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<東京怪談・PCゲームノベル>


商物「過現未」

 冬が至れば、時節は春へと転じる。
 空気は凍てつき、新春と呼ぶには時期尚早な感が否めないが、それでも間違いなく、時間は次の季節へ流れている。
 けれどもまだ吐き出す息は白い……季節の筈なのだが、人いきれに蒸し暑く、酸素すら薄い上に火薬臭く、芳賀百合子はくしゅんと一つくしゃみをした。
 煙いような酸いような匂いが、喉にいがらっぽく絡み、百合子はコートの袖口で鼻と口を覆って呼吸を確保した。
 道の其処此処の燃え滓から立ち上る煙が元凶なのは解っていても、何処迄行っても、爆竹の音と煙から逃れられない、それが旧正月を迎えた中華街だ。
 響く銅鑼の音、異国情緒溢れる街並みと音楽。
 極彩色の獅子が舞い、龍が金色の珠を追ってうねり、ここぞとばかりに並ぶ銘菓が食欲をそそる。
 そして日本のそれとは違う特徴を持った、精霊めいた存在がちょこちょこと楽しげに地面を跳ね踊る様を目の端に捉えながら、百合子は人混みに揉まれていた。
「と、とおし……通して、下さい……」
混み合う人の狭間を縫い、足下に殊更気を使いながら、百合子はその場から移動しようと地道な努力を続ける。
 人を押し退ける強さより、遠慮が勝って行くも戻るも己の意思で為せず、小柄で細い身を活かして間を抜けるより他ないが、人慣れしていない百合子にはそれすら至難の技だ。
 着ぶくれた人混みは思わぬ難所と化し、流動する壁が行く手を阻んで、果たしてどちらに抜ければ良いのか見当も付かない。
「どっちに行ったらいいの……かな」
 そもそも、帰宅するつもりで乗った電車の思わぬ混雑に負け、目的地で下りられなかったのが発端だった。
 人波に流れ流され、辿り着いた先は中華街。
 混雑を納得させる新春の催しは人を集め、それは百合子の進みたい方向と真逆で如何ともし難い……ようは、迷子なのだ。
 現在地を特定するため、せめて広い場所に出たくも果たせず、俯いた百合子は足下の小さな存在とばちりと目が合った。
 道教の祭司の服を来たそれは、ネズミ……というよりハムスターに酷似した愛らしさだ。
 見つめ合う瞳と瞳、それだけで。
 何か百合子と通じ合うものがあったのか、彼はやたら男前に『ついて来な』という仕草をして、先導を始めた。
 つられて思わず足を踏み出せば、不思議と百合子一人が擦り抜ける隙間が生じ、先から一転、進むに何の難もない。
 時折振り返り、百合子の姿を確認しては、ハムスターもどきは進んでいく。
「あ、そっか。子年だもんね……」
親切なネズミの後ろ姿を見、妙な感心の仕方をしながら、百合子はその厚意に甘えてようやく人並みの切れる場所に到達した。
 が。
 其処は獅子が、今当に演舞を披露している現場であった。
 日本の獅子のような、朱塗りの顔に唐草模様の胴のそれではなく、パステルカラーで色とりどりの獅子が数頭舞い踊っている。
 眉や口も内側からの仕掛けに動くようになっており、演技の度に表情を変えて見物客を楽しませていた。
 獅子一頭を二人で操り、頭を被った人間が足を受け持つ者の肩に乗って、獅子を立たせるなど、動きも多彩で実に細かい。
 ハムスターもどきは得意気に鼻をひくつかせ、肩越しに百合子を見返ると『礼はいらねぇぜ』とばかりにチャッと片手を上げてそのままチョロっと人込みの中に消えてしまう。
 百合子も祭り見物に訪れたのだと、解釈したらしい。
「え……と……」
御礼を告げる暇もなかった、と百合子が悩む間に、獅子が彼女に目をつけた。
 演技を楽しむ人込みの中、一人物思いにふける風で佇んでいれば目立ちもする。
『どうしたい、お嬢ちゃん』『楽しくないのかい、お嬢ちゃん』『一人で来たのかい、お嬢ちゃん』とでも言うかのように、頭付き合わせてわらわらと百合子に群がり、申し合わせたかのように眉を動かし、瞬きをする。
 ふさふさとした獅子の睫に頬を撫でられかねない距離は、かなり迫力がある。
 日本の獅子と同じく、頭を囓られれば厄払いの効果があるかは知らないが、あまりの近さにその懸念が頭を過ぎる。
 たじろぐ百合子が一歩を引こうとした時、景気づけに放られた爆竹が獅子と百合子の間で弾けて踊る。
 その音と光に、獅子が滑稽な動作でわたわたとその場で足踏みする獅子に、百合子は咄嗟に脇道に飛び込んだ。
 獅子の頭は大きく、百合子が居る路地まで入れないらしい。
 獅子に悪気がないのは解るが、大型犬にじゃれつかれたら困るのと同じ心境で思わず逃げてしまった百合子である。
 代る代る、路地を覗き込んで口をぱくぱくする獅子に、百合子は小さく頭を下げると、そのまま奥に向かって駆け出した。


 空気が本来の冷たさを取り戻し、喧噪が遠のいてようやく百合子は小走りに進む足を止めた。
 路地は薄暗く、あまり風の通らない印象を受ける。
 一息をつけた為、周囲を見回す余裕を得た百合子は、少し先に一つだけぽつんと点る灯りを認めて首を傾げた。
 近付いて見れば、それはどうやら商いをしている趣だ。
 店舗の外観、円形と菱形を線で組み合わせた格子に絡む植物めいた紋様が大陸のそれを思わせて一見、雑貨の販売を兼ねた中華飯店めいているが、装飾の施されるのは華やかな朱ではなく、黒漆の艶やかさはどこか和風である。
「……雑貨屋さん、かな?」
明度の低い店内、商品をディスプレイした格子窓には、フェルト製と思しきポシェットが並んでいる。
 縁に澄んだビーズを縫いつけた色とりどりの品物は、手製のぬくもりも優しい。
 百合子は右手の扉に気付くと、少し曇った真鍮の取っ手を取り、音がしないように気をつけながら、そうっと開いて中を覗き込んだ。
 正面奥に広く畳敷きの台場があり、其処に到るまで膝から腰へと順に高さを変える台には駄菓子や子供だましの籤が並ぶかと思えば妙に古びた本が積まれ、ガラスケースに真贋を問いたくなる無頓着さで装飾品の類が陳列されている。
 そして其処に先客を認めて、百合子は安堵に肩の力を抜いた。
 白と黒の装いに、男の子と女の子が一人ずつ、台場に肩を並べて人形遊びに興じている。
 無言のまま手の上げ下げや、首の角度で会話と思しき動きに、ちょこちょことぬいぐるみを操る姿は微笑ましい。
 百合子は二人の邪魔をしないよう、扉の狭間から身を滑り込ませると、後ろ手に音なく閉めた。
 歩みを進めれば鼻を擽るのは乾いた生薬の香、壁かと思えばそれは棚で、小さな引き出しに和紙に墨でひとつひとつ、納められた薬種の名が記されている。
 店内の薄暗さが、却って不思議な雰囲気を醸し、百合子はすぅと胸一杯に乾いた草の香りを吸い込んだ。
 安心すれば興味が勝ち、並ぶ品々に気を引かれる。
 しかし、帰りの電車賃を考えると、手持ちが心許ない。
 乙女の特性として、装飾品等に気がそそられるが、百合子は実用本位を基本にすることを先ず胸の内に置いて、店内をゆっくりと見て回ることにした。
 やがて百合子は、手芸用品を集めた一画で足を止めた。
 サンプルに小さく切った布地の貼られたシートや、整然と並ぶ糸、天井からは組紐やリボンがつり下げられて目に楽しい。
 立体的且つ効率的な陳列の中、百合子はミシン糸を納めた棚の脇に手を伸ばした。
 指先に触れて重なり合い、チャリと小さな音を立てるのは、糸に通されたビーズの束である。
 一つのフックに幾束も纏めてかけられたビーズと共に、下げられた値札に目を止めて、百合子は思わず独言を零す。
「五十円……だよね?」
漢数字で認められた価格は、桁を間違いようがない。
 けれども輪の長さは、少なく見積もっても五十センチはあり、細工の凝ったビーズの単価にしては破格に思える。
 トルコ石の色を基本にした管珠のようなビーズは、青や赤、緑の透んだ模様を配し、異国の持つ独特の雰囲気を保って、携帯ストラップ等を作れば良い雰囲気の物になりそうだ。
 乏しい財政には嬉しいばかりの価格と、用途が見込める実用性に、百合子はビーズの束を手に取ると、一粒ずつを検分するかのようにじっくりと目を通す。
 ビーズは一見、どれも同じようにも見えるが、その実細部が違っていたりする……物によっては波のようにも、緑の葉が茂るようにも見えて、選択に悩む。
 そうして真剣にビーズを改めるあまり、百合子は近付く人影に気付くことが出来なかった。
「お悩みですか?」
声は、集中する百合子を気遣ってか離れた位置から発せられていたが、驚かせるには充分すぎ、短い悲鳴を上げた百合子は、両手に持っていたビーズの束を取り落とした。
「ごめんなさいッ」
雨に似た音で床に落ち、糸が解けこそしなかったが散り広がるそれを、百合子は拾い上げようと慌てて膝を屈めた。
「あぁ、よろしいですよ、お任せ下さいまし」
しかしそれよりも先に、声の主はひょいひょいと摘むようにして手際よく、床に散るビーズを片手で取り集めてしまう。
「すみません、それ頂きます……」
商品を粗雑に扱ってしまった失態に、百合子は店員と思しき人物に謝罪を含んだ意を告げた。
 藍色の着物をえび茶の帯で粋に着こなし、和装の馴染んだ女性はにこりと微笑んで片手に通したビーズの輪を示した。
「どちらをお求めでしたでしょう?」
どちら、と。問われて百合子はしばし止まる。
 咄嗟、落としてしまった全てを求めようと思ったが、示されたそれは思わぬ量があった。
 一本五十円とはいえ、目算で量っても中学生の財政にはかなり厳しい金額になる。
「え、と青か緑か、どっちにしようかな、と思ってて……」
選択肢に入れなかった赤いビーズのそれは、フックに掛かったままで難を逃れている。
 床に散らしてしまったそもそもの原因を口籠もり、しかしそれでは申し訳ないと良識から来る百合子の煩悶に、女性は軽く眉を上げた。
「ならば半分ずつで、一本にして差し上げましょうかね」
指でチョキンと切る動作を伴った軽い調子の提案は、百合子には願ったりである。
 が、本来の謝意から離れてしまうのに、口籠もる百合子の視線を別の意味に取ってか、女性はビーズを通したままの手を己の胸に宛てた。
「あぁ、こりゃ失礼を。陰と陽と、その間に構える故に陰陽堂と、そう冠しましたるこの店の主でさぁ」
身分を名乗って立ち上がり、店主はフックに残っているビーズも取り上げると、百合子に有無を言う間を与えない、絶妙なタイミングで以て台場へと促した。


 手には温かな湯気を上げるジャスミン・ティー。そして傍らには月餅を乗せた半月盆があり、百合子は困惑の色を隠せない。
 ビーズを通し直す間、子供達とおやつでも上がってて下さいまし、と勧められるままにお三時を頂いている次第だ。
 手間をかけた上にお茶まで、と申し訳なさを覚えはするが、淹れ立てのお茶は冷ますに忍びない芳香を放ち、目の前に据えられた本場月餅の美味しさは遠慮を押し除ける。
 台場の縁に腰を下ろし、両脇に先の子供を配したおやつタイムはほのぼのとしていて落ち着く。
「……美味しいね」
どちらともなく、そう百合子がかけた声に、子供達は全く同時にこくりと頷いた。
 何処か表情に乏しいが、微笑ましい反応に百合子は微笑んだ。
「お気に召しましたか?」
その様子に気付いてか、店主が百合子にそう声をかける。
 奥から裁縫箱を取り出して来た店主は、一連になっているビーズの輪を解いて端に針を通し、別に用意した糸に半分ずつを移している。
 ビーズを糸から解き、もう一度通し直すのかと思っていた百合子は、手際と効率の良い作業は思いつかず、内心の感歎と感謝を尊敬に交えさせて大きく頷き、店主の問いに応じた。
 勿論、おやつが美味しく、子供達が可愛い、の意である。
 それだけに、続く店主の言は意表を突いた。
「兄がコシカタ、妹がユクスエと。申しましてうちの立派な商品で」
脳が理解を拒む内容に、百合子は思考と動きを止めた。
 子供が。商品。端的にはその二言のみを理解することは可能だが、単語単体に問題はなくとも、組み合わせることで事態は途端に不審さを増す。
「でもでも子供が商品って! そんなことしたら大問題だよ?! ちゃんと家に戻してあげないと!」
そして衝撃を伴う事態を理解した途端、百合子は声を上げて二人の子供……コシカタとユクスエの肩を抱いて自分に引き寄せた。
 自分より幼い兄妹を守ろうとする、迷いのない百合子の動作を穏やかに見守りながら、店主はごく自然にビーズを通した輪を差し出した。
「この子等は占が得意でね。コシカタは後、ユクスエは先、見通す事にかけちゃ、ちょっとしたモンですよ」
さらりと告げられた真相に、百合子は己の早合点を理解し、二の句を失って口を開く。
 それでも子供達を抱く手を外さず、店主の差し出す品を受け取ることが出来ない百合子に代わり、コシカタが手を伸ばしてビーズを受け取る。
「お気に召したなら、どうぞお持ち下さいまし」
子供達の肩を抱いたままの百合子に、にこにこと笑って店主は更に勧めた。
「こんな辺鄙な店に足を踏み入れる位だ。急ぎの用は御座いませんでしょう」
コシカタが持つ輪には青と緑とのビーズが半々、丁寧に連ね合わせてある。
 百合子はその手間の礼の意味も兼ねるべきと、心中の決断に一度大きく頷いた。
「解りました、でも私あんまり持ち合わせがないんですけど……幾らくらいなのかな」
両脇の二人の顔を順に覗いての、ある意味切実な問いに店主が小さく笑いを零して値を告げる。
「お代はどうぞこの子等に一つずつ、揃いの品でも買い与えてやって下さればそれでよし。夕を過ぎてから朝までの間に、店に送り届けてやって下さいましな」
 実質、お任せだという代価に、ほっと胸を撫で下ろした百合子の肘に小さな手が触れて、彼女の注意を引いた。
「何処に行く?」
右の肘に力がかかるのに見れば、金の瞳で見上げる少年……コシカタ。
 強請る言葉ではあるが、声は淡々として感情に薄い。
「何して遊ぶ?」
反対側からそう問う銀の瞳を見下ろせば、少女……ユクスエの長い白髪がさらりと流れる動きを作る。
 感情にこそ薄いが、真っ直ぐに己を請う様子が嬉しく、百合子は二人の肩を抱く手に力を込めてぎゅっと抱き寄せた。
「うん! 今日は一緒に沢山遊ぼうね!」
お金をかけなくても、出来る遊びは沢山ある。
 村に居た頃は、大勢での遊びにこそ参加出来なかったが、自然物を工夫した独楽や人形の作り方は得手だ。
 過去の実績に自信を持って、百合子は二人に請け負った。


「只今戻りました……」
意気揚々と店を出て、僅かに五分後。
 百合子はコシカタ・ユクスエの手を引いて、再び陰陽堂の扉をくぐっていた。
「おや、お早いお帰りで」
煙管の吸い口を、口元に運びかけていた位置で止め、目を丸くして迎えた店主の顔が正視できず、百合子は台場に腰を落とした。
 店を出たときは、子供達の面倒を見る気満々で、近場の公園に出るつもりだったのだが、其処に到るまでにある思わぬ関門を失念していたのが敗因である。
 そう、中華街の賑わいである。緑を探す心積もりで元来た道を戻ってみれば、先の獅子が路地に頭を突っ込みかけたと思しき様子で詰まっていた。
 トーテムポールを彷彿とされる、ある意味シュールな風景を踏み越えることはおろか、近付くことも憚られる。
 更に、眠るように瞼を閉じていた獅子たちが、百合子達の姿を認めた途端、くわっと目を見開いてびちびちするものだから、もうダメだ。
 結局、戻らざるを得ず、打ち拉がれている次第である。
「私、二人よりお姉さんなのに……」
しっかりしなきゃ、と自分に言い聞かせる百合子は、傍目は案じずにいられない。
「外遊びに拘らずとも。何でしたら内で時間を潰すというのは如何でしょうか、ねぇ?」
店主の提案に応じてか、コシカタとユクスエはそこらから私物と思しき玩具を抱えて百合子の周囲に広げ始める。
 コシカタが無言で宇宙ビジュアル百科を勧めると思えば、ユクスエは無表情に多種多様なビー玉を納めた箱を取り出す。
 何とか自分を元気づけようとしているのは十二分に察せられる二人の行動に、百合子は目尻に浮いた涙を指の背で拭った。
「ありがとう、コシカタ、ユクスエ」
子供達に気を使わせ哲で、落込んでいる訳には行かない。
 多少、空元気ながら、復活を果たした百合子は、今度こそと腕まくりをしかけてふと止まる。
「一対のものって何がいいかな。何か欲しいものある?」
幸いにして、ここはお店だ。二人に与える物を手近に調達出来ると思った百合子だが、コシカタとユクスエは揃って首を横に振った。
「芳賀様が、下さる物なら」
「何を頂いても嬉しいです」
主体性のない、最も困る選択である。しかし百合子は言わば自分の家の商品にあまり魅力は感じないのだろう、と好意的な解釈をして知恵を絞る。
 では、何か店の物を購入してアレンジしてみるというのはどうだろう。
 ふとした思いつきのポンと手を打ち、百合子はショルダーバックの内ポケットから、ソーイングセットと手帳を取り出した。
「ね、二人ともどの模様が好き?」
手帳の後ろ、きれいに挟んである和布を膝の上に広げて二人を誘う。
 百合子の呼び掛けに、コシカタとユクスエはぴったりと両脇に添うように座った。
「これで何か作るね。何が良いかな」
百合子の選択に任せる為か、二人はまた黙してしまう。
 この布で、何が出来るのか解らないのかも知れない。ならば現物を渡すのが最も早道と、百合子は簡単に、そして子供達が喜びそうな品物を、レパートリーの中から探す。
 その間にも両側から伝わる子供達のぬくもりと柔らかさ、そして店内に漂う薬種の乾いた匂いが心地よく、百合子は膝の上の布で花開く布の模様にまた閃いた。
「……あ、香袋とかどうかな。ねぇ、この香り好きかな?」
そしてこちらもまた手帳に挟み込んであるスティック型の香を取り出し、コシカタ、ユクスエのそれぞれの鼻先で揺らす。
 鈍いピンクの香は、穏やかな香りを持つ桜香だ。
 桜には明瞭な香りとよべるものはないが、その実、バラ科の植物である。
 バラを基本に置き、和の雰囲気を強くした桜香は、そうと言われれば信じてしまいそうな程自然で、百合子も気に入りの香りだ。
「同じ和布で作って同じお香を入れたら、これも対になるのかな?」
念の為の確認に、コシカタとユクスエは同時に頷き、百合子はすっかり嬉しくなって腕を捲った。
「よーし、直ぐに作るからね! あ、でも針がちょっと危ないかも知れないから、縫ってる間だけ待っててくれる?」
安全を考えての百合子の要請に、両脇の二人はそれは聞き分け良く大きく頷く。
 決ってしまえば話は早く、百合子は香りが立つように香を細かく折り、子供達の選んだ、桜の花を意匠化した模様の縮緬に折り込むようにして、まち針で形を整えた。
 小さな細工であるため、並縫いで口を塞いではごろつきが出る。
 端を内側に折り込み、縢るようにして縫い合わせ、糸を引く強さで形を整えていく。縫い目を細かく、表に出ないようにする手間はかかるが、百合子は慣れた手付きで針を進め、二つの香袋は程なく仕上がった。
「二人とも、出来たよー」
百合子が明るくかける声に、コシカタとユクスエはととっと軽い足音を立て、再び百合子の両脇に座った。
「こっちがコシカタで、こっちがユクスエの」
百合子は両の手に、香袋を一つずつ乗せて差し出す。
 右手には蝶。左手には開きかけた蕾の形の花を。
 花は縮緬の質感を活かして窄めた中央を花弁のように見せ、蝶は真ん中で纏めるように寄せて縫った。
 そのどちらも、先に陰陽堂で求めたビーズを使い、ビーズを通した糸の先で、根付かストラップのようにゆよゆらと揺れて淡い芳香を放っている。
 コシカタとユクスエは、百合子の手から小さな細工を摘み上げ、手触りを縮緬の細工をしげしげと眺めた。
「どう……かな」
気に入ったか、恐る恐る聞く百合子に、二人は掌にキュッと細工を握り込むと、異口同音に声を揃えて礼を述べた。
 ほ、と安堵の息を吐いた百合子が膝の上に置いた手に、不意にコシカタとユクスエが手を添えて握り締める。
 子供達の行動に首を傾げ、百合子は二人の瞳……瞬きもせずにじっと自分を見つめる金と銀の瞳の意図に気付いた。
 咄嗟にコシカタの手から自分の手を引き抜くと、その眼をぱっと目隠ししてしまった。
「……あ、ゴメンなさい!」
視界を塞がれ、抵抗どころか微動だにしないコシカタに、百合子は恐る恐る手を離すと、一度瞬きをした大きな瞳が、金色に問いを浮かべている。
「ゴメンね、そんなつもりじゃなかったんだけど……」
ではどんなつもりだ。と、聞かれても上手い言い訳は出て来る筈もなく、百合子は誤魔化すのを諦めてぽつりと呟いた。
「過去は嫌、かな」
空気も、人の気持ちも重い里の記憶、その本質は百合子が自ら口にするのも憚られる、何処か禁忌めいた雰囲気を持つ。
 例え占いだとしても、子供に、安易に悟らせたくはない。
「あ、コシカタが嫌いなんじゃないよ? 未来で私は……強くなれてるかな。誰にも頼らずに、ちゃんと前を向いて笑っていられるかな」
未来に対する不安がない筈がない。けれど言葉にすれば、求めるそれが形を得るような気がして、百合子は背を正し、顔を上げた。
「それが知りたい」
まるで誓いのような強さを持った百合子の言に、コシカタがもう一度その手を握った。
「変わらないモノを。変えられないのは弱さではない」
金色の瞳が告げる言葉に、百合子は僅かに身を引いた。何も具体的な言葉を使っていないのに、何を指しているのかが解る……コシカタの金の眼差しが射抜く強さで百合子を見る。
「何かを変える、それだけが強さではないのと同じに」
 次いで、もう片方、左の手に重ねられるだけだったユクスエの手が、百合子の手を握った。
「芳賀様の求める強さは、己で孤独を選ぶということ」
瞬きのないユクスエの銀の眼差しが、遠くを見るよう百合子を透かして澄む。
「護らない独りは強い。けれど笑うことは出来ません」
それは、叶わないということか。コシカタの断言に、落胆に似た暗い気持ちが胸を過ぎり、百合子は唇を噛んだ。
 けれど、双子は全く同時に百合子の手を握り直して、ぴったりと身を寄せ……内緒話の密やかさで、囁くように告げた。
「大丈夫です。独りを選ばなければ」
「芳賀様は、きっと、もっと、強い」
過去と未来が告げる、百合子の望むそれよりも強い、気持ちがどんなものなのかは解らない。
 けれど、希望がない訳ではないのだと、察して百合子はコシカタとユクスエの手を感謝の意を込めて握り返した。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5976/芳賀・百合子/女性/15歳/中学生兼神事の巫女】

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■         ライター通信          ■
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いつもお世話になっております、闇に蠢く駄文書き、北斗玻璃に御座います。
冬らしいお菓子って何かなぁ、とつらつらカレンダーをめくっておりましたら、納品予定日の前日が旧正月。旧正月っていやぁ月餅じゃん、きゃっほぅ♪ ということで日時設定が為された今作に御座います。
さり気なく、ハムスターもどきの新年の精霊がお気に入り。可愛エェッ! と一人悶えておりましたので、是非ともリアルに、そしてご一緒に想像してみてやって下さい。
シャンガリアンハムスター的な毛色の薄さに、道着は黄色、真っ黒な瞳でちょろりと後足立ちに見上げ、髭をそよぐようにひくつかせている様を! あぁ、本当に可愛い!
と、いうような話は置いておいて。
予見重視、ということでしたが、百合子嬢の未来はお一人の力で打破するには難しそうなので、伝説の勇者を集めて旅立つのだ姫よ! という感じになっております……いや、もうホント北斗も心配で仕方がない(下手に怯えさせちゃいかんと店主を女にしてみたり!)ので、百合子嬢が己で見つけた強さが得られることを、心底望んで止みません。
少しでも心の支えに、あるいは進む道の指針になればいいと願いながら、また、時が遇う事を祈りつつ。