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<東京怪談・PCゲームノベル>


喫茶「エピオテレス」〜ケンカするほど仲がいい〜

 喫茶「エピオテレス」の入り口の鈴が、チリンチリンと軽やかな音を鳴らした。
「いらっしゃいませ〜」
 ピンク色の髪に、金の瞳が輝かしいウエイトレスがにっこりとやってくる。
「お客様、お一人様でよろしいですか?」
「見れば分かるでしょう?」
 豪奢な金髪を後ろへ流しながら、アレーヌ・ルシフェルは言った。
 ウエイトレスは「ではお好きなお席へどうぞ」と彼女を店内へ促した。
 喫茶店としてはほどほどの広さ、乳白色の壁と観葉植物が目に優しい店内。
 アレーヌはそこへ足を踏み入れた。
 奇妙な喫茶店。そんな噂に興味を引かれて。

 ■■■

 客は他に1人もいない。
 いや――
 窓際で、向き合って座っている男性が2人、いた。
「あら」
 とアレーヌは声をこぼす。「あなたたちは……」
 その声に反応して、2人の男性が振り向いた。
 20歳ほどの褐色の肌の青年と、それより幾分か歳上だろうと思われる背広の青年。
「あんだ。この間のアンティークショップの……」
 と褐色の肌の青年が嫌そうに言う。
「ああ、あの時はありがとう」
 と背広の青年の方が礼を言ってきた。
「あれ、知り合い?」
 ウエイトレスが突然がらっと口調を変えてしゃべりだした。「なに、フェレとケニーと面識あり?」
「……失礼なウエイトレスですわね」
「堅苦しいのは嫌いなんだ」
 アレーヌは眉根をひそめる。
「許してやってくれ」
 と背広の青年――ケニーが言った。「元々無理してウエイトレスをやっているんだ」
「甘やかしすぎではありませんの?」
 アレーヌは腰に手を当てる。褐色の肌の青年、フェレを見やり、
「そもそもそちらの方にしても。この間はタチが悪かったですわよ。教育がなってませんわ」
「歳下に言われたくねえ」
「関係ありませんわね。精神年齢の問題でしょう」
「こいつ……っ」
「フェレ、よしなさいな」
 唐突に背後から優しい声が割り込んできた。
 振り向くと、長い乳白色の髪に、青い瞳の柔らかい印象の女性が立っていた。にっこりと笑って、
「ようこそお越し下さいましたお客様。わたくしが店長のエピオテレスです。以前……フェレがお世話になったようでございますね。ぜひお礼がしたいですわ」
「世話になってねえ!」
「フェレ、お前も素直に認めろ」
「………っ」
 ケニーに冷たく言われ、フェレは歯噛みするような顔で悔しそうに視線をそらした。
「………」
 アレーヌは、店内を一瞥して、奥の方の、綺麗な花が置いてある場所の傍の席を選んで座った。そして、
「ここはメニューがないって本当ですの?」
「ええ、お客様のご要望通りにおつくりしております」
「本当に何を注文してもよろしいの?」
「はい、お任せ下さいませ」
「なら――」
 アレーヌはこほんと咳払いをして、
 「鰤の刺身」と「ブリ大根」。
 少し背筋を伸ばして注文すると、エピオテレスはにっこりと笑った。
「かしこまりました」
「はい、お水」
 ピンク色の髪のウエイトレスが水と氷の入ったグラスとおしぼりを置いていく。
「ご注文の品が出来ますまで、少々お待ちくださいませ」
 エピオテレスがそう言って一礼すると、厨房へと引っ込んだ。
 アレーヌは腕を組む。穏やかな音楽が流れている。彼女が普段いるサーカスのような、明るく華々しい音楽とは対照的で、これはこれで面白い居心地だ。
 しかし、何となく落ち着かないのも事実だった。
「………」
 アレーヌはちら、と窓際の男性陣を見る。
 2人はカードゲームに興じていた。
「ちょっと」
 アレーヌは声をかけた。「フェレさんとおっしゃったかしら? お話したいのですけれど」
 改まった口調。
 フェレは背を向けたまま、「俺は用がねえ」とすげなく返事をしてくる。
 しかし、彼の向かいにいたケニーがその瞬間、手にしていたカードをばさっとテーブルに広げた。
「スペードのロイヤルストレートフラッシュ。さあフェレ、掛け金ちゃらにしてやるからあっちのテーブルへ行け」
「んな……っ!」
「うちは客商売だ。お前も居候なら手伝え」
 手からばらばらとカードを取り落としたフェレは、わなわなと震えてから、……やがてがっくりと肩を落とし席を立った。
 ポケットに手をつっこんでアレーヌのところへやってくると、
「何の用だよ」
「……座って下さらない? 見下ろされるのは嫌いですわ」
「ちっ」
 アレーヌの向かいの椅子をがたっと乱暴に引いて、どっかとフェレは座った。
 腕組みをして、不機嫌全開である。
 ――相変わらず子供っぽいですわね。
 アレーヌは呆れた気分で思った。
 そもそも彼と出会ったきっかけの時も、彼の子供っぽさは全開だったのだ。
 なぜこうも未熟なのか、不思議でならない。
「わたくしは粗野な態度を取る方は嫌でなりませんのよ」
 つぶやいた。「ああ?」と不機嫌なフェレの反応があった。
「あなた、力が欲しいとおっしゃってましたわよね?」
 アレーヌはかつての、アンティークショップ・レンでの出来事を思い出しながら、フェレに言った。
 フェレは武器を欲しがっていた。そのために怨霊を寄せるような武器にさえ手を出し、騒動になったのだ。
「だからなんだよ」
 フェレはむすっとしながら応える。
「だからと言って、やっぱりあの時のあなたは迂闊だったと思いますわよ。あれだけ人に迷惑をかけておいて……自分さえよければいいんですの?」
「お前は勝手に首つっこんできただけだろうが!」
「あの場に居合わせれば放っておくことは出来ませんわ。まあ、わたくしはレイピアの効力を試す意味もありましたけれど」
 灼炎のレイピア。炎を生み出し、操るレイピア。
 それでもって、アレーヌは怨霊退治を手伝ったのだ。
「………」
 フェレが黙ってアレーヌを見る。
 アレーヌはふふんと笑って、
「あのレイピアは確かにそれそのものの効果も絶大ですけれど、扱いがとても大変ですのよ。つまりはわたくしの技術が一番ものを言ったということ」
「………」
「たくさん訓練を――いえ、わたくしは幼少の頃から剣技を叩き込まれてきましたもの。わたくしの技術、見抜けないほど力量がありませんでしたの?」
「……うるせえよ」
 フェレはつぶやくように言った。どうやら、アレーヌの力量を見抜けないほどではないらしい。
「わたくしほどになるには、幼い頃からの鍛錬が必要ですわ。わたくしは幼くして剣のあの鋭い光に魅入られた。初めて手にしたレイピアはまるでわたくしを求めているようでしたわ。わたくしはそのまま、レイピアを扱えるようになるのに夢中になった」
 アレーヌは昔語りを始める。
 ふと家にやってきた、表向きフェンシングの選手であり、裏ではレイピアの達人であった師匠と出会ったその日。
 師匠が手にしていたレイピアを何気なく手に持ってみて、「危ない!」と大人たちに怒られても、まるでレイピアは手に吸い付くかのようにアレーヌから離れなかったこと。
 ……アレーヌが、放さなかった? それはいまだに謎だけれど。
 まるで一心同体のような気がした。
 『これどうやって使うの』と、新しいおもちゃを見つけたかのような顔で、その時のアレーヌは無邪気に訊いてきたと後に師匠は語ったものだ。
 師匠は、そんな小さな女の子の瞳に何かを見出した。
 その日から、フェンシングと共にレイピアの扱いを叩き込まれる日々が始まった。白い肌は散々傷ついた。けれどレイピアたちがつける傷は、まるで他の怪我とは別物のようにあっさりと消えて、アレーヌの美しい真珠のような肌は残されて。
 レイピアで傷つけられる痛みを知っている。
 だからこそ、レイピアを扱える。
「あなたは、武器で傷つけられる痛みをご存知かしら?」
 アレーヌはフェレのまなざしを探った。
 フェレは黙ったままだった。――彼の褐色の肌は傷痕だらけで、それなりの修羅場をくぐってはきたのだろうけれど。
「その武器の本質を知らなければ、体感しなければ、その武器を本当に扱うことは出来なくってよ」
 そしてアレーヌは言う。
 一回だけ。
 もう二度と傷痕が消えないのではないかと思うような大きな傷をつけられたことがあったと。
「それが、初めて師匠からレイピアではなくサーベルの威力を見せられた時でしたのよ」
「サーベル……」
 フェレが目を細める。
「師匠はサーベルで、遠慮なくわたくしを突いた」
 死ぬかと思った。
 そう、死ぬかと思った。
 あの、友達のようだった銀の刃を、初めて恐ろしいと思った。
 けれど生き残って、己の体から流れる血を見つめて――
「サーベルもマスターしてみせると、誓ったのですわ」
 レイピアとはまるで違う技術が必要だった。1からの修行のやり直し。けれどアレーヌはめげなかった。若さゆえの勢いだけではなかった。
 誇りが、彼女にはあった。
 自慢だった自分の体に傷をつけたそれを、扱えずにどうすると。
「そしてわたくしは、サーベルで巨大な岩でも一突きで砕けるほどに上達した」
 アレーヌは両手を組み合わせる。
「すると、わたくしの体に刻まれていたあの傷痕は消えていった。――わたくしは生まれながらに、剣技を身につけることを宿命付けられていたのですわ」
「………」
 フェレの視線が揺らいだ。
 露出の多いアレーヌの肌に視線がすべっているのが分かる。
 そこに、傷痕がないことを確かめている。
 アレーヌは、金の巻き髪を後ろへ払った。
「自分の身は自分で守るものですわ」
 そして、探るようにフェレを見て、
「いかが?」
 挑発するように告げる。
「……大したもんだよ」
 フェレがつぶやいた。
 アレーヌは少なからず驚いた。――こんなところで、意外と素直な言葉。
 目の前の青年をじっくりと見つめる。
 視線を落としたフェレは、どこか元気をなくして見えた。
「情けない!」
 アレーヌは大仰に両手を広げた。「これくらいでやる気をなくしますの!? あなた、どこまで情熱がないんですの!? あの時はあれほど執着していましたのに!」
「………っ黙れ、俺は俺のだなあ……っ!」
「はーい、ブリ大根と鰤の刺身お待ちー」
 ウエイトレスの間延びした声が割り込んできた。
 勢い込んだフェレが、くじかれたようにがくっと前のめりに倒れる。
「はいはい、並べるのに邪魔だから起き上がれフェレ」
 ウエイトレスは両手に持っていた皿を滑らかな動きでアレーヌの前に置いた。
 アレーヌは目を輝かせた。
「まあ……! とても新鮮そう……!」
 刺身。身がぷりぷりだ。透明度も高い。添えられた黄緑のわさびの色が刺身を引き立てて――
「こんな新鮮そうな物が出てくるなんて信じられませんわ! 一体どういう仕組みになっていますの? 予定にないメニューでしょうに」
 エピオテレスがウエイトレスの後ろから出てきて、
「企業秘密でございますが……問題のあるものではございませんので、安心してお召し上がりくださいね」
「ええ!」
 刺身の横では、ほかほかのブリ大根がいい香りをさせている。
 アレーヌは箸をうまく使い、刺身を1枚、ちょっとわさびを載せ、醤油につけて頬張る。
「〜〜〜〜〜っ!」
 アレーヌの白い頬が赤く染まった。手が拳に変わる。場所が場所なのでしなかったが、他人の目がなければぱたぱた両手を振って喜ぶところだ。
 口の中でとろ〜り。溶けるような食感。
 たっぷり味わって食べてから、次にブリ大根の輪切り大根に箸をつける。
 すっと箸が突き刺さった。――崩れてしまいそうな固さをぎりぎり保っている。
 半分に割って、一口サイズにすると、それを口へと持って行く。
 味が中まで浸透している。甘辛の絶妙な味付けだ。
 アレーヌは我慢できずにブリを半ば乱暴に崩してちょうどよいサイズにすると、大根と一緒に口に入れた。
 これはもう、文句なく美味しい。
 ブリの煮え加減も味の染みこみ具合も、まるでアレーヌの好みを知っているかのようにぴったりとアレーヌの好みに合った。
「信じられませんわ!」
 と彼女は声をあげた。
 普段プライドが高く、他人よりも自分の方が上と思って振舞っているアレーヌにしてみれば、それは最高の賛辞だった。
「ありがとうございます」
 とエピオテレスが微笑んだ。

 さて――

 アレーヌが鰤料理に夢中になっている最中に、店の鈴がもう一度鳴っていた。
 ウエイトレスたるクルールは振り向いて、淡々と店の出入り口まで行くと、
「いらっしゃいませ〜」
 と言いながら客を迎えた。
 そこに、見覚えのある少女と――猿、さらにチンパンジーがいた。
「こんにちは!」
 と少女――猿渡出雲は元気よく言った。

 ■■■

「ねえねえここメニューなかったよね。何でも注文してもよかったよね?」
 出雲は弾む声で言った。
「いいけど。今テレスは話し中だから……」
 とクルールは窓際を見る。
 ちょうどケニーが、煙草を消して立ち上がったところだった。
「俺がやる。……ご注文は何かな、恩人さん」
 ――以前、ケニーが死にかけた事件で、一役買ったのが出雲とその連れの日本猿佐介、チンパンジーの才蔵だった。
「あ、おにーさん。あれから大丈夫? 元気?」
「おかげさまで見ての通りだ。――料理の腕自体は基本的にテレスと変わらん。俺に注文してくれて構わない」
「ほんと?」
 出雲は大食漢だった。店内をろくに見渡しもせずにすぐさまカウンター席に座ると、足をばたつかせながら「えっとえっと」と考える。
「んーと、海鮮ちゃんこ鍋!」
「かしこまりました、お嬢さん」
「大盛りでね!」
 厨房に入っていこうとするケニーの後姿に、出雲は声をかけた。
「機嫌よさそうだね」
 クルールはカウンターに肘をついて出雲を見やる。「そっちのお猿さんたちもご機嫌いかが?」
「ウキッ!(訳:ワイの名前は佐介やっちゅーねん、覚えんかいボケェ!)」
 と日本猿が飛び上がって怒りながら、すとんと出雲の隣の席に座る。
「ウキキ……(訳:落ち着きのないことでごザル……)」
 そのまた隣にチンパンジーの才蔵がゆっくりと座る。
「器用だねえ」
 クルールは指の上で銀のトレイを回しながら、半ば呆れたようにちゃっかり席に座った猿とチンパンジーを見た。
「今日はね、久しぶりにお休みが取れたんだあ。このお店好きだからさ、ついつい来ちゃった!」
「休みってサーカスの方? 退魔の方?」
「んー、両方ってことになるのかな」
 出雲は小さい体を目一杯伸ばして、「はー!」と気持ちよさそうに息を吐く。
「ここのところサーカスの巡業が厳しくて。その合間に退魔の仕事も来るし……佐介と才蔵にも無理ばかりさせてるから、たまには2人にもたっぷり食べさせてあげないとね」
「ウキキッ(訳:出雲ほどはいくらワイでも食べれへんでえ)」
「うるさいよ佐介っ」
 ぽかっと日本猿の頭を叩いてから、出雲はカウンターに両肘をつき、両の指をからませた。相変わらず足が揺れている。
「出雲ってサーカスでは何担当?」
 クルールはカウンターにもたれたまま訊いた。
「うん? 綱渡りだよ!」
「へえ、出雲らしい」
「軽業なら任せて!」
 クルールは、出雲のいかにも忍者風の服装を眺める。
「ニンジャ。ニンジャ?」
「ん? うん」
 出雲はにこっと笑う。
「そもそもさあ」
 クルールはトレイを回すのをやめて、カウンターに腕をつき出雲の顔をのぞきこむ。
「出雲は猿を束ねてるんだよねえ?」
「うん? 束ねてるというか、友達みたいなもの。だけどうーん……」
「ウキキ……(訳:出雲は立派に猿忍群の頭領を務めているでごザル)」
「ありがと、才蔵」
 出雲が才蔵に笑顔を向けるのを、クルールは不思議そうに見つめる。猿語もチンパンジー語もクルールには理解できないのだから仕方ない。
「出雲、すごいよね。猿と何で話せるのさ?」
「心の通じ合いだよ!」
「……そういうもんなの?」
「そういうもん!」
 それにね、と出雲はクルールを見る。
「あたしの猿忍群にはリスザルから大型のゴリラまでいるんだよ♪ みんなちゃんと声が聞こえる。お互いにね、通じ合ってるよ」
「へえ……」
「大したものだな」
 とカウンターの奥からケニーの声がした。
 途端に出雲が鼻をくんくん鳴らして、
「いい匂いーーー!」
 と両手を振った。
 クルールが思い出したようにカウンターの内側に入り、ガスコンロを出雲の前に出す。
「まだ煮出しているところだ。もう少し待ってくれ」
「待つ待つ待つ!」
 こくこくこくとうなずく出雲。
「クルール。コンロは3つだ」
「え、マジ?」
 厨房からの声に、クルールは呆れ声を出しながらガスコンロをさらに2つ足した。
 うんうんと出雲が嬉しそうにうなずく。
「これくらい食べなきゃね! ね、佐介、才蔵!」
「ウキッキッ(訳:ほとんどは出雲が食うやないか)」
「ウキ……(訳:主殿は疲れていらっしゃる……たくさん食べて頂くのがよいでごザル)」
「ありがと才蔵。でも佐介も才蔵もちゃんと食べなきゃ駄目だよー」
「……何しゃべってんの?」
 クルールは興味深そうに聞いていた。
「色々」
 と出雲はにこにこしながら言った。
 時々、隣に座っている佐介の頭を撫でては「ウキー!(訳:子供扱いすんなや、出雲!)」と怒鳴られていたりもするが。
「ねえ、ここからだと厨房にも声届くんだね」
「届いている」
 出雲の声に、厨房の中からケニーが応える。
「そっか。へへ、おにーさんとも少ししゃべりたかったから嬉しいな」
「そう言えば前回はほとんどしゃべらなかったっけ」
 クルールはケニーが死にかけた事件を思い出しながら、ぼんやりとつぶやく。
「ところでさあ、リスザルとかゴリラとか。猿とかチンパンジーとか。……何でサーカスやら退魔やらやってんのさ?」
「猿っていうのは関係ないよ。要はあたしたちが忍者だっていうことが重要なんだー」
「ニンジャ?」
「クルール、忍者の歴史知ってる?」
 クルールは首を横に振る。そもそも天使であり、つい最近下界に降りてきたばかりの彼女が知るはずがない。
「忍者の発祥には諸説あるけどね。鎌倉時代にはもうしっかりとした集団として確立していたんだよ」
「……カマクラ?」
「江戸時代なんかも活躍してたね。それであたしたちの流派は――」
 エド? イド? とはてなマークを飛ばしているクルールをよそに、出雲は説明を続ける。
「忍者の仕事って主に諜報活動でしょ。それが明治時代にね、ほら、明治になると一気に仕える『ご主人様』が減るでしょ? 残った頭のいい『ご主人様』は忍者の特異な能力にも目をつけるようになったんだよね」
「ニンジャってゴシュジンサマがいるものなの?」
「大抵はそう」
「ふうん……」
 クルールはカウンターに頬杖をつく。よく分からないなりに興味深い。
「江戸時代から明治に変わる時に色々あったからさ、怨恨とか。明治になって突然『魔』が増え始めたんだよね。元々忍者は常人には扱えない能力とか持っていたからね。退魔士にはもってこいだったんだよ」
「明治時代に」
 突然、むわっと強烈な香りが広がった。
 出雲がわっと手を叩いた。
 大きな鍋を持ったケニーが、厨房から出てくると、ガスコンロの1つの上にそれを置きながら言った。
「――明治になって、普通の人間は侍をやめて完全に攻撃能力をそがれたからな。忍者のように能力を持ったままの存在は貴重だったんだろう」
「うん、そうそう。うわ、美味しそう!」
 ケニーはコンロに火を点ける。ぐつぐつとにたったボリュームたっぷりちゃんこ鍋。
 中身はなぜこの時期にあるのか不思議な材料さえもある。ほたてもえびもかきもかにもごったまぜ。ダシ用の昆布もそのまま入っている。
「昆布もそのまま食べると美味い」
 ケニーが注釈をつけると、気にしていないと言いたげに出雲はうなずいた。
「うん、何でも食べる!」
「キキッ(訳:出雲は食い意地がはってるしなァ)」
「うるさいよ佐介っ」
 クルールがカウンターの中から受け皿を取り出して、出雲と佐介と才蔵の前に出す。
 ケニーは再び厨房に引っ込んだ。
「それで、えーと、何の話してたっけ?」
「……メイジが退魔でどうのこうの」
「そうそう明治時代ね。忍者が仕えていたご主人様、つまりお偉いさんって何かと怨念がつきまといやすくて、つまり魔が取り付きやすかったんだよ。それを祓うために忍者が役目を変えていったってわけ」
 鍋の中身を山盛り受け皿に盛りつけながら、出雲は一気にそこまでしゃべると、
「いっただっきまーす!」
 と手を合わせた。
「ほら、佐介も才蔵も」
「ウキッ(訳:分あっとるわい)」
「ウキ……(訳:ありがたく頂くでごザル……)」
 佐介も才蔵も器用におたまと箸を使い、受け皿に取って手を合わせた。
 出雲は一足先に食べ始めていた。もりもりもりもり。
「う〜ん、新鮮な海の幸!」
 頬までいっぱい食べ物をつめたまま幸せそうにのどを鳴らす。
「行儀悪いよー」
 クルールはぺしぺしとカウンターを叩いてみた。しかし出雲、聞く耳持たず。
 ケニーがまた姿を現し、もうひとつの鍋をコンロの上に載せる。こちらもぐつぐつ。中身は一緒。
「ばいぞーう!」
 出雲が嬉しそうに声を上げる。
 さらにケニーは厨房に引っ込み、またひとつ鍋を持ってくる。これで3つのコンロが埋まった。
「食べきれるの?」
 クルールは呆れて訊く。
「これくらいへっちゃら!」
 出雲は気合を入れて、口の中へかきいれ始めた。
 その横で、佐介と才蔵はゆっくり食事を始めていた。
 佐介は性格に似合わず、割と丁寧に食事をするタイプのようだ。才蔵は言うに及ばず。
「そっちのお猿さんたち、何で忍者になったのさ?」
 クルールはそんな日本猿とチンパンジーを見る。
「ウキキキッ(訳:説明してもおんどれわいの言葉分からへんがな!)」
「少しですが分かるような気がしますよ」
 と突然背後から声がした。
 佐介と才蔵がはっと振り向くと、そこにはいつの間にかエピオテレスがいた。
「いらっしゃいませお客様。お迎えせずにすみません」
「あ、店長さんだ〜」
 出雲が振り向いて、こくりと頭を下げて挨拶代わりとした。
 エピオテレスはにこにこと笑いながら佐介と才蔵に握手を求める。
「この間は兄を救って頂いてありがとうございました」
「ウキッ(訳:もののついでや)」
「ウキ……(訳:困った時はお互い様でごザル)」
 それを聞いて、エピオテレスはくすくすと笑う。
「テレス、言葉分かんの?」
「ええ……おそらく、少し」
「佐介、話してあげたら?」
 出雲は食事に戻りながら佐介に話題を振った。
「ウキ……(訳:なんでわいが……)」
「そうおっしゃらずに。わたくしも興味がございます……あなた方のように知能の高い動物さんたちの忍者、かっこいいですわ」
 エピオテレスににこにこと笑顔で言われ、佐介は頭をかいた。
 くるっとエピオテレスに背を向けカウンターに向き、ずず、と鍋の汁を飲んだ後、
「ウキキ……(訳:わいの親父は集団のボスやったんや)」
 佐介にしてはしんみりとした口調で話し出す。
 エピオテレスは静かに聞いている。
 佐介は独り言のように続けた。
「ウキウキ……(訳:けどな、ボスってのは永遠に続かれへんもんや。親父は……縄張り争いに負けおった。相手は獰猛で、とんでもないやつやったなァ……)」
 いつの間にか出雲の手が、ぽふぽふと佐介の頭を叩いていた。
 それに慰められるように。
「ウキキッ(訳:そん時のわいはまだ乳のみのガキや。そのまま放っとかれとったら間違いなく死んどったで。そこを……)」
「あたしと、あたしのじいちゃんが助けたんだ」
 出雲が最後の言葉を引き受けた。
「そうですか……」
 エピオテレスは優しく佐介の背中をさする。佐介は暴れもせずにそれを受け入れた。
 しかしやがて、横目で隣に座る才蔵を見て、
「ウキキッ(訳:こいつはわいのライバルやゆうて、サーカスの団長が勝手に出雲のじーさんに預けよったんや。ライバルなんて、冗談やない)」
「ウキ……(訳:忍としての自覚は拙者の方が上でごザル……)」
「ウキキキキッ!(訳:なんやとコラァ!)」
「ケンカしない!」
 出雲がすかさず佐介の腕を引く。
 佐介は才蔵に威嚇の姿勢をとってから、
「ウキ〜(訳:用を足しにいってくるわ〜)」
 と思い出したように席を降り立った。
「あ、お手洗いはあちらです」
 エピオテレスがすっと手で行き先を示す。
 佐介はひょいひょいと軽い足取りでトイレに向かった。

 ――一足先に、アレーヌが女性トイレに入ったことも知らずに。

 ■■■

「きゃっ!」
 トイレから出た瞬間、目にした存在にアレーヌは悲鳴をあげた。
 佐介は振り向いて、嫌そうな顔つきになった。
「ウキ……(訳:何でコイツがおるねん……)」
「それはこちらの台詞ですわ!」
 こいつがいるということは……!
 アレーヌは激昂した。
「こんなところで何をしてますの! あなた方はサーカスの新技開発のためにしばらく特訓を言いつけられているはずでしょう!」
「ウキキキ!(訳:休憩の許しが出たから来たんじゃオンドレ!)」
「休憩のお許しが出たからって簡単に休憩するような根性じゃ新技開発もろくなことになりませんわね! 休み時間も特訓してこそスターですのよ!」
「ウキッ! ウキッ!(訳:ボケが! 時間を有効利用する頭もないゆーんならスター気取りでいるんやないわ!)」
 大声での口論。
 それを聞きつけた出雲が、何事かと慌てて才蔵をつれてトイレ前へやってきて、アレーヌの姿を見つけ目を丸くした。
「なんでここにいるのー!?」
「それはこちらが聞きたいですわ! 何であなたたちが来ておりますのっ!」
「ここは好きなお店なんだから、来てもいいじゃないかあ」
「これだからお子様は……っ」
「同い年でしょ!」
 見かけ小学生にしか見えない出雲でも、実際にはアレーヌと同じ17歳である。彼女は顔を真っ赤にして怒った。
「お客様」
 と険悪なムードのアレーヌと出雲サイドに、おっとりとエピオテレスの声が割り込む。
「けんかなどなさらずに。ここは喫茶店です……誰にでも平等に、憩いを与える場所でございます」
「………」
 エピオテレスの雰囲気はなぜか、優しいまま相手を飲み込む。
「休戦だ。せっかくの料理が不味くなるぞ」
 とケニー。
「……こんなところでけんかすんのは、それこそお子様だと思うぞぉ?」
 とフェレに面倒くさそうに言われ、アレーヌはくっと歯噛みする。
「いいから仲良くやんなよ。同じサーカス団だろ」
 クルールが腰に手を当てて、嘆息した。
「あたしはけんかするつもりないけど、アレーヌがー」
 むすっとしたまま出雲は言う。
「まあまあ。……そうですね、何か一緒に遊びでもいたしませんか? 料理を囲んで……」
 エピオテレスが提案した。
「カードでもやるか?」
 ケニーがほったらかしにしてある窓際の席のトランプを一瞥する。
 ふと思い出したように、佐介が服の中を探った。
「ウキッ(訳:そうや。こんなもん持っとったわ)」
 取り出したのは花札――
 アレーヌの目がきらっと光った。
 彼女は、ひそかにレトロな遊びが好きだった。
「やってあげなくもありませんわよ」
 高慢な態度を崩さないアレーヌと対照的に、「わあ、それって花札って言うんだっけ? やったことないー!」と無邪気に喜び始める出雲。
「じゃあそれやって仲直りしてろよ。ったく」
 と手をひらひらさせるフェレの手首を、がしっとアレーヌが握った。
 あ? とフェレが少女を見ると、アレーヌはにっこりと笑って、
「付き合って、くれますわよね?」
「ああ!?」
「あなた賭け事お好きなのでしょう?」
「え、賭けるの?」
 出雲が当惑した声を出す。
「ウキ……(訳:まあ、花札でごザルからなあ……遊びでいいと思うでごザル)」
 才蔵が賭け事という言葉を取り消した。アレーヌにひそかににらまれたが、気にもしていない。
「花合わせでもするか」
 ケニーが煙草を取り出した。「あれは3人でやるゲームだが……」
「じゃあ、じゃあ、交替交替でやればいいね!」
 出雲が俄然やる気を出した。こうなると、負けず嫌いのアレーヌも黙ってはいない。
「わたくしもやりますわ……! このわたくしに勝てると思って?」
「アレーヌ、花札の経験あるの?」
「……わたくしに不可能はありませんことよ!」
「ケニーは相手にしない方がいいと思うよー。何か絶対勝てる気しないと思う」
「ケニーは黒いからな……」
「人聞き悪い。お前が白すぎるんだフェレ」
「わたくしも混ぜて頂いてもよろしいですか?」
「店長さんもやろー!」
 わいわいと。佐介の取り出した花札のおかげで突然場は険悪ムードから、一変遊びの勝負ムードへと変わった。
「負けませんわよ……!」
 アレーヌが腕まくりをする。
「へへへー。細かい判断力は忍で鍛えられてるもんねっ」
「ウキッ(訳:花札を甘く見たらあかんでぇ出雲)」
「ウキ……(訳:なかなか頭を使う遊びでごザルからな……)」

 ゲームをするのは3人。一回ゲームが終わるたびにメンバーが入れ替わる。残りのメンバーは横から見ているか、食事をゲームをしているメンバーに渡すか。
「はいっ! 三光!」
「……くっ。こちらは松島ですわ!」
「ウキ……(訳:梅松桜でごザル……)」
「五光」
「だから何でお前はそうナチュラルにいい手が出んだよケニー!」
「ええと……この役は何ていうのかしら?」
「ていうかなんであたしまで参加するわけー?」
「ウキッウキッ!(訳:ノリの悪いやっちゃな、空気を読まんかい!)」

 穏やかな音楽が流れる喫茶店がにぎやかになった。
 普段はライバル同士でも、こんな時は。
 こんな時ぐらいは――……。

 ■■■

 喫茶「エピオテレス」。
 憩いを与え、人々の模様を映し出す、不思議な喫茶店……。


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【6813/アレーヌ・ルシフェル/女/17歳/サーカスの団員/退魔剣士【?】】
【7185/猿渡・出雲/女/17歳/軽業師&くノ一/猿忍群頭領】
【7186/―・佐介/男/10歳/自称 『極道忍び猿』】
【7187/―・才蔵/男/11歳/自称「忍び猿」】

【NPC/エピオテレス・M・エヴァス/女/21歳/喫茶「エピオテレス」店長】
【NPC/ケニー・F・エヴァス/男/25歳/喫茶「エピオテレス」副店長】
【NPC/クルール/女/17歳/喫茶「エピオテレス」ウエイトレス】
【NPC/フェレ・アードニアス/男/20歳/喫茶「エピオテレス」居候】

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■         ライター通信          ■
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猿渡出雲様
こんにちは、笠城夢斗です。
今回は喫茶「エピオテレス」へご来店ありがとうございました!
お届けが遅くなり申し訳ございません;
忍者が退魔士へと変わる経緯は勝手に創作させて頂きましたがこれでよろしかったでしょうか?
出雲さんのような元気のいいキャラクターは書いていて楽しいです。
よろしければまたのご来店、お待ちしております。