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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇に訪れしもの


「ああ……、もう、どうして」
 少女の絶望的な呟き。
 先程から同じ場所で右往左往している少女は、目の前の建物を見上げた。それは、昼間であったなら見慣れた学び舎であったのだが、夕闇が急速に広がりつつある今となっては、畏怖の対象となっていた。
 下校時刻を過ぎた学校に生徒の姿は無く、唯一の頼りは職員室の明かりだが、今は果てしなく遠くに感じる。
 明日提出の宿題のプリントを忘れた事に気付き取りに来たのだが、このままでは辿り着けそうもない。
「忘れちゃったんだからどうしようもないよね……」
 諦めかけた脳裏に、担任の顔が浮かぶ。
 「忘れ物」を決して許してくれない厳しいその教師に叱られて立たされるくらいならと、少女を意を決して歩き出した。
「大丈夫、大丈夫……」
 自分を鼓舞するように呟く。
 すでに辺りは暗闇に覆われている。
 歩き始めた足は、スピードを増していく。職員室の明かりまであと少し、といった所で少女は足を止めた。
 目の前の茂みが動いたような気がしたのだ。

 帰れば良かった……。

 後悔するが、遅い。
 トイレにでも行っているのか、職員室の明かりの中に教師の姿はない。
 助けを呼ぶ事も、逃げる事も出来ずにがくがくと震える少女の耳に、茂みを震わせる音が響く。
 永遠と思える時間が経過した後、少女の目に二つの光が飛び込んできた。
 それが「何」かを認識する間もなく、光が少女に向かって飛びかかって来た──。
   

──────────


 暖かな日差しの差し込む窓越しに、体育の授業を受けている生徒達の声が聞こえる。
 日差しを避けるように置かれた机に、三人の人物が向かい合っていた。
 
 長い話を聞き終えた後、結論を促すように白樺雪穂は目の前に座る二人の教師に、青い双眸を向けた。
 一人は図書室──今三人がいる場所──の主。もう一人はこの学校の保健室を担当している教師だ。
「被害……といっても手を引っかかれた程度なんだけど、もう何人かの生徒が襲われているの」
 保健の教師はそう説明しながら、手の甲を指で斜めになぞる。口ぶりからするとそう大した怪我ではなさそうだ。
「まあ、本来ならそんなに気にする程でもないんだけど、目撃した生徒の言うことが気になって」
 図書室の教師はそこで言葉を切り、僅かに雪穂に向かって身を乗り出す。
「自分を襲ったのは『猫だけど猫でないもの』だって……」
「猫だけど……猫じゃないもの?」
 図書教師の言葉を繰り返しながら、雪穂は首を傾げる。
 
 おかしな証言だ。
 猫に見えたのなら、それは猫なのだろう。それでも猫でないと言うのなら──。
 考え込む様の雪穂に、図書教師は言葉を重ねる。
「猫だけど、猫じゃない。これって白樺さんなら解るんじゃないかと思って」
 雪穂は再び双眸を二人に向ける。先程の無邪気さの混じったものと、ほんの少しだけ異なる視線。
 その視線を受け、僅かに二人の教師の背筋が伸びる。
 
 二人の教師にとって雪穂とは、授業中に図書室で時間をつぶす単なる不真面目な生徒ではない。
 魔術という、およそ人間の力では御す事の出来ない崇高の技術を扱う者──魔術師という雪穂の本来の姿を知っていた。
 その為、生徒である雪穂にこの話を持ちかけたのである。
「生徒達にこれ以上危害を加えないように、その「猫でないもの」をどうにかしてもらえないかしら」
 普段から色々と良くしてもらっている教師の頼み事を、
「解った。僕に任せて」
 雪穂は二つ返事で快諾した。


──────────


 生徒達が被害にあうのは学校、それも校舎周辺に限られている。時間は放課後から夜半。
 故に雪穂は放課後の生徒達の姿を図書室の中から見送る事になった。
いつもなら校庭でだらだらと遊ぶ生徒の姿が見られるが、今日に限っては一人もいない。
 最後の一人が校門に消えた後、雪穂はゆっくりと行動を開始した。
 いつも雪穂の肩に乗っている白虎の白楼も辺りを伺っている。

 廊下の窓から差し込む西日が、徐々に弱くなっていく。
 これからは、日中影に潜んでいるものの活動時間だ。
 魔術師である雪穂にとっても、活動しやすい時間帯になる。普段遮断している五感が水を得た魚のように伸びやかに、研ぎ澄まされていく。
 普段使われていない教室、移動教室、階段倉庫など、通常生徒の出入りのない場所を中心に捜索していく。
 一階の渡り廊下に差し掛かったとき、肩に乗る白楼が緊張し震える。
「白楼?」
 何かの気配を察したのだろうか。
 白楼の見つめる先に、雪穂は歩を進めた。
 異形の物であれば、雪穂にとっても存在を探る事は容易い。それでも気配を察せられないのなら。
 それだけ力のある存在なのか。
 柱の影に身を潜め、白楼の視線の先を覗き込んだ雪穂は、小さく溜息をつく。
 そこには、体育館の隅に立つ一本の桜の古木を見つめる女性の姿があった。正確には女性の霊だが。
 学校という人の集まる場所には必ず霊が集まって来る。それは七不思議という目に見える形であり、この女性のように目に見えない存在など様々だ。
 雪穂はそっとその場を離れた。
 今は、捜索が優先である。下手なことをして「猫のようなもの」に警戒されては元も子もない。
 
 その後も何体かの霊を見かけたが、肝心な「猫のようなもの」を見つけることは出来ずにいた。
 学校中を歩き回り、校庭を探し回った雪穂はさすがに疲れを感じ、草むらに腰を下ろした。
 すっかり夜の帳が降りている。
 校舎を正面から見る形になるが、こうして夜に見るとなかなか迫力がある。
 そうして滅多にない風景を楽しむ雪穂の耳に、草を踏みしめる微かな音が届いた。
 恐るべき速さで音も無く立ち上がった雪穂は、視線を音の方向へと向ける。
 常人では聞く事の出来ない音。
 それを発していたのは、小さな黒い塊だった。
「えっ?」
 思わず間の抜けた声を発してしまう。
 辺りに溶け込む黒い体。小さく鋭い光を発する瞳。しなやかな肢体。猫のようで猫でない、その存在は──。
「黒豹……」
 警戒心に牙をむき、飛び掛ってきた「猫のようなもの」を避けながら、雪穂はその名を呟いた。
 残念な事に動物に好かれるのは自分ではないのだ。雪穂はそう思いながら再び襲い掛かってきた黒豹の首を捕らえた。


──────────

 
「「黒豹?」」
 教師達の口から同時に発せられた言葉に、雪穂はこっくりと頷いた。その手には、大人しく身を寄せる小さな黒豹の姿があった。
「これがそうなのね」
 感慨深いといった様子で、図書教師が黒豹を覗き込む。
「そんなに近づくと引っかかれるわよ」
 そう言う保健教師も興味津々と言った風である。
「で、どうする?」
 雪穂の問いに、二人の動きが止まる。
 それも当然だろう。このような結果を想像できていた訳もない。
「どうしようか?」
 警察に連絡?教師達がぼそぼそと大人の会話を繰り広げている中で、黒豹は暢気に大欠伸をしている。
 周りがどうなろうと知ったことではないのだろう。
 不意に会話がやみ、二人の教師の目が雪穂を捕らえる。
 
 初めから決まっていたことなのかもしれない。
 「普通」でないものを人がどうこうするのは容易いことではない。
 一連の事件の犯人である小さな黒豹は、結局雪穂が引き取る事になった。