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クリスマスイブ・パーティーナイト
年が明けた。
拝啓。
昨年と変わらず今年も宜しくお願いします。
そんな定番の挨拶が振りまかれる今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
俺、シンガーを目指す彼垣紗名はと申しますと、それこそ昨年と変わらず、
「サナぁ!! はやく行くのぉ!」
――昨年と変わらず、衝撃の花さか小娘・まれかと共に、類稀なる日常を送っております。敬具。
そんなアホらしい手紙を知人どもに送って心の重荷を払拭したい気もしつつ、かといって本当に出来るわけもなく。
紗名とまれかの珍生活は、年をまたいでも続いていた。
「サナぁ、新年になったら、きっとデザートも沢山新商品が発売されるのぉ」
「だからそんなにウキウキしてんのか、たかだかコンビニで」
半ば呆れたように口にすれば、まれかは「えへへぇ」と嬉しそうに笑っている。
「ちがうのぉ。あのね……だって、クリスマスイブ、思い出したんだもん」
隣を歩きながら、頬を包むように手を当てて、まれかは幸せそうに口を開いた。
「嬉しかったぁ。だってサナが、あれだけ夢を大事にするサナが!
まれかのために、すっとんで、一秒たりとも待っていられないって感じで、大慌てで扉を開けて『まれか、ケーキ買いに行くぞ』って、すっごく男らしくて、かっこよかったのぉ……
……って、あれ? サナ? どしたの?」
紗名は見事に撃沈していた。
不思議そうに自分を見やるまれかの視線に、乾いた、そして引きつった笑みでもって答えてやる。
思い出す、去年のクリスマス。
そうだ、あれは――
◆
「マジで! イブに!?
いやもう、行く、出る、やる! やるに決まってるっしょ!」
その連絡は唐突だった。
知り合いのシンガー仲間に、イブの夜にライブをやるからお前も出ないかと誘われたのだ。
他にもインディーズ歌手が出るというライブなだけに、音楽関係の人が聴きに来ているとしてもおかしくない。
もちろん、そんな人間聴きに来ていないかもしれないが、どこでどういう経緯で自分の話がどこまで伝わるか、そんなのは誰にだって予想など出来ないのだ。
幸運の女神の前髪を掴むには、そんな些細な出発点から。
それならば、どんどん前に出て行ったほうが良いに決まっている。
そんなことがあって、バイト先から鼻歌交じりに帰還した紗名から、その話を聞いたまれかは――
「ぶぅう〜!」
思いっきり、頬を膨らませていた。
「なんだよ、喜べよ。もしかしたら俺にもチャンスが」
「だって! イブ! クリスマス・イブ!! イブは恋人同士が一緒に過ごすって決まってるのぉ!」
「こ、恋人同士って何だよ! 大体俺とお前は恋人でもなんでもねぇし!」
「とにかくっ、イブは一緒なのぉ! そう決めてるのっ」
食卓を囲みながの会話だけ聞けば、確かにしっかり恋人同士のそれに聞こえなくもないが、いかんせん相手は子供である。そして自分は二十歳も過ぎた大人。
そんな子供――まれかの我儘に、今回ばかりは付き合うわけにはいかなくて、紗名は行儀悪くも箸の先でビシっと相手を指して、口を開いた。
「俺の夢を応援してくれるんだろ!」
向けられた箸の先端と、聞こえてきた言葉に、まれかは思わず口を閉じる。少し考えるように唸って、それから伺うように紗名へ視線をチラリと向けた。
その視線にウッカリほだされそうになるのを堪えつつ、紗名はなおも続けた。
「あの日、そう言ってくれたのは嘘だったのか? 俺のファンだって、言ってくれただろ!」
自分の歌を聴いた日、まれかは確かに言ったのだ。
『サナの一番のファンになる』と。『頑張って』と。目を輝かせて、感動すらした声音で。
だから、紗名の言っていることは、間違いではない。
「……ぅ……じゃ、じゃあ! まれかぁ、サナと一緒にライブに」
諦めきれずに茶碗片手に駄々を捏ねたまれかに、紗名は『ダメ』と一蹴した。
「大体、ライブハウスは子供が入れる場所じゃないんだ」
「ぅ……うぅ〜……」
そうまで言われては、そして夢を応援するといった自分の発言まで出されては、まれかもさすがに折れるしかなかった。
がっくり、と項垂れたあと、もくもくと夕飯を食べることに専念するしかなかった。
――別に、クリスマスイブだからって、まれかに合わせる事なんか、ないんだ。
眼前でしょんぼりとしているまれかを見つめながら、紗名は一度首を振った。よし、と自分に気合を入れなおした。
ライブはすぐそこだ、少女の暗い雰囲気に巻き込まれている場合ではない。
まれかとは対照的に、紗名は勢いよく箸をすすめるのだった。
◇
光と、音楽と、歓声。
イブの夜、ライブハウスはこれ以上ないほど盛況だった。
24日ということもあるのだろう、紗名の歌うバラードにも、うっとりと耳を傾ける女性も多く、一言で言えば――大成功だった。
「紗名ぁ、良かったじゃん!」
「どうもっす」
「すっごく良かったよ〜。とくに、アレね。あの、最後に歌ったバラードの。
皆うっとりしてたし、もう、女心がっしり掴んだも同然だね!」
ライブ後、控え室では今日の大成功を、仲間同士で喜び、称えあっていた。
中でも紗名の歌ったバラードは、イブの夜に女性に聞かせるにはかなりピンポイントにハマっていたようで、仲間内の女性シンガーからも、お褒めの言葉を貰ったりする。
あの、バラードだ。
この日歌ったバラードは、初めてまれかに聴かせた、そして少女が感激していた、あのバラードだった。
そうなれば、いやでもまれかの顔がチラリと過ぎる。
視線を時計に向ければ、もう22時を回っている。子供にとっては深夜もいいところだ、あの少女はきっと寝ているに違いない。違いない、が。
「紗名」
思考の海に飛び込みそうになった紗名を、仲間の一人が声をかけることで救った。
え、と顔を上げると、彼の『お前もどうよ』という言葉が返ってくる。
「どうよって、え、何?」
「ンだよー。聞いてなかったのかよー。しっかりしろよな」
しょうがねぇなあ、とキシシと笑いながら紗名の肩をポンと叩く。
「打ち上げだよ、う・ち・あ・げ!
勿論行くだろ。よもや恋人が待ってます〜、なんて言わないよな〜? 紗名くぅ〜ん」
後半を、おどけてオカマ口調で告げた彼に、紗名は反射的に「いや」と首を横に振っていた。「俺、帰らないと」――信じられないほど、自分が思うよりも先に、口は勝手にそう動いていた。
そこから先は、早いもので――。
足早に帰った紗名が自宅の扉をあければ、夜も遅いというのに、まれかは律儀に彼を待っていたわけで。
「まれか」
「サナぁ! ライブ、どうだった? ね、ね、お客さん、一杯いた?
サナの歌、きっと良かったって、一杯褒められたでしょぉ?」
足早に玄関に駆け寄って、開口一番そんなことを言われれば――もう、毒気も何も、あったものではなくて。
「……まれか、急げ。コート着て、靴はけ。行くぞ」
ギターケースを玄関先に静かに下ろしながら、紗名はぶっきらぼうに口にした。まれかが不思議そうに見つめてくるから、もう一度「早くしろ」と言った。
「コンビニ。腹へったから、飯と――ケーキ。買いに行くぞ。……早くしないと、日付変わっちまうだろ」
サナの言葉に『クリスマス・イブ』を一緒に過ごしてくれる気なのだと気がついたまれかの顔は、次第に朱を帯び、口元は緩やかに笑みをかべ、目には光を湛え――
「サナぁ! まれか、サナのことだぁい好きぃ!!!」
「ぐはうぅっ!!!!」
いつでも一撃必殺、乙女のパワー全快の殺人的なまれかタックル(=頭尽き)が、サナの腹部を確実に捉えたのだった。
「あのねっ、ケーキは苺がのってるのっ。あとねっ、おでん、そうだ、寒いからおでんも!
えへぇ、帰ったら、二人でクリスマスパーティーなのぉ!」
無残にも玄関先に倒れこんだサナの襟首を掴み、嬉しさのあまりにぶんぶん振り回すまれかの弾んだ声と、その振動で少なくとも数回は頭を壁にぶつけただろう紗名の「とほほ……」という切ない声が、クリスマスイブの深夜、1Kの部屋に響き渡っていた。
◆
どこが「まれかのために、すっとんで、一秒たりとも待っていられないって感じで、大慌てで扉を開けて『まれか、ケーキ買いに行くぞ』って、すっごく男らしくて、かっこよかったのぉ……」だ。
クリスマス・イブの惨劇(in脳内)を思い出しながら、紗名は撃沈していた身体を、よっこらせ、と起こした。
問題はそんなことではない。
打ち上げに行かないかと声をかけた彼が『よもや恋人が』と口にしたそれを断って、まれかの元に帰ってきた――それが、問題なのだ。
もちろん、そんなことを、隣で嬉しがるこの少女に言うはずもなかったけれど。
「サナぁ、今年のクリスマス・イブも一緒に過ごすのっ、ね、そうしよ!」
「あー、はいはい」
「ほんと? ほんとぉ!? やったー!」
「あー、はいはい」
もう、今更何を言っても、この少女がやるといったらやるに決まっているのだ。
適当に相槌を打ちながら、ふと、紗名は気がついた。
今年のクリスマス・イブ――?
いやちょっと待て。今年まだ、明けたばっかりなんですけど。
つか、そんな先まで、まだ一緒にいる気なのか? いや、聞かなくても答えなんか判ってる気もしますけど。
「えへっ、サナぁ、今日は新作プリンがあったら買ってね!
まれかぁ、サナの為に、今日も美味しいご飯作って待ってるから!」
隣でウキウキと声を弾ませるまれかに、紗名はただ、力なく笑うことしか出来なかった。
今は、ただ、去年のクリスマス・イブを思い出すだけで――それを考えるだけで、もう、精一杯だった。
- 了 -
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