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シチュエーションノベル もう一つの道
――助けて。
その思いは、しかし、声にならない。
明るい声がこだまする部室の中で、みなもは一人、舞台を遠くから眺める観客のようだった。確かにそこにいるのに、時間を共有していない。世界の外側から、ただ傍観するのみ。
こうしたままでいることがどれだけ辛いか。談笑しながら大道具などの準備をしている皆には伝わらない。同じ部屋の中なのに、みなもだけ、別の世界にいる。見えない、けれどどうやっても破れない硝子の檻に阻まれているかのよう。そこにいるのに、誰にも気づかれない。気にもされない。究極の孤独。
叫び続ける力も尽きてきた。こうなれば、我慢するしかない。部活が終わり、先輩達が久々津館へ連れ帰ってくれるまで。それまでの我慢だ。
しかし。
そんな淡い期待は、簡単に打ち破かれる。
その数時間後、意識も朦朧としてきた頃。部員が一人ずつ部室を出て行く。
同級生達。
それと――先輩達。
最後には、部室には誰もいなくなる。蛍光灯が消され、薄闇に包まれる。廊下の常夜灯の光だけが、うっすらと届く世界。
誰もいない世界。
薄いカーテンを透かすように、月明かりだけが仄かに陰影を見せる。
影絵の世界。
そこに実体は何も無い。自分さえも、そこにいないかのように思えてくる。
長い、長い時間が過ぎていく。
眠っていたのか、意識を失っていたのか。
気づけば、うっすらと差す光は朝陽のそれとなっていた。
物音が聞こえる。
廊下を何人もの足音が。近づいてくる。
――助け?
扉が開け放たれた。
「おい、ここだな?」「ええ、そうです、ここのものですね」
そんな声が聞こえた。聞き覚えのない声。
集団が、一気になだれ込んでくる。
制服じゃない。
作業服?
入ってきたのは、作業服を着た男達の集団だった。
次々と衣装や小道具を運び出していく。
そういえば、先輩達が言っていた。前回の劇で使った小道具類は借り物で、そのうち業者が回収していくって。
きっと、それなのだろう。街中でも良く見る運送屋の制服だ。
と。
視界が回転する。何度されても慣れない感覚。はらわたがひっくり返されるような気分の悪さがこみ上げてくる。
飾り気も何もない部室の床が、ゆっくりと流れていく。
担がれて――運ばれてる。
抵抗をしようとしても、もちろん身体は動かない。
「これもですよね?」
耳元でそんな声がした。みなもを担いでいる男の声らしい。
――違う。私は違う。
叫ぼうとしても、もちろん声も出ない。
気づいて。
人形にしては、暖かいでしょう? 私の体温を、感じて。
鼓動が聞こえるでしょう? あなたのものではない、心臓の音が。
気づいて。気づいてください。
お願い。
だけど、想いは必ず届くなんてことは、幻想に過ぎなくて。
ただ淡々と、景色は流れていく。リノリウムの廊下。階段を下りて、校庭へ出る。そこで、また世界が回転する。仰向けになったようだった。朝焼けの空が見えた。
トラックの荷台、なのだろうか。背中から、金属の冷たさを感じる。動き始めたのだろうか。激しい揺れにあわせて身体が擦れて痛い。
冷たい?
痛い?
そこでようやく気づく。
いつのまにか。
感覚が戻っていた。
一瞬だけ喜ぶ。何とかなるのではないか、そんな思い。でもそれは一瞬だけ。
力を込めてみて、すぐに気づく。
身体はいまだ、指一本、動かすこともできなかった。
なす術もなく、運ばれていく。
でも、感覚が戻ったのなら。身体ももう少ししたら戻るかもしれない。そう思うと、少し前向きに、冷静になれた。
あれこれ試すよりも、体力を温存するんだ。後は、周囲の状況を出来る限り把握して、いつでも行動できるようにしておく。
やがて、揺れは収まった。車が止まったようだ。時間にして、数十分というところだろうか。
そこは、どうやら倉庫のようだった。
雑多な道具達とともに、倉庫の片隅に立てかけられる。
まだ、身体は動かない。
じっと待つ。
いつかは、なんとかなるはず。
その時までは、そう思っていた。
それから、どれくらいが経っただろうか。
もう分からない。
いまだ、身体は動かない。
あの後すぐに、倉庫から運びだされた。
何だったっけ。
そうだ。
確か、どこかにそのまま貸し出されて。どんなところだったのか、もう覚えてないけれど。
記憶は薄れ掛けていた。
何箇所か、渡り歩いた気がするが、よく分からない。
最後に、今いるこの場所についた。
豪奢な部屋。だからと言って感慨は浮かばない。
ここの持ち主は、どうやら人形の蒐集家らしい。
見える範囲は、大小、時代も国も様々な人形で埋め尽くされている。じっとこちらを見つめていた。
最初の数日は、地獄だった。
身動ぎ一つできない身体を嘲笑うかのように。
日々、感覚だけが鋭くなっていく。
扉を開ける音が頭に響く。ほんの少しの、風ともいえない空気の流れが耳鳴りとなって頭を襲う。
目は乾き、足は痺れ。
それでも、休むことは許されない。
毎日、蒐集家の男は、撫で回すように触れていく。髪を、肩を。乾ききった唇を。
でっぷりと脂を纏わりつかせた男のその手は、じっとりと汗にぬれている。
ナメクジが這い回るかのような、嘗め回されるような、背筋が凍りつく感触。
正面には、大きな時計。
毎日、毎時間、毎分、毎秒。
短針と長針が進むのをただひたすらに数える。
やがて、長い永い時を数えて、ようやく陽が落ちる。部屋は闇に包まれる。
夜は、昼よりももっと、もっと長い。
闇の中、恐怖と後悔が、頭の中を巡りめぐる。
なんで、安請け合いしてしまったんだろう。あれだけレティシアが止めてくれたのに。流されるままに行動してしまって、招いた結果がこれ。もう戻ることはできないんだろうか。一生、このまま? そんなの嫌だ。今日は隣の人形が、ばらばらにされて捨てられた。明日は、私? 怖い。苦しい。辛い。キツイ。疲れた。もう、終わりだ。
――ああ。
思考は繰り返し、壊れたテープのように同じことばかりが再生され続ける。
そしてやがて、闇に慣れた瞳が人形達の陰を朧げに映しはじめると。
陰は、ゆっくりと時間を掛けて、少しずつ広がっていく。境界の曖昧な世界の中で、少しずつ、闇が染みこむように、溶け込んで、自分の身体までもが闇に消えていくかのように、広がる。
喪失感。
自分が失われていく。
闇に沈む。落ちて。墜ちていく。堕ちていく。
そんな日々を繰り返して。
少しずつ、じわじわと。
身体が、心が、環境に馴染もうとし始める。
一つずつ、失われていく。感覚。記憶。
抜け落ちていく、人としての何か。
本当の人形になっていく。
もう、何も思わない。感じない。
ただ風景を映すだけの硝子の瞳が、迫る鋸の刃を目にしても、それが身体に沈み込んでいく様が見えても。
もう、何も感じなかった。
そこで目が覚める。
夢であることを確認するために、冬なのに汗ばんだ自分を抱きしめる。確かな肌の感触。確かに、生きている。動ける。
今日もまた少しだけ、悪夢は先へ進んでいた。
毎日のように見る夢。
レティシアに助けてもらったあの夜の出来事。その次の日から見る夢。
そこでは少しずつ、確実に、時間が流れていく。進んでいく。
今日の最後は、本当に終わりを感じさせるものだった。もうこれで、悪夢を見ることはないんだろうか。
でも。
ふと、考える。
本当に、夢なんだろうか。
あの悪夢こそが現実で。
今この瞬間こそが夢。
それを否定することはできない。そう思えるほどに、少しずつ、少しずつ悪夢は日を重ねていく。
もう一度、強く自分を抱きしめる。
まだ、夜は明けない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【1252/海原・みなも/女性/13歳/中学生】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、伊吹護です。
ご要望にはお答えできましたでしょうか。ちょっと過程の部分が書き足りていないかな、と思いつつも、ラストにも重点を置いて書いてみました。
今後とも、宜しくお願いします。
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