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<東京怪談ノベル(シングル)>


りんどう



 冬休みも終わりに近づいたある日のこと。
 洗濯物を干し終わって、冷えた掌に息をフーッと吹きかけてから、あたしはぼんやりと空を眺めた。
 まるでしゃぼんだまの膜のような薄い青色とは対照的に、気温は昨日よりもずっと低い。
(雨が降らないだけ、良いのかなあ)
 それにしても、とあたしは背伸びをした。
 時間が有り余っているのって、こんなに退屈だったっけ。
 お父さんもお母さんもお仕事で海外に行ってしまったし、お姉様は深海にいて、いつもなら服の袖を引っ張ってくる妹も今日は留守。宿題は終わったし、掃除は大晦日の前の日にやったし、洗濯物は干したばかりで。食事と洗い物は一時間前に済ませているし、あとは、ええと……。
 ……思い浮かばない。
 大体、普通の中学生ってお休みの日にはどういうことをしているんだろう?
(テレビを何となく眺めて、何となく横になって……)
 それから?
 ううん、とあたしは首を捻るのだった。
 あたしはつくづく不器用みたい。

 その荷物が届いたのは、あたしが友達に電話をしようかと悩み始めたときだった。
 差出人は、やっぱりお父さん。
(蜜柑、じゃないよね)
 変なものじゃないことを願いながら箱を開けてみると、一番上に手紙が一通。
 それを読んでいくうちに、あたしは自分の唇がニコリとするのを我慢出来なくなった。
 着物だ!
 早速中身を出そうとして、ふと手を止める。早く見たいという気持ちと、「まだまだ」という心の声が交差していた。下手をして汚してしまっても大変だ。
(美容室に行ってからにしようっと。楽しみは後に取っておきたいもん)
 そうと決まれば!
 あたしはいそいそと物干し竿の所へ行って、洗濯物が乾いていないか触った。もう少しかかりそうだったから、一旦室内に戻って、今度はお茶を飲みながら弾んだ心持ちで待った。
 ……まるで「苺は最後に食べる」と決めたのにチラチラと赤い果実に目が行ってしまい、急いでショートケーキのスポンジを食べている子供のようで、恥ずかしくもあるんだけど。

 手配されていた美容室に行くと、メイクさんは丁寧な手つきで箱の中身を広げてくれた。
「これが肌着、これが裾よけです。こちらが長襦袢で、そちらが帯で…………はい、全て揃っていますね」
 確認が終わると、ずっとあたしが気になっていた着物のお披露目――の筈だったんだけど。
「ふふ、せっかくですから、着付けをされてからになさいませんか? 着るまでは目を瞑っていただいて。その方が、きっとワクワクしますよ」
 その提案が、とても楽しそうにあたしには思えて。
「お願いします」
 と頭を下げた。

 上半身までの短さの肌着のあとに、裾よけと言ってお腹から足首くらいまでのエプロンのような、薄い布を巻く。
 着付けの上で大事なのは、長襦袢なのだそうだ。あまりきつく締めすぎては苦しいし、緩すぎるとラインが崩れてしまう。
「息をめいっぱい吸ってから、止めてください」
 この状態でも、胸が圧迫されて心持ち苦しい気がする。
(気にしすぎているだけなのかなあ)
 慣れていないから、自分の身体のことなのに加減がわからない。
 着物は、一言で表すなら「重かった」。
 目を固く閉じていたから触覚がより刺激されているのだろうか。ずしりとした感触が肩に乗せられて、それが身体全体を包み込んだ。
 そこに帯を締める。
 ……苦しい。
 ううん、我慢出来ないことはない。普段から着物を着ている人なら、何でもないことなんだろう。
 でもあたしには、身体が糸になって固結びされたような圧迫感があった。
(そうだよね。洋装に比べたら、着物って息苦しいのは当たり前だもん)
 納得とも諦めともつかない感情をくすぶらせていると、目を開けるように声をかけられた。
「わぁ……」
 冬の美容室の中に、ふわりと柔らかな声がこぼれた。
 成人式で着るような振袖と異なり派手さはないけれども、りんどうのように凛とした着物である。
 極薄い花浅葱色のちりめんをベースに、左肩から胸までと右の裾斜めに向けて、真っ白な花が咲いている。花浅葱色とは緑がかっている青色だから平地にも見えるが、花の回りには小さな波紋が描かれているために、花浅葱色は池の水、白い花は雪が開いたようにも思える。今の時期の景色をシンプルながら鮮やかに描き出していた。
 絵羽模様の入った付け下げですね、とメイクさんが言う。
 エバモヨウ、ツケサゲ。意味もわからずあたしは口の中で単語を転がした。まるで魔法の呪文みたいだ。
 絵羽模様とはこの着物のような柄の入り方をしているものを、付け下げとは着物の種類のことを言うのだそうで、前者は格調高く、後者は結婚式や成人式のような改まった場所以外では比較的オールマイティーに着られるものらしい。
「今の用途にピッタリですよ、それから……これはオーダーメイドかもしれませんね」
「えっ、どうしてですか?」
「だって……ふふっ」
 綿毛のように柔らかな笑顔を見せられて。
「もし他のお着物があったとしても、私はこれが貴方様のだとわかりますもの。さあ、髪もセット致しますね」

 午後になっても空は快晴。絶好のお参り日和に“着物日和”。
 ――なんて。
 神社に来てもあたしは天を仰いだままだ。
 何故なら、苦しいから。
 圧迫されているし、歩幅はいつもよりずっと狭くしなければならないし。
 気分が沈みがちになって来て、俯いてしまいそうになり、ますます落ち込む。
 そのサイクルを断ち切るために、やや上を向くようにしているんだけど――。
 妙に姿勢が良くなっているし、これじゃあ、やたら規律正しい人みたいだ。
 足の親指と人差し指も痛くて、歩くにつれてこのことが一番辛くなっていた。
 それでも日差しを受けて飴細工のように煌いている草履は、見た目も音も心地良い。
 お賽銭をして「家内安全」を祈り(中学生の願いには思えないけど、これが一番大事だもの)、おみくじを引いた。
 中吉。気に入った結果はお財布にしまうと良いと聞いたから、手元に残しておいた。

 神社から離れると、近くの写真屋さんで記念撮影をしてもらった。これもお父さんの「予約してあるから、〜で写真を撮って、こっちへ送って欲しい」との指示によるものだ。
 中へ入ると、二階の撮影所へと続く階段からずらりと人が並んでいた。振袖の若い女性ばかりで、成人式を控えた人たちなんだろう。一生に一度のことだし、彼女たちの緊張があたしにも伝わってきた。
 あたしが呼ばれたのは予約した時間から二十分遅れてのことだった。
 階段をゆっくり上がっていくと(着物で階段を上り下りするのは大変なのだ)、大きなカメラがあたしを待っていた。
「はい。撮りますよ。瞬きしないで下さいね」
 おじいさんの声が飛び、すぐにシャッターが切られる。
 椅子に座った姿勢や、佇んでいるもの。たくさんの写真を撮ったけど、顔の向きどころか指の位置にまで修正の声が間に入っていったのが印象的だった。
「海原さんのお父さんにはお世話になったことがあるんですよ」とおじいさん。
 お父さんの人脈って未だにわからない。
「それ、お嬢さんのための特注でしょう? 羨ましいなあ」
「どうしてそう思うんですか?」
 上ずった声であたしは訊いた。その台詞は美容室の人も言っていたものなのだから。
「わからないんですか?」
「はい。教えて欲しいんです」
「よくある遊びです。最近は珍しいだろうけど。聞いたら、なーんだって思いますよ。つまらなくなるに決まっています」
「どうしても知りたいんです」
 あたしの熱意(?)におじいさんは負けたのか、ゆっくりかぶりを振るとこう言った。
「お嬢さんの柄、何に見えます?」
「え……っと、池と雪の花に……」
「そうです。池の水面に波紋と花が映えて綺麗です」
「?」
「波紋を取ったら何に見えます?」
「えっと、原っぱに白い花が咲いているようにも……」
「花浅葱色が何に見えるかだけ、もう一度」
「原っぱと水面…………」
 言いかけて、あたしの頭の中でパズルが解けた。
(あーーーーー!!!)
 原っぱに、みなも!
 どうして気がつかなかったんだろう。
 驚き顔のあたしに向かって、おじいさんがおかしそうに一言。
「名前を柄に盛り込むんですよ。ね、説明するとつまらなくなっちゃうでしょう?」

 後日、あたしは写真を受け取りに写真屋さんを再び訪れた。おじいさんの顔はあのときと同じように笑っていて、何だか恥ずかしかった。
 その夜に手紙を書いて、翌日ポストに入れた。
 ――すぐ読んでくれるかなあ。



 ――お父さんへ――
 着物、ありがとうございました。箱を開けて手紙を読んだときはドキドキして、袖を通したときは重さと苦しさに身体が硬くなって、写真を撮ってもらっているときは照れました。
 写真屋さんのおじいさんから、着物の秘密を教えてもらいました。(もしかしたら秘密じゃないのかもしれないけど、あたしは知らなかったから、あれは“秘密”なんです)
 嬉しかったです。お父さんがあたしのことを思って、用意してくれたんだって気持ちが、より強くなりました。
 スーパーでサツマイモをいっぱい買いました。甘そうだったからです。
 ちょこっとだけお砂糖を加えてスイートポテトを作る予定なので、妹から「いつ作るの?」とせがまれています。お父さんとも一緒に食べたいのにな、と残念になります。
 着物を着たときの写真を同封しますね。身体に気をつけて、お仕事頑張ってください。
 ――みなもより――


 追伸。
 上では少し嘘をつきました、ごめんなさい。“秘密”を知ったとき、嬉しかったのも確かだけど、本当はそれ以上に寂しくなりました。お父さんに会いたいです。




終。