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うたかたの少女
1.
年末年始でも草間興信所の扉は開いている。
定休日というものを設けようと目論んでみたところで、依頼人はそんなものはお構いなしにやってくるのだから意味をなさないからという理由もあるのだが。
そうは言っても、年末恒例の大掃除やその他もろもろを行えば自然と年の瀬の気分は味わえるらしい。
「今年もようやく終わりか」
手に持っていたダンボールを片付け、感慨深そうに草間が息を吐いたときだった。
「助けて!」
突然の声に振り返れば、そこには少女がひとり立っている。
「お願い、助けて!」
切迫した少女の声に、草間は真剣な顔で口を開いた。
「どうしたんだ?」
「わたし、消されちゃうの!」
「……消される?」
その言葉に草間は眉を潜めた、此処に訪れる者がそれを使う場合ほとんどが物騒な事件が絡んでいるからだ。
草間の目の前に立っている少女はまだ幼い。その少女の命を誰かが狙っているというのだろうか。
「年が明けたら、わたしは消されちゃうの。わたし消えたくない。お願い、助けて!」
必死の少女の声に、草間は大きく頷いた。
「消されるとは物騒ですわね」
一緒にその訴えを聞いていたデルフェスもそう呟く。デルフェスは普段アンティークショップ・レンで働いているのだが時間があるときは草間興信所の手伝いもしている。
その言葉に草間はデルフェスのほうを向いて口を開く。
「お前が守ってやれば安心じゃないか? ボディガードには打ってつけだろ」
デルフェスの正体が護衛用に造られたゴーレムであることを知っている草間は良い案が浮かんだとばかりにそう言いデルフェスもその提案に異議を唱えるつもりはなかったのだが、ひとつのことが気にかかった。
年が明けると消される、という少女の言葉だった。
「年が明けると、というのはどういう意味なのでしょうか。わたくしには何かそこに意味があるように思われるのですが」
「そりゃ、そういう予告がきたっていうことだろう」
この少女を消す何者かからそのような犯行予告が少女の元にあったというのが草間の考えらしい。
だが、此処は普通の探偵事務所ではない。本人がどう言おうがオカルト探偵と呼ばれる男の事務所なのだ。
もしかするとこの少女の事件もそちら絡みなのかもしれないという考えは大きく外れてはいないとデルフェスは考えた。
「もう少し、詳しい話をお聞かせいただけますか?」
デルフェスの言葉に、少女はこくりと不安に満ちた目のまま頷いた。
2.
立ったままでいた少女を座らせたが、少女からは何かに怯えている様子が消えることはなかった。
その様子に、草間も焦れたようにデルフェスを見る。
「悠長に構えていて大丈夫なのか?」
「問題ありませんわ。此処には草間様とわたくしがおります。仮に襲撃者がこの事務所にやってきたとしても撃退することはできますでしょう」
ただ、とデルフェスは言葉を続けた。
「この方を消そうとしている相手がどのようなものかが掴め切れていないのは困りましたわね」
「相手か、こんな小さな子を消そうとするなんてどうせろくな奴じゃないだろう」
「年が明けたら消される、年が明けたら……」
草間の言葉に答えずデルフェスは最初から引っかかっていたことを考えていた。
年が明けたら消されるということに意味があるのだということはわかるのだが、それがいったい何なのだろう。
と、そこでデルフェスは気がついたように少女のほうを向いた。
「失礼ですが、お名前はなんと言われるのでしょうか」
「名前……?」
デルフェスの問いに、少女は不思議な言葉を聞いたような顔を返す。
「お嬢ちゃん、名前がわからないのか?」
「名前って何?」
その問いを聞いた瞬間、草間にもこの少女が抱えている依頼が普通のものではないという予感がし始めていた。
「名前をお持ちではないのですね」
デルフェスの確認にも少女は戸惑いながら頷いた。
「では、鈴(ベル)様とお呼びさせていただきますわね」
勝手に命名したデルフェスだが、草間がおいと言う前に「名前がないと不便ですから」とおっとりと返されてしまってはそれ以上何も言えない。
少女自身が名前もなく、それを拒否する様子もないのだったらしょうがないと諦めたようだ。
「鈴様は、消されてしまうのですね」
「そうなの」
「それは、どのようになのでしょう」
「あのね、鐘の音が聞こえるの。それが聞こえ始めたらわたし、どんどん消されていっちゃうの」
鐘の音という単語に草間はどういう意味だと考えていたが、年が明けるという先ほどの単語と共に考えたとき、デルフェスの脳裏にひとつのことが過ぎった。
「もしかして、鈴様は除夜の鐘で消されていく煩悩なのではないですか?」
「なんだって?」
突拍子もないデルフェスの言葉に、流石の草間も唖然とした顔をしてみせたが少女──鈴の表情は変わらない。
「大晦日になりますと様々なところで除夜の鐘を突き、108の煩悩を消すというのが日本に古くからある風習ですわ。鈴様はその煩悩が具現化した、一種の精霊のようなものなのではないでしょうか」
デルフェスの推理に草間は考え込んでいたが、鈴のほうは違った。どうやらデルフェスの考えは間違えていないらしい。
年の瀬になると様々な人の中から消え去れと願い消されていく煩悩の化身。徐々に『自分』が消えていくという現象はデルフェスや草間には想像ができないほど恐ろしいものなのかもしれない。
だが、そこでデルフェスはあることに気付いた。
「鈴様、煩悩というものは完全に消えるものではありませんわ。今年の分を消すだけです。ですから、また新たな鈴様が次の年には生まれてくるのではないでしょうか」
完全に煩悩を消し去ることができるのであれば毎年除夜の鐘を突く者があれほど多くいるはずがない。
年が明けるのを待つこともなく人々の中には様々な煩悩が生まれ、それを消し去ることは容易ではないだろう。
しかし、鈴の顔は曇ったままだ。
「でも、『わたし』は消されちゃうの。いなくなれ、いなくなれって声が聞こえてだんだん消えちゃうの……そして、また次の『わたし』ができるの」
鈴にとって恐ろしいのは消えていくということもだが、『彼女』を消そうとする様々な声に対してもあるようだ。
「確かにそれは怖いかもしれないな」
草間はそう言いはしたが、だからといって鈴が消されてしまうことをとめることが不可能であるということを理解している以上、どうしたら良いのかわからないといった雰囲気だった。
と、そこでデルフェスがぽんと手を叩いた。
「でしたら、その怖さが紛れるようにわたくしたちと一緒に今年を目一杯楽しみませんか?」
「楽しむ?」
きょとんと鈴は首を傾げ、草間のほうもどういう意味だという目を向けてくる。
「除夜の鐘が鳴るまでまだ時間はあります。その間をただ怖がって待つというのはあんまりです。ですから、目一杯楽しむことにいたしましょう」
良いことを思いついたとばかりにデルフェスはそう言って立ち上がり、いまにも鈴の手を取らんばかりだったが鈴のほうはいまだ戸惑った顔のままだ。
それがデルフェスの考えを拒否しているからではなく『楽しむ』ということそのものをよく知らないためらしいと察したのは草間のほうだった。
「よし、事務所の片付けはいったん休みだ。俺も一緒に付き合って良いか? 鈴ちゃんも人数は多いほうが楽しめるだろう」
「勿論、大歓迎ですわ」
草間の言葉に後押されるように3人は事務所を出、年の瀬で賑わっている夜の東京へと向かった。
3.
夜の東京は、普段以上に活気付いていた。年の瀬であり、もうじき年が変わるということが街を盛り上げているのだろう。
この時間でも開いている店が数多く見え、早速デルフェスはアパレルショップへと鈴をつれていく。
可愛らしい服が取り揃えてある店内を見て、鈴は驚いたような目で周囲を見ており、その中から早速デルフェスは数着の服を持ってくる。
「鈴様にはきっとこの服が似合いそうですわよ、でもこちらも良いかしら。迷いますわね」
「でもわたし……」
いままで服というものに縁がなかったためか、消えてしまうものが買ったところで意味がないとわかっているから鈴は乗り気ではない様子だが、それを見てデルフェスが言葉を紡ぐ。
「買わなくても構いませんわ。着てみるだけでも十分です。鈴様は可愛らしいお姿をされているのですから、やはり服もそれに見合うものを是非着てみるべきですわ」
結局そのままデルフェスに半ば強引に試着室に連れて行かれてしまった。
草間は流石に試着室まではついていけないので待っていることになったが、しばらくして「お待たせしました」とデルフェスの声が聞こえてきたので顔を上げた草間の目には見違えるような鈴の姿があった。
「可愛いじゃないか」
「ほら鈴様、やはりこちらのほうが殿方の受けは良いのですよ」
可愛いといわれたことは満更ではなかったらしい鈴は少女らしく、別のものも着てみたいとふたりに頼み、勿論それにふたりは付き合った。
気が済むまで服を見て回った後、次にデルフェスが連れて行ったのはデザートが評判のカフェ。そこでも鈴はいままで食べたことのないものに目をきらきらさせていた。
それ以外にも様々な店を3人は訪れた。何処へ行っても鈴は楽しげな顔をしたままだ。
最後にデルフェスが連れてきたのは東京の夜景が一望できる場所だった。
「綺麗ですわね」
その言葉に鈴も嬉しそうに頷いた。こうやって年の瀬を過ごしたことなど一度もない鈴にとってデルフェスに連れられた夜はとても楽しいものだったようだ。
「ほんとに楽しかった」
心からそう言った鈴にデルフェスも満足そうな顔をして店、傍らでは草間もそんな様子を眺めている。
と、そのとき3人の耳にある音が聞こえ出した。
除夜の鐘の音。
ひとつ、ふたつとゆったりとしたテンポで鐘の音が鳴り響く。
今年もそろそろ終わりだということを告げる音だったが、デルフェスと草間は慌てて鈴を見た。
鈴の姿が、徐々に消え始めていっていた。
ゆっくりと身体が周囲に溶け込むように、鈴の身体が消えていっている。
しかし、その顔に恐怖はない。デルフェスたちと共に過ごした夜のことを思ってか微笑んだままだ。
「鈴様、また来年お会いしましょうね」
「うん、今度はもっといろんなところへ連れて行って」
約束ね。
そう付け加えたところで最後の鐘の音が鳴り響き、少女の姿は跡形もなく消えていた。
少女が消えた跡を、デルフェスと草間はしばらく見つめてから先程まで3人で見ていた夜景のほうを見た。
「鈴様、来年もまたきっと事務所にお越しになられますわね」
「そうだな、ひょっとすると今度は前もって行きたい場所を考えてくるかもしれないぞ」
「まぁ、素敵ですわ。でしたらこちらもいろいろ調べておかないといけませんわね」
もう次の年の瀬のことを楽しげに語るデルフェスに草間はおいおいと苦笑しながらもそれには賛成のようだった。
「来年のもきっと忙しくなりますわよ」
「できれば怪異絡みは減ってほしいんだがな」
「あら、それは無理ですわよ。だって草間様はオカルト探偵ですもの」
そんなやり取りを交わしながらふたりは賑わいが衰える気配が一向にない夜の東京を眺めていた。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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2181 / 鹿沼・デルフェス / 463歳 / 女性 / アンティークショップ・レンの店員
NPC / 草間・武彦
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■ ライター通信 ■
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鹿沼・デルフェス様
初めまして、ライターの蒼井敬と申します。
この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
少女(鈴)の正体は煩悩の精霊ということで少女が恐れているのは消えていくことそのものよりも消えろと思う人々の心ということにさせていただきました。
デルフェス様のお心遣いで楽しい年の瀬になったようです。お気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。
蒼井敬 拝
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