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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


[ 満たされぬティーカップ ]



「食い逃げ、飲み逃げ――とでも言うのかしらね? でも、気づいたら居ないのじゃ…捕まえようもない、か」
 その日、碇麗香のもとへと入ってきた一本のニュース。それはいたって単純なものだった。
 連日、同じ店で同じ客が飲み食いを途中にし、料金を払わず忽然と店から姿を消すという話だ。
 彼女は気づけば店内に存在し、その傍らには既にティーカップが置かれている。その姿は完全に日本人離れをした――金髪緑眼、淡いピンク色のドレスを身に纏う姿は、高貴な貴族を連想させもした。
 発される言葉は異国の言葉。ただしその声はなぜか聴く人の脳に響き、日本語として理解できた。
 店の人間はまるで操られるかのよう、彼女が料金を払わないことを知っているにも関わらず、彼女の言うままに紅茶やスウィーツを提供する。精一杯の、最高のもてなしで。
 しかし、彼女が店で笑みを浮かべることは一度もなかった。始終哀しそうな表情を浮かべたまま。
 そして彼女はただ一言。最後に決まって言い残しては消えていく。

『満たされない…何時までも満たされない。やっぱり"彼"じゃないとダメなのかしら……でも最期に…最期にもう一度だけ…素敵なアフタヌーン・ティーを…』


「――ということでさんしたくん、潜入調査行って頂戴」
「ちょっと待ってください! こ、此処って……ただのお店じゃないじゃないですかぁああ!?」
 麗香に呼び出された忠雄は、資料を見るなり声を上げた。
「そうね」
「そうね、じゃないですよぉおお!! だって此処は――っ」
「大丈夫よ……適当に助っ人も見繕っておくから」
 麗香の言葉など最早耳に入っていないのか、忠雄はパニックを起こしている。
「此処は執事喫茶、ってやつじゃないですかあああ!!!!」
 そして発される絶叫。
「そうそう、さんしたくんは眼鏡外した方がきっと客ウケがいいわよ。あ、でも眼鏡属性にはウケるのかしら…ま、ドジしても微笑めばきっと許してもらえるわ。さ、いってらっしゃい!」
 そう言う麗香の笑みは、勿論この状況を楽しんでいるような、そんな笑みだった。



    □□□



 麗香の前に現れたのは、見事に暇を持て余したような男が三人。
「まぁ…食い逃げ犯には興味ないんだケド、暇だし。潜入捜査、って響きが面白そうじゃん?」
 そう、神納・水晶が口を開けば、すぐ近くで腕を組んでいた人造六面王・羅火も同じような言葉をポツリ呟く。
「………まぁ、わしも暇をしておったし、構わぬがの」
 そんな暇を持て余しつつも落ち着いた様子の二人とは違い、どうも落ち着かないのが新座・クレイボーン。
「ぬ、調査? シツジ?」
 首を傾げながら、麗香や羅火、そして最後には水晶を見ては更なる疑問を呟いた。
「それうまいのか? ぬ??」
「いや、食べモノじゃないでしょ……」
 即座に水晶の呆れた突っ込みが入るが、「でも…」と不意に言葉を続け、羅火を見ると答えを求めるかのように言う。
「ソレ、実は俺も思ってたンだよネ。そもそも執事喫茶って…執事って何するの?」
「……っ、ぬしら…それも知らず協力を申し出ようと?」
 一瞬詰まった言葉をすぐさま吐き出すが、そうすると反抗する子供のように水晶と新座が揃って羅火に説明を迫った。
「何、羅火は知ってるワケ?」
「わけかー?」
「勿論じゃ。そうでなけりゃ、暇だろうとわしはやらんぞ」
 そう言うと羅火は、何も知らない二人に執事とは何かの簡単な説明を始める。
 執事――それはバトラーとも言われる使用人の上位職。主な職務は主人への給仕であるが、それ以外にも屋敷内の管理や統括という点で様々な仕事がある。が、執事喫茶で必要となる知識といえば、恐らく主人への給仕位だろう。
 又、店の趣向は判断できないものの、執事といえば燕尾服――という格好が割と定番であることも付け加えた。
「ふーん、てことは……ちょっと特殊な接客業でイイのネ――」
 従業員として接するのではなく、その空間では使用人として主人に仕えると言ったところだろう。
 水晶の隣では、本当に納得しているのかは分からないものの、ようやく"シツジ"が何か分かった新座が表情を明るくさせている。
「りょーかい、と。黒服着て対応すればいーんだな? バーテンとはちょっと違うけど……」
「間違いとは言わんが……まぁ、実際その場に行ってみれば、此処で聞いてるよりは良くわかるじゃろう」
 後は実際現場で見て学ぶ事が一番良いと羅火は判断し、それ以上を語ることは無い。
「あ、服ってどーすんの?」
 自分の服を見ながら、ふと呟いた水晶の言葉に、麗香は三人の服装を見て言った。
「特別制服は無いから、黒系統の…言うならば燕尾やベスト等のしっかりした服で出て貰えれば良いんだけど、無ければこっちで用意するわ」
「ん、じゃあおれは自分のー」
「黒服取ってくるのもなんだし、俺は頼もうカナ。羅火は?」
「うむ…わしは――外見が外見じゃからのう、基本裏方で行こうと思うんじゃが……まぁ、黒服で表に出るのも悪くなかろう。一応頼むかの」
 二人の服のサイズを聞くと、麗香はそのまま席を外す。
「とりあえず、そこに行ってその女の目的探ればいーんだよな? んで、一番にわかった奴が勝ち、飯おごってもらう、と」
 最初は二人に聞くように、けれど後半の言葉は一人で納得したように新座は声に出すと、座っていた机から下りて早くも何をおごって貰うか、ブツブツと呟き始めた。
「…………なんか違くない? なんでそんな思考になるワケ…」
「じゃな……まぁ、その位の勢いはあった方が良いし、わしらのどちらかが突き止めれば無い話に出来るじゃろう」
 そう言った羅火に、水晶は「確かに」と小さく同意し、やがて麗香が戻ってくる。その手には紙袋があり、中には二人が着れる服が入っていた。
「宜しく頼むわね。難敵みたいだから、他にもまだ人来たらちゃんと増援するから」
 そうして三人は揃って白王社を出ると、問題の執事喫茶を目指すことにした。



    □□□



 近年、主に都心部を中心に展開され始めた執事喫茶。メイド喫茶が男性向けであれば、執事喫茶は女性向けの空間である。店をお屋敷に見立て帰宅して貰うというコンセプトは、今や不動の人気といっても過言ではない。
 店に続く階段を上り、ドアの音を立てぬようこっそりと覗いた店内は、とても静かな様子で席は満席。一人で来ている客も多いようだが、麗香の言った英国風なお嬢様の姿は見受けられなかった。代わりに目に飛び込んできたのは、忙しなく動き続ける黒服の男達。アレが執事なのだろう。年齢も、背格好も皆ばらばらで、服装もそれぞれシンプルなものから少し奇抜なものまで様々だ。
「皆さん遅いですよおおおお!!」
 従業員用の裏口から事務所に入ると、そこには忠雄の姿があった。ずっと応援を待っていたのだろう。
「なんじゃ、三下か」
「ん、なんか意外とあっさりしたカッコウじゃん? ソレで執事なの?」
「エンビじゃないんだな?」
 忠雄に関しては燕尾服ではなく、白のワイシャツにグレーのシンプルなベスト姿。首に長いリボンを巻いていると言う状態だ。
「……フットマンにされてしまいましたぁ」
 首を傾げた二人を見て羅火は、要するに役に立たないから執事から降格されたその役職名だと言った。正しくは、フットマンを勤め上げると執事への昇格となるのであり、事情が事情とはいえこの降格はなかなか貴重なものだろう。
「それよりも、まだ例の方は来てないので、早く準備して備えておいてくださいね! あ、コレ一応のマニュアル本です。僕達は即席の従業員なので、本当に要点だけを抑えてある物で……コレを読んで此処で待っててください」
 そう言うなり忠雄はホールへのドアを開け去ってしまった。その少し先に、燕尾服を着た中年の男性が見える。忠雄に指示を出している執事かもしれない。
 三人に渡された薄い冊子には、この店のシステム、執事とはどういう存在であるか、お客様に対しての立ち位置や、基本的な受け答え等が書かれていた。
 羅火は軽く目を通し「うむ‥」と一つ頷くと冊子を閉じる。
「一先ずわしは厨房に行くかのう。色々下準備もしておきたいしの」
 そして髪の毛を後ろで縛り始めた。しかしそんな羅火の動きに、冊子を穴が開くほど見つめていた水晶は「え?」と声を上げた。
「本気で裏方なワケ。厨房っても此処、ちょっとした料理じゃ通用しないでしょ?」
「言うておくが、わしはたいていのものは作れるでの? 言うならばプロレベル、じゃろうかのう」
 答えながら、羅火はワイシャツと黒いスラックスに着替え始める。
「え゛……ホント?」
「ああ、隠しても嘘を吐いてもしょうがなかろう。紅茶も淹れられるし、得意分野の一つも此処なら活かせるじゃろうし。……分かったら、ぬしらはとっとと仕度せんか」
 最後に腕をまくると、羅火はそのまま水晶と新座を置いて一人、厨房の方へと歩いていった。
「分かったよ……って、コッチももう着替えてるし!?」
 羅火の言葉を受け、既に遠ざかった彼に返事をすると、次に隣の新座を見て思わず声を上げてしまう。
「ん、だってシツジ楽しそーだしな〜。早くホールでてぇし」
 ワクワクした様子で言う新座の格好は、執事と言うより軍人のようだった。
 いつの間に着替えセットまでしたのか、前髪だけ少し残しオールバックに纏めた髪に、先程まで包帯を巻いていた右目部分には黒皮の眼帯。両手には白い手袋。黒に近い紺色のロングコートを身に纏い、ウエスト部分には二つのベルト。同系色のブーツも履いているが、中には白いワイシャツに赤のタイと、その辺りは正装だと分かった。
 そんな格好の手に持たれた冊子は、本気で見ているのかいないのか。
 ただ少しすると、忠雄に指示していた執事が戻ってくる。そして目に飛び込んだ新座を見ては一瞬絶句するが、繁々と見ると「粗相のないように、くれぐれも宜しくお願いしますよ」とだけ言い、再び去っていった。どうやら悪くは無いらしい。
「ふーん、そんなのもアリなんだ……」
「ん。いかにも、どっからどー見てもシツジだろ?」
 思わず漏らした水晶の言葉に、新座はクルリと一回転して見せた。
「聞かれると困るンだケドさ……まぁ、許可も出たしイイんじゃないの? 俺のは――やっぱ普通の燕尾…か」
 紙袋から服を取り出すと早々に袖を通し、ついでに靴も履き替えた。多少の違和感はあるが、付属のタイを適当に結ぶと同時、ドアが開き忠雄が戻ってくる。
「みみ、っ皆しゃん!?」
 押さえ気味の奇声と共に。
「って、一人足りない!」
「ん、羅火ならもう着替えて厨房行ったケド?」
 水晶が再びマニュアルを開くと、忠雄がもう待ちきれないといった様子で声にした。
「例のお嬢様が来店しましたよ!」
「マジかっ!」
「へぇ、案外登場早かったネ? じゃあ早速――」
 本を閉じ袖のボタンを止めながら、ホールに出る準備を着々と進めようとすれば、横から飛び出た新座が忠雄に駆け寄り、そのままドアの方へと向かっていこうとする。
「うおお、おれいく! おれいく!」
「ああ、待ってくださいぃぃっ! 実は……」
 そう忠雄が新座を引き止めた後、残りは小さく彼だけに耳打ちされた。
「ん? わかった、とりあえずそっちいけばいーんだな? いってくる」
 そう言うとドアを開け、新座は颯爽と歩いていった。案外格好が格好のせいなのか、後姿はソレらしく見えるものである。
「え……てか、アイツが先に行ったんじゃ、俺どーすりゃいいの…」
「大丈夫ですよ。新座さんにはまず神代さんの所へ行って貰うことを伝えたので、神納さんは例のお嬢様がベルを鳴らしたらそこに行ってください。僕は厨房に行って来ます」
「了解っと。んー…とりあえず、この本は合間で見ればいっか……」
 もう少し見ておきたかったが、基本だけは頭に叩き込んだ。冊子を紙袋に入れると、水晶もホールへ出ることにした。
 裏側とは違い、淡い照明に照らされた店は綺麗な内装で、床は歩く度にコツコツと気持ちの良い音を返してくれる。行き交う執事やフットマンは、新座に続き出てきた水晶に一瞬目を向けると、僅かに安堵の息を漏らした気がした。
 フッと目を向ければ、新座が席を立った一人の客と共に移動するのを垣間見る。方向的には手洗いのようだが、ヒソヒソと会話を交わしているのを見ると、あれが忠雄が言っていた神代なのだろう。
 他に目を向けると、何人かの客と目が合っては逸らされる、を繰り返した。服自体は珍しくも無い格好だが、彼の銀髪が目を惹くのかもしれない。
 チリンと遠くでベルの音。客が執事やフットマンを呼ぶのに使うベル。今の音には、すぐさま近くのフットマンが対応する。水晶が反応すべきベルはただ一つ。そして、その相手の姿をようやくその目に捉えた。
「確かに…話に聞いたとおりのお嬢様ってヤツね……」
 聞いたとおり、遠くから見ても見間違えの無い金髪緑眼、淡いピンク色のドレス。此処を訪れる客は、お嬢様と言う雰囲気を楽しむため普段とはかけ離れた服装で来る者もいたが、彼女の場合は度が過ぎる。
 そんな確認と同時、彼女はテーブルに置かれたベルに手を伸ばす。チリンと響くベルの音。
「――お帰りなさいませ、お嬢様」
 それから僅か一拍の間だけを置き、水晶は彼女のテーブルに横に付いた。
「………………?」
 彼女は不思議そうに水晶を見上げると、小さく笑みを浮かべる。
「……初めて見るお顔ね。新しい方?」
「ええ、私…本日から新しくこの屋敷に配属されました、神納と申し――」
 言葉は途中で途切れる。彼女の瞳を見つめ名前を口にした瞬間、ただならぬモノに包まれた気がして。
「っ……?」
 息苦しく、そして何より自分の意識はハッキリしているくせに身体の自由が利かない。
「そう……あのね、神納さん…」
「――(なんだ!? コレ…コイツ、人の意識は正常のままに対象を操ろうとでも?)」
 まさかこんな所で能力を使う羽目になるとは思わなかったが、反射的に神気を纏えば、彼女は一瞬顔を顰めて見せた。
 悟られた……そんな気がする。
 その瞬間浮かんだ、今目の前に居る人物は――人ならざる者なのではないかと言う考え。人外か、あるいは能力者か。どちらにしても、今この場で事を大きくするのは得策ではない。
「いかがされましたか、お嬢様?」
「……なんでもないわ。えっと神納さん、今日のパティシエお薦めスウィーツをお願いできるかしら? 紅茶はそうね…ルフナ。いつものカップで、お願いね」
「畏まりました」
 形式どおりの受け答えをすると、水晶はホールを後にする。
 途中で若い執事を捕まえ、水晶はいつものカップについて聞いた。どうやら彼女だけのカップが存在するらしく、詳しいことは聞かせてもらえなかったが、厨房に行けば分かると言う事を告げられる。どうせオーダーも伝えなければいけないと厨房に寄れば、ソムリエエプロンを巻いた羅火が何やら必死に菓子を作っていた。
「なんじゃ、もうオーダー取ってきたのか」
 顔を上げた羅火に対し頷きオーダーを伝えると、彼はただ一言「うむ……」とだけ呟き背を向ける。此処からは口出しできる範囲ではない気がして、伝票にいつものカップで…と付け加えると、一先ず厨房を後にした。


 事務所兼更衣室で、水晶は椅子に座り冊子を読みながら、さっきのことを考える。
「アイツ、執事を自分の支配化に置いてンのかな……? だから――」
「ぬ? もしかしてあの女のことか?」
 考えている内に自然と出た独り言であったが、丁度新座が戻ってきたらしく、話に食いついてきた。
「ん…いや、完全に操るってワケじゃなさそうだけど、自分に仕えさせる様な……そんな力があるのは確か。だから毎回食い逃げされても……気づいてても誰も捕まえられない、捕まえようがないンだとか?」
「んーてことは、店の連中操られてるから食い逃げ犯なのに毎回逃してるってことか? ヘンな話だなーって思ったけど、そうだとするとなんか情けねぇな……」
 どこから持ってきたのか、新座は取り出したスコーンを口に放り込む。
「そうは言っても、アレ普通防ぎようないからサ」
「む……んぐ‥でも、あんたなら大丈夫なんだろ?」
 口の中身を飲み込むと、平然と答えを返してきた。それに対し水晶は「……多分」と頷く。実際支配下に置かれたところを見たわけでもなければ、確信したわけでもない。
「んなら、おれも一度行ってはみっけど、もしおれもダメならあんたがやればいーだろ? 後は、今神代も相手にしてるしな」
「…そうじゃなぁ、それしか方法もあるまい」
「あれ、羅火!?」
 いつの間にか事務所の入り口に立つ羅火は、タイ無しの燕尾服姿だった。
「ほれ、奴ご所望のスウィーツに紅茶じゃ。カップはこっちじゃからな、間違わぬようしっかりやってくるんじゃぞ」
 指されたワゴンを見れば、そこにはスウィーツと紅茶のポットにカップ――それがそれぞれ二つずつ。
 ついでに執事らしい紅茶の淹れ方も羅火から伝授され、水晶はホールへと戻った。そして二つずつの意味は、テーブルに戻った時に理解する。
「お待たせ致しました、お嬢様(……?)」
 水晶が目指したテーブルには、見慣れぬ女性が一人増えている。否、少し前に新座と席を立っていた――彼女がやはり神代・遊馬なのだと水晶は納得した。お嬢様が英国風であれば、彼女は黒髪清楚な大和撫子タイプ。
「ありがとうございますデスよ」
 ただ、口を開けばそうでもなさそうだが……。
 二人の前にスウィーツとカップをセットすると、羅火から軽くレクチャーされた紅茶の淹れ方を披露した。初めてにしてはなかなかの腕なんじゃないかと、ポットをゆっくり置いて水晶は少しだけ得意げになる。心なしか、女の表情も柔らかいものになった気がした。
 その時だった。すぐ隣のテーブルでベルを鳴らす音。咄嗟に水晶の身体が反応する。周囲には執事はおろか、フットマンの姿もない。
「では、失礼致します――」
 言葉は何の躊躇いも無く出た。マニュアル冊子に書かれていた。この店ではベルの音に気づかずそのままであることはいけない事だと。そして今の状況は、紅茶も淹れ終わり丁度退却出来るところ。向かわないわけにはいかなかった。
 テーブルから一歩下がったところで、脚の自由が利かなくなった気がしたが、気にせず歩き出す。
「只今御伺い致します」
「――満たされない……このバトラーなら…彼に近いと思ったのに」
 後ろで声が聞こえた気がした。
「はい、いかが致しましたか?」
 しかし、水晶はその小さな声に気づきはしない。小さな小さな……けれど、確かに渇望する声に。



    □□□



 暫くはホールを駆け回っていた。水晶が近くを通る度、紅茶のおかわりだと、話がしたい等とベルを鳴らすものが絶えなかったからだ。彼自身も、いつの間にかこの空間を楽しみ、丁寧な応対と柔らかな物腰で接客をこなしていた。それもこれも、彼の凝り性が良くも悪くも出た結果だ。
「――この馬鹿、一体何をしとるんじゃ……」
「え、羅火? あれっ、ホール出てきたの?」
 気づけば背後に羅火が居て、頭を小突かれた。
「野暮用と急用じゃ……しかしぬしの場合仕事に専念するのは良い傾向じゃが、対象を間違えてどうする?」
 よく見れば羅火の後ろには相席していたはずの遊馬が居て、これから事務所に向かうらしい。どうやら新座は調査に出て収穫を持って帰ってきたらしい。羅火に関しては、先程料理や紅茶の味に関して伺いに行ったらしく、軽く会話を交わした限り満足はして貰えているようだと言った。
「…え、あれ、ちょっと? なんで最初に接客してるハズの俺が何も会話できてないのサ? おっかしーなー……?」
 思わずブツブツと呟きながら、羅火の後をついて事務所へ向かう。
 しかし目標と普通に接触した新座と羅火、相席を果たしていた遊馬に対し、なんだか負けた気分で…水晶は内心肩を落とした気分だった。
 事務所に着けば、新座は椅子に座り退屈そうに待っている。そして三人を見るなり、待ちきれないといった様子で話し出した。
「んじゃ、おれが持ってきたのがこれな」
 そう言って新座が取り出したのは、一冊の古い日記帳と封のされた手紙。そして白いソーサー。
「あ、もしかしてそのソーサー……」
 それには遊馬が反応した。続いて羅火も頷く。
「え? え、ちょっとなんで皆分かったような顔してンの」
「あの女指定のカップ、ソーサーが対の物じゃねぇなって思ったんだ」
「デスね…遊馬もそう思ったデスよ。そーさーは柄物でしたし」
「つまり、それが満たされない一つの原因じゃろうな」
「そうデスね。彼女サン、紅茶を飲む前から不満を持ってたようデスし」
 水晶以外が気づいていた違和感。彼女指定の食器はカップが白く、ソーサーはそれに不似合いな柄物だった。誰かが無理矢理合わせたのだろう。
「えっと…じゃあ、そのソーサー渡せばイイって思うんだケド、原因の一つってコトは、まだあるの?」
「彼女サンは多分、白いかっぷとそーさーで、自分が好きだった人が淹れてくれた紅茶を飲みたいのだと思うデスよ」
「ん、それってもしかしてそいつんちで雇ってたシツジのことか?」
 此処で新座と遊馬の情報が一致する。二人が得た情報を纏めると、執事と彼女は互いを慕っていたが、相手もそうだとは気づかぬまま、諦めのような気持ちを抱いたまま別れを迎えた。そして彼は別れの真意を彼女に明かさず――病で故郷へ戻ると伝えぬまま、帰らぬ人となっている。
 彼女は多分何も知らないのだろう。知らぬままやがて己もこの世を去り、未練を残したまま彼の故郷でもあり、彼を感じると言うこの店を訪れ続けている。
「現にカップもあったし、屋根裏にソーサーも日記も手紙もあったからな。ってことは、これを見せればいーんじゃねぇの?」
「そうじゃのう…ただ、ソーサーはわしに貸してもらえるか? 一つ、試してみたいことがあるでの」
 そう言うと羅火は席を立ち、厨房へ行くと言い去って行った。
 残った三人で、悪いとは思いながら手紙の封を開けてみる。手紙は恐らくイギリス英語で書かれていた。所々解読不能であったが、彼が彼女へ宛てた手紙であるのは確かで、多分生前伝えられなかった考えや想いを全て此処に託したのだろう。しかし封もされ宛先も書かれ、切手まで貼られていたが、これは此処に存在する。どんな理由があったにせよ、やはり彼女へと渡すべき物であることは明白だ。
 程なくして帰ってきた羅火は、事務所の前にワゴンをつけている。そこにはティーポットと、白いソーサーだけが乗せられていた。


「失礼致します、お嬢様」
「戻りましたデスよ」
「新しい紅茶を」
「あとプレゼント、だな」
 彼女の前に四人揃って現れると、まず遊馬は席につくことにした。
「あら…今度は皆さんお揃いなのね? でも、私紅茶のおかわりは頼んでいないけれど……」
「私どもからのサービスの一つでございます」
 そう言うと、水晶は彼女の前にあったカップを持ち上げ、ソーサーを交換する。それに気づいた彼女は、声にはしなかったものの、驚きを露にした。どうやらこれで正解らしい。続いて羅火がそこに紅茶を注ぐ。先程と同じルフナだ。彼女も色と香りでそれには気づいたらしい。それでも、羅火にどうぞと言われれば、同じものだと分かっていても再びカップに口を付けた。
「…………っ?」
 ただ一口飲むとカップから口を離し、次にミルクを注ぎ口を付ける。そして、ありえないと言った顔で羅火を見て問う。
「……何が、どうして、この味になったの?」
 彼女の反応に、羅火が少し笑みを浮かべた気がした。
「水をな…飲料として使える、尚且つ沸騰しても質の変わらない永久硬水にしてみた」
「もしかして、彼の淹れてくれたのと同じデスか?」
 遊馬の言葉に、彼女は嬉しそうに頷くと、又カップに口を付ける。
「嬉しい…あの日彼が淹れてくれたものみたい……」
「カップとソーサー、紅茶も揃った。後は――」
「んじゃ最後にこれだな」
 そして新座が日記と手紙を彼女の前に置いた。彼女は、日記に関してはすぐに彼のものだと分かったようだ。ただそれよりも目を惹かれていたのは手紙の方。カップを置き手紙を手に取ると、封を開け中を取り出した。
 既に紙は黄色くなってしまっているが、文字は読めるのだろう。たった一枚だけの手紙だが、彼女は時間をかけ、最後には目を潤ませていた。
「――――――ありがとう……」
 暫くした後、彼女は小さく呟き、手紙を畳む。そこには皆が初めて見た笑顔。
「満たされた…ようやく私の心は満たされた……彼のカップにソーサー、彼の紅茶に彼の…本当の言葉に想い」
 そう言うと、彼女の姿はゆっくりと透けていき、次第に衰えてもいく。まるで此処に居た彼女は、彼と過ごした当時の姿だったと思わせるような――そして最後に彼女は老女となった。
「皆さんにはご迷惑をおかけしたでしょうね……特に神納さんは、すぐにお名前を明かしてくれたものだから、無理矢理力を使おうとしたわ…もっとも、通用しないようだったけれど」
 そう苦笑いを浮かべると、今度は皆にも向け言葉を続ける。
「このお店の何処かには、私が彼にプレゼントした物も少しは残っているはず。それをお金に換えてください。今までのお食事代には十分かと思いますよ」
 そう言うと同時、彼女の姿は掻き消えた。多分、いつも最後はこうして消えるのだろう。
 ただ、もう彼女は現れることは無い。それは、きっと彼女が満たされたから。


「よーやくコレで終わり……?」
「望みは叶えたよな? でもあの天井裏また探すのか…めんどくせぇな……」
「まぁ、そう言うな。それにわしらが依頼されたのは、食い逃げ犯の代金肩代わりでもなかろう。とりあえず、これで調査は完了じゃし、後は着替えて考えればいいじゃろう」
「遊馬、もう少し紅茶とスウィーツを楽しんでいくデスよ。それでそれで…新座サンもまだホールに居て欲しいデスね……きゃー…」
「む?」
「俺、ようやく慣れて来たトコだし、もうちょっとホールに居ようカナ…」

 そうして、それぞれここで解散と言わんばかりに、席で寛いだりホールを周ったり、事務所に戻ったり天井裏へ足を運んだり……。


「なんか……執事喫茶でバイトってのも案外イイかも?」
 そして、ある意味執事の魅力につかれた者が此処に一人。



 気づけばテーブルから彼女が使っていたカップ&ソーサー、そして手紙は消えていた。
 全ては幻の事件だったように……ただ、残された日記、そして後程天井裏から発見された貴金属だけが真実を語っている――…‥。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 [3620/   神納・水晶    /男性/24歳/フリーター]
 [5330/   神代・遊馬    /女性/20歳/甘味処「桜や」店員]
 [1538/  人造六面王・羅火  /男性/428歳/何でも屋兼用心棒]
 [3060/  新座・クレイボーン /男性/14歳/ユニサス(神馬)・競馬予想師・艦隊軍属]

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、李月です。この度はご参加ありがとうございました。
 お届けが大変遅れてしまいましたが、この豪華面子で書かせていただけるとは思ってもいなかったので、喜びと毎度の緊張やら様々ですが、楽しく書かせていただきました。
 かなり情報が分散しすぎているので、お暇がありましたら他の方の動きも見てみてください。同じ所に居ても、少し違った状況になっている場合もあったりするかもしれません。
 執事喫茶はあそこなんじゃないか?と、予想も付くかもですが、システムや店の状況は実際とは全く別物です。似非喫茶ですが、お楽しみいただければと思います。
 彼女が満たされない理由は最初から"彼"にありましたが、色々な角度から解決に導くことが出来ました。ご協力ありがとうございました。

【神納水晶さま】
 お嬢様の能力に唯一関わったのですが、名前で人を操るような能力があります。なので、丁寧に名前を名乗る執事やフットマンは見事に操られてしまいます(そしてお嬢様を捕まえようとは思わなくなる、と)
 実際直接得られた情報は少なかったものの、接客態度はお嬢様が喜ぶようなものだったと思います。彼女が慕う彼と、何処か似たものがあったかもしれません。
 仮に執事喫茶に居たとしても、様になるとは思ったので、やはり調査よりもずっとホール向きだったと思われます(笑)お疲れ様でした。

 では、又のご縁がありましたら。
 李月蒼