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夢見の雫
優雅にさえ思える仕草で足を組み替え、女がクツリと笑みを浮かべる。人ならざるそれを前に、草間は低く唸っていた。
「……怪奇の類は断る事にしてるんだ」
「おやおや……。残念じゃが、噂はかねがね聞いておっての。その理由では納得できぬよ」
「…………」
気配無く、突然興信所内に現れた天狐を名乗る女が草間に問題解決を依頼したのはほんの数分前の事。本当に困っているのか疑問に思うほど飄々とした様子で一枚の写真を差し出した彼女は「写真に写っているものが逃げてしまったので探して欲しい」と言ったきり、楽しそうな笑みを浮かべて黙り込んだ。
「……だったらせめて、詳しく話を聞かせてくれ……」
”逃げた”と言われた為、てっきり動物か何かの捜索依頼だろうと思っていた草間は写真に映っていた小さくも綺麗な湖に絶句し。
「ほぉ……幾多もの奇怪に遭遇しておって、”夢見の雫”を知らんのか」
そして、冒頭の台詞に戻るのである。
「夢見の雫?」
「ふむ……おぬし、天狗や狐といった類のものに出会ったことは?」
「…………ある」
不本意だ!と言わんばかりに渋りながら答えた草間に、彼の後ろで二人のやり取りを眺めていた零がこっそり笑みを浮かべた。嫌だ、禁止、などと言いながらも興信所の主が依頼を断った事はない。それが困った人を放っておけないと言う優しさからか、押しに弱いせいなのかは定かでないけれども。
「我も含め、特殊な力を持つ人外の種には総じて位があるものよ。もちろん、例外がないとは言いきれぬが−。ともかく、天狗や天狐といった限られた種の、そのまた限られた上位の者にはそれらだけに許された力がある」
「……これが、その力によって作り出されたものだと?」
「話が早くて助かるの。そうじゃ、それは”生命(いのち)に宿る”水。生命の輝きそのものと同じ価値を持つもの」
天狐の言う事は抽象的過ぎてよく分からなかったが、それでも写真に写る湖に特殊な力があるということだけは理解できる。零から2杯目の珈琲を受け取りながら、草間は必死に頭の中で情報を纏めた。
「捕まえる、じゃなく探すだけでいいのか」
「……正直、逃げると言う表現が正しいのかは分からぬ。ただ、本来あれらは”定められた場所に在るだけ”のものであるはずなのじゃ。条件が揃わなければ只の水と相違ない、普段は力を持たぬもの」
「条件?」
天狐を取り巻く空気が変わる。−ぞくり。背筋を走った何かに呑まれかけ、草間はごくりと息を飲み込んだ。
「強い想いと、確固たる意思」
楽しげに弧を描いていた天狐の唇からは笑みが消え、細められた紫の瞳がその深刻さを物語る。
「あれは元来、人の命がもたぬもの。人の魂には必要の無いものじゃ。けれど、我らのような長い時を生きる命が持たぬ強い想いに惹かれてあれは時々生命をさ迷う」
「いのちを、さ迷う……」
「微量であれば人の持つ力や想いを増幅させる程度なのじゃが、あれだけ多くの雫が一人の人間に宿ったとなれば話は別じゃ。未だ嘗て例が無い故、何が起こるか想像もつかぬ。我がここへ来たのも、おぬしから雫の残り香を感じた故のこと」
そこまで話して、天狐はふっと表情を和らげた。それにつられて草間もふっとため息をつく。どうやら、無意識のうちに肩に力が入っていたらしかった。
「おぬしの周りに最近なにか変わった者はおらぬか?愛しさ、悲しみ、憎悪……強い想いになら、あれはどんな感情にだって惹かれる」
「……何か、雫が宿ったことで起きる変化は無いのか?」
「−夢を。あれを宿した人間は、必ず夢を見るのじゃよ。優しく、そして悲しい夢を……」
もう一度、机の上におかれた湖の写真を見つめ草間がじっと黙り込む。どうやら、身近な者達の最近の様子を思い出しているらしかった。
「探す、と申したのは現段階で宿主にどんな影響が出ているのか分からぬからよ。もしかしたらおぬしの大切なものが雫を宿したのやもしれぬ。……依頼、引き受けてくれるかの?」
「−あぁ」
音さえ立てずに立ち上がり、酷く優雅な動きで天狐が草間に頭を下げる。しゃらり、簪の音だけがやけに大きく響き渡った。
「我は祠に帰らねばならぬ。この件に関してはすべておぬしに一任する故、何かあったら我が名を叫べ。−”蒼月”と」
その言葉とほぼ同時、ふわりと優しい風が吹いて。
「……さて、どうするか……」
蒼月、と名乗った天狐は跡形も無く消えていた。
■懐かしき夢
「……”夢見の雫”か……」
「この依頼を受けたとき、何故かお前達の顔が浮かんでな……突然呼び出して悪かった」
電話にて草間に呼び出された日和と悠宇が興信所を訪れたのは、草間が依頼を受けてから幾許も経たないうちだった。いつもより切羽詰った声に慌てて興信所を訪れてみれば、手渡されたのは急いで纏めたと一目で分かるお世辞にも綺麗とは言いがたい乱雑な文字で書かれた資料と写真。
「つまり、草間さんはその雫が私達に宿っているかもしれない、と考えているんですね」
とりあえず読んでくれ、と言う草間の言葉に従って資料に目を通したのはつい先ほどのことで、資料と簡単な草間の補足によってようやく呼ばれた理由を理解した二人は困惑したように草間を見つめていた。
「話は分かった。最近見た夢か、何度も繰り返し見る夢を話せばいいんだな?」
「あぁ」
何故、自分達に雫が宿っている可能性があるのか。もしも宿っていたとして、どうやって雫を生命から引き離すのか。分からないこと、納得できない事だらけではあるものの依頼を受けた張本人である草間に知らされてないことを自分が知れるはずもない。
夢について話せば少しは何か変わるかもしれない、と悠宇はゆっくりと口を開いた。
「昔、犬を拾ったことがあった。……その時のことを夢に見たんだ」
「犬?」
「まだ小さな子犬だった。その時、丁度俺の家は引越しを控えててな。引越し先で犬が飼えるかわからなくて、その犬を連れて帰ってやることもそのまま放って帰る事も出来なくてべそかいてたんだよ」
過去を懐かしむ、笑みを含んだ声色で語られる夢の内容に思わず草間と日和の表情も優しいものになる。
「そんな事があったの?」
「あぁ。その時、母親に連れられたちょうど同じ位の年頃の女の子が通りがかって、俺の話を聞いてくれて、母親に頼んでその犬を自分の家に連れて帰るって言ってくれたんだ。……その子はきっと子犬を大事にしてくれただろうと思うけど、あのまま頑張って子犬を連れて帰っていられたらどうだったろうな、って思ったな」
「その手首の包帯は、夢を見た後に負った怪我か?」
「ん?これか?あー……どうもこの夢を見てから注意力散漫になってて、転んで捻挫したんだよ」
おかしいなぁ、と悠宇は包帯を見つめて苦笑した。人一倍運動神経の良い悠宇が転んで怪我をするなんてよほどの事でもない限りあり得ない。その事を良く知っている草間は暫くじっと包帯を見つめて何か考え込み、やがてその視線を日和へと移した。
「初瀬はどうだ?変化は夢にのみ現れるらしいんだが……」
「夢……」
何か思い当たる節があったのかびくりと日和が反応する。
「……何か思い当たることがあるなら話してくれ」
頭をよぎった懐かしくも悲しみを誘う旋律に、日和は思わず草間から視線を逸らして俯いてしまった。無意識のうちに握った手に力が入る。最近良く見るようになった過去の夢を、最後まで草間に伝えきる自信がなかった。
涙を、零してしまいそうで−……。
「…………」
なんと言っていいのか言葉に迷っているうち、不意に頭にのせられた優しい手。驚いて視線を上げてみれば、穏やかな顔をした悠宇と視線がかち合う。言葉に出さずとも伝わる悠宇の優しさにふっと日和の表情が和らいだ。
この人が居るから大丈夫だと、自然とそう思える。
「最近見た夢は……チェロを始めた頃の思い出です。最初の先生はもう引退したチェリストのお爺さんで、もう生徒はとらないと仰っているのをうんとお願いして教えて頂ける事になった先生でした。音楽に対しては厳しかったけれど、教わった事ができるようになったり新しい曲が弾けるようになるのがとても嬉しかった」
「…………」
「その先生に教わった最後の曲がなかなか出来なくて……そうこうしているうちに先生は病気で亡くなられてしまった。その直前、うんと練習して出来るかどうかわからないのにチェロ持参でお見舞いに行ったんです。その難しい曲が初めて弾けたのは、お見舞いに行った先生の病室でした。……今でもその曲を弾くと先生の事を思い出して涙が出るんです……」
過去を懐かしむ優しい笑みがどこか泣いてしまいそうにも見えて、悠宇も草間も言葉に詰まってしまった。
「どうしてかしら……この夢を見てから、とても疲れやすいし眠いんです」
そう話しながらも、何故だろう、突然睡魔が襲ってくる。遠いところから誰かに呼ばれているような、どこかに誘われているかのような不思議な感覚。
「日和!」
焦ったような驚いたような悠宇の声を最後に、日和の意識はゆっくりと闇へ沈んでいった。
■それぞれの戦い
ここは、どこだろう。真っ暗な空間に只一人、日和はポツンと立ち尽くしていた。頭の中はぼんやりと霧がかり、今まで自分が何をしていたか思い出せない。
誰か大切な人のことを忘れている。何故かそう感じたけれど、それ以上のことを思い出すことは出来なかった。
「…………?」
いつも傍に居てくれる人と、自分に大切なものを与えてくれた人。思い出せそうで思い出せず、喉の奥に何かが引っかかって言葉にならない。自分でも良く分からないもどかしさに、日和はぎゅっと硬く目を閉じた。
目を閉じるとまぶたの裏に浮かび上がる懐かしい人。一つ難しい技術を身につける度、一曲新しい曲を弾けるようになる度、どこか嬉しそうに自分を次のステップへと導いてくれたこの人は。
「……先生……」
誰よりも厳しく優しかった、チェロの恩師……。そこまで思い出した途端急に頭の中がクリアになり、気がつけば日和は四方を水に囲まれていた。光などないはずの闇の中で淡い光を放つ水は、まるで揺り篭のように日和を包みゆらりゆらりと揺れている。
『このままここに居れば、悲しみも怒りも何一つ感じずとも良い』
「誰……?」
『わたしは雫。お前に宿りし、生命の水』
どこからか響く怪しい声にも抗する気が起きず、日和はぼんやりと自分を包む水に視線を移した。優しく揺らぐ光と水が日和をひどく心地よい眠りへと導いていく。
「このまま眠ってしまったら、どうなるの……?」
『何も考えずとも良い。ただ懐かしい過去に思いを馳せて優しい眠りにつくだけだ。そうすれば、すべての悲しみから開放される』
酷く眠い。先生の他にもとても大切な人が居るはずなのに、思い出したいと思うのに、その事を考えることさえ億劫で。このまま眠りに身をゆだねてしまおうと、日和はゆっくり目を閉じる。
『日和。……聞こえてるか?』
が、突然優しく響き渡った聞き覚えのある声に、再び日和の意識が浮上した。それと同時、誰かに後ろから耳を塞がれてビクリと驚きに肩を揺らす。
「耳に入る音には集中せぬ方が良い。耳など聞こえなくとも、心に響く声があろう?」
『草間さんの手伝いが終わったら、買い物に行くって言ってただろ?……早く戻って来いよ』
確かに、聞こえた。先ほどよりはっきりと、自分の事を呼ぶ声が。耳から離れた手を追うようにして振り返れば、視界に入る黒い着物を着た女。
「我が名は蒼月。……お主、戻らずとも良いのか?」
「戻る?」
「そうじゃ。お主が水に近しいもの故、これまで何事も無かったのじゃよ。これ以上ここに居れば、いくらお主といえども雫の力に呑まれてしまう」
『お前が居ないと寂しい……って、何言ってんだろうなぁ、俺』
眠気すら吹き飛ばす、心に響く暖かい声。聞く度に、この声の主の元へ戻りたいと言う思いが強くなる。声の主のことを考えれば考えるほど、心が温かくなるのは何故だろう。
「……悠宇くん」
そうしているうち、ポツリと喉から零れ落ちた声。意識せずに紡いだ言葉は酷く優しい声色で辺りに響き渡った。それと共にすべてを思い出し、日和を包んでいた雫がゆらりと揺れて蒼月の元へ集まってゆく。
「お主と、お主の大切な者にこれを。”雫は我が回収して帰る。迷惑かけて悪かったの”と伝言をお願いしたいのじゃが良いかの?」
「もちろんです。ありがとうございます、蒼月さん」
「我は何もしておらぬよ。……またの」
『……日和』
再び聞こえた自分の名を呼ぶ声に、グイっと意識が引っ張られる。一瞬目の前が暗くなったと思った途端、目の前に現れた大切な人。
「……悠宇くん?」
「おかえり、日和」
照れくさそうに笑った悠宇に、くしゃりと頭を撫でられる。何が起こったのかわからず驚いたように何度か目を瞬かせた日和は、現実に戻ってこれたことに気づいて嬉しそうな笑みを浮かべた。
「これ、蒼月さんから。あと、雫は回収して帰る。迷惑かけて悪かった。って、草間さんと悠宇くんに伝言」
「……何だ、これ?」
「夢見の雫じゃないのか?そういや、少量なら何の害もないって言ってたな」
日和が蒼月から貰ったアンティーク調の綺麗な小瓶の中に入っているのは、確かに先ほどまで日和を包んでいたものと同じもの。
小さいながらも綺麗なその贈り物が”ありがとう”と蒼月の言葉を代弁しているかのようで。顔を見合わせ、二人はクスリと笑いあった。
fin
+ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)+
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
3524/初瀬・日和 (はつせ・ひより)/女性/16歳/高校生
3525/羽角・悠宇 (はすみ・ゆう)/男性/16歳/高校生
N P C/蒼月(そうげつ)/女性/?歳/鎮守の森の守人
+ ライター通信 +
初めまして。ライターの真神ルナと申します。 この度はご依頼ありがとうございました。
大切だと想いあっているお二方で参加してくださったと言うこともあって、所々に少しずつほんのり甘い雰囲気を織り交ぜてみたつもりなのですがいかがでしたでしょうか?
心情等推測で書かせていただいた部分もあって心配ではあるのですが、かなり楽しみながら書かせていただきました。
少しでも、ご期待に添える内容に仕上がっているといいのですが……。
『それぞれの戦い』では日和さまと悠宇さまと別視点で書かせていただいたので、お時間のある時に悠宇さま視点のほうも読んでいただけたら、と思います。
納得がいかない部分や口調等にリテイクがありましたら遠慮なくお寄せくださいませ^^ それでは失礼致します。
またどこかでお会いできる事を願って―。
真神ルナ 拝
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