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『消えた義兄妹(後編)』
「零、こっちに来なさい」
言葉に従い、草間・零はその男の方へと歩いた。
足下に、倒れている男性の姿がある。
「兄……さん」
「いや、これは貴様の兄ではない。兄に似たロボットだよ。暴走したんで眠らせたんだ」
零と草間・武彦の間に立ち、男は穏やかに微笑みながら、言葉を続けた。
「零、このビルを破壊してしまおう」
その言葉に、零は草間から目を逸らさぬまま、首を横に振った。
一変して、男の表情は険しくなる。
「そうか。それならもうしばらく待とう。数時間もすれば、全て忘れるだろうからな」
呟きながら、男は零の手を引いて、ビルの中に連れていった。
零は複雑な表情で、眠り続けている草間を見ていた。
**********
数時間後。
目を覚ました草間は、手の甲の文字に気付く。
2人の人物の名前が書かれている。
記憶を探り、その人物を思い出す。
面影は薄っすらとしか浮かばない。
だけれど、2人が自分にとって、とても大切な人物だということはわかる。
立ち上がると、壁に記された矢印が目に入った。
矢印の先には、ビルがある。……その屋上に、少女の姿があった。
「草間・零」
その子の名前だ。
「っ……」
頭痛に顔を歪める。
生気の無い街の人々が目に映った。
自分も、もう少ししたら、このようになってしまうのだろう。
何もわからずとも、記憶が消えていく恐怖だけは感じていた
**********
シュライン・エマは、右腕の文字の上にそっと左手を乗せた。
ゆっくりと撫でながら、深呼吸を繰り返す。
この文字には意味がある。
誰かが書いてくれた文字だ。
私の、ために。
何度も何度も深呼吸をした後、ショルダーバッグに気付く。
バッグを開けて、中を確認する。
まず、メモ帳と芯が出たままのノック式ボールペンを取り出した。
それはまるで、先ほどまで使っていたかのように、無造作に入れられていた。
メモ帳に書かれた文字を読んでいるうちに、少しずつ記憶が蘇ってくる。
鮮明ではなかった。
夢の中で起きた出来事のような、漠然とした記憶でしかなかった。
しかし、このメモの文字は確かに自分の字だ。
「武彦さん……そう、武彦さん」
草間・武彦の名を呼び、手に書かれた文字を見た。
これは、彼が書いてくれた文字だ。
逸れた彼もまた、記憶を失っているのだろうか。
自分のことも、そして……目的も。
「大丈夫」
自分に言い聞かせるように言って、シュラインは立ち上がった。
街にはスプレーで印をつけた。記憶を失っていても、行くべき場所はわかるだろう。
そして零を見て、自身の怪我を見れば、目的だってきっと思い出すだろう。
自分の知っている草間は、無能な人間ではない。弱い人間ではない。
「だから、大丈夫」
ビルとビルの隙間から出て、インシャインビルを見上げる。
会いたかった。
草間武彦に、草間零に。
記憶の中の二人には、霧がかかっている。
だからこそ、本当の2人に、今すぐ会いたかった。
会って、触れ合って、抱きしめたかった。
低い建物が多い街であった。
その中で、一際高いビルが、インシャインビルである。
シュラインは吸い込まれいく人々と一緒に、ビルへ入る。
人々は会話もせず、ロボットのように、真直ぐとそれぞれの目的の場所へと向う。
シュラインもまた、走ったり見回したりはせず、不自然にならないよう、落ち着いた様子で階段へと出た。
長い長い階段が続いている。
シュラインは、手すりに掴まりながら、駆け上る。
息が切れるが、歯を食いしばって、上っていく。
足が重くなる。だけれど、休んでいる時間はない。
シュラインは必死に駆け上った。
数分後、ようやく光が届いた。
見上げれば、屋上へ続くドアが開いていた。
押し寄せる不安感、そして襲い来る頭痛と闘いながら、シュラインは最後の階段を上りきった。
「武彦、さんッ!」
叫び声を上げた後、荒い呼吸を繰り返す。
ドアの側で佇んでいた草間が、振り向いた。その顔には擦傷がある。
「……シュ、ライン……か?」
「そう、よ。よかった、わかるのね」
数時間前にかわした言葉と、同じであった。
だけれど、記憶が薄れている2人には、数年ぶりの再会のような感覚であった。
「書いてあるからな」
草間が手を見せた。そこには、シュラインと零の名前が書いてある。シュラインが書いたものだ。
「しかし、すまん。よくは思い出せないんだ」
言って草間は額を押さえる。
「いいの。零ちゃんのことを、大切な存在だって覚えてくれていれば、今はそれだけで……」
その零は――男と共に、屋上の中央にいた。バズーカーのような武器を下に向けて構えている。
「聞いてもいいか……?」
草間が不安気に、シュラインに尋ねる。
「なあに?」
「あれは、止めるべき、なんだよな?」
「勿論。あなたの大切な義妹に、そんなことをさせてはダメ。零ちゃんはあなたの事務所『草間興信所』で毎日お掃除をしてくれているでしょ?」
言って、シュラインはバッグの中の写真を草間に見せた。
日常が映し出された写真であった。
零が微笑みながら机を拭く姿が、映っている。
「そうだ、な」
草間は目を細めながら頷いた。
「武彦さんは、零ちゃんをお願いできる? 今度は私があの人を止めてみるわ」
「しかし……」
「大丈夫よ! 少し、時間を稼ぐだけだから」
気遣うような草間の眼に、シュラインは強い意志を籠めた眼で返した。
草間は頷いた後、手を差し出した。
「行くか」
差し出された手を、握り締め、シュラインは強く頷いた。
「零ちゃんッ!」
中央に走り、気付いた男と零が振り向いた途端、草間とシュラインは左右に離れた。草間は零側に。シュラインは男の方へと。
「零、武器を捨てろ。『草間興信所』に帰ろう」
記憶を辿りながら、草間が零の説得にあたる。
零は感情のない眼で、草間を見ていた。
「やれやれ、ホント煩わしい奴等だ」
男が、自分に近付くシュラインに手を伸ばす。またあの音で、記憶を消すつもりか。
「零ちゃんを返してっ」
シュラインは叫びながら、必死に男にしがみつく……と見せ掛け、素早く取り出したスプレーを男に向けて噴射する。更に草間から借りたライターで火を点ける。
シュラインの脳裏に音が響くと同時に、男の顔に炎が吹きかかり、堪らず男は手で顔を覆った。
頭痛に顔を顰めながら、シュラインは男に体当たりを食らわし、零に手を伸ばした。
零の反対側の腕は、草間が掴んでいる。
「零、帰るぞ。……ほら、たまに、こうして三人で買物に行くだろ?」
「そうよ、そして散歩をして帰るのよね」
「それが、今のお前だ。武器を持たされていたのは、過去のお前だ。思い出せ、零」
零の顔に戸惑いの感情が現れた。
「くっ」
男が顔を押さえながら、手をこちらへと向ける。
途端、三人の頭に、あの音が響く。
頭の中に、もやが広がっていく。
「耳を塞ぐんだ!」
草間の声に、シュラインと……零も従った。
辛うじて、三人は意識を保ちながら、男を見た。
炎で服の一部が焼けている。そして、顔はスプレーで赤く染まっていた。
液が眼に入ったのだろう。まともに眼が開けないようだ。
草間は肘で、零の手から武器を落とす。
そして、シュラインに目配せをして零を預けると、男に駆け寄り、その腹に膝を叩き込んだ。
更に足を振り上げて、かかとを頭に振り下ろす。
「シュライン、給水タンクの上に上がれッ!!」
草間の絶叫は、シュラインの塞いだ手の隙間から、耳に入った。
シュラインは頷いて、耳から手を離すと、零の腕を引いて、給水タンクを目指した。
「零ちゃん、帰ろうね。そうだ、明日は三人で買物に出かけましょう。何が欲しい?」
日常的な会話をしながら、シュラインは零を給水タンクの上へと促した。
続いて、自分も梯子を上る。
「ゴミ、袋……きらしています」
零はたどたどしくとも、しっかりとした言葉で言って、シュラインに手を伸ばした。
「それは大変だわ。ゴミの多い事務所だもの。武彦さんがいつも散らばすのよね」
零の手を掴んで、シュラインは給水タンクの上へと登った。
続いて、走り寄った草間に零とシュラインは手を伸ばす。
草間は急ぎ駆け上り、2人を両手で包み込んだ。
途端。
空から、光が降り注いだ。
スポットライトのような光だ。
まるで、奈落から舞台に上がるような――。
そんな感覚を受けながら、三人の身体が浮き上がる。
**********
気付けば、高峰心霊学研究所の一室にいた。
「楽しめたかしら?」
沙耶が妖艶な笑みを浮かべながら発した言葉に、草間が叫んだ。
「楽しいわけねーだろ!」
シュラインは沙耶が持つ絵を見た。
シュラインの視線に気付くと、沙耶は絵に手を添えて門を撫でた。
カチャリ
そんな音がしたような気がした。鍵のかかるような音。
「大変です」
突如、零が言葉を発した。
「どうしたの?」
シュラインの問いに、零はこう答えた。
「ゴミ袋、売り切れてました。明日はゴミの日なのに、ゴミを出すことができません」
その言葉に、草間とシュラインは顔を合わせて微笑みあった。
夢から覚めたように、3人の記憶は戻っていた。
草間がそっと、零の頭を撫でた。
シュラインは零の手をとって、握り締めた。
「それじゃ、帰りに買って帰りましょう。いつものスーパーじゃなくても、売っているはずだから」
「……気をつけて」
沙耶が3人に言葉をかけた。
その言葉に、深い意味がないことを祈りながら、歩き出す。
じきに、3人の姿は深夜の東京へ溶け込んでいく。
命ある、世界。
心ある、世界へ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【NPC / 草間・武彦 / 男性 / 30歳 / 草間興信所所長、探偵】
【NPC / 草間・零 / 女性 / ?歳 / 草間興信所の探偵見習い】
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■ ライター通信 ■
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ライターの川岸です。『消えた義兄妹』前編、後編とご参加ありがとうございました。
おかげさまで無事、3人揃って興信所に帰還できました。
深手を負ったりせずにすんだのは、全てシュラインさんのお陰です。
ありがとうございます。
またお目に留まりましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
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