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<東京怪談ノベル(シングル)>


哀しき復讐者



1.
「では、このふたりを殺して欲しいと?」
 目を細めながら差し出された写真を見ていた吉良乃はそう目の前に立っている依頼人に尋ねた。
 線の細そうなその女性はその問いに迷うことなく頷き、それを見た吉良乃はもう一度その二枚の写真に目を通した。
 ひとりはスキンヘッドで人相の悪い如何にもチンピラといった風情の男、片やもう一枚に写っているのは上等そうなスーツを身につけた男で写真を見るだけではこのふたりに接点があるようには思えない。
「このふたりはいったい何をしたのかしら」
 復讐のための暗殺しか行わない吉良乃にとって、標的が復讐されるべきものであるかどうかを見極める必要がある。
 しかし聞くまでもなく女性が彼らに恨みを持っていること、そしてそれは相手の死をもってしか晴らすことができないものであるということが吉良乃にはわかっていた。
 目に宿っている暗い光、化粧気のない痩せこけた顔、全身にまといついている殺伐とした空気、すべてが吉良乃には馴染みのあるものばかりだ。
 だがそれでも吉良乃は聞かなければならない。彼女の身に何が起こったのかを、彼らに対する恨みを。
 それらを聞いて初めて、復讐は正しく成就される。
「……こいつは、私の大切な人を殺したの。一緒になるはずだった人を」
 掠れた声で女性はスキンヘッドの男が写っている写真を指差した。
「深夜のことだったわ。彼は何者かの暴行を受けて殺されたの。怨恨の線からは誰も出てこなくて、警察は何かのトラブルに巻き込まれたのかもしれないと言っていたけれど容疑者はなかなか出てこなかった……もっとも、殺人とはいえ警察が暴行事件にどれだけ力を入れて捜査してくれていたかなんて怪しいものだけど」
 そう付け加えた女性の目にあったものも吉良乃には見覚えのあるものだ。世の中の全てに対する猜疑、不審に満ちた目だ。
「でも、この男が容疑者として浮上した。そういうことね?」
「えぇ、その日彼が殺された場所でそいつを見たっていう目撃情報も出てきたの。前にも傷害で捕まったことがあるらしくてそいつは捕まったわ」
 しかし警察が手に入れることができたのは状況証拠ばかりで決め手となる物的証拠は乏しいままだった。しかし、男が自白したことによりそのまま警察は男を起訴、裁判へと持ち込んだ。
 これで婚約者の敵をとることができる。そう安堵しかけた彼女に突きつけられたのは非情な現実だった。
 男が雇った弁護士は警察の証拠不十分を指摘し、また自白は強要されたものであると主張。男自身も法廷では無実を主張した。
 そして、裁判所の下した判決は──無罪。
 弁護士の巧みさに加え起訴を焦った警察の証拠不足も原因のひとつだった。
 しかし、一度裁判所が下した判決は翻ることはない。
 虚無感に覆われながら女性は法廷を出るとひとり呆然と立ち尽くしていた。
 そのとき、女性の耳にその声が飛び込んできた。
「助かりましたぜ、先生。危うく、豚箱で冷や飯を食わされるところだった」
「任せておけ。何度裁判が起きても必ず無罪にしてやる。それより……」
「ええ。依頼料とは別に……」
 声にはどちらとも聞き覚えがあった。ついいままで無実を主張していた男とその弁護人である男のものだ。
 その内容に、女性は身体の底からふつふつと怒りがこみ上げてくるのを感じた。
 警察が睨んだ通り、やはり男は婚約者を殺した男だったのだ。なのに、弁護人は金でその真実を葬り男を自由の身にした。
 許せない。
 怒りに任せて彼らに掴みかかることは容易い。だが、女がひとりで向かっていったところで彼らは何の痛痒も感じることなくせせら笑うだけに決まっている。
 何より、裁判所が彼を無罪とした。一度判決の出たものは二度と同じ事件では起訴されない。別の事件が起きない限り男が有罪となることはない。いや、仮に起こったとしても今回と同じようにあの弁護士が握り潰してしまうのだ。
 許せない、許せない、許せない。
 そして彼女は復讐の念に取り付かれ、この事務所を訪れた。
 法では決して裁くことができない者たちに法を超えた裁きを下すために。
「本当は警察だって憎いわ。彼らがもっと証拠を集めていれば、どんな汚い奴が弁護についても有罪にできるだけの証拠を集めてから裁判をしていればって……でも、そんなことまで言ってもしかたないもの」
 だけど、そう呟いた女性の目は恨みと怒りに染まっていた。
「人を殺した奴がのうのうと生きていて、そいつを助けるような奴は大金をもらってブランドのスーツを着てるなんておかしいじゃない! 無罪のわけないじゃない、それなのに裁判所はあいつに罪はないって何もしてないって判決を出したのよ。そんなものが真実なら、私は真実なんていらない!」
 振り絞るように叫んだ女性は暗い目を吉良乃に向けた。
「私が欲しい真実は、あいつらがこの世からいなくなったっていうことだけ。そのせいで事件の真相がわからなくなってもいい。あいつらを殺して!」
 怨嗟に満ちた女性の声を、表情を吉良乃はただ静かに聞き、そして口を開いた。
「この依頼、引き受けるわ」


2.
 吉良乃がまず向かったのは婚約者を殺したというスキンヘッドの男のほうだ。
 着いた先は一軒のボロアパート、弁護士に金を渡していたそうだがそんな金があるような者が住むような場所には見えない。
 男は此処にひとりで暮らしているということだった。防犯に気を使っているとはとても見えないそこは案の定吉良乃にとって容易く忍び込める場所だった。
 まだ部屋の住人は帰っていないということを確認した後、吉良乃は息を潜めその帰宅を待った。
 時計の針が深夜を指したとき、ガチャリと扉を開く音が耳に届く。
 欠伸の声、誰かが自分を襲うことなどないと思い込み油断しきった気配。
 その気配が更に一歩部屋の中に入り、扉が開いた途端吉良乃は男に近付くとその身体を容易く床に押さえつけた。
「な、なんだっ!?」
 突然のことに慌てている男の頭に吉良乃は冷たく銃を突きつける。その感覚に男の身体が凍りつく。
「なんだ、なんだよ!?」
「いまあなたの頭に何があるかはわかるわよね? このまま黙って引き金が引かれる音を聞く?」
 まぁ、音なんて聞こえないんだけどと吉良乃が脅すように付け加えている間に、男は更に慌てたように身を捩りながら命乞いを始めた。
「ま、待て、待ってくれ! 金が欲しいならいくらでもくれてやる、俺の親父に頼めばいくらでも出してくれる!」
「じゃあその金でこの前の裁判も逃げきったってことね?」
「そ、そうだよ、その通りだ!」
 そのまま男は勝手に事件の真相を話し始めた。
 依頼人の婚約者を殺したのは自分であること、原因は原因と呼ぶにもつまらない些細なこと──通りかかったところに難癖をつけ、言い返されたことについカッとなっての犯行だったということだということ。
 婚約者を奪われた女性にとって何の救いにもならない真相を男は勝手に話し、金をやるから命だけはと見苦しいほどの命乞いを続けていた。
 そんな様子を冷たく見下ろしながら、吉良乃は銃を構えていない赤い光を放つ左腕をゆっくりと構える。
「私に依頼した人にはいまあなたが話したようなものは必要ないの。必要なのはたったひとつ……あなたが死ぬことよ」
 男はそんな吉良乃の言葉を聞き終える前に、その左腕の力によって塵と化し、つい先程まで男の身体がここにあったいう痕跡さえ消え去っていた。
 ボロアパートを出ると、吉良乃はそのままもうひとりの標的の家へと向かったが、そちらの仕事はといえば先程よりも更にあっけないものだった。
 仕事で疲れきっていたらしい男は吉良乃が侵入してきたことにも気付かないまま眠りについており、自分が殺されたことも殺されるほどの恨みを抱かれていたことも知らないまま無に帰した。
 今回の依頼人の復讐はこれで完了だ。事件の真相は闇のまま、容疑者は消え去り、仮に彼が他の罪を犯していたとしてもそれを明るみにすることはできない。
 けれど、そんなことは吉良乃にとっては関係のないことだ。そして、依頼人にとっても。
「……真相はいらない、か」
 どうして愛するものが殺されたのか、それを知ることでも癒えない傷を負い、復讐でしかそれを癒すことができなくなった女性の心を思いながら吉良乃の姿は闇の中へと消えていった。