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うたかた 或いは鬼鮫ラーメン
●宴会を抜け出して
暖かな空気と喧噪に満ちた興信所から外に出た。
冷たい風が吹き抜けていく、人の通りも消えた商店街。
草間武彦は懐から抜き出した煙草に火をともそうとして、在る物に気付いてその手を止めた。
商店街の傍らに、赤い提灯に火を灯しているラーメン屋台。
吹きすさぶ寒風の中に香るスープの匂いが、今は煙草の煙よりも魅力的に思えた。
草間は煙草をしまい、屋台に歩み寄ってその暖簾をくぐる。簡素なパイプ椅子に座ると、屋台の向こうに見知った顔が見えた。
「よう、鬼鮫。仕事熱心だな」
「今日は“仕事”は出来ねぇからな。遊びみたいなもんだ」
屋台に立つ、ＩＯ２エージェントの鬼鮫は、険しい顔をニコリともさせずに返す。いらっしゃいとか、そんなお愛想は言わない。
ラジオから流れる演歌が、草間と鬼鮫、二人の間の沈黙を埋めてくれた。
鬼鮫は以前、燈無蕎麦‥‥すなわち、今、鬼鮫が使っているラーメン屋台にまつわる怪異に触れ、そしてラーメン屋台の主人となった。
それ以来、エージェントとしての仕事の傍ら、ラーメン屋台を引き歩いている。
同じ事件に関わった草間は、常連となっていた。
「いつもの」
「あいよ」
草間に言われて、鬼鮫は手際よくラーメンを作り始める。と‥‥その手を止めず、興信所の方をチラリと見てから聞いた。
「パーティから逃げてきたか？」
「ん？ ああ‥‥若い連中にはついていけなくなってな。お前もだろ？」
少しだけ疲れを見せる笑みを浮かべる草間。
問い返されて鬼鮫は、ニィと口端を嘲笑混じりの笑みに曲げて答える。
「あそこにゃあ、そもそも俺の席は無ぇさ」
「‥‥違いないねぇ。何せ客で溢れて、座るどころか立つ隙間もありゃしない」
そう言うことではないのだろうが、鬼鮫の台詞を軽口で混ぜっ返して草間は、大げさに身体を震わせた。
「だが外は寒くてしょうがない。燗を一つ」
「待ってな」
答えながら鬼鮫は、出来上がったばかりのラーメンを草間の前に置く。そして、屋台の影から一升瓶を引っぱり出し、徳利に移し始める。
それを見ながら、草間はラーメンを一口啜り込む。
と‥‥そこで、屋台の開いた席に座り込んだ男が居た。虚無の境界に雇われている傭兵、ファング。
彼は、草間と鬼鮫を一瞥し、特に敵愾心を見せる事もなく淡々と聞いた。
「何が出来る？」
「ラーメン。つまみは適当。酒もある。その首斬ってくれってんなら無料でやってやるぜ？」
小鍋にお湯を張って火にかけ、徳利をつけて燗をつけながら鬼鮫は答える。
それにあわせ、草間が捕捉気味に付け足した。
「細かい注文は適当に言えよ。メニューなんて、在って無いようなもんだ。在りゃあ出すし、無けりゃ出ねぇ」
「そうか‥‥ラーメン。大盛り。チャーシュー増し。ネギ増し。それから、燗酒。つまみは任せる」
ファングはズラズラと並べ。それで口をつぐむ。
鬼鮫はそれを受けてぶっきらぼうに返す。
「あいよ待ってな」
ファングは何も言わない。
草間がラーメンを啜る。その傍らに置かれる、ほんのり湯気を放つ徳利と猪口。そして、二つに割った、茶色に染まって光沢を放つ味玉が小皿に。
「猪口、もう一つもらうぞ」
言って草間は手を伸ばし、屋台の隅に置かれた食器の中から猪口を一つ勝手にとる。
そして、草間は二つの猪口に酒をつぎ、一つをファングに押しやった。
「寒い夜だ」
「‥‥ああ」
ファングは短く答え、猪口を受け取る。
再び落ちた沈黙。ラジオから流れる演歌の声。スープとお湯の沸く、くつくつと小さい音。
吹きすさぶ寒風が、電線を笛のように鳴らす。
灯りの溢れる興信所から、歓声が遠く微かに響いてくる。まるで別の世界の出来事のように。
男達は屋台の小さな光の下で、ラーメンと燗酒に温かさを感じていた。
●法条・風槻の場合
大晦日の夜を歩く法条・風槻は腹を立てていた。
仕事が押しに押して、それでもやっと納期に間に合わせ、大晦日の夜に完了。つい先ほどの話である。
普通に終わったのなら良かったのだが、今回のこの仕事は御難続きだった。
気分を変えがてら、食事をしようと出てみたが、どうにもこれと言うものがない。コンビニ弁当という気分じゃないのだが、お店に入ろうにも大晦日の夜では大概の店は閉まっていた。
空腹を抱えて法条は、開いている店を探して商店街を歩いていく。と……商店街の片隅に赤提灯の光を見つけた。
これで良いかと心中で妥協して、法条は屋台を目指して歩いた後、暖簾をくぐる。
「ラーメン大盛り、チャーシュー抜き、ネギ増し。あと、お酒」
パイプ椅子に腰を下ろしながら注文を並べ、屋台に居座る他の客……草間とファングの手元を見る。
二人が、燗酒でやっているのを確認すると、法条は続けて言った。
「お酒は冷やで」
言われるなり鬼鮫は、コップと一升瓶を取り出し、コップに酒を注いでそのまま出した。
コップに触れ、その冷たさに一瞬、指が退く。
冷やとはいえ、冷えすぎだろう。冷や酒は冷やして呑む酒じゃない。
とは言え、この大晦日の夜の寒風の下では、それを言っても仕方のない事か。
法条は意を決して冷たさを我慢しながらコップを掴み、中の冷たい液体を静かに一口含んだ。
飲み下すと、ゾクリと背に寒さが走る。それから、胃の中から僅かに暖まる感覚が来た。
と、そんな法条の前に小皿が置かれる。
「おう、つまみだ」
シナチクの上にネギを乗せ、ラー油が垂らしてあった。なかなかぞんざいなつまみである。
鬼鮫はそれを置くと、作っていたラーメンの仕上げにかかった。
手際よく麺を上げて湯切りし、スープを張ったドンブリに入れて、具を並べていく。
「あいよ。傭兵野郎」
鬼鮫は、ファングの前にドンブリを無造作に置いた。
大盛りラーメンの上には、麺を隠すようにチャーシューが並べられ、真ん中にネギが小山になって盛られている。
ファングは無言のまま、片手でドンブリを手元に引き寄せながら、残る手で割り箸を手に取る。そして、割り箸を口でくわえて片手で割り、ネギの小山を崩し始めた。
鬼鮫はそんなファングの事を見守るわけもなく、法条の注文のラーメンを作り始める。
法条はそんな屋台の光景を見ながら、顰め面でコップ酒を啜っては背筋の寒さに震える事を繰り返していた。
「……悪い酒だな」
横の席の草間が、不意に法条に言う。
「大晦日の夜にまで、不機嫌を引きずらなくても良いだろうに」
「……大晦日の夜にまで、不機嫌を引きずらせた依頼者に言って欲しいわ」
法条は、コップをカウンターに叩きつけ気味に置いて、草間に愚痴をこぼす。
仕事の愚痴などと悪い話題の再生スイッチを押してしまったとばかりに草間は、聞いているふりをしながら視線を泳がせた。流れ弾になった愚痴が自分の耳に当たらないよう祈りながら。
そんな草間の仕草には気付いていたが、法条は吐くものは全部吐き出すつもりで話を続ける。声をかけてきた草間が悪いのだと言い訳をつけながら。
「あたしはね。ちゃんとした仕事をするの。でもそれは、依頼者側がデータをちゃんとそろえてからの話。なのに、データの提出は約束の期限からずっと過ぎてから。しかも、まとまってない数字の羅列だけ渡してきて。何しろって言うの？」
法条が話すのを止めて草間をじっと見る。
視線に気付いて草間は、相づちを求めてるのだと察して、話を聞いては居なかったが意味もなく相づちを打って見せた。
「ああそうかそうか」
「でしょう？ それなのに文句は多いの。ああしろ、こうしろ、これを直せ、これを追加しろ、果ては仕事が遅いなんて言われたんだから。誰のせいで遅くなったって言うのよ」
愚痴をこぼしながら法条は、コップ酒の残りをキュッと仰いだ。
そのコップをカウンターに置くのに僅かに遅れ、湯気立つドンブリが法条の前に置かれる。
「楽しくない酒だが、代わりはどうする？」
ドンブリを置いた鬼鮫は苦笑しながら言って、一升瓶を手に取ろうとした。軽く手を振る仕草で鬼鮫の手を止め、法条は注文をつける。
「待って、お代わりは燗……焼酎があればお湯割が良いんだけど。ある？」
「焼酎か。良かったな有るぜ。ロマネコンティなら切らしてた所だ」
言いながら鬼鮫は、屋台の下から焼酎の徳用ペットボトルを引っ張り出す。
そんな鬼鮫を見ながら、草間は悪態を付いた。
「安酒専門のくせに、何がロマネコンティだ。冗談でまで見栄を張るな」
「あ？ こないだ、ナポレオンを呑ませてやったろうが」
鬼鮫は、湯飲みにポットからお湯を注ぎ入れ、そこに焼酎を注ぎ入れながら草間に言い返す。
草間は僅かに考え込んだ後、眉を寄せてさらに言い返した。
「ありゃあ、ナポレオンはナポレオンでも、下町のナポレオンじゃねーか」
「美味かったろうが？」
「ああ、まあなぁ。ただ酒は三倍美味い」
鬼鮫は、できあがったお湯割りを法条の前に置きながら、草間と睨み合うようにして話を続けている。
法条はそんな二人の話を聞き流しながら、お湯割りを一口飲んだ。冷やと違って、こっちは確実に暖まる。
それから、ラーメンを一口。注文通り、チャーシューは入っていない。
温かい物をお腹に入れると、イライラが、まるで溶けるように消えていく。思わず、ほぅと溜息が出た。
と、横で沈黙を守りながらチャーシュー麺を食らっていたファングが、不意に重い口を開く。
「悪い依頼人につかまったな」
「え？ ええ……わかってくれるの？」
話を振られ、ちょっと嬉しくなって聞いた法条に、ファングは軽く頷いて言った。
「依頼人がクズだったばかりに、苦労した思い出なら幾らでもある。もっとも、最後には皆、裏切りを後悔して死んでいった。お前もそうすると良い」
「え？ あ……いえ、もう良いのよ。終わった仕事だし、もう二度と仕事を受けないから。今は愚痴を吐きたかっただけ」
ファングの言わんとしてる事を何となく悟り、流石にそこまではやってられない。
「それに、仕事があるだけましかななんて」
言いながら法条はチラと草間の方を見る。それに気づき、草間は鬼鮫との無駄話を切り上げ、法条に言い返した。
「うちにも、仕事なら幾らでもあるぞ。金になる仕事がないだけだ」
「時に虚無の境界とやり合う位なのに、懐事情はそんなものか？」
少し意外だったらしく、ファングが草間に聞いた。草間は肩をすくめて答える。
「オカルト関係の事件には相場ってのが無いからな。勢い、依頼者の出せる額で納得するしかない。普通の探偵がやるような浮気調査なら、値切っても一日で５〜６万は堅いんだぜ？ 浮気調査で死ぬ目を見る奴もそうそういないが、こっちはそれが茶飯事だしな」
「しょうがねぇやなオカルト探偵だものな」
草間の切実な懐事情を、鬼鮫は混ぜっ返して笑った。
草間は憮然として、燗酒を啜りつつ漏らす。
「いい加減、言い返す元気も出ねぇ」
「世知辛い世の中ね」
法条は草間にちょっとだけ同情した。
「もっと、潤いのある生活が必要よ。この光景も情緒あって和むけど、潤いが欲しい」
「草間の野郎は、ラーメンスープと安酒で、絞れば滴るほどに潤ってやがるから良いとしてだ。あんたもそんなに潤いたいのかい？」
鬼鮫に言われて、法条はもちろんだと頷く。
「仕事ばかりの乾燥した生活はちょっと」
「男でも作ったらどうだ」
鬼鮫の冗談めいた忠告に、草間がしたり顔で言った。
「恋愛はオアシスだが、オアシスの周りは砂漠だ」
「オアシスは砂に埋まる事もある……か」
ファングも感慨深く呟く。それらを聞いて、鬼鮫も何処か遠い目をして言った。
「そうだな……やっぱり、男は諦めろ。なぁに、人間生まれてから死ぬまで一人ってのも、きっと悪くはねぇさ」
「どういう話の流れかわからないけど、何か酷い事言ってない？」
法条は、この男共は潤いに何の役にも立たないのだなと判断して、文句を言った後にレンゲを使ってラーメンのスープを飲む。ラーメン一杯の方が、よっぽど潤いだ。
「潤いのない店ね」
言いながらお湯割りを呑む法条に、鬼鮫はその通りだとばかりに頷いて言った。
「ラーメン屋なんざ、殺伐としてるもんだ」
「だが、それが良い」
草間もそれに頷く。ファングから反論は上がらない。
法条は返す言葉もなく……無論、馬鹿らしいからという意味で返す言葉が無く、黙ったままラーメンを胃に収める事に集中する事にした。
大晦日の夜は更け、関係はないけどラーメンは美味しい。
法条の大晦日は、殺伐とした状況から、殺伐としているべきらしい場所へと移って終わる事となった。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 年齢 ／ 性別 ／ 職業】
6235／法条・風槻／25歳／女性／情報請負人
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