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ゆったりと、ゆっくりと。〜笑顔の裏の般若の面〜
●カネダの憂鬱
神聖都学園のカウンセリングルームが、俺の第二の仕事場だ。
第二の、というのは、俺の本業は個人開業のカウンセラーだからだ。
ここで臨時のスクールカウンセラーを行っているのは、神聖都学園のお偉いさんである理事長直々の頼みだったからだ。
(「マンモス校のお偉いさんが、俺みたいなうだつの上がらない臨床心理士に何のようだ?」)
そう思うのが当たり前だろう? しかも、移転前のボロい心理相談所にいるうだつの上がらない臨床心理士のところに来るもんだから余計。
聞くところによると、奴、俺の中で眠っているもうひとりの俺、の恩師の推薦だとか……。あの女狐、随分と奴を買い被ってくれたもんだぜ。
俺が奴を支配してから数ヶ月経った頃は、文句を言いながらも仕事をしていたが、今ではだいぶ馴染んできた。
放課後ともなると、カウンセリングルームには悩める生徒達が集まっている。
今、俺に相談を持ちかけてきたのは、同じクラスの女に惚れ、思い切って告白したものの振られちまったことがトラウマとなり、他に好きな女ができても、また振られるかもしれないとすっかり怯えちまった男子生徒だった。
「先生、俺……どうすればいいんでしょう?」
知るか! と言いたかったが、今の俺は『奴』だ。
あいつなら、生徒が泣きつこうが、責め立てようが親身になって相談に乗るだろう。
虫唾が走る思いを堪え、俺はアドバイスしてやった。
「男がそんなことでうじうじするな。その子には、おまえの良さがわからなかっただけだよ。この間、おまえ、野良犬と思われる仔犬にパンやってたよな。帰り際に頭を撫でた後、抱きかかえてたよな。そいつ、今飼っているんじゃないのか?」
そ、その通りです! と男子生徒は驚いた。
奴の恐るべき観察眼と洞察力には恐れ入ったぜ、と俺は改めて奴の実力に感謝した。
「もうくよくよするな。おまえさんの良さがわかる子がいずれ現れるって。な?」
ウィンクして、男子生徒を元気付けてやった。奴の茶目っ気だけは真似したくなかった、御免だ、思ったが、こうでもしないと、俺の存在が誰かに気づかれる危険性はある。
俺、先生に相談して良かったよ。また頼むぜ! と元気を取り戻した男子生徒は、勢い良くカウンセリングルームのドアを開け、出て行った。
それと同時に、下校時間を告げる校内放送が流れたので、本日のカウンセリングは終了。
「ほら、皆、帰った帰った。続きはまた今度な」
残念がりながらも、残りの生徒達は「約束ですよ」と念を押して帰っていった。
生徒達が出て行ったのを確認した俺は、かけていた黒縁眼鏡を外し、溜息をついた。
「やっとで、素に戻れるぜ。奴の振りをするのは楽じゃねぇ……」
奴、というのは、俺の中で眠っている『門屋将太郎』という名の男だ。
俺は奴の肉体という名の牢獄から脱出し、現代に至る。簡単にいうと、ある事件で心を閉ざした奴の精神、肉体を支配し、今の俺があるってワケだ。
●夢現とカネダ
そろそろ帰るか、と帰り支度を始めた頃、カウンセリングルームのドアがそっと開いた。
「今日のカウンセリングはおしまいだって言っただろ? 今度来るのは、来週の月曜……」
入ってきた人物の外見を見て、俺は唖然となった。
冬だというのに、その人物は白い着物に赤い帯という出で立ちで、しかも素足だった。足首には、小さな金の鈴がついている赤い紐を巻きつけている。
艶のある長い黒髪を緩めに束ねていて、端正な顔立ちをしているが、見た目だけでは男か女かわからない妙な人物だった。
「おまえ……何者だ? 俺に何の用だ」
怪訝そうな顔をしながら俺がそう言うと、そいつは名乗らず、まっすぐ前を向いたまま、俺に近づいてきた。
「我は夢現。貴様の願いを叶えにきた」
夢現、と名乗った人物は、俺にそう言った。
「生憎だが、今の俺には願い事なんてねぇぜ。欲しいものは、既に手に入れたんでね」
願い事があるとすれば、俺の中の奥深くで眠っている奴自信だろう。だが、奴の心は既に壊れているので、抜け殻に近い状態だがな。
夢現は、俺の中にいる奴の存在を見抜いたかのように、俺の心臓に人差し指を当て、貴様の中にいる者に願いを問いに来た、と一言。
(「こいつ……奴や俺のように、読心術を使えるのか?」)
俺は、驚きを隠せなかった。もしそうだとしても、奴は長い間、胎児のように俺の中で眠り続けているんだ。心が無い状態なのに、何故、奴のことがわかるんだ。
「俺の中にいる奴の願いを叶えたいだと? 馬鹿なことを言うんじゃねぇよ。こいつはな、身も心も砕けた状態だから、願い事なんて言えやしないぜ」
「そうか……。では、話題を変えよう。貴様の願いは何だ?」
俺の願い? そんなことは、既に決まっている。
俺の願いは……奴の存在を全て消し去ること。そして……。
「俺の願いは、奴の大切なものすべてを破壊することだ。その中でも、容易に破壊できないものがひとつだけあるがな」
自嘲気味にそう言う俺に、夢現は、関心すら示さなかった。
「貴様が容易に破壊できぬものは、我にも破壊できん」
そう言うと、幽霊が消えるかのようにスゥーっと姿を消した。
夢現には、俺がどうしてでも壊せないものが既にわかっていたのかもしれない。
俺が壊したい存在。それは……奴の宝物というべき存在の人物、奴の能力を制御できるようにした、俺が「女狐」と呼ぶ女だ。
俺は、あいつを許せない。あいつさえいなければ、もっと早く、俺は奴を支配することができたというのに!
野望が果たされるまで、23年かかった。それを取り戻すには、あいつの存在を消すしかない!
いつになるかはわからないが、夢現の力を借りずとも、俺の手で必ず……!
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