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はじめまし て
「俺は本当に、小太郎くんを殺すつもりでしたよ」
特殊な結界の内側で、北条はそう言った。
「でも彼を殺してしまうと、彼とたいそう仲が良かったらしいユリちゃんが悲しむ。俺は彼女も大事にしたい。大事にするつもりだった。だから、あの娘と彼との記憶を弄ったんだ」
失敗した計画に意味は無い、と言わんばかりに裏側を白状する。
北条の目にはもう光は宿っていない。目の前で掻き消えた片思いの恋人と共に、彼の情熱も燃え尽きてしまったのだろう。
とは言え、その恋慕も真っ直ぐとは言い難いものだったが。
「そうすれば小太郎くんが死んだ後も、あの娘は俺の傍で笑ってくれるだろ? 静さんと三人で、楽しく暮らせたかもしれない」
終わった話を未練がましく話している自分が嫌になったのか、北条は卑屈そうに笑い、目の前の男を見る。
「もう良いだろ、探偵さん。俺はもう疲れたんだ。休ませてくれよ」
「ああ、十分休むが良いさ。地獄の鬼どもはどう言うか知らんがな」
武彦はすぐにその部屋から出て行った。
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「と、いう事だそうだ。どうするんだ、小僧?」
「あ? 何がだよ?」
興信所に帰ってきた武彦は、北条から聞いた事を小太郎に話していた。
それを受けても、小太郎は動じた様子も無く、本心から首をかしげている。
「おいおい、このまま北条の置き土産に甘んじるつもりかよ? これからユリの記憶を取り戻す算段をだな……」
「そんな事言ったって、どうすりゃ良いのかわかんねぇよ。俺には記憶を取り戻す能力なんて無いぜ?」
「お前になくたって、どこかに落ちてるかもしれないだろ?」
「そんな都合の良い事あるかよ」
何故だか協力的な武彦に、いい加減気味が悪くなってきた小太郎は少し距離を取る。
「なんなんだよ、草間さん。おかしいぞ?」
「おかしくなんかないだろ。俺の何処がおかしい?」
「行動が全体的にだよ。何でそこまでユリに拘るんだ?」
「拘ってなんかない。……ほら、お前がどうにもやる気無さそうだから、どうにかしてやらんとな。借金返済を延び延びにされると困る」
本心を言ってしまえば、お節介根性も半分くらい混じっている。
元々、武彦の人望の厚さの由来は人の好さにある。
武彦なら受け入れてくれる。何とかしてくれる。そういう好かれ方をされるには、それだけ本人にも原因があるのだ。
本当は嫌がっているらしいオカルト依頼を断れない所辺りに、その片鱗も見えている。
つまり今回も仕事半分、心配半分なのだ。
「俺のこと心配してるっつーんなら、もう少し静かにしてくれ。俺は今必死なんだよ」
「……似合わない事やってるな、とは思っていたが……お前何やってるんだ?」
小太郎は珍しく、自分の机の前でジッと座り、教科書とノートを広げて文字と格闘していた。
天変地異の前触れとまでは言うまい。彼はいつも日記を書いているわけだから。
だが相手が日記帳ではなく、教科書とノートとなると話は別だ。
「悪いモンでも食ったか?」
「違ぇよ! 受験生が受験生らしく受験勉強するのがそんなに悪いか!?」
そんな風に小太郎に言われて、武彦はポンと手を打つ。
確かに小太郎は中学三年。冬には受験が待っている。
「なるほどな。……だがしかし、色恋に迷っていては受験にも身が入らないだろ?」
「迷ってない。全然迷ってない」
「よし、ここは俺が何とかしてやるから。お前は心行くまでガリ勉してな」
武彦はコートを羽織って興信所から出て行った。
それを見て、小太郎はため息をついた。
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武彦が出て行った後の興信所。
静かに勉強をしていた小太郎のほかに三人ほど人影が。
「じゃあ武彦さんはユリちゃんの所へ行ったの?」
「そうらしいぜ」
小太郎の返答を受け、シュラインは一つ頷く。
武彦のこういう行動も今に始まった事ではないので、特に心配する事はないが、ユリについて気にかかる事もある。
「じゃあちょっと連絡取ってみようかしら」
そう言って電話を手に取りに行った。
「……で、お前は何やってるんだ」
「受験勉強だよ。見てわかるだろ」
「それはわかる。だが、何故そんな事をしているのか、と聞いているんだ」
冥月はあまり表情なく、小太郎を真っ直ぐ見つめて問う。
「何でって……そりゃ高校に行くためだろ」
「何故高校に行く必要がある? 必要ないだろ?」
「ない事ないだろ。高校に行かなきゃ、ホラ、将来の事とかあるし」
「行ったってどの道変わらんだろ」
予想できすぎる回答に、冥月はため息をついた。
「基礎教養なら中学校で身につけたはずだろ? お前は……まぁ、身につけられたのかは疑問だが、そこは無視しても中学を卒業できるならその程度の学力はあるはずだ」
「それがあれば、生きていくのには問題ありませんね。確かに正論かもしれません」
冥月の言葉に、魅月姫も頷く。
確かに中学までの義務教育で基本的な教養は身につくはず。
小太郎がどの程度理解できているか、身につけているかはさておいての話だが。
「ですが、高校へ行きたい理由というのは別にあるんじゃないですか?」
「ほう? それは興味深いな」
魅月姫の鎌かけに気まずそうな顔をした小太郎に、冥月もニヤリとその顔を窺う。
「その『高校へ行きたい理由』というのを詳しく聞かせてもらおうか?」
「……別に」
「嘘はいけませんね。私に嘘をつき通せるとでも思っているんですか?」
魔女の瞳に射抜かれた小太郎。その瞳には何もかも吐かせられる様な圧力が感じられた。
数瞬置いて、小太郎はボソリと呟くように言う。
「友達が、みんな高校へ行くっていうんだ」
「……そんな理由か?」
あまりに面白くない返答に、冥月は目に見えて興をそがれた様に肩を落とす。
小太郎の答えは自主性の欠片もない、団体行動に紛れた自己保持だった。
「友達が行くから俺も行く、あの人がやるから俺もやる……そんなんじゃ、ガキの行動のままだな?」
「……悪いかよ」
「ああ、悪いな。行動基準を他人に依存していては、ここぞという時に判断を誤るぞ」
小太郎の返答を真っ向から突き崩す。冥月は興をそがれただけではなく、少しイラっときたのだ。
元々独りの時間が多かった冥月に、小太郎の返答は弱く、ずるいように聞こえた。
「……改めて言おう。お前が『この世界』で生きるなら、高校に行く必要はない。時間の無駄だ」
「ですが、同年代のコミュニティ、というのは小太郎にとっても必要かもしれませんね」
魅月姫の一言に、冥月が彼女を見る。
耳を傾けられているのに気付き、魅月姫はもう少し突っ込んで話してみる事にした。
「小太郎は明らかに精神が未成熟ですからね。そんな時分に荒んだ世界に身をおいては、間違った方向へ走りかねません」
「ならばその時に私たちが止めてやればいい」
「いちいち面倒を見きれますかね? あちこち走り回る小太郎を追いかけるのは、手がかかると思います。今は落ち着いているように見えますが、それはただ単に落ち込んでるだけでしょう」
魅月姫の的確な読みに、小太郎はバツの悪そうな顔をしていた。
つい先日までは、小太郎の傍にはユリがいて、興信所の仕事に関わっている時も、同じ年頃の友人がそこに居た。
だが今となってはユリにとって小太郎は他人。
それ以外に集まってくる人間は小太郎よりも何歳も年上ばかり。
「小太郎の暴走を見守るよりは、高校でも何処でも行かせて、心の安定を図ったほうが楽だと思いますが。それに、ユリさんの記憶を戻す手段が見当たらない現状で、小太郎を立ち直らせるのは『普通』の時間に置くのが得策でしょう」
「高校がその『普通』の時間、か」
「世間一般ではそう言うのでしょう。恐らく『異能』や『人外』なんかは現れないと思いますよ」
魅月姫のいう事にも理はある。
冥月は一つため息をつき、手近にあった椅子を引っ張ってきてそこに座る。
「……なら好きにすると良い。私は一切口を出さん」
「師匠、俺は別に……」
「言い訳なんかするな。一度決めたなら、それを貫き通して見せろよ」
「……おう」
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「あ、武彦さん?」
シュラインが電話をかけた先は武彦。
IO2より支給されていた携帯電話がまだ生きているのだ。外出中の武彦にもちゃんと繋がる。
『なんだ、どうした?』
「ユリちゃんのところに行ったって聞いたから、ちょっと気になることを話しておこうと思って」
『ユリに関してか? 聞かせてくれ』
「こないだの事件中、ケーキを持っていった時のことなんだけど」
武彦がケーキを大量に貰ってきて、それをユリに分けに行く、という名目で小太郎とユリの対面を図ろうとした時の話だ。
「あの時の別れ際、ユリちゃんに小太郎君への気持ちを確認してみたんだけど、その時手をこう……にぎにぎしてたのよ」
『手を? ……それがどうかしたか?』
「もしかしたら手に関係して、何か記憶を戻す取っ掛かりがないかな、って思って。ホラ、最初小太郎くんとユリちゃんが出会った時、二人は手を繋いでたじゃない?」
『あー……ああ、なるほどな。よし、その線で攻めてみようか』
「……もしかして、何の考えも無しに飛び出して行ったの?」
『道すがら思いつくだろう、と思ってたんだよ。だが良い情報を貰った。やっぱり持つべきものは事務員だな!』
高笑いしながら、武彦は通話を切った。
「……何言ってるんだか、まったく」
苦笑してシュラインも受話器を置く。
さて、武彦に伝えたい事も終わった事だし、早速本題に入ろう。
「小太郎くん! 張り切って勉強しましょうか!」
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「まずは三年生になってからのテストの結果から見せてもらいましょうか」
シュラインに言われて、小太郎は机の中からテスト用紙を取り出す。
まずは小太郎の学力を正確に把握する目的で、テスト結果を見せてもらったのだが……。
「あら」
「意外と良いですね」
一緒に見ていた魅月姫も意外そうな声を上げる。
小太郎の点数は今年度初めこそ、平均四十点台だったものの、最近になってくると七十点台にまで上がっている。
だが、点数だけではわからない。相対的にこの点数はどの程度のものなのか知らなければ。
「偏差値的に言うと、これってどの辺りなの?」
「六十後半から七十前半ぐらいだったかな。……なんだよ、その目は」
意外や意外、小太郎はいつの間にかそこそこ勉強の出来る子になっていた。
「それも私やユリ、あと叶なんかが手伝ってやったお陰だな」
雑誌をめくりながら冥月が呟くようにいう。
確かに、日頃の勉強がなければ小太郎がここまで伸びる事もなかったかもしれない。
「叶さんって、いつぞやの……世界を作り出すとか言う能力の娘よね?」
「勉強を見てもらうとは、仲が良いんですね?」
「別に、ただちょっと教えてもらうだけだよ」
冥月に『いらん事言うな』的な視線を送りつつ、小太郎が返答する。
そんな視線も冥月は特に気にした様子もなく、雑誌を眺めるだけだった。
「まぁ、とりあえず小太郎くんの大体の学力はわかったとして、次は志望校の傾向かしらね」
「答案に名前を書くだけで受かるような高校なら、それこそ行くだけ無駄ですしね」
「そんな所行くかよ。本命は近くの公立校だよ」
どうやら小太郎の本命は興信所から近い、普通レベルの公立校らしい。
恐らく、今の小太郎の学力で十分合格できるレベルだが、慢心していては思わぬ落とし穴があるかもしれない。
「なるほど、近くの公立校というと、確かに地元の中学仲間が集まりそうな学校ではあるわね」
「あの学校なら俺でも十分入れるだろうし、公立の方が私立より金かかんないだろ? 交通費も必要ないし、あんまり負担はかけないと思うんだ」
確かに貧乏興信所としては『私立に入る!』なんていった日にゃ武彦の鉄拳が飛びそうなぐらいだ。いや、その前に零が断固として却下するか。
一応、小太郎の親からの仕送りはあるものの、やはり子育ては金がかかる。
財政的な問題で言えばいっそ、冥月が言うように高校に行かなければ最良なのだろうが、多分、その選択肢はないだろう。
「じゃあまず、小太郎くんの不得意そうな教科から見ましょうか」
「テストの点数を信じるなら、国語は現国も古典も出来るみたいですね。ダメなのは英語、社会、数学辺りですか」
「ならまずは英語からやりましょうか!」
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「右手のリハビリも兼ねて、鉛筆で書いてみましょうか。口答でやっても、スペルなんかは覚えられないしね」
そう言ってシュラインは小太郎に鉛筆を渡す。
ギプスも外れた小太郎の右手。だが今のままでは自由に動かせるとは言えない。
六ヶ月弱も固定していたのだ。すぐには無理だろう。
「指が動き難い……」
「その動き難さを取っ払う為のリハビリよ。さぁ、問題集を見せて」
学校から配られた問題用紙をザッと見ると、英語の問題傾向が軽く見て取れる。
どうやら英文の問題に対し、英文で答えろ、と言う感じの問題が多いように思える。
これで和訳する力と、自分の言葉を英語に変える力をいっぺんに見れるわけだ。
「なるほどね。こういう問題って実用的とは言えないけれど、それが学問ってヤツよね」
「何を納得してるのか知らんが、早く返してくれよ」
「ああ、ゴメンゴメン」
小太郎に急かされ、シュラインは慌てて問題集を返した。
返してもらった問題集に向き合い、ウンウン唸り始めた小太郎を眺めながら、シュラインはふと尋ねてみる。
「さっきのテストを見せてもらってもそうだったけど……小太郎くんってあんまりスペルを覚えてないみたいよね?」
「……なんだ、いきなり」
「そこ、aじゃなくてeよ」
「うぉ、マジで!?」
簡単なケアレスミスで得点配分の多い問題を落とすのは惜しい。
結局テストとは数字が物を言うのだ。こういう間違いは無くすに限る。
「よし、作戦変更よ。実践問題を解くよりまず、スペルを完全に覚える事から。さぁ、間違えた単語を百回書いて」
「ヒャク!? じょ、冗談だろ!?」
「こう言うのは数をこなした方が良いのよ。何度も書いて、体に教えこませる方が良いの。漢字の書き取りだってそうでしょ? ほら、グダグダ言ってないで書いた書いた」
強引に目の前にノートを広げられ、小太郎は渋々ながらもそこに単語の書き取りを始める。
その後も単語を一つ間違えるたびに百回書き取りさせ、問題集を二ページ終える頃には随分時間が経っていた。
「今日の所はこの辺にして置きましょうか。英語ばかりやるのも疲れるでしょ?」
「ゲシュタルトは大分崩壊してきた。アルファベットがもう宇宙文字にしか見えない……」
最初から疲れ気味の小太郎。そんな彼を見てシュラインは苦笑を零して立ちあがる。
「何か甘い物でも持ってくるわ。頭を働かせるには糖分も必要だしね」
「なるほど、今の俺にはシュークリーム分が足りないわけだな」
「言っておくけど、興信所の冷蔵庫にシュークリームがあると思ったら大間違いよ」
「っち」
遠回しなリクエストを、シュラインはバッサリと両断した。
シュラインが台所にいる間に、魅月姫が近寄る。
「さて、次は私が社会科を見てあげましょう」
「……え、だって今シュライン姉ちゃんが……」
「勉強に対するやる気なんて、そうそう持つものではありません。休憩を挟んでしまえばなおの事やる気を無くすでしょう。だったら興味が外へ逸れる前にやれるだけやっておくべきです。と言うか、拒否権なんてありませんよ?」
魅月姫の有無を言わせぬ圧力に、小太郎は身を小さくして屈した。
「それではまず、歴史から始めましょう」
そう言いつつ魅月姫は小太郎から問題集を奪い取り、適当な問題を探す。
歴史で重要な所と言えば古代や中世よりも近代史。徳川歴代将軍も重要ではあるがそれよりも幕末から後の方がわかりにくい。
「西南戦争にて重要な人物を答えなさい。十、九、八……」
「カウントダウンつき!? えーと、えーと、西郷 隆盛」
「そうですね。因みに、良く見る顔である西郷隆盛の写真は、あれは本人を写したものではないそうですね」
「……え?」
「親類から似ている人の顔を合わせて作った、合成の物だと言う話です。本人はたいそう写真を嫌ったとか」
「……それって関係あるか?」
「社会科のような記憶に頼る教科は、こう言った些細な事を繋ぎ合わせて、より記憶の引き出しから取り出し易くする事が重要です。一人の人について、多くのことを知れば、それだけ思い出しやすくなります」
「な、なるほど」
小太郎が頷くのを見て、魅月姫は別の問題を探す。
「欧化政策の代表とされる建物を答えなさい。五、四、三……」
「さっきよりカウントが短くなってる!? え、ええと、ろ、鹿鳴館!」
「正解。因みに、この鹿鳴館で踊る日本人を風刺画として描いたビゴーと言う画家は、浮世絵を学びに日本へ来たと言われています。ですが、不平等条約改正後、すぐに母国であるフランスへ帰りました。……さて、どうしてでしょう」
「知るか、そんな事!」
「少し考えればわかると思いますが?」
小首を傾げて小太郎を見る。
その魅月姫の表情に『こんな問題も出来ないんですか?』と言う挑発的なモノを感じて、小太郎はムキになって答える。
「ええと……浮世絵が描けなかったから」
「不正解ですね。正解は不平等条約により守られていた治外法権がなくなる事で、自由に執筆出来なくなる事を恐れたから、でした」
「それって少し考えればわかる答えか!?」
「違いますか? 大体同じ時期にノルマントン号事件も起きています。これを契機に民衆からも不平等条約撤廃の思想が広まった事を考えれば、外国人であるビゴーが焦る事は容易に考えられると思いますが」
真顔でそう言われると、そんな気もしないでもない気がしてくるので不思議だ。
良い感じに丸めこまれた小太郎はそれ以上、噛みつく事もなかった。
「では次、世界大戦について……」
その後も魅月姫の一口メモつきの出題は続いた。
「はーい、そろそろ休憩にしましょ」
魅月姫の出題が一区切りついた所で、台所からシュラインが戻ってくる。
手には色々甘い物とお茶を乗っけたおぼんを持っており、どうやら頭のリフレッシュは出来そうだ。
「で、結局ユリちゃんの方はどうだと思う?」
「記憶の件ですか?」
ティーカップに紅茶を注ぎながら、シュラインが魅月姫に問う。
今は武彦がユリの所へ向かい、何かしら行動を起こしているらしいが……。
「草間さんが行ったぐらいではどうにもならないでしょうね」
「やっぱりね。そんな軽い術ならとっくに解けてるか」
溜め息をつきつつ、カップを魅月姫に渡す。
「でも、具体的にはどうやって記憶を弄ったのかしらね? その辺の事はIO2の極秘なのかしら?」
「私の憶測で良いなら、お話しますが」
そう言った魅月姫の言葉に、シュラインは黙って続きを促した。
「北条の繰った術はとても丁寧に時間をかけた術です。普通は記憶は連続している物で、ちょっとした欠落でもすぐに違和感を感じるはずです」
「でもユリちゃんはあんまり気にしてる様子はないわよね」
「恐らく、欠落した記憶の傷口を滑らかにして、彼女自身が気付き難いようにしているのでしょう。ですがそれもいつかはバレるはずです。気長に待てばいつか戻ってくると思いますよ」
「……うーん、術って一言で片付けられるとちょっと納得し難いのよね」
興信所にいるだけで色々な怪異の情報は入ってくるので、そこそこの術の知識はあるモノの、その一言で片付けられるとなんとも飲み込み辛い。
「詳しく言いますと、破壊術と治癒術を精神面に向けて放ったものでしょう。思考の操作が出来る北条なら、まず脳内の支配を破壊してその中に北条自身が割り込める隙を作りだし、記憶を操作、改竄し、それを気付かれ難いように治癒術の類で記憶の断面を滑らかにした。そうする事で連続した記憶に違和感を少なくしたのでしょう」
「ああ、うーん、なんて言うかもっとわかりにくくなったわ」
「でしょうね。魔法を人が通常話す言語にして説明するのは難しいですから。
「でも、いつかは戻ってくる可能性はあるのね?」
「彼女自身が気付けばそれは早いでしょう。ですが……事件後から今までの様子を見るに、少し時間がかかりそうですがね」
ユリはもう、小太郎を完全に他人として納得する方向に動いているようにも見える。
それは改竄された記憶を鵜呑みにしかけていると言う事。
だとすれば、記憶の中にある不整合は『単なる記憶違い』として彼女の中で解決する可能性も無くはない。
「まぁでも、ゼロからやりなおすって言うのも面白いと思いますよ」
「他人事だと思って……」
薄く笑う魅月姫に、シュラインは苦笑するしかなかった。
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「……ホントに会わないとダメですか」
「おぅ、ダメだ」
興信所の前には武彦とユリが来ていた。
武彦の説得の甲斐あってか、ユリは小太郎と会う事に頷いて見せたのだ。
「……私、あの人あまり好きじゃないんですけど」
「何でだ? 良くしてくれるだろ?」
「……なんかちょっと怖いんですよね」
「怖い? 小太郎が?」
これは北条の術の後遺症とでもいうものだろうか?
ちょっと前まで、ユリは小太郎に会う事をとても恐れていた。
それが今ここでも生きているのだとしたら――
「……なんて言うか、私を見る目がこう……獣っぽくて」
「それはきっと、逃した魚は大きかったと言う悔恨の念が現れてるだけだ」
――どうやらそう言うわけではなかったらしい。
小太郎自身に原因があるなら、小太郎の方に言って聞かせて矯正すれば言いだけの話だ。
「さぁ、早い所入った入った。あ、握手も忘れんなよ」
「……わかりましたよ。挨拶して、握手すれば良いんですよね」
溜め息をつきつつ、ユリは武彦に招かれるままに興信所に入った。
「ただいま」
「あ、お帰りなさい」
武彦が帰ってきたのを見て、シュラインが返事をする。
他の二人は『息抜きにちょっと体を動かす』と言う名目で小太郎をボコにしていた。
「ちょっとお前ら、外に出ろ。あ、小太郎はそのままで良いぞ」
「なんだよ、草間さん。……って、あ! ユリ!」
ユリに気が付き、小太郎が軽く身だしなみを整える。
それを横目に、武彦を含む全員は興信所の外へ出た。
残されたのはユリと小太郎だけだ。
しばらくの沈黙の後、ユリが一歩前に出る。
「……あの、貴方が小太郎くんですよね」
「え、ああ。そうだ」
「……皆さんが事ある毎に、私に『小太郎とお前は仲が良かった』なんて言いますが、正直、私の記憶の中に貴方はいません」
なんの躊躇も無しに、真正面から傷をえぐるユリ。
記憶を無くしてからの小太郎の印象はそれほど悪かったのだろうか。
「……だから、今更貴方と仲良くしろ、なんて言われても無理な話です。わかってくれますか?」
「お、おう。……それは仕方ないと諦めてる」
「……でしたら、改めて」
一つ咳払いをした後、ユリは右手を差し出す。
「……初めまして、佐田 ユリです」
「はじめ……まして、三嶋 小太郎だ」
その言葉に多少の抵抗はあったが、小太郎は笑顔をなんとか作り、挨拶を返す。
……だが、差し出された右手を見て気付く。
「あ、ゴメン。俺、今あんまり右手が動かないんだ。握手なら左手にしてもらっていいか?」
「……右手、どうしたんですか?」
「あ、いや……ちょっとお姫様を助けるのに、名誉の負傷をしてね」
笑って誤魔化す小太郎に、ユリは怪訝な顔を向けながらも、改めて左手を差し出す。
「……早く治ると良いですね」
「ああ、もう治っちゃいるんだけどな。これからリハビリだ」
そうしてまた、二人の手は繋がれた。
また、ここから始まるはず。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2778 / 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【0086 / シュライン・エマ (しゅらいん・えま) / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4682 / 黒榊・魅月姫 (くろさかき・みづき) / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)/深淵の魔女】
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■ ライター通信 ■
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シュライン・エマ様、シナリオに参加して下さり本当にありがとうございます! 『新しい記憶を作ろう』ピコかめです。
ここらで一旦一区切りですかね。
勉強するには甘い物。糖分を取ればそれだけ頭が良く働く。
良く耳にする言葉ですが、これはきっと落とし穴ですよね。
勉強の途中で甘い物なんか食べて休憩したら、もう勉強したくねー、ってなるのが人の情ってモンでしょう!
それでは、気が向きましたら次回も是非!
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