。
 「どんな夢を見てるのかねえ」
 一輝もポチのそばにしゃがみ込み、誰にともなく呟く。門番である一輝は夢世界には干渉できないし、夢世界で起こっていることも把握できない。だが、未織の穏やかな寝顔を見れば彼女が幸せな夢の中にいるであろうことは容易に推察できる。
 「ん? いい夢を見るのは構わねえだろうさ」
 じっと見上げる金色の瞳に気付き、一輝は乾いた笑いを浮かべてポチの喉をさすってやる。「現実では叶えられない望みを夢で味わってみたいと願うだけならな」
 ポチは逆三角形の鼻をつんと天井に向けたまま気持ち良さそうに目を閉じた。その傍らで、未織は規則的な寝息とともに静かに眠り続けている。



 この世界は案外精巧にできているらしい。街並みばかりか、現実世界で実際に未織が暮らしている家まで忠実に再現されていた。兄に似た二人とともに帰宅した未織を出迎えるのは父母の顔をした男女。夢の産物と呼ぶにはあまりにもリアルな世界設定である。両親に似た二人はいつもの笑顔で未織と少年二人を出迎え、いつものように家族で晩の食卓を囲んだ。何もかもが未織が住む世界の通りだった。
 ただ――ひとつだけ違うのは、二人の少年の存在である。未織は時折箸を持つ手を止め、両脇を挟むようにして座っている二人の顔を横目でちらりと見るのだった。二人はごく自然に食卓に加わり、両親の顔をした二人も彼らを当たり前の存在として受け入れている。まるで最初から家族の一員であったかのように。この世界では彼らはまぎれもなく未織の兄なのだ。この世界では、未織には間違いなく二人の兄がいる。その事実が嬉しくて、未織は珍しくごはんをおかわりしてしまった。もちろんお年頃の女の子なので、おかわりといっても控え目にであるが。
 「ごちそうさま」
 お行儀よく箸を置いた未織は食器を持って立ち上がる。母親の顔をした女性の後について家族の食器を下げ、彼女の隣に立って洗い物を手伝った。
 「ミオ、もうすぐ期末試験だっけ?」
 「うん。頑張るよ。今夜は数学の勉強するの」
 「あんまり遅くまで頑張りすぎないようにね。今日はどうだった? 学校」
 「あのね、授業中に英語の先生がね……」
 母親似の女性がスポンジに洗剤をつけて洗った食器を未織がすすいでいく。その手際良い流れ作業の間に挟まれる会話は他愛なく、あたたかだ。未織は平素通り人なつっこい笑顔を浮かべながら軽快な口調で今日の出来事を語るが、見る者が見れば気付いたであろう。未織が懸命に明るさを装おうと努めていることに。
 「手伝うよ」
 「俺も」
 それに気付いたのかどうか、兄の姿をした少年二人が未織の傍らに立った。長兄の顔をした少年が食器を拭き、次兄に似た少年がそれを食器棚に片付けていく。未織が「ありがとう」と礼を言うと、長兄似の少年は黙って笑んでみせ、次兄似の少年のほうは未織の頭にこつんと軽く拳を落とした。「あんまり無理するな」とでも言うかのように。
 食器の片付けが終わると早々に入浴を済ませた。その後で上の兄の顔をした少年の部屋を訪ねてみる。部屋には下の兄の姿をした少年も来ていて、二人揃ってテレビゲームに興じていたところらしい。
 「お。どしたミオ?」
 未織の来訪に気付いて振り返った次兄似の少年。長兄似の少年はその隙を逃さなかった。対戦型のゲームをしていたのであろうか、爆発音を模した効果音がテレビから発せられ、年下の少年は「ぐあっ」と悲鳴をあげてコントローラーを手放した。どうやら未織に気を取られたせいで負けてしまったようだ。
 「ひっでーよ兄ちゃん、卑怯すぎだろ今の!」
 「ご、ごめんね、お兄ちゃん」
 「ん? ミオが謝ることじゃないだろ。どうした? 勉強か?」
 半身を乗り出して抗議する年下の少年を無視し、年上の少年は未織を振り返って手招きする。ブーイングをさらりとかわされた次兄似の少年は地団駄を踏むが、長兄似の少年は涼しい顔だ。
 「あのね、ちょっと分からないところがあって」
 と未織がためらいがちに差し出したのは言い訳のように自室から持ち出してきた数学のノートと問題集であった。試験勉強をしていたが、分からないので兄に教えてほしいところがある。兄の部屋を訪れる口実としてはごくごく自然であろう。長兄似の少年も違和感は抱かなかったらしく、「どれ」と言って問題集を受け取る。次兄の姿をした少年はぶつくさ言いながら部屋から出て行ってしまった。
 「分からないところって、どこだ?」
 「んとね、ここの……」
 ベッド脇の丸テーブルに並んで座り、兄と妹は肩を寄せ合って教科書を覗き込む。ふんふんと肯きながら未織の話を聞いていた少年は、「貸してみろ」と未織の手からシャープペンを取った。
 「いいか? ほら、これが……」
 少年はノートの上に滑らかに数字を書き込む手を時々手を止め、すんなり理解しているかどうか確かめるように未織の顔を覗き込みながら丁寧に説明をしてくれる。未織は正座した膝の上にお行儀よく手を乗せていちいち肯いていたが、時折目を上げて少年の顔を見ては嬉しそうに、しかしどこか面映ゆそうに笑うのであった。
 「じゃーん」
 そこへ、足で勢いよくドアを開けて下の兄の顔をした少年が入ってきた。こじゃれたカフェのウエイターがするような格好でシルバーのトレイを片方の掌の上に乗せている。トレイに乗ったティーカップとフィナンシェに気付いて未織は目を輝かせた。
 「店のだろ、それ」
 だが、年上の少年はちょっと顔をしかめてみせた。フィナンシェの個包装に未織の家が営んでいるケーキ店の名前が印刷されていることに気付いたのであろう。ケーキ店のレジの脇にはえてしてこういった焼き菓子の類が並べられているものだ。だが年下の少年は気に留める様子もなく、「いいから、いいから」などと言いながらわざとうやうやしいしぐさで紅茶のカップを並べていく。
 勉強会とは名ばかりのお茶会は深更まで続いた。風邪を引かないようにパジャマの上にあたたかいカーディガンを羽織り、兄の枕を抱きかかえながら未織はおしゃべりに興じた。楽しかったこと、嬉しかったこと、そして、悲しかったこと、つらかったこと……。二人の少年はそのひとつひとつに相槌を打ち、笑い、憤り、悲しんだ。つらいよな、と言って上の兄の顔をした少年が未織の頭を撫でれば、下の兄の姿をした少年は、許せねぇな、と吐き捨てる。時には「そんな奴、俺がぶん殴ってやる」と大袈裟に拳を振ってみせることすらあった。シリアスな話には似合わぬそのおどけたようなしぐさが却って場の雰囲気を和らげてくれて、未織はまた泣き顔のまま笑った。
 こうやって聞いてくれることが、何よりも嬉しい。この二人は未織をすべて受け入れてくれる。遠慮する必要などないのだ。
 この二人とずっと一緒に暮らせたら。
 悲しみやつらさを彼らと共有できたら、どんなに良いだろう。
 「おまえは頑張り屋だからな」
 長兄似の兄の手が伸びて来て未織の頭を抱く。あ、と思った時には、未織の体はあっさりと少年の腕の中に抱きかかえられていた。相手にも照れがあったのであろう、抱擁というほどのものではなく、片手で肩をちょっと抱き寄せるようなごくごく軽いしぐさであったが。
 しかし、温かな感触であった。未織はパジャマの上にカーディガンまで着用しているというのに、少年の体温がこうもしっかりと伝わってくるのはどういうわけか。
 「父さんや母さんには言えないんだろ? 心配させたくないから」
 そして、温もりにも劣らぬほどあたたかい言葉。顔を上げれば目に入るのは二人の優しい笑顔。やはりこの二人は分かってくれているのだ。懸命に引き結んでいた小さな唇がほつれ、未織はそれを隠すように年上の少年の胸に顔を押し付けた。
 「なあ」
 次兄の姿をした少年も未織のそばに座り、軽く肩を叩く。「気持ちは分かるけどさ。俺たちの前では我慢しなくていいよ。じゃなきゃどっかで壊れちまうぞ?」
 未織は答えない。ただ肯くだけだ。少しでも口を開けば、また涙が溢れてしまいそうだった。
 「だから、ミオ。ずっと」
 「ずっとここで、俺たちと一緒に暮らそう。な?」
 長兄似の少年が口を開き、その後を引き継ぐように次兄似の少年が言った。
 年上の少年の腕の中で、未織の目が決定的に揺らめいた。
 ……もし自分の人生に、この二人がいてくれたなら。
 この世界に来て、未織は幾度も幾度もそう思った。だがそれはあくまでもしもの話。英語教諭が言っていた。ifを使った構文は希望や仮定を表す場合に使います。特に、現実とは反する望みを述べる場合は動詞の時制も変わるので注意しましょうね。この例文は暗記してしまいましょう、“私が鳥だったらよかったのに”、ハイ、I wish if I were a bird……。
 (I wish if……)
 覚え立ての例文に単語をあてはめ、今の自分の気持ちを内心で呟いてみる。きちんと動詞の時制も変えて。なぜなら、未織のこの望みは自身が鳥に生まれ変わるのと同じくらい不可能なことなのだから。
 だけど。
 もう少しだけ。
 あと十秒だけ。
 十秒だけならいいよね、と懸命に自分に言い聞かせ、未織は長兄似の少年の服をぎゅっと握り締めて目を閉じる。
 「どうした?」
 怪訝そうな声が頭上から降ってくる。未織は殊更にゆっくり十秒数えた後でそっと彼の腕をほどき、顔を上げた。
 「ミオだって、できればずっと一緒にいたいよ」
 未織の声は震えていた。しかし、大きな瞳は揺らめきながらもしっかりと二人の少年を見つめている。「でも、駄目なの」
 現実に戻れば兄たちはいない。両親や友達の前では明るい未織でいなくてはならないし、弱音を吐ける相手もいない。
 「つらいよ。誰にも何も言えないのは。ミオが甘えられるのはお兄ちゃんたちだけだもん」
 「なら、ここで――」
 「でも」
 未織にしては珍しく、やや大きな声であった。はっきりとした口調で少年の言葉を遮って未織は小さく首を横に振る。
 「……コレは、夢なの。お兄ちゃん達は、ずっと前に亡くなってしまったの」
 二人は何も言わなかった。小さな唇が何者にもいかんともしがたい事実を紡ぐのを、ただ黙って見守っているようであった。
 「ミオは北浦さんっていう人に頼まれてココに来たの。“鍵”を探して欲しいって言われて。だから、“鍵”を見つけたら帰らなきゃいけないの」
 柔らかな青い色の瞳の縁に涙が盛り上がり、音もなく堰を切って、あふれた。「……たとえ夢でも、お兄ちゃんたちに会えて嬉しかった」
 そして、未織はみたび泣き顔のまま笑った。
 沈黙が下りる。
 先程まで未織に対する慈愛と思いやりに満ちていた二人の少年の顔は、今は能面のように白くこわばってしまっている。未織は唇を噛んでうつむいた。これは夢だ。夢なのだ。彼らと一緒にはいられないのだと、何度も胸の中で繰り返しながら。
 「――そうか」
 やがて口を開いたのはどちらの少年であっただろう。「分かった」
 二人の姿が未織の目の前からすっと遠のく。同時に何もかもが消え失せていた。部屋も、テーブルの上に広げたお茶とお菓子も、問題集やノートも。代わりに、周囲にはいつの間にか濃い靄が立ち込めている。初めてこの世界に来た時と同じように、得体の知れない薄闇が形成されつつあった。あ、と声をかけた時には二人の少年の姿は濃い靄に隠れ、おぼろげなシルエットしか見えなくなっていた。
 <ありがとう>
 そして、全く別の声が遠くから響いてくるように聞こえてきた。耳朶を打つその声は成人男性のものであったが、どこかで聞いたことがあるような気がする。いや、正確には“以前どこかで聞いた誰かの声に似ている”と言ったほうが適切か。しかし、どこの誰かに似ているのかは思い出せない。
 <よくおっしゃってくれました。あなたが帰るべき場所は現実世界。この世界じゃありません>
 「あの……どなたですか?」
 いるともいないとも分からぬ声の主に向かっておずおずと未織は問う。相手の姿が見えないのはこの靄のせいなのであろうか? だが、相手がかすかに笑う気配が感じられた。
 <あなたに僕の願いを託します。これは僕の賭け……あちらの世界に、伝えてください>
 「えっと……」
 ミオにも分かるように言ってください、と言いかけた時であった。
 足元に靄が這い寄り始めた。一層濃く、重い靄であった。靄は音もなく這い上がり、未織の脚を、腰を、腕を、あっという間に埋めていく。振り払っても振り払っても靄は晴れない。危険なものではなさそうだが、靄に包まれていくにつれてひどく眠くなるのはどういうわけか。意志に反して瞼がどんどん重くなり、全身から力が抜けていく。
 「ちょっと……待っ、てください」
 既にろれつが回っていない。懸命に目をこすりながら未織は抗うように低く呻く。
 「鍵……鍵を探さなきゃいけないんです。北浦さんに頼まれた……こっちからあっちに戻るための……」
 <大丈夫です。鍵は既にあなたの中にある>
 声の主である男はそっと微笑んだらしかった。その言葉の意味を問うことも声の主を確かめることもできず、未織は崩れるようにその場に倒れ込んだ。



 何かが頭をつつく感触で徐々に意識が戻っていく。背中の下には固く冷たい感触があった。次に、頬の辺りを往復するざらざらとした感触。紙やすりでも当てられているかのようだ。だが紙やすりにしては変に生温かい。ゆっくりと目を開くと、ポチの顔が目の前にあった。
 「あっ、猫ちゃん!」
 「フギャッ」
 すんでのところで未織の抱擁から逃れ、ポチは不細工な悲鳴とともにのそのそと逃げていく。だが、一輝の後ろに隠れて注意深く未織の様子をうかがう金色の瞳には拒絶の色は見当たらない。顔に似合わず照れ屋なのであろうか。
 「よぉ」
 ポチを抱き上げて、一輝が慎霰の前にしゃがみ込む。「いい夢見られたかい?」
 にやり、とした笑い方。何もかも見透かされているような底意地の悪い表情だが、未織には伝わらなかったようだ。未織は元気よく「はい」と答え、ぴょこんと起き上がった。
 デスクの上に置いてある日付表示付きのクロックを見やると、このオフィスを訪れてから半日ほどしか経っていないことが分かった。軽く腕を振り、体を動かしてみる。体のどこにも異常はない――と思ったのだが。
 「あれ?」
 胸の辺りがぼんやりと光っていることに気付いて素っ頓狂な声を上げる。服の下に手を入れて探ってみるが、自分の体の感触があるだけだ。痛くもかゆくも、熱くも冷たくもない。もちろん傷などもついていない。ただ光っているだけのようだ。
 「でかした」
 一輝はかすかに唇の端を持ち上げ、未織の胸の前に左手をかざした。
 光が強くなったようだ。暖色系の、白熱電球の明かりのような色の光。輝きを増した光は静かに未織の胸の上を離れ、掌に乗るほどの小さな球体を形作り、やがて――その中に、持ち手が三つ葉のクローバーの形をした鍵が現れた。
 ポチの瞳孔が大きく見開かれる。光が消えると一輝の手の中に音もなく鍵が落ちた。一輝が所持している「表の鍵」と同じデザインのものである。「表の鍵」は茶色に近い錆びた金色をしているが、こちらはくすんだ銀色であった。
 「裏の鍵、だ」
 銀色の鍵を未織の鼻先に差し出し、一輝はにやりと笑ってみせる。「さて、ここからが本番」
 チェーンから「表の鍵」を外して、「裏の鍵」と一緒に手の上に並べてみせる。その後で、タネもしかけもないことをアピールするマジシャンのように手を開いて未織の前に示した。
 一輝の手がぎゅっと握られる。閉じた指の間から細い光の筋が漏れた。そして開いた手の中からは、持ち手が四つ葉のクローバーの形をした金色に光り輝く一本の鍵が現れた。未織はぽかんとして一輝の顔と鍵を交互に見比べた。
 「これが“鍵”の本当の姿さ」
 一輝は金色の鍵をスラックスにつけたチェーンに取り付け、言った。「表の鍵と裏の鍵は二本でひとつ……一体のものなんだ。助かったぜ、感謝してる」
 「あの。ミオ、鍵なんか持って帰って来てません。なんか急に眠くなって、それで気が付いたらここに戻って来てて――」
 「質問に何て答えた?」
 「え?」
 「聞かれただろ? このままずっと夢世界にいたいか、みたいなこと」
 「あ、あれ……駄目って答えました。これはあくまで夢だから、って」
 「正解。よくできました、お嬢さん」
 一輝は軽い拍手とともに半分おどけて言った。幼稚園児をほめる優しい先生のような言い方で。小馬鹿にされたような気がしないでもないが、未織が不思議そうに首をかしげている間に一輝が言葉を継いでいた。
 「それが夢から現実へ戻ってくるための“裏の鍵”だ」
 一輝は拳の背で己の胸をとんと叩いてみせた。「俺が持ってる鍵はゲートキーパーが扱いやすいように具現化されたただの器。本当の鍵はお嬢さんのここにある」
 言わんとすることが分からずに、未織はきゅっと眉を寄せて一輝を見上げる。一輝は「だから」と笑って続けた。
 「夢はあくまで夢。帰るべき場所は現実。人の“現実世界に帰ろう”っていう意志こそが、こっちへ戻ってくるための鍵ってことさ」
 「……あ」
 こちらの世界に戻ってくる直前に聞こえたあの男の声が脳裏に蘇る。“鍵は既にあなたの中にある”。あの言葉の意味が、やっと分かった。
 「あ、でも」
 しかしその後ですぐに別の疑問が生まれ、未織はツインテールの髪の毛をくるんと揺らして一輝を振り返る。門番である一輝自身は夢の中に入ることができない、だから代わりに未織を行かせた。それはよしとしよう。だが、“鍵”となる答えが分かっているのなら、なぜ最初にそれを教えてくれないのか? 単純な二者択一とはいえ、もし答えを誤っていたらこちらに戻って来られたかどうか分からないというのに。
 未織が考えていることを察したのか、一輝はひょいと肩をすくめてみせた。
 「俺が答えを教えたら意味がねえんだ。あの質問の答えは、おまえが自分で考えて出した答えじゃないと駄目なんだよ」
 分かったような、分からないような。理由になっているような、なっていないような。煙に巻くようなひどく中途半端な答えであったが、未織はにこっと微笑んだ。気にする必要はない。こうやって無事に戻って来られたのだから。
 「どうもありがとうございました」
 そして未織は一輝にぺこりと頭を下げた。一輝は「ん?」と眉を持ち上げて怪訝そうに未織を見下ろす。
 「夢、とっても楽しかったです。だからこれ、食べてください。猫ちゃんにもあげてくださいね」
 と未織がバッグをごそごそ探って差し出したのはセロファンに包まれた小さなクッキーであった。
 「ん……あぁ、まぁ、楽しんでもらえたなら何よりだが」
 一輝の返事はひどく曖昧であった。純真な笑顔と言葉に面喰らったらしい。小柄な未織は目一杯背伸びして一輝の手の中にクッキーを置き、もう一度ぴょこんと頭を下げて立ち去った。
 外に出ると容赦なく寒風が吹きつけ、未織は思わずきゅっと首をすぼめる。乾いた風が急速に頭と体を冷やしていくが、心だけはじんわりと温かいままであった。
 またいつもの日常に戻らなければならない。戻ったら、明るい未織でいなければいけない。
 だが、それでもいいと今は思える。
 支えになるものは、この胸の中にちゃんとあるのだから。
 (お兄ちゃん。見守っててね、ミオのこと)
 ほんの刹那、祈るように胸の前で両手を組み合わせた後で、未織は冷たい風の中に飛び出した。 (了)
 

 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 7321/式野・未織(しきの・みおり)/女性/15歳/高校生



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■         ライター通信          ■
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式野未織様



お初にお目にかかります、宮本ぽちと申す者です。
ご注文、まことにありがとうございました。
期限ぎりぎりのお届けになってしまい、申し訳ありません。

果たして、いかがでしたでしょうか……。
ライターなりに解釈しながら書かせて頂いた部分もあり……イメージから逸脱せずにえがけていると良いのですが。
ただ、お兄様二人に関してはライターが勝手に設定を推測するわけにもいかないので、年齢・容姿・性格等はわざとぼかして描写させていただきました。

それでは、ご注文重ねてありがとうございました。
お気に召してくださることを祈るばかりです。
またいつかお会いできる機会に恵まれれば幸いでございます。



宮本ぽち 拝