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<東京怪談ノベル(シングル)>


戒めは業火と異なり


 見慣れた天井をぼんやりと見つめ、黒崎・吉良乃(くろさき きらの)は考える。少しでも足を動かすと、ずきり、と痛みが走る。
(これは、現実)
 暗殺の依頼をこなした、あの事実が夢の中での出来事のように思っていた。足を銃で撃たれ、もう駄目だと覚悟をした。だが、待ち構えていたのは死ではなくこの天井だった。
 夢であったのかもしれない、とも思った。そうすれば、その後見つけたディスクの中の映像だって、夢だといえるかもしれないから。
 だが、痛む足がその考えを一蹴する。
 ディスクですら、存在を強調する。未だに、机の上に置かれているのだから。
 メモも残っている。見てね、と書かれた文字は、紛れもなく自分の筆跡。
(私に、その記憶はない)
 ディスクを手にした事も、メモを残した事も、ディスクの中に残っていた映像の事も。
 吉良乃はぶる、と小さく身震いする。自室のベッドは、いつもと変わらない。こうして見つめる天井も、変わってなどいない。
 違ったのは、映像の中の自分だ。
 何故、銃で撃たれたはずの足は軽やかに動いていたのだろう。
 何故、歩くだけで周りが塵と化していたのだろう。
 何故、あんなに楽しそうだったのだろう。
 何故、何故、何故……!
「怖い」
 ぽつり、と吉良乃は呟く。
 あの時以来、仕事を請けてはいない。足の怪我を差し引いたとしても、仕事をする気には全くなれなかった。
(私の中に、何かが、いる)
 自分の図り得ない所で、何かが起こっている。それも、自分の中で。
 それがたまらなく怖くて、たまらなく恐ろしい。
 気のせいだと自分を誤魔化す事も出来ない。吉良乃は、自分の目で、自分の中に何者かがいる事を確認してしまったのだから。
 映像に映っていたのは、異形の姿をしていたが、確かに自分なのだ。間違いようもなく。
「悪い夢ならいいのに」
 ずきりと痛む足が、机の上のディスクとメモが、その考えを許さない。
「夢なら、早く覚めて……」
 それでも願わずにはいられない。
 吉良乃は僅かな希望に思いを馳せ、目を閉じる。夢ならば、次に目を開けた時には全てが終わっている。
 そうして徐々に、吉良乃は眠りに落ちていくのだった。


 カチカチ、と時を刻む時計の音が、やけに耳についた。
(今、何時?)
 吉良乃は、枕元にある筈の時計を手探りで探す。だが、何時まで経っても時計に手が届かない。
 目を瞑ったまま探す事を諦め、目をゆっくりと開く。
「……ここ、は」
 は、と目を大きく見開く。
 そこにあるのは、見慣れた天井ではない。つん、と古めかしい臭いもする。明らかに、ここは自室などではない。
 吉良乃は慌てて身体を起こす。その際、足の怪我に響いて眉間に皺を寄せる。
(痛みがあるという事はつまり、現実)
 何度か深呼吸をして自らを落ち着かせてから、ゆっくりと辺りを見回す。
 古めかしい人形に、年代ものの時計、壁にかかった剥製の鹿の首。自分が寝ていたのは、年月を感じさせるつくりをした、革のソファ。
「アンティークショップ・レン……?」
 吉良乃は呟き、自らの答えが合っている事を確かめるかのように再び辺りを見回す。
 そう、吉良乃のいる場所は、アンティークショップ・レン以外の何ものでもなかった。古めかしいものたちがずらりと並び、つんと鼻をくすぐる臭いがする。店内は何処となく薄暗いが、何故か安心感を覚える。
 何度か訪れているのだから、間違いようもない。
(どうして)
 つう、と汗が背中を通るのが分かった。これで、自分が感知し得ない出来事に直面したのは、二度目だ。
(どうして、私はここに)
 目を閉じる前は、自室のベッドの上にいた筈だ。夢なら覚めればいいと、目を閉じた。いつの間にか、眠りに落ちていた。
 となると、再び目を開いた先にあるべきものは、自室の天井のはずなのだ。
 不意にディスクに映っていた異形の姿をした自分を思い出す。ある筈がない、と思うのに、その一方でもしかしたら、と思ってしまう。
 また、同じことが起こったのでは、と。
 その時、がちゃり、という扉を開く音が響いた。吉良乃は、思わずびくりと身体を震わせる。
「……どうしたんだい、あんた」
 店内にある吉良乃の姿を見つけ、碧摩は訝しげに声をかける。
「出かけていたのね」
「ああ。だけど、あたしは鍵をかけて出たはずなんだ。それなのに、どうして」
 碧摩の言葉に、吉良乃は「分からないわ」と呟くように答える。
 吉良乃自身が聞きたい事だ。どうして、自分が此処にいるのか。どうやって、此処にやって来たのか。
 碧摩によれば、鍵までかかっていたというのだ。それなのに、何故、何故……!
 記憶を手繰り寄せようとしても、端すら掴めぬのだからどうしようもない。
「足、どうしたんだい?」
 吉良乃の足に巻かれている包帯に目をやり、碧摩は尋ねる。吉良乃は「怪我」とだけ答え、ソファから立ち上がろうとしたが、痛みのためにそれは適わなかった。
「歩けないくらい、痛いんだね」
 碧摩は考え込む。吉良乃は立てぬほどの痛みを伴った怪我を、足に負っている。それなのに、どうやってこの店までやっていたのか。
 鍵だけならば、かけ忘れていたという可能性が残っていた。しかし、足の怪我はどうしようもない。タクシー等を使ったのならば、記憶にないということもないだろう。
 どうしたものか、と碧摩は考える。吉良乃を帰してやるのは簡単だ。タクシーを呼んで、乗せればいい。ただ、それだけで済むのだが。
「……この店に、一晩泊めてくれ」
 悩んでいる碧摩の耳に、声が響く。そちらを見ると、壁にかかっている鹿の剥製が碧摩に言っているのだ。
「この店に一晩泊めてくれ。そうしないと、店が消される」
「消される、だって?」
 物騒だねぇ、と碧摩は苦笑する。しかし、こうして言ってくるからには何かがある。
「こっちの部屋で、いいかい?」
「え?」
「泊まるといいよ。その足じゃ、帰るのも大変だろう?」
 碧摩はそう言いながら、ちらりと吉良乃の足を見る。吉良乃も「あ」と言い、碧摩に「ありがとう」と告げる。
 吉良乃はアンティークショップ・レンの中にあった古びた杖を貸され、それを支えにして立ち上がる。大丈夫かと尋ねつつ、碧摩は吉良乃を先導する。
 店の奥に入っていき、小さな一室にたどり着く。碧摩がベッドの準備をする間、吉良乃のはぐるりと部屋の中を見回す。
 置時計がカチカチと響き、部屋の主のようなアンティークドールがいる。壁には人物画がかけられていた。
「悪いわね」
「いや、いいさ。ちょいと癖のある連中だけど、そこは勘弁しておくれよ」
 碧摩が言うと、アンティークドールが「そうよ」と言ってくすくすと笑う。
「煩くはしないでね。いびきなんて許さないわ」
「……気をつけるわ」
 突如喋りだしたアンティークドールに、半ば呆然としつつ吉良乃は答える。すると、部屋のあちこちから笑い声が響いた。壁の人物画だとか、何気なく置いてある写真だとかから。
「ま、一晩だけだから、大丈夫だろう」
「ありがとう」
 ベッドの準備を終え、部屋から出ようとする碧摩に、吉良乃は礼を言う。碧摩は「いいっていいって」と言いながら、部屋を出て行った。
 吉良乃は大きくため息をつき、ベッドに横になる。
(どうして、此処に来たんだろう)
 疑問はそれ以外にもある。どうやって此処まできたのか、全く記憶にないのだ。
「私は、一体」
 ぽつりと呟き、目を閉じる。やっぱりこれは悪い夢で、また目を開けたら自室にいるかもしれない。
 そんな淡い願いをずきりと痛む足が壊したが、それでも吉良乃は夢であればいいと思っていた。
 全てが、夢であれば、と。


 カチッ。
 力強い時計の音は、深夜0時が訪れた事を告げた。その音が妙に響き、目を開けた吉良乃はゆっくりと起き上がる。
 その途端、どこからか蝙蝠の大群が現れた。何匹いるか、見当もつかない。視界すら真っ黒になるほどの、大群。
「何……?」
 ばさばさと羽ばたく蝙蝠達に、何が起こったのかを必死に頭を整理しようとするが、うまくいかない。またもや夢ではないのかと思うが、そうではない。
 吉良乃は慌てて、部屋の中を見回す。くすくすと笑っていた物たちが、しんと黙りこくっている。あのアンティークドールでさえ、ぴくりとも動かない。
 蝙蝠達に威圧されてしまっているかのように。
 やがて、蝙蝠達の中から何かが現れた。人型をしている。人なのだろうか、と目を思わず凝らす。蝙蝠達を携えているのならば、吸血鬼でもやってきたのかと。
「……!」
 だが、吉良乃ははっきりと分かってしまったその人物の顔に、言葉を失った。かたかたと小刻みに、自分が震えているのが分かる。
 ある筈のない出来事が、起こってしまった事がわかる……!
 ひらり、と紫のローブが揺れ、にこ、と吉良乃に笑いかけた。
「こんばんは♪」
 それは紛れもなく、自分だった。それも、あの映像に映っていた、異形である自分。
 ぐるぐると回る思考の中、足の怪我だけが、妙に痛かった。


<会合は起これり・了>