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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


魔道の遺産

■オープニング

 編集長のデスク前。
 呼び出された面子は編集長から、折り入って…の話を聞かされていた。
 …珍しい事に、取材命令と言うより、調査の依頼である。

 曰く、月刊アトラスの愛読者だったと言う御主人を亡くした未亡人からの電話が朝方にあったのだと言う。その電話によると、御主人の遺品の整理をしている最中、あまりにも恐ろしくなったので藁にも縋る思いでアトラスの編集部へと連絡を付けて来たらしい。…確かに、アトラス自体は世間的には些か際物に含まれる系統の雑誌だが、その出版社である白王社は月刊アトラス以外の出版物でも充分に社会的認知度のあるそれなりのところと言える。だからこそ彼女の方も連絡を付けてみる気になったのだろう。
 ともあれ、遺品の整理中、あまりにも恐ろしくなった、と言うその理由、内容の方だが。
 …勿論、怪奇雑誌である月刊アトラスの編集部に縋りたくなるような類の話である。
 曰く、何やら御主人の遺品の中から呪物の類と見られる物が次々出て来たとの事。それも…怪しげな文字が綴られた小箱、その中に乾涸びた何かの小動物や虫の死骸。蚯蚓がのたくったような文字が書かれた、呪符の類と見られるお札に…それぞれ別の人間の物と思われる頭髪らしき物が数本。見慣れない、彼女の夫が使っていた物とは到底思えない装飾品や日用品小物の類が幾つか。
 そして、見知らぬ人が撮影された写真が数枚。男女の別も年齢も様々。それらすべての裏に彼女の夫の筆跡で、それぞれやっぱり知らない名前が書かれている。写されている人物のものと思しき名前。また、写真の人物を調査したような、確りしたプロフィールが書かれた紙まで出てきた。
 不気味ながらも、何だろうと思い彼女はその名前の相手に、連絡を取る事を試みた。
 が。
 …連絡を取った時点で、その名前の人物の殆どが、亡くなっている事が判明した。
 それも、時期は統一性も何も無いが、すべて急死で、死因は心不全――とは言え死んだ人間の最終的な死因として心臓が止まる、と言うのは至極当然の事でもあり――即ち、本当は死因不明だったと言う共通点がある。
 その時点で未亡人の彼女は恐ろしい考えに辿り付く。
 …自らの夫が呪いを用いて、彼らを殺していたのでは無いか、と言う考えに。

 夫は優しい人だった、絶対にそんな大それた事が出来るような人じゃなかったんです、と電話口では震える声だったとの事。…ちなみに仕事は特に目立つ事の無い中小企業の会社勤めだったと言う。
 自分の考えが間違っているかどうか、本当に呪いで人を殺す事は可能なのか――そうは言っていても、本心では彼女は否定して欲しくて、編集部に電話を掛けて来たらしい。

 そこまで伝えると、編集長である碇麗香は、はぁ、と溜息を吐く。
「…そんな訳で…彼女に対して否定してあげたいのは山々なんだけど、これ…詳しく聞けば聞く程『本物』みたいなのよ。となると、うちで手に負えるような話じゃなくなってくるのよね」
 しかも、事件になってない事件な訳よ。怪奇絡みの。
 ならば――取材したとしても記事に出来ない可能性の方が俄然高くなってくる。が、だからと言ってアトラスの人間である以上そう簡単に放り出すのも気が咎める類の話。内容自体もそうだが、既に死亡しているとは言え我等が親愛なる月刊アトラス愛読者様の遺した品に絡む事、その愛読者様の奥さんからのSOS、となれば。

 …但し。
 碇麗香にしてみれば、この件でそれ以上に気になる事がある。
 それは…杞憂だと言われるかもしれないとは思う話だが。
 そしてこの杞憂と言われそうな事こそ、SOSのコールをして来た奥さんに到底言える訳もない話。

「…それからここが一番気になるんだけど、遺品の中に『楓か何かのような、五つに先が分かたれた葉の形が中に描かれた円』、が記してある物もあったらしいのよ」
 そうなると、ただの…と言うのも語弊があるけど敢えてそう言う事にするわ。そう、ただの呪術による連続殺人事件――それ以上に危険な可能性が思い付かない?
 …五つに先が分かたれた葉が中に描かれた円――それはまるで、『虚無の境界』により東京二十三区全域を覆うように敷かれたと思われる――用途不明の巨大魔法陣を連想させる紋様の。
「で、それの持ち主と思しき人物は――我らが月刊アトラスの愛読者だった、って言う訳」
 …これって、私の考え過ぎだと思う?



■事の前/成り行きと言うものは恐ろしい

 …そのオカルト好きな神聖都学園報道部長は、毎月発行している学園新聞で特集する記事を求めていた。
 そんな折に、月刊アトラスの雑誌を読む機会があった。
 言葉を失った。
 これ程に興味深い題材が、これ程に素晴らしく料理され記事とされている。
 報道部長である彼の見た雑誌の特集記事は――まぁアトラス側としては当然、いつもの事と言えばいつもの事なのだが某心霊スポットに関するもの。オカルトチックでセンセーショナル、ファンタスティックかつバイオレンスな特集レポート記事であり、まさしく彼の趣味嗜好にクリーンヒット。
 こんな記事を作り出す事が可能な編集部…これは…赴いて話を聞かない手はあるまい。
 …と、そんな訳でいつも何かと一緒に居る事の多い報道部内カメラマン――成門由乃を引き連れ、報道部長――北條章人は白王社ビル内月刊アトラス編集部にこれから伺うと連絡を入れるだけ入れるなり問答無用で訪れた。
 が。
 そこで応対に現れたのが、何だか物凄く頼りなさそうな…分厚い眼鏡に冴えないスーツの青年。
 …彼こそが章人の電話連絡を受けた当の相手。
 お電話受けましたアトラス編集部員の三下と申します、と青年からおっかなびっくり名乗られる間も惜しいとばかりに章人は読んだ当の雑誌をずいと突き出し、この特集記事について是非お話をと熱心に頼み込む。…頼むと言っても三下――三下忠雄の方の返答も何だかどもりまくりで覚束無い為ぺらぺらぺらと章人ばかりが己の思う事を捲し立てているような状態になる。それでも三下は辛うじて聞いていると言う意味の相槌だけは返す事が出来てしまっている為、余計に章人の話は止まらない。
 章人と三下の間でそんな会話(?)が繰り広げられている横で、由乃は所在無く佇んでいる。浮かぶのは引き攣り混じりの苦笑ばかりで、さてどうしようと困っているところ。…やるべき事がない下手に口も挟めない。取り敢えず章人を置いて自分だけで帰る気はないのだが、こうなると…むしろ自分の方がはっきり置いて行かれてしまう。
 そんなこんなで、うーん、と悩んでいると、大丈夫? とすぐ後ろから軽く声が掛けられた。
 由乃が振り向くと、そこに居たのは自分や章人と同年代と思しき一人の青年。背の中程まである金髪…と言うか狐色の髪を一つに束ねており、伊達眼鏡を掛けている。整った鋭利な顔立ちではあるが、伊達眼鏡の奥から覗く瞳は人当たりよさげに笑みを含んでいる為あまり冷たくは見えない。
 状況的に由乃は思わず見惚れた。
 …それは章人の傍に居る以上、美形を見慣れていると言えば見慣れているし実際に由乃は章人に惚れていたりもする。が、このどうしたら良いのか果てしなく困っているタイミングで、自分を視界に入れ気遣ってくれたとなれば――場所柄さておきただのナンパだったとしても――嬉しくない訳はない。
「…おねーさん、なぁんか話に置いてかれちゃって困ってるみたいってお見受けするけど。何ならお連れさん暫く放っといて俺と付き合わない?」
 俺は朔夜・ラインフォードってんだけど。
 同年代と思しきその青年は軽くそう名乗ってくる。
 由乃は断るようなそうでもないような微妙に脈ありげな態度を取ってみる。
「や、あの…確かに北條くんの話に置いてかれて少しは困ってたけど…ううん、大丈夫大丈夫。このくらいいつもの事だから。ラインフォードくんでいいのかな、声掛けてくれてありがと」
「どう致しまして。…でもそう簡単に終わりそうにない気がするけどねえ」
 と、朔夜は章人と三下を見る。
 …二人の様子に変化無し。
 それを認めてから朔夜は再び由乃に向き直る。
「あ、呼び方はお好きなよーに。ラインフォードの方でも朔夜の方でもくん付け無しで気安く呼び捨ててくれても歓迎♪」
「…ど、どうも。…うーん…確かにこうなると長い事は長いのよね…」
 由乃もまた章人と三下、二人の様子を見てぽつり。…ちなみに、由乃が放置されていると同時に、章人の鋭い舌鋒に翻弄されしみじみ三下が気の毒な状況下に置かれている事にもなる。
「…んじゃせめて一緒にお茶でも飲まない? ここ、勝手に煎れて飲んで良いようになってた筈だから」
「そ…ですね、そのくらいなら」
 朔夜の提案に今度は頷く由乃。
 途端、不自然に一時停止する章人の舌鋒。
 …どうやら、全然気が付いていない――気にしていない様子を見せながらも、その実章人は朔夜と由乃の間で交わされているやりとりが気が気で無かったらしい。
 きょとんと由乃が章人を見る。
 章人はわざとらしく咳払い。
 三下もまたきょとんとしている。…何事かよくわかっていない。朔夜だけはくすりと人が悪そうに笑っている。
 と。
 碇麗香女王様、もとい編集長が――三下を呼ぶ声が編集部室に鋭く響き渡った。
 三下だけで無く章人も、由乃も朔夜も声の源である部屋奥のデスク――編集長の方を見遣る。と、編集長がこちらを見ているのみならず、ライター見習いらしい元気そうな娘がそのデスクの脇に立っており、こちらを見てにこやかに笑いつつ来い来いとばかりに手招きをしている。
 三下は殆ど反射的に章人と由乃と朔夜の三人を順繰りに見た。…助けを求め縋るようなその視線。
 にこやかに笑う元気娘――神城柚月は、その様子にこくこく頷きつつまた手招き。
 ………………つまりは、三下だけでは無く三下含め四人とも来い、と言う事らしい。



■調査の前

 で、碇麗香と神城柚月に呼ばれて、四人――名を呼ばれた当の三下忠雄、元々三下と話していた北條章人、その連れの成門由乃、由乃に声など掛けていた朔夜・ラインフォード――が聞かされた話が、編集長の元に朝方にあった電話こと、怪奇雑誌月刊アトラスの編集部と見込んで助けを求めて来た未亡人の件。
 未亡人である彼女――梶浦真理絵が、亡夫――梶浦祐作の遺品整理中に、その遺品の中から出て来た呪物と思しき気味の悪い品々。数名分の人物写真に、その人物を調べたようなプロフィールのレポートが同じ人数分。確認を取ってみればその人物の殆どが死んでいたと言う事実。写真の裏に名前の走り書き――亡夫自身の筆跡のそれ。その事から来る不安。
 麗香が電話口で真理絵からある程度の詳細を聞いてみた結果、否定したいのは山々だが、どうも本物臭い気がするのだと言う。そしてかの『虚無の境界』に関わりそうな『例のマーク』までその遺品の中に紛れていると来れば、それだけで済まないかもしれない懸念も出てくる。それは杞憂かもしれないが。…何処ぞの貧乏探偵同様『虚無の境界』という名に過敏に反応してしまっているだけかもしれないが。
 ともあれ、どうも取材にはなりそうにないが、他ならぬアトラスの看板をこそ頼られた以上――確かにそう易々放り出せる話でもない。
 それで編集長が三下を呼び付けたのは――誰に行ってもらうにしろ、先方に伺うには月刊アトラス編集部員の名刺を持っている『顔』があった方が良いだろう、と言う麗香の計らいから。それで三下が選ばれたのは…まぁ基本的に何をしていても役に立たないから名刺を出すくらい――アトラスの人間であると言う身分証明の役くらいはせめて真っ当にこなしてくれ、と言う儚い希望もある。
 で、三下と居た三人も三下と一緒に呼ばれたのは、単に成り行きに過ぎない。但しその成り行き、三下を呼ぶ為に編集長の見た先を振り返った柚月が、折角だから意見を聞いてみよう、とその場の思い付きでついでに一緒に呼んだような節もあったりする。…そして麗香もその柚月の判断を拒まない。
 そんな訳で自分たちを呼びつけた麗香と柚月から一通り事情を聞くと、ふむ、と章人が考え込むように顎に手を当てている。
「…『楓か何かのような、五つに先が分かたれた葉の形が中に描かれた円』、か…。面白いな。この手の魔法円はゴーストネットの掲示板でもよく見かける。どっかのカルト団体の物らしいと言う噂だが…事件に関係してると?」
「勿論言い切れはしないけど。でも呪物らしく見える遺品の中になんて、嫌な場所にあると思わない?」
「う…確かに」
 麗香の言い分に対し、嫌そうに同意する由乃。実際に見ていない以上まだ何とも言えないが、章人曰く「どっかのカルト団体のものらしいと噂のある魔法円?」が、実際に人死にと関わっていそうな情報まで含まれている怪しげな遺品の中にあるとなればさすがに気味が悪い。
 うんうんともっともらしく朔夜が頷いた。
「確かに真偽さておき『虚無の境界』が関係してるかもって疑惑がある時点でなぁんか色々引っ掛かるよねー。わかるわかる」
 む、と章人がその科白を聞き咎めた。
「『虚無の境界』。…それがそのカルト団体の名でいいと言う事か?」
「…あれ? それが前提じゃなかったの今の話って」
「ゴーストネットの掲示板には…匂わせてはあるが、そこまではっきりと情報が記されてはいない」
 虚無の境界、と言う言葉自体は出されていてもそれが何を示す言葉であるかははっきり記されていない。…この場ではそんな情報すらも常識としてあるのだな。さすがあんな素晴らしい記事が書ける記者を抱える編集部だ…。
 今度は章人がうんうんと頷きつつしみじみと何か納得している。
「…まぁ、碇編集長の懸念ももっともやけど…本人の趣味と偶然が重なっての可能性も考えられるんよ」
 本職の関係上呪物判定には慣れてるから直接見れば判んで…まずは私の方で先方に伺ってみよかて思とるんやけどね。
 ん、と頷きつつ皆を見渡し、柚月。
 すかさず章人が片眉を跳ね上げた。
「…本職?」
 また先程朔夜がした『虚無の境界』発言同様、興味深げに聞き咎める章人。と、柚月は、まぁな、とあっさり頷く。…特に隠す気もないらしい。
「どない言うたらわかりやすいかな…簡単に説明すると、私は平行時空世界間の秩序維持を目的とした機関の人間、て事になるんやけどな。草間興信所の紹介でライター見習いとしてここに出入りさせてもらう事になっとるんや」
 先行の駐在局員からの情報によると、ここの編集部は超常現象関連では草間興信所と並ぶ情報収集先になるて話でね。んで情報収集させてもらう代わりに確りここのお手伝いしましょ、と思った矢先にこの話、てとこなんや。
「へー、おねーさん草間興信所とも関係あるんだ。さすがそのスジの人」
 のほほんと柚月を見て感心する朔夜。
 なんやと柚月は苦笑する。
「って朔夜さんかて草間さんの事は元々知っとるんやないん。…まぁ何にしろその関係もあって『虚無の境界』言う心霊テロ組織についてもまぁ大まかなとこは聞いてるんやけどな」
「…! 心霊テロ組織とわざわざ言い換えると言う事はただのカルト団体ではないのか!?」
「まーね。神城サンのゆー通り心霊テロ組織って纏められると…そうとしか説明のしようが無いっぽいんだよね。俺一般の人だからそんなに詳しくは知らないけど…何つーかむしろ詳しく知らない方がいいよーな気もするし?」
 ね? と柚月に同意を求める朔夜。
 柚月はすぐに頷いた。
「そやね。北條の兄さんが聞いてた通りただのカルト…ならまだ良いんやろけどね。それで済まんから私ら機関の人間のアンテナにも引っ掛けとかなあかん事になる。本物やったら確かに侮るのはヤバいんや。時空の壁に干渉して破壊活動してくる可能性まであるからな」
「っ…そんなものがこんな身近に実在するとは…。…そして草間興信所…まさかゴーストネットで時折話題に出ているK興信所と言うのがそれなのか」
「そうだよ?」
 あっさり。
 朔夜がまたあっさりと章人の疑問を肯定。
 次々明かされる案外身近にあった衝撃の事実に興奮して震える章人。
 そんな様子をすぐ傍で見ている由乃はしみじみ嫌な予感に駆られている。何だかこの先の状況が見える。
「あのさ北條くん…何だか込み入った話になってるみたいだし、そろそろ…おいとま…」
 してくれないよなと思いつつ章人の耳許でこそりと一応言うだけ言ってみる。
 …黙殺された。
 ああ…オカルト的なゴタゴタの匂いがするよ…帰りたいなぁ。
 内心でぼやきつつ嘆息する由乃に目敏く気付き、朔夜がさりげなく苦笑を向けお付き合い。…ちなみに由乃の行動指針が章人の動向に掛かっているらしい事には朔夜は疾うに気付いている。そして由乃の気持ちがわかっている風の態度は取るが、それで彼女が帰れる方向に水を向ける事はしない。…朔夜の方でも折角お知り合いになれたおねーさんとここで簡単に別れてしまうのはつまらない、と言うところらしい。
 一頻り感動に震えていた章人は、由乃の様子も気付かず――と言うか無視して柚月と麗香を見る。
「…そんな事情であるならば調査をするにも慎重に慎重を重ねなければなるまいな」
「まぁな。でも言うたやろ? 本人の趣味と偶然が重なっての可能性もあるて。実際北條の兄さんも『楓が中に描いてあるよな魔法円ぽいマーク』自体は心当たりあるんやろ? …この辺は結構一般にも情報流れてるから、そのマーク使う気なら誰でも幾らでも勝手に使える」
 まぁオカルト方面でミーハーな奴ならこの形格好良いとか思て意味も知らんままファッション的に使っとるかも知れへんし。
「…だな。不用意にそんな使われ方をしてしまうなどとしみじみ嘆かわしい事だが…。その情報時点では如何とも言い難いようだ。だが…」
「何か今の時点で気になる事でも?」
 歯切れの悪い章人に改めて意見を促す麗香。…帰りたいと言う由乃の思いも空しく、既にして完全にこの件の調査要員扱いされている。恐らくは章人のみならず由乃もまた。
 章人は麗香に頷く。
「うむ…俺の意見だが、先方に伺うにしても御主人の遺品は触らない方が良いと思う」
 …いや、触らない方がと言うだけじゃない。人目に触れた事、人前に出された事それ自体で呪いが発動しないとも限らないんじゃないか?
「――…何故わざわざ遺した? 秘密裏に行う呪術なら使用した道具は破棄するものだ。…処分せずに亡くなったのか? 呪いのターゲットは本当にこの写真の人たちか…御主人もコレで亡くなったんじゃないのか…?」
 いや、それどころではなく。
「元々、これらの遺品を人目に触れさせる事こそが真の目的ではないか――アトラスに知らせる事こそが真の目的ではないか? …夫人はここの愛読者らしいが本当にそうか? その夫人が怪しいとは考えられないか? 俺の思い過ごしならいいんだが…」
 思考の赴くまま並べ立てているような章人に、あれ? と三下が声を上げる。
「いやあの…愛読者だと言うお話なのは旦那さんの方で…すよね?」
「ん、そうだったか。…だがそうだとするにしろ、夫人が実際にアトラス編集部に連絡を付けると言う行動を取ってきた以上、夫人の方も雑誌アトラスの事を元からよく知っていた可能性は低くない…いや高かろう。そうなるならば懸念は何も変わらん。今の時点の情報ではな」
 と。
「…ちょっと待ってよ」
 由乃が声を荒げた。
 ん? とうるさげに章人が由乃を見る。
「何だ」
「言うに事欠いて助け求めてきた当の奥さんが怪しいって何!? そんな呪いに使うみたいな物遺されて怖かったから、御主人が他に遺してたここの雑誌から電話番号見付けて藁にも縋る思いで連絡付けてきたって事なんじゃないの!? そんな気持ちも想像付かない訳!?」
「電話口で夫人がそう話していたとしてもそれが事実だとは限らない。そもそも声だけだ。その気になればどうとでも取り繕える。違うか?」
「でも北條くんが編集部に押しかけるくらい感銘を受けたこの雑誌の編集長が直に受けてる電話なんだよっ」
 て事は、北條くんの判断基準に照らしたって編集長はそのくらい判断出来る人って事になるんじゃないの!?
「無論ここの編集長を侮る気は更々無い。だが実効性ある呪術を行う者は例外無く周到だ。周到でなければ効果ある呪術など施せないからな。少なくとも一見の相手に見破れるような芝居をするとは思えん」
 それが例えアトラスの編集長相手であったとしてもだ。
「っ…北條くんは奥さんがどうしても怪しいって言うんだね」
「だから思い過ごしならいいんだがと言っているだろう。人の話はちゃんと聞け」
「…。じゃあむしろ亡くなった御主人の遺品を徹底的に調べてみるべきじゃない?」
「成門。俺は遺品には不用意に触らん方がと言った筈だが? 学習能力が無いのか」
「でも北條くんの言う通り『人目に触れさせる事が目的』の物だったなら、見付けちゃった奥さんの方こそ今危ない状態にあるって事にもなるじゃない」
「その可能性は否定しない。…だが夫人からの電話がアトラスにあったのが朝方、それも遺品の整理をしている途中でと言う話なのだろう? 御主人が亡くなったのはいつだ? 幾らか経っているのならそれこそ寝て起きてすぐそんな物を紐解こうと考えるか? 昨晩の時点で遺品に気付いていてどうしても怖くなったと言うのなら電話するのにわざわざ一晩待つか? それ程冷静に判断できるなら何故電話口でとても怯えた様子だったんだ? …そもそも俺には朝一で御主人の遺品を広げ整理を始めるとは思えない。朝方に掛かってきた電話口でとても怯えた、藁をも縋るような様子だったと言うのなら尚更、夫人が常識的に過ぎる時間に連絡を取ってきた事自体にも引っ掛かりを感じはしないか」
「…そんな勘繰り過ぎだよ。人の都合を考える礼儀正しい人だって事も充分あるし、どうしても怖くなったって言ったってそれでパニック起こしてどうしようもなくなるくらいなら…そもそも電話なんかして来れる訳無いじゃない。なのに連絡付けられてるって事は、幾ら怖くてもある程度は冷静に考えられてるって事でしょ」
「…おい。後半の発言では俺の意見に賛同しているようにも聞こえるがいいのか?」
「あ、あれ? う。…と、とにかく遺品をちゃんと調べれば奥さんが怪しくないってはっきりするでしょ?」
「全く逆の証左が得られる可能性も同じだけある事になるが?」
「…うう。それはそうだけど…でもそんな訳ないから…っ」
「成門。もう少しくらいは確り考えてから自分の意見を言え」
 と、章人がわざとらしく溜息を吐いたところで。
 すかさずそのタイミングを見計らい、柚月が二人の間に、さ、と割って入っている。
「はいはいはい御二人共その辺りでストップストップ。今ある情報だけでこの場でどうのこうの言い合ってても始まらんからな。…どっちにしろ今は動いてみんのが先や」
 どう転ぶにしろこの話、取り越し苦労で済めばええんやけど――ビンゴな場合は何か手を打たなね。



■依頼人宅、梶浦家

 そんなこんなで。
 碇麗香編集長に呼ばれ、話を聞いた五人はアトラスを後にしていた。当初は麗香に話を聞いた神城柚月一人が名刺代わりに三下忠雄を引き連れ、助けを求めてきた依頼人こと梶浦真理絵の自宅に赴くつもりでいたらしいのだが――結果として他に三人同行者が増えている。
 北條章人に成門由乃、それから朔夜・ラインフォード。
 三人共に年の頃として不自然はなく、特に章人と由乃は元々神聖都学園報道部所属の大学生、とそれなりに『らしい』人間であるとも言える。特に章人の趣味嗜好を考えれば、依頼人から見た場合如何にもアトラスからの人間らしく見えそうで都合がいい。
 そして朔夜も朔夜で色々と卒なくやってくれそうと見た。…特に女性に対しては優しい上に扱いに慣れているようなので、今回のような場合、依頼人の夫人を安心させる――その必要があるならだが――役割にも向いているかもしれない。
 更に言うなら、新たに増えた三人共に柚月や三下――まぁ三下は数に入れない方が良いかもしれないが――とはまた違った視点で物が見れる人間のようでもある。
 そんな訳で五人は事前に取材陣一行的印象を与えられるよう体裁を整えてから、梶浦家へ訪れている。

「――…何か気に懸かる事、ですか」
「ええ。…御主人の生前に気になった事や行動が無かったか、て思いまして」
「どうでしょう。…主人のオカルト趣味は一緒になる前からの事ですから…」
 気になると言われれば――オカルト絡みの事になると気になる事ばかりになるが、逆に言うとそれは日常の趣味の範疇になる事なので、それで特別どうこうと言う程の事は何も無かったのだと言う。アトラスのような各社の怪奇雑誌もその筋の書籍も以前から多くあるらしいが、少なくとも、この遺品のような具体的に気味の悪い物品を見たのはこれが初めてらしい。
 恐る恐る柚月の質問に答える夫人――梶浦真理絵。曰く、生前の様子や行動で、特に気になる点は無かったらしい。それは実際に何も無かったのか真理絵が気付かなかっただけかはたまた真理絵に何か隠している事があるのか、その辺りはまだ判断は付かない。話を聞く限りは――亡夫・梶浦祐作の方は取り敢えず書籍を紐解く事でオカルト的興味は満たされていた様子が見える。その程度の趣味、だったのだろうか。
 ともあれ、真理絵の話を伺いつつ、アトラスからの一行は問題の遺品を拝見する事になる。
 …梶浦家に訪れた時、一行は思ったよりすんなりと受け入れられた――それ程怪しまれる事はなかった。名刺代わりに連れて来た三下も必要無かったかと後になって思えたくらい。実際に、柚月に促され一番初めに前面に出されたっきり、三下は殆ど放置されている状態にある。…その事を気遣う真理絵に対し、お気になさらずと爽やかに朔夜が返したりもしている。
 そんな中、出された亡夫の遺品。一行が通された居間のテーブル上、元々それで包んであったと思しきぐしゃぐしゃの古新聞を敷いた上に並べられたその品々。…達筆過ぎて素人では読めないだろう漢字らしき文字が書かれた呪符やら、小動物や虫の乾涸びた死骸入り小箱。チャック付きビニール袋に丁寧に仕分けされて仕舞われている、新品ではなく明らかに誰かに使い込まれた装飾品や日用品。同じく仕分けて仕舞われている、切られたのではなく抜かれた毛髪数本――それもそれぞれ別人のものと思しきもの。それと、クリップで留められた数枚の紙――プロフィールが調べられていると言うその書類と、被写体本人に断って撮ったのではなさそうなスナップ写真が書類袋に入れられて置かれていた。
 それら遺品を――特に直球呪物っぽく見える物品を前に、む、と由乃が難しい顔のまま止まっている。
 そんな由乃に、どうした、とわざとらしいくらい知らん顔のままで声を掛ける章人。
「…ちゃんと調べるんじゃなかったのか?」
「そ、そうよ決まってるじゃない」
「なら何故黙って眺めてる?」
 お前は遺品を確り調べて俺の意見を退けたいんだろう?
 ならやればいいだろう。折角問題の遺品を目の前に出して来て頂いているんだ。お前の中には『清澄』だって居るだろうが。…ひょっとするとお前なら俺の懸念通りだったとしても触れても問題ないかも知れんぞ。俺のような霊感もないただの人間ならそうはいかんだろうが。
 どうした? 『清澄』にやらせる事すらしないのか? ん? 怖いのか? あれだけの啖呵を切っておきながらお前は当の遺品が怖くて確認さえ出来ないのか。そうかそうか。…よくそれであんな啖呵が切れたものだな。
「…う」
 章人に言い込められて唸る由乃。かちんとは来るし反論もしたいが実際その通りなので何も言えない。ここで不用意に何か言ったらまた言い込められるだけなので何も言えない。せめてもの抵抗手段として由乃は自分の中の別人格――ではなく高校時代のとある時から自分に憑依し何故か共存してしまっている霊媒師、『清澄』の霊魂に声を掛けてみる。この遺品、確認するの手伝ってくれないかな…気味が悪いから取り敢えずお祓いしてくれないかな? と軽く頼んでみる。と…「私は眠い」と『清澄』にはあっさり拒まれてしまった。
「…」
 うう。
 由乃の『中』の事情を察したか、どうしたやらんのか? とここぞとばかりに衝いてくる章人。
 その声に促され、半泣きになりながらも渋々由乃は遺品に手を伸ばす――伸ばそうとした、そこで。
 由乃が手を伸ばしたその先にあった遺品の一つ――小箱を、柚月が由乃より先にあっさり取り上げている。
 それから、ちらりと章人を見て一言。
「…あんまりそーやって彼女いじめんなや。ガキくさいで?」
「――」
「え、彼女って…――」
「――…っそんな事より今は遺品の方の話だ!」
「そうそう。成門さんが…と言うかその中の『清澄』さんがなのかな? とにかくこの小箱とか直球呪物っぽい遺品の方の呪物判定は貴方ができんでも私がやるから安心し?」
 だから調べるなら他の方頼むわ。
 と、にこりと笑いあっさりと続ける柚月。由乃を彼女と言われ心密かに焦ったらしく、慌てたように声を荒げた章人にもさらりと同意し動じない。速攻赤くなった由乃の様子にも気付いてはいるがそちらも特には突付かない。…柚月はあくまでこの場に於いて自然な態度で通している。朔夜はその間何も口を挟んでこないが、興味が無い訳では無くむしろ目の前のやりとりが面白いので敢えて黙ってじーっと観察していたのだったりする。ちなみにまだアトラスに居た時に章人と由乃二人の言い争いを止めなかったのも同じ理由。…彼は決して人当たりの良い、良い人なだけの人物ではない。
 取り敢えず朔夜は楽しく観察している事を誤魔化しがてら、柚月に続いて遺品の中からプロフィールの書かれた紙と写真が入った書類袋を手に取ってみた。こちらは俺に任せて下さいなと軽く言いつつ、中身を出しぱらぱらと捲ってひとまず一通り見てみる。
 柚月は小箱を手に持ち観察している状態のまま、さりげなくまた別の事を聞いてみる。御主人の――梶浦祐作の死因は何だったのか。…突然死――心不全。真理絵からはそう回答が来た。
 祐作には何も既往症は無く、本当に突然の事だったのだと言う。…遺されたプロフィールの中に居た、死亡していた数名と同じ死因である。その事もまた不安になる原因の一つになったのだと聞かされた。
 真理絵のその答えに、章人の目が険しく細められる。…死因が同じなら、俺の仮説の可能性はまだ残る。目の前の夫人が――他ならぬ梶浦真理絵が、と言う可能性。
 由乃が朔夜からプロフィールに付けられていた写真を受け取っている。…それも自分から頼んで。まだ少し顔が赤いが、一応立ち直ったようで報道部カメラマンの本領発揮と言うところか。
 朔夜が見ている書類の入っていた書類袋――の裏面が章人の視界に映る。…いったい何処にあるのやらと思っていたら、そこに描かれていたものこそが件の魔法円。ゴーストネットで見たのと同じものかどうか注意深く確認する。…文字の配列、円の数、線の数。円に対しての楓の図案の置き方。じっくり見ている章人の視線に気付いたか、朔夜もまたその魔法円に気付いて自分でも見易いように書類袋を持ち直す。由乃もまたその魔法円に気付いた。
「変なマーク…。何かのシンボルマーク、みたいではありますね…」
 科白の後半は真理絵に向かって言ったつもりで、ぽつり。
 と、章人が頷いた。
「同じだな。…ゴーストネットで見た魔法円と特徴が合致する」
 当然のようにさらりと言う章人に、へー、とちょっと驚く朔夜。
「…そんなコト、ソラで覚えてるモンなんだ?」
 すぐ手許に比較対象がある訳じゃないのに。
「…特徴の判別くらいなら何も難しい事じゃない。魔法円など、描き方の要点はだいたい決まっているものだからな。それはこれ程複雑な構造になっている魔法円になれば――ゴーストネットに投稿されていたものと細部に至るまで完璧に同じものであると言い切れはしないが、それでも特徴を見れば同じもしくはごく近い意味を示している魔法円だと言うくらいの判別は付く。それに、書かれている『boundary of nothingness』の文字、これは決め手だろう」
 ――…『虚無の境界』。こんな言葉を使用した魔法円など他に見た事がない。
 そこまで言いながら、章人はさりげなく真理絵の様子を窺っている。…boundary of nothingness――虚無の境界と口に出して言った時点で何か反応はないか。
 章人のそんな様子にも気付かず、由乃は朔夜から受け取った写真を注意深く観察している。被写体が印画された表面、ただ白い裏面――そこには写真の人物のものだろう名前が走り書きされて、その上に確認するよう乱暴に丸が付けられている。…撮影機器はデジタルカメラと見た。すると、ネガフィルムはない。デジタルならばメモリをクリアしてしまえば――クリアのみならず他の情報でメモリを上書きしてしまえば後には何も残らない。…何処から来た写真なのか元を辿るのは難しいと判断。印画面に不審な点は。背景等も写り込んでいる為、肉眼では特に不審な点は感じられない――色々写っている物が多く、不審なのか不審でないのかはっきりしない。
 写真の方で何かわかりそう? ううん、これだけだとまだ何とも言えない調べてみないと。…写真の裏書きにある名前とプロフィールを照らし合わせつつ朔夜と由乃が言葉を交わしている。…印画面に写り込んでいる背景等から場所を確認する必要もあるだろうかと考えてみる。写っている物に何か共通点は見えないかとも思ってみる。はっきりさせるにはスキャンしてみる必要があるかと由乃は結論付ける。
 呪物らしき品、小箱と符は先程から柚月が確認しているが――その付随物と思しき日用品小物や毛髪は取り敢えずまだ誰も手に取り確認する事はしていない。…と言うかそれらは三下がおっかなびっくり指先で突付いてみたりしている。それで突付いた先の物が指で突かれた結果ほんの僅かだけ押されて移動し、敷いてある新聞ががさと鳴る。瞬間、三下はいきなりぎゃあああと大声を上げ騒いでいる。
 真理絵、呆気に取られている。…今の新聞ががさりと鳴る音にそこまで怯えられるのも逆に有り得ないような気がし。目の前の遺品よりむしろそのいきなり上げられた大声の方が何事かと。
 と、そこですかさず声が飛ぶ。奥さんすみません気にしないで下さいねー、と朔夜の爽やかなフォローの声。
 …但し、うちの三下の場合役に立たないのはいつものコトなんですよーだからいざって時は俺とか他の人頼るようにして下さいねー、と全然フォローになってないフォローが更に続けられもしたのだが。

 …それから、少しして。
 うん、と力強く柚月が頷く。それから真理絵に向け微笑むと、取り越し苦労やったみたいやねと安堵の吐息混じりに告げた。柚月は自分が見ていた如何にも呪物らしい小箱と呪符、これらが呪物である事を否定する。
「趣味の悪いレプリカやわ。…っと。趣味悪い言うたらあかんか。大事な御主人の遺した物やもんね」
 むしろレプリカなら間違いなくただの無難な趣味で済んでる事になるしな。
 そう告げる柚月の表情に、ほっとした様子を見せる真理絵と由乃――それと依頼人当人を差し置いて全力で安堵し腰が抜けたのか、座り込んで胸を押さえつつ深く安堵の息を吐いている三下。朔夜はふーんと気の無い風なままでプロフィールの書かれた紙を、見もしないままぱらぱらと捲ると言うより手許ではためかせている。
 章人はこれら遺品の――呪物の類は専門分野だと言う柚月の結論に取り敢えずの安堵はしたが、何故か…どうも何かが納得行かないと思っている。とは言え何に納得が行かないのか自分でもよくわかっていない為何も言えない。ただとにかく何かが引っ掛かって仕方が無い。
 …その実、レプリカだと看破した柚月自身も、自分の中で何かが引っ掛かっていたりする。レプリカである事は確かで、確かにこの小箱や呪符からは邪気も邪念も呪力も何も見出せない。ただ、何か…本物の呪物でない事だけは言い切れるが、それでも『何か』がどうしようもなく引っ掛かってしまう変な感触がある。
 但し、依頼人を目の前にしているこの場で表には出さない。
 が、章人や柚月の密かな懸念に気付いたか、はたまた自身でも同じ引っ掛かりを覚えたか――ねえねえと朔夜がいつもの如く軽く口を挟んで来た。
「そっちがレプリカでも念の為、この一緒に遺されてたプロフィールの人とか御主人祐作サンの周囲とかその関係とか…一応調べてみません?」
 ほら幾らレプリカだったって言ったって、コレが出るまではその手の本読むだけだったのに――なんでいきなりそんなものがここにあるのかってその経緯を考えると結構不気味でしょ? そのレプリカが来た由来とか、周囲を確り調べて何でもないってはっきりわかった方が安心できそうじゃない?
 ぱらぱらはためかせていたプロフィールの紙を改めて揃えて掲げ、朔夜は優しく真理絵にそう提案してみる。
 そうね、と由乃も同意した。
「…レプリカでも何処で手に入れたのかとか、はっきりわかった方が安心に繋がりますもんね」
「でしょ? その手の物売ってる店とかも探せばあると思うし、誰かからもらったにしろその相手を特定できればどうして祐作サンがこんな物持ってたのかって事はわかるんじゃないかって思うしね」
 真理絵サン的にはそこまではっきりさせた方が、心情として落ち着きそーな気が。
 と、少し遅れて章人も同意した。
「…確かに…幾らレプリカとは言え読書のみの趣味からいきなり蠱毒に飛ぶのはやや飛躍の気がするな。呪符程度ならばまだ自然に思えるが…」
 引っ掛かりを覚えたのはそれ故か…?
 呟くように章人は一人ごちる。…一応、自分の口の中だけで誰にも聞こえない程度の声で。
 と。
 まだやるんですかーと今度は三下が情けない声で嘆いている。
「そんな事まで調べてて…――」
 ――…もし万が一逆に怖い事実がでてきたら。そう続けようとしていた三下の頭が、絶妙に息があったタイミングですかさず朔夜と由乃と章人の三人に同時にどつかれた。続けられる筈だった科白はそのまま遮られる。
 そしてこちらも三下に科白の続きを言わせぬまま、よし、と柚月が頷いた。
「じゃ、皆の言う通りその辺の事も調べさせてもらう事にしましょ。それとこれらの遺品は――…呪物レプリカも何なら私らの方で引き取って処分しますけど。どうします?」
 幾らレプリカ言うても形がこうな以上手許に置いとくのはあんまり気分良くないやろし。

 …継続調査の方も遺品の処分の方も、どないするかは奥さんにお任せしますが。



■疑惑、色々

 で。
 結局柚月の申し出た通り夫人から御主人の遺品の処分は任され――と言うか余程気味が悪いと思っていたのかただ任されるどころか快諾され、梶浦家を訪れた一行は月刊アトラス編集部に帰還した。
 ちなみに処分を任されたのは呪物らしい小箱や呪符だけでは無く、プロフィールや日用品小物の類も一緒に、である。依頼人梶浦真理絵の方には継続調査の結果だけ聞かせてもらえれば、と言う話に収まった。
 そして今、編集長の机の上に依頼人から託された遺品を広げてある。
「…疑う訳じゃないが本当にレプリカだったんだな?」
 差し障りのない物と梶浦夫人を安心させる為だけに言った訳ではなく。
「そや。邪気や邪念の痕跡は一切あらへん。符も印刷や。…小箱の中の乾涸びた『蟲』の方も、細かくはできとるけどこれ膠とか固めて作った物っぽいで? …置かれてた環境にしては痛みが少な過ぎるしそれらしい臭いも全然無い」
 編集部に戻ってから改めて判定結果を確認する章人に、自信を持って答える柚月。…ただそんな柚月も柚月で、呪物判定自体に自信はあるが、それでも章人同様に何か納得できない部分があるらしい。章人に話している最中にも、何かその頭の中で別の思考を巡らせている様子が垣間見える。…だからこそ先程梶浦家にまだ居た時、朔夜が絶妙なさりげなさで提案した調査続行の案に同意したとも言うのだが。
 柚月は日用品小物や毛髪の類が纏められている方に手を伸ばす。使い込まれた物品や毛髪となれば特に呪物ではなくともそれなりに想念が篭っていたり邪気を呼んだりするものなので――あくまで念の為の意味合いで、柚月はそれら懸念になりそうな気を祓っておく。
 それから編集部のパソコンを借りて、柚月は己の所属機関、時空管理維持局の情報を呼び出しプロフィールに載っている人物の照会をしてみる事にした。…理由は、勘。今の時点で、問題無しで片付ける事に納得が行かないのは何故か――自覚できていないだけで明確な理由がある可能性はないか。それを確かめる為にこそ、己の所属機関にある莫大な人物データバンクに照会する事をわざわざ選んでみる。…超常・心霊的な裏の世界に関わる情報も、ある程度ながら網羅してあるそのデータバンクに。
 由乃もまた別の画像解析ソフトが入ったパソコンを借り、写真の画像をスキャンし分析する事を始めた。前には――当の写真の実物だけを見た時点には気付けなかった何かおかしな点はないか。…これなら実物より拡大して見る事もできるし画像がぼやけても調整が掛けられる。ツールで鮮明に印刷し直す事もできる。
 それらの操作をしながらも、由乃の頭からは書類袋の裏面に描かれていた虚無の境界の魔法円の事が離れない。梶浦夫人の前ではさすがに口には出さなかったが、章人の言うように夫人が、ではなく、御主人の方がその『虚無の境界』とか言う団体の関係者である可能性もあるのではないかと思えたから。…その事は取り敢えず梶浦家を辞してからすぐ皆に告げてある。
 即座に否定されはしなかった。…章人からさえも。
 朔夜は柚月や由乃がパソコンで色々やっている間に、梶浦祐作の勤めていた会社についてをぱぱっと調べている。パソコンを借りて会社ホームページを見たり、折角出版社の中なので麗香に関連資料があったりしないか聞いてみたり――経済部等ひょっとしたら関連資料がありそうな部署や詳しそうな記者を紹介してもらったり、直接会社に電話を掛けてみたりとこちらも色々やっている。
 章人は先程柚月に確かめてからは無言で一人考え込んでいる。…御主人が関係者の可能性、と言う由乃の指摘と、自分の目で見た梶浦夫人の様子の両方。虚無の境界の名を出した時にも夫人から特に目立った反応は無かった。他に不自然に思える行動や様子はなかっただろうか。見落としはないか。一つ一つ思い返してみる。
 …俺のみならずプロと思しき柚月まで、梶浦家での調査の結果にいまいち納得が行っていない様子なのは何故なのか。呪物判定自体は確かなようだが…それ以外の何か。今の時点では『何か』としか言いようが無いが、他に何かがあるとしか思えない。
 そんな事を考え込んでいる章人の横で、三下があのお、と不安そうに声を掛けたりしている。けれど章人は無反応。三下の様子に気付いているのかいないのか、広げられている遺品を見下ろしたままで動かない。また三下から声が掛けられる。皆さん無視しないで下さいよー、と縋るようにくいくい服の裾が引っ張られまでした。
 その時点でじろりと章人が三下の顔を見る。と、三下はびくりと小動物の如く怯え、そんな章人から鮮やかに離れていた――と言うか逃げて机の影に隠れていた。
 直後。
「――…なんやて!?」
 柚月の驚きの声が上げられ、何事かと一同の視線がそちらに集まる事になる。



 柚月が驚きの声を上げたのは、遺品の中に残されていたプロフィールの人物の人物照会をした結果が理由。調べられ残されていた名前は上杉聖治、江波瑠維、坂城辰比古、佐保菖蒲、神前啓次、米沢千晴、拝島義、春野優二郎。
 その八名が八名とも、柚月の所属機関、時空管理維持局のデータベースで照会できた。何でもないただの一般人ならば、平行時空世界間の秩序維持に関係する可能性が無ければ――超常・心霊的なものと一切関係が無ければヒットする訳がないそのデータベースの中で。
 IO2所属者、退魔組織の一員、異能の一族の出…それもただそれら集団の関係者と言うだけでは無く、特筆される事情のある者――表向きの情報では一般人にしか見えなくとも、超常・心霊的な裏の世界では一角の要人ばかりである事までその照会で判明した。それもどちらかと言えばここアトラスや草間興信所のような中立者、協力者側の人物であり、虚無の境界などと言った妨害者、犯罪者・犯罪容疑者側の人物は一人も該当しなかった。
 …それが、八名中六名まで、心不全で死亡である。
 生存しているのは上杉聖治と江波瑠維のみ。そしてこの二人もまた、その筋では重要人物になるらしい。
 勘の領域でした事が、こんな形で証明されてしまえばそれは愕然ともする。
 …レプリカの呪物持っとるような奴が、表向きの情報だけとは言えなんでこんなホンモノな連中の事調べとるんや…?
 柚月は厳しい顔のまま、結果を表示させたパソコンを見つめる。
 そこに、ちょっといいですか、と由乃の声が遠慮がちに飛んできた。パソコン前から移動しているようだと思ったら、写真を拡大して鮮明に調整したものを印刷していたらしい。プリントアウトしたそれらを空いた――と言うか空けた――机上に広げ、神妙な顔で見つめている。
「どうかしたん?」
「この写真なんですが…」
 こうやって見てみると、どの写真も奇妙な感じの光が入ってるんです。凄く薄ぼんやりした光だったんで写真の実物見ただけだと気付けなかったんですが…そう言いながら、由乃はプリントアウトを指し示す。特に『薄ぼんやりした奇妙な光』に見える部分を指差し示して見せる。
 …言われなければ気付けない程度だが、確かに、本来光が入り込むべきでない位置に薄らと白っぽい部分がある。撮影の際に何か露光を間違ったか。それ以外の何かの理由か。…そうは言っても、心霊写真と言うには、まだ弱い。その程度のもの。
 だから由乃は皆に報告するにもいまいち自信が持てず遠慮がちに声を掛けている事になる。
「………………蟲の影響とは考えられないか?」
 暫しプリントアウトを見比べていた章人が、ぽつり。
「でもあれはレプリカだって…」
 梶浦夫人から預った遺品。一同の視線が当の遺品に集まる。
 答えるように柚月がぽつりと呟いた。
「…他の専門家にも鑑定してもらっていい。絶対この呪物自体はレプリカや。でもこれは…成門さんがしてくれた写真のプリントアウト見る限り、写真の方の問題言うより被写体に何か霊的な厄介なものが纏わり付いてるように見えるのも確かや。北條さんの言う通り蠱術掛けられとる影響言うならしっくり来る気はするわな…ぼやけた光の形からしてもな。ただ、事が起きる前に撮った写真になる訳やから仕方無いんやろけど…この写真に残っとる影響はかなり薄うてこれだけじゃいまいち判別し切れんわ…」
 明らかな偽物と、垣間見える本物。…正反対の情報が微妙に重なり合っている。
 梶浦家に居た時点での調査に、いまいち納得が行かなかった理由はそのせいか。
 …これは偶然なのか、そうでないのか。皆が疑問に思ったところで、朔夜が写真のプリントアウトを一枚手に取っている。…ちなみに取り上げたそのプリントアウトは生存者二名の内の片方、二十歳前後と思われる若い女性――江波瑠維の顔が印刷されている一枚。
「そろそろ、直接会ってみる段階じゃない? プロフィールの中の生きてる人なら二人だけだからあんまり時間かからないと思うし、祐作サンの会社にも一応アポイント取れたし」
「…そんな素直に取れたの?」
「んー、さっき電話で受付のお姉さんと話が弾んでね。会ってもらえる事になったから」
 受付のお姉さん亡くなった梶浦さんの事知ってはいたから、少しは会社での様子聞き出せると思うんだけどね。
「…俺はこれからもう一度梶浦夫人に会ってみたいんだが」
 そう、遺品をこちらに渡した後の梶浦夫人の様子を確認したい。…殆ど時が経っていない今から連絡も入れずに取って返し訪れたなら、それは向こうにしてみれば予想外の事だろうからな。反応を見るにはちょうどいい。
 朔夜に続けて章人はそう申し出る。それを聞き、由乃もすかさず章人に同行を申し出た。…あの夫人の前に章人を一人で放り出す事に危惧を覚えたか。
 殆ど同時に出された二つの提案に、柚月は考える。朔夜の言うリサーチも必要だ。けれど今の何処かちぐはぐな違和感を払拭するには章人の提案もやってみる価値はある――彼が今回の話を聞いた時点で初めに言っていた事が今になって頭の何処かに引っかかっている。
 結局、一同は編集長にこの場でのベースの役割は任せ、プロフィール内生存者&亡夫の会社(の受付嬢)に直接話を聞いてみる朔夜・柚月組と夫人の元に再び赴く章人・由乃・三下組の二手に分かれて動く事にした。



 …人当たりの良い初老の男性。
 それが朔夜・ラインフォードと神城柚月が上杉聖治と会ってみての印象だった。細々と自然食品を販売している自営業者で、殺される――狙われるような理由は何処にも無さそうな。
 何でもないありきたりなそんな貌を見せている時点で、その内実をデータの上だけでとは言え知っている以上――二人には彼の凄まじいまでの老獪さが見えた気がした。
 実際、神城柚月がアトラスのライター見習いと言う以上に自分の立場を明かした上で協力を――話を求めても、おいそれとは乗って来なかった事実がある。
 上杉聖治は自らの裏の貌まで明かす事はせず、あくまで表の貌のままのらりくらりと――それでも柚月の事を信用していない訳でもなかったのか、柚月と朔夜の訊いた事――まぁ訊いていたのは殆ど柚月だけだったのだが――に答えはした。…あくまで、裏の貌に直接触らない程度での話だが。
 梶浦祐作、そして江波瑠維、坂城辰比古、佐保菖蒲、神前啓次、米沢千晴、拝島義、春野優二郎と言う人物に心当たりはないか。名前だけを問うのではなく、写真も持参して見せる事をした。
 無言のまま知らないと頭を振られる。どのような方々なのでしょうかと逆に問うて来る。直に相対しての上杉聖治の様子から、駆け引きを考える事をせず柚月は明かす事をした。梶浦祐作の夫人の元に呪物のレプリカが遺品として残されていた事、一緒に残されていた、写真とその人物を調べていた痕跡。その調べた結果が記されていた書類、そこにあった名前が、貴方のものと、江波瑠維以下七名のもの。内、貴方と江波瑠維以外は全員心不全で死亡している事。
 敢えて明かしたのは警告の意味も含めてだった。
 上杉聖治は特に目立った反応を見せない。
 ただ、頷いた。…警告は受け取ったとでも言うように。
 それで、柚月は自分を殺そうとする者に心当たりはあるかどうかも訊いてみる。
 僅か、目を細められた。
 …居る。柚月はそう判断する。そして上杉聖治の方でもそう知らせる為にその程度の仕草をしてみたようにも見えた。…何があろうと、防御は、己で。そう決めている態度にも見えた。…ならば小娘が立ち入る余地はないだろう。柚月の方でもそう察して追及はしない。
 …彼の素性ならば『虚無の境界』と言う組織に心当たりがない、と言う事はないと思う。けれど裏の貌を表に出そうとしない以上、その辺りの事をはっきり認めはしないだろうとも思うので――『虚無の境界』と言う言葉についてどう思いますかとだけ訊いてみる。
 と、それを君たちが訊くのかねと返された。上杉聖治は自分の裏の貌を調べられているのはわかっている。そして裏の貌は――柚月の所属する時空管理維持局の立場から見て、中立もしくは協力側の態度を取っているとされる組織の人間。となれば同時に、虚無の境界とも友好関係がある訳はない。いや同じ平行世界内に存在する以上、柚月のような立場の者より上杉聖治の所属する組織の方が、虚無の境界とは明確に敵対している可能性の方が高い。
 最後の返答はその証。それっきり上杉聖治は話を切り上げる。
 態度からして、先程名前を挙げた人物を知らないと頭を振ったのも嘘ではなさそうだ。
 置いて行かれた柚月と朔夜は次の行動に移る。生存しているもう一人の方――ではなく、ひとまず約束した時間を考えて、梶浦祐作が勤めていた会社の受付嬢の方に行く事にした。
 今上杉聖治と話をするのは殆ど柚月に任せていたが、今度は朔夜の方が乗り気である。



 …もう、調査の結果が出たんですか。
 梶浦家に辿り着き、章人がインターフォンでアトラスの者ですがと言った時点で少し間を置いてそう返答が返って来る。梶浦夫人、真理絵の声。やはり御主人の事などもう少し奥さんの口から詳しく御話を伺いたいと思いまして。そう続けると、また少し間を置いてから玄関へと通された。
 アトラス側の面子は梶浦家を辞する前に梶浦祐作個人の話は継続調査の為ある程度聞いている。人物像、写真、死の状況、勤務先。同僚、友人等思い当たる付き合いがあった相手。一通りの情報は知らされている。
 …その情報で必要な事は調べられるのだと納得して、アトラスの一行は梶浦家を辞した筈だった。
 なのに、殆ど取って返してきたくらいの時間で先程訪れたアトラス一行の内、北條章人と成門由乃、三下忠雄の三人が再び訪れている。
 何か足りない事がありましたか。梶浦真理絵の科白が返る。
 そこで、伺いたい事を一つ忘れていました、と章人もまたすぐに返した。
 なんでしょう。
 伺いたい事とは。
 真理絵はこちらの様子を伺うように返してくる。
 と。
 即座に章人は切り返した。
「その反応です」
 今我々が訪れて、の。
「…え?」
「我々の行動はそんなに不審に見えますか。呪物以外の件を継続調査、となればまた何か別の事を確認に来る可能性は考えませんでしたか」
「それは…」
「何故今貴方は我々を警戒しているんですか」
「…そんな、私は」
「警戒していないとは言わせませんよ。それとも警戒しているのは話す相手が先程の神城やラインフォードではなく俺だからですか。俺相手では警戒の必要があると言う事ですか。…ならば話の続きはこちらの成門に任せますが? こちらはそれでも構いませんが」
 それとも何か、今の貴方には我々を警戒する理由ができたと言う事ですか。
 貴方が求めた通りアトラスから赴き調査を請け負い、遺品の処分まで請け負った我々に対しての警戒を。
 …どうなんでしょう、奥さん。



■虚無の影/最終報告

 先程約束していた受付嬢との対面は、殆ど朔夜がリードして和気藹々と始まり、終了した。
 …梶浦祐作が勤めていた先である会社の受付嬢との話。会社自体の話から梶浦祐作の素行まで、さりげなくも鋭く朔夜があっさり聞き出している。…会社自体に特に気になる点は見当たらず、梶浦祐作と言う人物についても殆ど気になる事は無かったらしい。ただ、梶浦氏に関しては気にならないのはあくまで『殆ど』で、一つだけどうしても気になる事があったと言う――そもそもその事があった為に、その受付嬢は梶浦祐作と言う人物を覚えていたらしいのだから。
 曰く、梶浦氏は営業担当だったと言うのに地方の出なのか時々妙な訛りが出る事があったらしく、偶然その訛った話し方を聞いてしまった受付嬢はその事で梶浦祐作と話す機会を得、結果として彼の事を記憶に残す事になった…と言う経緯があったらしい。
 受付嬢が聞いたと言う、梶浦氏が気を抜いた時に出てしまったらしいその訛りは、柚月の話すような大阪弁どころではなく標準語とは随分掛け離れた派手な訛り方で、聞いていて少し驚いたくらいだったとか。それで受付嬢は軽口混じりで出身何処ですかと直接訊く事までしたのだが、梶浦氏の方からも軽口めかして内緒と躱されてしまったのだとも言う。…即ち、何処の訛りだかはよくわからないまま。

 そんな事を聞いて来てから、朔夜と柚月は今度は江波瑠維に対面している。
 江波瑠維が持つ表の貌は、服飾関係の専門学校に通う傍ら雑貨屋でアルバイトをしている十九歳女性。が、上杉聖治とは逆に、朔夜と柚月に対して自分の裏の貌――退魔系の一族である事を隠してくるようなところはない。…信じる者は信じるし信じない者は戯言と受け取るから何も支障は起きない。江波瑠維は堂々とそう言ってのける。
「…で、この人たちに心当たりがあるかって話よね?」
 上杉聖治、坂城辰比古、佐保菖蒲、神前啓次、米沢千晴、拝島義、春野優二郎。
「うん。江波サンも一緒に調べられてた訳だからさ。色々危なそうでしょ?」
 どうかな? 心当たりありそう?
「そうね…命を狙われる心当たりってだけなら幾らでもあるけどね。…私以外に調べられていた人物の心当たりって言われるとね…家の仕事の時に米沢千晴の顔をちらっと見た事があったくらいで、それ以上の覚えは無いわね。心当たりと言ってもそれくらい。…梶浦祐作って人とも面識は無いし、名前も聞いた事は無い」
 …それに、遺されてた呪物自体はレプリカだったんでしょ?
「そうだけどどーもこの調べられてる人たちに蠱毒か何かが掛けられてる疑いだけは濃くなっちゃって」
 レプリカの筈の呪物が本物だったと仮定して、その効果としてなら…しっくりくるような感じで。
「変な話ね?」
「…ま、な。今んとこ確かめられてる傍証見る限りやっぱり偶然て事なんやろけど…ただ偶然で片付けるにはどうにも気持ち悪うてね」
 それで調べとるんや。
「蠱毒か。…虚無の境界と関係が疑われる巫蠱使い、ってだけなら心当たりが無くも無いけど」
「そうなの?」
「…でも多分この件とは関係無いと思うわよ」
 だって、まず場所が遠いからね。
 それでもいいなら――何かの役に立ちそうだって言うなら教えとくけど。
 そう前置いて江波瑠維が教えて来たのが、中国雲南省にあるらしいとある素封家な旧家の話。家の名は楊。放蠱と呼ばれる呪術師の一族になるらしい。数年前から虚無の境界の影が見え隠れしている、要注意の一族との事。…彼女の方で蠱毒と聞いて思い当たるのはそこくらいなのだと言う。曰く彼女の一族の分家に当たる家の一つがその楊家の近くに本拠を置いている為、その関係で話を耳にしていたらしい。
「…ホンマになんか関係なさそやな」
「…そうだねぇ」
 柚月も朔夜も江波瑠維の意見に同意する。…確かに、今話している件とは直接繋がりそうに無い。間接的に繋がって来る事になるかどうかは、わからない。一応教えてもらった事、頭の隅にはその情報を置いておく。
 それだけの情報を得たところで、柚月と朔夜は江波瑠維とは別れる事にした。…別れ際に気を付けて下さいねと声を掛けたら、有難う、でも言われるまでもないわと不敵にして自信に満ちた返事が返って来る。

 …江波瑠維が去るのを見送ったところで、柚月と朔夜はさて、と顔を見合わせた。
「プロフィールに残されてた人たちと梶浦氏の間に関係らしい関係はない、か」
 退魔系の一族の人が同じような仕事してる人の顔をちらっと見た程度だけ知ってる言うのは…それこそ偶然、でええやろからね。
「会社の方もその筋の人たちの隠れ蓑、って訳じゃなさそーだったしねぇ」
 余程巧妙に隠してるってんならわかんないけど。
「会社か。…そういや梶浦の御主人訛りあった、て言うとったねあの受付嬢やっとる姉さん。敢えて私らに言うくらい気に懸かるなら余程やった、て事やろけど…出身も確かめた方が良いかね?」
「賛成。例えば祐作サンの実家とかがそっち関係の仕事してたって事あるかもしれないし。…ってちょっと待った。まさかとァ思うけど…」
「…朔夜さんも思た?」
 先程、江波瑠維から提供された情報――楊と言う放蠱の一族。
 そこが、梶浦祐作の実家ではないか、と。
「…地方訛りどころか外国語訛りだったらそりゃ日本語標準語とは派手に違うやろしな」
「話飛び過ぎ、って気はするけど…『実際に調べられてた中に居る江波サン』の心当たりが…ソコだけって事なんだよね」
 でも、名前が梶浦祐作って普通に日本人。
「…名前はな。でもその辺は蛇の道は蛇。…ちぃと裏に回れば他人の戸籍買うなり何なりして誤魔化しようは幾らでもある…。…まぁ念の為その辺確かめとくか。梶浦の御主人が楊家の人やったのかどうか。…まぁ、百歩譲ってもしそうやったとしても…憑き物系の家ってまず女系やろ、男は重視されとらんし実際に力も無い事が多いから梶浦の御主人が直接どうこう言うんは…」
 と。
 そこまで言ったところで柚月は不意に口を閉じる。
 少し置き、まさかな、と口の中で呟いた。
 梶浦祐作。
 実家が放蠱の一族である可能性。
 蟲。
 女系。
 ………………今、『梶浦夫人』だけが居る梶浦家には、章人に由乃に三下が訪れている筈だ。
「――神城サン」
 朔夜の呼び掛けに柚月は即座に頷いた。
「急ぐで」

 梶浦家へ。



 二十歳前後の三人組が道を歩いている。一人は女性、二人は男性。男性はどちらも眼鏡を掛けている――但しその印象は随分と違う。片方は目許涼しげな美形で、片方はど近眼なのか眼鏡があまりに分厚くて素顔が殆ど判別できない。そしてそのど近眼らしい方の男性は会社員らしいスーツを着ている――と言うかスーツに着られている。スーツを着用している以外の男女二人は自由業風――と言うよりまだ大学生か。そんな雰囲気を持っている。
 女性は成門由乃、男性は北條章人と三下忠雄。
 彼等は黙々と道を歩いている。誰も口を開かない。
 と、そこに二人、これまた同年代らしい男女が駆けて来た。現れた二人――神城柚月と朔夜・ラインフォードの様子にその道を歩いていた――梶浦家からアトラスへ戻ろうとしていた三人は何事か起きたのかと思う。
 二人は三人の姿を見付けた途端に安堵したようだった。目の前まで駆け付けると、息を切らしつつ足を止める。
「…無事やね」
「何かあったのか?」
「それよりまずは二人とも息落ち着かせて。…大丈夫?」
「それはこっちの科白。梶浦サンちに行って何か変な事無かった?」
「ってほ、殆ど門前払いされたような感じですよ…玄関口には入れてもらえましたけどすぐ追い出されちゃいましたし…北條さん、いきなりあんな喧嘩売るような言い方するんですもん…」
「そうだよ。幾ら北條くんでもいきなりああ切り込むとは思わなかった」
「…俺は元々ああするつもりで行ったんだが」
「はぁ!? 何で!?」
「梶浦夫人の反応を見る為にもう一度行きたいと言ったろう。これで彼女がどう出るか。次の動きを見定めたいと思ってな。…編集長の元に苦情が行く、もしくは以降こちらからのコンタクトを拒否もしくは無視するようならまぁ白だろう。それ以外の反応があれば、俺があの場で言った事に彼女の側でも何かしらの心当たりがある事になる。もし完全に的を得ていたとすれば俺たちを確実に敵視する。何か仕掛けて来るだろう」
「っ…北條さん何でそんな怖い事するんですかああああ」
「三下さん。怖いと思うのは何故です? 何故あの夫人を怒らせる事が怖いと?」
「っ…そ、それは…」
「怖いと言うのなら三下さんには俺の言った通りではと言う意識があるのではないですか? 梶浦夫人が我々を敵視する可能性が一番高いと」
「…無謀やで北條さん」
「となると。神城から見ても俺のした行動が無謀と思うような事実が何か出て来たか?」
「まだ推測の域出ない上に、よう纏まっとらんけどな…――」
 と。
 柚月が江波瑠維から聞いた事、そこからの推測を章人に話し始めようとしたそこで――呻き声と人が倒れるような異音が聞こえた。遠くない。近く。三人が来た方、その背後の方向。少し進んで横に入った道。皆はそちらを振り返る――振り返るなりすぐさま異音の源を目指し駆け出す柚月。置いてかないで下さいよっと、と軽口叩きつつすかさずそれを追う朔夜。章人もその後を追う――由乃もそれに続いた。最後、待って一人にしないでと三下もその後を追う。

 …三下が四人に追い着いた時、着いたそこには人が一人佇んでいた。
 その足許には、人が一人倒れている。
 佇んでいる人は片手に何かぬめぬめと気味が悪く蠢くものを無造作に掴んで持っている。
 その足許に倒れている人は、五人にしてみればつい先程見たばかりの――見覚えのある服装をしている。
 佇んでいる人は良く見れば場違いなくらいの美貌を持つ、ラフな風体をしたアジア系の男性で。
 力無く倒れている人は――依頼人の、女性。
 佇んでいる人は、それまでは倒れている人――梶浦真理絵を見下ろしていたようだったが、その場に駆け付けて来た五人を振り返ると、まるで無防備にきょとんとしている。
「…おや皆さんお揃いで」
 言いながら、何も気負わず当然のように、無造作に持っていた『ぬめぬめと気味が悪く蠢くもの』をそのままぐちゃりと握り潰している。…その場に現れた五人に見せ付ける為にそうした――ようにも見えた。腐った肉のような、生物の内臓のようなものが路面に落ちる。落ちてもそれらはまだ命あるようにびくびくとのたうつ。路面を汚す。
 それから、佇んでいるその男は五人に向けてにやりと笑って見せた。
 と。
 そこで――えええええええ! と奇声が上がった。
 ぎょっとして皆がその奇声の源――三下を見る。三下は佇んでいた男を無遠慮に指差し大声を上げている。が、その大声に驚きもせず、佇んでいたアジア系のその男は三下に対して、や、と軽く挨拶まで投げている。
「…三下のにーさんいつ会っても変わらないねぇ」
「って。あの、だって、え、何でいきなり湖藍灰さんがここに、えと、ど、どうして梶浦の奥さん倒れて…なんでっ…!!!」
「まあまあ落ち着き給え若人よ。お連れの皆さんはこんなに落ち着いてるよん?」
 と、三下に湖藍灰さんと呼ばれた男は、そんな風ににこやかに三下を宥めて来る。三下の反応からしても、お互い知っている同士としか思えない。
 …何故かそこに倒れている梶浦夫人に、その傍らで佇んでいた一人の男。
 その男は何か気味の悪い生き物――知っている者が見るならばまるで左道の呪術を行使した結果現れる使い魔の蟲そのもの――のようなものを片手で握り潰して見せさえした。
 状況から見て、その男が梶浦夫人の意識を奪った――ように見える。
 もしくは、その男が握り潰した蟲が、か。
「…何者や」
 いやそれより――何をした。
 柚月の鋭いその声に、訊かれた当人より先にしどろもどろで三下が説明しようと試みる。が、案の定と言うか何と言うか、どもりまくって要領を得ない。
 代わりのように、朔夜がぽつりと口を挟んだ。
「えーとこの場合は…虚無の境界の人って言うべきかなぁ?」
「ええええええやっぱりそうなるんですかああ!!!」
「…って三下サンも知ってる事じゃん」
「それはそうも聞いてますけどそうじゃなくって僕が知ってるのはあああ!!!」
 と。
 朔夜の科白を聞いてまた絶叫する三下に、待て待て待てと他の面子から制止が入る。
「どういう事や!? 三下さんに朔夜さんはこの男と面識あるんか!?」
「それだけじゃない、ラインフォード、お前は今この男が虚無の境界の人だと言ったな!?」
「て言うかそもそも倒れてるの梶浦さんの奥さんだよね!?」
 と、由乃が倒れている梶浦真理絵に慌てて駆け寄り傍らに屈み込む。他を構わず容態を確かめる――外傷は見えないが、呼吸も脈も無い。どうやら絶命している。
「!」
 弾かれるようにアジア系の男――湖藍灰を見た。
「――殺した…の?」
 湖藍灰は肩を竦めた。それだけで、由乃にそれ以上の返答をしようとはしない。
 柚月と章人の方を見る。
「そちらさんの方にまでは行かなかったみたいだな。よし」
「…蟲が、か?」
 先程、握り潰していた、あの。
「まーそう。これ以上予定外の厄介が広がったら色々面倒臭いからね?」
 そちらにまで影響が行く前に蟲は潰せたみたいだし。
 勘違いしたおねーさんも処分できたって事で。
 と、そこまで湖藍灰が話したところで――朔夜がはいと片手を小さく挙げてみる。
 質問。
「…どゆ事?」
「んー、いやね。うちの組織はいつもの如く何処かで誰かがテロ実行中な訳なんだけどさ。今回の場合は幾つかの組織の要人暗殺企んでて、実際に途中までは企んだ通り実行できてんだよね。でも最近そのターゲットの情報が漏れてるんじゃないかって疑惑が出てきて、俺たちはその辺の事調べてた訳。…そしたらどーも梶浦真理絵の名前が挙がった。何故か最近になって全然連絡が来なくなってね」
 それで、少し様子見てた訳。
「…真理絵サン虚無の人だったって事?」
「支援者ってところかな。そうだなぁ…政治家が選挙活動する時って何処からともなくボランティアの人とか来るじゃない。そのボランティアの人みたいな感じかな」
「…」
 まぁとにかくね、そうやって様子見てたら朔夜くんとか三下さんとか…梶浦真理絵の元にアトラスから人が…君たちが来た。
 で、真理絵はどうやら人質として預ってた楊徳が――いや君たちには梶浦祐作って言った方がわかるかな――死んだ事で泡食っちゃって、虚無の境界からの制裁を受けるくらいならアトラスに全部ぶちまけてやれ、って考えたっぽいんだよね。
 …そこで泡食う必要なんかなかったのに。元々楊徳は――伝統的に放蠱楊一族の男は術法用防衛術…『術が返る生贄』に設定されてるものだったんだから。急に死んだとしても真理絵のせいじゃないのは組織はわかってる。でもその辺勘違いしちゃったみたいでね。
 人質死なせた事で組織から酷い制裁受けるって思い込んじゃってたみたいでさあ。
 そんな事無かったのに。
 むしろそこでこっちと連絡断っちゃったら、自分自身の方が危ない事になるのにねぇ。
「危ない事って…ど、どういう事ですか?」
「『彼女は楊徳とずっと暮らしてた』んだよ。楊徳には自分が人質だって自覚させないように気を遣って――外敵から守る為に日本人として隠れさせたって思わせていたからね、結果として真理絵とは本当に結婚してるも同然だった訳でさ。ずっと傍に居たって事になるんだよ」
 だから、楊徳が死んだ今…真理絵には『楊徳の役割が伝染』してる可能性がある、って事。
「…放蠱楊一族の術師が何か術を使ったとすれば、その報いが梶浦真理絵を襲う可能性があると言う事か」
「イエス。真理絵はあくまで虚無の境界の支援者で、普通の人。だからもしその可能性が現実になったら、自分だけじゃひとたまりもない」
「…そうなる事を期待して、放蠱の術師に術を遣わせたか?」
「どうしてそう思う?」
「その梶浦祐作が――楊徳と言うのが本名のようだな――とにかくその男が虚無の境界が取った人質だったと言う事は、そいつを人質とする事で虚無の境界は何を求める? …まず思い付くのは放蠱の術師」
「妥当だね。それから?」
「…その放蠱の術師が要人暗殺の実行犯、て事なんやろ」
 影響はとても薄かった。でも遺品にあった資料の中の写真から――蠱毒らしい痕跡は見えた。
 遺品の呪物はレプリカやったのに。
 ならその本物の方の蠱毒は何処から来た。何処か別のところ。今の話の流れで言うなら、蟲を使うのは楊の家しか出てこない。人質。人質を取られて動くとなれば、楊の家の何者か。そう考えれば、楊の家の術師――巫蠱使いその人と言う答えが導き出される。
 湖藍灰は、まぁね、とあっさり肯定した。

 …つまり、こういう事であるらしい。
 梶浦祐作――楊徳は放蠱楊一族の巫蠱使いの力を利用する為の人質として虚無の境界に取られ、虚無の境界の支援者である梶浦真理絵に預けられていた。
 そんな中、梶浦祐作が亡くなる。それはどうやら放蠱楊一族の術の返り場所とされているからであって、真理絵に過失がある訳ではなかったらしい。
 けれどそれで、真理絵は人質を死なせてしまった事自体に怯えてしまった。虚無の境界からの制裁を恐れ、雑誌として露出があった為に、救ってくれそうな場所として既知だったアトラスを頼る事を考えた。
 …アトラスに接触する為に、真理絵は主人の遺品が、と依頼の発端になる話を――『手土産』を絡めて創作する事をした。
 呪物のレプリカは、この件に纏わる術が蠱毒であると言う告発の為に真理絵が作った。
 けれどいざと言う段になると虚無の境界に対する恐れが強過ぎ、アトラスから訪れた者にとは言え直接訴える事は躊躇ってしまった。
 呪物の処分をとの申し出を快諾したのは、直には言えないが、調べる事でわかって欲しいとの一抹の希望。
 戻ってきた三人に――特に章人の挑発に動揺したのは、自分が支援者程度とは言え虚無の境界に関わっていたと言う事実から。助けて欲しいという気持ちと虚無に協力していたと知られたら、との恐れを両方抱いてしまっていたから。
 だから、三人を追い出して――けれど、追い出したその後に、やはり三人を追い掛ける事を決め。
 …そして。
 今に至る。

「ところでさ、何でそんな事俺たちに教えてくれるの?」
 その時点で裏切りぽくない?
 素朴な疑問。
 朔夜は湖藍灰に訊いてみる。
「…いや今回の要人暗殺の件は色々予定外な事が起き過ぎたせいで仕切り直す必要あるから、今朔夜くんたちにバラしても組織の活動としてはあんまり支障ないのね。それに裏切りとか関係無いし。俺は好きなよーに行動してるだけに過ぎないから」
 それにね、アトラスの存在は実は虚無の境界にとって邪魔でもなかったりする。
「そりゃ編集部に行って編集部員や集う方々の基本思想見れば虚無の境界とは敵対の方向だけど、マスコミ機関であり取り扱いが怪奇雑誌と言う時点でどうしたって宿命的に虚無の境界から見ても役に立つんだよ」
 …オカルト知識の啓蒙活動としてね。
 与太話だけじゃなくて真面目にやってくれるのならば、余計に。
 と。
 湖藍灰がそこまで言ったところで。
 また別の声がした。
「報道は受け取りようだ。受け取り方が傾くのはいつでもほんの些細で僅かな理由による」
 新たな人影。
 白いロングコートを羽織った、淡い青色の、収まりの悪い短髪の。
 現れたその人影を、湖藍灰は当然のように迎え、話の続きを任せて自分は少し下がりさえする。
 白いロングコートの男もまた当然のように前に出た。
 その間、話を止める事はしない。
 五人から向けられる意識が白いロングコートの男に移る。
 白いロングコートの男は気にも留めない。
 話を続ける。
「…特に怪奇雑誌に載るような情報となればな。どう記事を飾ろうと、虚無に転ぶ思想は幾らでもある――いや、殆どの場合でそうであると言ってもいいかもしれないな」
 …そう、突き詰めれば肉体を物質を『苦しみ』や『悪の源』と関連付ける神秘思想の何と多い事か? そしてそんな神秘思想を下敷きとした哲学や宗教に魔術もな。…オカルトと呼ばれるものはそういった考え方とよく馴染む。
 苦しみに満ちた肉体に囚われた精神を魂を開放し高める事。
 それが究極の目標だと歌うものは表の道でも少なくあるまい。
 …それは我らの目的と何が違う?
 それ全て我ら虚無の境界に傾く可能性が、覆しようのない根底に在る思想でしか有り得ない。
 人は須らく死に向かって歩くもの。
 滅びへの道は一つとは限らない。
 そこまで話すと、白いロングコートの男はふと章人を見る。
「さしずめお前のような者なら…いずれ虚無の神に帰依を望む事もありそうだ」
 同志となる日を待とう、青年よ。
「――…そんな日が来る訳がなかろう。犯罪者」
 と、章人はすかさず切り返す。その科白を受け、白いロングコートの男から喉を鳴らすような笑い声が響く。
「それは否定できないな。確かに我々虚無の境界の活動は現行の法には触れている」
 だがまぁ、その法そのものがいつまで保つかと言うのはあるが。
 我らが立てば法は変わる。
 法が変われば犯罪ではなくなる。
「定められた手順を踏まず法を変える事も犯罪だが?」
 虚無の境界が、定められた手順など踏む筈がなかろう?
 そんな事もわからないとは、虚無の境界とやらも底が知れるな。
「はは。言ってくれるね。…犯罪者は嫌いかな?」
「当然だろう。…特にお前のような神秘の世界を曲解しわざわざ悪用しようと言う輩は不倶戴天だな。神秘の世界を識る者が全て虚無に堕ちる訳がない。それは遠い過去から今に至るまでの世界中で既に証明されている事だ。虚無から逃れる為にこそ人は思考する。哲学や宗教を必要と考える。人は滅ばぬ為にこそ神秘の世界を求めるものだ」
「小気味良い。…ならばいずれ、敵としてまみえる日を待っている」
 それもまた滅びに向かう為の一つの道標。
 我らの道の邪魔にはならない。
 そう続け、白いロングコートの男はこちらもまた自分を真っ直ぐ睨み付けている柚月を見る。
 それを認めてから、柚月は口を開いた。
「…御託はどうでもええけど、何にしろ少なくとも目の前の人死にを見過ごせる訳はないわな」
 湖藍灰言うそっちの人だけでなく、貴方にも事情を訊いた方がよさそうや。…詳しく知ってそうやからな。
 と。
「何の話?」
 涼しい顔で湖藍灰。
「勿論梶浦真理絵の事や。そこに倒れて――っ…」
 居ない。
 そこに倒れていた筈の梶浦真理絵の姿が無い――湖藍灰が握り潰した蟲の残骸も。
 一同は目を見開く。
 特に梶浦真理絵が倒れていた場所のすぐ近くに屈んで――その死を確認さえしていた筈の由乃は、驚愕した。
「――っ!?」
「あれ?」
「貴方たち…っ」
 何をした――いつの間に隠した!?
 声にならない叫びが向けられる。
 その思いがわからない訳もないだろうに、湖藍灰はゆったりと頭を振った。
 ゆっくりしたその仕草を見せ付け、由乃や柚月に言い聞かせるように。
「…いやいや。きっと夢でも見たんだよ」
「だな。…蠱毒に殺人疑惑に虚無の境界…神経を使う調査を続けて疲れているのだろう」
 早く帰ってゆっくり休むといい。
 …そう、世界の全てに安息を。
 と、白いロングコートの男は湖藍灰に同意しつつ、最後に彼らの常套句らしいその修辞だけ残して口許だけで静かに笑むと、踵を返し何でもないようにその場から去って行く。
 じゃあねとばかりに五人に向け軽く手を振りつつ、湖藍灰もその後をすぐ追いかけた。

 …アトラスから来た五人だけが、その場に残される。
 こちらは、彼ら二人を追う事はない――追わないのではなく、追えない。…『理由』が跡形もなく消されてしまった以上、追及する材料がない。
 いきなり白いロングコートの男が現れ何やら御託を並べ立てていたのは、五人の前からその『理由』を消す隙を作る為だったのか。…今思えばそんな気さえする。
 そのままで暫くして、柚月がぽつりと呟いた。
「何なんや、あの男…」
 もう一人の方もそうだが、特に、白いロングコートの男。
 纏う色は異様だったが、纏う空気には――違う意味で、途惑った。
 自分をアトラスへ紹介した紹介元になる興信所の主――草間武彦かと瞬間的に疑ってしまった。
 それ程の、空気の――印象の相似。
 顔立ちそのものは全然似ていないのだが。
 それでも、疑いたくなるような。
 何か、関係のある人物か。
 考えてみる。
 …いやきっと、偶然やろ。
 そう思う。
 …そう思いたい。



 それから。
 結局、梶浦真理絵は戻って来ていない。生死もわからないまま――死んでいた事はまず間違いないのだが死体が何処にもないのでは証明のしようがない――彼女が『居なくなった』と言う事実だけが残り、彼女からの依頼を調査する意味からして無くなってしまった。
 複数の不審死が絡もうと、虚無の境界の関係者が実際に絡んでいようと、それで今すぐ手を出せる事柄は何もない。むしろ今ある情報だけを頼りに闇雲に追及してしまっては、却って自分たちを――その周囲を危険に晒してしまい兼ねない状況になっている。…却って藪を突付いて蛇を出すような。全く別の新たな事件を呼んでしまう事になるような。そして逆に放っておくなら――話しても支障がない、仕切り直すからと言う湖藍灰の科白を信じるなら――直接繋がる事件はもう起きないと思われる。
 湖藍灰と言う、平気でこの編集部を訪れる事もある者――三下や朔夜が彼を知っていた理由はそれ故なのだ――が関わっていた以上、いつか今回の件の詳細を訊く機会は訪れるかもしれない。が、少なくとも今は――今回の依頼に絡む事は、ただ謎のままで置くしかなくなっている。

 ………………ただ、調べられていた中の生存者、上杉聖治と江波瑠維の二人は相変わらず健在であると言う事だけは、今回の出来事絡みでは唯一の救いになるのかもしれない。

【了】



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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■7305/神城・柚月(かみしろ・ゆづき)
 女/18歳/時空管理維持局本局課長/超常物理魔導師

 ■3599/北條・章人(ほうじょう・ゆきひと)
 男/20歳/大学生(報道部長)

 ■3600/成門・由乃(なると・よしの)
 女/20歳/大学生(報道部カメラマン)

 ■2109/朔夜・ラインフォード(さくや・-)
 男/19歳/大学生・雑誌モデル

 ※表記は発注の順番になってます

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 …以下、登場NPC(□→公式/■→手前)

 ■梶浦・真理絵/依頼人である未亡人
 ■梶浦・祐作(楊・徳)/依頼人の亡夫

 ■上杉・聖治/遺された写真に写っていた人(存命)
 ■江波・瑠維/〃
 ■坂城・辰比古/遺された写真に写っていた人(死亡)
 ■佐保・菖蒲/〃
 ■神前・啓次/〃
 ■米沢・千晴/〃
 ■拝島・義/〃
 ■春野・優二郎/〃
 
 □碇・麗香/オープニングより登場。
 □三下・忠雄/『月刊アトラス編集部員としての顔』だけを必要とされて調査に同行。

 ■鬼・湖藍灰/虚無の境界構成員…?(登録NPC)
 ■白いロングコートの男(天藍)/虚無の境界構成員…?(登録NPC)

 □草間・武彦/名前のみ登場

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          ライター通信
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 この度は発注有難う御座いました。
 神城柚月様、北條章人様、成門由乃様には初めまして(とは言え御三方ともPL様はいつも御世話になっておりますな方のような気がしてならないのですが)
 朔夜・ラインフォード様にはいつもお世話になっております。
 …そして朔夜様もですが特に初めましての御三方、PC様の性格・口調・行動・人称等で違和感やこれは有り得ない等の引っ掛かりがあるようでしたら、出来る限り善処しますのでお気軽にリテイクお声掛け下さい。…他にも何かありましたら。些細な点でも御遠慮なく。

 内容の話です。
 今回の話は…実は私の頭の中の状況と皆様のプレイングのちょっとした加減で、結末が…依頼人の亡夫や写真・プロフィールに残されていた人物が何者だったのかの真相がころっと変わっていたりします。よって、同タイトルのノベルでも同時参加になっている方以外のノベルの場合、話の展開が全然違う事になってたりします。
 そんな訳で今回のノベルの真相は、ちょっと変則的に旦那どころか未亡人の方まで虚無の境界と絡んで来るような路線(?)になりました。そして何故か現れた虚無の境界関係者なNPCがPC様に対して妙にフレンドリーと言う…ある意味物凄く性質の悪い展開でもあります…。
 ついでに何だか長引いてしまいました…いつもの事と言えばいつもの事なんですが。特に神城柚月様にはお渡しまでお待たせしてしまっております。お渡しが納期翌日になると思いますから…(謝)

 北條章人様の御指摘や、朔夜・ラインフォード様に亡夫の実家まで言及された事から何故かそんな方向に転んだような気がします。それから全体的には編集長さて置きオールマイティな神城柚月様に皆様を纏めて頂いたような感じで、成門由乃様は北條章人様のセーブ&フォロー役(?)兼巻き込まれましたな感じで行ってみました。
 それから朔夜・ラインフォード様の御懸念についてですが。当方、発注頂いた事のある…と言うかシチュノベ等の同意された方のPC様も含め、受注の上描写した事のあるPC様についてはまず忘れておりません。と言うか忘れるどころか実は今回シナリオの場合、以前お渡しした某アイテムの効果などひっそりと微妙にですが発揮されてたりもしまして。
 そんな訳で当方ゲーム内での状況は基本的に大して変化ありませんので御安心を。ひとまずはおかえりなさいませと言う事で。

 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。
 では、また機会がありましたらその時は。

 深海残月 拝