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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


Chocolate exchange 〜 pure prayer 〜



 腰よりも長いピンク色の髪に、ファンタジー風の可愛らしい洋服。紫の瞳はどこまでも無邪気で明るく、それでいて笑顔は何処となく不気味だ。
 草間・武彦は、彼女の事が嫌いなわけではなかった。
 興信所に来るのだって、拒んだりはしない。 時折怪し気なクスリを作って持って来て無理矢理飲まされる事があるが、命の保障はされている。 可愛い悪戯だと大人な心を持ちさえすれば、笑顔で受け流せる。
 けれど‥‥‥‥‥
「紅咲の持ってくる依頼に、良いものがあったためしがない」
「そんなこと言われると、照れちゃいますね」
 強烈に空気の読めない紅咲・閏は、ほんのり頬を染めた。
 彼女の隣に座る、閏より少し上程度の年頃の女の子が「褒めたんじゃないと思うんですけど」とツッコミを入れる。 ここら辺の気配りが出来る優しい子だと、武彦は一瞬感心しかけたのだが、彼女の身体は半透明で、向こう側がボンヤリと歪んで見える。
「それで、大宮さんとお友達になってくれそうな人を探してるんです」
「お前がなれば良いじゃないか」
「そうなんですけど‥‥ほら、私って人の話し聞かないし、興味のあるものに猪突猛進しちゃうタイプじゃないですか?」
「自分の事がよく分かってるじゃないか」
「さっきだって、ココに来るまでに色々‥‥ね?」
 少女は困ったように苦笑すると、視線を落とした。
「草間さんなら、こういうの得意じゃないですか。 知り合いにババーンとあたって、チャチャっと良さそうな人材を見つけてくーださい」
「そんな簡単に言うなよ」
 武彦は頭を掻きながら、少女をチラリと盗み見た。
 色白で細身の彼女は、腰まである三つ編に眼鏡、どことなく暗い雰囲気がする。微笑む時も控えめで、視線は何時も伏せ目がち、喋る時もどこかオドオドとしている。
 彼女の名前は大宮・冴佳(おおみや・さえか)神聖都学園の二年生、17歳‥‥なのだが、それは亡くなった時の年齢で、彼女が亡くなってからすでに二十年は経っている。
「呪いのチョコレートって知ってます?」
 武彦と二人だけで話をしたい。 突然そう言い出した閏に、冴佳は逆らわなかった。零が冴佳と一緒に台所へと引っ込み、楽しそうにお喋りをしている声が小さく聞こえてくる。
「板チョコを買う時、一瞬黒いリボンがチョコに巻きついているのが見える時がある。それは本当に一瞬で、瞬きをしている間に消えてしまうものだけれども、もしそのチョコレートを使ったら、オオミヤさんの呪いによって思いは成就されない。そればかりか、仲の良かった友達も離れていく」
 オオミヤさんには友達がいなかったから、好きな人に想いが届かなかったから、嫉妬されるんだよ。
「‥‥‥ただの噂話、だな」
「でも、ただの噂話じゃないんです。現に、草間さんだって会ったじゃないですか。オオミヤさんに」
「彼女がそのオオミヤさんなのか?」
「はい。彼女は内気で友達を作る事が出来ず、初恋の人に思いを告げた時も、暗いとの理由で拒否されました。結構酷い振られ方したみたいですよ。なにせ、その帰り道にうっかり足を踏み外して、歩道橋の階段から落ち、打ち所が悪くてそのまま‥‥」
「その振られた日が今日?」
「そうです、バレンタインです。チョコレートは受け取って貰えず、酷い振られ方をした挙句‥‥彼は友人に喋りました。あの、暗い女から告白されたんだって。気味が悪いよなって」
「最低なヤツだな」
「私もそう思います。 彼女の魂は負の感情を帯び、呪いとなりました。勿論、今は負の感情はありません。私が責任を持って負の連鎖を断ち切りましたから」
「紅咲は、彼女を成仏させたいのか?」
 閏は曖昧に微笑むと、静かに目を伏せた。



♪☆♪ pure prayer ♪☆♪



 草間興信所を訪れたシュライン・エマは、武彦と閏から話を聞き、深い溜息をついた。
 綺麗な青色の瞳を細め、淡い口紅がひかれた唇を開く。
「若いコは深く考えず残酷な事もままあれど、酷い男」
 口調は柔らかいながらも、吐き捨てるように呟かれた“酷い男”の言葉に、閏と武彦が頷く。
 流れるような毎日、若さゆえに膨れる気持ち、子供と大人の中間に位置し、時に子供のように、時に大人のように振舞うことの出来る特別な場所。 恐れるものはなく、いつまでもこのまま道が続いていくかのような錯覚。永遠の時を手に入れられたかのような幻。
 言葉がどれほどの力を持ち、どれほど鋭利なモノなのか、知らずに振り回す。 罪の意識もなく、無邪気に凶器を振り回す様はあまりにも虚ろで悲しい。 人の気持ちを思いやる、たったそれだけの事が出来ないばかりに悲しむ人々。 彼らの心は強かでもあり、それでいて傷つきやすく脆い。
「今から大宮さんを連れてきますね。‥‥‥ご迷惑をおかけします」
「迷惑なんかじゃないわ」
 ペコリと頭を下げた閏に、シュラインは慌ててそう言った。 閏がにっこりと年相応の笑顔で顔を上げ、ソファーから腰を上げると奥の部屋へと向かう。
 暫く武彦と無言の時を過ごし、零と閏に連れられてやってきた冴佳を見て、シュラインは柔らかい微笑を向けた。
「大宮・冴佳さんね。私はシュライン・エマって言います。冴佳さんって呼んでも良いかしら?」
 私の事は、シュラインって呼んでね。 そう言ったシュラインに、冴佳が淡く微笑むと目を伏せた。
「そう言えば、今はチョコを友達同士で交換するって言うのもありな日なのよね?」
 質問の矛先を向けられた閏が、反射的に頷く。 彼女の隣に立っていた零もつられて頷いてしまい、私に向けられた質問じゃなかったのに頷いてしまったと、恥ずかしそうに頬を赤く染める。 その反応が素直で可愛らしく、シュラインと武彦は顔を見合わせると微笑んだ。
「冴佳さんて、チョコ好き?」
「はい。甘い物は全部好きです」
 控えめに囁いた冴佳に、シュラインが零と閏に何かを言いたげに目を向ければ、二人は心得ているとでも言いたげに微笑み、閏にいたっては胸の前で親指と人差し指をくっつけて丸を作った。
「お友達というには私、ちょっとトウがたっちゃって申し訳ないけれど、宜しくね」
「そんな‥‥‥」
「大丈夫ですよ!まだまだ十分お若いですから」
 零が鼻息も荒くそう言い、閏と武彦がコクコクと頭を上下に動かしているのが見える。
「それじゃぁ、外に出てみましょうか。二十年前とは色々と変わっていると思うわ」
「はい。 紅咲さんとここに来るまでの間、少し見てみたんですけれど、とても変わっていて驚きました」
 彼女のいた時代から見えれば未来である現在は、冴佳を浦島太郎状態にしているらしい。
 けれど浦島太郎のような悲しさはどこにも見られない。 自分を置いてけぼりにした時代を恨むような表情は全くなく、まるでタイムマシンに乗って未来を垣間見に来た旅行者のような、純粋な喜びのみが見て取れる。
 扉をすり抜けていく彼女を追って、シュラインは興信所の扉から外へと ――― 北風が冷たい冬の町へと ――― 出て行ったのだった。



♪ ♪ ♪



 ズラリと並べられた本の道を通りながら、シュラインと冴佳は絵本のコーナーに足を向けた。
 お昼時を過ぎたこの時間は人もおらず、レジうちの青年が退屈そうに漫画本をめくっていた。
 オフィス街に囲まれたこの小さな書店は、会社のお昼休みや夕方になれば混みあうが、そうでない時間は大抵は空いており、じっくりと本を選ぶ事が出来る。 本の状態も素晴らしく、背の上部が欠けている本などは見た事がない。
 低い位置に設えた棚の中から、ウサギのお料理と言う本を選んで開く。

 新しい森に引っ越してきたウサギが、同じ森の仲間と打ち解けるためにパーティーを開こうと思いつく。 シチューにパンにデザートに、料理好きのウサギは材料集めに走り回るのだが、上手く行かない。 高い木に生っていた実を採って下りてみれば、お腹を空かせた小リスがおり、優しいウサギは必死に採って来た木の実をその子にあげてしまう。 山に登ってキノコを取ってくれば、老いたロバがお腹を空かせて倒れている。ウサギは木の枝で切り傷を作りながらも採って来たキノコを、そのロバに全部あげてしまう。 一生懸命になりながらも見つけてきた材料達は困っている人々に配られ、ついにウサギは何一つ持ち帰る事が出来なかった。
 夜遅く、疲れた身体を引きずるようにして帰ってきたウサギは、お腹がペコペコだった。 けれど家には何の食べ物もなく、かと言って森に住む人々の事もよく知らない。
 どうしよう。 そう考え込んだ時、窓ガラスを叩く音がした。そっと窓を開けてみれば、木の実をあげた小リスと母親リスが小さな背中にカゴを背負って立っていた。カゴの中には小さなパイが入っており、昼間小リスに優しくしていただいたお礼ですと言って、カゴを差し出した。
 突然の事に驚いていると、リスの親子の後ろからロバの親子が顔を出した。 老いたロバは若いロバに支えられ、昼間のお礼だと言って鍋に入った温かなシチューを持って来た。
 彼らだけではない。ウサギが助けた森の人々が皆、手に手にお礼の品を持ってウサギの家を訪れたのだ。
 ウサギは家の外に飛び出すと、薪を集め、森の仲間達と一緒に外でパーティーを開く事にした。

「素敵な森ですね‥‥‥」
 優しい瞳をしながら呟いた冴佳に、シュラインは他にも幾つかの絵本を開いて見せた。
 泣き虫なクマの話、我が侭な女の子の話、太陽に恋した雨粒のお話 ―――――
 一通り目に付いた絵本を見ていった後で、二人は雑誌が置かれたコーナーに移動した。 華やかなモデルが柔らかな微笑を浮かべている一冊を手に取り、パラリとページを捲る。
 屈んだら中が見えてしまうのではないかと思うくらいに短いスカートに、紺色のハイソックス。胸元は大きく開けられ、何処かのブランドの物だろうか、不思議な形のシルバーペンダントが揺れている。 茶色く染められた髪に、瞬きするのが大変ではないかと思わずにはいられないくらいに太くされた睫。唇はポッテリとグロスが塗られ、無邪気な笑顔はどこか大人びている。
「最近の高校生は細いですよね。脚なんて今にも折れちゃいそうで‥‥‥」
「冴佳さんも十分細いわよ」
「でも、皆スタイル良いですよ。胸だって大きいですし、顔も、芸能人みたいに可愛い子が多いですし」
「そうね、今時の子って、お化粧が上手い子も多いし」
 “今時の子”と言うフレーズに苦笑する。 その言葉を日常で使うようになった人から順番に“今時の子”から卒業して行く。それが、大人になると言う事なのだろうか。 シュラインはふとそんな事を思い、手にした雑誌に視線を落とした。
 今度はもう少し大人向けの雑誌で、落ち着いた雰囲気の女性が ――― もっとも、写っている彼女は女性と言うにはまだ少女と言う言葉を纏ってはいたけれども ――― 綺麗なポーズを決め、手にしたバッグを持ち上げている。
「髪の毛が明るいと、表情も明るく見えますよね」
「そうね。でも、最近では黒髪も流行ってるのよ」
 物事は、流行ればいつか廃れる。 黒髪を去り、明るく華やかな色へと変化した髪色は、再び神秘の黒へと戻ろうとしている。
 緩くカールされた髪の毛に、ブーツ、膝上まであるハイソックスに、ラメの入ったパステルカラーのお化粧品。 ページを繰れば香水がズラリと並んでおり、どのボトルも可愛らしい。
 二人は暫く雑誌を読んだ後で、再び町に繰り出した。
 薬局に入れば、色とりどりのお化粧品が棚に所狭しと並べられている。あれこれを見ているうち、冴佳が淡い桜色のリップグロスの前で止まると寂しそうな微笑を浮かべた。
「綺麗な色‥‥‥こんな色が、私に似合ったら良かったのに‥‥‥」
「冴佳さん、顔立ちは整っているから、似合うと思うけれど」
「そんなこと‥‥‥」
 こんな色が似合う女の子だったら、きっと明るい性格で、クラスの人気者で‥‥‥沢山の友達に囲まれて、優しい彼氏に想われていて、素敵な人生を歩んでいるんだろう。 ポツリと呟いたきり、冴佳はアイシャドウやチークの置いてあるコーナーへと行ってしまった。
 シュラインは少し考えた後で桜色のリップグロスを手に取ると、レジに並んだ。



 格闘ゲームの音、シューティングゲームの音、明るいポップス‥‥‥様々な音が絡み合い、混じりあったこの場所は、一つの音楽を紡いでいるようでさえあった。
 自動ドアをくぐれば喧しい音の塊の歓迎に一瞬眉を顰めたシュラインだったが、すぐに音にも慣れるとクレーンゲームの置いてあるコーナーに向かった。
 時間が時間なだけに人が疎らなゲームセンター内で、シュラインは千円札を100円玉に替えると冴佳の透明な掌の上に乗せた。
 興信所の扉をすり抜けたり、壁をすり抜けたりと、一応の幽霊スキルを持っている冴佳だったが、意識を集中すれば物に触る事も出来るのだという。 ただし、彼女の姿は霊感のある者にしか見えないため、うかつに物を持ってしまえば周囲からはひとりでに物が浮かんだように見え、混乱を招いてしまう。
 近くには数人ゲームに興じている人がいるが、人々は皆自分のやっている事に夢中で、周囲を気にする様子はない。
「クレーンゲームは得意?」
「いいえ、やったことないです」
 首を振った冴佳に優しく操作の方法を教える。 コインを入れ、上向きの矢印を押し、次に横向きの矢印を押す。 銀色の髪に赤と青のオッドアイの女の子の人形 ――― 巷で話題のゲームの登場人物の一人らしい ――― の腰元にバーが食い込み、ほんの少し持ち上げただけでコロリと転がってしまった。
「その調子その調子。取れるわよ、きっと」
 100円玉を入れ、再び矢印を押す。 銀色の髪の少女の首元に食い込んだバーは、やや頭でっかちな人形の重心を上手くとると、危ういながらもなんとか取り出し口の上まで運び落とした。
「上手いじゃない!」
「凄い‥‥‥本当に取れました!」
 胸の前で手を合わせ、頬を染めて喜ぶ冴佳は、今でも17歳のまま、無邪気で真っ直ぐな心を持っている。
 二人は暫くクレーンゲームやシューティングゲームを堪能した後で、プリクラに向かった。
 ゲームセンターの店員さんのご好意で貰った袋の中、顔を出す人形達を胸に持ち、コインを入れる。
 写真ならば冴佳も写るかも知れないとのシュラインの想像は当たっており、ピンク色のカーテンを選択して撮った写真には、クマのぬいぐるみを胸に微笑む冴佳がきちんと写っていた。
 薔薇の背景、夕焼けの背景、星空の背景 ――― 様々な場面をバックに写真を撮り、お絵かきコーナーへと移る。 日付のスタンプを入れ、キラキラのスタンプを押し、お友達とペンで書き入れる。
「今時の高校生って、こんなことして遊んでるんですね‥‥‥」
 他にもカラオケに行ったり、喫茶店やファミレスでお喋りをしたり、試験の前には図書館で勉強をしたり、ボーリング場やバッティングセンターが近くにあれば行ってみたり、ショッピングモールでお友達と賑やかにお買い物をしてみたり、色々な楽しみがある。
「今と昔、変わっている部分も沢山あると思うけれど、変わっていない物だって沢山あるわ」
 いつの時代でも、子供だけではなく大人だって、気の合う友達を遊ぶ一日は楽しい。
 普段よりも早く進もうとする意地悪な時の流れに、シュラインと冴佳は夕暮れに染まり始めた街を、興信所目指して歩き始めた。



♪ ♪ ♪



 興信所に戻ったシュラインは、閏と零に耳打ちをすると顔を見合わせてニヤリと笑った。
 冴佳は武彦となにやら談笑しており、閏がグイと彼女の腕を引っ張ると、台所から持ってきた丸椅子に座らせた。 零が兄に何かを耳打ちし、武彦が「すぐ持ってくる」と短く返すと奥の部屋へと入って行く。
「大宮さん、少し目を瞑っていてくださいね」
 閏の言葉に素直に従って目を瞑る。 何処の言葉とも分からない呪文を紡ぐ閏と、隣でなにやら必死に祈っているらしい零。二人の言葉が、祈りが、輝きを増した時、ふと冴佳の体が光に包まれた。
「え? え??」
「ふふふ、閏ちゃんも零ちゃんも、有難う」
「お安い御用ですよ」
「私も、大宮さんのお化粧した顔見てみたいですし」
「お化粧?」
「友達の特権です」
 腕の方は任せてと、ドンと胸を叩いた時、武彦がメイクセットを持ってやって来た。
 彼の名誉のために言っておくが、コレは武彦の趣味で持っている物ではない。探偵と言う職業上、必要な道具だから手元にあると、それだけの理由だ。
 眼鏡を外し、下地を薄く伸ばし、ファンデーションを軽く叩き、マスカラと睫の際ギリギリにアイライナーをひき、ビューラーで睫を上げる。睫の真ん中と目じりの部分にマスカラを少し多めに入れ、茶色のアイシャドウを入れる。一番薄い色のチークを差し、シュラインはバッグの中から先ほど買ったリップグロスを取り出すと唇を鮮やかに飾った。
 零が三つ編を解き、緩くウェーブのかかった髪を梳く。閏が再び呪文を紡ぎ、冴佳の視力を上げる。
「可愛らしいわ‥‥‥はい、自分でも見てみて?」
 鏡を手渡された冴佳が、恐る恐る覗き込む。
 そこには普段の自分とは違う、華やかで可愛らしい姿があった。 パッチリとした目元に、潤んだ唇、艶やかな髪は柔らかそうで、この姿のまま神聖都学園の校内を歩いていても不自然ではない。
 二十年の時を超え、永遠の十七歳だった少女は、光り輝いた。 一人の優しい女性と、二人の不思議な力の持ち主、そして、メイク道具と言う新たな武器で。
 伏せ目がちだった視線が上げられ、控えめな笑顔に大輪の華が宿る。
「凄い‥‥‥まるで自分じゃないみたい‥‥‥」
 ――― 笑ってくれて良かった‥‥‥
 ほっと、安堵の溜息をつく。 笑って貰えたら嬉しい、その願いは、届いた。
 シュラインは閏と楽しそうに喋る冴佳をその場に、零と共に台所に入った。
「準備はしておきました」
「有難う」
 チョコレートを細かく刻み、湯せんにかける。大き目の可愛らしいマグカップにチョコを入れ、マシュマロをいくつか浮かべると引き出しからスプーンを取り出す。
 いくら普通の子に見えていようとも、冴佳は霊だ。それも、少し前までは都市伝説と化していた怨霊だった。 固形物よりも、香りの良さを重視して作ったホットチョコは、興信所内にいた全員の鼻をくすぐり、顔を上げさせた。
「チョコレート、好きだって言っていたでしょう?」
「シュラインさんは‥‥‥ううん、シュラインちゃんは、チョコレート好き?」
 私達お友達だから、敬語も“さん”も必要ないよね。 冴佳のそんな瞳に、シュラインは優しく微笑むと頷いた。
「えぇ、好きよ」
「私ね、チョコ作ったの。もう何十年も前に‥‥‥好きな人の為に、心を込めて。 結局、彼には受け取ってもらえなかったけれど、それでも、込めた心はまだ失われてないの。だから‥‥‥受け取って?」
 シュラインの手から冴佳にマグカップが渡されたのと同時に、冴佳の膝の上にいつの間にか置かれていた綺麗な箱がシュラインの手に渡る。 赤いリボンを解けば、小ぶりのチョコレートケーキが入っていた。
「美味しそうね。‥‥‥まるでお店で買ってきたみたい」
 お菓子作りは得意だったの。 誇らしそうにそう言って、冴佳がマグカップに口をつける。
 思い切り香りを吸い込み、ゆっくりと吐き出すとカップを傾ける。
「美味しい‥‥‥」
「冴佳ちゃん、今日はとても楽しかったわ。 また、遊びましょうね」
「うん、約束ね、シュラインちゃん‥‥‥‥‥‥」
 カップをテーブルに置き、にっこりと無垢な笑顔を見せた冴佳は、透明な光りの粒を撒き散らしながらふっと掻き消えた。
 シュンと落ち込んだ雰囲気の中、シュラインは長いようで短かった一日を振り返りながら、冴佳のチョコレートケーキを台所に持って行くと、四つに切り分けた。余っていたホットチョコをマグカップに注ぎ、チョコづくしで歯が痛くならないかしらと思いながらも、皆の前に並べる。
「今日と言う日に勇気を出す、全ての子のために」
 閏の言葉に、全員がカップを持ち上げ、カツンと音を鳴らす。
 チョコレートの甘い香りと、ポッカリと心に穴が開いたような寂しさと。
 いつしかそんな寂しさを紛らわそうとするかのように、話しは明るいものに変わり、夜が迫る頃には華かやな笑い声が咲き乱れていた。



 零が自室に引き上げ、閏が帰路についた後、シュラインは用意していたチョコを冷蔵庫から取り出すと、興信所内で雑務に追われる武彦の傍にそっと近付いた。
 頭を抱えながら書類を作っている武彦の横顔に、思わず目を細める。 探偵も警察と同様、事件を解決した後のデスクワーク、すなわち報告書作りに多大な時間がかかる。
「武彦さん」
 必死な様子の武彦に声をかけて良いものかどうか、迷ったシュラインの声は小さかった。 囁くような声にもかかわらず、武彦は顔を上げると「どうした?」と言いつつ煙草に手を伸ばした。
「これ‥‥‥」
 ピンク色のリボンがかけられた箱は、数日前にシュラインが用意していたものだった。 直前に作っても良かったのだが、ここで働く以上“明日は何もないはず”と言う希望は持つだけ無駄だ。やりたいことは、早め早めに時間が空いた時にしておいた方が、後悔をしなくてすむ。
「あぁ、有難う」
 席を立った武彦に箱を渡す。 さして感動している様子のない武彦の口調だったが、シュラインは「どういたしまして」と言うと、柔らかく微笑んだ。予想範囲内の答え方に、何か飲み物を持ってくるわねと言って台所へと戻る。
 ガサガサと箱を開けているらしい音を背中で聞き ――― シュラインと、驚くほどに優しい声に足を止める。
「大丈夫か?」
 何が大丈夫なのか、抜け落ちた部分は、シュラインの中で自動的に補われる。
「ねぇ、武彦さん。近いうちに、冴佳ちゃんのお墓参りに行ってみない? 閏ちゃんや零ちゃんも誘って」
 冴佳の眠る場所は、既に調べていた。 武彦が頷き、シュラインの頭をポンと撫ぜるとデスクに戻る。
 不器用な言葉、見え難い優しさ、それでも確かに見てくれている、想ってくれている‥‥‥シュラインは胸の前で手を組むと、そっと目を閉じ、祈った。
 ――――― 今日と言う日に勇気を出す、全ての子のために ‥‥‥‥‥‥



END


♪☆◆♪☆◆♪☆◆♪  登場人物  ♪☆◆♪☆◆♪☆◆♪
◆ 整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 ◆


 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員


 NPC / 紅咲・閏
 NPC / 草間・武彦
 NPC / 零
 NPC / 大宮・冴佳


☆♪◆☆♪◆☆♪◆☆  ライター通信  ☆♪◆☆♪◆☆♪◆☆

ハッピーバレンタインです!
冴佳と一日お友達になってくださって有難う御座いました。
オオミヤさんの都市伝説はいずれ消えていくでしょうが、もしかしたら違ったお話に変形するかも知れませんね。
変形を繰り返した先、オオミヤさんがいつか幸せの都市伝説の主人公になれればなと思います。
幸せを呼ぶオオミヤさんなんて、冴佳が聞いたら喜びそうです。
それでは、ご参加いただきましてまことに有難う御座いました!