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『交喙の嘴』
昼間とはいえ、冬ともなれば陽光も低く、眩しく感じる。辛うじて陽の当たる場所を選びながら歩いても、白い息は相変わらず発せられ、冷たく乾いた空気に溶け込んで消える。
早足になるのはただ寒いからだけではなく、逸る気持ちの表れ。二月十日は守崎兄弟の誕生日。双子なので同じ日。だからプレゼントをお互い交換することになり、少し変な感じだ。だがそれも含めて楽しみ。何かを贈れば、きっと喜ぶ。
啓斗はショッピングモールの端に辿り着いていた。しばらく前から雑踏に紛れて冷気がやや抑えられ、凍えた背中の緊張が解れていた。その代わり、人々の話し声が、冷えて痛くなっている耳に障るほど纏わり付く。バレンタインという季節柄、一番目に付くのはもちろん洋菓子店のキャンペーンで、商戦に挑む店員たちが我先にと、当の販売対象である女性たちだけでなく、小さな子どもを連れた親たちにもチョコレートを勧めているのが見える。
しかし啓斗の目当ては弟へのプレゼント。プレゼントなら何でも良い。世間の流行など横目に通り過ぎる。
ふとバイク屋の店員が並べられたバイクを横切るのが目に入った。工具を手に慌しく動いている。そういえば、弟もバイクに乗っていた。ならば…ゴーグルで良いか。そうだ、それで良い。プレゼント選びなんてそんなものだ。悩んでも結局一番最初に思いついたものに落ち着くのだ。決めた。
啓斗は店内へ入っていった。
二月十日は誕生日。…なぜこんな時期に誕生日なんだ。ショッピングモールをぶらついても、目に飛び込むのはバレンタインの喧騒に揺れる飾り付け。
北斗は悩んだ。兄貴へのプレゼントは買いたい。そしてプレゼントらしいプレゼントを買おうと思うなら、当然少しはお洒落な店で選びたい。だが品定めに勤しむのは主に女性客。その中に男一匹が割り込んでプレゼント選びに思案しようものなら、周囲から一人寂しい男のように思われかねない。もちろん最初からチョコレートだけは絶対に買うまいと決めていたものの、そんな決意が周囲に伝わるはずもないだろうし、周りの女性客の視線はとても痛そう。
どうする。あまり無難なものを買っては兄貴に悪い。思うように目当ての店を伺う隙もなく、知らず知らずにショッピングモールの出口に辿り着いてしまった。しばらく立ち尽くす。まいったな。
北斗は仕方なくもう一度回れ右をして、人ごみを眺めた。
さっきまで太陽が眩しいほどだったのに、冷たい雨が降り出してきた。冬なのに、雨か。啓斗は高速道路を屋根代わりにしばしの雨宿り。何もない時なら多少濡れたって歩き出すのだが、今日手にしているのは弟へのプレゼント。殊勝な包装が施されているわけでもないが、雨に濡れたプレゼントを渡すのはさすがに気が引ける。
すぐに止むのだろうか。
その時。
「あれ、啓斗」
話しかけてきた青年は草間武彦。コンビニで買ったと思われるビニール傘を右手で支えて。
「偶然だな」
「本当に」
「雨宿り?」
「そんなところ」
「こんな寒い日だし――ちょっとウチ来る?」
だが啓斗は草間の誘いには乗らず、
「あいにく、今日は…」
と言葉を濁す。
草間は啓斗の手にしたものに気付き、
「それ、どうしたんだ?」
「弟に、ね」
「――ああそうか、今日はお前たちの誕生日だったっけ?」
啓斗は黙って頷いた。
「そうか――じゃあ早く帰ってやんなよ。…途中まで送ってやろうか?」
「いや、すぐに止むだろから」
そうか、と草間は笑った。
「じゃ、またな」
草間は去って行った。その背中を啓斗はぼうっと見遣った。
しばらくすると本当に雨が止んだ。啓斗は再び家路を歩き出す。
その途中に一軒の洋菓子店があった。やはりバレンタインのキャンペーンの旗が立っている。またか、と思った。でも急に、チョコレートぐらい買っても良いか、と思い始めた。
今日はついていない。兄貴へのプレゼントは買えず仕舞い。おまけに雨に降られた。雪じゃなくて雨。北斗は家の門を前にして、途中で止むのならしばらく待てば良かったと嘆く。兄貴へのプレゼントはどうしようか。
…そうだ。クリスマスの時に渡しそびれたペンダント。思い出した。オーダーメイドのシルバーアクセ。二人お揃いの一枚羽のペンダント。あれだ。あれをプレゼントすれば良い。一度渡しそびれたもので済ますのは不躾だが、ないよりはずっと良い。あれを渡そう。
全身が相変わらず湿っぽかったが、そう思うと妙に気分が晴れ、そのまま玄関の引き戸をガラガラと開ける。既に靴が一足。雨粒がまだ乾かず、薄暗い玄関で微かに光りながら滴る。もう兄貴は帰っているのか。ただいま、と適当に声を出す。靴を脱ぎ、居間へ向かう。冷たく湿った靴下のまま進み、木の廊下の感触をひんやり感じる。こんな寒い日は、風通しの良過ぎる昭和名残の家屋を恨めしく思う。早く着替えて温まりたい。
兄貴は台所か。物音でなんとなくそう感じる。居間に辿り着いて見つけたのは、いつもと違う卓袱台。何かが置いてある。夕飯の食材ではない。もしかして、誕生日プレゼント?
「兄貴、これは?」
北斗は台所に向かって声を出す。いつもの素っ気無い声が返ってきた。
「お前のだ」
「マジ?」
「誕生日おめでとう」
「開けていい?」
「ああ」
その言葉を聞くや、北斗は気を逸らせ、包装を開ける。中からはバイクのゴーグル。シンプルなデザイン。色もよくある銀。でも北斗の嗜好には大当たりだった。
「やった! サンキュ。マジで貰っていいの?」
「気に入ったんなら、なにより」
「…ん、こっちのチョコは」
「ついで」
なるほど、バレンタインチョコということか。ついでとは兄貴らしい動機だな、と思う。
啓斗も居間にやって来る。北斗の手ぶらの姿を見る。このタイミングはまずい、と北斗は思った。プレゼントを買っていないことを気付かれただろうか。別段怒っているようには見えないが、兄貴は無表情だ。内心は分からない。なぜ買ってないんだ、という目にも見えてくる。あわてて言葉を探すが、なぜか慌ててしまう。プレゼント…。確かにあるんだ。ペンダントが。それを言えば、と思うのだが、うまく口に出せない。この手ぶらの状況では何を言っても言い訳のようになってしまいそうだ。それにあのペンダントは元々誕生日プレゼントのために買ったものでもないし…。どう説明すれば良いのやら。
北斗が思案しているうち、啓斗の方が先に言葉を発した。
「俺へのプレゼントは別にいい」
…その反応に、北斗はどうして良いか分からなかった。一瞬、言葉の意味を掴めなかった。いらない、と言ったのか。言葉通りとは思えない。やはり怒っているのだろうか。疑問が今度は率直に口に出る。
「――なんで?」
だがその答えも実に素っ気無かった。
「お前が持っていれば俺は別に必要ないだろ」
…そりゃないだろ。本気で言ってるんじゃないよな。怒っているだろ。怒ることないだろ? あるんだよプレゼントは。それに俺だけ持ってたって仕方ないじゃん。必要とか、そんなんじゃないだろ。
だが北斗は益々混乱して、とうとう言葉に表すのをあきらめる。それに合わせたかのように、啓斗再び台所へ消えた。北斗はしばらく立ち尽くす。足音の遠のくのを感じながら。…自分の部屋に戻ってあのペンダントを取りに行こうと思えばすぐにできる。けれど、そんな気は起こらなかった。クリスマスに続いて、今回も渡せなかった。いや、渡せなかったというよりも、今渡す気にはなれない…。誤解って、解くのは難しい。蟠りを残さず、綺麗に解くのは。
居間から窓越しに覗く夕闇の空は依然曇っていて少しも茜色ではなく、風は吹いていないが冷たい空気が漏れ入る。薄暗い家の中は台所の物音だけが響いている。
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