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<東京怪談ノベル(シングル)>


   花が咲くまで

「あ、雪……」
 はぁ、と白い息を手にはきかけ、優名は空を見上げた。
 校舎と寒々しく木の葉を落とした木々の間をちらちらと舞いながら、白い雪が校庭に舞い降りてくる。 
「二月は雪消月ともいうのに、消えるどころか降ってくるなんて……何だか、不思議だなぁ」
「降っちゃダメなの?」
 ベンチに座ってまどろんでいると、不意に声をかけられる。
 隣を見ると、いつの間にか小さな女の子が隣に座っていた。
 白い肌に赤い目をした、可愛らしい顔立ちの少女だった。
 制服を着ていないけど、どこの子だろう。と、優名は小さく首を傾げる。
「ねぇ、降っちゃダメなの?」
 5歳ほどの少女は、小さな手で優名の制服をつかみ、ぐいぐいと引っ張る。
「ううん。あたしは、雪って好きよ。幻想的な感じで綺麗だもの」
 優名が答えると、少女はにこぉっと満面の笑みを浮かべた。
 地面に届かない足をぷらぷらさせている。
「あなたも好きなの?」
「ん〜とね、よくわかんない。でも、降ってくれると助かるな」
 えへへ、と嬉しそうに笑う少女に、優名は微笑みと共に小さく首を傾げる。そして無言のまま、天上を見上げた。
 どんよりと曇った空。音もなく、舞い落ちる白いわたぼうし。
「……もうすぐ、冬も終わりだもんね。そう思うと、少し寂しい気がするな……」
「そう思う?」
 優名の言葉に、少女はパッと笑顔を見せる。
「わたしね、冬が好きなの。でも、みんな言うでしょ。雪が解けたら、春になるって。春になれば、花が咲くんだって。春が来るのを待ってるでしょ」
 確かに、そうなのかもしれない。
 雪景色は綺麗だけど、寒くて生き物の気配が薄い冬を嫌う人は少なくないだろうと優名は思った。
「――そういえば、ギリシャ神話では冬って、大地の女神が嘆き哀しんでるかららしいわね」
「そうなの? どうして?」
「えっとね、確か……デメテルっていう大地の女神にペルセポネっていうとても綺麗な娘がいたの。その子をとても可愛がっていたんだけど、ハデスっていう冥界の王様に連れていかれてしまったんですって」
「さらわれちゃったの?」
「ええ。それで嘆き哀しんで、作物も植物も枯れてしまうようになったから、ゼウスがぺルセポネを連れ戻すように言ったんだけど、ハデスはようやく得た花嫁を帰したくなくて、冥界の食べ物を与えたの」
「そうしたらどうなるの?」
「帰れなくなっちゃうのよ」
 優名の言葉に、少女はおおげさなほどに驚いた表情をして、ぶるぶると震えた。
「それで、ザクロの実を4つ食べたから、4ヶ月だけは冥界にとどまることになったの。それがこの冬の季節なんだって」
「じゃあ、ママがはなればなれになってさみしいの? それで泣いてるの?」
「一応、ギリシャ神話ではそうみたい」
 すると、少女はぴょんとベンチから降りて立ち上がり、白い空を見上げた。
「そっか……。だから、早く春になってほしいんだね」
 まるで雪に語りかけるように、上を向いたままつぶやく少女。
「ん〜。でも、でもね。その王様も、花嫁さんがすっごく好きだったかもしれないでしょ。それでね、もしかしたら花嫁さんだって、そうだったかもしれないじゃない。そしたらね、逆に冬の間しか一緒にいられないっていうことでしょ?」
 そして必死に考え込むようにして、反論する。
 優名はそれを聞いて、くすっと微笑んだ。
「確かに、そう考えればそうなのかもしれないわね」
「ね。だから、冬はステキなのよ」
 少女もにっこりと笑って振り返る。
「どうして、そんなに冬が好きなの?」
 しかし優名の語りかけに、少し驚いたような表情になる。
「うんと……だって、冬じゃないとダメだもん」
「何がダメなの?」
 尋ねると、困ったように考え込んでしまう。
 ……なんだか、聞かないほうがいいみたいね。
 優名はそう思って、話題を変えようと周囲を見渡した。
「あ……見て。池に氷がはってる」
 指をさすと、少女は興味津々に優名を見あげ、その方向へと駆けていく。
「あっ」
 そしてべしゃっと転んでしまい、優名が手を貸し、起こしてやる。
「足元が凍ってるから……」
 言いながら、少女の身体の冷たさにヒヤリとした。
「ありがとう」
 しかし少女は屈託のない笑みを浮かべ、また駆けていく。
「あ、待って。危ないわよ」
 それを優名は慌てて追いかける。
「それより、大丈夫? 寒くない?」
「うん。平気だよ。寒いの大好きだもん」
 心配そうに尋ねる優名に、少女凍った池を覗き込みながら軽く答える。
「これ、乗っても平気かなぁ」
「ダメよ。薄い氷だもの。水の中に落ちちゃうわよ」
「水の中!」
 少女はぶるぶると震えて、優名のぴったりとしがみついた。
「……ねぇ、そういえばもう夕方だけど、あなた帰らなくても平気なの?」
「うん。お姉ちゃんは?」
「あたしは、敷地内の学生寮に住んでるから……」
「わたしもここに住んでるから」
 何だか、不思議な少女だった。
 意味不明なことを言うが、幼い子供というのはそういうものなのかもしれない。
「じゃあ、もう少しお姉ちゃんと遊ぶ?」
「うん!」
 だけど素直で明るい少女に、優名は好感を覚えた。
「じゃあ、どこに行こうか。遊具がある方に行ってみる?」
「他に誰かいないかなぁ」
 少女はそう言って、きょろきょろと辺りを見渡す。
「いないんじゃないかな。寮の子でも放課後になるとみんな遊びに出るし……でも今日は雪だから、家の中にいる人の方が多いかもね」
「動物とかもいない?」
「動物って、飼育小屋の? それならいるわよ。ウサギさんや鶏さんね」
「ウサギさんいるの? 会いたい!」
 少女はパッと笑顔になり、野ウサギでも探すかのようにきょろきょろと周囲をうかがう。
「こっちよ」
 優名は言って、少女の小さな手をとった。
 とても冷たい、氷のような手だった。
 少女はビクッとしたように、優名の手を振り払う。
「ど……どうしたの?」
「あ、ごめんなさい。お姉ちゃんがあったかいから……あのね、わたし、寒いのが好きだから……」
 驚いた優名に、少女は必死になって弁解する。
 決して悪気はないようだった。
「そっか……びっくりさせちゃったのね。ごめんね」
 穏やかな口調と微笑みに、少女はほっとしたような表情になる。
「じゃあ、案内するから足元には気をつけてね」
「はぁい」
 少女は元気よく手をあげて、優名の後に従った。


「わぁ。アレがウサギ? ウサギさん?」
「そうよ。見るのは初めて?」
「うん! 白いのばっかりじゃないんだぁ。灰色のや茶色いのがいる。おめめも、真っ黒なのとか、いっぱい」
 少女は飼育小屋の前に座り込み、歓声をあげながらウサギを眺める。
 ここに住んでいると言っていたけど、やはりここの生徒ではないらしい。
 しかしだからこそ、優名はそれを追及することなく、今だけでも遊ばせてやりたいと思った。
 ――もし先生に見つかったら、自分が誘ったんだ、って言えばいい。
 何となくだけど、そうしてあげたい。そうするべきなのだと、優名は思った。
 学内を歩いているうちに日は暮れて、辺りは薄暗くなってきていた。
 制服にコートを羽織っていた優名も寒さに耐え切れず身震いをする。
 しかし少女は白いワンピースのようなもの1枚で、元気よく駆け回っていた。
「そろそろ暗くなるし、もう帰る?」
 優名の言葉に、少女はぷぅっと頬を膨らませた。
「帰らない」
「でも、お父さんやお母さんが心配するんじゃ……」
「いないもん。それに、わたしもここに住んでるから。ずっとここにいるの」
 頑固に言って背を向ける少女に、優名は困り果ててしまう。
 見捨てることもできないし、かといってどうしていいものか……。
「……それじゃ、あたしの部屋に来る?」
「本当? ……あ、でも」
「え?」
「あったかいの、ダメだから。お部屋の中はやっぱりやめとく……」
 寒がりや暑がりというのはよく聞くけど、ここまで極端な例は初めてだった。
 部屋の中に入るのがダメだというのなら、彼女は一体どこで暮らしているというのだろう。
「わたし、ここにいるから。また明日も遊んで。お姉ちゃんのこと、ここで待ってるから」
「……うん……」
 優名は後ろ髪を引かれるような思いで、何度も振り返りながらも建物の中へと入っていった。
 

 それからご飯を食べて、お風呂に入って。部屋の中でまどろんでいるときにも、何となくあの少女が気になって仕方がなかった。
 外はすっかり日が落ちて、真っ暗だった。
 ――『ここで待ってる』て、本当にこんな寒空の下で寝る気なのかな……。
 そう思うと、不安で仕方がない。
 カーテンを開けると、闇の中に月が輝いているのが見えた。
 もう雪が降ってはいないと知り、少しだけほっとする。
「……本当に、大丈夫なのかなぁ」
 そうつぶやきながらも、さすがに駆けつけるほどのことはしなかった。
 だがあくる日、優名は早めに目を覚まし、朝食にも行かずに昨日の場所へと向かった。
 どうしても気になったので、授業が始まるよりも前に様子を見にいこうと思ったのだ。
 よく晴れた空と昇る朝陽は、昨日よりもぐっと気温を高めていた。
 風は冷たいものの、日差しはかなり温かい。
 部屋の中にさえいれば、春のような日和だろうと思った。
「……どこにいるの?」
 優名はきょろきょろと周囲を見渡し、声をかけた。
 そういえば、名前を聞いていなかった。
 どうしよう。と思ううちに、木陰からそぉっと、昨日の少女が顔を覗かせた。
「――お姉ちゃん」
「あぁ、よかった。大丈夫だった? 昨夜は寒かったから……」
「うん。だから、もう少し一緒にいられると思ったんだけど……。ごめんね。せっかく来てくれたのに、もう一緒には遊べないの」
「――どうしたの? 何で……」
 優名は言いかけて、少女の手や足からぽたぽたと水滴がたれているのを目にした。
 濡れているというよりは、まるで融けているかのように……。
「遊んでくれてありがとう。楽しかったよ」
 ずしゃぁ、と。少女は形を崩し、消えていった。
 優名は声もあげられず、無言のままで口元をおおう。
 少女が消え去った後には、南天の赤い実が2つと、緑色の葉っぱが2枚、残っていた。
 以前雪が降ったとき、誰かがつくっていたのだろう。
 そうして温かくなる前に、消えてなくなる前に遊びたいと思ったのかもしれない。
 怪異などにはさして興味のない優名も、それを知ると少しだけ、切ない気持ちになった。
 校庭に植えられた梅の花が、ゆっくりと蕾をひらき、芳香を放っていった。
 雪が消えて、春がくる……初花月ともいわれる二月。
 だけど優名は、春の到来を喜ぶ気にはなれなかった。
 こんなに急いで訪れなくても、もう少しだけ、冬が続いていてもよかったのに。
 地面に転がる南天の実を手に取り、優名は心の中でつぶやくのだった。