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<東京怪談・PCゲームノベル>


     星には願いを、桜の下では約束を

 冬の太陽は夏に比べて一日の寿命が短い。高校生の授業が終わる時刻ともなれば日はずいぶんと西に傾き、学生たちは残り数時間の明るい日差しを逃すまいとするかのように足早に、それぞれの放課後の目的に向かう。そんな中、ミオこと式野未織(しきのみおり)は神聖都学園の校門を出ると、学生たちで混み合う通学路を独りはずれ、人と物がひしめく都会にぽっかりと開いた穴とも言うべき空き地を目指した。そこはいつも人気がなく、ひたすら過ぎ去るばかりで決して戻ることのない日々の思い出と、静寂に満ちている。
 ミオは迷うことなくたどり着いたその空き地に足を踏み入れると、誰か人を探すように長い髪を揺らしながらきょろきょろと周囲を見回し、中央に一本そびえ立つ木の下へ歩み寄った。葉がすっかり落ち、太くがっしりとした幹と枝だけになっているが、それが春になると薄紅色の花を咲かせる桜であることをミオは知っている。そして、この『一本桜』と呼ばれている桜を訪れるのには特別な意味があることを。だから彼女はここへやって来たのだ。一つは、その特別な意味のために。そしてもう一つは……。
 「ミオは、人とは違う力を持っています。」
 子供のように小さな手を木の幹にあて、ミオは堅い決意のうかがえる口調でそう言うと、桜に語りかける調子で言葉を紡いだ。
 「ミオの使い方次第で、人を悲しませる事も、不幸にする事も出来てしまいます。その力の大きさを分かっているからこそ、絶対に人が悲しむような使い方はしません。」
 ミオの柔らかな声に耳を澄ませるかのように、桜が枝を揺らすのをやめた。冬の香りを含んだ冷たい風がやみ、一本桜はミオの次の言葉を待つ。広げた枝の下で人が約束を交わすのを、あるいは誓いを立てるところを見守り、記憶するために。
 ミオはそんな桜の樹を見上げ、まだ黄昏の色に染まりきっていない、視界に広がる青空と同じ色の瞳を閉じた。
 「ミオは、涙よりも笑顔の方が好きだから、人が幸せになれるような使い方をします。それが、力を持つという意味だと思うから……ここに、それを誓います。」
 胸の奥にある真っ直ぐでゆるぎない、強く真摯な思いをそんな言葉にして発すると、それはミオ自身の心と、桜の樹にしみこみ、いっそうはっきりと明確なものになった。決意が誓いとして目には見えない『形』を持ったのである。
 そのことをしっかりと認識してミオが目を開いた時、青空を背景にした視界には白い髪をなびかせて佇む少女の生真面目な顔があった。宙に浮いたその姿は、枝から散った桜の花びらが地面に舞い落ちるのを拒み、空と大地の間――あるいは死者と生者の間――にとどまって地上を、生者の世界をじっと見守っているようにも見える。
 本来なら幽霊が出たと恐れてしかるべきその光景を微笑みでもってミオがとらえたのは、もちろん、日中に見る半分透けた少女の姿が恐れるには少々迫力に欠けていたから、ということだけが理由ではない。
 「お約束を果たしに来ました。」
 ミオはそう言って顎を元の位置に戻し、よく知った友人に向けるような笑顔を眼前の少女に見せた。彼女もそれにかすかな笑みで応える。ミオが一本桜を訪れたもう一つの理由が、この桜の精霊の存在だった。
 「本当に、覚えていてくれたんだな、ミオ。」
 少女は歓迎するというように両手を広げて音もなく宙をすべり、ミオに近づくと、再び真剣な面持ちに戻って厳かな声音でこう告げた。
 「一本桜が化身・陽櫻の桜華(ひざくらのおうか)は、青い空とわたしの支配者たる陽にかけて、あなたの誓いがここに立てられたことを記憶し、証明し続けよう。太陽が昇るのをやめ、空が黒く朽ちてもわたし自身が朽ちるまで。立てられた誓いの意味を問う者がいなくなり、重なり積もる時間の下に誓いが埋もれようとも、わたしが土に埋もれぬ限りは。」
 桜華のその言葉が終わると同時に強い風が吹き、一枚の葉すらなかった桜の樹の枝々にうっすらと赤味の差すつぼみがついたかと思うと、それは季節を忘れたかのように一斉に花開いた。根が大地に張るように空に向かって手を伸ばしている枝が見えなくなるほど、薄紅色の花びらがミオの頭上を覆い、冬の鋭く凍えた風にあおられて雪のように降りそそぐ。先ほどミオが口にした誓いの言葉と共に。
 「花びら一枚があなたの言葉、つぼみ一つがあなたの思い、つぼみが開き舞い散る花弁の見せるこの光景があなたの誓い。言葉がその場にとどまることはなく、花もやがて散るが、季節が巡れば同じ光景は見られる。何度でも。だからあなたがあなたを裏切らない限り、あなたの誓いは永遠のものだ。」
 桜華のその言葉にミオは寒さも忘れて小さな身体を精一杯真っ直ぐに伸ばし、心が引き締まる思いで、しっかりと頷いた。それから両手を開き、そのかわいらしい手には似つかわしくない、強大な力を秘めた水の刀のことを思う。ひとたび身に危険が迫れば現れ、敵を倒しつくすまでミオを支配する破壊の力。それで誰かが助かることもあれば、誰かが傷つくこともある。ミオはその力の大きさを知っているから、後者を望まなかった。一度も。そしてきっと、これからも。
 「ミオ、将来の夢はパティシエなんです。」
 小さな手を握りしめたミオは、唐突にそう言って桜華に顔を向けた。
 「今はまだ、お菓子作りの腕はいまいちなんですけれど、いつか人を幸せに出来るようなお菓子を作りたいって思ってるんです。」
 それから再び手を開き、ミオは両腕を桜華に差しのべるようにして見せる。桜の精霊はその柔らかな手の平に穏やかな視線を落とし、春が来るのを待つように言葉を待った。冬と沈黙は時に長く重苦しいが、いくつもの季節を沈黙と共に過ごしてきた桜華にはどちらも苦にはならない。それにこの沈黙の冬も、長くはなかった。
 「この手は幸せを作る事だって出来ます。作る方はまだまだでも、同じようにこの手を使うならきっと、そちらの方がいいから。」
 ミオはそう言って腕を下ろし、春の訪れのような笑顔を見せる。これに桜華は「そうか。」と短く、ミオの語る夢の意味の深さを思いながら呟くような相槌を返した。自分のために持てる力を使うこともできるのに、他者のために幸せを作る努力をしようというミオの言葉は桜華を少なからず驚かせ、また感銘を与えたのだ。
 やがて彼女はミオに、独り言のような問いを投げかけた。
 「願いや夢は自分のために持つものなのだとわたしは思っていた。あなたは優しい人間だ、誰かを悲しませることはあなた自身をも悲しませるだろう。だが、自分ではない誰かのために幸せを作ることは、あなたを幸せにできるのか?」
 これにミオは不思議そうな顔をしてみせる。その表情はまるで、今まで考えたこともなかったというようにも、何故そんな奇妙なことを言うのかと訝っているようにも桜華には思えた。そのためか、桜の精霊は戸惑ったような口調で「ミオはそれが幸せなのか。」と呟く。
 そんな桜華にミオはにっこりと笑って頷いた。
 「精霊さんは、今幸せですか? ミオは、精霊さんとまたお会い出来て凄く幸せです。」
 「幸せ……。」
 ミオの言葉を桜華はぼんやりとくり返した。それからゆっくりと確かめるように、あるいはかみしめるように、「そうだな。わたしもきっと今は幸せだ。」と答える。
 「あなたと話すのは楽しい。あなたは笑ってくれる。あなたは約束を守ってくれた。わたしも、ミオにまた会えたのが嬉しい。」
 その言葉にミオは、言ったとおりでしょうというように笑顔を見せた。
 「幸せって、皆で分け合うものだって思うんです。」
 だからきっと、誰のために作られたものであってもその幸せは共有できるもの。誰かの感じる幸せが、その人だけのものにはとどまらない。
 「ミオの感じている幸せが、少しでも精霊さんに伝わったら良いな……。」
 そう言って、ミオはどこか淋しそうにも見える微笑を浮かべた。あるいは、それは桜華の気のせいだったのかもしれない。ミオの言葉の最後を風がそっとのみ込んだからである。そしてその風は桜華の姿もさらい、代わりに黄昏を伴って桜佳(おうか)が現れた。
 もう一人の桜の精霊は、突然姿が変わった相手を見て大きな目をぱちくりさせているミオに向かって笑いかける。
 「もちろん伝わっているよ。わたしも桜華も、一人では笑顔を作れないから。そして笑顔はきっと、幸せでなければできないだろう。」
 桜佳のその言葉にミオは、今度ははっきりと明るい笑みを見せた。それは見る者を幸せにする最上の笑顔だったが、その細めた瞳は桜佳にもう一つ別の幸せも与えることになった。夕暮れと夜空しか知らない彼は、ミオの日本人にはない青い瞳に、決して見ることのない青空を見ることができたのである。
 「今わたしが感じていることもあなたに伝わるだろうか?」
 桜佳がそう言うと、ミオは青空の浮かぶ両目でじっとその顔を見つめ、「精霊さんが幸せそうなので、ミオも嬉しいです。」と答えた。




     了




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【7321 / 式野・未織 (しきの・みおり) / 女性 / 15歳 / 高校生】


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■         ライター通信          ■
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この度は桜の下で素晴らしい誓いを立てて下さりありがとうございました。
桜の精霊共々、立ち会うことができて大変嬉しく思います。
また、こうして再会できましたことも至上の喜びです。
桜は大げさに感情を表に出すことはありませんが、約束を守っていただけたこと、またお会いできたことをどれほど幸せに思ったか……それが伝われば幸いです。
本当に、幸せというものは分かち合うものですね。
いただいたプレイングに大変感銘を受けました。
式野未織様の優しい夢にも、とても心惹かれました。
素敵な語らいの場を描かせていただくことができてわたし自身も幸せです。
またこのような機会が巡ってくることを切に願いつつ……。
最後に桜の独り言を少し。

 ――すっかり日の暮れた広場に一人佇んでいる桜佳曰く。
 ――「あなたの言う通り、幸せは分け合うものなのだろう。
 ――だが、あなたはわたしに幸せを分けすぎたようだ。今度はわたしから分けられればいいのだが。」

ありがとうございました。