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<東京怪談ノベル(シングル)>


夢のしずく

「う……ん……」
 ぼうっと浮かぶ淡い色彩。低い目線。
 公園の滑り台は逆光で大きな動物のようにも見え、ジャングルジムは秘密基地のようで。
 ああ、これは夢……。神楽 琥姫(かぐら・こひめ)は自室の中のベッドで、無意識にそう感じていた。
 いつも一緒にいるパンダのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめると、手に着いている封印具のバングルが少し手に当たった。大きすぎる自分の力を封印するためのアクセサリーだが、寝ているときは邪魔になるので、頭に着けている装飾は外している。それでも邪魔にならない程度に、腕や足には寝具に引っかからないような封印具は欠かせない。
 そして、首には宝物のペンダント。琥姫が持っているアクセサリーの中で、たった一つだけ何も施されていない普通のアクセサリー。
 目の前に広がるのは、夢の光景。
 昔々の、子供の頃の……。

 夢の中の琥姫は、赤い大きなランドセルを背負っていた。
 足下は走りにくい革靴に、まだ真新しい制服。胸につけられている名札には「1ねん2くみ かぐらこひめ」と名前が書かれている。
「いやーぁ、こっち来ないで!」
 琥姫は息を切らせて走っていた。
 学校を出た途端、突然琥姫を追いかけてきた大きな化け物。目も何もないのに、口だけが大きく、それがまるで笑っているようにぽっかりと開いている。そして長い手のようなものが、恐怖心を煽るように時折琥姫に触れるのだ。
 ほらほら、いつでも捕まえられちゃうよ。
 速く逃げないと、この大きな口でぺろりと食べちゃうよ。
「ふ、ふえっ……」
 神楽の次期当主としてこの世に生を受けた琥姫には、時々こんな事が起こることがあった。他の友達には見えないものが見えたり、公園の片隅で話をしているよその家のお母さん達の後ろに、背筋が寒くなるような黒い固まりが見えたり。
 それは、人一倍感受性と受動的な能力が強い琥姫にとって当たり前のことなのだが、それでもその当時の琥姫にとっては不思議で、そして怖いものだった。
 ニコニコと笑っていて、いつも自分にお菓子をくれたりするおばさんの後ろに、怖いものが張り付いている。
 毎日通学路で会うお婆ちゃんが、何故か悲しんでいるのが分かる。
 今、琥姫を追いかけている化け物は、そんな琥姫の恐怖心が生み出したものだった。
「………!」
 ランドセルが重い。
 子供の頃から細身で、背もまだ低い琥姫の背中にあるランドセルは、走るたびに揺れて肩に食い込む。でも、ランドセルを放り投げてしまったら、また家の使用人の人に怒られる。それじゃなくてもよく怒られたりするのに。
「こっち来ちゃいや!」
 校門を出て最初に目についたのは、広い公園だった。
「捕まったら食べられちゃう……」
 藪を抜けて、涙を拭う。ちらと後ろを見ると、化け物はそれに気付いたように、にやと笑った。
 ぺろりとお前を食べちゃうぞ……。
「いやあぁーっ、食べないでーっ」
 鉄棒をくぐった後で、ブランコをすり抜ける。その時だった。
 どさっ。
 そんな音と共に、琥姫の体が地面にたたき付けられる。化け物に何かされたわけではない。元々琥姫は運動音痴でよく転ぶ。咄嗟に地面についてしまった手を見ると、じわっと血がにじむのが見えた。
「うっ……痛いよー」
 少し振り返ると、化け物が鉄棒に絡まって琥姫を見ていた。目はないけれど、その視線が琥姫に絡む。
 ここで倒れていたら、本当に食べられちゃう。痛いのは我慢しなきゃ。
 制服と膝の土を払い、ランドセルを背負い直す。
『そうそう、そうじゃないと鬼ごっこは面白くない』
 はっきりと、化け物の声が聞こえた。
「捕まらないもん!」
 これは命がけの鬼ごっこだ。家まで帰れば、きっと化け物は入ってこられない。
 でも、捕まったら大きな口で食べられる。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」
 立ち上がって、琥姫はまた走った。精一杯強がって、怖がっているのを悟られないように。
 公園を斜めに横切ると、商店街への近道だ。商店街には人がたくさんいるから、あの大きな化け物は追いかけるのに苦労するだろう。
「あら、琥姫ちゃん。そんなに走ってどうしたの」
 大きく揺れないようにランドセルの肩ひもに手を掛けて走っていると、そんな声が聞こえ、思わず立ち止まる。
「あ……えっと……鬼ごっこしてるの」
「鬼ごっこ?」
 少し後ろを見ると、化け物が人をすり抜けながら近づいてきた。しかも、人をすり抜けるたびに少しずつ大きくなってきているような気もする。
 どうして、誰も気付いてないんだろう。
 キョロキョロしてみるが、通りにいる人は何も見えないように買い物などを楽しんでいる。
『無駄だよ。お前以外誰も気付いてない……』
 クスクスと笑う声。琥姫はぺこりと頭を下げる。
「あ、あのね、追いかけてきたから逃げなきゃならないの。さようなら」
「気をつけてね」
 どうしよう。
 誰もあの化け物に気付いてない。しかも少しずつ大きくなって、言葉もはっきりしてきた。あの化け物が見えているのは自分だけで、そしてあの化け物が捕まえようとしているのも自分だけ……。
 逃げなきゃ。とにかく家まで逃げなきゃ。
 何故か分からないけれど、そう思った。商店街を抜けると、今度は大きな河原に着く。橋を越えてすこし行けば自分の家だ。
 足がもつれる。何度も転ぶ。
 化け物の禍々しさは少しずつ増してきて、振り返ったら吐く息が生臭く感じられるほど近づいてきている。
 怖い。怖いよ。
 誰か助けて……お父さん、お母さん……。
 そう思っているのに、息が上がって声が出ない。喉はからからで、吐く息がヒューヒューと鳴る。苦しくて、怖くて、涙だけがポロポロこぼれる。
 橋を越えれば……自分の家の門が見えてきて、琥姫は笑顔になった。家に入れば、きっと誰かがいる。
 だが、それに気付いたかのように、化け物が笑った。
『家の中に入ったって、お前を追いかけていくよ』
「……!」
 そうだ。誰もいなかったらどうしよう。
 商店街にいた人たちのように、誰もこの化け物に気付いてくれなかったら……。
『だから素直に食べられておしまい……』
「い、いや!」
 とにかく家に入らなければ、門を抜け大きな引き戸を開ける。
「……えっ?」
 そこはいつも見える光景ではなかった。
「………」
 長い銀髪を持つ和装の美しい女性が、優しく微笑みながら立っていた。そして前のめりになる琥姫を優しく抱き留め、ランドセルをぽんぽんと叩く。
 誰だろう。
 見たこともない綺麗な人。だけど抱き留められた瞬間、暖かくて安心できる空気が伝わってきた。
「………」
 女性は何も言わずに琥姫を座らせ頭をそっと撫でると、優雅に微笑み右手をスッと外へ向かって翳す。
『くっ……貴様ぁ……』
 その瞬間、門から入ってこようとしていた化け物の動きが止まった。何かに押さえられているかのようにもがき、地面をひっかく。
 リン! リン!
 鈴の音が鳴った。それは女性の手首や足首に着けられているもので、その音が鳴ると共に軽やかに舞が舞われた。それは凛として優雅であり、優しさと同時に強さを感じさせるようなそんな舞。
 その舞を琥姫は知っていた。結界を張るための舞……だけど、こんなに美しくて優雅な舞は見たことがない。
 それに見とれていると、女性が琥姫を見て頬笑んだ。
「綺麗……」
 この人の舞で作られた結界なら、どんな化け物も入ってこられないだろう。そんな安心感がある。琥姫は転んで痛かったことや、今まで息が切れていた苦しさも忘れ舞に見入っていた。
 シャン! シャン!
 舞が止まり、音が消える。その静寂に、化け物のうめき声が鳴り響いた。
『くわあぁぁぁぁっ……』
 今までで一番大きく口を開け、憎しみや妬みなどの負の感情を咆吼と共に辺りに響かせる。それが見えないように女性の後ろに琥姫が隠れると、女性がふわりと飛び上がった。
「天女様みたい」
 音もなく、重力も感じさせないように空へと舞う。
 シャン!
 鈴は一度だけ鳴った。舞い上がった女性が化け物に跳び蹴りをしたのだ。だがそれは蹴りと言うよりも、舞い上がって高い足場に足をついただけのようにも見える。
 それと同時に化け物が消滅した。今まで禍々しかった化け物の体が花びらと化し、風に乗って飛び去っていく。
「………」
 琥姫はそれを呆然と見つめていた。
 何て素敵な人なのだろう。強さと優しさ、そして優雅さを持った人。
 私も大きくなったらこんな人になりたい……こんな風に、強くて優しい人になりたい。困っている人を助けてあげたい。
「あなたは……」
 誰?
 そう聞こうとした瞬間、急速に世界が色を失っていった。

「………」
 目が覚めると、顔が涙で濡れていた。随分長いこと泣いていたのか、枕や布団も涙で濡れている。
 辺りはまだ暗く、琥姫は自分を安心させるようにパンダのぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめた。あれが夢だったというのは分かっているのに、現実に戻るのに時間がかかる。かといって眠たいわけでもない。
 まだ夢の中の感覚が自分の中に残っていた。
 恐怖、焦り、そして安心感。思い出そうとすれば転んだときの土の香りや、風に乗って消えていく花の香りさえ思い出せそうだった。
「喉、乾いたな……」
 パンダのぬいぐるみを抱きしめたまま、琥姫はベッドからそっと出た。冬の夜はまだ寒く、側にあったカーディガンを羽織ってルームシューズを履く。
 台所にある冷蔵庫からトマトジュースを出して飲むと、琥姫はリビングのカーテンを開けた。
「星が見える……東京なのに、綺麗な星空……」
 澄んだ夜空には、東京では珍しいほどの星空が広がっていた。その星空を見て、琥姫は夢の中で聞いた鈴の音を思い出す。
 あの人は、一体誰だったのだろう。
そしてあの夢は、一体なんだったんだろう。
 本当にあったことのような、それでいて幻だったかのような不思議な夢。本当なら家に誰もいないということはなかったから、あれは夢なんだと分かっている。でも夢で体験した恐怖も安心も本物だ。
「私も、いつかあの人みたいになれるかな」
 ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる。でも、返事はない。顔を上げると、胸元でペンダントが揺れた。
「………」
 空を見ると一筋の流れ星が見えた。それに祈りを込めながら、琥姫はしばらく窓の側に佇んだまま星空を見つめ続けていた。

fin