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<東京怪談ノベル(シングル)>


気持ちの重さ

 新しい年が明けて少しした頃、蒼月亭でコーヒーを飲んでいた黒 冥月(へい・みんゆぇ)は、カウンターの中で鼻歌を歌いながらコーヒーミルを刷毛で掃除している立花 香里亜(たちばな・かりあ)に向かって顔を上げた。
「香里亜、今日は暇か?」
「はい。お仕事終わったら、特に予定はないんですけど」
 そう言って、にっこりと頬笑む香里亜。
 まだ松は取れていないので、店内には手作りらしき正月飾りがまだ付いている。それに目をやり、冥月はほんの少しだけ目を細めた。
「じゃあ初稽古と行こうか。仕事が終わって準備が出来たら、いつもの場所に来い」
 自分の身は自分で守りたいと言う香里亜に、冥月は護身術を教えている。教え方が厳しいのですぐに根を上げるかと思っていたが、随分長く続いているような気がする。最初の頃はジョギングだけで息が上がっていたが、最近は自分でも頑張っているようだ。
「分かりました。よろしくお願いしますね」
「ああ、先に行って待っている」
 冥月がそう言いながら立ち上がり、カウンターに置いていた携帯を手に取ったときだった。その端にぶら下がっているストラップを見て、香里亜が何かに気付いたように笑った。
「あ、ストラップ……」
 クリスマスに、香里亜からプレゼントにもらったもの。
 普段は黒い物しか身につけない冥月だが、このストラップはオニキスと水晶で作られている。冥月はそれに少しだけ笑うと、コーヒー代を置いて影の中に消えていった。

 冥月の道場は、影の中にある異空間にある。
 無論誰でも入れるわけではなく、冥月が許可した者しか入れない場所だ。仕事を終えた香里亜が家でジャージに着替え、いつものように影に入っていくと、道場の入り口には小さな正月飾りがかけられていた。
「そう言えば、新年初だっけ」
 そう思うと、何だか急に背筋が伸びるような気がする。
 香里亜は道場のドアを開けると、中にいる冥月に向かってぺこりとお辞儀をした。
「老師、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね」
「あけましておめでとう。今年もよろしくな」
 今の正直な気持ち。
 それを言うと、香里亜が正面に正座してじっと冥月を見た。
「はい、今年も頑張りますよ」
「じゃあ、いつものように柔軟からだな」
 こうして香里亜に稽古を付けてやるのは、実は久しぶりだ。体を動かしていないと、どうしても感覚が鈍ってしまう事を冥月は心配していたが、思っていたほどではないようだった。
「自分でもジョギングとか続けていたのか?」
「はい、柔軟とかは習慣になっちゃってますから。何かジョギングとかしないと、次の日体が重いんです。あ、でも、こういうのは久しぶりなので……」
 それはこういう稽古のことを指しているのだろう。ちょっとごまかすような表情の香里亜を見ながら、冥月はいつものように少し離れた場所に立つ。
「そうだな。稽古は久しぶりだから、腕が鈍ってないか見てやる。特に制限はつけないから私に触ってみせろ」
 今日の稽古は「とにかく香里亜が冥月の体の一部に触ること」だ。冥月は床に書かれている円の中に立ち、それに向かって香里亜が攻撃を加えるという方法で、いつも稽古を付けている。実戦方式であれば体の動かし方だけでなく、気の配り方や自分の防御についても一度に教えられるからだ。
 すると香里亜は二、三回その場でジャンプをして、冥月の方を向いて姿勢を低くした。
「行きます!」
 短い助走と、足下への攻撃。それを軽くかわし、冥月は溜息と共に苦笑する。
「香里亜、最初に『行きます』って言うのは癖なのか?」
「はうっ! 意識してませんでした」
 この『行きます』については何度か注意しているのだが、どうしても言ってしまうのは癖なのかも知れない。道場で稽古をしているというのもあるだろう。
「………」
 稽古を付け始めた最初よりは、動きが段々良くなってきた。フェイントだけでなく、足捌きや体捌きも良くなってきたし、見え見えの隙にも惑わされなくなった。
「うーっ、やっぱりそう簡単にはいかないか……」
 水平に払った手刀を避けられた香里亜は、少し間合いを取り冥月の足の動きなどを見ている。それを目の端で追いながら、冥月は色々なことを考えていた。
 考えてしまうのは、やっぱり香里亜のこと。
 秋口からずっと考えていた。自分はどうしても調子に乗って、加減知らずで……「尽くしたい」と思ったら、それに向かって突っ走ってしまって。
 年末にその事について、第三者と話をしたことがある。
 好きになったら守りたいし、自分が出来る最大限の事をしてやりたい。でも、どうしてそれが引っかかるのかが分からなくて。そう思っていたときに、何気なく言われた言葉。
『でもさ、そういうのって、時々重いぞ』
 重い。
 その評価は正直ショックだった。
 重いとか軽いとか、そんな事は全く考えてなくて、自分がしてやりたいことをしていたことが『重い』ととらえられていたのだろうかと。
「………」
 スッと香里亜の蹴りを避け、冥月は考え続ける。
 自分と香里亜は、生きてきた世界が違う。物心ついたころから修行に明け暮れ、死ぬか生きるかの世界に生きてきた自分と、能力的には未知数の物を持ちながらも、平凡に生きてきた香里亜では住んでいた世界が正反対と言ってもいいかも知れない。
 今でもそれが変わったわけではない。壊滅させた組織の残党は自分を狙っているだろうし、危険な橋はたくさん渡っている。
 だからこそ……こんな世界に生きていると、心底心を許した相手を作りたい。そう思うのは、ある意味仕方のない衝動だ。
 心を許しているからこそ、自分が出来ることは何でもしてやりたくて。
「あーん、今のは結構会心だったのに……」
 目の前スレスレに来た香里亜の裏拳を、冥月はふいと横に顔をずらしてかわす。今のタイミングなら、大抵の人間は鼻を打って悶えるだろう。
「いけるって思ったの、ばれちゃったかな」
 パンパンと手を払うその仕草に、冥月の視線が行く。
 ……クリスマスに冥月は、手編みの手袋を作って香里亜にプレゼントした。渡したときに、また遠慮されたりしたらどうしようかと思っていたのだが、それはすごく喜んでくれたのを覚えている。
『ありがとうございます。会場が寒いので使いますね』
 その手袋は、実際クリスマスマーケットの会場でも使っていてくれていて。それがとても嬉しくて。
 今までずっと大切なのは気持ちであって、額は関係ないと思っていた。それは高価なプレゼントでも関係ないと思っていたのだが、確かに今考えると流石に高すぎたような気もする。同じプレゼントを冥月がされたら遠慮してしまう。
 もしかしたら、そういう部分の想像力がほんの少しだけ足りなかったのだろうか。
「………」
 香里亜が大きく肩で息をつき、屈伸運動をした。
 今日の冥月はいつもより隙があるような気がするのに、やっぱり上手く一撃を入れられない。紙一重でかわされると言うことは、攻撃を誘われているのだろうか。
「初稽古だから、良い結果出したいな……これじゃ、自分守る前にバテちゃいそう」
 その声に、思考の迷宮を彷徨う冥月の心が逸れる。
 香里亜を守ってやりたい。
 そう思っているのだが、その気持ちも一方的すぎたかも知れない。
 自分の身は自分で……香里亜はそう言っているが、それでもやっぱり心配だ。でも、その気持ちをグッと堪えて、あえて突き放して見守るぐらいでも良いのだろうか。
 それでも……やっぱり守ってやるぐらいはしたい。それだけは譲れない。
 その時だった。
「やたっ!」
 下段の蹴りをフェイントにした手刀。それが冥月の首元に来た。
「………!」
 しまった。考え事をしすぎて隙が出来た。
 その瞬間、冥月はその手をパッと取り、そのまま香里亜が動こうとしていた方向に軽く投げ飛ばす。
「あ……すまん」
「い、今のは触ったうちに入りますか……きゅーっ」
 避けなければいけないのに、思わず手が出てしまった。思わず我に返って呆然としてしまう冥月に、転がっていった香里亜がペタと床に伸びた。

「は、はうぅ……」
 香里亜が目を開けると、冥月が冷たいおしぼりを持ったまま心配そうに見ているのが目に入った。
「大丈夫か?」
「は、はいー。初稽古だったから、良いところ見せたかったんですけど、まだまだですね」
 もらったおしぼりを額に乗せると、ひんやりとした感触が心地良い。特にフラフラしているわけでもないので体を起こすと、冥月はバツが悪そうにふいと顔を逸らす。
「……少しやりすぎていた様だ。一方的過ぎた、すまない。友達なら対等に、だな」
「ほえ?」
 唐突な言葉にきょとんとし、香里亜は何かを理解したように息をついて笑った。
「そうですよ。冥月さんは老師ですけど、私の大事な友達なんですから」
 気を許したようなその笑顔に、冥月も香里亜の頭に手を乗せる。
 そうだ。守ってやりたいと思うのは、香里亜が大事な友達だからだ。いなくなってしまったら、心の火が消えてしまうと思うほど大事に思っているからだ。
 だから、余計に心配に思ってしまうわけで。
「でもな、守られたからって逆に私を守ろうなんて発想だけは持たないでくれよ。自分の安全を第一に考えてくれ。恩に思うなら他で返してくれればいい」
 自分を守ろうとして香里亜に何かあったら。冥月が恐れているのはその事だ。
 香里亜が自分の身を守る手伝いはしてやりたいが、それを自分にまで向けてケガをしたりしてしまったらそれが心苦しい。
 すると香里亜がにこっと笑う。
「まず私が私を守れないとですよね。でも、他で返せばって、何で返したらいいんでしょう?」
 それはあんまり考えていなかった。
 冥月は少し考えて、ぼそっとこう言う。
「例えば……料理とかか?」
「料理ですか。あ、み……じゃない、老師、おせち食べました?」
「い、いや、まだだが」
「私、今年も色々作ったんですけど、良かったら食べませんか? 冥月さんにも食べてもらいたくて、たたきゴボウとか栗きんとんとか作ったんです」
 急に元気になって、ちょこんと正座する姿に冥月はくすっと笑った。
 大丈夫。気持ちはちゃんと伝わっている。これからは同じぐらいの重さでやりとりしていけばいい。また失敗するかも知れないけれど、それも良い経験で。
「去年作っていた伊達巻きとかはあるか? あれは美味かった」
「ありますよ。端っこの所は食べちゃったんですけど……あ、おせちの前にシャワー浴びたいです」
 また今年もゆっくりと進んでいこう。
 立ち上がる香里亜に手を貸しながら、冥月は晴れ晴れとした気持ちで笑った。

fin