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<東京怪談ノベル(シングル)>


   「はばたきの詩」

 ――生き返りたいですか。
 穏やかに、厳かに。声が問いかける。
 ――あなたに人間としての居場所は、もうありません。
 ――それでも、生き返ることを望みますか……?


 『賢者の卵』と呼ばれる密閉された水晶の容器で、こぽこぽと加熱されるものがあった。
 材料は、金と銀。それに水銀と硫黄、塩。
溶かして、結晶化させ、それから更に過熱し、分解する。その残留物を酸で溶かす……。
その過程で物体は黒となり、白となり、最終的には赤色となる。
死と復活を経て、完成するもの。それこそが『赤い石』――またの名を『賢者の石』という。
ラクスはその大作業を終え、小さく息をつく。
錬金術においては、その材料や器具全てを錬金術により己の手でつくりあげていくことが大切だとされている。そのため、その作成に至るまでにはかなりの労力が必要となる。
――とはいえ、ここまでくれば後少しですね。
ラクスは微笑をたたえ、『被験者』に目をやった。
 器はもう、用意してある。
 サンプルに使用した絶滅動物の細胞は、うまく機能したと言ってもいいだろう。
 あとは、賢者の石を使って召喚した魂を定着させるだけだ。
「待っていてくださいね。もうすぐ終わり……いえ、もうすぐ、新たな人生が始まりますから……」


「きゃあっ」
 ぱちっと目を開ける女性に、覗き込んでいたラクスは思わず声をあげてしまう。
 ライオンの下肢に鷲の翼を持ち、一見すると実に凛々しい女性に見えるラクスだが、あとずさったまま怯えるように様子を窺う姿には威厳の欠片も見当たらなかった。
「――私……?」
 女性はそう言って、額に手を……当てようとした。だが、額を撫でたのは柔らかな羽毛だった。
「な……何これ!?」
 ぎょっとした様子で、彼女は自分の姿を見つめなおす。
 両手は翼となり、お腹やまるっとしたお尻は羽毛でおおわれている。
 巨大な身体をしていて、三本指のかぎ爪がついた足は太く短い。
 鳥の下肢と翼に女性の上半身……といえばハルピュイアのようなものを想像するだろうが、彼女の場合は飛べない鳥、エピオルニスの下肢。
 つまり分類は違うが、巨大なダチョウのような姿をしているのだ。
 ただ、胴体が人なので特有の長い首はなく、通常は短く退化しきっているはずの翼だけは、折りたたんだ長いものに変わっている。
 そちらは信じられないほどの怪鳥、との異名を持つテラトルニスコンドルのもの。翼を広げたときの長さは5メートルにも達する。
 しかもそれを巨体に合わせて更に倍ほどの大きさに改良されている。
「まぁ……。素敵ですね」
 巨大な怪鳥を見上げ、喜びの声をあげるラクス。
「どこがよーっ」
 女性は怒鳴り声をあげるが、ベッドに寝かされた状態のまま、うまく起き上がれないようでばたばたと暴れていた。
「人間としては生き返れない、みたいなことを聞いた気がするけど……こんなのってアリ!? どうせならもっとキレイな姿にしてくれれば!」
「で、でもエピオルニスというのはロック鳥のモデルにもなったのですよ。『千夜一夜(アラビアンナイト)』に出てくる……」
「嘘! だってロック鳥って、象食べるような鳥なんでしょ。こんな、ダチョウみたいな鳥じゃないはずよ!」
「本当です。けれど、エピオルニスは飛ぶことができませんので、空を飛べる形に改良を加えているところです。さすがに獲物を抱えて飛ぶようなことはできませんけどね。人間の身体を使用することで軽くなっているとはいえ、元々の重量がかなりのものですから」
「そんなことは聞いてないわよ!」
 説明するラクスに対し、女性はぎゃんぎゃんとわめき散らす。
 ――怖い。
 ラクスは一定の距離を取り、黙ったままそれを見守る。
 今までは生きた人間の志願者を使って、キメラ化などの改造を行なってきたが、悪い噂が立ち始めていたので召喚した魂に許可を得て死体を使おう、と考えた矢先だった。
 だけど……。
 ――外見や魂との対話では、もっとおとなしい人だと思ってたのに。
「ちょっとぉ、何隠れようとしてんの?」
 物陰に身をひそめようとするラクスを、2メートル近い巨体が見下ろしてくる。もしも長い首がそのままなら3メートルはあるのだから恐ろしい。
「えっと……気に入らなかったようで、申し訳ありませんでした。ラクスは素敵だと思ったのですけれど……」
 申し訳なさそうにつぶやくラクスに、相手は呆れたようにため息をつく。
「なぁんか、調子狂うわね。あなたって、マッドなサイエンティストだったりとか、ダークな魔術師だったりとか、もしくはこう、クールな冥界の番人、みたいな存在じゃあないわけ?」
「……えぇと。知識の番人とは言われていますけれど。それと魔術全般は得意です。錬金術を化学というのでしたら、化学者でもありますし」
「――どうして、私を生き返らせようと思ったの」
 問う声色は真剣さをはらんでいた。
 ラクスは真っ直ぐに相手を見つめる。
「あなたが、生きたいと答えてくださったので」
「その前よ。なんで私に声をかけたの。ちょうどタイミングよく死んだからとか、そんな理由?」
「――あなたが、人間社会に不適応な方だからです」
「な……っ!?」
「けれど、誰にでも存在価値はあります。人としてうまく生きられなかったのなら、姿を変えてもう一度生きてみてはどうかと」
 ラクスの言葉に、相手の女性は考え込むようにうなだれる。
 彼女が相手にする被験者たちは皆、人間社会になじめずドロップアウトしていったもの、人としての生に絶望して死を選ぼうとするようなものたちばかりだった。
「それにあなたは自ら死を選びながらも『死にたくない。生きていたい』と強く願っていました。ですから……」
「もういいわ。よくわかった」
 エピオルニスの女性は、ため息と共に目をそらす。
 そして、不意に部屋の中をきょろきょろと見渡した。
 自分が先ほどまで横になっていたベッド、大きな机の上に並ぶガラス器具。色とりどりの液体や鉱石。妙な形をした魔術具のようなものや香炉、何語かわからないような背表紙の分厚い本が何冊も積み重なっている。
 今どき珍しいはだか電球の揺れる薄暗い部屋には、生活を思わせるようなものは見当たらない。
 ただ左右合わせて10メートルの翼を持つ巨体でもさして窮屈しない程度の広さがあった。
「――あなたは、生まれたときからその姿だったの?」
「はい。スフィンクスですから」
「別の生き物になりたいなって、思ったことある?」
 ラクスは無言のまま、じっと相手を見返した。
「ラクスは……」
「ううん、いいや。やっぱいい。ごめんね。……ありがとう」
 ラクスが答えるよりも先に、相手は勢いよく首を振って顔を背ける。
「……あの、気に入られなければ身体、つくり変えましょうか。他にもサンプルはありますし……」
「いいよ。だって可愛いと思ってくれてんでしょ?」
「はい!」
 即答するラクスに、女性はようやく苦笑めいた笑顔を見せる。
「でさ、生まれ変わったこの私は、一体何をして暮らせばいいのかしら」
「とりあえずのところ、いくつかの実験でのデータ収集に協力してください。体調管理や食事などのお世話もさせていただきますが、後はご自由に。ただ……外に出ることはできませんけど」
「……まぁ、この姿じゃね。でも実験って、何するの? 痛いこととかしないよね」
「適応能力だとか抵抗力だとか、そういったものを調べるんです。血液を採取したり薬を投与することはあると思いますけど、基本的には日常生活とちょっとしたトレーニングようなものをしていただくだけですね」
「そんなんでいいの?」
「はい。とても助かります」
「了解。私なんかが役に立つっていうんなら、協力しましょう。よろしくね」
 巨大な片翼を開いて見せる巨鳥に、ラクスはスッと片手を伸ばした。
 ――それほど怖い人でもないみたい。と、胸を撫で下ろしながら。


 彼女のために用意された部屋は、とてつもなく広いものだった。
 人工の川や芝生、木々が用意されていて、ドーム型の天井はとてつもなく高く、太陽代わりの強いライトが取り付けられている。
「ここは、休んだり運動をしたり遊んだりと、好きなように使ってください。隣の部屋は寝室で、干草のベッドを用意してあります」
「遊ぶって……何して?」
「水遊びでも泥遊びでもお好きなように。大きな木の実を蹴って遊ぶのもいいかもしれませんね」
「なんか、子供の遊びって感じだね」
 そう言いながらも、意外にも目を輝かせている。
 そんな遊びを思い切りすることに、どこか憧れでもあったのかもしれない。
「それと運動ですが、その姿で走り、飛び立つ練習をしていただきます。空を飛ぶのが一つの目標だと思ってください」
「空を飛ぶ、か。うん。私も、飛べるようになってみたい」
 本人が乗り気になってくれているようで、ラクスはホッとする。
 実験を嫌がられてしまうと、無理強いすることはできない。
 研究は勿論大事だが、本人たちの意志を無視するわけにはいかないのだ。
「それじゃあ、とりあえず練習してみますか? いきなり飛び立つには身体が重すぎますので、走ってぶりをつけてから風に乗るんです」
 ラクスの指示に、巨大な鳥は早速どたどたと走り出す。
 慣れないせいなのか時折よろめき、あまり優美な走り方とはいえなかった。
 ばさ、ばさ、ばさっ。
 一生懸命に翼を動かし、もがくようにしているが少しも浮く気配はない。
 しばらくあがいた後、息も切れ切れに足と翼の動きを止める。
「――もう少し、様子を見た方がいいかもしれませんね」
 ラクスはそう言って、苦笑めいた表情を浮かべた。


「あー、もう! 肩が痛い〜。筋肉痛!」
 寝室でも巨大な自然広場でもなく、ラクスのいる実験室までやってきて彼女は文句をたれる。
「それに、ずっと1人で遊ぶのもつまんないよ。ラクスはいっつも見てるだけかこっちにこもってるんだもん」
「どんな風に遊ぶのか、見ているのも楽しいんですよ。けれど、そうおっしゃられるならラクスも次回から参加させていただきます」
 しかしラクスの返答に、少し満足げにうなずいて見せる。
「ねぇ、ラクスはいつも何してるの? 1人で」
「本を読んだり研究をまとめたり、実験をしたり……それから、そうですね。買い物に出ることもあります」
「買い物っ!?」
 よほど意外だったのか、彼女は素っ頓狂な声をあげた。
「はい。錬金術の材料などは自分でつくりますけど、食材などはやはり買いに出なくては。狩りに出かけるような山も近くにありませんし……」
「そ、そうじゃなくて。だって、その。その姿で外に出るの?」
「そうです。周囲の人たちにラクスの存在を『当たり前』のものとして認識していただけるよう、魔術をかけてありますから。たまに効かない方もいますけど……」
「じゃあ、私も外に出られるように……っ」
「残念ですが、それはできません」
 期待に満ちた言葉を、ラクスはキッパリと切り捨てる。
「2人分ともなれば調節が難しいですし、外に連れ出して勝手な行動をとられても困ります。――少なくとも、今はまだ、ですね。いずれは外の世界で実験してみたいこともありますので」
「……ちぇっ。ダメかぁ」
 諭すようなラクスの口調に、相手は拗ねるように口を尖らせる。
「お暇なのでしたら、できるだけご希望にそえるようなものを用意しますよ」
「別に、そういうんじゃないけどさ」
「けれど……人間社会に適応できないからこそ、死を選んだのではないのですか。それともまだ、未練があるのですか?」
 彼女は、答えなかった。
 ただ黙ったままうつむいている。
「――あなたがいなくなった後の世界に興味がおありでしたら、これをご覧なさい」
 ラクスそう言って黒鏡を差し出した。
 スクライングミラーともいい、通常は霊視や幻視に使われるものだ。
 はだか電球のライトを消し、その代わりにろうそくを取り出し、準備していく。
「あの……ラクス?」
 女性は不安げな表情でラクスを見つめる。
「これは、あなたの望み世界や恐怖の世界を映し出すものではありません。あなたがいなくなってからの周囲の人たちの映像を再生している、と考えてください」
「いいよ、ラクス。私、見なくていい」
「けれど、気になるのでしょう」
「いいってば!」
 その叫びなど意に介さぬように、鏡はゆらめき、映像をつくりだす。
 ギクリとした様子で、それでも彼女はそちらに目を向けた。
「――嘘」
 お葬式に集まってくれた人たち。泣いている家族と友人。
「嘘よ、こんなの。家族なんてまともに会話することもなかったし、厄介者扱いしてた。……友達だって、いなかった。影で私の悪口言ったりハブにしたり。なのに、何よ今更! そんな風に泣いて見せたって許さないんだから!」
「けれど、これが真実ですよ」
 仏壇に手を合わせる父。部屋の中に入っては思い出に浸るように眺め、軽い掃除だけをして出ていく母。机の上の花を泣きながら交換する友人。
「知らない。こんな人たち、私は知らない!」
 女性は滲んでいく涙を払うように、首を大きく横に振った。
「そうですよね。人間社会とはもう、縁を切ったんですもんね」
 しかしラクスの言葉にビクッと身体を震わせる。
 その巨大な身体を、長い翼をもう一度眺めて。
「ラクス……。お願い、私を人間に戻して」
「……それは」
「お願い。お願いよ、だって私……死にたくなかった。本当は、そうよ。人間として生きていたかったのよ!」
「それは無理だと、最初にそう告げたはずです」
「嘘よ。できるんでしょう!? ここまでのことができたあなたになら、できるはずよ!」
 強く叫び、すがりつく女性。
 ラクスは困り果て、哀しげに彼女を見た。
「あなたの身体は……もう灰となりました。もしそれを復活させられたとして、どうするおつもりですか。生き返りました、と彼らの前に現れるのですか?」
「――だって、だって……」
「あなたは、人としての生は終えたのです。もうやり直すことはできません。ただ、このことを踏まえて今度はもっと……」
 言いかけるラクスの元から、巨鳥の姿をした女性は逃げるように駆け出した。
「待ってください!」
 ラクスは慌てて追いかけるが、大きさの違いから中々追いつくことができない。
 逃走する様子も反抗する様子も見られなかったため、厳重な隔離もしていなかった。
 地下の長い廊下を走り、階段を駆け上がり。
 彼女が地上へと続く扉の前に立つまでには、さほど長い時間は必要なかった。
「……ラクス。生き返らせてくれてありがとう。でもさ、私はずっと自分の中に閉じこもってたから……。今度は、自分で外に出たいんだよ」
 そう言って、体当たりで扉を開けた。
 どどど、と走る怪鳥に、通りにいた人々が目を見開き、叫び声があがる。
 その喧騒の中……。
 飛べない鳥、エピオルニスの下肢を持つ女性は、テラトルニスコンドルの翼を広げ、悠々と空へと羽ばたいていった。
「……なんだ、飛べるじゃないですか……」
 それを見送りながら、ラクスは小さくつぶやいた。
 この騒ぎの収集をつけるのは大変だろうけど、貴重なデータがとれた、とラクスは思った。
 ――どこにでも、いけばいい。生きることの素晴らしさを知っているのなら、どこに行ってもきっとやっていける。
 それでも、行き詰まるときがあったなら。
 また、ここに戻ってくればいい……。