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万色の輝石
「あら、いらっしゃい。お待ちしていましたわ」
ベッドで目を閉じた未織が次に目を開くと、見たこともない景色が広がっていた。懐かしい風景、いつか見たような気がするのだが思い出せない。
ふと気付けばふわりふわり、と水晶玉が浮かんでいる。ビー玉より少し大きいくらいで、薄青色の美しい光を纏う。
「外から形作るモノ、内に宿るモノ。普段見られない自分の内側を、少し覗いてみては如何? 招待状はお持ちのようね。結構よ。それでは、参りましょうか」
春のような柔らかな風が頬を撫でる。
未織が水晶玉に手を伸ばすと、淡い緑風と共に景色が変わった。
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そこはまるで庭園だった。
細い蔦の絡んだゲートに、小さなテーブルセット。足元に揺れているのは細い海草。淡い色をした魚たちはのんびりと漂い、散歩を楽しむように泳ぎ時折気紛れにその方向を変える。そう、庭園は庭園でも、此処は美しき海中庭園だ。
水の中にいるはずなのに、身体は重く感じられない。寧ろ軽く、無常力状態にも似ていた。不思議と息も苦しくない。
ふわり、ふわりと小さな泡が未織の足元から頭上へ浮き上がっていく。遥か頭上、暖かで優しい太陽が光を放っているのが見える。海の底から生まれた泡は、海面目指してゆっくりと浮上していく。突然その内の一つが輝いたかと思うと、未織のすぐ目の前までやって来た。見る見るうちに、それは硬質な水晶玉へと姿を変える。
「不思議な夢はよく見るのですが、お待ちしていましたわなんて声をかけられたのは初めてです」
自分を招いたのがその水晶玉だと、未織は何の根拠もなく理解した。
「いらっしゃい、お姫様。会えて嬉しいわ。まずはお名前を聞いてもいいかしら」
「ミオは、式野未織と申します。こう見えても高校一年生です。水晶玉さんはお名前があるのでしょうか?」
水晶玉はくるりと未織の回りをまわり、細かい泡の軌跡を残す。
「遠い昔には持っていた気がするし、最初から無かった気もしますわ。礼節が何たるかを良く心得ているようね。それじゃ、わたくしも敬意を表して……」
言い終わるか終わらないかという瞬間、水晶玉は音もなく弾けて散ってしまう。
宙を伝わる微かな衝撃に、無意識の内に未織は目を閉じ腕で自らを庇う。ちらと手を見てみるが、そこには見慣れた自分の両手があるだけ。水の剣が反応しないということは、本当に危険な事は起こらないのだろうと内心安堵する。意思をもって制御できない分、少々厄介ではあるが、あの水剣に悪意は感じられない。不思議な信頼を胸に頷き、思い切って目を開けてみる。
「驚かせるつもりはなかったのですけれど。ごめんなさいね。……招待状はその子のことよ。貴方のような、わたくしと波長の合う方を探して夢へ招待しているの」
未織が目を開いてみると、そこには薄青の長い髪をした女性が立っていた。いや、本当に女性だろうか。ほっそりとした身体と黒いドレスは確かに女性らしいが、纏う雰囲気や瞳に宿る光は好戦的な男性を思わせる。
「その、子……?」
指差されたのは未織の頭。慌てて手片手で探ってみると、何処に隠れていたのか、髪から小さな青い魚が躍り出る。今まで眠っていたのだろうか、少し眠たげにも見える。手を伸ばしてみると、寄ってきて人懐っこく触れてくる。
「此方へどうぞ。お茶と甘い菓子を用意してあるの。来てくれたお礼に、貴方の欠片を見せて差し上げますわ」
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案内された先には白いテーブルセットがあり、紅茶と焼き菓子が盛られた籠が用意されていた。淹れたての茶が良い香りを生み、葡萄や杏など干し果物を入れて焼いたクッキーはとても美味しい。
「ミオ、水はあまり好きじゃないんです。刀の制御は出来ませんし、運動神経は良いはずなんですけど、プールは苦手ですし」
夢の主と向かい合い、茶を飲みながらお喋りの時間。初対面であるはずなのに、未織はあまり緊張することはなかった。
「それに、海で足を引っ張られた事もありますし……幽霊さんになんですけれど、近くにいた方に助けてもらわなかったら危ない所だったんです」
冷たい何かに掴まれ、ほの暗い水の底に引き込まれる感覚。徐々に遠ざかっていく水面に、真昼の太陽だけが強く輝く。どのくらい前であったか、未織はそんな記憶を思い出し僅かに俯いてしまう。できることならば、あまり思い出したくない記憶だ。
「まぁ、そんな恐ろしいことがあったのね」
人の姿へ落ち着いた元水晶玉は、同情の色深く目を細めた。
「でも、水に助けられてる部分もあるんですよ。水の刀も、ミオの身が危なくなった時に出てきてくれますし」
何故か、水を悪く言いたくはなかった。紅茶のカップを両手で包み込むようにして持ち、慌てて付け足す。
「確かに、水の精霊に随分と懐かれているようね。貴方のことが大好きだから、一緒に水の中で暮らしたいとでも思ったのかしら。……さて、夢に来てくれたお礼に少し視てみましょうか。何かの役に立てば良いのだけれど」
女が宙の一点を見遣ると、何もなかった空間に突然何枚かのカードが現れた。古の占い師が使うような、不思議な絵柄が描かれている。どうやらタロットカードのようだ。
「この中から一枚選んでくれるかしら。貴方が触れなければ意味がないの」
「え? わかりました。えーと……それじゃ、これにします」
くるりと裏側を向けたカードを良く見てみる。表側の絵柄は分からない。考えるより、引き寄せられるようにあるカードに手が伸びた。
「ありがとう。これは、……運命の輪ね」
未織が選んだカードがくるりとまわり、表側を見せた。薄青の空を背景に、名前の通り大きな輪が描かれている。
「タロットカードは本来、こんな使い方はしないもの。わたくしのやり方が特別だと思って頂戴。……そうね。そう遠くない未来に、貴方は何か選択を迫られるかもしれない。昨日から今日、明日に移り変わる時間の中で、言うならばそれは風の分岐」
ふわり、と浮かんだカードを片手で捕え、女は密やかに笑う。
「無限に開かれた可能性の中から一つを選ぶ。もしかしたら大きな転換点になるかも。……でも難しく考えることはないわ。未来は貴方次第」
女が手を離すと、カードは泡の一つとなって上へ浮き上がり、やがて弾けて消えてしまった。
「次は……、アレにしましょう。最近、わたくしのお気に入りなの。……それに息を吹きかけてみて」
ふわりと漂っていた青色の泡が一つ、未織の掌に落ちてくる。淡い光を放ち、何か奥で脈打っているようにも見えた。何が起こるのだろう。そして、一体何をするつもりなのだろう。期待と不安の入り混じった心を抱えつつ、言われるまま軽く息を吹きかけてみる。
それはまるで魔法のようだった。
手の内の泡が一瞬にして膨れ上がり、音もなく爆ぜる。思わず閉じてしまった瞳をもう一度開いてみると、そこには……。
「まぁ、久しぶりに見るわ。朱雀ね」
眩しそうに目を細める傍ら、目の前にいたのは優雅に翼を広げる赤き神獣だった。紅蓮の炎を纏い、何者にも従わない意志の強さと華やかな美しさを宿している。
「何度でも蘇り羽ばたく姿は、不死鳥と同一視されることもあるわ。……驚かせてしまってごめんなさい。貴方の心の一部を、幻獣の姿で引き出してみたの」
「ミオ、占いってあんまりやらないんです。悪い結果が出ると気にしすぎちゃうんですよね」
「女の子は占いが好きなものだと思っていたけれど、違うらしいわね。……それはもしかしたら、迷いを超える決断力や意志の強さを持っているから、なのかしら。それで、逆の結果は?」
「はい、良い結果は信じる方です! 都合良すぎですかね?」
「結果は全て貴方の為にあるの。良いも悪いも、上手く役立ててみて」
そう言って女は、白いティーカップに口をつけた。
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「会えて良かったわ、未織。わたくしが言った言葉は可能性のほんの一欠片。信じるも信じないも自由よ」
それからどのくらいの時を過ごしただろう。紅茶と甘い菓子を片手に、とりとめのないお喋りを楽しんだ。気がつけば部屋は月の光に包まれていて、女はそろそろ送りましょうと席を立ち、それにならって未織も腰を上げる。
「……言葉遊びに付き合ってくれてありがとう。お土産を送っておくわ。目が覚めたら、枕元を見て」
別れる直前、女はそう囁いて謎めいた笑みを浮かべた。
そして次の朝。
目覚めと共に枕元を探ると、青い色をした硝子玉が淡く輝いていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【7321/式野・未織/女/15歳/高校生】
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■ ライター通信 ■
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ご参加どうもありがとうございました。如何でしたでしょうか。
少しでもお楽しみ頂けば嬉しいです。
それでは、またご縁があることを祈りつつ、失礼致します。
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